はてなキーワード: 東洋とは
ワイもべつに国籍とか人種とか初めから無いなら無くてもええと思うよ?知らんけどジョンレノンかよ草。
ちがうんだよ、俺たちが主に見たいのは今あるこの船のこの状態が壊れてド派手に挫傷する瞬間なんだよ。それをみてケラケラ笑いたいんだよ。
上級ヅラして涼しい顔してるが、その実たいして変わりもしないクジ引きに当たっただけの猿が一等客席を決め込んで居座ってる連中と
お前のいうような勝手に対岸の岸に渡って逃げ切れたと思ってる猿モドキが指を咥えて見ている中で、もう後戻りできないあいつらの有利にはならない状況へ派手にぶっ壊したいんだよ。
燃えるなら派手にいきたいじゃん
俺も死んだ後のことなんか知らん。国がなくなったら誰か住むんじゃね?1500年後に健康診断で「貴方にはアジアンっぽい昔あった滅び去った島国の遺伝子が入ってるよ」「ゲーッ!あの東洋のソドムと言われた滅んだ卑しい国の血が!」とかそういう程度でいいじゃん
いやー、君こそずれまくってて笑えるんだけど。
まずさ、
まず、オタクが大好きな絵柄、要するに萌え絵はアニメーションに不向きなのである。あの頭と目が大きく、等身が低くて身体か華奢という構造は、見た目通り人間的に動かすというのは困難だ。だから、どのアニメにおいてもよく動くと言われるものは萌え絵から距離を取っている。萌え絵を選択すると自動的に紙芝居的な動きが縛られたものしか作れなくなる。ディズニーが萌え絵を選択せず、あのような絵柄なのは動かすことを念頭に考えているからだ。
ここの部分を見て感情表現なんて一言も書かれてないですよ。元増田の主張は基本的にオタクがその他のサブカルチャーを容認してこなかった、と延々と繰り返してるだけ。元増田の趣旨を読み取れず、ズレまくってんのはあんただ。
ほかも極めて馬鹿なので突っ込んおいてやるか
どこがやねん。アクタージュですら涙袋という表現上エグい部分をあえて描いて表情を作ろうとしている。
変顔と言われても萌キャラの顔をゲス顔にして過剰演出することだってある。
言われないと気づかないのかもしれないが、改めて考えてみるとおかしいよね?
唇は萌えキャラと萌えキャラじゃないキャラを見分けるポイントの一つだ。
萌えキャラじゃないキャラは完全な唇ではないにしろ「下唇の位置を特定させる影」のようなものがある。
西洋では口が重視され、東洋では目が重視されるとはよく言われることだ。
そのことを踏まえた上で萌えキャラを見れば唇がないことの異質感にはすぐ気づくはずだ。
何が言いたいの?
お前の主張はキャラに感情がないだのあるだのうんたらでしょ(そして指摘自体が的外れ)。
なんで口だけが感情なの? なぜそんなに深堀りしてない状態で萌えキャラを論じられるの?
お粗末だよあんまりにも。個人的な意見だけど表情筋で最も豊かな部分は眉間と目尻です。
口で判断するところから出羽守そのものというか。まあこれは印象だけど。
この程度も看破できないのなら口挟むのはやめといたほうがいいよ。
ズレたことを言っているのは貴君では?
トピ主の言う「人間的に動かす」とは「感情表現」のことを指しているのでは?
動的なアニメの話をしているのに静的なフィギュアを持ち出すのも意味不明(イミフ)だよね。
「動かす」話題で動かないフィギュアを持ち出すのは、おかしい。
さて萌えキャラはディフォルメされた絵柄によって微細な感情表現を行うことができない。
一般人は素直に萌えキャラに感情表現の制約があることを利点ではなく欠点とみなすのだろう。
だが価値観の違いによってか萌えオタはこれをむしろ利点と認識しているのかもしれない。
「明示的に示される表情」は何を考えているのかわからない「思わせぶり」なリアル女より優れている、と考えているのかもしれない。
若い絵師を見ると、こうした萌えキャラの性能上の欠点に見切りをつけて、そうでない表現を模索しているようではある。
おそらく萌えキャラは微細な感情表現がオミットされているため「エモさ」を重視する最近の若者は直感的にダサいと感じているのだろう。
言われないと気づかないのかもしれないが、改めて考えてみるとおかしいよね?
唇は萌えキャラと萌えキャラじゃないキャラを見分けるポイントの一つだ。
萌えキャラじゃないキャラは完全な唇ではないにしろ「下唇の位置を特定させる影」のようなものがある。
西洋では口が重視され、東洋では目が重視されるとはよく言われることだ。
そのことを踏まえた上で萌えキャラを見れば唇がないことの異質感にはすぐ気づくはずだ。
もっとも萌えキャラは眼球が無闇矢鱈と拡大されているので「目の表現」をもオミットされているわけだが。
唇のない萌えキャラがそうした表現を行うには必然的に絵柄を変えぬばならない。
「絵を描いたことがないやつ」などと攻撃をするくらいだから画力にはよっぽど自信を持っているようだが?
いままで萌えキャラに唇がないことの欠点について考えたことはないのだろうか?
ガースー内閣になってからしばらく経ちますが、これはアベちゃんのが良かったなー とボンヤリ考えている昨今です。
政権内部のことなぞ全然わからないので、すべて外からみた推測ですが、菅さんのあの圧が良い方向に向いていない気がします。たぶんブレーンやスタッフがビビっちゃってうまく機能してないんじゃないかなー
安倍さんは、ボンボンならではの鷹揚なところがあり、ブレーンが意見しやすい環境だったのではないかと思います。それが今井ちゃんやら誰やらの専横に繋がった と言われればそうなのかもしれませんが、所詮人間、ひとりですべてをすることはできないので、どれだけ周りから担ぎやすい神輿になれるかが重要だと思うんですね。特に、一国の宰相ともなれば。
菅さんはそこら辺、いまだに官房長官としてキレ者的なキャラだった状態を残しているようにみえますが、懐刀・右腕・金庫番的な官房長官と、首相は求められるキャラが違う。東洋的な統治者像(特に中国の皇帝的な)からすると、トップはキレッキレで全部パシパシとリーダーシップもって決めてくひとより、ちょっとボケてるくらいで周りが支えなきゃいけないタイプの方がスタッフとしてはやりやすいし士気もあがるんじゃないでしょうか。
そういった意味で、安倍さんは、担がれうまい というべきか、神輿としては歴代首相の中でもベストに近かったのかも。みなさん、バカだボンボンだ、中身空っぽだ と揶揄されますが、何の取り柄もない人間が戦後歴代最長期間首相でいれるわけがないのです。
古くは大山巌が若い頃はキレ者キャラだったのが、日露戦争の満州軍総司令官となったらボンヤリキャラに豹変して苦戦の中でも参謀団の士気を鼓舞して勝利した という故事もありますし、菅さんも早めにキャラ変しないと、周りがやりにくくて外しにかかる→疑心暗鬼が強まり粛清の嵐→ますます周りが離れる のネガティブスパイラルに入りそうです。もう入ってるかな?
総理怒ってますよ とか権威・権力で押さえ込むやり方は中長期的には自分の足元を掘り崩す行為に他ならないので、止めたが吉です。これまでずっとそういう動き方してきたからすぐに方向転換は難しいとは思いますが・・・ まずは、もうちょっと笑ったらいいんじゃないですかね。総理ともなると、威圧に益なし です。
特に理由はないのだが、最近の通勤時間で「ラーマーヤナ」を読んでいる。特にインドに旅行する予定はないのだが、しいて言えば大学時代の友人二人がインド哲学科出身だったからかもしれない。そういえば、冒頭のムスカの台詞では長母音の場所が間違っている、みたいな話にもなった。
それはさておき、「ラーマーヤナ」である。英雄ラーマが囚われの妻シーターを仲間の助けで救いに行く話で、要するに古代インドのスーパーマリオなわけだが、そこで出てくる美人の形容が興味深い。たとえば「美しく黒ずんだ肌」という表現が出てくる。美白という美意識はやはり時代や地域によっては必ずしも自明ではないのだ。
また、ほっそりした腰つきや豊かな乳房の美しさを表現する箇所もある。
「二つの乳房はそれぞれの先端がむっちりと盛り上がって魅力的で、つやのあるヤシの実のように美しく、最上の宝石の装飾品をつけて輝いている」
この個所を読んで僕は首を傾げた。ここまで乳房の美しさを形容するってことは、シーターは上半身裸だったのか? 実際、インドや東南アジアの神々の像では女性たちは上半身裸だ。以下はエローラの石窟の姿である。
しかし、近現代のインドの叙事詩を描いた絵画では、上半身を普通に覆っている。
シーター姫を攫ったラーヴァナが助けに来たジャータユを返り討ちにする図
それを見て思い出すのは手塚治虫の「ブッダ」だ。正直なところ、みんなおっぱい丸出しで小学生の頃はエッチすぎて読めなった記憶しかないのだけれど、それはさておいて、あれは歴史的に見て正しいのだろうか? それとも、単なる手塚治虫の性的空想だったのだろうか?
そういうわけで僕は「ancient india topless」と検索した。すると、肯定的な証言をするサイトが数多く引っかかった]。特に、英語版ウィキペディアのtoplessの説明がわかりやすかった。
In many parts of northern India before the Muslim conquest of India, women were topless. ……(中略)……Toplessness was the norm for women among several indigenous peoples of South India until the 19th or early 20th century……(以下略)
ムスリム征服以前のインドの多くの地域では、女性は上半身裸であった。……(中略)……上半身裸は19世紀や20世紀初頭の南インドの先住民の女性の間では普通のことであった……(以下略)。
そういうわけで、古代インドの女性はおっぱい丸出しだった。手塚治虫は変態だったかもしれないが、古代のインドの服飾史については、嘘をついていなかった。
また、「古代インド おっぱい」と日本語で検索すると、次のようなツイートが見つかった。
https://twitter.com/tenjikukitan/status/1093099586778853378
古代インドに詳しい方が日本語で情報発信をしてくださると、大変助かる。
よく、東洋を舞台とした作品でブラトップ同然の格好をした女性が出てくることがあり、しばしば批判されるのだが、これは実際には上半身裸だったのを攻めておっぱいだけは隠しておこう、という配慮だったのかもしれない。
実際、いわゆる熱帯地域だけではなく、古代のクレタ島でも乳房は見せていたし、それこそ以前記述したように、日本の海女さんもかつては上半身裸が普通であった。
ところで、英語版のウィキペディアを読んでいたら、気になる記述を見つけた。
The Breast Tax (Mulakkaram or mula-karam in Malayalam) was a tax imposed on the lower caste (Shudra) and untouchable (Dalit) Hindu women by the Kingdom of Tranvancore (in present-day Kerala state of India) if they wanted to cover their breasts in public, until 1924. ……The tax was evaluated by the tax collectors depending on the size of their breasts.
乳房税(ムラカラム)とは、現在の(南インド)ケーララ州で低カースト(シュードラ)と不可触選民(ダリット)に属するヒンドゥー教徒の女性が、公共の場で乳房を覆いたければ支払わなければならなかった税である。……税金を集める役人が女性の乳房の大きさによって額を決めていた。
なんとも非人道的で、正直なところ読んでいてかなりのショックを受けた。身体の大きさを申告・検査しなければならない恥ずかしさ、支払えなかった女性の苦痛、いかほどのものであっただろうか。個人的には野外露出系のポルノは大好きだが、これが強制されたものだとなると不快だ。裸とは恥ずかしいものではなく、人間が生まれながらにして持つ、何物にも束縛されない自由を意味する気持ちのいいものであってほしい。それにこれはフィクションではない。歴史的事実だ。
これについて日本語の資料が見つからないかどうか探したが、幸いにしてナショナルジオグラフィック誌の記事があった。
古代ローマにトイレ税、世界5つのヘンな税 | ナショナルジオグラフィック日本版サイト
乳房税が廃止された経緯もまたショッキングである。ある女性が収税に来た役人に抗議するため、乳房を切り落として見せたことがそのきっかけだ。言葉もない。ローマの公衆便所から税を取り立てたケチで名高いウェスパシアヌス帝が単に合理的でまともに思える。
そのナショナルジオグラフィック誌だが、2018年に同誌は人種差別的であったことを公式に謝罪した。国内の有色人種を無視していたし、外国の文化も過去の姿をやや好奇の念をもって眺めていた。そして、異民族の過去の姿である上半身裸をピックアップしすぎた、と。
とても誠実な姿勢だと思う。確かに異文化への関心は、はじめのうちは興味本位や小ネタから始まるかもしれないが、それだけで終わってしまってはもったいないし、現在の姿を誤解したままでは失礼だ。それに、欧米や日本がオリエントの人間を過度にセクシャルに表現してきた歴史があり、それを是正することはまったく正しい。
それは欺瞞だ。伝統的に上半身を見せる文化を改変するのは子どもたちに嘘を教えることになる。乳房を恥としない相手の価値観や服飾文化の破壊ではないか、という意見もあり、それももっともだと思う。とはいえ、今のところ乳房は隠すものがデファクトなグローバルスタンダードになってしまっている。歴史的正確さと表現のふさわしさと、これもまた正解のない問いである。
シーター姫のおっぱいが気になった僕もこの罪とは無縁ではない。今を生きる人々の人格と彼らの先祖の文化や伝統、どうすれば両方に敬意を払えるかを考える日々である。できる限り正確性に努め、通説が誤っていれば訂正をするように心がけているが、それでも異文化への関心が性的な好奇心とは無縁ではないことを意識しないではいられない。
今回は古代インドではトップレスが普通であったことを示した。また、乳房の隠蔽はキリスト教だけではなく、イスラームの影響もあることも明らかになった。
今後は、世界の中で乳房がどのような文脈を持っていたかを調べたい。例えばシチリアの聖アガタも乳房を切断され、かつては形の似ているパンや鐘の職人の守護聖人であったが、いまでは乳がんの守護聖人ともなっている。また、戦時中の日本を含め、多くのプロパガンダでは、乳房は母性の記号として国土の豊かさを意味してきたし、しばしば女性を母としての役割に閉じ込める役割も担ってきた。逆に、女性自身が抗議の意味で露出することもある。私の身体は私のもので、勝手に意味を担わせないで欲しいという奪還の意図もあるのだろう。
加えて、世界各地ではどのような形の乳房が理想とされてきたのか、その変遷もいつかはたどりたい。
実際、「ラーマーヤナ」ではほっそりした体を(乳房の重みで)曲げて、と形容されるターラーという猿の夫人がいる。今も残るインドの彫刻から判断すると、古代インドには細い腰とそれに対する豊かな乳房への明確な好みがあったのではないかと推測される。また、この彫刻の特徴は東南アジアにも受け継がれている。その辺が知りたいのである。
このあたりは西洋の絵画史からたどるのがいいかもしれないが、芸術が個人の自己表現となった時代以降は、画家自身の好みも反映されて難しい。
また、逆にトップレスが世界の標準であった可能性についても検討したい。すなわち、ユダヤ教、キリスト教、イスラームの広がっていない地域の服飾史について検討し、トップレスでいることの自由がどのように失われていったかについても調査したい。
はー・・・
トラバ付いたから読んだのかと思いきや読んでねぇのな。突っ込むんじゃなかったわ
インド最大都市ムンバイを擁する西インドのマハーラーシュトラ州が1番多いが単純に東京みたいに人が多いからじゃよ
マハーラーシュトラ州に隣接する州が続き、
その次に多いのが、分類的にはオーストラロイド?になるタミル人が多い、チェンナイを擁する南インドのタミル・ナドゥ州
政治的に経済的に厳しい状況かつどう見ても東洋人(フツーに日本にもいそう顔)のモンゴロイドがたくさんいる地域でも
フツーに感染者出てるよ。人がバンバン行き交う土地でも経済的にバンバン検査を出来る土地でもないのにね
https://news.google.com/covid19/map?hl=ja&mid=%2Fm%2F03rk0&gl=JP&ceid=JP%3Aja
昔々あるところにお爺さんとお婆さんが暮らしていました。
ある日、お爺さんは山へ芝刈りに、お婆さんは川に洗濯に行きました。
当時は高度経済成長の真っ只中で、産業があらゆるものより優先されていた時代です。
異臭を放ち虹色に輝く川で洗濯するお婆さんは、当時の価値観から言ってもかなり異質な存在として近所では有名となっていました。
しかしそのような世間の目を気にするようなお婆さんではありません。
洗う前より汚くなった着物を両手に担いて、お婆さんは笑顔で家へと帰ります。
一方その頃、海の向こうアメリカではベトナム戦争に反対する若者の間で東洋思想に対する関心が高まりつつありました。
第二次世界大戦の帰還兵は戦争から解放されると子供を作り、それがベビーブーム世代となり一大勢力を築き上げ、その彼らは親の世代が持っていない価値観を東洋に求めたのです。
少し時代は遡りますが、鈴木大拙は東洋の『ZEN』の精神を米国に紹介した人物の代表と言ってもいいでしょう。
彼は仏教における悟りを『霊性の自覚』と捉えました。それは『即非の論理』を体得することで得られるものです。
大拙は通常の論理を分別知の論理と位置づけ、対象を分別する前の段階を『即非の論理』とし、それをとても重要視しました。