はてなキーワード: 生活費とは
http://anond.hatelabo.jp/20110922023854
世の中には、デバッグ作業してはいけない業界もあるんだなと思った事を思い出した。
例えば、法曹界とか
弁護士が必要な事があって、関わって思った。弁護士だけじゃなく調停委員や簡易裁判所やその他諸々を見て思った。
バグってバグってバグ有りまくりに見えて、それが業界外部にも少しは悟られだし、それで少し儲けようとしてるライターもチラホラいるような状況 (儲けが目的かどうかはわからないけど、本出て生活費稼げてる人もいる)
業界自体が立ち行かなくなるようなバグ、業界自体を破壊するような致命的なバグだけは、何とか対処しようとしてるものの、ちょっとだけ黒い腹が見えようが、先生具が見えかかってますYO、近頃の愚民はうるさい奴もいるから、早く見えないようにしまってください、という注意が行くだけのシステム
法曹界に限らず、他にもあるのだろう。
最近ブログも作って、指摘しようと思ったのも、それに近いのだが
この場合は、よく考えてみたら、バグで食って行こうとしてるようなものだから、これはさすがにやりすぎだろ!!と思ったからブログまで書こうと思ったのかもしれない。
技術系の職場だって、いろいろあるのかもしれない。自分は詳しく知らない。
なぜ、デスマという言葉があるか、なんで何次か請けまで行ってしまうのか
詳しくは全然知らない、外から見てるだけだけど、専門的な知識がある人と無い人で取引する場合、圧倒的に情報量に差ができるから、それを利用してごにょごにょというのは、どこの世界でもあるという事に通じてるのかなと思うので、技術系の世界も綺麗なだけとは行かない部分もあるんだろうなぁと思ったりした
弁護士でも医者でも、情報量が圧倒的に依頼者や患者と違う。 そこにお金が介在してしまうと、非常に不平等な取引が発生してしまう。 弁護士の場合、取引として考えると、一般の人からの依頼は経済合理性に欠く場合もある。 しかし、今はそれさえ経済的な理由から、拾いに着ているやつ(弁護士)がいる事から、余計ややこしく問題が起こりやすい状態になっていると思う。
2chでだから、違うかもしれないが、若手弁護士が月にせめて10万収入があったらなぁ・・・と嘆いていた。ウソみたいな話だけど、その前の書き込みからも、精神的にもまいって神経科の薬を服用してるという書き込みもあり大変なんだなあと思った。それくらい困窮してる若手を作ったのは誰の責任だろう
自分の馬鹿息子のために医者並みに馬鹿も入れる仕組みにしたいというニーズと天下り先の確保というニーズが合致したのと、アメリカからの要望書でも圧力かけられこんな事になってしまっている
なんか炎上しそうなタイトルですが、最近ホント感じます。皆さんの周りでも、この感覚ってありませんか?
僕の周りでは、自己表現が下手で、会社以外の活動なんかほとんどしない人ほど、会社という枠に凝り固まります。
そうした方々が会社に残る理由は意外と似通っており、3つほどあるように思います。
この点、象徴的なのはAさんでしょう。彼は部下が個人プロジェクトで制作したウェブサービスを、「リスクだから」という理由でお蔵入りにするという経験をし、部下に対して「勝手なことするなと思った」、と語っています。
Aさんに限らず、このブログをお読みの皆さんも、どこかでこの種の「勝手なことをするな感」を体感したことがあるはずです。社内からフェイスブックやツイッターにアクセスする、という部下や同僚も少なからずいるようですし…。個人と組織の問題は、今後ますます課題となっていくでしょう。
非活動的な人であればあるほど、「月〜土、8〜22時出社」という縛りを楽に感じてしまうようです。社畜の代表格のBさんのように「週6日会社に出勤する」という生き方がまだまだマジョリティです。
特に昔から「サービス残業」という言葉も定着しており、多くの労働者が「会社に行かなければクビになるんじゃないか?」と思い込んでいるようにも感じます。
「CP(cost performance)」という経営戦略も話題になっています。今後は、結果主義でも生き残れない価値の低い人材であればあるほど、時間・場所に縛られることを「楽」に感じるでしょう。
土日やアフター5の活動(サービス残業・休日出勤)を行っていく中で、収入を増やすチャンスが生まれません。始めは月3万円(残業代)でも、活動を続ける中で、業績悪化やリストラなどでそれすら無くなるはずです。
収入の確保が難しいですが、生産性の低い、得るものも少ない労働ですので独立や転職も困難となります。
シェアハウスで暮らせば、そもそもの生活費を抑えることも可能ですが、毎日午前様という生活ではそれも困難となります。僕の知人の中には、住宅ローンがが約10万円(都内在住)、という方もいます。Cさんにいたっては、ローンが払えず固定の家を無くしてしまっています。
もう部下がいる壮年世代だと特に、収入面の不安が会社に居続ける大きな理由であるように思います。収入面での不安を払拭できないため、「会社にいる理由」は強く残ります。
会社のビジョンに共感している状態(自分の目指すこと=会社の目指すこと)にならば、これらの理由は一気に吹き飛ぶものですが、そもそも経営陣にビジョンがない/ビジョン以前に労基法も守らない場合も多いので、なかなか希有な状態です。
ある広告代理店の人事部の知人は「無能な中年ほど会社に残る」と語っていました。低レベルな仕事が重要になればなるほど「無能な人ほど会社に残る」という事態は広がっていくように思います。
というわけで、「無能な人ほど会社に残る」というテーマを、3つの切り口で考えてみました。皆さんはどう思いますか?トラックバック・ブコメにてご意見募集中です。
なにかの寓話なのかな?って思った。
わかったぞ。
さんざん日本に北方領土支援させといて、中韓の企業誘致するロシアのことか。
「ちょっと待ってよ。生活に困っていて、明日の食事も厳しいという状況だからお金を貸したんだよ」
翻訳すると
「おいおい、日本の領土って認識だしさ、島民の生活も困るっていうから支援したんだぜ。代わりにってわけじゃないけど、ゆくゆくは返してもらうつもりだしさ。インフラ整ったし第三国の企業誘致とかやめてくれよ。」
「北方領土支援はしてもらったけど、それはそれ、これはこれ。貰った発電機で起こした電気の使い道は勝手だろ?だいたいさ、ニ島だけは返還するって内々では決まってたのに、当事者のムネオとその部下まとめてしょっ引いて、四島返還とかいいだしたろ?四島とか無理に決まってんじゃん。
お前らアメちゃんとも「普天間問題でも、政権が変われば日米合意は振り出しに戻る」とか言ってゴネてたでしょ?そういうこったよ。北方四島も振り出しだよ。」
このご時世の中辞めるなら、あなたの能力はできることは何かを具体的に意識すべき。
マネージメントとかいうなら、どんなマネージメントか、今までやってきた仕事の内容を含めて再考してください。
そして、あなたが今いる企業でどんな位置づけか考えてみてください。
10年先あなたが今の会社に居続けて、もらえる給料金額と生活費などの支出金額を考えてみてください。
次の職場が必ずしも今よりよくなるとは限りません。
ちょっとリラックスしてみてください。
そして、バーにでもいって知らない人と話してみてください。
そして、改めて考えてください。
あなたは本当に何をしたいのか。
この二ヶ月、0時前に帰宅できたことがありません
正直なところ仕事についていけません
設計も製造も試験も全て一人でこなせませんし、常に誰かに付き添われている状況でしたが、
誰にでも出来ていることですが私には出来ません
聞かなければ仕事は終わらず、聞けば叱責され、聞こうにも聞く相手がいない状況です
大学から都内で一人で暮らしており、家族からは「我侭で好きなことしてきたんだから一人で生きて死ね」と言われています
同じ路線の上司・同僚が遅刻すると仕事が回らなくて困ると思い、
毎朝なんとか踏みとどまっていますがいつ耐えられなくなるか分かりません
仕事を続けなければ生活費は稼げず、かといって仕事を続けても死にたくなるだけ。
生活費を稼げないというのはつまり死ぬってことでそれなら今死んだって何も変わらないとも思います。
タイトルに上げたんだけどさ、今高齢要介護者向けに「介護保険」ってあるじゃん。
これと同じ仕組みで「子育保険」って出来ないのかなって妄想したんでぐだぐだ書く。識者の方できたら突っ込んでくれ。
介護保険って
常々、介護と育児は中身は年齢が違うだけで中身は結構似ているような気がするんで、これを元に
ってすればどうだろう。
これだけじゃ無理がある部分もあるので…
どうよ(ドヤッ
介護保険を使う事になっていろいろと調べたり利用申請したりしたのだが、介護が必要な人間を抱える家族って、育児をしている家族と構造はすごく似ているって思った。ただ将来への展望が違うだけで。
介護保険のコンセプトは「介護が必要な人を社会全体で支える」という事だったと思うけれど、育児も「子どもは社会全体で育てる」という感覚があっていいと思うんだ。
また、介護は、介護保険があるおかげで介護が産業化していて民間企業が参入し、使い易い介護用品が出てきたり、従来より足りないと言われてきた有料老人介護施設の増加を促したり、介護業者も競争が増えて対応の質が上がったりしている。
一方ケアマネージャという有資格者が必ず関わることによっておかしな業者に引っかかって被害を受けると言った事を防止し、過剰請求なども防ぐ仕組みが出来ている。
いろいろあるけど介護保険はこの点で成功している精度だと思うんだよ。
だからこれを見本に、育児・教育を保険として作れば、いくつかの諸問題は(多少時間がかかるにせよ)解決に向かっていくんじゃないかと思う。
これで介護保険並の保険料で済むなら、十分に考える価値はあると思うんだけどどうだろう。
いやまぁ、こんな事ここで言ってもしょうが無いんだけどさ。
識者の方突っ込んでください。
S市は大きな都市で、周辺から人口を収奪しながら今も大きくなっています。その中心部が私の生まれ故郷で、小学3年生の秋に、私の一家は郊外のH町に移りました。私の父は、そこそこ社会的に成功した人で、広い庭が欲しかったらしく、彼の希望に合致する約600坪というまとまった土地がたまたまH町で購入できたので、私もH町を第二の故郷にすることになりました。
H町は旧炭鉱地で、私たちが越した頃から急速にベッドタウンとしての開発が進みましたが、私がH町民になった頃はまだ開発が本格化する直前で、住民は貧しい人がたくさんいました。私が大学生になって、東京に出ていく頃には、町の人口は私が来た時の3倍になっていて、今ではH町の一部の地域は高級住宅地として知られています。
引っ越した頃、私は「お高くとまっている」と言われて軽いいじめをうけました。でもそこで、正面からぶつかっていったのでかえって仲良くなって、みんなに溶け込むことが出来ました。私は他の人たちを見下していたわけではないのですが、H町の同級生の目に「お高くとまっている」ように見えたとしても無理はなかっただろうと思います。男子も女子もジャージを着ているような土地で、かわいらしいフリルのついた服で登校していればそれは異質感がきわだちます。私はS市では当たり前だったことをそのまま当たり前に続けていただけだったのですが、それらがすべてH町民への批判になってしまっていたのでした。
とは言っても、私もそうですし、うちの家族は基本的にだらしないというか、ずぼらな人たちなので、すぐにH町に染まってしまいました。「お屋敷みたいな家に住んでいて、どんな人たちかと思っていたら、気さくな人たちで良かったわ」とはよく言われたものです。
私は学校の勉強は出来たのですが、H町の子供たちの学力はS市に比べればずっとずっと劣っていました。そして意外かもしれませんが、子供たちはそれを自覚していました。なんとか頑張ろうとしている子もたくさんいて、でも、出来ない子が多すぎるので授業の進みは遅いし、家に帰っても勉強を教えてくれる人もいないし、塾とかもまだH町にはありませんでしたし、あったとしても、経済的には行けなかったりで、私が勉強を教えてあげると、「増田さんっていい人なのね」ということになって、私はすぐにクラスのまとめ役みたいになりました。
放課後には一緒に原っぱをジャージで走り回って、楽しい子供時代を過ごすことが出来ました。
でも、その頃から、町のあちこちで住宅開発が本格化して、それが本格化する直前にH町民になった私は、「原住民」の立場から町の歴史の移り変わりを眺めることになりました。ある日突然、遊び場だった山や原っぱが立ち入り禁止になって、重機が入って、造成していくのです。しばらくして瀟洒な家が立ち並ぶようになって、こぎれいな格好をした人たちが大量に「入植」してきました。
遊び場を奪われて、自分たちとかけ離れた生活をする新住民とその子供たちに、原住民の子供たちが素直に好意を抱けるでしょうか?
中学の頃にはずっと新住民と原住民の子供の冷たい対立がありました。大量に入ってきた新住民の子供たちは町に溶け込むこともなく、自分たちの色に塗り替えてしまいました。私はそれを原住民の立場から、でも、社会的な立場としてはむしろ新住民に近い人間として、対立や調停に巻き込まれることになりました。どちらからも自分たちの側の人間だと思われて、なおかつどちらからも疎外されるような、そういう難しい立場に立たざるを得ませんでした。私の苦悩はむしろ先生たちと共有できていたと思います。
新住民と原住民では利害が完全に異なるので、新住民は「出来ない子は切り捨ててどんどん授業を進めてください」と言うし、原住民は教育を学校に丸投げしてそのくせ自分たちの子にあわせろと主張します。先生は間に入ってかなり大変だったろうと思います。
けれども年を経るごとに新住民は数的に圧倒的になって、原住民やその子供たちは自分たちのホームタウンにいながら、次第次第に切り捨てられるようになりました。高校生の頃にはもうこの種の問題は私の日常生活では見えなくなっていました。というのは、そもそも私が通っていた高校は地域ではわりあいレベルが高かったので、そもそも原住民の子供はほとんどいなかったからです。
小学校の頃からの原住民であった同級生の多くは、今はおさだまりの底辺生活者になっています。フリーターだったり、肉体労働者だったり、18歳で子供を産んだりして、私が勉強を教えた子たちもほとんどは結局、貧困の連鎖から抜け出すことは出来ませんでした。
ロンドンの暴動を見ていて、なんとなく感じることがあります。あの生活費の高い都市で、高度に都市化された生活がかいまみられる状況で、決してそれには手が届かないことを知っている子供たちがどんな風に感じているのだろうと。
「頑張れば抜け出せる」
それは確かにそうなのでしょうし、そのためのアシストもあるのでしょうが、日本の、一億総中流幻想があった頃でさえ、実体験から言えばやっぱり貧乏人の子の多くは貧乏人になったのでした。それがどれだけ難しいことなのか「新住民」の人たちは分かっていないと思います。母親でさえ四大卒の家庭で育てられた人に、九九も満足に言えないような親に育てられることがどういうことなのか、わからないと思います。
頑張らない、頑張らないことをむしろ奨励するのが貧困なのです。親や周囲を敵に回して、そういう中で子供ががんばるのは無理です。
家庭は奥さんが給料丸々自由に使ってると思ってるの?
丸々手にしてる方が「管理」して当然だろ。それが妻でも夫でも。
「夫がもらってるのは小遣いだから全部自由に使えるでしょ! 妻はもらった分全部使えないのよ! キー!」って。
小遣いって言うからには夫の取り分はせいぜい数万、奥さんが手にしてんのは残りの数十万だろ。逆だったら問題だがw
そして生活費や貯金は妻だ夫だ関係なく出て行くものだろ。その管理を妻がしているって状況に対して、あんたは一体何を怒ってんだよw
いや、夫が自由に使いたいだけ給料使えるような家庭だってあったらやばいっつのw
あんたが普段どんだけ虐げられ……いや、どんだけ現状に不満いっぱいなのかは知らないが、とりあえずいくら横でも自分が引用した原文ぐらいちゃんと読めって。
横だけど、それは一般的・現実的には「(実家暮らしで)家賃や生活費があまりかからないことを前提にした人生プラン」じゃないです
実家暮らしの金銭的アドバンテージを全部貯金に回してる奴なんて会ったことがない
つか、自身の「一人暮らし経験」で身に付けたシビアさを、実家暮らしの若者の人生プランに対して後知恵的に適用するのはどうなのよw
実家ってさ、親の家じゃん。
実家に住むってのは、親の意向一つで即追い出される可能性がある場所に住むって事なんだよね。
家賃や生活費があまりかからないことを前提にして人生プランを練ってたら、いざ追い出されそうになった時に「あ、これじゃあ一人で暮らせない」って事になりかねんのよ。
こういう生活だって、親が頼りにできる事前提で人生プランを練って実行してた場合、突然親が「もう手伝えない」と言い出したらその時点で全てが破綻する事になるよね。
余裕のある生活から一転、時間も金もカッツカツの生活へ早変わり。
そうなったら一体どうするの?他人をアテにして生きてた人がそういう生活に我慢できんの?って思う。
ずっと実家べったりの人がいて、「急に親に家を出て行けと言われた!冗談じゃない!今の給料じゃ一人じゃ暮らせない!」って吹き上がってるのを見た時に思った。
だいぶ印象が悪いだろうけど、俺は色々な女性に愛されていたい。
そして、一度愛してくれた女性にはずっと愛していてもらいたい。
一度愛してくれた人が、自分を好きじゃなくなる状況を想像すると胸が締め付けられる。
たとえ、俺自身がその人をそこまで愛していなかったとしても。
しかし日本では一夫一妻制で、いずれ一人の女性を選んで一生を捧げなければいけない。
この倫理が俺をまた苦しめる。なぜならそれは、一人の女性にしか愛してもらってはいけないということだから。
こんな捻じ曲がった思考が生まれたのは、幼少の頃にさかのぼる。
一人っ子なため家に人が居ることが少なく、ご飯も作り置きのものを一人で食べることが多かった。
しかし幼く、なおかつ体の弱かった俺は母の手を煩わせがちで、時々「あんたがすぐ病気になるから」だとか
「ご飯作らないといけないから」など、俺の存在が邪魔して満足に仕事ができない様子だった。
もちろん母に悪気は無かっただろうし、ついポロッとこぼすような感じだった。疲れてたんだろうな。
当時小学校低学年の俺は、自分は邪魔者で、必要とされていないんじゃないか、と思っていた。
さらに、昔から仲がいいとは言えない両親は俺が中1のころに別居を初め、高2のときに離婚。
父は生活費をよこさず、中1から今(大学3年)まで母は女手一つで俺を食わしてきた。
口に出すことこそ無かったが、自営業を始めた母にとって、働く上で俺が足かせになっていたのは察していた。
深い意味ではないだろうけど、「あんたが居るから」とよく言っていたのを覚えている。
昔から親に対して異常に「遠慮」をする子どもだった。それは自分が重荷だと感じていたから。
息子のように護ってほしくて、世話をやいてほしくて、甘えさせてほしい。
そして、無条件に愛していてほしい。
しかも、複数人に愛していてほしい。
幸か不幸か俺はわりとモテるほうで、同時に何人かの女性にせまられることもある。
しかし、最終的には誰かを選んで、誰かを蹴らなければいけない。
俺は自分を愛してくれる人全員に愛していて欲しいのに、最後は誰かを悲しませなければいけない。
自分を愛してくれる人が悲しむ顔を見たくない。
そのくせ、彼女が居ても女性と話すときは「彼女はいない」とウソをつく。
その人が自分を愛してくれる可能性がなくなるからだ。矛盾しているのは分かっている。
自分が愛されるに値する人間では到底ないことも、分かっている。
「浮気がしたいだけだろう」と言われるかもしれないが、少し感覚が違うように思う。
俺の感情の根源は、「愛されていたい」「愛してくれる人の悲しむ顔を見たくない」「だから求められたら断りたくない」。
そして、彼女よりももっと好きな人が現れたとき、フりたくない。
愛されたい。必要とされたい。だけど複数人に愛されると辛い。
いっそ消えてなくなってしまいたい。
愛されたいのに、愛されたくない。
修羅場…
1度行ったことがあるだけじゃないか。
出かけるとしても近場。
母が近場に子供達を連れ出して外出するくらい…
父はそれを内心面白く思っていなかったそうだ。
馬鹿じゃないの、てめえの両親のために家族が犠牲になってるのに。
今頃になってそんなこと言うなよな。
馬鹿じゃないの、今度は自分の面倒を見てくれる若い嫁を探してこいだって?
おい、お前の嫁がいる前の発言とは違うな。
結婚は僕個人のために必要なことなんだろ?
なんだ、てめえのために結婚しなくちゃいけないのか、オレは。
馬鹿じゃないの。近場に住んだら人がいないときにまたずかずか入ってくるだろ。生活環境確認するだろ。クローゼットの中身とか確認するだろ。
だってよ、いまでさえそうなんだもんな。
それで話の端緒をつかむのならばわかるけれども、勝手に妄想を広げちゃうんだもの…
手に負えないなお前。
相続で揉める家庭ですので、あなたの今わの際には縁を切るつもりです。身内とは。
孤立無援社会まっしぐらですが、もうそれで構ません。もうあなたにこれ以上自分の人生をおかしくされたくありません。
今の30代の未婚率上昇の原因?
この世代の両親の価値観にもあると思うよ。いい年をして「親のせいにするのはおかしい」といわれても結構。どうしてこうしたことに触れないのかがわからない。
息子に殴られても、っていうのは違うんだが、息子(俺と兄)に心底嫌われてるのは本当。
双方から憎悪に近い感情を持たれているのだが、本人は構わずメールを送ったり、近況を知らせろとメールしてきたりする。
俺がガキの頃、母親はあまり家事をせず、祖母が洗濯をしたり、兄貴が飯を作ったりしていた。
まぁ、晩飯はたまに作っていたが。
うちの母親は殆ど俺たちを叱ることがなく、叱る代わりに陰口を叩いていた。
何か母親の気に入らないことがあると、祖母に向かって陰口を叩いたり、俺に向かって兄貴の陰口を叩いたり、勿論、俺に対する陰口もあった。
職場で気に入らない人の陰口も、よく家で俺たちにしていた。
正直、俺は今でも人を信じることが出来ないし、何かミスをしでかしたり、陰口を叩かれているのではないかというひどい疑念に襲われることがある。
これはこの時の記憶が残っているんだと思う。たまにフラッシュバックすることがあるし。
大学に入学した後、父親から俺たちにくれるはずだった入学祝いの300万を母親がネコババしたことを知って、父親と連絡を取るまで、どうやって母親が入学金や生活費を稼いで居るのかよく分からなかった。
俺たちにバレた後も、メールに返信せず、俺が金を取り返さないことを約束してから始めてメールが帰ってくるような屑っぷりだ。
結局、生活費や授業料は父親が全て払っていたのだけれど、それは俺たちには言わなかった。
常に「私が働いてお前たちを養っている」という姿勢だった。
正直なところ、俺の回りには「親に感謝するのが当たり前」という価値観が蔓延していて、親に対する愚痴だとか、批判だとかが出来なかった。
手取り10万台じゃ、何か大きいモノを買う予定がないのなら貯金なんかする意味ない。
職を失ったらとっとと生活保護をもらいにいったほうがいいよ。