はてなキーワード: 修士号とは
夫の新婚当初の浮気が原因で子無し夫婦を選択したが(最初はピル飲んでたが今は二人共パイプカットと卵管縛った)母親にも義理母にも責められることなく共働き生活をしている。
最初の浮気以来あやしいこともなく(バレないようにうまくやってるのかもしれないが、もう気にしないことにした。)割と平穏で、他人には仲の良い夫婦としてやっている。
傍目には「子宝に恵まれなくてかわいそう」って思われてるんだろうけど。
大抵この手の生活を選ぶと親がうるさく言ってくるものだが、旦那の両親は「馬鹿息子が悪いので嫁は責めない」
私の両親は「心の狭い娘が悪いので夫は責めない」となっているからか世の中によくある小梅ババアにはなっていない。
それは直接言われたことはないけど、まぁ、雰囲気として察してる。
ただ田舎育ちの親戚もいたりするので、その人たちからは口汚いことを言われたりもする。
両親は不妊手術してるの知っているけど、親戚は知らないので。
じーちゃんの葬式の時にそんなめんどくさい親戚の一人(私の父親の弟)が私に絡んできた。
まぁ三年子無しは去れとかいうそういうたぐいのことなんだが、私はいつものことだなぁと聞き流していた。
が、絡み酒でめんどくさいなぁと思っていたら母がついにキレた。
反論してくれるのも嬉しかったけど、そのあとの言葉もありがたかった。
母は大学院にも行き、修士号までとっていた人だったが、色々あって研究に断念したところで父親と出会いそのまま結婚してしまった人だった。
本人も「今となっては逃げだった」と認めていた。
同級生は働いてそれなりに社会的地位がある人もいるらしく、やはり後悔したこともあったそうだ。
それでも家庭でしっかりお母さんをやっていた母親を尊敬しているし、そんな母親から私のような勉強しか能がないクズが生まれてしまったことが申し訳なかったころもある。
母親はこう続けていた。
「娘はわけあって子供を産まないけど、その分私が諦めた社会人としての道をしっかり進んでくれている。
子供を持つことは素晴らしいことだけど、それど同時に失うものもたくさんある。場合によっては子供から得られることより失うもののほうが大きい。
私はそれを体感した時期もあったし、今でも後悔することはある。
だから娘は私の分まで社会で働いて頑張ってくれてると思ってる。
娘に私は同じような喪失感を味合わせたくない。だから娘が望まないなら生んてほしくなんてないし、
それよりあなたの娘(私にとってはイトコ)は彼氏ができても長続きできず婚期逃しそうじゃない、
娘と違って学もなくて専業主婦にでもならないと生きていけそうにないのにどうするの?」
そしたら案の定おじは、
「口の立つ女だな!余計なお世話だ!」
返していた。
母親はそれ見たことか、という表情で
「あなたが言ったことはそのまま同じことよ。不快さと自分の愚かさがわかった?」
と言い放ち、おじを黙らせていた。
ありかなしかで言えば無しだし、そんな修士号に何も意味ないけど、
はっきりいって東大ですら、修士論文はその手のレベルの物もいくらでもある。
就職するってんで真面目に研究やらずに卒業させろよ、とかいって教授を脅すようなやつも実際にいるからね。
教授側もパワハラとか物凄く気をつけなきゃいけないし、勿論、博士に進む様な人や、修士で出てくにしても真面目にやってる子のは
徹底的に直してくれたりもするけど、
追い出すために仕方なく認めるケースも多々ある。
「修士」ってホントに別にそれ自体何の意味も持たないけど(だから実際問題どうでもいいっちゃどうでもいいんだけど)、
未明の2時間半。一心不乱にコードに集中 ──中島聡流プログラミングの流儀 #OpenGL|CodeIQ MAGAZINE
──16歳でプログラミングに触れてから、現在までずっとコードを書いているわけでが、その持続力には驚きます。会社に入って数年もするとマネジメントをやるようになって、現場から離れてしまうプログラマも多いと思いますが。
これがまさに僕が一番問題視していることなんです。世界的に活躍しているIT企業、Google、Apple、Microsoft、Facebook……みんなアメリカの会社ですよね。なぜ日本はだめなのか。個々の能力では日本人が劣るところはない。勤勉な性格だし……。
根本の違いは、優秀な技術者がいつまでもプログラムを書いているかどうか、ということなんです。
特に理工系の修士号取得者。日本では大学を出て大手企業に入ると、そこではほとんどプログラムを書かない。仕様書は作り、ドキュメントも書くけど、実際のコードを書くのは子会社や外注やその下請けの人たち。僕はこういうのを「ゼネコンスタイル」と呼んでいます。
それに比べると、アメリカのソフトウェア企業は、バリバリの理系の修士号、博士号の人を採用して、その人たちを一生プログラマとして使い続ける。プログラマとして優秀であれば、ゼネラリストよりも高給を弾んでくれる。生涯プログラマでもリスペクトされる。 マネジメントはそれなりの専門職だから、それが得意な人に任せればいいという考え方。プログラマは一般に人の管理をするより、コードを書いていたほうが幸せだから。
ほんとこの文章を、大手SIerの糞馬鹿社員と、3年前に自分のいたチームの糞リーダーに読ませたい。
仕事を人に振ってばかりで楽していると無能になるぞ、と。周りに聞いてばかりいないで、たまには自分で調べて、考えて仕事しろ、と。
なんで皆管理側を目指すのかねぇ、、って上の記事のまま、使われる側だと評価されない、金くれないからだな。要は、日本は経営者とか幹部クラスが致命的にアホすぎるんだな。
はいはいわかった分かった。迷惑なんだよ、とかも一切こんなとこでも言うなってことね。
その内部で飯食ってる、って別に学生の金で食ってるわけじゃないからね?その辺説明したよね?
学生の学費で直接研究室運営するなら、一人1000万でも足りないね。でもまあ、それくらい払ってくれるなら何も文句言わないよ。
でさ、別に無意味だ、って言ってるからって、そういうやつをないがしろにしたりしてるわけではないよ?
で、何を求めてんの?一切愚痴らず黙ってやってろってこと?まあ、だいたい皆そうしてるし、
余りに最近ひどくなってきたから、まじめに上の方でも取り上げられてるみたいではあるけども。
で、それ以上にどうして欲しいって?
あんたは誰なん?何に恨みがあるん?
大学行けなかったん?言ったけど、修士にも行けなかったん?修士にも行ったけどそこで挫折したん?
なんなの?
でさ、あんたが、じゃあ、大学が悪い、ってんなら、日本国の一員として、あんたは何をしたん?
大学の運営、強いては国の運営を任せてる政治家に対して、お前は何かしたん?
何もしてないだろ?
それは話が違いすぎるって言うかもしれないけど、こちらも教授陣が愚痴ってるレベルでどうもこうも出来ないことをそう簡単にどうすることも出来ないので。
ただ、問題視されてる事実はあるって話。
それはいいですか?そういう無意味な連中が居る、って話はいいですか?
それらを、ないがしろにしたりはしてないよ?それでよくないの?
だから、あんたの文句の先はなんなの?あなたは、自分の仕事とか、一切愚痴らずにやってるの?
仕事の愚痴を一切言ったことない?親とか周りに対して一切愚痴とか文句言ったことない?
そんなことあり得ないよね?ここでこれだけ意味不明に喚き立ててるんだもん。
何がしたいん?
んー、何が言いたいんだかよくわからないけど、
こちらとしてはまず、元増田や、怠け者の返信者等、そのあたりの人間は大学院に来ても何も学ぶことはないし、
ただの無駄、だと言ったのね?
それはそう思ってるし、こちらの意見に文句つけたい人たちもどうやらそれは同意してるみたいだし。
どこまではOKね?あなたもそこは同意する?で、そこ同意したらそれで終わりなんだけど、本来。
修士出て就職して意味あるのは、元々企業でやってることに近いことをやってるような研究室での研究であって、
そういう所は推薦もあるし、そもそも就職活動に1年かけるとかしないし、研究もきちんとしてる。
だけども、今は、修士でも就職活動に物凄く力入れないといけない様なところもあって、そういう人は、
修士の2年で何を学ぶかって言ったら何もしない。
でも、修士号を取るため、最後の方だけ来て、研究室の金を使って研究をでっち上げ周りに助けてもらって「修士号」という資格を取れてしまう。
与える側も、そのまま残ってもらう方が余計困るので、クォリティーなんて度外視で、もう努力賞で上げてしまってる所も多い。
それが正しいとは言ってないし、なんとかしたい、とは思ってる教授陣は居る、ってずっと言ってるよね?
大学運営が正しくて、ただただ、そういった学生が来んな、ふざけんな、なんて言ってるわけではなくて。
その辺読めてるよね?
それを含めた上で、そういった修士の学生は無駄でしかない、と言ってるんだけども?
それを改善できるのは学生側じゃないだろそりゃ。楽な道を選ぶ奴はどこにだって居て消すことは出来ないんだから。
で?どこが間違ってるって?
単に、俺がそれを変えられる力がないから雑魚で黙ってろって話?
別にいいけど。それ変えられるのは、もう国動かすレベルで力持った人間だろうね。流石にそこまでは行ってないわ。
そしたらお前は発言することすべて実行しろよ?
ってか、それであれば発言する必要すらないよな、こんなとこで。
嫌だと思ったら全部変えられるんだから。
違うか?
だからさ、金とってる、ってそれで研究室運営してるわけじゃないからね?そこの金の問題ははっきり行って全く関係ない。
むしろ、そういった、「修士号」あげるだけのコース作って、授業料を上げて、その代わり研究室とか属さないで迷惑かけないで出てく、
って仕組みを出来ないもんか、とか本気で言ってみたりしてる。
フォローも何も、授業単位だけ取って後ずっと就活で研究室にすら来ないやつをどうフォローしろってんだ?
で、2年の後半になって修了するためにテーマくれ、修論書かせろ、って。そんなの何の意味があるんだ?
やたら底辺私学に拘ってるけど、君もその一員に思えてならない。どうでもいいけどさ。
うちの会社にはロクな社員がいないと嘆く人事部長みたいに見えて滑稽だよ。
「大学がなんとかしなくちゃいけない」うん、そうだね。それで?
だから、大学が何とかしようとは考えてるのはいいでしょ?それはいいよね?
で、そう考えるのは、100%そう言った学生が無意味であることはいいよね?大学に取っても学費どうこう以前に何もメリットが無いの。
でも、入ってくるときに、一生懸命研究がしたい、って言ったら分からないの。
就職ならその後長い間いるから2年間適当にやって、ってわけに行かず、それなりに仕事はするだろう。
だけど、大学院なんて、一度、もう修了するだけで就職すればいいや、ってなったら研究なんてする気なんて起こらないしそこで何をするでもないわけ。
そういう自体を理解して言ってる?で、そいうことが起こってるのは主に東大な。
他の底辺私学なんてそもそも大学院生すら来ないだろう。
俺がそこにこだわったのは、やたら、そういう学生が来るのが当たり前、そういう学生のためにやってる、みたいなことを言ってる奴が居たから、
そういう学生しか来ないし仕方がないと思ってるのか?ということ。知らなかったけどそんな所があるのかと。
東大とか上の大学なら、大学院に来る人間でしっかりとした人間が来るし、それが中心であって、
その中にそういった学生が来るから困ってる、っていう状況が理解できるだろう、ってこと。
そういった底辺学生しか来ないなら、そういうのを教えるのが仕事だってんで、やってんのか?って話。
理解した?いずれにしろ、そういった怠け者が大学院にきてモラトリアムやっても、社会として何も利益が無いことは同意するよね?
あなたは
ん?君がどういう立場か(答えてくれないから)知らないけど、 それに何らかの意味があるからやるんでしょ? 一切意味がないと言うならやらなきゃいい。
の人でしょ?
で、こちらは、教授陣たちはすでに意味が無い、と感じてる、と言ってる。
んで、他でもどうやら、修士過程自体は意味が無いが、「修士号」と言う資格が就職に対して有利になるからそれだけの意味がある、と言ってる。
だから、大学側としてはそれらに対して全くもって意味が無いと感じてることはOKね?
で、実際それを雇う企業としても、何故か未だにそれを基準にしてる所が多いが(その専門分野はわかるがそれ以外で何学部でもいいから修士なら給料高い、ってのはほんとバカ)
そういう所は企業側としても、単なるモラトリアム期間2年金で買っただけの人間にいきなり高い給料払うわけだからデメリットしか無い。
それもOKね?
で、唯一メリットがあるとしたら、学生が何もせず金で有利な就職を簡単に勝ち取る事が出来る、ということ。
これですべて理解して頂けました?これに対して大学側が愚痴っててもしょうがない、ってのはホントそうですよ。
なんとかしたいけど、具体的に上手く出来る事案でもないから困ってるわけで。
これはそれを取る会社に取ってもその2年無駄にした学生にとっても誰にも特になってないんだけど。
まあ、学生にとって見れば簡単にお金で地位を買い取ってるから得なのかもしれないけど、
そんな馬鹿な話は正しいと思うの?
だから、だったら何で修士に来るんだ?最初から意味ないなら行くなよ、って話でしょ?
結局はそれを優遇して取る企業がなくなればすべては済む話なんだけども。
そこまで考えて、そういう学生は悪くないって話をしてるわけ?
つまり、修士に進んでそこで学ぶこと自体にはなんにも意味は無いが、学生が単に「修士号」と言う資格を取り、それにより就職に強くなる。
それだけのために修士に進むのは良いことで、社会として正しい、と?
つまり、本来、怠け者や元増田みたいなのは修士に来ても何も意味ないし無駄だけど、
修士号を取って就職に強くなるためだけに行く、というのは現状制度をフル活用してるだけで正しい姿だ、と?
大学側は、少なくとも自分が知ってる所は、そういうのはなんとかしたい、とはずっと思ってるし、
入ってくる前に話をする機会があれば、それなりにそういう話をするようにはしてるよ。2年で辞め様なら何も出来ない、ってこともはっきりとは言わないけど、
なんとなく言う先生も居る。
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/sociology/1294017796/
【怒!税金の無駄】厚生労働省の天下り組織「労働政策研究・研修機構(JILPT)」
http://matome.naver.jp/odai/2136481130649257401
"修士号もないくせに、役所の地位を利用して大学に天下った最低の人物"
http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/16a36fbc07184fd578750496967f1ecb
"単に自分の働き場所を保持するためには人格攻撃も辞さない腐敗した人間"
https://twitter.com/hidetomitanaka/status/50734334453366785
506 :名無しさん@社会人:2013/05/26(日) 04:12:36.89
http://www.youtube.com/watch?v=xNjeicZAr7g
コメント欄に笑ったよ。
507 :名無しさん@社会人:2013/05/27(月) 06:46:43.19
508 :名無しさん@社会人:2013/05/29(水) 17:51:17.16
はじめて動いてるの見たけど、人間的な嫌らしさが雰囲気にも滲み出てる
こんな男、絶対に嫌やわw
小さい頃からヴァイオリンを習っていたと話すと、それだけで「良家の子女」とみなされることが、ずっと不思議で仕方なかった。
そんな自分は両親とも公務員、東京の多摩東部(井の頭線沿線)の生まれで、小学校の時に北関東に引っ越して今に至る。
修士号を取るまで在籍した学校は経済事情優先で全て公立と、良家の子女になる要素は皆無。
東京にいた時はアパート暮らしで、近所にヴァイオリンの先生がいたので、興味があって4歳から楽器を習い始めた。
自分の学区は児童の人数が多い、いわゆるマンモス校で、小学校に入学したら同じ先生に楽器を習ってる人が何人かはいるだろうと胸をときめかせたのだが・・・一人もいなかった。
一方、発表会では姉弟子に当たる中学生や高校生の子たちが、ホールでメンデルスゾーンやバッハの無伴奏のホ長調を弾いているのを、順番の最初のほうで終わった自分はなんとなく聴いたり聴かなかったりで過ごし、最後は皆で合奏と、それはそれは大々的だったのだが、同時に「一体皆はどこから習いに来ているのだろう、近所じゃ見かけない人達だし・・・」と不思議でならなかった。
保育園から小学校に上がって、周りが皆幼稚園上がりで衝撃を受けたこともあり、子供ながらに結構しょんぼりしていたかも。
そして最近、東京の頃の記憶をなぞっていたとき、長年の謎が解けた・・・気がした。
なんのことはない、どうやらその地区は主婦のお母さんが圧倒的多数で、さらにその中でも家が裕福で、小学校や幼稚園から私立に通っている子(特に女の子)だけがヴァイオリンを習っていたと、そういうことだったらしい。
少なくとも当時の東京の多摩東部の西武新宿線~中央線~東横線くらいのエリアでは、そういうケースが殆どだったらしい。
そして地方であっても、ヴァイオリンを習う子の、名士の娘さん率は高かったらしい。
確かにエスカレーター式の私立一貫校は受験に多大な時間を取られずに済むので、嗜みや教養の一環として何らかの習い事をさせるだろうし、それが女の子なら、楽器の一つくらいは・・・ということでピアノかヴァイオリンを習うと。
それ以外だったら、親がプロの音楽家だったり、熱心なクラシック愛好者か楽器愛好者くらいか(地方の名士には愛好者多そう)。
ともかくそういう事情もあって、日本だとヴァイオリンは「お嬢様の楽器」というイメージが強いと。
かくいう自分は父親がクラオタで独学でヴァイオリンを弾いていたし、ヴァイオリンのレコードばっかりかけていたっけ。
もっとも、自分は非常に不器用で要領が悪いこともあり、しかも当時はクラシックが大好きというわけでもなかった。
結局受験と楽器のレッスンを両立させることは出来ず、今ではアマオケのその他大勢で弾くのがやっとだったり。
4歳からやっていてメンデルスゾーンも弾けない、ノイズ生成器に近い。
幸い、大人になって薄給の仕事ながら時間の余裕は出来たので最近レッスンを再開し、今度こそメンデルスゾーンを・・・ということになった。
それもこれも、昔の発表会で生演奏を聴いてしまったからだ。単なる懐かしい思い出であっても、その音が耳から消えることはない。
もしも優秀だと思うなら博士号はすぐにとらないで修士号をとった後、研究職を経て社会人博士で取得したほうがいい気がする。
まず、博士過程に行くとほんとに博士号を取れるかどうかわからない。単位だけ取得して博士号を取得できないとか本当に笑えないから。修士号は理系でも工学系でも結構簡単に取れる。が、博士号は修士に比べて難しい。
本当に優秀なら修士でも研究職を得ることは可能。俺も修士号だけど高名な研究所の常任の研究職を得ることができた。まぁ、明らかにまぐれだったから俺の例は参考にならんが本当に優秀なら研究職として職を得ることは可能。むしろ博士過程を経てポスドクとか不安定な職に就くくらいだったら修士で研究職を得たほうがいい。けど本当に優秀じゃないと無理だけど。
研究職を得たなら、5年間まじめに研究すれば研究結果を得ることができる(それを発表できるかどうかは内容にも所属研究機関にもよるが。たとえば特許とか)。結果があれば社会人博士をすでにある結果で得ればいい。博士課程で結果を生み出さないといけない重圧に耐えながら不安定な職に就くなら、社会人博士過程で博士号を得たほうがいい。あと研究結果で社会人博士を取ると祝い金が会社や研究機関から出たりするからさらにお得。
こういったことを考えると修士で研究職を経て、社会人博士課程で得た方がいい。
しかしながら博士課程に行かないと研究職を得られない分野もあるからそういった分野に関しては博士号を直に取った方がいい。まず学部卒業をアメリカの大学に修士をスキップして博士課程に留学して3年で博士を得た方がいい。日本だと修士2年+博士3年で5年間かかるけど、アメリカは修士号をスキップして博士号を3年で得ることができる(まぁ、大概に大変だが)。また、アメリカで博士をとる場合はTAやRAなど授業料免除、生活費を支給されるのが普通。よって金銭的に安定している。が、研究結果やチューターなど仕事が必須になり、研究のみに没頭できるわけではない。そういった環境でコンスタントに結果を残すには忍耐力や英語力、そして専門領域に対する高い理解が必要となる。
まぁ、がんばれや。
本当にその通りなんだけど、修士まで行ってながらそれに気付かないという元増田は可哀想すぎる。
何のために大学院に進学したのだろう。"修士号"目当てだとしたらロンダと発想が何も変わらない。
研究の世界とは無縁の出来損ない学生なのか、よほど世界レベルとは程遠い日本ローカルな分野の院なのか。
他の学生が気になって仕方ないところを見ると前者の可能性が高いと思うけど。
院に入ればそれまでとは違った競争基準があって、東大がどうのと言ってたらプロパーだろうがロンダだろうが落ちこぼれの証拠みたいなもの。
もっとも敵愾心がロンダ全てではない(落ちこぼれではないペーパーで勝負できそうなロンダにはきちんと白旗をあげている)ところを見ると、
同じ落ちこぼれ同士の中で、「俺はプロパーだぞ、世間よちゃんと差をつけて優遇してくれ」ということだろうし、そう思いたくなるのは分からなくもないが。
知っている人からすれば当たり前のことなんですが、「大学院」において「学校名」というのはその院生のレベルを知るためには全く意味をなしません。阪大の大学院?学士の資格等必要だろうけど、入試なんてザルです。実際に問題を見たことありますか?普通に勉強した人なら通ります。だから阪大の院にはロンダ組が多いんですけど、彼らはなぜか「阪大生」と言いたがらない。「出身は?」と聞かれると「立命館です」「関西学院です」「神戸大です」と学部時代の大学名を答える。つまり、「今在籍している「阪大」は格好よくないからあまり言いたくない」わけです。
この「大学院の学校名がかっこよくないから隠したい」という事実、企業の人事の方もほとんど知らないんですよね。「同志社大学出身の○○です。今は大学院に通ってます」ってだけで、「おー、同志社かー」って思っちゃう。「阪大生」のダサいイメージを背負いたくないんでしょうけど、阪大大学院の学生なんだから「阪大生」と名乗って欲しいですし、一般的にも「阪大にいても恥ずかしくない」そういう認識を持って欲しいんですね。
僕ら阪大プロパーは、学部から単位を泣きながら取得するばかりの寂しい学生生活を送り、修士に進み、毎日うんうん唸りながら一生懸命に「研究」をし、ポスター発表やペーパー投稿も積極的に行い、晴れて修論発表会で発表して修士号を得た。こういう「阪大生」であった僕(や周囲)にとって、「阪大」を隠したがる「ロンダ」組には眉をひそめるしかありません。
自分と「東大生」として共有するものがなさすぎる相手が「東大生」名乗るのがいやなのかもしれないじゃん。
毎日うんうん唸りながら一生懸命に「研究」をし、ポスター発表やペーパー投稿も積極的に行い、晴れて修論発表会で発表して修士号を得る。
の共有すらないんだぞ?
↓
区別は不可能だと思うが。
共通点があれば区別は不可能なのか?
母校愛は「母校の名前の価値が下がるのが気分的に嫌」「逆に上がればなんとなく嬉しい」
ブランドは「母校の名前の価値が下がるのが実害があるので嫌」「逆に上がれば実益があるので嬉しい」
実益・実害が絡むとき、ただ「気分的に嫌」という理由である可能性考慮せずに「利益にしがみついてる」と断定してしまう人が多いって話だね・
http://anond.hatelabo.jp/20130224175755
ぶっちゃけ教員から見れば,ロンダでも生粋の東大生でも修論なんてたいしたレベルじゃないからw
学部からの東大生の方は「要領がいい」ので,最低限の研究だけして修了しようとする人も多いし
逆に,夢を持って東大に移ってきて,真面目に研究してすごい成果を出す人もいる
ちなみに,
学部から(中高時代から)しっかりと知識を育み、学部の継続で修士に進み、毎日うんうん唸りながら一生懸命に「研究」をし、ポスター発表やペーパー投稿も積極的に行い、晴れて修論発表会で発表して修士号を得る
と書いてるけど,ペーパー投稿以外は正直,「そうだね,頑張ったね」レベルにすぎないよ
http://anond.hatelabo.jp/20130224175755
学歴ロンダが行われる理由はたくさんあると思います。東大卒、ってゆー箔であったり、プライドであったり、社会的な地位であったりします。
で、詳しくは上記のURLから飛んでもらうとして、このエントリーでは二種類の東大院生が登場します。
学部から(中高時代から)しっかりと知識を育み、学部の継続で修士に進み、毎日うんうん唸りながら一生懸命に「研究」をし、ポスター発表やペーパー投稿も積極的に行い、晴れて修論発表会で発表して修士号を得る
誰でも入れるような大学(学部)から、誰でも入れる東大院の研究科(研究室)に入って、東大学部生のレポート程度の修論を書いて修了し、自尊心を満たす
後者がロンダなのは見ての通りなんですが、僕がひねくれてるのか、後者のほうが前者に比べてスマートに見えるんですよね。
だって、どうせ使わない学問(種類に依りますけど…)のためにうんうん唸りながら研究するのであれば、その分ほかのことに時間を使ったほうが有意義な気がするんですよね。これだけだとザル法を肯定することになるのでなんとも言えないですけど。
もちろんこれは個々人(っていうか僕と前者)の正義の違いであって、前者から見たら後者はズルいわけです。
経歴は東大生だけど中身はちゃんと学業は修めてないんだから、まー許され難いことであります。
何が問題かって、悪いのは学歴ロンダ野郎じゃなくて、学歴ロンダができる環境にしたお偉い人でもなくて(原因の一つではあるけど)、学生をそこまで学歴に執着させるこの日本社会だと思うのです。
まー、ほとんど知らないって事実を鵜呑みにするわけではないですけど、こういった無知は歴然としてあります。確かに。
こういった社会構成、もっというと頭のカタいオッサンをなんとかしないと学歴ロンダなんて無くなりそうもないけど、難しい問題ではあります。十年後どうなってるかはわかりませんが。
でも、「俺頑張ったのに学歴ロンダ野郎も同じ東大卒って見られててズルい!」っていう意見は学歴至上主義的、もっというと学歴ロンダ野郎と同じ土俵に立ってる感じがしますね。
学問修めて身に付けた能力(勉強力とかじゃないよ)を活かして学歴ロンダ野郎を蹴飛ばして初めて東大生でイキっていいんじゃないでしょうか。
それくらいの気概は持ってて欲しいなと思いました。
※「全部が全部そうじゃないが」「ごく一部のことではあるが」等の文言を逐一入れるのは面倒くさいのと冗長になるのとで入れてないだけです。断定調の方が論旨がはっきりするからです。
知っている人からすれば当たり前のことなんですが、「大学院」において「学校名」というのはその院生のレベルを知るためには全く意味をなしません。東大の大学院?学士の資格等必要だろうけど、入試なんてザルです。実際に問題を見たことありますか?普通に勉強した人なら通ります。実質定員割れ(=合格者数が定員より多い)もあります。入試問題が基本的に研究科別になっていることが一つの要因だとは思います。
この「大学院で学校名を基準に資質を判断するのは無意味」という事実、企業の人事の方もほとんど知らないんですよね。「東京大学大学院、修士2年の○○です」ってだけで、「おー、東大生かー」って思っちゃう。確かに「東大生」なんでしょうけど、東大大学院の学生に「東大生」とは名乗って欲しくないですし、一般的にそういう認識を持って欲しくないですね。
なぜか。
そう、「ロンダ」が横行しているからです。ことさら「東大生」を強調するような東大の院生ほど、いわゆる「ロンダ」の確率が非常に高い印象です。
東大の大学院に入り最終学歴をそこにすることで、「東大卒です」と主張する(正確には「修了」だが)。在学中は「東大生」を誇り高そうに周囲に流布する。誰でも入れるような大学(学部)から、誰でも入れる東大院の研究科(研究室)に入って、東大学部生のレポート程度の修論を書いて修了し、自尊心を満たす。そんな人に「東大生」を名乗って欲しくないです。
ロンダは知っている人が見れば(現状、少ないと言わざるを得ないが)すぐにバレますし、恥ずかしいは自分だと思うんですが、世の中、医者じゃない「医学博士」が医者みたいに思われている現状もありますので、実際は「東大生」「東大卒」で通ってしまうのでしょうけれども。
現代日本において、未だに「学校名」にこだわっているの時点で苦笑してしまうのですが、それは置いておきます。そのためか、今は嘘か誠か、中学高校の学歴を見て人物を判断されることもあるようですね。いわゆる「地頭」というやつだと聞いています。この基準も確かなものではないでしょうけれど(10年も経てばその人は変わるでしょう)、「ロンダ」を見抜くためにはあってもおかしくないかなとは思います。
話が逸れました。繰り返します。「大学院」は「研究室」に所属するものであって、そこに「学校名」は関係ありません(専門職大学院等除く)。「たまたま」その研究室がその大学院にあった、というだけのことです。確かに東大・京大・東工大等にはレベルの高い研究室が存在する「確率」は高いですが、一般論として、「東大」という名前が神聖視されすぎです。
「ロンダ」の人たち(表面的にそういう経歴の人たち)全てを貶す訳ではありませんが、一部の「ロンダ」組は本当に徹底しています。絶対に学部の名前を自ら進んで言いません。自己紹介でも言いません。聞くとものすごく嫌な顔をされます。笑ってしまうぐらいに。
彼(彼女)らは何のために大学院に来たのでしょう。「東大卒」の肩書きを獲得し、就職やこれからの人生に有利になればいい、と思っているのでしょうか。真剣に研究をしたくて進学してきた他の学生に対して失礼ではないでしょうか。もちろん同様のことは学部についても言えますが、学部は「入学試験」が適切なフィルタになっているため、そのような「肩書き」目的の進学でもそれが目的的に働いていると思います。学部は「勉強」をする(受動的)場である側面が大きいのも、「肩書き」目的で入ってきても容認される理由の一つでしょう。
一方、(東大の)大学院は前述のように入学は容易です。そして一度入ってしまえば、研究科毎の違いはあれども、修了それ自体は最低ラインを超えることはそこまで難しいことではありません。大学院の責務の一つである、「研究」らしい研究が行われないまま、「学歴」のみを取得して修了することができます。
研究科別では、理学系・工学系・情報理工学系にはさすがにこのような例は少ないと思います。しかしそれ以外の研究科では、特に文系と理系を融合したような研究科ではそれはひどい有様です。文系でも理系でも中途半端な人材が集まります。ロンダ目的の学生のいいターゲットです。入試も、文理双方に配慮するので、問題のレベルが下がります。
先生方も授業が学部よりレベルが低くて苦労しているようです。よく聞くのが統計(数学)の話です。バックグラウンドが違いすぎるので、結局、「確率」の話から(極端な話、高校教科書のレベルから)始めないといけません。「多様なバックグラウンドを持った学生による、革新的で斬新な分野の研究」という理想を実現する環境とはほど遠いです。たいてい、研究テーマだけは壮大ですが、その実質は適当に「アンケート」を取って「統計処理」をして「有意差」をむりやりひねり出すという、学部3年生のレポートみたいな修士論文ができ上がります。それでも修了できてしまう。そうしないと、みんな修了できないから。
学部から(中高時代から)しっかりと知識を育み、学部の継続で修士に進み、毎日うんうん唸りながら一生懸命に「研究」をし、ポスター発表やペーパー投稿も積極的に行い、晴れて修論発表会で発表して修士号を得る。こういう「東大生」であった僕(や周囲)にとって、「ロンダ」組には眉をひそめるしかありません。
修論を指導教授に全部書き直してもらうことになった。
恥ずかしい。
そもそも何でこんなことになったんだろうかちょっと考えなおしてみたい。
学部のときはもともと別の研究室にいた。研究内容は良かったけど、かなりいい加減な先生なので修士レベルの研究をこの研究室で行うことに不安を感じ今所属してる研究室に変えた。
修士での指導教授は学部時代とはうってかわって厳しい先生だったが、学生への指導もきっちり行ってくれる人だった。
そんな先生から与えられた最初の研究テーマは最先端といえるもので私自身もやりがいを感じ、この研究室に来てよかったと思った。
おかしくなりはじめたのはM1の6月あたりから。つまるところ研究がはやくも進まなくなった。
進まなくなった理由は単純で「私が先生にあまり質問しなかった」からである。
けっこう最先端のことをやっているのだから、当然わからないところが出てくる。しかも「何が分からないのかわからない」という状態に陥った。けどやはり院生たるもの「何が分からないのかわからない」なんてことは言えないし、精一杯自分で調べようとした。その結果、どんどん質問できなくなるという悪循環に陥っていき、進捗報告とかもあんまりしなくなっていった。というかそもそも報告できる内容とかもあんまりなかったような気がする。ちょうどid:next49さんが書かれていたエントリーである卒業研究・修士研究時の悪循環を防ごう - 発声練習 に出てきた学生と同じような状況だった(さすがにうつ病とかにはならなかったけど)。このエントリーを読んだ当初は大した感想を持たなかったが、こんな状況に陥ったときに読むと「これ俺じゃん・・・」とかめちゃくちゃ思うようになった。
もちろん先生からは質問を積極的にするように、進捗報告をするように、自分で設定した締切は守るようにということを言われ続けた。でも結局、結果が出てないことから来る厳しい先生への恐怖とか自分のクソみたいな院生としてのプライドとかで状況は全く好転せず、ついにM1の11月あたりに先生から「テーマを変えよう」「今のテーマのままで2年で修了させる自信が私にはない」と言われ強制的にテーマを変更させられた。この時点で大学院での研究におけるやる気みたいなのは完全に失っていた。
そんな感じなのでテーマを変えさせられてからも状況は同じで、分からないところがあっても質問しない(どこを質問したらいいか分からない)→とにかく自分で調べる→やっぱり分からない→進捗報告も、この日までここまでやると自分で決めた締切を守ることも疎かにするということを繰り返した。そうして研究も修論も時間不足になり、とうとう書き上げた修論の修正は全て先生にやってもらう、という状況になった(「修論発表準備も予稿作成もしなきゃならんのに、修論修正まで君1人でやるのは不可能」と言われた)。
大学院に入る前まで特に先生に質問をしたという記憶があまりない。分からないところがあっても問題集の解答や解説を読めば理解できたし、大学の授業や単位とかでも困ったことはなかった。でも大学院ではそんなやり方は通用しなかった。そういえば小学生の頃からゲームとかでも困ったら自分で考えようとせずすぐに攻略本を見るタイプだった。
これから大学院に入る人へアドバイスする資格など私にはないと承知しているが、ぜひとも「質問する力」を身につけていって欲しい。私にはそれができなかった。
工学系の学生は修士まで進学することが一般的となり、毎年多くの修士号を持つ人たちが大学から巣立っていく。けど私は多くの人たちみたいに普通に研究を進め、普通に学会発表などをこなし、普通に修論を書き、普通に修論の修正をして仕上げるということができなかった。私のような普通以下の劣った人間が大学院に進んだことが間違いだったのかもしれない。
そもそも大学院に進学した理由は興味のある研究テーマに取り組んで、学会発表や投稿論文をこなすというサイクルを経験してみたかったからだ。しかしその学会発表も投稿論文も自分の力だけではできなかった。結局、投稿論文は全部先生が私の名前で書き、私の知らない間に投稿していた(私の大学院では修士の修了案件として学会発表か投稿論文のどちらか最低1つをこなさなければならない)。
それを知ったときは私は今まで何やってたんだろうと本気でみじめで情けない気持ちになった。同時に先生にも申し訳なかった。
私の大学院での2年間はこのように指導教授である先生に迷惑をかけてばかりだった。厳しい先生だったが同時に学生のことを常に気をかけてくれる人だった。研究テーマ変えられてやる気なくして中退しようとしたときは「アテがあるのならいいが、ないなら中退しないほうがいい」「一度レールが外れるとこの日本社会で修正するのは難しい」と説得してくれた。研究以外では、就活でも助けてもらった。私が就活で苦戦してるのを見て履歴書やエントリーシートを添削し、面接の練習に付き合い、気合の入った(おそらく盛りまくりであろう)推薦書を書いてくれたおかげで5月上旬に内定をもらえた。先生がいなければもっと就活は長引いていただろう。
春から企業でエンジニアとして働く。もう助けてくれる先生はどこにもいない。また大学院の2年間と同じようなことを企業で繰り返すかもしれないという恐怖がある。
指導者(教授、准教授など)が社会が求める研究テーマをもつ研究室(組織)を立ち上げる。
一方で、学生はお金を払って研究環境を使わせてもらい、それぞれの研究を行う。
個人的にはそのような身分の学生が研究室の方向性に意見をするべきでないと思う。
というのは、学生は自分の人生の目標を達成するための道具として研究室を選んでいるのであり、
もし研究室の方針が合わなければやめればいいじゃんと思うからだ。
人生の目標が小さな紙を切ることであったとして、研究室は紙を切るための大きな鋏ってところだと思う。
私は、自分(修士学生)は独自の研究テーマを考え、それについて研究して修士号を得ることが
だが、研究室の方針は指導者が研究したい研究を学生に押し付け(博士は別だが)、やることを次々と押し付けるようなスタイルであった。
日々、朝から次の日の明け方まで奴隷のように研究室にいなければならなかった。
個人的にはこれは研究ではなく、ただの作業だと思うようになり、退学を決意した。
自分では入学前の自分と研究室の関係は、紙と鋏の関係だと思っていたものが
紙を切りたいのにただトンカチで叩いているだけであり、無意味な時間だと感じていた。
今のところは、このまま家の都合とか適当な(指導者が干渉しずらい)理由をつけて退学する予定だが、
果たしてこれでいいのだろうか。
仮に自分が指導者に今のスタイルはおかしいとほざいた所で、研究室は学生個人では
到底把握できないような世界から評価されていて、いうだけ無駄なのであろうか。
学生が研究室に対して(一人では解消できないような)問題を持っている場合、研究室の方針を変えてでも(変える可能性があったとしても)なにか言うべきなのだろうか・