はてなキーワード: 挽回とは
秋も深い10月の第1週に、日本は予選突破をかけて南米の強豪アルゼンチンと対戦する。
予選リーグラウンドは今週が最終週だが、これまでにほとんどのプール突破の2チームが決定しているような状況で、まだ2位が確定していないプールCでも、勝ち点計算としては順位の変動がありうるが、実力差を勘案すればほとんど逆転はないという状況になっている。
そんな中、今日行われる日本 vs アルゼンチンは勝敗の帰趨が予測しづらい一戦で、最終週の試合としてはもっとも注目度と緊張感の高い試合と言える。
アルゼンチンといえば、国際リーグ、スーパーラグビーに代表のクローンチームを送り込む手法で強化を図ったチームの草分け的存在であり、参戦チームのハグアレスは参加当初こそ南半球最強リーグで苦戦していたが、2020シーズンにはファイナルに進出するほどに成長。
自分が見るアルゼンチンはボールを持った時の選択肢がサモアより豊富だ。
ランもあるしエリアを取るキックもあるしアタッキングキックもある。
日本としては、ボールを持たれたら裏へのキックのリスク承知で早いディフェンスでアタックを潰して切り返すより攻めに転じる機会が無いように思う。
前進から始められるので原則として有利な自ボールのキックオフ時でも一筋縄では行かなそうだ。
キックオフからボールの保持をやりとりして、相手陣まで入っての自ボールセットプレーまで落ち着けられたらしめたものだけど、そこにたどり着くまでに手前に蹴っても奥に蹴ってもアルゼンチンはコンテストキックやカウンターのランを仕掛けてきそうだ。
「この攻め方がハマれば相手を封じられる」というような戦略が立てづらく、常にリスクをとってチャンスを掴みに行かないといけない。
日本代表は今大会、キックを主体とした戦術で試合を組み立てている。
日本が蹴るキックはオールドファンに批判が多いが、現代ラグビーではディフェンスが整備されていて、突破のきっかけを見出せないままボールをもってフェイズを重ねすぎても、相手からのプレッシャーを受けてボールを失うリスクが高くなる。
とはいえ、アルゼンチンとしては日本のキックからのカウンターを狙っていることだろう。
日本代表はPL稲垣が侍の生死をかける抜刀にこの一戦を例えたが、まさに緊張感を表したような発言だと思う。
ところで全くの余談だが、アルゼンチンのHCを務めるマイケル・チェイカ氏がファッションビジネスで大成功を収めたビジネスマンであることは国際ラグビーファンの間では有名な話で、このことについて、チェイカ氏は「お金のことを考えずに意欲だけで仕事ができるのが自分の強みだ」とコメントしている。
なんとなく余裕を感じないでもない発言だが、南米の強豪の代表監督ともなれば、成果が振るわなかった時の批判は想像を絶するものであろうことを思うと、お金の心配どころではないもっとヤバめの心配が別にあるのかもしれない。
とはいえ生活資金で追い詰められる心配をすることなく、名誉と使命感と情熱だけで勝敗が全てを決する世界に臨めるのは、職業人として羨ましい限りである。
選手たちもまた、激しい衝突を恐れることなく、その腕の中に使命をしっかりと握りしめて戦う。
国歌斉唱では姫野は涙を流し、アルゼンチンの選手は周囲の気温が上がるような闘志を発している。
情熱的な空気の中、アルゼンチンのキックオフで試合は始まった。
アルゼンチンは自ボールのキックオフから松田の返しのキックを蹴らせて、日本陣内のラインアウト獲得でリスタート。
この冒頭にとった非常に有利な展開で、日本は一度攻めをストップさせたものの、モールを組まれて崩された後に、抜けだしたサンティアゴ・チョコバレスに2分で先制トライを許してしまった。
日本のキックオフでのリスタート、蹴らせたキックでラインアウトを獲得したのはアルゼンチンと同じ展開だったが、ここでのラインアウトを日本FWは確保できず、アルゼンチンのボールとなってしまった。
攻撃のチャンスはそう簡単にこないので最大限に活かしたいが、ラインアウトは日本代表がW杯に入っても修正が間に合わなかったポイントで、貴重な機会が安定していないのが痛い。
この展開で日本は22m付近まで侵入を許した位置でスクラムになったが、こちらは素晴らしいスクラムとなり、組み勝った日本がPKで陣地を挽回した。
スクラムは結果によってラインアウトにつながる可能性がある重要なセットプレーなので、優位性が見えるのは大きい。
再び攻め込んでくるアルゼンチンに対し、日本は粘り強くディフェンスをする。
何度かお互いに小さな反則を獲得しながら、日本が齊藤のスペシャルプレー、背面に向いてのハイパントから敵陣深く侵入し、トライ目前まで迫るがノックオンでトライならず。
引き続き、ボールを回して攻める。
14分にアルゼンチンボールのスクラムから日本が切り返し、リーチがラインブレイク、このボールを繋いだロックのファカタバがまさかのチップキックとキャッチからの快走をみせトライ!
アルゼンチンとしてはすぐさまキックオフからやり返したいが、せっかくの有利なシチュエーションでノックオン。
また、エリアをとりにきたキックもミスになり、日本に攻撃を継続させてしまう。
前半20分というのはここでどちらが取るかで、中盤までの試合の流れが大きく動く時間帯だ。
22分、日本はディフェンスでピーター”ラピース”ラブスカフニの頭が当たってしまい、イエローカードとなる。
日本に攻められ続けて乗り切れなかったので、まずスコアを狙うのは良い判断のように思えたが、これをボフェリが外してしまう。
アルゼンチンは歯車がずれたような感じで、リズムを掴み切れなくなってきた。
相手が調子を出せない間に畳み掛けたい日本だが、攻撃の中で蹴ったキックがクレメルのチャージにあい、ボールを取り返したアルゼンチンに一気にゴールラインを越えられた。
アルゼンチンはボフェリのキックが当たっていないので、コンバージョンで突き放し切れない。
日本が1人少ないのは絶好の得点チャンスなのに、5点しか取れないというのはアルゼンチンとしては納得できない結果だが、ラピースが帰ってくる直前にやっとボフェリのPGがきまり、苦労しながら1トライ差以上に突き放す8点差とした
それでも均衡は簡単に崩れない。
日本はライリー、フィフィタと繋いだボールを齊藤が受け、これこそが彼のアビリティといえるフォローランで前半も残り少ない37分にトライ!
日本 14-15 アルゼンチン とし、決定的な優位を見せられないアルゼンチンに日本が食らいつく形で前半が終了した
前半のスタッツ は
日本はこの一戦でもキックを使っているもの今までの3戦と比較するとやや少なく、ランで前進できている。
逆に数字が似通っているアルゼンチンはボールを持っての攻めがディフェンスに捕まったり、ミスで停滞している印象を受け、結果日本の攻撃時間が長くなっている。
ハイボ、ラインアウトで機会が取れない日本と、単調な攻撃やミスで決定機を掴めないアルゼンチン。
どちらがより上手に修正して後半を自分達の形にできるのだろうか。
ほとんど点差がない中でなんとか後半最初の得点で相手にプレッシャーをかけたい。
長い攻防でお互いスコアできない時間帯が続くが、アルゼンチンは試合冒頭で優位性を見せたものの、使っていなかったモールで日本を押し込み、45分にトライ。
自分達の強みに立ち戻ろうとするようなプレーで、単なる7点以上に大きな影響を感じさせるものだった。
離されたくない日本は49分にアルゼンチンのキックミスで深く侵入しての松田のショットで追い縋り、日本 17-22 アルゼンチン。
国際映像2度目の登場となるラグビー芸人しんやのガッツポーズがフランスからシーソーゲームの熱気を伝える。
後半に入ってからも、アルゼンチンはボールを持ってのランでなかなか前進できない。
日本のディフェンスがいいのか、アルゼンチンがまだ自分達の強みを発見しきれてないのか、どうも両方のように見える。
アルゼンチンが未だ調子を掴み切れない中、56分にはレメキが意表をつくドロップゴールを決め、日本 20-22 アルゼンチン。勝敗の帰趨がまだ全く見えてこない。
しかし、ここでアルゼンチンのキックオフは、キャッチ時に正面の日光が目に入った姫野がノックオン。
22mセンター、絶好の位置で獲得したスクラムから、59分にアルゼンチンがチャンスを生かしてトライ。
60分は非常に重要な時間帯だ、ここでどちらが加点できるかで試合が終わるか、終盤までもつれるか決まる。
少しでも点差を詰めたい状況で日本がペナルティキックを獲得する。
3点でもあとワントライで逆転までの点差内にとらえるが、トライを狙いに行く日本。
このリスクをとった選択があたり、65分にタップキックからの攻撃で交代出場のナイカブラがゴール右隅に飛び込んでトライ!
松田が脅威の正確性で難しい角度のコンバージョンキックも決めて、日本 27-29アルゼンチン。
残り時間は15分、こんな時間になってまでまだ勝敗が朧げにも見えてこないのは全く驚きだ。
ここでアルゼンチンがキックオフから今まで結果としてつながっていなかったランでの崩しがついに成功し、トライ。
70分をすぎても終盤まで続くペース争い、80分がすぎてもボールがつながっている間はプレーが続くラグビーにあって、9点差は未だ逆転の可能性がある点数だ。
しかし残り時間が刻々とすぎていく中で、点差の意味が徐々に変わっていく。
しかし勝利を確実にしたいアルゼンチンが75分についにPGを獲得、1トライ1ゴール1PGでも追いつけない12点差をつけることに成功した。
78分、2分で2トライというほとんど不可能にも見える可能性をまだ捨てず、相手陣深く侵入する日本。
ここでトライできるかどうかは勝利への最後のチャンスと言っていいが、無情にもアルゼンチンがこのボールを取り返す。
張り詰めた80分の末、勝利は青と白のジャージの選手たちが掴んだ。
試合後、SNSのタイムラインには「やはりアルゼンチンは強かった、差があった」という感想が踊った。
確かにアルゼンチンの圧力は強く、点差も1トライ以上離されたが、では内容までアルゼンチンが圧倒していたかというと、実態は全然違う。
日本代表の戦いぶりは素晴らしく、アルゼンチンは終盤までペースを掴めていなかった。
最後の瞬間まで日本が勝利の可能性を追い、アルゼンチンが突き放すために死力を尽くすという、見る側にまで強度を要求するようなゲームだった。
試合の細かい点をふりかえると、アルゼンチンは試合冒頭ではモールの優位性を見せた割に、前半をランの単調な攻めに固執してペースを掴み損ねていたものの、後半になってから思い出したようにモール、パントを織り交ぜた攻めを見せてきて、そこから日本は失点した。
不調時にあって見事な修正力が効いた形になったように思う。
日本としてはラインアウトが悪かったのは、試合を支配できなかった大きな要因だと思う。
数字上では8/9で1本しか失っていないが、プレッシャーにさらされクリーンに攻めにつなげられた機会は少なかった。
この点はW杯前に完成度の粗が指摘されていた面でもあり、予選の最終盤でそれが結果として跳ね返ってきてしまった。
同じく心配されていたスクラムが完璧に近い形で修正に成功していただけに悔まれるポイントだった。
8年前、日本代表は世界最強のチームの一つである南アフリカを破って、日本中、ラグビーファン以外にまで広がるインパクトを届けた。
4年前には自国開催のW杯で欧州の強豪を次々と破って史上初となる予選リーグ突破を成し遂げた。
一時のピークなのではないか、自国開催が実力以上のパフォーマンスを出させたのではないか。
今大会は強化への道のりも平坦ではなく、遠いフランスへの遠征で地の利もない。
3敗、4敗があったとしても不思議ではないとさえ感じていた。
しかし、初出場の勇敢なチリを降し、前評判の高かったサモアをプランが見えるような試合で封じ込めた。
負けた対イングランド、アルゼンチン戦でも、流れに入っていけず一蹴されたような試合ではなく、むしろ少し違っていれば勝てるかもしれないというような見事な内容だった。
礎を作ったエディー・ジョーンズと今回で勇退するジェイミー・ジョセフは、日本を真に強いチームに押し上げた。
そして、日本代表の選手たちは強豪国の選手というのにふさわしい戦いぶりを見せてくれた。
すばらしい1ヶ月、そして10年以上にも及ぶ戦いだった。
これで日本代表の2023年W杯は終わり、大会を去ることになる。
日本中を巻き込むようなインパクトの再来がならずとなったのは残念だ。
でも、今大会で日本が見せてくれたたしかな軌跡は、4年後にも確実につながっていくことになるだろうと思う。
4年前、南アフリカに敗れて流は泣き、今日、アルゼンチンに敗れて松田が泣いた。
また4年後涙が流れるかもしれない、でもその涙が、次の日本代表の戦士の喜びの涙となると、僕は信じている。
それがけっこういる
大多数派恋人が金銭的な援助しているわけでもない(つーかむしろ恋人がいるなら逆に時間か金を搾取されてることが多いような)
増田と自分じゃ「丁寧な暮らし」の基準がかなり違うんだとは思う
(高年収にも「丁寧な暮らし」やってる奴いるが、当然ながら可能な丁寧さだとかにはかなりの違いがある)
年収200万(280万ですらない)の女の「丁寧なくらし」とは、
趣味は散歩、歩きながらあるいは格安で手に入れた自転車であちこちで歩いては(他人が育てた)季節の花々を眺め、
安いコーヒーをクーポンでさらに値切って飲みながらブックオフの文庫本を読み、
そうやって集めた見切り品ばかりの買い物の中から何品か作って(残りは冷凍して)栄養的にはそこまで悪くない料理を作る、
それをインスタあたりで「食費月2万・低年収OLの日々の工夫」とかって載せてそこそこイイネをもらう、
ただ、女はこういう暮らしにそこそこ満足して不満を持たなかったりするんだよ。
「男はたいていこれができない」ってことだろ。
男はまず金がないなりに健康を保つってことができない
たとえば栄養学と調理の知識を身につけ、健康を維持するために自炊するなどができない
(俺はできてると主張するだけなら山ほど見たが、たいていは「いろいろぶち込んだパスタでできてると思い込んでる」か「半額弁当に安いチューハイ」のどっちかがほとんど、
栄養学の基礎的な知識がまずない、こいつら家庭科の時間に何やってたんだろう)
低年収な人間なんだからそんな高スキル持っているわけがないというならそれはそう、ただ現段階じゃ男女差が相当ある
調理壊滅な女もいるし、高レベルな男もいると予防線を張ったうえで、全体で言えば性差が明確にあるということを主張したい
そして決定的な男女差
女はそういう低年収でも「まだ間に合ううちに私を養うイケメンあてがえ」的な反社会的な活動になかなか身を投じない
等身大の自己評価ができない(男は根拠なしにうぬぼれる傾向が高い)
社会からの評価が「正当」でなければ社会が間違っているので仕返ししてやるになりがちなのは男
老齢になると挽回のチャンスがないわけなのでそういう人間はこじらせる
(逮捕者の所属見ると「50代・派遣」とかだったりするじゃん)
そういう心理は男女の別はないわけだ
実際、たとえば数年前の弁護士大量懲戒請求問題では加害者側には女もそれなりに混ざっていたようだ
ただ、実際の「弱者」は女のほうがはるかに多いわけで、それからすると驚くほど率は少ない
もうアレじゃなくて優勝って言っていいわ!
結構楽しく走れていた気がするけど
一晩経ってからなんかみんな急に走りが上手くなってきた感じがして、
私もうかうかしていられないそんな秋のF-ZERO99な季節なんだけど。
でもマリオカートではいくら走りまくりまくりすてぃーでもいまだかつて1位になれたことがないから、
まだF-ZERO99の方が期待はできるのはできるかも知れないわ。
まだまだ抜け目狙えそうよマリオカートよりかはね。
あとやっぱり、
すごい秀逸だなって思うのは、
レース中圧倒的な1位!って人がいないのよね。
走者先頭集団が常に上位に固まっている感じで
もうさ4周目のゴール目前で1位で爆破で大破!ってことも充分あるあるなので
ちょっとでも走りに乱れがあると一気に十何台に抜かれてしまうし、
その秀逸さはスカイウェイにあるのかなーって
あれがあると常に最上位の先頭集団に後走の走者をガンガン先頭に送り込む仕組みになっていて、
そこそこ中盤の順位からだと充分に1位の先頭集団に上から振ってきて合流出来る可能性大な可能性があるのよね。
1位走ってる人はエネミーカーもたくさん出てくるし
たぶん、
上級者とのマッチングが当たり前になってくるランクも無駄に上がってくるし、
これは避けられないのかしら。
初心者ばかりの中で走っていてもアレだしね。
最近アレって言うと優勝意識しすぎている人に思われちゃいそうで
F-ZERO99のアレって言うと
おまえ優勝必死だな!って悟られないようにしないとだし、
いろいろとアレも大変よ。
ファイアーエムブレムエンゲージの邪竜の章。
こっちも重い話しだわ。
総じてこれって幸せになるストーリーなのかしら?って思ってしまうけどまた改めて。
あと、
私の仲間最強!
私は全てファイアーエムブレムエンゲージを完全に理解したわ!って思っていたけど
なんとか
頑張って邪竜の章はクリアしたわ。
総じて
F-ZERO99は軽やかだけどファイアーエムブレムエンゲージは重いお話よね。
邪竜の章の全章は
本編の二十何章をそれに詰め込んだぐらいな重さだったわ。
またそれは追って今度。
うふふ。
店頭で見たら鮭おにぎりのことを思い出してしまって目に飛び込んできた私に飛び込み前転!
鮭な!ベイビー!
それな!
お水をさボトルに入れて冷やしてルイボスティーウォーラーにしようと思って、
朝起きたら真水だったのでビックリ!
つーかルイボスティーウォーラーのルイボスティーティーパックを入れ忘れちゃっていたわ。
即席で入れてみたけど、
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
最悪だな。一緒に働きたくない。
社会不適合を超えて、仕事に対して不誠実に見える。悪意があって仕事を増やしてるように見える。(悪意があってもなくても、周囲の受け取り方は同じ)
何一つ仕事を振りたくない。
予想された全国学テ「英語」の成績下落https://gibsonerich.hatenablog.com/entry/2023/08/01/150907
↑がホッテントリに上がっていたので少し書いてみる。
例えばこちら
https://www.kairyudo.co.jp/contents/02_chu/eigo/h28/h28_eigo_shidoyoryo_taisho.pdf
といっても小学校ではほぼ文法指導はなく、二言三言会話して歌を歌う位のものだ。
何より良くないのがテストがない、というか教師側の能力不足、時間不足でできないので、生徒に学習、復習のインセンティブがない。
結果、何も残らないか、一般動詞とbe動詞の区別もつかないような中途半端な知識が残るのみとなる。
そして上の記事でも指摘された通り、中学英語は旧学習指導要領より履修項目、単語が増え、教科書本文も長くなった。
特に負荷が高いのが中1で、例えば今まで中1夏休みまでの間に履修していたbe動詞、一般動詞、助動詞辺りまでを4月の間(実質2週間位)で駆け抜けなければならない。
更に話す、発表する等もやって行く必要があり、単元あたりの文法指導にかけられる時間が実質大幅に減っている。
確かに中学でも小学校に回された単元をおさらいすることになっているが、実質そんな時間はわずかなものだ。
英語の場合スタートでつまづいた子が後から挽回するのはとても大変で、中2に上がる頃には結構賢い子でもお手上げ状態となる。
また定期テストも最近は教科書本文から長文問題を出さず、別の文章を引いてきたり文法事項だけ出題するパターンが増えている。
これは教科書の単語が難しいため本文から出すと問題が難しくなりすぎるからとか、教科書本文をまともに授業で扱う時間がないからなどと言われている。
テストに教科書本文が出ない単元の単語は覚えるインセンティブが下がるが、入試で出ても文句は言えないので、自主的に覚えるか塾でやるか諦めることとなる。
新学習指導要領はコミュニケーションからの英語習得を目指しており理念は素晴らしいけれど、学校外でも膨大なトライアンドエラーを積み重ねられるような、英語を浴び続ける環境が必要だ。
それは1対多数の公教育の現場での実現は困難だし、高校入試のスピーキングテストも宙に浮いた状態となっている。そもそも学校でまともに教えていないことを入試で問うのがおかしい。
更に先述の通り学ぶ量もスピードも増えていて、独学で追いつくのは大変であり、小学校の段階から塾に通える子が有利になっている。
となると英語はますます親の経済力と意識の高さに左右されるから教育格差が広がる一方だ。
YouTube等で無料でやれるといっても、それはその気になれる意識の高い(収入も比較的高い方の)家庭の子だからだ。
また英語でのコミュニケーションに長けた帰国子女が文法全然できないのはあるあるだが、時間的制約の中で文法理解の精度を下げるのをどこまで許容しながら出力を増やすかという問題もある。
かなりヤバめの状況だが、すぐできることとしては、中1の進度を少し緩やかにするか、せめて小6の3学期だけでも一般動詞とBe動詞の文法指導を小学校でやるようになればだいぶその後の勉強がやり易いと思うのだがどうだろうか。
実際FGOはともかく、スマホアイマス系は以前と比べて月商が1/5~1/10に落ち込んではいるわけだけど
ただじゃあコンシューマに戻るかというと、ほとんどのコンシューマ系ゲームはその売り上げにすら遠くおよばない状況にあるわけで
以前は「売り上げ的にゲーム自体がオワコン」と言われていた状況があってそれを挽回して今に至るわけだけど、それはソシャゲーが牽引、あるいはその売上をコンシューマに回したから実現した事であり、挽回以前の根本的な問題は何一つ解決してはいない
結局、ガチャゲーの終焉の後に待つのはコンシューマの復権ではなく、止まっていた「ゲーム業界終焉へのタイムカウント」の再開でしかない
どこに吐き出せばいいのかもわからない自分の気持ちと、きっと誰の記憶にも残らないであろう自分の人生を増田に投下したい。
要旨はタイトルの通りでしかないが、就活に失敗し続けて無職のままアラサーを迎えてしまった。今年はもう就活すらしていない。
就活は売り手市場だなんだと聞いていたが、それは結局平均的にコミュ力のある人間にとっての話であって、自分のようなコミュ障で陰気な人間にとっての話ではないのだなと痛感した。
ふと思い返せば友達が居た記憶があるのは小学生の頃までだったし、その頃もたまたま流行っていたポケモンに詳しかったから仲間に入れてもらえていただけだったんだろうなと今になって思う。
中学に入学したあたりでクラスもバラバラになり、小学生の頃のグループは自然消滅してしまった。
誰にも声をかけられることはなく、かといって声をかける勇気もなく、本当にただ孤独に過ごしていた。
部活にも入らなかった。正確には入れなかった。
聞こえてくる話を聞く限り、中学に入学した時点で皆は入りたい部活まで既に決めている人が多かったようだった。
特にスポーツの経験もなく、かといって文化的な素養もない俺にそのようなものはなかった。
「この部活に一緒に入ろう」と声をかけてくれるような人も当然いなかった。
未経験の部活の仮入部に飛び込む勇気もなかった。気がつくと入部届の提出日は過ぎていた。
友達はもちろん欲しかったが、既に俺以外の人たちで完結しているように見えたコミュニティに入り込めるような人間ではなかった。
最初の入学式の時点で、席が近い人たちか、同じ小学校の出身の人たちで話して仲良くなっていた。俺だけが孤立しているような錯覚を覚えて、行きたくもないトイレに逃げて泣きそうになったのを今でも覚えている。
中学生にもなると皆携帯を持ち始めるようになっており、誰々とメアドを交換したとか言う話題が聞こえるようになった。
親にねだって携帯を買ってもらった。結局誰1人としてメアドを交換することはなかった。
中2の時だったと思うが、モンスターハンター3rdが学年中で流行っていた時があった。
みんなで放課後に誰かの家や公園で集まって一緒にプレイしているような話が聞こえてきた。
親にねだってPSPとモンハンを買ってもらった。話しかけてもらいたくてわざわざ学校にPSPとカセット持って行き、わざと休み時間に机の上にそれらを出した上で寝たふりをしていた。
国語の先生に見つかって取り上げられ、皆の前で叱られ、反省文を書かされた。あの瞬間が中学生活の中で1番みんなからの注目を集めた瞬間だったんだろうな。悲しすぎる。
今にして思えば、ポケモンに詳しかったことで仲間に入れてもらえた小学生の頃の成功体験を引きずり続けて、同じ手法でなんとか挽回しようと考えている自分の浅ましさがもう情けないよな。
勉強だけは頑張った。成績が良かったテニス部のクラスメートが色んな人に「勉強を教えて!」と声をかけられているのを見たからだ。それもまた、今思えば笑ってしまうくらいに浅はかだけれど。勉強ができるから声をかけられていたのではなく、テニス部の人気者だから、勉強を理由に声をかけてもらえてただけなのに。その構造を見抜くだけの頭の良さは残念ながら当時の私は持ち合わせていなかった。
勉強の甲斐あって、地元で1番の公立高校に合格した。親以外に祝っては貰えなかったが、それでも良かった。
合格と同時にiPhoneを買ってもらった。LINEをインストールした。
中学の頃は初手で部活に入ることに失敗したことや、コミュニケーションを取ろうとアクションする前に既に人間関係ができてしまっていたことが敗因であると考えていた。今回は入学式の日からちゃんと人に声をかけると強く決意した。
失敗した。
出身中学が同じもの同士で既に固まっていたし、何より塾が同じもの同士での結びつきもかなり強固であった。
3~4日目にして、ついに席の近いクラスメートが声をかけてくれたことでクラスラインに加入することには成功したが、人数から察するに私が最後のメンバーであった。
私が入った頃にはクラスラインでの会話は殆ど無く、既に仲の良いもの同士でより小さなグループを作ってそこでコミュニケーションをしていた。
同じ塾での繋がりから、合格発表があったその日には学年のグループができており、入学式の日にはもうクラスラインが出来ていたらしい。
結局、中学生の頃に友人を作れなかった負債に高校生になっても苦しめられるのかと思った。
部活動にも入ろうと思った。未経験でも最初の入部の時点であれば飛び込めるのだと学んでいた私は、新歓で惹かれた剣道部に入部した。
2ヶ月で辞めた。
私以外の入部者が全員経験者であり、初心者が私しかいなかったからだ。
先輩はもちろん自分のために練習に付き合ってくれたが、同級生や先輩達のレベルと自分の立ち位置があまりに乖離しており、自分1人だけが別で初歩的な練習をしているのが、晒し者にされているような気がして嫌になり、逃げ出してしまった。
自分だけが初心者だという引け目から、同級生ともろくに話せずに終わってしまった。
ここで投げ出さなければ…と今なら思えるが、やはり当時の自分には無理だったのだろうなという諦めのような感情もある。
同じような基礎練習に打ち込む初心者がもう1人でも居れば…と仮定しては、さも自らが理不尽な状況下にあるかのような想像をして自分を正当化しようとしていたことを何故か今でも覚えている。
幸いだったのは学校に自習室があったことで、これにより部活動の時間分を自習室で勉強することで、親には部活動を続けているようなフリをし続けていた。今思えばバレていたのだろうか。
中学の頃から帰宅部であり、友人と遊ぶようなそぶりすら見せてこなかった俺を、親はどう思っていたのだろうか。
何も言わないでいてくれた親の気持ちを想像すると、胸が苦しくなる。
高校でTwitterが流行った時期もあった。例に漏れず私もアカウントを作った。当時のTwitterはまだ身内感が強かったこともあり、高校名や氏名で検索しては片っ端から同級生をフォローした。
フォローバックも多少はしてもらえたと思う。
しかしながら、結局何もツイートすることはできず、ただ同級生の動向を監視しているだけの気持ち悪いアカウントに成り下がっていた。
一言も喋らない陰気な奴が変なことをツイートしたらどう思われるのだろうかと、怖くて何もツイートできなかった。
LINEを交換しているもの同士でスコアがランキング形式で共有されるのだが、たまたま引いたマレフィセントというツムで圧倒的なスコアを叩き出したことがあった。
その時にクラスメートが「上手いんだね!」と声をかけてくれたことがあったが、気の利いた返しが浮かばず、ぎこちない笑みを返すことで精一杯だった。
3年以上碌に会話をしていないのだから当たり前なのだが、もはや会話をするという行為が自然には出来ないようになってしまっていた。うまく言語化できないが、相手の言っている内容を理解した上で、それに対する返答をいくつか頭で構成し、そのうち最適なものを選択して口からアウトプットするという一連の行為が自然に出来ないようになってしまっていた。目を合わせるだとか、自然な表情を作るだとか、そんなことは言うまでも無くできなかった。
その会話での失敗は自分の中でも忘れられず、次に同じように話しかけられた際の返答を何度も何度もシミュレーションした。
ツムツムも継続してスキルを磨き、ランキングではトップを取り続けた。
当たり前だが、次の機会は来なかった。
高校3年間は最も密度の高い青春の3年間だったと知り合いの誰かがTweetしていたが、俺の3年間は思いつく限りの思い出で上記が限界だと思うと、本当に虚しい気持ちになってしまう。
今度こそ失敗しないようにと臨んだが、やはりダメだった。
講義における自由な席のシステムや、そもそもクラスなどが存在していないという状況で、自ら人に話しかけるだけのスキルを持ち合わせていなかった。出身高校も予備校も基本的には違うはずなのに、即座にそれぞれで仲良くなれていたのが不思議で仕方なかった。
サークルの新歓にも行った。バーベキューだった。同じ机に先輩が2人、新入生が3人の5人で座っていたのだが、気がつけば私を除いた4人での会話になっていた。
先輩が時折私に話を振ってくれていたのだが、明らかに気を遣ってくれているのだとわかり、余計に苦しく、惨めだった。
新歓用のライングループがあったようだが、私には加入の声もかからなかった。
自ら興味のある分野を見つけ、そこに飛び込むだけの主体性すら持ち合わせていなかった。
テストは同じ授業の過去問を持ち合わせているかどうかで対策の可否が大きく変わるものだった。友達のいない私には非常に厳しかった。
授業に一度も来てないようなテニサーの奴よりも、私の成績の方が悪かった。友人は居なかったが、それでも勉強だけは出来た自分にとって、学業の成績は唯一の精神的支柱であったのだろう。かなりメンタルにきたのを今でも忘れられない。
しかし、そうは言っても今更友人を作ろうと発起するのも見苦しいように思えて、結局何の行動も起こせなかった。
ゼミはそれなりに興味のあった行動経済学のゼミを志望したが、人気ゼミの面接に通るはずもなく落ちた。
結局、不人気な統計学のゼミに入った。幾つ上かもわからない留年生と私の2人だけだった。
自分の存在は何度も留年を繰り返す謎の男と同じ程度なのだと言われているようで苦しかった。
そして就活の時期を迎えた。
講義室で聞こえる会話で周りが既にインターンというものにエントリーしていることを知った。その後、焦って就活について調べ始めるものの、そもそも特にやりたいこともなく、また、特段興味がないものに対して熱意があるかのように見せられるだけの技量もなかった私は、悉くインターンにも落ちた。
志望動機や経験(あまり好きではない語彙だが「ガクチカ」と呼ばれるもの)に嘘や誇張した内容を書くような人々を見下していたが、結局採用されるのは見下していたはずの人々だった。
奴らは汚いことをしているのだと内心見下すことで、倫理的には彼らより優位にあると思いたかったのだと思う。そんな卑屈さで小さなプライドを守ったところで、何一つ実利はなく、ただ不幸になるだけだということに気づけなかった。
その後、大学名の威光もあってか1dayのインターンには通ったものの、グループワークが中心の1日に馴染めるはずもなく、ひたすら透明人間を演じた上で、最後に儀礼的に連絡先だけを交換して終わった。
同じグループの人は関関同立(関西ではそれなりの地位にある大学群)の同学年だったが、グループワークでのリーダシップの発揮ぶりは私とは比にならなかった。社員の見る目も違っていた。もちろんその後を知ることはないが、きっと大手の企業で内定を得て働いるのだろうなと思う。
昼休みの会話で、高校は私と同じ地域にある偏差値50程度の私学であることを知った。指定校推薦で大学に入ったらしい。
学業にしか縋れなかった私は、恥ずかしながらも内心では関関同立を見下していたし、偏差値50程度の高校に行った人とは今後交わることすら無いものだとすら思っていた。卑屈な選民思想を持った自分が恥ずかしかったし、完全に下に見ていた人々にも逆転されたという事実を突きつけられたのはかなりショックでもあった。
後日講義室で聞こえてきた「1dayインターンは意味がない」という言説を信じ、1度きりで申し込むのを辞めた。今思えば、傷つきたくないがために縋ってただけなんだろうな。人は信じたいものを信じるように出来ているとはこういうことなのだろう。
そうこうしているうちに、気がつくと本選考の時期が到来した。最終的に50社くらいはエントリーしたと思うが、全落ちした。
就活対策の本を立ち読みしたが、内容のバカバカしさに呆れて買うこともしなかった。ここで変な意地を張らずに素直に買って、その内容を再現できていれば結果は変わったのだろうか。正直そうは思えないが。
他にも面接対策をやっているサークルの一室を訪れようとしたが、室内の華々しさに気圧されて扉の前で踵を返してしまった。
あんな楽しそうに就活に臨んでいる人々はどうせ碌な結果を得られないのだと自分に言い聞かせて帰路についた。
無職で世に放たれるよりは学生の身分があった方がいいとの計らいだった。多分留年を繰り返していた彼も、同じような配慮で留年を続けていたのだと思う。本当に有り難かった。
結局、面白くもないyoutubeを観ていただけの1年だったと思う。観ていた動画の内容すら思い出せない。
勉強だけは出来たのだから、学業で勝負するのが自分にとって最適な戦略だと今更思い至った。
予備校に通い勉強をしていた。数年振りに自分の得意分野で勝負ができて、純粋に楽しかったことを覚えている。
筆記試験には合格したが、その後の面接(厳密にはこれも試験という名前ではある)で落ちた。
周りを見るに自分と同程度にはコミュニケーション能力が疑わしい者も散見された。少なくとも就活の面接では考えられないほどにレベルは低かったと思う。それでもダメだった。
いよいよ俺に出来ることはないんだろうなと深く絶望した。
無職の悪いところだが、時間だけは無限に持て余しているせいで、絶望的な場面が何度もリフレインしてしまう。
あの時こうしていたら…という後悔があまりに多すぎる。
どこが俺の人生の岐路だったのだろうか。
どうしていれば俺はこうならずに済んだのだろうか。
1年引きこもってもその答えは出せずにいる。
何度考えても、命を絶つ他にないんだろうなとは思うのだけれど、それにしたってどの選択を取っても両親に多大なる迷惑をかけるんだと思うと踏み切れない。
ここまで育ててくれて、何も言わずに無償の愛を注いでくれた両親に、最期に出来ることは何かないだろうか。
こう振り返ってみても、本当に家庭環境も含め、両親には恵まれた人間だと想う。だからこそ、その結果がこのザマで本当に情けなく、申し訳ない。
せめて迷惑だけはかけずに、ただ俺1人だけが苦しむだけで済むような方法を取りたいとは考えているが、それすら踏み出せないのかもしれない。
ここまで読んでくれて本当にありがとう。
ご想像の通り俺に友達なんてものは1人たりとも居ないし、今まで生きてきた人生も、今まで抱いた感情も誰にも共有できず、誰の記憶にも残らずに終わったんだと思う。
その意味で、誰か1人でもこれを読んで、誰かの記憶に少しでも残ることができたかなと思うだけで、なんとなく心が軽くなった気がする。
義父(夫の父)は東大を出て大手企業に入り、取締役まで勤め上げて定年退職した。
夫が小さい時は忙しくて子育てに関与できず、中学受験も大学受験も義父の思い通りにはいかなかったらしい。
なので、孫は絶対に東大に行かせる!俺が関与すれば間違いない!そのためには幼少期が大事!と生まれた時から鼻息が荒かった。
金はいくらでも出すから!と、赤ちゃんの頃から小学校受験をさせなさい、公立なんて動物園だ!と言い放ち、夫もどうすることもできず、3歳からお受験塾や公文に通わせることになった。
お金も送迎も義父がやる、というのだから私もどうしようもなかった。
義父の都合が悪い日があり、お受験塾の様子を見る機会があった。子供は明らかについていくのが精一杯で、これは厳しいのではと思った。
公文も、同じ単元を延々と繰り返す(次に進めない)ようになり、そのうち公文の日になると頭が痛い、お腹が痛いというようになり、義父も子供の体調不良をおしてまでやらせることはできず、辞めざるを得なくなった。
それだけやっても小学校受験のご縁がなく、公立に通わせることになったが、義父は中受で挽回だ!SAPIXに入れろ!金は出す、送迎もする!とさらに意気軒高となり、夫も私も止められなかった。
止めようものなら「お前たちは子供に愛情がないのか!後で苦労するんだったら今のうちに頑張らせるのが親心だろう!お前たちは何にもわかってないのだ!」と猛烈に叱責された。
義母は小学校受験に懐疑的で、夫(私立小出身)の時にいろいろと嫌な目にもあったらしく、最初から私に対しては「受験にこだわらなくてもいいんじゃないかな」と言っていたが、昭和の亭主関白家庭であり義父に逆らうことができないため、何の抑止にもならなかった。
そして何が起こったか。
保育園はご機嫌で通っていたのに、小学校はわずか1年しか適応できなかった。
つまり、能力的に学習が難しい特性の子に、ハードな学習を幼少期から強いていたわけだ。
そりゃバグる。
いくら義父に叱責されても、過去の経験からこの方がいいのだと言われても、自分の直感を信じるべきだった。
学校にも行けないままだ。
子供の学習障害が分かった時点で、夫と私は義父に子供の教育に関らせないよう、連絡を絶った。
こちらから連絡はしないものの、義父からは不登校やギフテッドについての訳のわからないYouTubeのリンクをメールで頻繁に送ってくるし、中受の本や教材を勝手に送りつけてくる。公立に行かせたからこうなったのだ、と本気で思っている。まだ諦めていないらしい。
見もしないで即削除しているが気が滅入る。
夫はもっといろいろ言われているらしい。
増田に言いたいのは、この手の孫に干渉してくるジジババとはできるだけ早いうちに没交渉にすべきだ。百害あって一利なしだ。
とても難しいと思うが、縁を切る勢いでNOと言わないとどんどん立ち入ってくる。実親は子に対して厚かましいし、子育ての先輩面してくるからたちが悪い。
30代。子供ができた。
当然、仕事や勉強に費やせる時間は以前より減らざるを得ない。若手と比べて体力も仕事に費やせる時間も圧倒的に足りないわけだ。
一方、仕事では当然若手より大きな成果と大きな責任を期待される年齢だ。これから出世して行くか、そうでないかの分かれ道にもなる年齢だ。
そこで成果が出せないとどうなるか。上からは詰められ下からは蔑まれ。窓際まっしぐら。
毎日保育園に行きたくないと泣く子供を置いて仕事に行くが、子供に誇れるような成果や仕事をしているわけではない。はっきり言って会社ではお荷物社員だ。
親から電話が来る。母が倒れて入院したらしい。今後は介護も必要になるかもしれない。そうしたら仕事はどうなる。もう失敗を挽回できる機会はやってこない。
それでも金のために仕事を辞めることはできない。
自分が納得できるような仕事に出会えれば良いのだろうが、30年も生きてきてそれができていないのだから、劇的に何か変わるわけではないんだろう。
20代の時死に物狂いで働いていれば、こんなことにはならなかったんだろうか。
会話をするときの戦略の立て方が、戦略ゲーやっているみたいに考えてしまって、先に言われることを潰したり言質を取ろうとしてしまう。
例えば、悩みを聞かされているとき。
というようなことをしてしまい。
良くないよなぁと思い始めてきた。
てっきりパッタイとかガバオライス?とかの台頭で日本食がアレになったのかと空見した(どんな空見だ
苦境の背景には競合メディアの台頭とトレンドの変化を挙げる。競合の代表格が、エブリー(東京都港区)が手掛ける「DELISH KITCHEN」(デリッシュキッチン)とdely(東京都港区)が手掛ける「クラシル」だ。
テキストベースのクックパッドに対し、2サービスは高品質の動画を武器に利用者を伸ばしている。クックパッドも17年12月に「CookpadTV」を開始し、動画コンテンツに本腰を入れたものの、現在までビハインドの挽回には至っていない。
動画コンテンツのトレンドが“タイパ”重視に変わったことも影響しているという。関谷氏は「SNSの高品質画像に慣れ、タイパ重視のユーザーは、『読むより観る』『選ぶより推される』を選ぶ。アマチュアが撮影した写真と文章中心のクックパッドは、あまり魅力的ではなくなった。プロの手による、高い完成度の調理映像を1分弱で観ることができるクラシルなどの競合にシフトするのは無理もない。『毎日の料理を楽しみにする』をミッションとするクックパッド。映像を見る『楽しさ』で競合にお株を奪われた形だ」と指摘する。
https://news.yahoo.co.jp/articles/f294a198ceb03b716fdca50e132f15893d2c31fd
確かに90年代後半の自分は毎日精神の天気予報が「曇り時々晴れ」だった。今の自分のネガティブ思考もあの頃がコアになっている。
ただ、バブルの頃の余韻も忘れられず、うまくすればまたあのバブルが戻ってくるのではないかというささやかな希望はあった。
1999年にはノストラダムスの大予言とかもあり、世紀末感はあった。
ただ、コロナ以降の世界情勢やニュースの内容の方が終末感やら世紀末感がある。
もうエヴァの呪縛からも開放されたが、自体はもう首が回らない状態まで悪化している。
少子化も挽回できない程に進んでしまい、輸出大国だった過去はもう無い。
今の日本政府にもなんら期待は出来ない。
中破した船が沈まないようにだましだまし浮いている。けれど、水はどんどん船に入ってきて、あとはいつ轟沈まで椅子取りゲームをするのかみたいなのが今。