2020-08-14

うちのばあちゃん認知症

最近は何かを言った次の瞬間に何を言ったのか忘れている。

フィクションなんかでよくある「ご飯はまだ?」「ばあちゃんさっき一緒に食べたでしょ」なんてやりとりももちろんする。

うちは二世家族で昔は両親も祖父母も外に働きに出ていた。

両親の仕事は深夜に終わることが多かったので仕事帰りの祖父母が交代で保育園へ迎えに来てくれたのを覚えている。

平日の晩ごはんを作るのはばあちゃん担当で、道すがらにあるスーパーに寄ってから家に帰ることもあった。

暑い日なんかはファミリーパックのアイスを買って、ばあちゃんに急げ急げと急かされながらスーパー駐車場を2人で走ったりもした。

畳の匂いのする居間テレビを見ていると台所からトントン包丁で何かを切る音が聞こえてきて

揚げ上がった唐揚げ匂いにつられて近づくと内緒だよと、ひとかけらだけつまようじにさして食べさせてくれたっけ。

小学生くらいになると料理を手伝いたいとタダをこねたこともあった。

ばあちゃんはやいやい言いながらも色々教えてくれて、初めてひとりで卵焼きが作れるようになった日はそりゃもう嬉しくて何日か連続卵焼きを作るくらいはしゃいだ。

高校卒業してからは家を出て一人暮らしを始めた。

実家に帰ることも少なかったので、ばあちゃん認知症の症状がいつ頃出始めたのかは分からない。

事情を知らされたときにはだいぶ物忘れが進行していて認知症の診断を受けさせたい家族と嫌がるばあちゃんで一悶着あって大変だったのを覚えている。

そんな状態になってもばあちゃんはばあちゃんで、たまに実家に帰ると何か足りないものはないか?これを持って行きなさいと食べ物がたくさん入った袋や箱を持たせてくれた。

どうしてこんなに長い文を書いてあるのかというと今日部屋を掃除していたらどこからともなく封筒が出てきたからだ。

「〇〇へ」と自分名前が大きく書いてあり筆跡からばあちゃんが書いたものだとすぐ分かった。

中を確認すると新聞の切り抜きがたくさん入っていて、よく見るとどれも料理レシピが書いてある記事だった。

たぶん憶測になるがばあちゃんの症状がまだ軽かった頃に、たまに帰ってくる孫に渡すために新聞レシピ記事を切り抜いて食べ物と一緒に持たせてくれていたのだと思う。

部屋で紛失して存在に気づくまで数年かかってしまったけれど。

ばあちゃん認知症と診断されてから何年か経ったが症状はゆるやかに進行していて、最初に書いたように最近ご飯を食べたことも忘れてしまうようになった。

きっと孫の名前もそのうち忘れてしまうだろう。

ばあちゃんは自他共に認めるしっかりした人だったけど今のばあちゃんを見ているとその面影はない。

寂しくて涙が止まらなくなったとき泣き止むまで抱きしめてくれた優しいばあちゃんも、悪いことをしたら裸足のまま冬の玄関に締め出すような恐ろしいばあちゃんも、もうどこにもいなくて小さくてシワだらけの老人がただそこにいる。

それだけの話。

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