はてなキーワード: 知育とは
元メンヘラ女子より返信です。まあ、その例に上がってる界隈の人間で気づく人もいると思うがスルーよろしく。
どれくらいメンヘラだったかというと、小学校四年くらいから社会人一年目まで、薬が切れた記憶がない。中学校もあまり行かなかったし、高校も欠席が年間50日を越えてたし、遅刻は三倍くらいしてるはず。出席日数が足りずに担任から呼び出されること数知れず、それ以上に呼び出しを無視って帰ったこと数知れず。
薬を出してもらう病院とカウンセリングに定期的に行き、行けない日でメンタルヘルスに異常がでると自殺防止センターや市民センターの女性相談室、こころの相談室に電話。自殺防止センターの、私がしゃべった言葉をただオウム返しにするだけのぶっきらっぽうでやる気のない主婦の対応でも、一秒一瞬に危機がせまっているように感じるメンヘラにとって、ありがたいものなのです。
去年は人生史に残るくらいピークのときで、家中の紐やベルトを片っ端から首吊りに試し、強度と締まり具合を調べていた。お気に入りはコバルトブルーのLANケーブルか、デニム素材のかぼちゃパンツについてた紐。感触がよく、よく締まった。家の人と顔を合わせると自分の頭のなかを相手に読み取られてしまうという妄想により、ご飯を食べるときなるべく一人で食べようとしたり、どうしても食べないといけないときは犬のように下を向いてすするように食べていた。それもだいぶよいときで、大体家人が帰ってくる16時くらいになると段々「今日も日が落ちる」という恐怖、家人、特に母親が帰ってくる前に死ななければならないと思い込んでいたので、帰ってくるなり裸足で表通りや裏庭を駆けずり回り、一晩ジャリの敷き詰められた庭の隅に隠れたり、落雷で割れた木の幹に抱きついて寝たりとかしていた。何度か捜索願云々という話も聞いた気がする。まあ、今考えると頭おかしいとしかいいようがないんだけど、何かを感づいた家人によりありとあらゆる紐やベルトを隠され、お気に入りのデニム紐がないので、「私の紐どこ?」と聞き、「なにに使うの?」と聞かれて答えようがないので押し黙る、みたいなことを繰り返していた。
あとは人の話を一時的に頭に入れたり、文章を作るということが苦手になった。なんというか、ものすごく頭の奥のほうが痛くなる。ただし、文字を起したりだとかの単純作業はすごく好きで、あの頃は脱出ゲームばかりしていた気がする。クリックだけで頭を使っている気になったから。脳トレとか数独、知育ゲームにやたらこる。若年性痴呆症だという思い込みから、認知症チェックを一日に何度も繰り返し、認知症でないと判定がでるまで何度もやり直していた。
きわまってくると支離滅裂な文章、「ごめんなさい」と繰り返すだけの遺書めいたものを緑のふといペンで殴り書きし、破った後机の引き出しに入れるという習慣がついた。気がついたらわけの分からない紙で引き出しがギッシリ詰まっており、数日後すこしまともになったときに見るとホラーだった。幻聴も結構聞こえる。AとBが頭の中で対立していて、常に言い合いをしている。そこへCが出てきて、穏やかな口調で優しく諭すように打開案を提示するのだけど、Cの言うことを聞いていると、首をくくって窓から飛び降りないといけなくなったりするのでまあ大変ですよね。
あとは小説などで空気の読めない使えない人間を揶揄するような文章を読むと自分のことだと思い込んで怖くなり、一切の活字を読めなくなったりする。本を読むのが好きなので活字から離れなければならないのはかなりきつかったのだけど、それよりも意味のよくない単語を眼にすることのほうが怖かった。そういうときに脱出ゲームは大変便利で、絵しかないので攻められたりしないという安堵感があった。
ちなみに私にはずっと恋人がいたが、ずっと薬を飲んでいる自分を嫌われるんじゃないかと思って、相手が寝静まった後、息を殺して、錠剤を出すときもそうっと音を立てないようにして飲んでたし、こんな自分は捨てられるかもしれないと不安だった。幸い見た目と初対面の人になら有る程度しゃべれるという性質によって表面上は取り繕いながら交友関係を浅く結ぶことはできたのだけど、濃い付き合いというのは恋人以外に全くできなかった。親族が多いので、遊び相手は叔母や従妹で充分だったし。
私たちは童貞と処女で5年ほど付き合ったんだけど、その間浮気もしたことないし、彼氏以外の男の人と二人であったことは一度しかないし、メールするだけでも罪悪感があった。そもそも彼氏以外の人が眼に入らなかった。彼氏も私以外の女とご飯も行ったことがない。どこへ行くにも一緒で、私たちにとって、世界には二人と二人の親族しか存在しなかった。家にいれば私はお荷物の責められるだけの存在なので、私の生きていく場所はこの人と共にある、そこでしか生きる場所はないのだと思っていた。本気で。ファンタジーでもなんでもない、現実だった。
純粋といってしまえば響きがいいけど、こういうある種盲目的な愛っていうのは長続きせず、いつかは破綻するのだと思う。実際わたしは捨てられることを恐れながらも、段々症状が回復するにつれて、彼氏のことを退屈に思い始めた。彼氏は、私が回復していくのが嬉しいけれど離れていってしまうようで寂しい、と言った。ついに彼氏といるより女友達と会っているほうがずっと楽しいと気づいたとき、なぜ私は彼がいなくてはいけないと思い込んでいたのだろう、もっと早く気づけばよかったと後悔したほどだ。
全ての女性にはメンヘラ要素があって、それを引き出すのが上手い人、かわせる人、封じ込める人、様々だと思う。個人的にはメンヘラ女子より気違いの女を捜したほうが振り回される手ごたえもあるし自分まで病まないから健康的だと思うけど。探し方は様々あると思うけど、都会のほうが両者ともに生息している確率が高いのでは。メンヘラでも受け入れてくれる懐深い異性がいるというのは大変にありがたい話で、自身がメンヘラであることに苦しんでいる人の救いになるでしょうね。
まあ刃物もちだして暴れたり、首を締められたり(これはメンヘラじゃなくてもプレイでよくありますね)、高速運転途中の車からドアを開けて蹴りだされたりするかもしれないけどそこは自己責任で。頑張って世のメンヘラを幸せにしてください。
自分の性癖が特殊で理解されないことに一定の優越を覚えるのは青春時代の普遍的な志向の一つだが、24になっても未だ同志を得ない自分の性癖は恐らく変わっているのだと思う。私はスカンクが好きだ。臭い液をぶっかけられて悶え苦しみ、吐き散らして尚臭味の取れない強烈な奴を想像し、一人でマスを掻くのが好きだ。
おならフェチだのスカトロだのには息子がなかなか反応しない。屁だ、臭いものだと思い込めばやってやれなくもないが、どうもしっくりこない。スカンク娘というジャンルには若干反応するものもあれど、それもやはりスカンクの模倣として捉えて初めて自分の裡に興奮を引き起こす。気づいたのは小学生の頃だったが、未だ人に打ち明けられずにいる。到底理解され得ぬ性癖であることは承知で、周りのギラギラした男達のAV談義に水をさす気にもなれなかったから。
想像であることが大きな価値を生んでいる。別段、アメリカに渡って本物のスカンクの悪臭を味わいたい訳ではない。体験してみればか細い妄想が瓦解しかねないし、もしかしたら妄想に色を添える事象になるかもしれないけれど、思考の対岸の、触れ得ぬ聖域から臭ってきてほしいと思うのだ。妄撮も、本番なしの風俗も、パンチラも、いずれも巧妙に向こう岸を見遣って悦に至るものだろう。そのくらいは分かる。本物との邂逅など野暮なものだ。
人並みの恋愛をしてみても、当然至る性行為に当たってみても、スカンクの幻影が消えない。正面切って女性と、あるいは男性と向かい合ってみれば忽ちコンプレックスも氷解し、真っ当な人間になれるものだと信じたこともあった。しかし現実は、後背位で動く女や男の尻の穴からスカンクの臭腺を想起し、そこから殆ど擬似的に放たれるメチルメルカプタンに悶絶する自分を以て性的興奮を起こらしめるばかりで、事が終わって彼女や彼の頭を撫でていても恐らく人と自分の思うことは違うのだという乾いた絶望感に襲われるほかなかった。
最近暇が出来たので、図書館を巡ってスカンクに関する文献を蒐集するようになった。コピーを取り、スキャンをし、ネットでは得られないスカンクの臭液に関する情報を集め、タグ付けをし、一日の終わりにそれらを眺めてマスを掻くようになった。少年時代に何度もお世話になった動物のひみつ新訂版の擬人化されたスカンクや、シートン動物記のスカンクの社交術に記載されたメリアム氏の少年時代の経験(臭液をまともに顔にかけられた話)やコンウェー氏の元に来た少年が臭液を嗅いで失神した話や、学研の知育ずかんのなぜなぜどうぶつととり(つづき)にある、「スカンクのおならはほんとうにくさいの」というページにあった親向けの解説など、忘れもしない文字列とイラストが起こす興奮は得も言われぬものだった。
17の頃から、臭いということそのものへの興奮を見出すことで、一般的な性指向に自信を帰依させたいと願うように成り、その試みは半分成功し、人にはにおいフェチなのだと言い張ることが出来、それは自尊心を保つのにたいそう役立った。しかし現実はそのまま放っておいてはくれず、においフェチとしての自分が確たるものとして存在するに従って、呼応するようにスカンクの臭液への憧れはいっそう激しさを増していった。
ネットで自由に情報を収集出来るようになったことは、自分の性癖を満たす有用な道具を自身に与えると同時に、自分の肩身狭さを客観的な指標として与える恐怖そのものでもあった。例えば英語にある程度堪能になったことでJustin CourterのSKUNKに出会えたし、勿論YouTubeは海外のテレビ番組からスカンクの動く姿を、臭液の噴射する様を、噴射された人間が悶え苦しむ姿も現実の物として与えてくれた。ここに至っても自分の求めるものは仮想的なスカンクの臭液であり、現実の臭いという具体的な形を伴った物として自身が体感したいとは思えず、ある日はそれを矛盾として捉え自身を苛み、またある日はそれを合理として捉え自身を確固足らしめた。
そんな中、どうやら匂いを体感出来るスピーカーやプリンターのような機器がその内出るかもしれないという情報を目にし、ひどく困惑することとなった。紛れもなく現実の臭いでありながら、メディアを通して体感する擬似的な臭いに対し、自身の立つべきポジションが、自身を納得させる論法が分からなくなったのだ。体験してみて判断すればいい、行動してみて思考すればいいという言葉は的を射ていない。ひどく感覚的な、あるいは妄想的な、仮想の情熱にその端を発する私の性癖は、いつの間にか、体験したときに終わり、触れてしまえば崩れ落ち、嗅いでみれば全滅的な嘔吐感を催す、ある種自身の終焉として認識されるようになっていたから、そのような装置があってはならない、あっても普及してはならない、嗅いでやるものかと、先の見えぬ義務感を私の中に植え付けた。
スカンクは臭い。おならと呼ばれる物はガスではなく液体。臭いの主成分たるメチルメルカプタンは都市ガスの匂いづけに用いられる物質。臭腺から噴射される液体はたんぱく質と結合しやすく、目に入ると一時的な失明を引き起こし、その臭いは風向きによっては1km四方前後に届く。マダラスカンクは逆立ちをし、そのディスプレイが成功しなければ両足を下ろし、臭液を敵の顔目掛け、機関銃の掃射のように左右へ少しブレさせながら噴射する。
これらのいずれもが、私の息子をいきり立たせ、射精に至らせ、日常生活と人格形成に支障をきたす。自分に子どもが出来ても、あらゆる方法を以てこの性癖が受け継がれることを防ぎたい。自身のように、そういった話を完全にシャットアウトされ、無菌室のような環境で育てられるようにするでもなく、潤沢にそういった図書を部屋に据えるでもなく、極めて自然に。自分の子どもには普通であってほしいと願う親の気持ちを、こうした角度からも汲み取れるのだなとふと思い至った。
たとえばNintendoDSの終焉が美少女ゲームまみれになると思うか? 違うだろ。
いや、RPGは開発に金かかるからそれこそ流行ってるハードでしか出せないだろ…
知育系は出るだろうけど。
CDとは関係のない話だが、コンシューマゲーム市場では、ひとつのハードウェアがその使命を終えようとするとき、こぞって美少女ゲームだったり乙女ゲームがリリースされたそうだ。それと構造が似てたりする? のかもしれないぜ。
コンシューマゲーム市場全体でそういった事態は確認されていない。
最後に美少女ゲームばかりになるのは、そのマシンのハードウェアが
「静止画の表示能力とメディアの容量がそこそこだが、派手な動きを演出する能力が時代遅れになった」
状態で終焉を迎えた場合による。具体的にはMSX2やPCエンジンやPC-88/98やサターン。
それはしかし美少女ゲームというジャンルが、マシンパワーを必要としないゲームだから、
逆に
「静止画の表示能力も時代遅れになった」「全体的に寂れた」「次世代マシンと比べて容量不足」
ようなパターン、たとえばメガドライブ・スーパーファミコン・ニンテンドウ64・X68kなどの場合は
最終的にはシューティングやパズルアクションあたりが出て終わる。
たとえばNintendoDSの終焉が美少女ゲームまみれになると思うか? 違うだろ。
それはNintendoDSの表示がしょぼいし、ROM容量に限界があるからなんだ。
一般財団法人日本幼少年体育協会は「幼児・児童の体力づくり」「保育内容の向上」「チャイルドスポーツ指導者の養成」をとした事業を実施するため昭和51年に創立し、昭和57年12月、社団法人として改組発展してまいりました。平成22年4月よりは一般財団法人 日本幼少年体育協会と改称しました。
今日の少子化時代にこそ、幼児・児童の健全な発展は欠かすことの出来ない社会的な活動であり、今こそ、その必要性は設立当時の日本社会の背景による認識よりも重要となっています。
私たちの活動は絶えず、その時代の社会が要求する幼児・児童に関する事柄に対応した活動を続けています。しかもその内容は設立当時から終始一貫したセオリーを提唱するものです。是非皆さんも私たちの『たくましさ作りのムーブメント』にご参加ください。
理事長 柴岡 三千夫
◆柴岡三千夫 プロフィール
高知県出身、陸上自衛隊 少年工科学校 13期生卒、日本体育大学卒業。学校法人タイケン学園グループ理事長、一般財団法人日本幼少年体育協会理事長、社会福祉法人タイケン福祉会理事長、日本ウェルネススポーツ専門学校校長、日本ウェルネス高等学校校長を兼務。専門は幼児体育指導論。著書に『幼児の心理と水泳指導』(日本文化科学社)、『幼児体育指導教範』(タイケン)など多数がある。
学校法人タイケン学園グループでは、専門職の人材を全国で数多く輩出しています。平成10年4月の日本ウェルネススポーツ専門学校の開校以来、全国で専門学校・高等学校・財団法人・社会福祉法人等を運営し、着実な発展を遂げてきました。 各校ではスポーツ競技者、スポーツトレーナー、スポーツインストラクター、幼稚園教諭、保育士、幼児体育指導者、歯科衛生士、動物看護士、ペットトリマー、ドッグトレーナー、飼育技士等の専門職の人材を養成しています。
タイケン学園グループは、これまで積み重ねてきた教育プログラムを通して、皆さんが思い描く目標の達成に向けて成長していくことを願っています。
◆幼体検定
幼児体育指導者とは、幼児期の子どもたちに体育の面白さや素晴らしさ、からだを動かすことの楽しさを伝える指導者です。ところが、幼稚園や保育園での保育活動において「運動あそび」の指導者となると、専門性に欠けることが多いのが実情です。子どもたちと直に触れ合い、会話を交わしながらそれぞれの子どもにあった指導プログラムを組み立てるのが幼児体育指導者の役割です。
社会的に幼児への教育が関心を高める中、健康な身体を育てる幼児体育の専門家が注目を集めるようになりました。幼児は身体が発育段階であるため、その構造や特徴を理解して適切な運動指導を行なう必要があります。当協会では、幼児の身体や心を十分理解し、安全に楽しく運動が行なえる指導者の育成を行なっております。
「幼児体育指導者検定」では、幼児体育に関する基礎知識やお手本として相応しい運動指導法について、「発育発達」「幼児体育論」といった理論に関する知識と「リズム体操」「手具の体操」「マット運動」「ボール」「ゲーム遊び」などの実技について、その指導レベルを認定します。
更に上位級となる1級では、完成度の高い身体表現及びさまざまな状況に応じた幼児への指導法の習得、リズム運動や各種ゲームの創作力などのレベルを認定します。
また、当協会では「幼児体育指導者検定」のほかに、幼稚園・保育園等の教育機関に携わる方々に対して健康教育と運動あそびにあり方、取り組み方、考え方や知育、運動プログラムの提供を目的とした「幼児体育健康教育講習会」の実施、幼稚園・保育園が保育時間内に設けている体育の時間に、指導員を派遣しての「幼児体育指導」なども行なっております。 子どもたちを心身を十分理解している幼児体育の専門家は、幼稚園や保育園のほかスポーツ施設や幼児教室などでその活躍が期待されます。
◆平成23年度
沖縄会場
東京Ⅰ会場
東京Ⅱ会場
大阪Ⅰ会場
福岡会場
8月20日~ 22日 会場:福岡市ももち体育館・ももちパレス
愛知会場
8月 27日~ 29日 会場:アイプラザーの宮(愛知県一宮勤労福祉会館)
◆お問い合わせはこちらから
タイケン学園が運営しており、学校法人タイケン学園グループである専門学校と協力し幼児体育や歯科衛生指導、
動物とのふれあいなど様々な体験をとおして、健やかで感性と情操豊かな子どもを育てます。
毎日の絵本やお話、お歌を通じて「聞くちから」「話すちから」「一緒に行動するちから」を育てます。
また、季節を感じる行事をとおして、自然を肌で感じる心と相手を思いやる気持ちを学びます。
1.リズム体操・園外学習などの体力づくりをスポーツで体を鍛えているお兄さん・お姉さんがサポートします。
TEL03-3938-2372/FAX03-3938-9435
お問い合わせ(フリーダイヤル)0120-037-509 資料請求
2.専門学校内にいるたくさんのかわいい動物達との「ふれあい保育」を実施しています。
3.歯科衛生士を目指すお姉さん達による「歯磨き指導」や「歯の発育指導」を行います。
当保育園では、真心こめて作った手作りの食事やおやつのほか、散歩や運動クラブを通じての適度な運動、そして正しい生活リズムと睡眠など、お子さまの健やかな成長を第一の目的とした環境を整えています。
国家資格である「保育士」を当保育園のスタッフは全員取得しています。
保育士は、「児童福祉」「発達心理学」「小児保健」「小児栄養」などについて修得していることから、保育の専門家と言えます。
また、スタッフに子育て経験者もいますので、専門知識と経験をふまえた保育をさせていただいております。
◆安全な通園
子どもたちが安全に通園できるよう、保育園バスによる送迎を行なっています。
ご自宅の前までお迎えに行きますので、雨が降っていても大丈夫です。
お忙しいママ・パパのことを考え、当保育園の開園時間は平日が7:30~20:00となっています (延長保育含む:土曜日は8:00~19:00)。
全国に11校の専門学校や高等学校がある「学校法人タイケン学園」グループですので、グループ校によるサポートもさせていただきます。
幼児体育講師によるがリトミック(リズム体操)・園外学習などの体力づくりをサポートします。
学校内にいるカワイイ動物達とのふれあい保育(子犬・子猫とのふれあいやお魚鑑賞)を実施します。
「はみがき指導」「しつけ指導」「歯の発育指導と相談」を実施します。
◆保育目標
・よりよい保育環境を創造し、心身ともにたくましく健康で人間性豊かな子どもの育成に努める。
・24時間の生活リズムを整え、快食、快便、快眠等の基本的な生活習慣を身に付けさせる。
・発育段階に応じた独自の知育教育カリキュラムをもとに、さまざまな体験をとおして、自然や社会事象等の中で発見と感動を味わい、色々なことに興味・関心の持てる豊かな感性を育てる。
・集団生活での様々な人との関わりの中で、相手の気持ちを思いやる心、自主性、協調性を身につけさせる。
・園内、園外において自然や社会現象と親しみ、興味関心を持たせて発見と感動を共に感じる。
◆バス送迎
園バスは朝霞・和光・新座を巡回しており、ご自宅まで送迎いたします。
運航時間は[お迎え便]07:30~09:30 [お帰り便] 17:00~19:00 です。
スムーズに運行するため、発着時間に合わせてご自宅前で待機してください。
バスは自宅への送迎のほか、ペットふれあい教室、歯磨き指導、遠くの公園や児童館などに行くときにも使用しますので、10:00~17:00の送迎はありません。
園行事(入園・卒園式など)の時は、園バスをお休みいたします。
住所
〒351-0011
埼玉県朝霞市本町2-7-34 リブ朝霞1F(朝霞市役所の斜前)
TEL 048-451-9090 / FAX 048-451-9091
開園時間
平日 07:00 - 20:00
土曜 08:00 - 19:00
最寄駅
住所
〒352-0001
TEL 048-485-2080 / FAX 048-485-2081
開園時間
平日 07:00 - 20:00
土曜 08:00 - 19:00
最寄駅
高橋三千綱って作家の書いた「さすらいの甲子園」という小説があるんだが、
その中で「本を読む奴は馬鹿」って断言があった。
「へー!そうなんだ!」といちいち感心する馬鹿なんだって。
思い出してアマゾンで出版年を見てみたら、1978年の本だったか。雑誌連載だったらもう少し前。
でもねぇ、たしかに“昔は”そんな「本読む奴は馬鹿」って雰囲気、あったよなぁ。
うちの親は「読書は遊び。勉強するか働くかどっちかしろ!」って言ったし。
「本を読む奴は馬鹿」→「マンガを読む奴は馬鹿」→「ゲームしてる奴らは馬鹿」→「コミケ行く奴は馬鹿」→「アキバ行く奴は馬鹿」みたいな感性の持ち主なんだろ?
そういえば岡田斗司夫が著書でフランスの元文化大臣だっけ?みたいな偉い人から直接聞いた言葉として、
一見保守的な言葉だが、「大人が子どもに与える物」と「子どもが自分で見つけてくる物」の区別が文化としてあって、
マンガは子どもが勝手に見つけてくる物だけど、レゴとか知育玩具のような大人が子どもに与える物という分野があって、社会的に望ましい文化の定義がきちんとあるみたいだね。ヨーロッパでは。
だから議論のルールが作られてる分野と作られてない分野とか、衆目にどれだけ晒されているかとか、
まあ、我が家の(俺を含む)大人達はは元々テレビをあんまり見ないんだけれども、小学生の息子はそういうわけにもいかないので夕方や食事中はテレビを付けたりしている。その時にどんな番組を見せるかで嫁とお袋(つまり姑)で意見が対立している。別に同居しているわけではないので、今ではお互いその話題に触れようとはしていないけれども。
嫁は、知育がてらクイズ番組ならば見て良しという方針だが、お袋はクイズ番組こそ見てはダメ、らしい。
理由を尋ねると、
子供が起きている時間帯に流れる番組の中には質の低いのが多い。特に、クイズ番組の体裁を取っていながら、回答者の知恵や機転を競うのではなく逆に無知蒙昧さをさらけ出したり頓珍漢な回答で笑いを取るようなのは悪質きわまりない。そんな番組を見ていたら孫達はいずれ大人を馬鹿にし始める。そうでない番組もなくもないが、子供のためにも一括してシャットアウトすべきだ。
まあ確かに、アホな答えを書いて島田紳助に突っ込まれたりするシーンで息子は時々「あいつバカじゃねーのw?」と言ったりしているので(その都度嫁は息子に言葉遣いを注意するのだが)、お袋の意図を伝えたうえでとりあえずその番組だけでも違うチャンネルに変えようという事で妥結した。今後も少しずつ増やしていく予定だが、代わりに流す番組の選定に苦慮中。
http://anond.hatelabo.jp/20090811205525
勘違いしないで欲しいのは、嫁も俺も子供に能動的にテレビを見せる気は全然無いって点。俺ら自身が殆ど見てないんだもん。ゲーム機は全部俺(か嫁)の所有物扱いなので、俺(か嫁)が判断した時だけ一時的に貸し与える方式になってるし。
だけど、テレビがリビングにある以上は子供はテレビを見たがるわけ。その時何を見せるかを考えた時、クイズ番組くらいしか見る側見せる側双方が納得するジャンルが無いわけよ。小学生の息子がアニメやバラエティを差し置いてNHKニュースを見たがり始めたら逆に心配する(笑)。
まあ、「知育」という言葉の使い方が悪かった。元々息子が「クイズ番組なら知識増えるでしょ」と言い出して嫁が丸め込まれたような形で定着した習慣なので、これをきっかけに方針を考え直すつもり。
http://anond.hatelabo.jp/20090811210051
「あの芸能人はお馬鹿キャラで売っていて、わざとアホな答えを書いているんだよ。」というところから、お馬鹿キャラが売れるのは何故か、何故この番組の視聴率がいいか、まで教えてあげなよ。
そういったファンタジーの裏側を知るにはまだ早すぎる。どちらにしても「どうせあれもヤラセだろ?」と言い出して大人や社会そのものをナメるだけなのでその意見は採用出来ない。
http://anond.hatelabo.jp/20090811210656
まずはご自身の子供で実践していただきたい。何らかの効果があったら後からでもいいので報告よろしく。
http://anond.hatelabo.jp/20090811211214
http://anond.hatelabo.jp/20090811211530
まあ、無理矢理大人の価値観に合わせられるのもどうかなーと思う。まだまだ遊びたい盛りだし。
その代わり、中学に上がってから徐々にそうしていこうと思ってるよ。高校入るくらいにはテレビ卒業させたい。
http://anond.hatelabo.jp/20090811214002
なんというか、既に面白いとかつまらないとかいう軸で評価しなくなっちゃってる。「今日の晩ご飯どうしよう」と思った時に運良く料理番組が放送されていれば見る。なければ見ない、みたいな使い方になってる。その結果殆ど見なくなっちゃった。
ネットに関しては、PCは夫婦の所有物なので嫁か俺の許可がなければ電源を入れられない(ログオンパスワードを教えてない)。携帯はまだ持たせてないけど、いずれは俺の使い古しを(ネットとメールを停止して)貸す予定。あくまでも「貸す」ので充電器は俺が持っておくし、発着信履歴やらは利用明細でチェックする事は事前に告げておくつもり。
とりあえず「完璧な管理下に置いた上で自由に使わせる」ってのが我が家の基本方針かなあ。これも嫁と散々話し合った事だけど。
DVD買ってきて見せるのが落としどころかと思うのですが、どう思われますか?
製作する側とユーザー側では同じゲームに対する考え方が全然違うと思ったので
このエントリを書きます。参考程度に読んでもらえるとうれしいです。
これはユーザーにはわかりにくいです。
ほとんどのゲームは、発売した会社(パブリッシャーとかメーカーといわれる)と開発会社は別です。
もちろんパブリッシャー自身が社内で開発しているタイトルもあるのですが、
その後に表示される社名ロゴがそのゲームを実際に開発した会社の社名だったりします。
なので、同じ会社から発売されていても全く別の会社の違う人たちが作っています。
例えるとパブリッシャーが出版社で開発会社が漫画家という感じです。
下請けの製作会社は、クライアント(パブリッシャー)からの要望・指示を元に
なので、好きなゲームがあれば開発会社の方もチェックしてみてください。
インターネットの普及、少子化、世界不況など様々な理由でゲーム業界は縮小しています。
逆に言えばファミコン時代が売れすぎていたんだろうな、と感じます。
なぜ売れないか?それはユーザーが買わないからです。
「最近のゲームはつまらない」「何買っていいかわからない」「ファミコンの方が面白い」
そういう人も多いかと思います。でも、ゲーム自体がつまらなくなったとは思いません。
あからさまな「クソゲー」はファミコン時代の方が多かった、これは断言できます。
ですが、ハイクオリティなゲームが登場する一方では「クソゲー」や、発売された事が信じられないレベルのゲームが
その理由について考えました。
ゲームが売れない
↓
経営資金が無くなる
↓
お金をかけずに短期間で作成するしかない
↓
質が落ちる
↓
最初に戻る
まずどのハードでどういったジャンルのゲームが売れるかを考える際に、今売れているからといって
「知育ゲー!」「ミニゲーム!」「幼児向け!」などとブームに便乗しようとして、目先の売り上げに釣られ、安易な決定をし、
早く発売したいから短期間で開発させ、製作者(プログラマ、グラフィッカ)に負担をかけ過ぎた結果がクソゲーです。
ひどいゲームは実質開発期間1ヶ月というタイトルもあるでしょう。
バグだらけで何これ…と思うようなゲームは、開発期間が異常に短い、
企画段階でたらい回しにされて担当者が逃げた…など様々な原因が考えられます。
悲惨です…。
結局こういったゲームは、当初の予定より完成が遅れて余計に開発費がかるので、安物買いの銭失いです。
いくら安く作りたいからと言っても、ゲームを1本作るのには絶対に時間が必要です。
未だにそれを理解していない人たちが、企画を決定する立場にいるのです。
出せば売れたファミコン時代と今とでは、同じ感覚でゲームを作る事はできません。
昔の感覚でのほほんとやっていてはいけないのです…。
開発資金が無いので自由なゲームを作る余裕がありません。
あなたがクソゲーと思ったゲームは、作った人たち自身がクソゲーだと思っている可能性は高いです。
製作者自身が納得のいかないまま発売されてしまうゲームがほとんどだと思います。
これは半ば仕方の無い事ですが、悲しい現状です。
ひとえに優秀な企画者です。
アイディアや発想はもちろんですが、一番大切なのは意思を貫くことです。
こんなゲームが作りたい!とハッキリした構想がある人は、なかなかいません。
もしそんな人がいたら今すぐゲーム会社へプレゼンしに行くべきです!
Wiiの突撃!ファミコンウォーズVSと、GBAのファミコンウォーズGBA2(だっけ?)を連休が取れたんでひたすらプレイしてた
戦争ゲームは面白い。戦争っていう要素はゲーム性の塊だし、何より大軍を指揮して敵をやっつけるというのは楽しすぎる
しかし、このファミコンウォーズシリーズ。任天堂のゲームなのに日本発売に色々と時間がかかったり難儀したりしているようだ
そもそもGBA版は日本国内で1が発売できなかった(リアルで戦争があったから)から、2がアメリカで発売された時に2本が1本のソフトで遊べるって名目で出た
そしてWii版も、海外ではWiiとほぼ同時に出たソフトなのに日本じゃすっげー遅れて出た
んでもってDS版2。これが・・・1年前に出てるのに日本じゃ音沙汰無し。日本語翻訳されてると言うか、最初に出来たソフトは日本語版でそれを英語にローカライズして海外で出してるから、必然的に日本語版の方が先に出来てるしキャラクターもストーリーも日本向けに作られてんのに(ゲームキューブとWiiの「突撃!」シリーズはイギリスのメーカーが作ってます)
ファイアーエムブレムみたいなイケメンや美少女が敵をぶち殺しながら死山血河を築きあげるゲームはあんま規制されないのになー(未成年が人殺ししてるのに特になんも言われねー)
スパロボみたいに味方が超有利、敵がかわいそうになるぐらい・・・っていうアレなゲームの方がよっぽどお子様の教育に悪いと思うデスヨ?
ファミコンウォーズみたいに敵も味方も同条件、いや、むしろ敵の方が基本的に色々なチートを使ってくるから人間の脳味噌で対抗しなきゃいけないガチの戦略ゲーの方がよっぽどお子様の教育にいい知育ゲーだと思うのにニャー。最近じゃユニット1単位が全滅しないと死って感じじゃなくなってきたしー
思うに、任天堂ゲームの何がいいって、基本的にプレイヤーと敵が同条件で戦う事と、ストーリーを進めてる間は敵が細かい部分で自分よりステータスが上な事
最初からついてる差を発送やテクニックでひっくり返してみろよ!
的なバランスが素晴らしい、カスタムロボやマリオカートなんかがそれ。カードヒーローも最高だった
超脱線した、次世代機だ体感ゲームだハイデフだーとあーだこーだ言われてますが、敵と味方が対等の条件かややプレイヤーが不利な条件で勝負して、有利な条件の相手を負かすって快楽を与えてくれるゲーム
もっともっと流行らないかなぁ
もちろん、今、日本で広く売れているライト系知育系ゲーム、あるいはポケモン等を評価する人は、日本にも外国にもたくさんいるでしょう。
私が、日本のゲームの現状に、幼稚な風景を見出したりするのが、わからない人、そんなことを言い出すこと自体に不快を覚える人もたくさんいるであろう。
実際、そういう人のほうが多いかもしれない。
だが、この本は、そのような人に向かって、私と同じようにものを見て下さいと訴えかける本ではない。
ゲームも芸術であり、芸術のよしあしほど、人を納得させるのに困難なことはない。
この本は、この先の日本のゲーム開発者・ゲーマーそしてビデオゲームの運命を、孤独の中でひっそりと憂える人に向けて書かれている。
そして、究極的には、今、どんなゲームソフトが売れているかなどはどうでもよい、少なくとも「縦画面のブラウン管に遅延も残像もなく映像が出力され、良質なマイクロスイッチが使われたコントローラを備えたもの」が「ゲームの王道」という名に値したころのゲームさえもっと遊ばれていたらと、絶望と諦念が錯綜するなかで、ため息まじりに思っている人たちに向けて書かれているのである。
ゲームでもnifty-serveでも国産ケータイでも親指シフトとかメカニカルスイッチのキーボードでもなんでもあてはまりそう。
ようするに。
こういった引用された部分だけ読んでる分には、
日本語が亡びるから悲しいみたいな話は正直同感なんだけど
それをとりたてて騒ぐなんてのは水村氏がこれまで好きだったものが、たまたま
これまでずっと亡びずにやってこれた日本文学だったというだけのことなんじゃないのかと思うのだ。
俺なんかが好きになったものはそれを作り上げるプラットフォームごとどんどん亡びていったものばかりなので、
いま
「もうすぐ日本語が亡びちゃいますよ。それをベースに作られていた文学なんかもなくなっちゃう」
と言われても、
「あーまたですか次は日本語ですかしょうがないよねこれまでいっぱい亡くなってきたからね」
と思っちゃたりするわけです。