新海誠さんへ
お久しぶりです。突然こんな文章を送ってしまってごめんなさい。
新津くんと呼んでいた貴方を新海さんと呼ぶのは、恥ずかしいような、なんだかちょっと不思議な気分です。
私が誰か、わかりますか?
今、貴方の中で聞こえている声がきっと私の声であると信じて、筆を進めます。
先日、天気の子を観ました。
あの日、あの劇場にいた人たちは確かに作品の中の新宿にいましたね。
最後の展開にはちょっと驚きましたが、私はとてもハッピーエンドなお話だと思いました。
確かに、世の中をうまく生きていて、社会を上手に使っているような人たちには眉を顰められそうなお話だとも思いました。
けれどそれ以上に、帆高や陽菜のように、きっとこの国に存在している、さまざまな理由でどこか生きづらさを感じている人たちにとって救いになるお話だったと思います。
それは私にも同じことでした。
小海線の向こうは別の世界で、この小さな山間の街で生きるしかないと思い込んでいたあの頃の私が観たら、私にとっての陽菜ちゃんがどこかにいないかと願わずにはいられなかったと思います。
私のような外から来た人間にはどうしてもどこか窮屈さを感じる東京ですが、ちょっとだけ肩の力を抜いて生きてみてもいいのかなって、心が軽くなった気がします。
なんの根拠もありませんが、この作品は直接誰かを救うわけではないけれど、それでも生きづらさを抱える誰かが少しでも希望を持てるような、祈りを与えてくれたように思います。
そして最後の展開について。
環境は変わっても人はいつの間にか順応してなんだかんだ生きていくんだろうなと思うと、あの世界もそこまで悪いようには思えませんでした。ずっと涼しそうだし笑
そんな中でも登場人物たちは生きていて、それなりにしっかりやっていくという希望かあることが、狂った世界の中で生き残るための拠り所だと思うんです。
いろいろあってもやっていくぞという感じ。
いつもニコニコしてるけど、譲らないところは絶対に譲らない新津くんらしいなって思います。
どうかこの世界が、貴方にとっても誰かにとっても、少しずつ息苦しくないよう、私もこの日本のどこかで願っています。
この願いは、貴方が気づかせてくれた、せめてものこの世界へのささやかな抵抗です。
そしてこのページが、本当に貴方の所まで届くのか、それは私自身の賭けであり願いです。
あらゆる"距離"を超えて届く物語を紡いできた貴方への、私の祈りです。
貴方にとって、私が私だったらうれしいです。
それではまた、どこかで。