はてなキーワード: 死にたいとは
俺は"本物の"弱者男性だ、学校は苦痛でしかなく毎日一秒でも早く帰宅してゲームで遊びたかった
学力も低く一応Fラン大学に進学したものの大企業には当然就職できず年収は300万円代、女にモテた事もない
「トヨタ自動車の今期営業利益が過去最高の〇兆円!」みたいなニュースを見るたび、高学歴で大企業に就職できた奴や、創業者一族に生まれ何もせずとも裕福な暮らしができる奴と自分を比較して死にたい気持ちになる
街中で刃物を振り回す無敵の人が出てくると、自分を重ねて犯人に同情心を覚えたいた
そんな俺の人生は2年ほど前に変わった、NISAブームで投資を始めたのだ
故山崎元氏の記事なんかを読んでほとんどの資金はインデックスファンドに振っていたが、なんとなく100株18万円でトヨタ自動車の株を買った、これが正解だった
みんなも知っての通りこの後日本の株価は右肩上がりとなる、この文章を書いている現在トヨタ自動車の株価は100株29万円を超えている、その上配当金も年に6000円くらい出る。
もう大企業の決算のニュースを見ても心がかき乱される事は無くなった、むしろトヨタに就職できた人は優秀な人ばかりなのだから、頑張ってほしいと応援する気にすらなってくる
しゃーない
#いのちSOS(特定非営利活動法人 自殺対策支援センターライフリンク)
「死にたい」「消えたい」「生きることに疲れた」など、あなたのそんな気持ちを専門の相談員が受け止め、あなたの状況を一緒に整理し、必要な支援策などについて一緒に考えます。
0120-061-338 おもい ささえる(フリーダイヤル・無料)
実施日時
いや体が動かなくなっても食べなきゃ死ぬでしょ。食事拒否すればいいじゃん。
本質的に人間は生きるために常に食べたり呼吸したり自分で能動的に活動してる。受動的に生かされるなんて状態ないよ。
というか本当に生きることに心が拒否すると食事も受け付けなくったりするよ。私はそういう状態に陥ったことがある。
食事は点滴で食事拒否の意思も出せない状態の人間ならそもそも安楽死の意思でさえ出せないだろう。そういう状態の人間の心理を他者が断罪することは単に権利侵害でしかない。
そうじゃない状態の場合、腕動かせなくても死ねるんだわ。生きるのをやめるだけないんだから。
そしてその死が苦痛にまみれてて安楽死の方法が楽なんて、両方試して死んだことある人はだれもいない。
だからなんでそれは残酷といえるのかさっぱりわからない。耐えがたい苦痛に関しては途中から意識が遮断される気がする。大けが経験した人間の感覚だと
ずっと死にたい。小学校高学年ぐらいからずっと死について考えてる気がする。
最近はうつの薬を飲んでるけど、これがうつだというなら小学生の頃からうつだったことになる。
躁鬱の2型なのかもと思うこともあるけど、特にそういう診断はされてない。非定形うつなのかもしれない。チェックリストの殆どに当てはまる。
非定形うつだとして、治るものなんだろうか。性格的な問題です、あなたは生きづらいかもしれないけど頑張って生きてね、それだけで終わらされるんじゃないか。
いつか死にたくないという日まで生かされて、そのうち寿命で死ぬ。しかもほとんどの日が情緒不安定で、首を吊ることばかり考えている。
無意味に思える。
こういう話は誰にとっても面倒だろうからしない。他人はきっと、最初は助けてくれるけど、最後はキレて、こちらを罵倒しながら去っていくだろう。
みんな弱者で、弱者は弱者を助けられない。弱者を罵倒して目を逸らすことで自分を救おうとしてからのだと思う。
溺れる人同士掴み合って沈めあって、みんな沈んでいくだけ。虚しい。
勤続3年、隔週週休二日制、当日連絡の休日出勤あり、大体25日出勤、残業月40時間、昼休憩15分(名義上1時間だが食事が終わったらすぐに持ち場に戻る社内規定があった)、営業用電話はプライベートとは別に用意させられ、費用は自己負担
額面15万
設備積立名義-2万
福利厚生積立名義-3万
社内交流積立名義-1万
税金諸々 -3万
最高手取り6万-携帯代で5万切るかどうか+国保自腹(社保がなかった)
名義上は月給制だけど、遅刻・早退1回につき-1万、有給消化-1万、休日出勤を断ると-2万の罰則規定があった
辞めればよかったんだが、本当に何のスキルもないし、精神やんでて転職活動もできなかったので、親に金借りて生活してた。
勿論、暴言・暴力・人格否定のハッピーパワハラフルセットで精神は更に崩壊し、最終的には玄関先で倒れて救急車に運ばれて2日休み、給料日に罰金2万の請求書を受け取って、これ以上親に金借りられないので生活福祉資金貸付の相談言って「お前みたいな低収入に貸す金ないから、ナマポ受けろ」って言われて、ナマポを受けて退職した。
今になって考えれば、労基に訴えれば余裕で勝てる相手なんだが、先輩も同僚もむしろ社長側についていじめる側に回ってたので、逆らおうと言う気にもなれなかった。
そして今は精神病が全く改善してないのに、親に早く社会復帰して金返せって圧力かけられてる。役所は結構な頻度で扶養照会送ってるみたいだし、一ヶ月に一回は呼び出されて窓口で早く就職しろって圧かけられる。病院の先生にもいい加減甘えるのは止めなさい、あなたよりつらい人はもっとたくさん居るんだからと突き放されるし、人生詰んでる。死にたい。
私が安楽死急進派になったのは、あるテレビ番組がきっかけだった。
そこには、親の介護のために会社を辞めざるを得ず、チューブだらけの言葉も発することができない寝たきりの親の横で「これでは結婚もできません」と苦笑いで語る30代男性の姿が映し出されていた。
私にとってその番組は非常に衝撃的なものであり、これを機に、介護のために健常者の人生が奪われてはいけないと考えるようになった。
そうして、様々な安楽死の議論を見ていくうちに次のような要件を考えるようになった。
IF 受刑者である場合: IF 要支援1 以上である場合: # 近年、刑務所では受刑者の高齢化が問題となっており刑務官が介護をしなければいけない件数が増え続けている # 裁判における長期の懲役刑や、無期懲役刑の増加が原因であり、そのしわ寄せが受刑者の介護問題に繋がっている GOTO 安楽死 IF 生活保護受給者である場合: IF 要介護1 以上である場合: # 身寄りのない要介護者は老人ホームに入れなければ生活できず、公営住宅は腐乱死体が増加している # また、そういった人が老人ホームに優先されることで、老々介護や子供が会社を辞めて介護する問題が発生してしまっている GOTO 安楽死 IF 要介護認定: IF 事前の本人同意がある場合: # 尊厳死のケースがこれに当たる GOTO 安楽死 ELSE: # 事前の本人同意が無い場合は要介護であっても安楽死はできない # 資産家の親族が遺産を増やすために安楽死させることを防ぐため PASS IF 健常者である場合: IF 本人同意 AND 3親等以内の親族7割の同意: # 健常者の場合、本人がいくら死にたいと言っても親族が同意しなければ安楽死は不可 # しかし親族も同意すれば安楽死ができるものとする。事故や病気などで苦しみが続くケースがこれに当たる GOTO 安楽死 # IF 3親等以内の親族10割の同意: # 植物状態など本人の同意が取れないケース # GOTO 安楽死 IF 本人の意識が無く回復見込みも無い場合: IF 3親等以内の親族7割の同意: # 植物状態など本人の同意が取れないケース GOTO 安楽死
この要件は端的に言えば「他人の人生を犠牲にしない限り元気に生きろ」かな。
安楽死の話において「弱者・高齢者は死ねというのか」という指摘がよくあるが、この要件では、むしろ元気な高齢者は自由に生きて欲しいと考えています。
なぜなら、労働者にとって老後はある種の希望でもあるし、定年後すぐに死ねと言われれば働く意欲を奪うことに繋がると考えているからです。
そのため、元気なうちは自分ひとりの勝手で死ぬことはできないルールになっています。死にたくなったら親族に相談しなければなりません。
あくまで介護や世話で誰かの人生の大半を費やすことがあってはいけないという思想で条件を作っています。
条件をこのように変えた方が良い、このような問題があるなどの指摘があれば歓迎します。
IkaMaru そこまで金に固執するのに、なぜ「納税額以上の公的サービスを受ける者は全員安楽死」まで行かないの? 自分が入っちゃうから?
こういった拡張論は一部にありますが、私はやりすぎだと思います。
「納税額以上の公的サービスを受ける者は全員安楽死」など、ただの恐怖政治です。
レールを外れることくらい誰しもありえることだと思いますので、そこを範囲に入れるのは反対です。
基準が拡大していくことについての指摘・懸念なら私も同意します。過去の歴史や政府への信頼度の低さから同意せざるを得ません。
ただ、だからこそ、別増田が書いていた法律論や曖昧な文章ではなく、プログラムのような条件文にしています。
こういった話は曖昧な感情論などにしておいた方が同意が得られやすいのは理解していますが、過剰な拡大を防ぐためにも基準は明確にしておくべきだと考えます。
genhou このコードだと要介護認定を受けてないと、3親等以内の親族全員が同意したら(本人の意思に関係なく)殺されてしまうじゃないか。 バグ
確かにご指摘の通りです。10割(全員同意)としていましたが、親族が少ない場合は本人が嫌がっていても殺されてしまう問題がありますね。
植物人間状態を想定しているのですから、本人の意識が無い場合に限るべきです。書き直しました。
fugunokamatari 「GOTO 安楽死」がツボる。そもそも介護離職なんてする奴は親の殺処分に同意なんてしないだろうから、増田の問題意識と解決策が全く噛み合ってないだろ。
必ずしも同意する必要はありません。上記条件文では各家庭の自主判断です。
ROYGB 自分が育てられないから子供を殺すのが異常な程度には、親の介護が出来ないから殺そうとするのは異常。極論でいくなら親などほっておいて結婚でも何でもすればいい。
税金払う額より社会保障費などを受け取る額の方が多い人間は全て「他人の人生を犠牲」にしていると言えるけどその点はどう思う?
今寝たきりになっている人間が過去にたくさん納税や寄付を行っていた場合でも安楽死させるべきだと思う?
要介護認定の人間に多額の資産があって、高給で介護者を雇っている場合は?
他人に迷惑をかけさせないことが目的なら、単に援助を打ち切ってのたれ死にさせればいいのでは?安楽死させるにも薬や医者を用意する必要があって金がかかるよ?
その友人とはサシで会うほど仲は良くないけど学生時代からの友人で、SNSは繋がっていて同窓会とかクラス会で会うしDMとかもたまにするくらい。
学生の頃からやや構ってちゃんなところがあったけど嫌われ者ではなかった。
その友人が数年前から病みだして自殺未遂を繰り返すようになった。もう5回くらい。
毎回SNSで自殺を仄めかして音信不通になって、なんだかんだ救急搬送されて一命をとりとめて、経緯をSNSに長文で投稿している。
その投稿も、またやっちゃって精神病院に入院させられて看護師の対応が気に食わなかったからブチギレて暴れてまた未遂した!とかで本当にしょうもない。何度も自殺未遂するようなやつは医療従事者から冷たくされるのも当然だろって思うし医療従事者にも申し訳ない。
2回目くらいまでは音信不通になった時本気で心配してDMして共通の友人にも声掛けて安否確認をしたり、その友人が助かったあとにDMが来て泣くほど安心して、死にたい気持ちはわかるけど思い詰めるなとかそれっぽいことを送って引き止めてた。
でも何度引き止めても自殺未遂を繰り返されて、こんなに心配してるのに全然自分の言葉が届かなくて、もうそんなに死にたいなら死ねば?って思ってしまう。
精神薬を飲んでいたら絵が描けなくなった。
精神は安定した。死にたいと思わなくなった。リストカットやオーバードーズをしないように心がけているし、ここ1年くらいはしていない。
いい事ばかりかと思っていたら、絵に対するモチベーションが無くなってしまった。人生に絵が無くても満足行くようになってしまった。
今まではストレスの発散手段や現実逃避の方法として絵を利用していたため、絵を描く理由がなくなってしまった。
だが、私は小学生の頃から絵を描いている。趣味とはいえ10年くらいは人生を費やしている。そんなものを途端に手放せる訳もなくもんどり打っている。
もう絵を描く集中力もモチベーションもないのなら金輪際絵を描くことはやめたらいいのではないかと思う私と、そんな簡単に手放せるわけないだろ!という私がいる。辛い。
早く絵に執着するのを辞めたい。しかしインターネットをしていると絵がどうしても目に入ってくる。仲のいいフォロワーが絵を描いているところが目に入ってくる。
そもそも私は芸術が好きだ。小さな個展や美術館に行くのが好きだ。早く鑑賞者として割り切りたいが、創作をしていた昔の記憶が脳を叩いてくる。そして才能の差や努力の差、環境の差に打ちのめされて鬱病になって帰ってくる。この間藝大の卒展に行った時も全く楽しめなかった。
辛い。ここ1年間ずっとそうだ。絵が描けなくて発狂しながらタイムラインを眺めて鬱病に陥る。
早く絵に執着するのを辞めたい。
「ドラマを見て内容が気に食わなくて」
つまり日テレは脚本家が書いたものを作者に見せて確認とって修正するべき点があれば修正してたってことでしょ
ただ、作者の要求が伝わってないことが多かったので
(理由はいろいろ考えられる。伝言ゲームで微妙なニュアンスが脚本家に伝わってなかったとか)
「ここが違うとか修正かけまくるのは難しいよね」
それは精神的に苦痛だったかもしれないけど、作者の人がいいたかったのはそこではなくて
やっと死ぬことにした。
そもそも18まで生きてられると思ってなかったし、25まで生きてるつもりもなかったのに、気がついたらもう27。
30まではさすがにと漠然と思って過ごしていたけど、ここ数年はまあ別に大人の生活も悪すぎることないし、このまま一旦30まで向かってみるかあと思ってた。
それでも今すぐ死ぬぞ!という勇気もエネルギーもないままに生活が続いて、生活できてるってことはまだ大丈夫ってことで、まだ大丈夫ってことは…で、生きてられてしまった。
でも常に死にたい気持ちがあって、早く大丈夫じゃなくなりたかった。
大丈夫じゃなくなって、死ななくてもいい理由とかが見えなくなりたいと思って。
最近、色々な事がもううまくいかないとわかったり、生活がままならないくらい金が無かったり、好きなはずのものに心動かされるのが煩わしくなってしまったり、一緒に生きていきたいはずこ友人たちとももうどうしたって見えてる世界が違うんだとわかってしまったり、本当に欲しいものが絶対に手に入らない苦しみが歳を重ねるごとに膨れ上がってしていたり、気が付いたら本当に何にも無い、空っぽになってしまった。
だったら別に30なんて数字にこだわる必要もないし、早い方がいいなと気が付いたので、死のうと思う。
たぶん僕が死んだらどの友達も悲しんでくれると思う。わからん。怒るかも。
本当は大好きな人たちともうしばらく生きていきたかったけど、そうもいかないみたい。
大好きな友人たちを「友達が自死した人」にしてしまう事がすごく気がかりではある。
死のうと決めた後、友人たちと旅行の予定があったので、そこで楽しく過ごして思い出作っておこうと思って、死ぬ日は旅行後に設定した。
旅行中、感極まっちゃったりするかなと思ったけど、全然そんなことなく、皆といつも通りすぎるいつも通りを過して楽しかった。
死ぬ前にやりたい事とか、会いたい人とか食べたい物とか、そういうのはじめたらきりが無くて何年あっても死ねそうにないので一切考えないようにしてる。
あと本当に金が無いのでしたくてもできない何も
死のうと決めてからリスカも全くしてない。やっぱ自傷行為って生きるための行為なんだな。
この時にちゃんと死んでおけばよかったと毎日毎日本当に心から後悔しているくらいには、この時よりもずっと状況は悪くなってしまった。
どの道を選んでももうどこにも行けない。
誰も何も悪くなくて、ただ、ここに至るまでに自分が選んできたたくさんのことが、たくさん間違っていたんだと思う。
もうどこにも居場所もなくて、何もかもぼくを必要とはしておらず、ぼくにとって必要なものももう何もなくなってしまった。
悲しんでくれる友達も減っちゃっただろうな。
人が好きで、たくさんの人と楽しく過ごせることだけがぼくの人生の誇りだったはずだった。
それができないぼくは意味がないよなあ。
このままの生活を続けていたら、ぼくは大切で大好きな人たちの幸せも願えなくなってしまう。
そうなる前にいなくならないと。
今1番怖いのは、死ななくても良くなってしまうこと。
本当は最後に会いたい人もしたいことも見たいものも行きたいところもたくさんたくさんあるんだけど、きりがないよな、そんなの。
これで死に損なったらダサいなあ。
ぼくの大好きな人達がこれからも毎日楽しく幸せでいられますように。
心から願ってる。
こんなん言ってるけど実際立ち上がったら足が竦むだろうなあ
ことばなんて害悪でしかねえ、だから言ったろうが、って誰にも言えないことを腹に抱えていたのを、こういう時に思い出す。
自分の命は自分で守るしかないし、死にてえなら死んだっていいんじゃねえのか。
耐えられない、つらさ、を、抱えて生きろって強要することなんてできねえだろうが。
命は重たいが、
それは死なれた側が「死なせてしまった命の重さ」として考えることであって、
死にたい死にたいつらいつらいで死ぬまで行ってしまうひとには何の関係もないことだと、思う。
死にたくても死なないでゾンビみたいに生きていて、ある日突然吹っ切れて気がくるって楽しい人生にシフトすることは、ある。
ただ、そうならないということもあるだろうし、そうなる前に限界が来ることもあるだろうと思う。
死にてえなら死ね。
この国は斜陽だ、もうここにいても、あとは夜が来て冷え込むばっかりだから、
もうすでに体が冷たくなっていてこれ以上寒さに耐えられる気がしない、というときは
死を選択肢の一つとして考えることに、罪悪感なんて抱かなくたっていいだろう。