2013-01-16

大学は誰のものか?

大学税金をもらって研究する研究機関であり、

大学存在意義の一つは社会が求める研究を行うことだろう。

指導者(教授准教授など)が社会が求める研究テーマをもつ研究室(組織)を立ち上げる。

一方で、学生お金を払って研究環境を使わせてもらい、それぞれの研究を行う。

個人的にはそのような身分の学生研究室方向性意見をするべきでないと思う。

というのは、学生自分人生目標を達成するための道具として研究室を選んでいるのであり、

もし研究室の方針が合わなければやめればいいじゃんと思うからだ。

人生目標が小さな紙を切ることであったとして、研究室は紙を切るための大きな鋏ってところだと思う。

私は、自分(修士学生)は独自の研究テーマを考え、それについて研究して修士号を得ることが

人生でなにかの役に立つだろうと思い、大学院に進学した。

だが、研究室の方針は指導者研究したい研究学生押し付け(博士は別だが)、やることを次々と押し付けるようなスタイルであった。

日々、朝から次の日の明け方まで奴隷のように研究室にいなければならなかった。

個人的にはこれは研究ではなく、ただの作業だと思うようになり、退学を決意した。

自分では入学前の自分研究室関係は、紙と鋏の関係だと思っていたもの

実際では研究室役割は鋏ではなくトンカチであり、

紙を切りたいのにただトンカチで叩いているだけであり、無意味時間だと感じていた。

今のところは、このまま家の都合とか適当な(指導者が干渉しずらい)理由をつけて退学する予定だが、

果たしてこれでいいのだろうか。

仮に自分指導者に今のスタイルおかしいとほざいた所で、研究室学生個人では

到底把握できないような世界から評価されていて、いうだけ無駄なのであろうか。

学生研究室に対して(一人では解消できないような)問題を持っている場合研究室の方針を変えてでも(変える可能性があったとしても)なにか言うべきなのだろうか・

  • 国立大学は国のものである。 だから、研究室のやり方に文句があれば、文部科学省に通告するのが筋なのかもしれない。 私立大学も同様に文部科学省への通告で良いと思うが、 私立大...

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