はてなキーワード: オーバーニーとは
その日、ぼくは普段飲めない酒をたらふく飲み、フラフラの足を引きずって帰宅した。会社で嫌なことが有ったから飲みすぎたのだ。道中では意識が朦朧としていたが、家に着くころには大分マシになっていた。
自室のイスに座ったとき、ふと考えが思い浮かんだ
「パッとヌイいて寝よう」
そう思ってPCのスイッチをいれた。何気ないこの思いつきが、後々大きな後悔を引き起こすとは知るよしもなかった。僕の意識はハッキリしていたと思い込んでいたが、判断能力なんてなかったのだ。
一体、どうしてアノ動画にたどりついたのか、それは今となっては分からない。その動画の中では、顔は映されず、ちょこんと女の子座りしていた。首から下は制服に身を包み、腕から下は黒くピッチリした手袋を身につけていた。なにかのコスプレなのだろうか。そんなことに頭を巡らす余裕もなく、血走った僕の瞳は性的興奮を求めて画面を凝視し続けた。画面の中のその人は、こちらに向けて手を振った。その仕草が実に控えめで、可愛かった。そして、手を振ったその手で、スカートをたくし上げる。黒いオーバーニーソの先には、純白の太股があった。いいぞ、これだ、良い動画を見つけたという気持ちで一杯になった次の瞬間、僕は画面の中に驚くべきモノを見たのだ。
真っ赤で、テカテカテカで、今にも破裂しそうな...肉の、棒...
手袋を纏った繊細な手は、そっと彼自身の竿に触れる。その手は、あるときはまとわり付くようにネットリと、あるいはシュコシュコと勢いよく、棒を刺激しつづける。僕は気づくと、画面の中で起こっていることと同じ動作に耽っていた。いや、それとは比べられないほどに激しく手を上下させた。画面の中で起こっていることを見ながら、僕は「自分のキモチイイところを知っているのは自分自身なんだなぁ」という言葉をしみじみと噛み締めて納得した。画面の中では、手の動きが速くなって一瞬、躰がこわばった。そして、黒い手袋の指先に白濁してドロドロとした粘液が滴り落ちていた。次の瞬間、僕の躰にもまったく同じ変化がおきた、ティッシュを取る手は間に合わなかった。
「はぁ...はぁ...はぁ」
不快な頭痛で目が覚める。朝だ。ふと、昨晩のことを思い出す。「とんでもないモノをオカズにしてしまった」と言う後悔と罪悪感が身体を襲う。あれは夢だったんじゃないか、そう思って視線をPCの方へ向けると、そこには白く液体の飛び散った跡が目につく。夢じゃない、現実だ。
あの日以来、僕はホモなんじゃないかという迷いは消えない...
アレは、事故だったんだ。僕は、ホモじゃない、断じてホモじゃない。
ぜんぶ ミラーニューロンのせいだ
増田です。「おびき寄せる」に笑いました。
たしかに偶然の「結果」という部分もあります。ですが、それ以前に、そもそも素敵な服には最初から「モテ」や「萌え」の歴史が刻印されていることも多いのです。そういう服を着ておきながら、「私だけモテの文脈から勝手に降りちゃうぜ」と言うのは論理上、不可能であるよと言いたいのです。
もちろん、フェイクオーバーニーソックスは、男性からの「萌え」の視線をある程度まで無効化してくれます。しかしそれでもなお、フェイクオー(以下略)というアイテムの歴史性や政治性が消去されたとは思えないのですよ。一つ言えるのは、「萌えないニーソなんてクソ」とか言ってる男性はアホだし無視すべきだということです。それと同じで「顔や体型が××な女は△△の服を着るな」とか言うのもアウトです。
逆に、「嫌われることを意図する」というのは、
すみません、言葉が足りませんでした。私が想定したのは、自分が好きになった服が「偶然」にも「すべての異性から嫌われるファッション」であった人たちです。たとえば、ゴスロリやきゃりーぱみゅぱみゅ的な。それらは「90%の異性から嫌われるファッション」ってところでしょうか。異性や社会を敵に回してでも、自分のファッションを貫く覚悟をもった人たちは、かっこいいです。
ミニスカートと膝より長いオーバーニーソックスの間に生じる地肌の部分を指す言葉だ
もちろん、最初に雑誌やニュースサイトが新語、流行語として紹介した時ネットの住人達は
「何ソレ?」「聞いたことねぇ」「誰がそんな言葉で呼ぶかよw」という反応をした
他に呼び名が無かったからだ
メディアの強みの1つに、誰も使ってなかったor一部の人しか使っていなかった言葉を大衆語にするというものがあると思う
だから、それらの言葉もお前が作ってしまえ。そして草の根的に広めるといい
増田でしか通用しない横文字とか(認知度が低いだけの既存の言葉だとしても)いっぱいあるし、それに紛れ込めるかもしれん
そしてそれが世間一般にも通じる事となったら、少し、楽しい
超極私的なアイドルみたいになってて面白い。
JCやJKとセックスしたいという願望と、JCとJKのチヤホヤされたい承認欲求が渾然一体となっていて、まるで小さなはてな村のようだ。
ちゃんと踊り手はブログやネトラジなんかやってて、固定ファンみたいのがいるのね。おじさん知らなかったよ。
はてな村って言うのが違うのならば、はてな丁というのが正しいのか? オナペットCGMみたいな。アタシ踊ってみた、みたいな。
ブログ読んでて、「今日は男女混合でカラオケ行った」とか書かれていると、身悶えしそうな嫉妬に苛まれてしまう。バカみたいというかキモい反応なんだけど。
判で押したように、オーバーニーソックス履いているのもなんか面白い。なんで?
しかし踊ってみたの画面を見続けている内に、そこに、JCやJKに対する確かな羨望と欲望が自分自身の内に生まれる事も確かだ。20代のこの俺の胸の内に。
これは不思議な感覚だ。自分自身が少女のように羨望されたい、少女自体になりたいと言う欲望と、少女自体を手に入れたい、という願望。ふたなりものの同人誌なんかは、そいう願望に即したものなのかもしれない。別にあれで抜けるわけではないのだけど。
歳を取って、割と素直に欲望を表現できるようになったので、今の精神状態で中学生とかに戻れたらなあ。絶対クラスの地味で可愛い女の子とセックスする為にあらゆる手段を使うはずだ。全国の男子中学生が羨ましいよ。俺が今、若い人にアドヴァイスするならば「クラスの女の子とセックスする為に全力を尽くしなさい」だろう。こんな大人嫌だろうけど。それが正直な感想。純愛とかは大人になっても楽しめますから。なんか喪男的な事言ってるような気がしてきた……
しかしこの、若さを礼讃するような日本人男性の心理状況ってどうにかならないもんだろうか、と我がごとながら思ったりもする。
■追記
一部ブクマ指摘を受けて題名を変更しました。
書き手としては特に何かを貶める意図もありませんし、価値判断を行うものでもないですし、道徳的・倫理的に是非を問うているわけでもないです。特に、ニコニコ「踊ってみた」を本当に心の底から「踊り」として提供し、それを享受し、一緒になって楽しんでいる人を貶める意図はありません。
単に、現象として、ニコニコの若年女性の「踊ってみた」界隈において、承認欲求と性欲が循環してプチアイドルコミュニティ化(オナペットCGM化、はてな化)してるように見えるってのと、意外とそういうのに乗って楽しんでしまう(若さを羨望してしまう)自分がいて意外だ、程度の四方山話です。