はてなキーワード: 迫害とは
非モテと認識した相手の魅力を見もせず(見つけられもせず)、コミュニケーションもままならないから対象外にして迫害してるだけだろ。
全部「非モテのせいにしてる」ということにしてる本人の責任だぞ。
仮に本人の責任じゃないとしても、誰も助けてくれんぞ。
昔、エレキギターを弾くようなやつは不良、と言われていた時期があったらしい。
意味、分かんないよな?
俺もきいたとき、わかんなかった。
同じように、今の10代は
「オタクは自分がオタクであることをこそこそ隠して生きねばならなかった」
あの時代の話をきいても、ほんとかよって感じでピンときていないのだろうか。
ただ馬鹿にされるだけどころか実際に迫害までされていたあの時代を、
中世には魔女狩りがあったらしいみたいな感覚できいているのだろうか。
ネット上で顔出しした連中が「俺たちオタクが」みたいなことを臆面もなくのたまい、
おっちゃんはふとな、
ここ数日、例の事件に関する報道に対して「犯罪者とオタクを結びつけるな!」みたいな発言をたくさん見た。死ぬほど見た。それについて「犯人がオタク以上に特筆するものの無い無だったんじゃないか」とか「まあ確かにわざわざオタクって書く必要もそんな無いよな」とも思ったけどとりあえず置いておこう。
ここで自分が言いたいのは、この事件が避けようがないものだったように思えること、そして犯人とオタクの結びつきに関するぼんやりした考察だ。
まず、自分の身の回りに、人の話を聞かないヤベーやつが何人いるか思い浮かべてほしい。親しいか否かは別として、たぶん数人はいるだろうと思う。個人の知り合いなんぞは1000人前後の規模と考えてもそれなら、日本人1億人の中に何人もヤベーやつがいて、確率論で言えばその中に今回みたいに突っ走るような外れ値的なヤベーお化けもそれなりにいるんだろう。そして、人格というのはおそらく先天的要素もあるし、全ての場所に健全な精神発達をもたらす生育環境を整備するのは親の性格とかもあるし無理であって、社会がどうにか動いたらそういう人々が生まれてこなくなるわけでもたぶんないのだ。もちろんそうするための努力が無意味というわけでもないし、確率を低下させることは可能かもしれないが。
ともかく、そうしたお化けになっちゃった人々の感性は一般に理解できるものを容易に超える(外れ値って言ってるのでそれ以外による例は聞いてない)ので、当然なにがトリガーで爆発して事件発生に至るかもわからない。こういう点から、今回の事件は「避けようがない」のだ。
おそらくそうした人々の犠牲になる人は死という結末にならない場合も含めてたくさんいて、さらに表面化しない場合もたくさんあるだろう。そんな中で、今回はたまたま注目される対象と事件の規模が重なって大きくなる大きな悲しみを生む事態になってしまった。
ようやく犯罪とオタクについて。この件に関してアニメーション会社というのも避けようのないリスクを背負っているように感じた。
そも、そういう犯罪に至る人々がいわゆる「オタクじゃない≒一般人」側の世界で生きていくのは難しいだろう。かといって一般オタクピープルが必ずしも彼らを受け入れているかというとそうでもない気がする。ヤベーやつ同士で徒党を組むこともあるが、内輪でトラブって四散することも多い気がする。特にブチ抜けたお化けなら、一人弾け飛ぶなんてこともたぶん少なくない。普通のヤベーやつですらそんなのがいるの何回も見たし。
ならば一体オタク側の世界の何が彼らを受容しているのかが謎。同じ趣味の人間がいるということに居場所を感じているだけで元より受容はされてないのか、それとも作品自体が実体のない受け皿なのか、排除するほど攻撃的でないオタク集団がそうなのか。
可能性としては、2番目が最も納得できそうな気がする。ほとんどの創作のストーリーには、何らかのメッセージやら登場人物たちなりの世界の見方やらが練り込まれているだろうし、それが共感されるものであればよりインパクトを与えるものになり得るだろう。あるいは、そうした世界やそれらへの評価を見て、創作行為を自分の拠り所とする場合だってある。それに対する評価も共感なり自己肯定なりであるものだから。お化けに至らずとも、自分を肯定するもの、世界観を共有してくれるものに飢えた経験がある、そして飢えを満たすものが全てではなくともオタク的作品であった人はそれなりにいるだろう。周りの人が満たしてくれてんならお前幸せだな、陽キャみたいにFacebookに投稿しなくてもいいから仲間に感謝しろよ。
ともかく、この拠り所とか受け皿っていうのがかなり曲者だと思う。迫害されるタイプのオタクの場合、これが奪われるってなるといよいよもって詰みが見えてくるからな。オタク的作品はそうしたものとしての側面があって、形式上非常に広い地域の多くの人の目に留まるものである。そしてアイデアってかぶっちゃうんだよなあ。それこそ日本人1億人もいるんだし。「パクりやがって」この言葉、例え被害妄想でも本人にとっては巨大な組織に殺されかけたみたいな気持ちになってもおかしくないんじゃないかなあ。それこそ逆上して殺しに来ちゃうくらいの危機。
後半についてはこうなんじゃないかって思っただけ。とても悲しいけど、どうしようもなかったし、自分たちの感情もどうにもならないのだ。
蛇足だけど、死刑にすべき論、どうなんだろ。制度としては賛成反対を示す程執着する理由が無いので聞くな。33人も亡くなった、これはとんでもないことだけど、そんな人数を殺すっていう確固たる意志を持つほどカチカチに決まった上でもないと思うし、ヤケクソで全員死ねって思ってたかも。とはいえ、これに特例的な措置が適用されたら、人の命の重みに差が発生するだろうし、今後の社会の原則とか揺らいじゃいそうで肯定できない。許せない感情は否定しないけどめったやたらにネットに書き込んで鬱憤を晴らすより良いやりかた無いのかなあ。思いつかなかった。ごめんなさい。寝ます。
トラバ元記事と現実との齟齬は既に言及されつくしているので, ぼくは別の視点から意見を述べたいと思うよ.
ぼくはトラバ元記事は, ポップカルチャーのひとつとなったアニメを理解できないおじさんかおばさんによるものだと仮定するよ. もしくは日本ホルホルを生理的に受け付けない人という可能性もあるが, "幼稚なもん"と断定しアニメをこき下ろしていることから, ここではアニメという創作物を許せない立場から出てきたものであると仮定しそれについて書くよ.
ご存知の通りかつて日本には中森明夫雑誌コラムを発端とするオタクバッシングがあった. このバッシングはマスメディア, 典型的にはテレビ・雑誌・新聞等で苛烈に行われた. この時代マスメディアは現在よりも圧倒的に強かったし流行そのものだった. そして流行とマスメディアの洗脳を強烈に受けた世代がいる. 40代以上のおじさんおばさんたちだ. オタクとして蔑まれた人々にとってその時代は地獄だったし, マスメディアに洗脳されたその元若者に言葉と物理による暴力で迫害されてきたんだ.
そして彼らは今もなお, オタクとラベルされた"自分たち"とは違う, 気持ち悪い"あいつら"がいると幻想している. ここ, はてな村でも京アニ放火被害ニュースのブコメなどでオタクヘイトを撒き散らしてる人たちがいただろう. アニメのような創作物を消費する姿には無数のバリエーションがあるのはインターネットにより可視化されているし, オタクというラベリングは現実にはもはやなんの意味もなしていない. それにも関わらず, そういったおじさんおばさんたちの洗脳が解かれる事はなかったし, 自ら行ってきたバッシングの過去と向き合う気持ちはきっと生まれないだろうし, それはきっと彼らが死ぬまで続くのだろうと思う. 彼らにとって世界は固定的なものだし変化など起きるわけがないという世界観なわけだね. なんと貧しい世界観だろう. だから若い世代はこうした言説は年寄りの妄言として無視して良いかなと思うよ. (注意:おじさん・おばさん,そして若者はこれをテーマに決して戦うことをしないでね, 戦ってもいいことなどないし, 世の中にはいろんな人がいるのだから)
おじさんより
三連休の最終日であるし、書きたいトピックの旬も程よく過ぎ去った気がするから、
どさくさに紛れてネットの海に恨みを放流する。気づいてくれた人だけ見てくれ。
個人的に今までジャニーズアイドルを追っかけていたわけではないけれど、
テレビに勢いがあったひと昔前まで、お茶の間でおなじみとなるアイドルの冠番組を見たことがある身としてはそれなりに驚いた。
テレビの黄金期からアイドルの定義を拡げるような才能を発掘してきたジャニーさんの目は確かなんだろうと思う。
(※個人的にはマネージャーの育成努力が一番重要だと思うが。)
まぁ、改まって書くと仰々しいが、自分としてはジャニーズに特別な思い入れは無く、
…それだけのつもりだった。
訃報を知った翌日、ツイッターを何気なく見ていると下記の記事がRTされていた。
「ジャニー喜多川氏、87歳で死去 男性アイドル市場で長年圧倒」https://www.bbc.com/japanese/48932441
私はこの記事で初めてジャニー氏の性的虐待の過去を知った。最高裁判所にも事実認定されている。
今回ジャニー氏の虐待に触れた訃報記事はBBCのものしか見当たらない。
虐待をした事実が認められているにも関わらず、なぜ死ぬまでバッシングが続かず放置されていたのか。
そういう真っ当な怒りとともに、直接ジャニー氏とは関係ないが個人的な恨みが胸の中からふつふつと湧きあがった。
いきなりだが、私はロリコンだ。
本当はロリコンなんていう、大衆化され、スティグマを負わされた、政治的に正しくない呼称は使いたくないけれど、
もちろん現実に法を犯したことはないし、児童ポルノをやり取りしたこともない。
ただただ、今は新規発売が限りなく規制された"その手の人が喜ぶアイドルDVD"を鑑賞し、ネットで"同士"と繋がっていた。
将来が見えない日常を過ごす中で、"同士たち"とはかつての美少女アイドルを画面越しに一緒に楽しむとともに、
自分たちはたとえLGBTへの理解が進んだ社会であっても死ぬまで理解されることは無いという悲しみを共有していた。
"同士"と繋がり、美少女を語らうことは救いになる。
自分は1人の単なる犯罪予備軍ではなく、ごまかしながらもなんとか平和に生きていけるんではないか。
SNSで同士と繋がってからそう思えるようになった。絶対的なマイノリティの孤独を癒してくれた。
数か月前、スマホで「アイドル趣味用」のツイッターアカウントを開いたら、凍結されていた。
児童ポルノなんて一度もやり取りしたことはなかった。しょうがないと淡々と凍結の異議申し立てをしたが、
運営側からは「規約違反だ。具体的にどの規約が該当するかは回答できない。」などとふざけた回答が来た。
数年間続いた同士との交流はあっけなく潰えた。
別アカウントを新規で作成しようとしたが、凍結されたアカウントには携帯番号が紐づいていたため、
新規で作成はできなかった(最近はアカウント作成後に携帯番号の認証を求められるらしい)
私はツイッターで作った繋がりを取り戻すのを諦めた。しばらくは何もしたくなかった。
市場に出回っているアイドル画像(もちろん法に触れていない)を収集をしているだけのアカウントが凍結されがちなことは理不尽でしかないと思っていた。
少女愛好家なら一度は思ったことがあるかもしれないが、他に潰すべき巨悪がいるだろうという気がしてならない。
そういう思いを少し前から抱いているときに、ジャニー氏の訃報を聞いた。
「なぜ、ジャニーズファンは性的虐待のことを知らないんだろう?」
そう思っていると、テリー伊藤がジャニー氏の訃報を伝える番組の中で「ジャニーズのライブに来る女性は顔しか見てない」と発言して
どういう文脈での発言だったかというと、ジャニーズアイドルの舞台やライブの演出は故ジャニー氏も非常に拘っていて
見ごたえがあり、男性でも楽しめるよ!ということらしい。今更だが余計なことを言うおっさんである。
ファンの大多数である女性たちは「女性でも舞台の演出は分かります!」などと怒っていた。
一般の人間から言わせてもらうと、ファンなら老害タレントよりも怒りをぶつけるべき事柄があるだろうという感想しかない。
「私たちはアイドルのステージを丸ごと楽しんでます!」などと女性ファンは怒っているけど、
小児性愛者で性的虐待をした事実が最高裁で認められているジャニーさんの過去は知らない。またはスルーしていることが全く理解できない。
ファンの間でジャニーさんがジャニタレを夜這いしてあんなことやこんなことをするのは常識なのだろうか?
なんというか、見てる世界があまりにも違うんだなという印象を持った。
普通のグラドルと変わらないようなジュニアアイドル画像を収集するSNSアカウントは、通報されたり凍結されたりする。
ジュニアアイドルDVDはむやみやたらに自主規制がかけられ、新作発売が殆どなくなった。ノイジーなフェミニスト団体や政権の表現規制のためだ。
翻って、巨悪であるアイドルグループのドンや性接待は厳然として存在し、おそらく当事者が死ぬまでそれらは看過され続け、
気持ちの悪い見た目の犯罪者予備軍としてロリコンだけはスケープゴートにされたままだ。
どれだけ"お前ら"は不感症なんだ?
こっちがどんな思いで生きているか知っているのか。
犯罪なんかする気もなく生きているのに迫害され続けて、異性に報われることも存在を認められることもなく、
ただただ"お前ら"のために税金を払って、慎ましく生きて・・・
本当に、いい加減にしろ。
わたしはブスだ。「ブス」と聞いてみんなどういう顔を想像するんだろう。わたしは「目や鼻だけがブスであとは普通」みたいな「のびしろのあるブス」ではなく、顔の骨格が日本人女性の平均より一回り大きく、配置がとっ散らかっていて、各パーツがこれでもかというほど醜い、何というかマジモンのブスだ。
中学は共学だったので男子生徒にかなり迫害された。わたしの顔を罵りにわざわざ別のクラスからやって来る人がいたりとか。
面と向かってブスとか死ねとか言われ続けると次第に人はおかしくなってくる。わたしはマスクで顔を隠すようになった。
ルッキズムに関する書籍を随分読んだ。わたしがぶつけられたような「ブス」「死ね」にまともに取り合う必要は無いことを学んだ。
それでも「ブス」でいるのはとても、とても苦しかった。
二十歳を過ぎた頃、整形に踏み切った。目鼻をかなり直した。それぞれのパーツはまあ整ったけれど、全体として美しい顔であるとはとても言えない仕上がりになった。上述の通り骨格がとにかくゴツいから。顔がでかすぎる。余白が多すぎる。整形では直し難い「土台」の部分がめちゃくちゃ醜い。というかパーツをちょっと直しただけで美しくなる顔は元から「ブス」ではないと思う。
次は輪郭を削るつもりだ。もう既に虚無感が凄い。どうせ大して変わらないのが分かっているのに整形がやめられない。
ほぼ整形のために生きている。やりたいことが他にない。ほんとうに空っぽな人間になってしまった。
整形を始めてすぐの頃はまだ夢を見ていて、顔が良くなったらいろんな出会いの場に行ってみたい、とか思っていた。25点の顔でも75点くらいまでにはなるんじゃないかな、と期待していた。フォトショで加工するんじゃねーんだから。実際はせいぜい35点くらいの顔になっただけだった。
整形は魔法ではない。というか根本的な問題はきっと「顔」ではないんだと思う。でもこういう生き方しかもうできない。
とにかく自分に自信がない。技術が進んで、この先もしも劇的に顔が良くなることがあってもたぶん変わらない。ずっと自信を持てないまま。ずっとマスク。
なんでおれがおまえの母親でも恋人でもないのにお前の事情を理解しなきゃいけんの?
なんで「非モテ」や「キモイ」ってお前に迫害された奴、それにインセルや加藤みたいなやつがお前の事情を理解しなきゃいけんの?
分かり合うための努力しろなんて初めから一言も言ってないよ。こっちは分かりたいと思ってないって最初から言ってるだろ?分かってほしい方にニーズがあるんだ。ニーズがあるくせに一歩も動かないのは理解できないねって話をしてるんだけど。分かってほしくない受け入れてほしくない人のする態度に見えるんだよ、他人からはね。
うん、だからそっちが分かろうとしないのに、人間扱いしないのに、相手が人間扱いする理由はないよね。
「一歩も動かない」ように見えてるだけだっていうことには考えすら至らないんだから。自分の「そう見える」を押し付けて迫害してる。