はてなキーワード: あの世とは
『名探偵コナン』に登場する、安室透、赤井秀一。私も含めて、安室と赤井はいつもケンカしているようなイメージを持つ人が多いのではないか?たまに「この2人なんで揉めてるの?」という声を聞くこともあるし、実際2人(とスコッチ)の関係性について整理しきれていない人もいるだろう。
そこで今回は、スコッチの真相と安室・赤井の確執について整理・考察をしてみた。
ちょっと検索してみれば分かるのだが、「安室と赤井の因縁について」のような考察は正直かなりの数が書かれているが、今回は、“自分なりに”スコッチの真相と安室・赤井の確執について整理・考察をしてみた。
(一部を除き原作に描写はないが、起きたであろう出来事も含む)
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【スコッチ】
持ち物:スマートフォン
・バーボンにメールを送る(「悪い降谷…奴らに俺が公安だとバレた…逃げ場はもう…あの世にしかないようだ…じゃあな、零(ゼロ)…」)
・逃げる?
【バーボン】
持ち物:スマートフォン
【ライ】
持ち物:拳銃
↓
【スコッチ、ライ】揉み合いになる?
↓
【ライ】 拳銃を抜き取られる
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【ライ】 自分を撃たないよう説得しようとする(「俺を撃つ前に話を聞いてみる気はないか?」)
【スコッチ】銃口を自分の胸に向ける(「拳銃はお前を撃つために抜いたんじゃない…こうする…為だ!!」)
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【ライ】 リボルバーのシリンダーを掴み、自殺を止めるよう説得。「俺はFBIから潜入している赤井秀一…お前と同じ奴らに噛み付こうとしている犬だ…。さぁ、わかったら拳銃を離して俺の話を聞け…お前1人逃がすくらい造作もないのだから…」
【スコッチ】返事はするものの、この時点で拳銃から手を離していない
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↓
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【ライ】 スコッチの胸ポケットで心臓ごと打ち抜かれたスマートフォンを発見(「なるほど…拳銃を奪ったのは…コレ(=スマートフォン)を壊すためだったのか…」)
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【ライ】 振り返り、一言言い放つ。「裏切りには…制裁をもって答える…だったよな?」
【バーボン】スコッチの遺体に駆け寄る(「しっかりしろスコッチ!!スコッチ!?」)
【ライ】
スコッチは拳銃で自決。ライが拳銃を渡し、自決を強要した。そしてライは周りに「自分が殺した」と嘘をついている。
「アイツに自分の拳銃を渡し…そうさせたのは赤井秀一…あれ程の男なら自決させない道をいくらでも選択出来ただろうに…」
・誰が悪いかと聞かれれば3人全員に落ち度があると答える
・しかし、ごくまれに見かける「ライのミスを一切認めない(無視した)考察」には異議を唱えたい
・「現在、安室と赤井が共闘できないのは安室の憎しみのせい」という主張にも異議を唱えたい
・「赤井は優しいからスコッチの件について黙っているんだ」という主張にも異議を唱えたい
以上だ。ここから細かく書いていく。
もしスマートフォンの破壊に失敗していたら、芋づる式にバーボンにも危険が及ぶことは明白だ。最期のメールを解析され、誰に送ったのか調べられてしまえば降谷は本名、スコッチとの関係、本来の所属組織全てが分かってしまう。降谷だけでなく、兄・高明や伊達はじめ同期全員の危機も否定できない。潜入捜査官として、遺言めいたメールを仲間に送ることは推奨される行為ではない。
しかし、最期に親友に遺言を残したことを一体誰が責められるのだろうか。一人の人として考えてみて欲しい。
さらに考えてみると、スコッチは、メールを送れば幼馴染みで親友のバーボンが駆けつけてくることは予想できていたのではないだろうか。そうすれば現場の第一発見者はバーボンになる。壊れたスマートフォンを見て意図を理解してくれる可能性も高いし、現場をいくらでも都合の良いようにごまかすことができる。組織がどういう制度をとっているのか分からないが、ジンやラム、あの方、ベルモットなど比較的力のありそうなメンバーに「スコッチを殺したのはバーボンだ」と進言すれば、実績を評価してもらえるかもしれない。少なくともマイナスに働くことはないだろう。
スコッチは、これを狙っていたのではないか?未だ真実は語られないままだが、気になるところである…
明らかに動揺しているバーボンが現場に現われることは、「バーボン」にとってマイナスに働く可能性が非常に高い。スコッチと同じ、NOCの疑いを掛けられることもありえる。バーボンに降りかかる疑いによって捜査が打ち切りになってしまっては元も子もないと考えると、潜入捜査官として褒められた行為ではない。
こう見ると、捜査官としてのバーボンのミスは、「足音を立てたこと」ではなく「スコッチの自決現場に駆けつけたこと」なのではないだろうか。
しかし私は、人として、「親友の最期に駆けつけたことは間違いではない」とここに断言する。
エレーナ及び宮野家との思い出や、松田に学んだ爆弾解体のやり方、返せなかった伊達のメール、原作・映画・スピンオフそれぞれで少しずつ描写される降谷の友人(恩人)想いな一面を鑑みるに、スコッチのメールを受けてそこで動かないのは降谷というキャラクターではない。
スコッチ同様、親友のピンチに駆けつけたことを誰が責められるのだろうか。
(余談)
よく「スコッチ自決の原因」と言われる「バーボンの足音」について考えてみる。
私は、「バーボンの足音」は「ライが拳銃から手を離した原因」になっただけであって、「スコッチが死んだ原因」ではないと捉えている。果たして、「この音を聞いたら死ぬ」という足音を立てられる人がいるのだろうか?マンドレイクじゃあるまいし、足音じゃ人は死なないということを思い出して欲しい。
「バーボンが足音を立てなければスコッチは死ななかった」という意見もたまに見かけるが、バーボンだけ忍者の素質を求められているのだろうか?
ライがスコッチを助けに行ったことは、潜入捜査官としてあまり正しい行為だとは言えない。スコッチと話しているところを誰かに見られてしまえば、ライまでNOCの疑いをかけられる可能性があるからだ。ライはFBIの捜査を優先しなくてはならない。他国の捜査官のために自らの任務をおろそかにしてはいけないはずだ。
しかし、ライがスコッチを助けようとしたことは人として間違った行いなのだろうか。
2人の間にどれほどの交流があったのかは明かされていないが、ライはスコッチに対して「お前はここで死ぬべき男ではない」と評している。少なくとも実力や人格を認めているととれる発言だ。組織という巨大な敵に立ち向かうにはスコッチの力が必要だと考えていたのかもしれないし、個人的な信頼があったのかもしれない。やはりこれも作中で語られていないので分からないが、「他国の捜査官」という領域を侵してまで助けようと考えたのだから、スコッチのことをそれなりに信用していたのではないだろうか。そんな人物のために手を貸そうという考えを、やはり責めることはできない。
(余談)
ごくまれに、「ライは義務もないのに助けに行った。だから感謝されることはあっても憎まれる筋合いはない。」という言い分を見かけることがある。
しかし、「スコッチがNOCだった」という一報(仮定)を聞き、真っ先に現場にたどり着いた上自決を止めようとしている時点で「助ける義務はない(だから非はない)」とは言えない状況になっている。ものごとに介入した以上は当然責任が発生するのだ。
スコッチを助ける義務がないなら現場に行かなければ良かった話だが、当の赤井本人がお得意の「領域(エリア)」を振り切ってまでスコッチの自決に関わりにいっている以上、通用しない言い分である。
(余談)
「拳銃を奪われたこと」と「拳銃から手を離したこと」は確実にライのミスだ。拳銃を奪われ、一度は止めるも手を離すというライが犯した2つのミスを無視して語ることは出来ない。
バーボンもライも「どちらも悪く、どちらも悪くない」といえる状況だが、ライのミスが大きかったことは事実だ。「スコッチはバーボンの足音のせいで死んだ」等、ライの過失を無視してスコッチの自決について語ることには大きな違和感を覚える。
赤井は降谷の誤解をとく気がない
ライが自決現場でとっさに嘘をついたのは、スコッチの自決を利用するためだと思う。バーボンがNOCだと知らなければそれは自然な判断だ。もしかすると、「スコッチの死を無駄にするわけにはいかない」とさえ考えたかもしれない。
しかし、バーボンが公安からのNOCだと知った今もなお真実を隠していることは褒められる行為ではないと思う。そして、今も隠し続けている(真実を話す気が全くなさそう)のは何故なのか、私には皆目見当もつかない。赤井・降谷双方にとってのメリットが何も思いつかないからだ。
また、赤井が、日本からの潜入捜査官(スコッチ)の存在を知っていてFBIのチームメイトに報告していないことは、FBI側の捜査の妨げになっている。さらに、拳銃を奪われたことに関する報告も怠っているので、
現状「スコッチに関する一連の出来事」について赤井が口をつぐんでいることは、赤井が意図的に自分のミスを隠しているように捉えられてもおかしくない。
(余談)
赤井は、スコッチの件を「優しいから」「安室が傷つくと思って」隠しているわけではないと思う。父親の真相を知りたくてFBI入りしている赤井が「真実が見えないこと」の苦しみを知らないわけがないからだ。本当に「優しい」なら事実を全て話すか、今は話せないのだとしてもせめて話そうとする素振りくらいは見せるのではないだろうか。
「安室が傷つくと思って」に関しては、そもそもこの主張にやや違和感を覚える。
真実を話したら安室が傷つく→「“真実”の中に安室が傷つくような出来事が含まれている」と赤井が認識している→「足音のくだりを聞いたら安室は傷つくだろうな」と“赤井が”考えている
つまり、この主張は「『安室の足音のせいでスコッチが死んだ(だから真実を聞いたら安室が苦しむだろうな)』と赤井が考えている」と言っているも同然だ。
「赤井秀一」は、自分の落ち度を棚上げして他人になすりつけるキャラクターなのだろうか?私は疑問に思う。
降谷は、赤井が嘘をついていることに気付いている
赤井たちFBIには違法捜査の事実があるので、「安室がスコッチ自決までの課程を知る=安室透と赤井秀一の和解・共闘」という図式は本来なら成り立たないはずだ(漫画の都合で最終的に共闘することになるとは思うので、濁した書き方をしておく)。
もし、安室が親友の死の真相を教えてもらうことで、FBIによる数々の違法捜査をチャラにすることがあったとしたら、その行動こそ「私情」であり「狩るべき相手を見誤」っていることになるだろう。
(FBIの違法捜査については「名探偵コナン・赤井秀一に関する考察」に簡単にまとまっているので読んでみて欲しい。私はこの考察に影響されて筆を執った。)
↓ちゃんと表示できているか心配だ…。もしできていなかったら増田の中を探してみて欲しい。
そもそも赤井と安室が「共闘できない・しない」のは2人の因縁が原因なのではなく、(日本側がFBIに協力を要請する必要性が見受けられない以上)FBIが日本側に協力を申し出ないせいなので、「対黒の組織における共闘」と「スコッチに関する一連の出来事」は全くの別問題だと考えるべきだ。
さらに、ライはスコッチの死を利用して昇っていったが、NOCだと露見し早々に離脱した。しかも特に情報は得られていない様子(「ジンと仕事する」という報告をFBIに入れているが、結局会えていない。ラムのことも知らない様子。)なので、降谷の怒りも納得できる。
もし、スコッチがライ(FBI)の手を取っていたら、今のキールのような扱いを受ける可能性が高い(キールの現状についても、前述の増田を読んで欲しい)。
キールの扱いとまではいかなくても、保護する代わりに情報提供を求められてもおかしくない。FBIの立場から考えると、他国の捜査官をわざわざ保護するのだから見返りを求めて当然だ。「公安には情報を流さず、FBIだけに提供しろ。さもなくば赤井に手土産として持たせて組織に送り返すぞ。」という条件がつく可能性だってある。
搾り取るだけ搾り取った後、日本に対して「あなたの国のスパイがいました。これ、どう落とし前付けてくれるんですかね?」なんて言って外交カードに使われることだってあるかもしれない。親友の降谷だって当然危ない。
ライがの身分を信じられなかったという可能性もある。今まで組織のメンバーだと思っていた人間が突然「お前と同じで俺もスパイなんだ」と言ってきても、素直に信じる人はいないだろう。油断して口を滑らせる作戦かもしれない。むしろ疑ってかかるべきだ。
実際あのビルでは、「ライと協力して足音の主を迎え撃つ」という選択肢もあったが、スコッチはそれをしなかった。優秀な捜査官らしく、ライを疑うことにしたのかもしれない。もしくは、申し出を信じた上でFBIに保護されることを拒んだとも考えられる。
もしくは、「目の前のライを殺して足音の主も制圧する=とにかく逃げる」という選択肢も思いつく。これについては、ライが身分を明かしたことによって、結果としてスコッチを脅すことになっている。
スコッチはライ=FBIだと聞いてしまった。それが嘘なのか本当なのかを見極める方法も余裕もあのビルの屋上にはなかった。
もし身分が嘘で、ライは組織の人間なのだとしたら、「ライと足音の主を両方制圧する」は特に問題のない選択だ。
しかし、上述の通り「スコッチは『ライ=FBI』の可能性を考えてしまった」。真実だと確信する方法はないが、フェイクだと確信する方法もない。スコッチはこう考えた可能性もある。
「ライがFBIだと知っていて、ここで危害を加えたら国際問題になるかもしれない」
もしこの場に録音機器や盗聴機器が回っていて、「ライがスコッチに身分を明かした」という事実が誰かに知られていたら?
この場を上手く切り抜けても、後から「日本の諸伏捜査官は、赤井捜査官がFBIの人間だと知っていて手に掛けた」なんて抗議が来たら?
…ということを素人の私でも思いつくのだから、もちろんスコッチも考えたはずだ。
自分の命と引き替えに、今まで身を削って手に入れた情報を他国に流すのか…?自分の存在が日本の不利益になるかもしれない…。兄や親友に危険が及ぶかもしれない…。自分が原因で他国に弱みを握られたら…?
スコッチの自決によって守られたのは家族や友人だけではなかった。スコッチ自らが日本にとっての「危険なカード」になってしまうことも防いだのだ。
あの世界、160cm以上のスラッとした女の子が多いのはとても好感が持てる(北斎があの見た目で160cm越えとかクソ興奮する)んだが、どうもその身長に比べて体重が釣り合ってないように思える。
武蔵の167cm56kgなんて実際に同じような女性モデルを調べてももっと食えと言いたくなるほどガリガリに近く、あの豊満なおっぱいと引き締まった筋肉を持つのなら70kg近くあっても何らおかしくないのだ。
昔の人間はもっと小柄だったとか、男女共高身長揃いはファンタジー過ぎるとか、そう言う前提の話をしてるのではない。
身長を定めるのであれば体重やスリーサイズももっと説得力のあるものにして欲しいと言うことなのだ。絵師の絵柄や体脂肪率にもよるだろうから厳密なものでなくてもいい。せめてBMIだけでも見た目と比較しておかしなものにならないようにして欲しい。
設定の作り込みが凄まじい型月世界において体重だけがガバガバなのは残念でならない。
例の、死に瀕した少女と無神論者(?)のピエロのあれを読んでから、考えている
“優しい嘘”が許容される条件は何だろうか
① 後でそれが嘘だったとばれる事がない
② その嘘によって相手にマイナスのことが起きたり、選択肢を奪ったりしない
たとえば癌患者に、謎の水を万能薬のように言って渡すことは、結局治らなくて後で①に反するようになるし
その上もし病院での治療を妨げるような言葉もついていたら、②にも反するからダメ
(ただし、実は患者本人が薄々事実に気づいていながら、それでも安寧のために謎水を求めるような場合はあって、そういうケースでは完全否定はしがたい)
サンタがいるという嘘も、①に反するので個人的にはナシなのだが、
あれはあまりにも普及しすぎて一種の通過儀礼みたいになっており、嘘がばれた後のフォロー体制がそれなりに世の中で出来上がっているとも感じる
で、死に行く子供の話だ
この場合、あの世が本当は存在せず、死んだら意識が消えるだけと思っている者にとっては、迷う余地はほとんどない
だが、あの世が実在すると信じていたら? 適当なことを言ったら死後に嘘だとばれて、①に反することになるのではないか?
さらに加えて、間違ったあの世像を信じたら地獄に落ちる、というような教義を信じていたら? 嘘を教えるのは②にも反する
つまり、神や死後の世界を心から信じる者にとっては、死に瀕した子供と言えども(自らの信じる)本当のことを伝えるのが、最も親切ということになるのかもしれない
偏見混じりだけど、あの世代の意識ってあの程度なのが、マジョリティなんじゃないか?
で、シロクマせんせの記事じゃないけど、「おまえの生きやすい世界は、俺の生きづらい社会」って骨身にこたえてるんではないか?
あの年になって認識を刷新しようとするのはすごい困難で、自分が築いてきた世界観を守ろうとするのはしゃーないんではないか?
哀れみを感じるところも多々あるけど、アレが貞本くんの偽らざる本音であるのなら、これ以上彼を追い込むのは止めておいた方がいいのかもしれない。
ネットワーク民のFAXおじさんみたいに、暴発するかもしれない。
貞本くんを指弾している人たちの正しさにはまあまあ同意できなくもないのだけど、生きづらさを表明している人をそこまで追い込んでいいのかな?
ヘイトスピーチの在特会の動画でも、囲まれたら「俺余裕ですよ」ってビビり感満載のニヤつきしかできてなかったのを思い出す。
囲まれたら反論できずに「効いてない」アピールするしか能のない人々を、さらに追い込んだ先になにか救いはあるんだろうか?
自分の世界観に閉じこもり自己愛が肥大化して易怒性が加齢とともにマシマシになっている人との付き合い方、考えたほうがいい。
認知症患者とお医者さんがどう向き合っているのか? というのを参考にした方がどちらにとっても受け入れやすい柔らかい決着をできるのではないかしら。
新海誠さんへ
お久しぶりです。突然こんな文章を送ってしまってごめんなさい。
新津くんと呼んでいた貴方を新海さんと呼ぶのは、恥ずかしいような、なんだかちょっと不思議な気分です。
私が誰か、わかりますか?
今、貴方の中で聞こえている声がきっと私の声であると信じて、筆を進めます。
先日、天気の子を観ました。
あの日、あの劇場にいた人たちは確かに作品の中の新宿にいましたね。
最後の展開にはちょっと驚きましたが、私はとてもハッピーエンドなお話だと思いました。
確かに、世の中をうまく生きていて、社会を上手に使っているような人たちには眉を顰められそうなお話だとも思いました。
けれどそれ以上に、帆高や陽菜のように、きっとこの国に存在している、さまざまな理由でどこか生きづらさを感じている人たちにとって救いになるお話だったと思います。
それは私にも同じことでした。
小海線の向こうは別の世界で、この小さな山間の街で生きるしかないと思い込んでいたあの頃の私が観たら、私にとっての陽菜ちゃんがどこかにいないかと願わずにはいられなかったと思います。
私のような外から来た人間にはどうしてもどこか窮屈さを感じる東京ですが、ちょっとだけ肩の力を抜いて生きてみてもいいのかなって、心が軽くなった気がします。
なんの根拠もありませんが、この作品は直接誰かを救うわけではないけれど、それでも生きづらさを抱える誰かが少しでも希望を持てるような、祈りを与えてくれたように思います。
そして最後の展開について。
環境は変わっても人はいつの間にか順応してなんだかんだ生きていくんだろうなと思うと、あの世界もそこまで悪いようには思えませんでした。ずっと涼しそうだし笑
そんな中でも登場人物たちは生きていて、それなりにしっかりやっていくという希望かあることが、狂った世界の中で生き残るための拠り所だと思うんです。
いろいろあってもやっていくぞという感じ。
いつもニコニコしてるけど、譲らないところは絶対に譲らない新津くんらしいなって思います。
どうかこの世界が、貴方にとっても誰かにとっても、少しずつ息苦しくないよう、私もこの日本のどこかで願っています。
この願いは、貴方が気づかせてくれた、せめてものこの世界へのささやかな抵抗です。
そしてこのページが、本当に貴方の所まで届くのか、それは私自身の賭けであり願いです。
あらゆる"距離"を超えて届く物語を紡いできた貴方への、私の祈りです。
貴方にとって、私が私だったらうれしいです。
それではまた、どこかで。
ゲームのクリア直前で世界が崩壊することを皆は口々に批判していたけど、俺にとってのDQはいつだってこうだった。
https://www.youtube.com/watch?v=gQf_QTsvXCU *例のBGM
そのどれもでラストダンジョンの半ば、ラスボスを倒すためにレベルを上げている最中にデータが吹き飛んだせいでクリア出来ていない。
それでもと、繰り返し遊ぶが何度やってもラスボスよりも前でデータは消えていく。
段々とプレイは効率化され、繰り返されるリセットにより感情移入は失われ、世界は断片的で無味乾燥としたものへと姿を変える。
やがてそれらはただの義務的な作業となり、キャラクターはただのデータに過ぎなくなる。
俺にとってのドラクエだ。
ただ一つの違いは、俺には奇跡が起こらず、世界は壊れたままで閉じていった事だ。
俺の中で、3つの世界は今も救われないまま胸のしこりとして残り続けている。
それらを救いに行こうと旅立つ気力はもうどこにもない。
俺にとってあの世界はもう、フラグ管理された0と1の羅列でしかなくなっている。
胸のうちから没入感を湧き上がらせる度に裏切られる旅路は、いつしか俺にドラクエに対する無気力を学習させていった。
今ではあれらの世界は俺に苦痛だけを残した忌むべき場所となっている。
俺はドラクエが大嫌いだ。
ドラクエが大嫌いなアイツこそが俺だったんだ。
ならば壊す側の俺にとってはアイツこそが二人称で呼ぶべき何者か、「ユー」だ。
あの映画が「ユー」の物語であるのならば、俺にとってはたしかにアレは「ユア・ストーリー」だった。
俺の物語でもあったし、俺と対立する誰かの物語であり、その中で結局主人公だったのはあの映画において正義として描かれたのもその何者かの方だ。
その虚しさは、俺が何度も消えゆくデータの中で、世界を救えないことに対して感じた申し訳無さを確かに思い出させてくれた。
正しく「ユア・ストーリー」だった。