はてなキーワード: グラビアとは
バンドマンもお笑い芸人も女より男に評価されたがっているような気がする。
世間も、女ファンが多いバンドや芸人を見下して、男ファンが多いバンドや芸人を「本物」扱いしてる気がする。
でもそれは己の差別心がそう感じさせているのかもしれない。
あるいは認知が歪んでるってやつか。そうなってたら指摘してほしい。
彼氏に連れられて売れてないバンドの弾き語りライブに行った。普通のロキノン系バンドだった。正直私はあまり興味なかったが付き合いでついていった。
客は全部で10人。彼氏以外全員女だった。最前には常連っぽい妙齢の女性がいて曲聞いて泣いたりしてた。
一言二言で交代していたのですぐに順番は回ってきた。
彼氏を見たボーカルは「今日は彼女さんの付き添いですか?え、彼氏さんが来たいって言って来てくれたんですか?
本当に?ありがとうございます!男の人が来てくれるのが一番うれしい。また是非来てください!!」とその日一番のテンションで語りだした。
おいおい、ぽっと出の男を男ってだけで有難がってないで、常連の女の人にももっと感謝してやれよ。と思った。
「男ってだけで歓迎されていいね」と彼氏に言ったら嫌な顔された。
他にも、音楽が好きでライブによく行ってると言えば、知り合いの男に「追っかけとかしてるの?目が合って喜んじゃったりwww??」
とバカにされたように言われて腹が立ったことがある。私が男ならこんな反応されないはずだ。
彼氏に話したら「追っかけとかの楽しみ方が悪ってわけじゃないけどね。」と言われた。
バカにされたって感じる方が一部の女性をバカにしてるってことか?
お笑いに関して。
気に入って聞いてた芸人のラジオでは事あるごとに「俺らは女人気ないからなあ!」と言っていた。
芸人はよく「俺たちは女人気がない」と嬉しそうに言う。自虐のつもりだろうが嬉しさがあふれ出ている(個人の感じ方です)
ちなみに「俺たちは女人気ない、ライブも男ばっかり!」と語る芸人のライブに行ったことあるが7割女だった。
一般的なお笑いライブは8~10割女であることが殆どなので、男が多い方ではあるが、なんであんな馬鹿みたいに強調してたんだろと思った。
もう一つ。これはホカホカの話題。
https://news.yahoo.co.jp/articles/c348ba64f7cc05ae70fb383bf23b2826be5d3d2a
記事を読んで吐き気がした。とんでもないネガキャン記事だと思った。
ファンは大激怒だろうとtwitterで検索したが、案外好意的だった。
ネタ中の発言に対して歓声なんか上がってなかったと、事実と異なる点を否定してる人はいた。
私の受け取り方がおかしいのか。
しかし、前述したようにお笑いライブなんてほとんど女が当たり前であるのにどうしてわざわざそれを記事にするのか。
「歓声が上がっていた」なんてわざわざ付け足して。そう考えるとやっぱり悪意なんじゃないかと思う。
でも女ファンが多いと書くことが悪意であると感じてしまうのは、私の差別心のせいなのだろうか。
ひとつ確かなのは、確実におばさんに評価されるよりおじさんに評価された方が表現者は喜ぶということ。
こういうのこそ男女差別ってやつじゃないの?でも根っこの部分の感じ方を、男女平等を武器に変えさせることなんてできないね。
確かにそうかもと素直に思った
異性からの支持は下心の可能性を感じるが、同性からの支持ならもっと純粋にその人の表現物に惚れ込んでいるんだろうと信じられる
でもさー趣味レベルのアマチュアならまだしも、そこそこの売れ方してるバンドや芸人って圧倒的に男が多いんだよなー
だから必然的に男のバンドや芸人のライブに行く機会が多くなる。あの辺りって全部男社会なんだよ。もちろんガールズバンドや女芸人のライブに行く機会もあるが、そこでは嫌な思いをしてないので本編には書いてない。
女芸人やガールズバンドがもっと増えますようにと祈るしかないんか
それかもっと作り手や発信者に女が多い界隈の趣味を増やすしかないんか
あと本人たちがそう思うのは仕方ないにしても、それとは別に世間の空気みたいなのはあると思うんだけどなぁ。
女の好きなものはくだらない、この良さは女には分からない、みたいな価値観
そんなことを感じるのも男社会が作り出す趣味ばっかり持ちすぎたせいかな
追記ばっかりする増田は嫌いなんだが、気になったから書かせてほしい。
男女の構成比の問題との意見は当初から多く、それに上記の通り納得もしてるのだが、例えば女アイドル界隈ではアイドルが全体の3割もいない女オタクを指して「うちらのファン女ばっかりw」って自虐風自慢をしてたり、男ファンが喜びそうな言動は「男ウケ狙っててダサいワーキャー向けアイドル」扱いされるんか?
そこまでなってて、やっと同じだと言えると思う。
ホリエモンさんがなぜ人気かというと、言説が洞察に満ちたものということがメインだが、
やはり視座が高く、分野が広範で、マス向けの対話であること、いうことではないだろうか
いっぽうひろゆきさんは視座が凡庸でひどく退屈であり、ほぼ炎上芸でアクセスを稼ぐスタイルである
前者が恒久的に万人に洞察を与えるのにたいし、後者はいわばプロレス芸であり、残るものがない
主目的として自分が得することを考えている人間とのちがいだろうか
あとはホモグラビアやったり収監されたり、キャラ自体が面白いというのもあるだろう
quick_past
誰かに消費されろと、迫られることと、自分のありかたを自分で決めるということが、どうして同じだと思うんだろうな。前からほんと不思議だわ。
bigapple11
性的消費されることなく好きな格好ができる社会を!ってのがフェミニズム。胸も下着も、女にとってはエロとなんの関係もない日常なんだよ。それがなぜかエロアイコンにされるから自衛の為に隠さないといけない。
ここでいう性的消費ってどういう意味なんだろ?「アイコンにされたから」ではなくてエロいんではなくて、男の性欲があるから女体をエロいと感じるのであって、
別にこの世からグラビアポスターがなくなっても萌え絵がなくなっても、何も変わらないんじゃないの?
つまりは「男は性欲をなくせ」って主張している?あと何が「消費」されてるの?
グラドルとしては中堅クラス上位くらいの人気かなと思いますが、豊満な肉体と知性的な笑顔が魅力的なタレントさんです。
彼女には、意外な、と言っては失礼かもしれませんが、ある趣味があります。
それが、模型。
彼女のYouTubeチャンネルは、彼女が胸の谷間もあらわに模型を制作するコンテンツが人気です。
そう言うと、「はいはい、立派なのはおっぱいだけで内容のほうはお粗末な例のタイプね」と思うかもしれませんが、いえいえ、なかなかどうして、内容の方もずいぶんしっかりしたものだと思います。わかりませんけど。と言いますのもわたくしプラモデル界隈には疎くて、うっかりと「この子はスゲー」などとは申し上げらませんもので。
で、まあ、ここまでは前置きなんです。長くてすみません。
グラドルとして東雲うみサンが好きな人は、彼女がちまちまプラモデルを作っている動画を見ても、あまり感銘は受けないと思います。
そんな動画を撮影してるヒマがあったらもう一枚か二枚服を脱げと思う人がほとんどでしょう。本業のグラビア作品では、胸の開いたニットなんかよりももっとずっとセクシーな格好をしているわけですからね。
しかし今日わたくしは、東雲うみサンの本業のグラビア動画を鑑賞していて、自分が名状しがたい興奮を覚えていることに気づいたんです。
そうです。純粋に模型作りのプロセスを楽しむ目的で東雲うみサンのYouTube動画を見ているうちに、いつの間にか私の中で東雲うみサンは「グラマーな女性モデラー」という位置づけになってしまっていたのです。
本業グラビアでの東雲うみサンは、およそ「グラマーな女性モデラー」がカメラの前ですべきでないような、まあ、あられもないと言いますか、えー、きわどい肢体表現を、その、なさっているわけです。
もちろん、中堅グラドルとしては過激すぎも穏便すぎもせず、商業的にバランスの取れた演出や露出なのですが、「模型のお姉さん」という目で見るといささか過激すぎるのです。激しすぎることを過激と言うのですから「過激すぎる」は重複表現なのかもしれませんが、そんなことは気にしておりません。
なるほど、こういう楽しみ方があったのか、と膝を叩く思いでございました。すべては見る側の気の持ちようなのだと。
というつまらない報告でしたが、わたくし個人のちょっとした心の機微をどこでもいいから書き留めておきたく、拙文をしたためた次第です。
失礼しました。
pic.twitter.com/USmFq9HDNM— 花噎菜 (@huayecai820) November 4, 2021
女子学生が着る典型的なセーラー服の制服に、黒のオーバーニーソックス。ただし服を着ている当人の身体は透明になっていて、見えない。
注目すべきは被写体を見上げるアングルだ。アーティストはこの絵を描くときに自撮りでもグラビア撮影でもありえない角度を選択した。女子生徒は下から見上げられているのにも関わずスカートを押さえていないところから、これは盗撮的視点を表しているとわかる。
だが性的な意図を持って窃視しているのに、見上げる目は女子本人はとらえていない。眼に映るのは記号的に画一化された制服一式のみ。
「誰かが女子児童を性的にみるとき、対象が女子学生だということだけが真に意味を持つのであって、彼女自身の人格などは見ない」 ——ということを描いているのだと思う。そうした在り方を風刺しているかまでは判断できない。いずれにせよ、見事なアートだ。
ロシアの学校でブルマーが使われていたかどうか調べてきたが、はっきりとした結果は得られなかった。確かに、それらしい写真がないわけではないのだが、提灯ブルマーなのかショーツ型ブルマーなのか短パンなのか確認できない。おそらく混在しているし、時代による変遷があった可能性もある。
加えて、ブルマーを指す言葉がみつからない。ロシアの制服の歴史に関しては、ロシア語版のウィキペディアにしっかりとまとめられているのだが、体操着についてはなぜか言及がない。
ロシアの体育の歴史についてはこちらが詳しい。すまないが、ブルマーについて触れられていなかったので、翻訳するのが面倒だ。
ttps://www.rbth.com/history/331873-physical-education-in-soviet-schools
【写真は以下の通り】
ttps://sportkomanda.com/2020/05/01/uchitel-fizkultury-iz-80-h-kak-eto-bylo/
ttps://www.vogue.ru/gallery/kak-zanimalis-sportom-v-sssr?image=5f89d346feae6219bb140cf2
ttps://sputnik.by/20200614/fizkultura-v-sssr-redkie-foto-iz-arhiva-1950-1980-1037033196.html
ttps://skaramanga-1972.livejournal.com/526385.html
ttps://ru.fenikssfun.com/kartinki/lyubimyy-urok-vremen-sssr-fizkultura-kak-eto-bylo-1863
ttps://www.sports.ru/tribuna/blogs/teoretik/824953.html
ttps://samsmu.ru/chairs/physical-education/
ttps://ria.ru/20151031/1308500404.html
そんななか、比較的鮮明にショーツ型ブルマーと確認できる画像が見つかった。
しかし、タイトルである「Девочка Купальник Физкультура в школе 1973 Дети Гимнастика (2 кл)」を翻訳すると、「少女レオタード学校での体育1973年児童体操(2年生)」となる。どう見てもブルマーなのに、レオタードと出てくる。また、試みに「レオタード」となっている「Купальник」で検索すると、なぜか水着ばかりヒットする。
ロシア語ウィキペディアの「Купальникのページも、水着について書いてあるようだ。
https://ru.wikipedia.org/wiki/%D0%9A%D1%83%D0%BF%D0%B0%D0%BB%D1%8C%D0%BD%D0%B8%D0%BA」
しかし、上の方を見ると「Купальник (спортивный)」というリンクがある。ここに飛んでみると、レオタードに関する画像が出てくる。
https://ru.wikipedia.org/wiki/%D0%9A%D1%83%D0%BF%D0%B0%D0%BB%D1%8C%D0%BD%D0%B8%D0%BA_(%D1%81%D0%BF%D0%BE%D1%80%D1%82%D0%B8%D0%B2%D0%BD%D1%8B%D0%B9)
結論。ロシア語ではレオタードと水着は同義語。また、人によってはレオタードとブルマーを区別していない。少なくとも体操着の総称として使っている(?)。
ロシアのブルマーについては結局ほとんどわからなかったが、このちょっとした雑学が得られただけでも、よしとしたい。
さて、いろいろとブルマーについて検索してきたが、思わぬ弊害が生じてきた。気がつくと、無意識にツイッターやグーグルで「ブルマ」と検索しているのである。そればかりではない。検索結果には幼い子供の写真が含まれているせいか、ストライクゾーンの年齢がどんどん下がっていくのである。危険を感じたため、一旦ブルマーに関する調査はここで切り上げる。今回の調査がちゃらんぽらんなのはそのためだ。
自分が学生の時に同級生のブルマーで欲情するならともかく、十八歳未満の女性に執着するのはなんだか嫌だ。
そんななかで、なんとなく「おっぱい」と画像検索したのだが、その中で巨乳の女性が縄で縛られ、胸を強調した姿のまま笑顔を見せているのを見て、思わずときめいてしまった。ひょっとしたら自分は新しい性癖を開花させてしまったのではないか、と思う。もともとほっそりしたおっぱいの小さな女性が好みだったのだが、おっぱいが大きい女性もきれいだと感じた。
あと、最近はちょっとグラビアに興味が出始めている。思春期にグラビアの出ている漫画雑誌を恥ずかしくて買えず、しかも、グラビアアイドルなんてみんな同じようなエッチなお姉さんだと思い込んで、反発していた。
けれども、最近ツイッターで仲村まひろという女性が、バトントワリングをしている姿を見て、素直にかっこいいと思ってしまった。一芸に秀でていて、目標をもった個人として初めてグラビアアイドルを見た瞬間だった。アイドルとか全然興味なかったけど、頑張っている人を見るのはいいものだと、この年にしてやっとわかった。
それと九条ねぎという女性も気になっている。以前行きつけにしていたバニーガールバーLOFT101の看板モデルを務めていることで知ったのである。このお店はリーズナブルなのでおすすめだ。何を言ってるんでしょうね、我ながら。でも、久しぶりに行きたくなってしまった。
ブルマーについてはしばらくお休み。今後は文体を変えた僕と増田のどこかですれ違うことでしょう。
またどこかで会いましょう。
取り急ぎ追記するが、排除とか多様性とか言っている人がいるが、では職場や居酒屋から水着のグラビアポスターがなぜなくなったのか教えてもらいたい。あれははてブでもセクハラだとして、なくなったことを喜ぶ声が大半だった筈だ。
さらには「私作る人、僕食べる人」以降、「ブレンディ 卒牛式」「志布志市 うな子」「サントリー コックゥ~ん!」「アフロヘア黒人女性 ツヤッツヤのサラッサラになりたい」「リカちゃん 個人情報暴露」など不適切として取り消された広告はいくつもあるのだが、それらは一切取り消す必要はなかったという認識で良いだろうか。もちろん今回の「仕事は、楽しみですか」も含む
それら全てが、本件とは全く問題が異なる事例ですね。(これらはこれらで個別に論点が異なりますが。)
私はこれらに全く興味が無いので、肯定的でも否定的でも、そちらは勝手に論じてくれれば良いと思います。
フィクトセクシュアルという言葉が社会学の論文に現れるようになったのも最近の話ですし、フィクションやキャラクターを性的対象としたり、イラスト・創作表現やアバターを介してファッションやジェンダー・エクスプレッションを表現する人々が確かに存在するということが発見されたのは、つい最近のことなんですよね。
それまでの間、私たちの存在はずっと周縁化され続けてきたわけです。対人性愛者の、対人性愛者による、対人性愛者のための論理によって、一方的かつ不当に断罪され続けてきたわけです。
私はフィクトセクシュアルですが、私にとって「私はフィクトセクシュアルである」というアイデンティティの中心は、「二次元キャラクターを性的対象としている」ことよりも、むしろ「人間を性的対象としない」ところにあります。空想のキャラクターを人間の人格と同様、あるいはそこに紐付ける論理、バーチャルなアバターを物理的な身体と同様、あるいはそこに紐付ける論理は、対人性愛を自明視した論理でしかありません。私たちは、キャラクターがキャラクターだから性的対象とできるし、アバターがアバターだからファッションとして消費できるのです。あなた方対人性愛者とは、全く異なる常識、文化圏に生きていることをまずは認めてください。「私たちの論理」を尊重してください。
そして、「私たちの論理」は、必ずしも、私のように対人性愛を一切持たないフィクトセクシュアルのみが共有しているものでもないでしょう。セクシュアリティはスペクトラム状の広がりを持ちます。実際のところ、譬えばバイセクシュアルのように、対人性愛と二次元性愛を両立させている人が大半でしょう。しかし、彼らがキャラクターやアバターを消費する時もまた、「私たちの論理」に即した消費が行われているように私には見えます。対人性愛者の論理と、「私たちの論理」が、ある程度適切に使い分けられているように見えます。(完全に無垢無謬とまでは言いませんが。)
あの程度の表現が、許容できないほどに「性犯罪を誘発する」「ジェンダーバイアスを強化する」と言うならば、「異性と結婚する」ことや「自身のジェンダー・アイデンティティに一致する服装・メイク」などの方が、よほど「性犯罪を誘発」し「ジェンダーバイアスを強化」するでしょう。このようなミラーリングは、先程述べたようなスペクトラムにいる人々にも受け入れ難いもののようですが。
対人性愛者の論理と、「私たちの論理」の使い分けは、時に未熟なこともあるかもしれません。だからと言って、その責任を私たちに押し付けるのはいい加減やめてください。「対人性愛者の論理に一括すれば、問題は起こらない」と、民族浄化しようとするのをやめてください。「私たちの論理」に一括するのではいけないのですか?野蛮で危険な対人性愛を一刻も早く卒業して、誰もがキャラクターのみをパートナーとし、誰もがアバターのみで自己表現を行うようになればいいと私は思います。「(俺たちの)常識に合わせろ」と言うなら、逆に、「私たちの常識」に合わせてくれてもよいのではないですか?