はてなキーワード: 排泄物とは
ほんとに汚いことは分かってるから許してくれ。
使用済み生理用ナプキンを包んで捨てる時、その温かさに毎度感動してしまうってだけなんだけど。
ホッカイロ並みに温かい。これが人間の中身の温度か〜って感じ。
ナプキンに染み込んだ経血、分類としては抜けた髪とか切った爪とか、よく小さい自分の死体って例えられるよな奴らと同じだと思ってるけど、爪にも髪にも温度はないじゃん。温かい経血の"自分の死"感、すごい。
温かいのに死って矛盾してるような気もするけど……なんていったらいいか……さっきまで生きていたものの死を強く感じるというか……死にたて……?
というか当然だけど人体から出るものは温かいんだよな。あ、検尿カップとかもほんのり温かいか。けど尿には排泄物感しかないからなぁ。便も温かいんかな、知らんけど。温かさが分かるほど大量に出血したこともないし、やっぱ経血の温かさは良い。花丸満点
わたくし現在アラフォー(というには行きすぎ?)なのですが、約20年前、子供を作るか作るまいかかなり悩んで、結局作らなかったんですわ
おカネもありませんでしたし、社会には暗雲たちこめる雰囲気がありましたから、生まれてくる子供の将来を思うとちょっと無理ですわ!と夫婦2人で決めたんですのよ
それで今、このおコロナ禍でしょう!
完全に結果論ですけれど、もしあの悩んでた時期に子供を作っていたら、いまその子は大学に入ったくらいになる予定なんですわ(行ければですが…)
いまのそのくらいの年頃の子たち、間違いなく近年では最もツイてない世代になるでしょう
学生生活は抑圧的、イベントはキャンセル続出、就職は氷河期…ちょっとゾッとしますわね
これまで、子供をつくらなかったことに一切の後悔はありませんでしたわ…と言い切ると嘘になりますの
近所のお緑地なんかに夫婦連れ立って出掛けて、同世代の親子連れが楽しそうにはしゃいでるのを見たときなどはかなりこたえましたわね
それでも、人生の苦しみを我が子(非実在)に与えずに済んだ!なんてことを考え、ベネターさんの本に夫婦で傾倒したりしつつ、だましだまし生きてきたのですわ
そして、今がある…今がありますわね
子供を作っちゃった同世代は全員考えなしのアホ、賭けに負けて最悪の部類の人生を子供に押し付けた鬼畜、などと言うつもりはありません
みなさんはみなさんでいろいろとお考えなのでしょうし、楽しい人生というものが存在しうるということは、皮肉にも夫とふたりで過ごす日々の中で学んだのですわ
でもやっぱりそれはそれとして、お排泄物ざまあみやがれ、バカが、貴様らの負けだ、ウンコ という気持ちは心の奥底にありますわね
正直、おコロナ禍がもう少し続いて、いまの学生の人生が破壊されてほしいという気持ちすらゼロとは言い切れませんわ
子供をつくった大人に罪はないし、生まれてきただけの子供にはなおさらない、というのは分かっておりますのよ
それなのに昏い喜びが抑えられないのですから、やはり私は親にならなくて正解だったのでしょう
夫にも流石に言えませんわね
おコロナで子供たちが苦しむのをみて溜飲が下がっているとは……
増田があってよかったですわ
すぐ後にやってきて隣に座るおじさん、いつも医療関係の本を読んだりレジュメのようなもの、
かくいう私は大抵ゲームや漫画を読んでいるので、視界の端に入るものの気にしてはいない。
今朝のおじさんはノートパソコンを取り出した。
普段から電車やバスでノートパソコンを広げて仕事している人間をコンプラお排泄物ですわね、と思っている。おじさんもお排泄物だった。
それだけでは終わらなかった。
いまどのあたりを走行中かとスマホから顔を上げる最中に視界に入る陰経写真の羅列。
おそらく、きっと、めちゃくちゃ好意的に推測して何かしらの症状や名称を検索して出てきたものだと思う。
にしてもやで、場所考えろよ。
犬を飼うって大変すぎた。
飼い主に従順なのがイッヌと言われているけど
幼い頃は色んなところでトイレしたり
他の犬と仲良く出来なかったし。
その中でも唯一仲良かった近所のダックスさんが
さすがに悲しい声を出してた。クゥクゥ鳴いてた。
でもその日から他の犬を見ると飛びかかるようになって
色んなところで酷く吠えるようになった。
そんなだから一人で留守番させた日には一日中吠えるので留守番させられなくなった。家族旅行なんか行けなくなった。
病気には何回もなった。
お尻に腫瘍が出来てオスなのに生理みたいに血垂れ流して手術受けたり、
目の上にデッカイ腫瘍が出来て爆発して手術したり。
なんなら目の上の腫瘍は悪性だったらしくて取ってなかったらやばかったらしい。
1回の手術で15万円なんか普通に越える。今までかかった金額はいくらになるのか。獣医儲かりまくり。
結局手術とかは保険適用外とかにされちゃっていつしか解約した。
何が嫌だったって私が実家を離れる度に
犬に異変が起こることだったな。
帰ってきたら皮膚がボロボロになってた。
原因は不明だけどフケが出てるみたいに皮膚がボロボロになっていつも痒そうだった。
その間はほんとに一気にキた。
一気に足腰が弱くなってトイレがうまく出来ないからオムツをする。ご飯を食べない。毎日死ぬほど要求されてた散歩にも行かない。1日寝たっきり。腎臓が悪くて毎日薬を4錠くらい飲まないといけなかった。
親からは「もうそろそろかもしれない。早く帰ってきてあげて」と言われてた。
1年経って帰ったとき、犬は衰弱してた。
言われてた通り、いつものお帰りの歓迎の挨拶はないし、何ならこっちが見えてないくらいの感じで。
寝たままの犬を撫でたら、あんだけデブ犬と言われてたのに、ガリガリになって骨が飛び出てた。
「耳がタン塩みたいやんw」
なんて冗談言って何でもないフリしたけど1年でこんなに衰弱するなんて正直悲しかった。
最後まで見届けてあげたいと思った。
極力ひとりで留守番はさせなかった。
夜のトイレとかにも対応出来るようにリビングに布団敷いて犬と一緒に寝た。
ひたすらに犬に尽くした。
ある日、寝てばっかりの犬を起こして
そしたら案外楽しそうにしてて久々にしっぽが立ってた。親に聞いたら2カ月ぶりの散歩だったらしい。
次の日、犬がソワソワしていた。
久々の散歩が楽しかったみたいでまた行こうと催促された。散歩に行くと「どうだ!僕はまだ歩けるんだぞ」と言わんばかりに毎日の散歩ルートをズンズン先に歩いて案内された。
犬用おっとっとをバクバク食べると、食欲が刺激されたのか普段食べなかった腎臓に良いエサやら缶詰もバクバク食べるようになった。
すると、散歩に行くほど足を使うからか、あんだけ弱かった足腰がちょっと強くなって、一人で立ってスタスタ歩けるようになった。
ご飯もバクバク食べるので体重が1キロほど増えてガリガリがマシになった。耳の毛も伸びてきて、タン塩に見えないようにトリミングのときも耳毛は残してもらった。
犬は私に元気な姿を見せようと頑張ってくれてた。
私もそれに答えようとずっとそばで世話をした。
でも"それ"はこの前突然起こった。
寝ている犬がいきなり激しく痙攣し始めた。首が90度くらい上に向いて、足をバタバタもがいてる。目は白目を向いていた。
私は犬の名前を叫びながら犬を抱き締めて、大丈夫、大丈夫、ここにいるよー、大丈夫よー、と唱え続けた。自分に言い聞かせるように。
家族が集まって犬を囲んだ。白目を向いたままよだれを垂らしてひたすらに足をバタつかせてる。それを落ち着かせようと抱っこしながら抱き締めた。大丈夫だと言い聞かせた。
しかし父が「もしかして、もしかして………」といらん事を言ったせいで、ずっと耐えていた涙がこぼれて、
いや、死なないで、お願い、死なないでと泣きながら犬を抱き締めた。
痙攣が収まって静かになった。まだ生きている。
生きてはいるが様子がおかしい。ウロウロと歩いては壁に頭をゴツンとぶつけている。完全に前が見えてなかった。頭をぶつけるのを阻止するがひたすらに歩きたがる。
痙攣からくるパニックなのか興奮なのか、それが3時間くらい続き、犬は疲れ果てて寝た。次の日のお昼くらいまで爆睡してた。
「老犬だから色んなことが起こる。痙攣も原因は分からない。」みたいなことを言われた。
犬は16歳だった。人間年齢だと80歳を越えている。
2回目の痙攣は私が一人のときに起こった。
また首を90度くらいに曲げて白目を向いて足をバタつかせている。今回は息が出来ないのかしんどそうにハフハフ言いながらよだれを垂れ流していた。
大丈夫よ、と言いながら抱き締めていると、排泄物が垂れ流しで出ていた。とりあえずトレーナーで受け止めた。
犬は痙攣中、意識がないらしい。
なので痙攣が終わると脳がパニックになってウロウロと歩き回ったり、普段と違う行動を取るとか。
その日も3時間くらいウロウロしたあと、疲れ果てたのか寝てしまった。
今でも健気にご飯はバクバク食べているが、いつなんどき痙攣が起こるか分からず、一人にさせられない。
足腰はさらに弱くなってしまって一人で立てなくなったため、座り込んだら立たせてあげる。逆に一人で上手く座れないので座らせてあげる。水を飲むのもご飯を食べるのもうまくできないので食べさせてあげる。トイレするときは支えてあげる。こんな感じで介助が必要になった。
毎日の薬は増えて薬代だけで月に3万以上かかっている。定期的に行う血液検査で2万、その他もろもろでいくらかかってるのか分からない。
正直、幼いときより今が一番手がかかるし、お金もかかるし、トイレを失敗されたりするとノイローゼになったりする。
でも、どこかから帰ってくる度に熱烈な歓迎をしてくれる犬、寝るときは絶対腕枕で寝る犬、いびきをかく犬、水を飲むから手伝えとアピールしてくる犬、おやつくれとせがむ犬、全てが愛おしい。愛おしくてたまらない。
このままずっと一緒に居れたらいいのに。
別れを想像すると辛すぎて、ふと犬なんか飼わなければよかったと思う。
出会わなければこんな感情になることもなかったと、横でプープー寝息を鳴らしながら幸せそうに犬は寝てるのに、すでにペットロス気味な飼い主がここにいる。
恋人になった途端、相手の人生に口出す権利がお互いに付与されるのが怖い。
人生っていうと大げさだけど、「連絡を取らなければいけない」とか「定期的にデートに行かねばならない」とか。
恋人関係を維持していくための必要最低限のことで、付き合ってない間柄ならなんとも思わないことでも、義務になった瞬間めちゃくちゃ怖くなる。
「~ねばならない」がエスカレートしていくのが怖い。
こういう思考になってしまったのは、愛してるなら〇〇できるよね、が口癖の元彼が原因なことは分かってるんだけど、別れて2年半も経つのに抜け出せない。
別れる間際、元彼からの要求はエスカレートしていってて変態プレイ(全裸でベランダに出されたり、排泄物を食べること)を強いられてた。
勃起してなかったから、このプレイ自体に興奮してるわけじゃなくて、なんでも言うことを聞くっていうことに精神的に満足してたんだと思う。
最近ようやく恋人を作ろうと思えるようになったけど、いざお付き合いしませんか?って段階になると怖くて怖くて逃げてしまう。
デートとかセックスならできるし、相手に対して好きって気持ちは十分あるけど、元彼と別れた日の空気の美味しさが忘れられない。
AはBだからきっとBはAだろうという可愛らしい仮定を両手を羽ばたかせながらもう子供らしさの抜けきった方がされる事をたまに見かけますが
あなたはうんこをするからうんこはあなただって話をマルキドサドがソドム120日で語っていてイヌマエルカントがそれは正しいって息まいてた論説があった時代の人間は動物そのものな政治や哲学をそれはさも文明かのように語っていた時代もあるのです
たしかに人間がそれ自身から生み出すことができるのは全体を平均すると子供よりうんこのほうが上ではあるし意見を強く出せる社会の形成要因である男性からするとうんこも子供も同じものかもしれないけれども
いまのご時世近代文明下では、科学然としていようとも大人とはそれを口にしないと
AとBを成しているのです
あなたはかつて自分の排泄物を口に入れてしまう年齢があってそれを越えて今に至っています
そしていま至った思考の一つを文字にしたそれはかつてのご自身がされていた自分の排泄物を食す行為のそれを肯定している事ゆめゆめお忘れなきように
DVDを買いにきたお客さんに「この排便動画は環境に配慮されていますか?」と質問されたら
「電車内で痴漢に遭遇し浣腸までされてしまった女子校生が自宅まで我慢出来ず野原で排便してしまうという内容ですが
撮影が行われた場所は農地として使用されている場所であり、普段は野菜の有機栽培を行っています
地主である農家さんの許可を得ての撮影であり、排泄物は肥料として使用致しました
そのときの肥料で栽培されたスカトロ有機野菜詰め合わせ(1980円)もありますがセットでいかがですか」と答えるようにしています
その程度の説明なら他の業種の店員もやってると思います 誰かを叩くために私たち店員を貶めるようなことはしてほしくないですね
ガラの悪い学校を動物園と喩えるの、差別っちゃ差別的表現だし、少なくとも悪口であることは間違いないわな。
でも、口の悪さを面白がるのがネットの面白味だと認識してるから、あんな活発な議論になったのがよくわからんのよ。
ネットってさ、メスガキ、お排泄物、便所のラクガキ、ふぁっきゅー!、アホかと馬鹿かと、おねロリキメセク、ヤードポンド法のクソゴミ、ザッコww、などなどの、悪口表現を面白がれる場所じゃん。
これは古い感覚ではないぞ、なぜなら近年の盛り上がりワードも入れているからな。
なので、動物園って悪口がこんなに議論になったのがすげー謎なんだよな。
書かれてるブコメを見ても、擁護にしても批判にしても建前で殴り合ってたっぽくて、噛み合ってないような虚無感があった。
動物感動ドキュメンタリーで号泣するけど、ペットを飼おうとは思えない
人間なら赤ちゃんのときは排泄物垂れ流しでも成長すればトイレで排泄して自分でレバーを引いて排泄物を流せる
でも、ペットなら飼い主がペットのためのトイレを用意して排泄物を回収したり、トイレの砂を交換しなければならない。
人間用のトイレも掃除しないといけないのに、ペットのトイレも掃除するのはめんどくさい
犬猫なら壁をばりばり引っ掛かれたり、コードを噛みちぎられたりデメリット多い
あれって「環境問題を個人個人の意識に」っていう話でしょ。だったら単純に人間の頭数の問題じゃん。そこに金持ちと貧乏人にそこまで大きな差はないでしょ。
そういう問題に対して、トラウデンの発言を好意的に解釈して、店員が「環境問題にお配慮しておりますわよジョルノジョバーナ」とか言うレイヤの話なんだ!って分かってもほとんど意味ないよね。
だって95%の給与所得者は年収1000万以下で、個人事業主でも99%は3000万以下なんだから。トラウデンが行くようなお店に行くような人は1%よりもっと少ない訳。
それなのにそのレイヤの人間の肌感覚で「個人個人の環境意識を高めよう」って無意味だよね。アホなのかな?
99%の人が何を意識してどういう生活かも分かってない中で発言しても「世間知らずのお排泄物お嬢様がまーたなんか言ってますわよブローノブチャラティ」ってなるだけなんすわ。
俺もね、何言ってんだこいつって思ってたんだけども。
意外と擁護の意見が出てるんだよね。何なら店員側から、客からそういう意見を言ってくれたら上に話を通しやすいとか言う人もいるわけ。
全然何言ってんだかわかんねえな。と思ってたんだけど、わかっちゃったわ。
想定している店の格が違う。
俺の想像の中で「環境に配慮した商品ですか」って聞かれてるのは、いなげやのおばちゃんとか、ファミマのおっさんとか、百均のにいちゃんだった。
「そこに(環境に配慮した商品が)ないならないですね」以外に答えようある?時給900円で日銭を稼いでんのに、そんなくだらないことで時間とらせないでよ。って勝手に憤ってた。
でもそもそもトラウデン直美さんってのはもうお排泄物お嬢様で、父は京大の教授のドイツ人、母は元米国大使館勤めの帰国子女。本人は小学生から乗馬を嗜み、大学はFIT入試、いわゆるコネ入試で慶大に行くような、我々とはヒューマンステージが違う人間だったんだ。
そういう人が言う「店員」っていうのは、なんか一つのバッグに俺のデスクより広いスペースとって展示してある店で一人の客に人の店員がかしずいて回るような店のハイソサエティな店員であったり、スーパーであっても何かようわからん外国の見たことない野菜果物とかデリ(notおそうざい)とかが置いてあって店員も意識高くて何か国語も喋れたりするような、そういう「店員」なわけ。
そういう店員がお嬢様に「こちら環境に配慮した商品かしら」と問われて「配慮した商品でございますボンソワ~ル」とか「配慮しておりませんでしたので弱小メーカーの息の根を止めてまいりますジョビジョワ~」とかそういう上流会話をすることが想定されてるのよ。
百均になんか来ないんだ。
だからこの話は徹頭徹尾、我々貧乏人には関係のないことで、上流が上流同士で意識たかおにやってるだけ。
俺たちの働くすき家に「こちら環境に配慮した商品かしら」って聞きにくるお嬢様は来ないから大丈夫!怒る必要なし!
でもなあ。なんかわかんねえけど。くやしいよなあ。
物心ついた時にはもう、そういう傾向があったと思う。
幼稚園の頃には、絵本やアニメで出てくる病気のシーン、熱を出して水枕と氷嚢をあてられて赤い顔で息苦しそう…みたいなのにムラムラしていたのを覚えている。あと、病気じゃないけど、足を骨折してベッドで足を吊るされているやつも。
あのなんとなく無様というか、適度に苦しそうな雰囲気にムラムラしていた。なので生死に関わりそうな病気とか怪我ではなく、風邪をこじらせて寝込む、とかそうの。
小学生になると、熱に加えて下痢や嘔吐も萌え対象になった。排泄そのものや排泄物には興味ないんだけど、同級生の欠席理由で「お腹の風邪」とか「吐き下し」とか聞くたびに、なんとなくその様子を想像してムラっとしたりしていた。そのうち、世の中には浣腸や座薬という、お尻から入れる薬があると知り、俄然興味を持つようになる。当時から自分で使いたい(する方もされる方も)という欲望は一切なく、エピソードの断片から想像を膨らませるのが好きだった。手術する前には浣腸すると聞いて、盲腸で入院した同級生が浣腸される様子を想像したり、別の子が高熱で学校を休んだら、家で座薬を入れられている所を想像したり…。
中学生になる頃には、浣腸は便秘の薬としてだけではなくて、SMという趣味の世界でも使われていることを知ったけれど、それはなんかギラギラし過ぎて自分の好みとは違った。私の萌えポイントは「生死にかかわらない病気や怪我」で「恥ずかしがったり嫌がったりするけれど浣腸されてしまう」というものなので、自分から望んで浣腸されるSMは萌えの対象外。
専門のお店があったり、世の中に広く知られているSMと違って、自分の趣味は変わっていて、そんな人は他にはいないのだろうか…。
そう思っていたけれど、大学生になり、自分専用のパソコンで自由にインターネットをするようになると、SMではない病院での浣腸や恥ずかしい体験を集めたサイトがいくつもあるのを発見し、衝撃に震えながら夜な夜な徘徊しては夢中でむさぼり読んだ。
けれど、ある程度飢えが満たされると、なかなか自分の好みをうまく満たすものは少ないと気づく。
それは、私の萌えポイントがあくまで、病気や怪我で「嫌なのに浣腸されてしまう」というものなのに対して、サイトに体験を書き込む人は、主に「病院で浣腸されたい人」だったり「それっぽい話を体験談風に書きたい人」だからだった。現実離れした羞恥が強すぎる設定や、生々しすぎる描写、性的な描写が入るものも好きになれなかった。
そう思っていたけれど、小説投稿サイトを探すと、わりと自分の好みに近いものも見つかることに最近気づいた。
細かいことを言い出すと、ちょうど良いものは少ない(ほぼない)んだけど、これ以上となると自分で書くしかないのかもしれない。
小説サイトに投稿している人も、他人に読ませたい、評価されたいという欲望からではなく、自分の理想のシチュエーションでエロい話を書いて、自分を満足させたいというモチベーションがあったりするのだろうか。