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2017-07-09

彼岸

肉、狩人生姜左遷

粗、隣家

花、、、、焦土、

胡椒、嘴、氷(菓子)

2017-07-05

あんちょこの由来

今日、初めて知ったんだけど「あんちょこ」って「餡子」と「チョコレート」の略で、どちらも手順や分量をしっかり守って作らないと失敗しやすいため菓子職人見習いポケットに忍ばせていた紙切れが語源ではない。

2017-06-28

もう少し楽に生きられるようになりたい

 

 

 やっぱりあれだ、生きづらい。

 

 昔から死ぬことなんて一度も考えたことがない、とは言わない。

 小学4年のときクラス女子からいじめられて、机に「死ぬ」「死なない」なんてあみだくじを作ったことがある。中学2年のとき友人と口論をして、教室の窓から身を乗り出し、飛び降りようとしたことがある。

 でも、どちらも本気じゃなかった。その考えはすぐに放棄できた。生きたかったし、死ぬのは怖かった。

 

 それに比べ、ここ3年くらいの死にたさはやっぱり異常だ。

 ほぼ毎日死ぬことを考えている。以前は何年かおきに一度「ふと頭によぎる」程度であったのに。

 それに、とても具体的に考える。未遂だって何度もしている。いつ実行してもおかしくはない。

 死のうとしていなかったときの私を思い出す。通学や入浴や起床などに対し、やらないと…なんて葛藤とともに行っていたことなどない。ごく当たり前に当たり前のことができていた。生きること自体には、困難なことなど皆無だった。

 

 最近、以前に増して「やばい」と思うのは、無気力に死のうとしていることだ。

 あまり深く考えていない。死にたくて、もがき苦しむエネルギーもない。生きたくない。もう十分だ。死んでもいいかな…。

 考えが綿菓子みたいに軽い。希死念慮なのに、軽い。

 

 通院が苦手だ。

 中学3年の時にホルモン系の持病が発覚した。原因はストレスらしい。幸いにも生活で困ることはそれほど多くない。寝るときの呼吸が浅くて、パートナーとの会話のネタになる程度だ。

 実家にいたときは、親が病院の予約をしてくれた。当日、私は車に乗りさえすれば、通院は完了していた。まったく苦ではなかった。

 

 しかし、大学入学を機に一人暮らしを始めて2年、発病時よりも数値が荒れた。それまで3か月に一度通っていた病院に、2年もの間全く訪問しなかったのだから当たり前だ。

 実際、当時はとても生きづらかった。必死に死のうとしていた。何度も自殺未遂自傷を行って周囲に迷惑をかけていた。結果、一人暮らし不可能判断された。

 

 病院の近所に引っ越して3年が経った。指示された時期よりも訪問が遅くなることはしばしばあった。しかし、通院は続けられていた。

 なにより、相性のいい主治医出会えた。数年かけて、先生とは近況報告をするほど距離が縮まった。

 精神面はある程度回復した。自殺未遂自傷も止めた。社会復帰もした。以前よりはうまく自己を調整できるようになった。

 

 ところが先日、病院の予約をしようと思ったら主治医名前がない。ホームページには彼女退職したとのお知らせが掲載されていた。

 ここ半年就活などでバタバタしていた。指定された通院時期の2倍近くも遅れて予約をとろうとしたのだから主治医は悪くない。適切な時期に訪問していれば、次の医師に引き継いでもらうこともできただろう。

 

 通院する気が消滅してしまった。

 そもそももう7,8年も通院して、未だ同じ薬を服薬し続けている。一回の診療に一万円弱の出費がかさむ。

 次の予約時に指定できる数人の医師のことを私は一切知らない。また一から主治医との関係を築くことから始めなければならない。

 発病時、一生ものの病とは聞いていた。しかし、もう闘う気力がない。

 

 持病についても深刻だが、心のほうも深刻だ。

 一人暮らしをしていたとき自力精神科に通っていたことがほんの数か月間だけある。

 当時は今にも増して酷い状態だった。自殺未遂自傷もそうだが、睡眠食事にまで弊害がでてきた。あまりにも生きづらいので助けられたかった。一度受診してみれば生きづらさは劇的に回復するイメージがあった。

 

 お分かりの通り結果は悲惨だった。

 精神科複数回通うことが必須だ。一度の通院で、病名の診断と、的確な投薬が可能なわけがない。薬には調整が必要である。それに、じっくりと対話を重ねて、医師に己を伝えなければならない。

 しかし、私は通院を止めた。薬が合わなかったから。医師が合わなかったから。お金がなかったから。面倒だったから。予約を忘れてしまうから。劇的に生活は変わらなかったから。

 

 当時は、強制的に何もしなくていい時期を作ってひとまず危機を脱した。

 しかし、今度は金銭的にも時期的にも、同じ手は使えない。

 

 もう少し楽に生きられるようになりたい。それだけだ。

 何も今更すごい成果をあげたいとか、そのためにすごい人になりたいとか、そんな贅沢は言わない。

 ただ、学校部活習い事や遊びに、なんの躓きもなく、最低「行くこと」くらいはできていた私に戻りたい。

 生きたいと思いたい。楽しいことをしたいと思いたい。死にたいと思いたくない。

 

 

2017-06-20

https://anond.hatelabo.jp/20170620180928

断言できるが説明なんて出来ないよ。「ダメものダメ」式の説教だろ。

元のトピックを見てみると「微量のアルコールが含まれいるから」がまだまともな理屈だけど、奴らは差し入れ洋酒入り菓子は平気で食べるからな。

https://anond.hatelabo.jp/20170620084444

攻殻AKIRA・沙耶って「誰もが認める」じゃなくて「マニアも唸る」という感じで、大衆向けにはジブリAIRには劣るでしょ。

そういうマニア受けの良いラノベということなイリヤ砂糖菓子・AYNIK・クオリアヴァンサマあたりじゃないか

2017-06-14

トライフルと言うイギリス菓子

手間無しおもてなし菓子として紹介されていた。

まずシロップを作り三種の冷凍ベリーを入れて一晩冷蔵庫で寝かす、シロップに溶かしたゼラチンを混ぜ、ベリーと一緒にガラス容器に入れて固める、スポンジを焼いてラズベリージャムを塗り四枚重ね冷凍、固まったら薄く切って断面が綺麗に見えるようにガラス貼付けるようにベリーゼリーの上に並べる、その上からカスタードクリームを注いで、またスポンジを並べカスタードクリームさらに注ぐ、その上から固めに作った生クリームデコレーションしてイチゴを並べる。

どこが手間無しやねん!!!

手間無しをなめとんのか!!!

2017-06-02

http://anond.hatelabo.jp/20170602004949

日本食べ物はうますぎるし、クオリティも高すぎる。

それも、安いもの〜高級なものまで隙間なく幅広く揃っている上、全てのレンジうまい

スーパーで売ってる菓子レベルですでにレベルが高い上に、異様に安い。

日本国外食べ物だとそうはいかない。

何が言いたいかというと、そのうまくない食い物が、むしろ世界標準に近いということです。

2017-05-31

SEIYUのレシート

めちゃくちゃ早起きしてしまった。

仕事休みだし、昼過ぎまで寝る所存だったけれども、目はパッチリだった。

そうだそうだ、お散歩ついでに買い物しちゃおう!

と思いついたのはいいけど、いつものローカルスーパーは9時から。さすがに朝の5時からやってるとこは、24h営業してる西友しかないので、恐る恐るデビューした。

なんで西友いかなかったかっていうと、ちょっと遠い。歩いて10分か、20分かの違いが、結構大きい。(田舎住みです、、)ウォーキングに勤しむ老夫婦挨拶しながら、車の少ない道を歩いた。結構疲れた

やっとこついた。人がいない!当然?とりあえずいつも買ってるものをぽいぽいカゴに入れて、いつものスーパーじゃ見かけない輸入菓子ロマンを感じた。二回迷って…ぽいっと入れた。

広くていろんなものがあるスーパーは、あれこれ迷って疲れるのでいかないようにしていたけれど、たまに行くとこんなに楽しいんだ。浮かれた気分でカゴに色々入れてしまうのも怖いので早めに会計に向かった。

時間時間なので、品出しで店員さんが出払っていて、レジには誰もいない。どうしよーと思ってキョロキョロ。レジの方をよく見るとチャイムが置いてある。品出し邪魔するのやだな でもまあ客だしね!と思いながら、ピンポーン。店員さんが走って来た。そんなそんな、急いでないし歩いて来ていいよ!

そんなこんなで会計を終えて、お釣りレシートを受け取る。なんと!幅が広い!

かい

なんだか海外みたいでテンション上がる〜!!!!!!

また、早起きしたら行ってみよう!

こんなことだけでご機嫌の一人暮らし1年目であった…。

2017-05-26

送料は値上げしろしろ言うのにお菓子の実質値上げは絶対許されない

お菓子に関しては利益無視して客に提供し続けなければいけない

菓子屋が潰れようが潰れまいが従業員が路頭に迷おうが知ったことじゃない

何より大事なのが映画ゲームの共の確保だから

原材料の高騰も消費の落ち込みも我々にはまったく関係のないこと

2017-05-25

カール販売終了 中部地方以東 販売低迷で

菓子大手明治は25日、スナック菓子カール」の中部地方以東での販売を終了すると発表した。

8月で同地域向けの生産を終え、9月には店頭から姿を消す見通しだ。

滋賀県京都府奈良県和歌山県以西の西日本地域では「カールチーズあじ」「カールうすあじ」のみの販売となる。

俺は西日本からいいけど、

東日本人間、それでいいのか!?

2017-05-19

遠足おやつ300円の増田根拠金庫出す間ノン絵003艶億村絵(回文

遠足おやつ300円って

何が根拠なのかしらと思っちゃったわ。

私が実践してナイスだと我ながら思った作戦は、

チロルチョコ当時10円だったので、

30個買って、

友だちのおやつと交換するの。

そうすると元本をはるかに超える利回りだから

交換したおやつの総額が余裕で300円を超えちゃうのよね。

結構遠足おやつライフはかなり充実したものだったわ。

まあ、でも今思うと

おやつ300円の根拠って何だったのかしらね

クールビズエアコンの温度が28℃で根拠無かったように。

でも、

子どもながらに、

まりお菓子に興味が無かった渋い性格だったので、

もっぱら母ちゃんは果物とか持たせてくれてたわよ。

例のチート技。

果物は300円の枠に入らないから、

私の使わなかった300円の枠を取引するの。

先生に見つかったら怒られるから

もちろん、私が300円分買ったと言うことにしておくの。

子どもながらにこういうなんか分からないけど、

変な経済活動みたいなことってあるわよね。

牛乳のフタやシャーペンの芯が教室通貨になったり。

今思ったら特殊経済圏域ね。

うふふ。


今日朝ご飯

今日今日とてごろっとタマサンド

小林稔侍ばりに「具がデカイ」って言っちゃいそうな

ゆで玉子の具のデカさなんだけど、

こぼれないように上手に食べるのが難しいわ。

でも美味しいの。

デトックスウォーター

1個のレモンを6~8に縦に切って凍らしておく

清水冷凍レモンウォーター

使う前に皮をおろし金でこすって香りを少し出したり、

なかなかいいわよ。

冷凍レモン


すいすいすいようび~

今日も頑張りましょう!

2017-05-18

[] 山の呼び声

山の呼び声は、東京都青梅市吉川製菓製造する菓子

  

ホワイトチョコ小麦粉・卵・砂糖で練り焼き上げた生地サンドした焼き菓子

香ばしく、お茶コーヒーのおともに最適。

発売から30年近く経ち、多くの方々に親しまれ、地域根付いた銘菓

http://www.omekanko.gr.jp/omiyage/omiyage.php?m=dt&id=20150508020&t=10

2017-05-14

[] 阿闍梨

阿闍梨あじゃり)餅は、京都市満月製造する菓子

  

丹波大納言の粒餡を、さまざまな素材を練り合わせた秘伝の餅生地で包み、焼き上げた半生菓子

しっとりした皮と自家製餡の絶妙なる調和…。

独特の食感を楽しめる逸品。

  

比叡山修行する僧にちなみ命名。形は阿闍梨かぶる網代笠を象った。

http://www.ajyarimochi.com/a_ajarimochi.html

http://www.ajyarimochi.com/a_kasidukuri.html

[] せめんだる

「せめんだる」は、山口県山陽小野田市のつねまつ菓子舗が製造する菓子

  

昭和27年より製造

当時、セメントは樽に詰めて出荷されていたことより、もなかをたるにセメントを餡に見立て山陽小野田市代表する銘菓

北海道産大納言使用し、職人の手によって粒よりにていねいに炊き上げられた餡がすきまなくたっぷり詰まっている。

昭和30年代にたる最中から「せめんだる」と改称し商標登録された。

  

他に産業に因んだ銘菓として横浜市久里浜に「発電もなか」、山陽小野田市火薬工場があることからダイナマイト羊羹」が

あったが、いずれも現存しない。

http://www.e-densuke.com/tsunematsu/html/semendaru.html

http://www.zenkaren.net/archives/12778

[] 村雨

「村雨」は大阪府貝塚市の塩五(しおご)が製造する小豆の蒸し菓子

北海道十勝産や丹波産などの上質の小豆を、やわらかく炊いて、皮を取り除き、細かくすりつぶして、水分を搾り取ったあとの

いわゆる"生あん"に、米の粉と砂糖を混ぜ合わせ、そぼろ状にして、特製の蒸籠(せいろ)に敷きつめ、じっくりと蒸し上げた棹物の

生菓子ホロホロとくずれそうな手触りだが、噛むほどにモチモチとし、やがて口の中で溶けてしまうような食感が特徴。

和泉八景の一つ「貝浦村雨」にちなんで名付けられた。

http://www.shiogo.co.jp/history.html

[] 橘餅

(きっぱん)

琉球伝統菓子の一つ。沖縄産のミカンであるクニブ(九年母)やカーブチーの果汁を絞り、種を除いた後の皮などをきざみ、

砂糖を加えてこね混ぜ、それを直径5cmほどに丸め砂糖衣でまぶしたもの。大変手間がかかるため、製造販売を行っているのは、

今では那覇市の「謝花(じゃはな)きっぱん店」ただ一軒のみである

http://www.weblio.jp/content/%E3%81%8D%E3%81%A3%E3%81%B1%E3%82%93

[] 長生殿

長生殿(ちょうせいでん)は、石川県金沢市の森八で作られている和菓子である

金沢市名物であり、落雁の最高級品とされる。

新潟県長岡市の越乃雪、島根県松江市山川と共に、日本三名菓の一つにも数えられる。

  

紅白落雁一種であり、材料四国産の和三盆糖北陸産のもち米を用いる。

昔は落雁の中に胡麻も入れていたが、現在は入れていない。

出来上がった落雁は、小堀遠州の直筆の“長生殿”と彫り込まれた木型で打ち上げられている。

ちなみに、菓子名前は唐の白居易長恨歌」の末章:「七月七日長生殿、夜半無人私語時。」より、唐玄宗楊貴妃

七夕に愛を語りあった場所である長生殿から由来しているとされる。

  

長生殿は加賀藩3代藩主前田利常より七夕のための落雁を作ることを命ぜられた三代目森下屋八左衛門(森八の前身)によって

作られた。茶道遠州流開祖である小堀政一遠州)の助言により、菓子に篆書で「長生殿」の文字が彫り込まれている。

命名も小堀による。

後水尾天皇にも献上され、前田から徳川将軍家にもしばしば献上された。明治以降もしばしば宮内省に収めた。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%95%B7%E7%94%9F%E6%AE%BF_(%E8%8F%93%E5%AD%90)

[] 日向夏ふわたま

宮崎県宮崎市お菓子の浩屋が製造する菓子

  

ふわふわもちもちの卵ケーキの中に宮崎特産品日向夏味のカスタードクリームを詰め込んだ。

さっぱりとした爽やかな甘さで食べやすい美味しさ。

http://hiroya55.wixsite.com/okasinohiroya/hiroya

[] きんこんかん

島根県松江市の桂月堂が製造する菓子

波打った、さっくりとした生地に、クリームが挟んである

クッキー生地のような、優しい甘さ。

美しい音色のような味は、琴瑟相和すに例えて命名。

http://www.keigetsudo.jp/?pid=75614512

http://tomo-don-mari-don.at.webry.info/200807/article_53.html

[] 気になるリンゴ

青森県弘前市ラグノオささきが製造する菓子

  

りんご本来のシャキシャキ感が残るように、 青森産「ふじ」を甘さを抑えたシロップ漬け込み、まるごとパイで包んで焼き上げた

アップルパイ

  

通常アップルパイは、リンゴカットして、シロップで柔らかくなるまで煮詰めて作るが、気になるリンゴは、ふじりんご

丸々1個シロップ漬け込み、丁寧にパイ生地で包み込んで焼き上げているため、通常のアップルパイと比べて、シャキシャキとした

食感が楽しめる。くり抜かれた芯の部分には、ラグノオ特製のリンゴペーストが詰め込まれており、しっとりとした食感も楽しめる。

http://shop47.info/kininaruringo/

http://sweets-plus.com/kininaru/

[] からすみ

からすみは、岐阜県東濃地方長野県木曽郡南部下伊那郡南西部愛知県奥三河に伝わる銘菓で、米粉でつくった蒸し菓子のこと。

  

下記の地域では「からすみ」と言うと、鯔の卵巣の加工品ではなく、米の粉を加工した和菓子意味する。

 岐阜県中津川市恵那市瑞浪市などの東濃地方

 長野県木曽郡南木曽町大桑村下伊那郡根羽村平谷村

 愛知県北設楽郡設楽町豊田市稲武町などの奥三河

  

このからすみは、全体に細長い棒状の棹物菓子で、包丁適当な幅に切って食べる。特徴的なのは、長い側面の上部を両側から

中央に向けて押し寄せたようになっており、切った断面が富士山のような山の形になっていることである

これは、蒸した団子を長く伸ばし、このような形の木型に押し入れて作られる。

  

食味や作り方は名古屋名物ういろうに似ているが、より固く弾力があり、べとつきが少ない。

  

からすみ名前の由来は、子宝象徴としての縁起物であるカラスミの形に似せて作ったという説と、中国で作られた富士山の形を

した墨、すなわち唐墨に形が似ているため、この名を取ったという説とがある。

この地方の各家庭では、桃の節句からすみを作りお祝いをするという風習がある。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%8B%E3%82%89%E3%81%99%E3%81%BF_(%E8%8F%93%E5%AD%90)

[] 煙草煎餅

神奈川県秦野市の亀本が製造する菓子

  

秦野は、国定公園大山丹沢山に囲まれた『名水百選』の土地

宝永年間(1700年代)の富士山噴火では、降灰により煙草の耕作に適した土壌がつくられたと言われています

  

江戸時代に興った秦野葉の栽培は、水府葉(茨城)、国分葉(鹿児島)と並び日本三大銘葉として称せられ、秦野町は全国でも有数な

煙草生産地として知られるようになりました。 明治32年(1899)には、秦野煙草試験場が開設。

亀本は、秦野葉の名を後世に伝えようと、秦野葉の葉形を型にした煎餅を考案、『煙草煎餅』と名付け製造を始めた。

  

時は流れ、秦野の町は大きく発展。

煙草耕作は大変な労力がかかり、高度経済成長以降、第一次産業従事する人口が減少してくると生産が低調になっていきました。

秦野葉は、刻み葉(キセル用)であったため、嗜好品の変化から消費量も減少し、昭和49年最後秦野から姿を消しました。

その後は、紙巻き煙草用の米葉と呼ばれる黄色種が生産されたものの、かつてのような隆盛はなく、昭和59年黄色種の生産

廃止され、秦野煙草耕作は終焉を迎えました。

  

この一方で、煙草煎餅は、独特の製法・厳選された材料が醸す味覚を大切に守りながら販売が続けられている。

http://tokio-mt.wixsite.com/sugar-and-spice-1/about_us

http://www.city.hadano.kanagawa.jp/www/contents/1001000001160/index.html

[] のし

のし梅(のしうめ)は、梅をすり潰し、寒天に練りこんだものを薄くのし乾燥し竹皮で挟んだ山形県村山地方代表的銘菓

  

山形藩主の典医だった小林玄端が長崎での遊学中、中国人から梅を原料とする秘薬の製法を伝授され気付け薬として作ったのが

現在の『のし梅』の原型とされる。その後は夏場の民間薬の胃薬ないしは気付け薬として各家庭で製造されていた。

  

現在の形の「のし梅」を製造した祖とされているのが、創業文政年間の『乃し梅本佐藤屋』(山形県山形市十日町)。

日本三大修験山として江戸時代に盛り上がりを見せた『出羽三山詣』の参拝客の宿場町として山形市十日町近辺は栄えており、

菓子として『のし梅』を売り出したところ人気を博したという。

  

山形県紅花を主要な特産物として生産しており、その紅花口紅着物の染料として京都大阪方面を中心に高値取引されていた。

その紅花から赤い染料を取るのに梅の酸が使われていた為、山形市周辺は紅花と同時に梅も盛んに生産されていた。

梅は酸をとるためには青梅が良いが、完熟している梅だけを使用して作っている点では、農産物無駄なく使用できるために

のし梅は非常に理に適った特産品といえる。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%AE%E3%81%97%E6%A2%85

[] 労研饅頭

労研饅頭(ろうけんまんとう)は、愛媛県松山市内にある「労研饅頭たけうち」が製造販売している小麦粉を主原料とした蒸し菓子

一種和菓子饅頭まんじゅう)ではなく、蒸しパンまたは中華料理の甜饅頭ティエンマントウ、tián mántou)に似る。

  

直径10cm前後、重さ60g前後の、小ぶりで甘みのある蒸しパン状の菓子である

小麦粉をこねた生地酵母発酵させ、蒸し上げたものである。形状は種類によって円盤のものと、楕円形のものがある。

生地によもぎやココアなどを練り込んだものや、豆類や乳製品を入れたもの、中に小豆餡を入れたものもあり、種類も豊富である

太平洋戦争から続く製法で作られており、素朴な味わいで、地元一部の人に根強い人気がある。

  

昭和初期、松山市は深刻な不況に襲われ、夜学生が学資を確保することが困難であった。それを見かねた私立松山夜学

現在私立松山城南高等学校)奨学会は、夜学生の学資を供給する事業がないか模索していた。

その頃、岡山県倉敷市にあった労働科学研究所満州現在中国東北部)の労働者主食であった「饅頭」(マントウ)を

日本人向けに甘くアレンジし、これを岡山県京阪神業者販売していることを聞きつけた。

小麦粉で作る饅頭安価製造できるため、これを松山製造販売し、学資を確保するとともに夜学生の主食にもしてもらうことを

企画したのである

こうして1931年松山で「労研饅頭」の名で販売が開始された。「労研」とは労働科学研究所の略。また、饅頭を「まんとう」と

読むのは中国東北部主食マントウ」が起源からである。なお、当時は4個で5銭、松山市内の学校や軍内で販売され、夜学生の

学資確保に貢献したという。

  

なお、労研はこれを、当時の女工の厳しい労働環境配慮し、手を汚さず、素早くエネルギー補給できる食品として開発した。

労研は、当時、クラボウ社長であった大原孫三郎が、労働者環境改善のために設立した研究機関だった。

  

その後、労研饅頭個人営業竹内商店現在販売店「たけうち」の前身)が製造販売するようになったが、戦火の拡大により、

1943年には小麦粉も入手難となり、販売休止に追い込まれた。しかし、受け継いだ酵母は守り通され、1945年終戦後には早くも

販売が再開されている。一方、岡山京阪神では戦火によって労研饅頭酵母が途絶えてしまい、京阪神では労研饅頭のもの

復活することなく、消えてしまった。こうして、戦後唯一残った「たけうち」が1952年に「労研饅頭」の登録商標を取得した。

高度成長期には洋菓子などに押されたが、保存料などを使わない自然食であることが見直され、松山名物菓子として定着している。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8A%B4%E7%A0%94%E9%A5%85%E9%A0%AD

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