はてなキーワード: 給付とは
この話はそれ以上でもそれ以下でもない。
これはおそらく誰の役にも立たない、個人的な話だということを断っておく。
父親は暴力を振るうし(高専進学後はなくなったが)、自分が小学生ぐらいまでは定職に就いていなかったし(母親がパートしていた)
収入よりも支出が多く、子供の教育費にお金をかけるよりも自身の飲み食いにお金を使い、毎月金がないと騒いでいるような家だった。
ただ一応母親は比較的まともで高校までは学費を出してくれることを約束してくれた。
そして、大学の学費は出してあげられないけど奨学金を借りて家から通えばいいと教えてくれた。
幸い自分の学業成績は地元の公立中学校で上位5%程度でそれなりに良く地元の公立高校に進めば大学に行けそうだった。
でもこんな家庭環境が悪い家から大学に通うなんてまっぴらごめんだった。それに、公立高校は学費の他に、模試やら制服やら色々なこと
でお金がかかりそうで、父親からも文句を言われそうで嫌だった。
そこで、地元で一番偏差値が高い公立高校と同じ程度のレベルの高専に行くことにした。
高専には格安の寮があったし、学費自体は公立高校よりも高かったが模試や制服など諸経費が全くかからなかったから。
それに当時民主党政権時代の高校無償化で高専1年から3年までは半額で通うことができた。
技術にはあまり興味はなかったが、幸い理数系科目が好きだったので高専に進学してからも特に困らなかった。専門科目には一切興味がなかったが。
しかし、自分が通っていた高専は当時進学高専として名を馳せていたせいか、そういう技術に興味がないがいわゆるお勉強はできるみたいな人は少なくなかった。
教員や大学に入ったときの周りの高専生に話を聞くと、これは高専の中では結構特殊な部類らしい。
それはさておき、高専というのは自分と同じく家庭環境が最悪な人が集まるものらしいが、自分が通っていた高専は普通の家の人が多かった。
ただ、お国柄か失礼ながら育ちはそんなによくなかったとおもう。それに高専では当たり前かもしれないが変な人が多かった。
自分はそうは思わないが、多分自分も変わっていたので変な人とはウマが合ったように思うし、実際卒業してから結構経つが今でも付き合いのある友人は何人かいる。
高専4年になると、親からの援助はなくなり、自分で学費を払うことになった。学費を捻出するために日本奨学支援機構の奨学金を月5万円程度借りていた。
ただ、高専には経済的に苦しい人に授業料免除の制度があったので、奨学金は教科書や定期代に使う程度で残りは大学の入学金などのために貯めておいた。
この頃から進路について考えるようになった。大学に行くことは決めていたが、今の専門で今後4,50年生きるのは嫌だったので専門を変えて進学することにした。
幸いなことに大学の門戸は広く、工学部の他に理学部などの比較的親和性が高い学部や、医学部などの全く異なる学部、文学部、経済学部など文系の学部にも編入できるようだった。
手頃な旧帝大に自分の興味のある専門が学べるところがあったので、そこに行くことにした。真面目に1年間勉強すれば合格することができた。
おそらく一般の高校生よりも簡単な方法で入学したのだけれど、まぁ入ればこっちのものである。
入学金、最初の授業料、賃貸の諸経費で軽く100万くらい飛んでいったけれど、貯めていた奨学金やバイト代でなんとか支払うことができた。
大学のときは日本奨学支援機構の奨学金、給付奨学金、バイトでかろうじて一人暮らしができるようになった。
給付奨学金のおかげで、利子ありの奨学金を借りなくて済んで、関係あるかはわからないけど大学の名前に感謝した。
あと大学でも授業料免除をうけることができたので、そんなに苦労せずに大学生活を送ることができた。
(自分が特殊ルートなこともあって正しくはないかもしれないけど、日本の大学は勉強したい人にとっては
経済的に苦しくてもある程度の覚悟(奨学金)を負えば通えると思う。)
ただ専門を変えての入学だったので入学当初はかなり真面目に朝から夜まで勉強する必要があったけれど、
ただ、大学の人と話していると生まれの違いを見せつけられた気がした。
お金が足りなくなったら親に無心する、留学したければ簡単にできる、旅行をするために親から借金をする・・・
挙げていけばキリがないが、教育格差は親の経済状況に大きく左右されると改めて思った。
あの人たちは自分のことを友人として扱ってくれたけど、自分は彼らの国の住人じゃないと心底痛感した。
大学に入って初めて恋愛をして、恋人もできたけれどどうしても格差を感じてしまう、世界が違うと馴染めなかった。
ただ、彼らとの会話は楽しかった。
ほかの編入生と話す専門的な話も知的好奇心がくすぐられて有意義だったが
彼らと話すのは心地が良く、リラックスして会話を楽しむことができた。
本当は博士課程に残りたかったが、経済的に苦しかったので就職することにした。....というのは負け惜しみかもしれないけれど。
(もし本当に大学に残りたくて、実力もあれば、学振やらRTなどで生きることはできるように思う。)
就活を真面目にしなかったせいか、レベルの低い会社に就職してしまったように思う。自分のレベルが低いのかもしれないが。
周りの同期のレベルはそんなに高くなく、話していて楽しいとは全く思えない。それに自分の出身大学でいじられたりもする。面倒臭い。
自分はあまり学歴に興味はないけれど(本当に)、学歴で得をするのは中の上クラスの企業に勤めている人たちだけじゃないかと思う。
一番高いところにいる人たちは大学名なんて気にしない(と聞く)し、下の方のレベルの企業だとほかの人からの僻みでうっとうしい。
だから自分は、転職や大学に戻ることを考え、またあの心地よい会話ができることを心待ちにしている。
一生、自分の世界とは相入れないことを知りながらも、もがき続けるのだろう。自分は下のレベルではないと傲慢に自分を騙し続けながら。
「弱者にやさしい」という表現が曖昧すぎる。「国内総生産(GDP)に占める社会保障給付費の割合が高い」などの具体的な表現じゃないと意味がない。そして「GDPに占める社会保障給付費の割合が高い国」と「低い国」の差は確実にある。
雇用保険ていうのは、上記の条件をクリアしていれば加入できる事で法律上でも義務付けられているのだけど、加入していない中小企業がある。
なぜ、こんな話をするかというと私が勤めている会社が法律違反を犯しているから。
私は家庭の事情で、どうしても不定期に休みを得なければいけない事があって一般的な普通の週5日勤務が難しい。
そんな理由から週3~4で一日7時間~8時間で勤務できる仕事を選んだ。そのような勤務だと仕事は限られてしまう。
そこで選んだのは施設の清掃だった。主に役所。役所の清掃は委託業者が行っているのだけど、毎年入札という古いやり方で契約金が一番安く済む会社が仕事を請け負うという方法になっている。
私は清掃員として仕事を始めてからすでに10年が経った。その間に5回ほど委託業者が変わった。
入札なので同じ会社が仕事を請け負うことが出来ないこともあるのだけど、清掃員を1から取り入れるのは面倒も多いし経験者を入れておきたいというのが委託業者の考えで、取引委託業者が変わる度に私は会社を移動してきた。
前述したとおりに、条件をクリアしていれば加入できる雇用保険に話を戻すのだけど、5回ほど変わった全ての業者で加入されていなかった。
10年の間、何度も会社には伝えたが結局雇用保険に加入しない会社しかなかった。
役所で雇っている委託業者は、法律違反を犯している委託業者しか居ない。
別の役所にいる違う会社の知り合いに聞いても、やはり雇用保険は加入されていなかった。
雇用保険は『さかのぼって加入できて最長2年』までは有効になる。自己申請になるが、それである程度の給付はされる。
強制保険なので、未加入のまま現在に至ると労働者にも落ち度があると言われてしまう。
だけど、こちらは何度も言っているのに会社が加入させないという事は多くある。
そんな業者を役所は調べることもしないで雇う。本来問題が有る業者は入札にすら参加できないはずなのに。
それらもクリアして初めて入札に参加できるようにすれば良いのに、実際は法律違反はどうでもいい安いなら雇うというのが役所の考えだ。
また委託業者もコイツは辞めないだろうと思ったら、話を誤魔化してくる。
結局、私は仕事を変えることにした。雇用保険は自分で申請をさかのぼって加入した。
もし万が一役所関係の委託業者の下で働く事を考えている人がいるのならば、雇用保険などは必ず確認したほうが良いと言いたい。
加入は当然ですと言っても給与明細から引かれていない、または引かれているけど実際は加入していないという加入どころかそこも犯罪行為に染めている企業はある。
自分の身を守ることにもなる保険なので、しっかりと確認してほしい。
私みたいに損をする人が増えてほしくない。
早く給付出来るようにマイナンバーカードで申請出来るようにした結果、元々使って無かったのを急遽使える様にしてから、エラー続出でエラーチェックで時間がかかり、郵送との二重払いのチェックも出来ず、そのチェックで更に時間がかかり、最早何重にも苦しむシステムになっていることに日本の終わりを見た。
談合とかの証拠隠滅は手が早いくせに給付金とか市民の助けになることは遅い。
給付金の申請用紙もどこかの業者による別テンプレートで、記述が必要な場所を増やしている。そして未だに給付が始まっていない。
コロナ渦の影響もあり、私は2ヶ月分の給与の支払いが行われず会社はなくなった。失職の手続きもコロナコロナで全部延期になっている。
就活にしても今や障害者手帳を持つ私を受け入れられる余裕のあるところは見つけられていない。
生保は世間の目と自分の精神状態で水際作戦されてしまうのではないかと思っている。現に、申請用紙もヒアリングの後渡すと言われたがヒアリングするだけして可能性が低いので、と貰えなかった。
身寄りのある親戚とかも居ない。
どこかに投書でもすれば少しは気が楽になったり、似た境遇の人を一人でも救えればいいと思う。
給付ない前提で話しておいて何でもらえるのよ
退職の手続きは退職自体が決まってからは思いのほかスムーズに進み、あとは国民年金の減免の審査待ちと失業給付の認定くらいになる。
昨今のコロナウイルスの騒動も落ち着きはじめそろそろ動かないとなと思いながら毎日遊びに来る甥っ子のお世話と気持ちばかりの運動だけで漫然と毎日が過ぎ去ってゆく。
仕事を辞めるまでは次はもっと自分が楽しめる少なくとも退屈しない仕事に付きたいと思い、勉強も少ししていたが今となっては実家暮らし様々でただのニートになってしまった。
退職前に応募していたプログラミングスクールの試験の開催が決まるのが怖くてたまらずもう少しだけ休ませてくれと願い続けている。今の自分には以前あったチャレンジングな気持ちは全くなくどうやって楽に人生を消費するかばかりに気持ちがいって、自分という人間の本質を二十代後半にして改めて認識させられる。
貯金が尽きるまでだらだら遊び続けてその後どうなるのか。
例えば給付金の事務処理する人を役所が民間から募ったとして、狭い町内で近所の誰かに自分が10万円給付金の申請をいつして、いつ交付されるか知られるのって嫌くない?
例えば顔と名前だけ知っている誰かの住所・生年月日・家族構成を知られるのって、嫌くない?
それなら、多少お金払って見も知らない誰かに処理される方が安心できる気がする。
某大手電機メーカーの孫会社のアフターサービス部門に転職して2年目だった俺は、
常に月100時間程度の残業をしていて、ちょっときついなぁと言う感じは自分でも分かっていた。
お客様先の都合により早朝からの勤務や夜間待機も有り、一日の大半の時間は社用車の運転に費やされる。
一日中自社のコールセンターから社用携帯に指示が飛んできて、基本的にはその日の内に指示を処理しなければならない。
部材の入荷状況や指示の処理具合によっては翌日以降に持ち越す事も出来るが、持ち越した日が苦しくなるだけだ。
諸先輩方も同様な労働形態で十数年やってきたと言われていたので、
今は苦しいが自分もいつか慣れる事が出来るだろうと漠然と考えていたが甘かった。
その日は突然やってきたのである。
幸いなことに、翌日には心療内科の予約が取れてうつ病で有ると診断された。
元々心が強くない事も有るのでもっと落ち着いた職場を探そうと思った。
しばらくは健康保険の傷病手当金で食べていたが、それの期限も切れた。
次に失業給付金を受給することにした。なかなか心は復活しそうにない。
医療費を圧縮しようと思って自立支援医療費の申請をしたらついでに障害者手帳も交付された。
俺は精神障害者2級に該当するらしい。
もう貯金も底を尽きようとしている。
日常生活は辛うじて行えているが、いきなりフルタイムの仕事に戻れるかと言うと自信は全く無い。
職人になれるような技や資格も無いし、振り返ってみれば学歴だってガッタガタだ。
オリンピック景気が有るから2020年になれば良い仕事が出てくるかもしれないと思っていたが
このコロナ騒動のせいでハローワークに出入りすることさえ制限が出てきている状態だ。
よく関東で最高気温が記録される市に隣接しているこの市も6月初旬になれば真夏日になる事がたびたび有る。
少し前から自粛太りを解消する目的とガソリン代の節約を兼ねて少し遠いハローワークには自転車で行っている。
ハローワークには14時から14時半までに着けばいい。今日も自転車に乗ってゆっくり出かけよう。
快晴とまではいかないが良く晴れていて暑い。昼下がりの真っすぐな太陽光が背中に刺さるようだ。
家から出て5分経つか経たないかでもうTシャツの背中は湿っている。
秋葉原通り魔事件から12年経ったというニュースを何日か前に見た。
俺もヤケクソになって自動車で特攻したり、刃物を振り回してしまうのか…?
失うものはもう何も無い。生きていくのは辛い。
ここ数日そんな様な考えで頭の中が一杯だった。
数メートル先にはおばちゃんの乗るママチャリがゆっくりと走っていた。
ママチャリの前輪が道路の僅かな段差を拾い、ベルが小さく「リン…」と鳴った。
それを追い越そうとした俺の自転車も僅かに遅れてベルが「リン…」と鳴った。
なんだか自転車同士で挨拶してるみたいでかわいいじゃないかと思った。
焦燥していた気持ちが一気に和らいだ。
無事ハローワークにはたどり着けた。
来週もちゃんと心療内科に行くし、就職活動も続けていこうと思う。
初めて増田に文章を書いてみて、予想以上に反響を頂けて驚いています。
傷病手当金は期限が切れたと言うよりは求職の為に打ち切ったと言う方が正確でした。
障害年金、検討してみようと思います。助けてくれてありがとうございます。
困っている人、必要な人を選別する条件をつければつけるほど、
なんか貧困層に世帯30万って政府が発表したあと、給付条件が厳しすぎて批判ボコボコにくらって、
それでなぜか、給付条件をもっと緩くしろ、困った人たちを広く救えっていう方向に行かなくて、
なぜか国民全員に10万っていう方向をみんな主張しだして実際そうなったのがよくわかんないんだよね。
直近で困ってる人たちに30万っていうまとまった金をなるべく広く渡す、渡す範囲はなるべく広くしろ、
じゃなくて、
至急で困ってない人もたくさんいるのに、もう全員に10万っていうなんか中途半端な金額配れ、っていう世論がマジ謎っていうか、