はてなキーワード: 人身事故とは
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200711/k10012510041000.html
なんか例の事故現場に慰霊碑作ったんだって?まあ痛ましい事故だとは思うから、無碍には非難できないけどさ、コレに対するブコメが相変わらず「警察検察の陰謀」ってのばかりで、それがスター稼いでるのよね、
逮捕は刑罰ではないとか、現行犯逮捕なら令状は必要ないのでそのような事案では簡単に逮捕されがちだが本件事案の被疑者は胸部を骨折していたために入院したため現行犯逮捕は難しかったとか、
そもそも他の交通事故犯だって逮捕されても2日以内に釈放して以降在宅捜査に切り替えるのが普通だとか、そういう話は知らないのかもしれないけれど、
でもたとえみんなが義務教育修了未満の無知無教養だったとしても、この加害者の人って顔も名前も経歴もバッチリ報道されて、この慰霊碑の件だけでなくやれ行政処分で免許証が失効しただの、やれ現場検証に立ち会っただののたびに、
いちいち執拗に毎回報道されているのはわかるよね。その上結局刑事司法制度上も普通に書類送検されて普通に起訴されたんだけど、これでなんの権力がどこに働いているって主張なの?
逮捕が見送られたから?それを理由に名前に容疑者って付かなかったから?本当に権力があったらもっと報道に圧力かけたり出来るんじゃないかなぁ?
みんなの主張だと「胸を骨折してようが留置場に数日ぶち込んでいればよかったんだ」ってことになると思うけど、留置場は医療設備じゃないよ、そんなこと本当にやるべきと思ってるの?
それで怪我が悪化したら誰が責任を取るの?留置所に医者なんて常駐していないよ。
でさ、まあ君等が馬鹿なのは仕方ないのかもしれないけれど、でも見過ごせない罪深さもあって、
本人も勿論だけど、この交通事故犯の家族の人が君等の娯楽のための陰謀論でものすごく肩身の狭い想いをしているだろうってことは考えないの?
インターネットで誹謗中傷された女子プロレスラーの方が亡くなったってニュースの時は、みんな紅潮を押し隠しながら鹿爪らしい顔をして「木村さんを罵倒していたやつらは許せない!」って語気を強めていたけれど、
やってることあれと全く同じだよね、いや事実に基づかない陰謀100%の時点でテラスハウス見てた愚民に輪をかけて酷い。本人や係累が自殺したら君等って責任取れるの?
こう言うときっと「自殺したら~論法は己の命を盾に取った批判の封殺、それでは誰も責任を問われない社会になる」みたいに、またぞろバカがバカバカしいバカ語でバカ反論してくるだろうバカから先に釘を差しておくバカけど、
そういう枝葉末節の部分で言葉尻を捕らえて反論したつもりになるのはやめてバカね。
君等がこのエントリーに対して反論したいならまず第一に「池袋人身事故犯人が特権を行使していると目される相当程度の論理的根拠」を示すことが必要だから。
カメラが捉えた! “罪に問えない飲酒運転” 現役運転手「みんな分かって飲んでいる」 福岡県(TNCテレビ西日本) - Yahoo!ニュース
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200326-00000006-tncv-l40
記事を読んだ感想としては「番組側の調査・説明不足では?」と思った。
第93回:私有地では飲酒運転をしても罰せられないの!?:渋滞ができる法律相談所|日刊カーセンサー(2009/02/17) https://www.carsensor.net/contents/horitsu/category_273/_9246.html
より転記
「空地でも、不特定または多数の人間が出入りする一般的に交通がある場所では、道路と見なされて道路交通法が適用されるという裁判例があります」
「人身事故を起こした場合には、自動車運転過失致死傷などでの立件もありえます。この場合は、相手への損害賠償も発生するでしょう。飲酒をして正常な運転をできない状態で人を死傷させた場合は、危険運転致死傷となりさらに重い処分が下ることも考えられます。」
あの時期、給料やボーナス減らされる当て付けと、解雇して自分たちの取り分増やす為に、正規から非正規へのパワハラが普通に横行していた。
非正規は労働組合に入れないから、給料や待遇に文句あっても交渉出来ない状態だった。
運悪く解雇された人も、炊き出しやってるからと、地方から日比谷公園に大量に集まり派遣村とか言われる集団が出来ていった。
そこから溢れてきた一部が、悪いことした訳でもないのに、オフィス街で拾ってきた紙コップを前に正座して座ってた。
あの時期、ほぼ毎日、電車の人身事故という名の飛び込み自殺で電車が遅れ、通勤客の間で、迷惑かけんなという声が流れていた。
日本の労働人口が少なくなるという理由で、なるべく人間が必要ない体制にする方向性を政府方針として打ち出している。
持続可能な社会を目指す指針SDGsとか言っているが、簡単に言えば、ていの良い人減らし。面倒な人間はなるべく背負わないで済む為の会社の体制作り。
その流れの一環に、介護のロボット化、接客の自動応答サービス、コーディングの専門性を排除した素人でも出来るプログラミング言語がある。今どき、こんな事もアナログにやってんの?という風潮を追い風に、どの業界でも機械化している。
自分はテレワーク不可の業務なので相変わらず通常通勤だけど、このテレワーク化はコロナ禍の収束後も未来永劫続いてほしいと心から願う。
まず、5分以上遅れるのが当たり前だった駅までの路線バスが毎日定刻に来るようになった(いつもの調子で家を出ると乗り遅れてしまう)。
たぶん、道路がすいていることと、バス停で乗り降りする客が少ないことの両方が効いてるんだと思う。乗っている時間が短いので交通量の変化まではわからないが、バス停に並んでいる客の数も乗客数も平時の半分くらいしかいない。
電車もすいてる。
満員電車が疲れるので1~2本やり過ごして座るようにしてたんだけど、その必要がなくなった。もちろんガラガラではなく左右両肩が隣と触れ合う程度には混んでいるのだけれど、四方から圧迫されるようなすし詰め状態ではない。
「混雑集中による遅延」はすっかりなくなったし、なぜか人身事故までもが減った気がする。多少はあるのかもしれないけどコロナ前と比べたら雲泥の差では。
ただ、多くの人が手すりや吊り革を持つことを避けているようで、電車が揺れるとよく人がぶつかってくる。見回すと混雑度と吊り革の空き状況に明白なアンバランスが見て取れる。
ともあれ、(もしかしたら自分の知らない地域や時間帯では逆に混雑が増えたりしてるのかもしれないが)少なくとも自分にとっては快適度は爆上がり、ストレスは激減している。
遅延や待ちのムダがなくなって最寄り駅に平時より10分以上早く着くようになったので喫茶店で熱いコーヒーを一杯いただくゆとりができた。喫茶店のお姉さんの笑顔がまぶしい。マスク越しだけど。
本当に本当に《通勤に関しては》このままの世の中がずっと続いてほしい。
フェイクも何もなしで書くので、
話したごく一部の友人や当事者の方にはバレてしまうかもしれないけど。
昨日、いつも通勤で使っている電車が人身事故で完全に動かなくなってしまい、
乗った車両は同じく振り替えの乗客で満員で、もちろん身動きが取れない。
最寄りとは違うけれど少し歩けば家につく駅。
あちらこちらに揉まれながら降りた時に、隣のドアから降りた女性(妊婦さん)がフラフラとその場に座り込んだので
声をかけようと近づくと、そばについていた別の女性に「駅員呼んでもらえますか?」と言われたので
「わかりました」と走って警備員らしき人に声をかけた。
私に付いてきた警備員さんは、申し訳ないけど確かにトロかった。
座り込んだ女性を見ておろおろするばかりで、小さな声で「大丈夫ですか?」と声をかける。
次の瞬間、最初に私に駅員を呼んでといった女性が警備員に指をさしながら
「救急車とか呼んでくださいよ!彼女妊娠してるんですよ!」と強めに言った。
私に対する指示もかなり語気が強めだったので、妊婦さんの友人なのかと思ってたら
「気にしないでくださいね、私も貧血で倒れることあるからわかります。」
妊婦さんは悪阻がもともと酷いとのこと。予期せぬ満員電車だったのか、
顔を真っ青にしながらも5分ぐらいすれば落ち着いてきて
「すみません~びっくりした~」とちょっと苦笑いながらも自力で立ち上がりベンチまで歩いて座った。(多少支えはしたが。)
意識もはっきりしてるし、自分で水も飲んでるし、休憩してそれでも不安であればご家族に連絡する感じかしら~と
のんきに背中をさすっていたら、駅員が車いすを持ってやってきた。
到着した駅員に、赤の他人は開口一番
「救急車呼びました?」と聞く。
駅員は
「いえ、呼んでませんけど…呼ばれたんですか?」
それを聞いた赤の他人は、警備員に向かって舌打ちをして鬼の形相で睨んだ。
ええ~…。
駅員さんも戸惑いながら、「お知合いですか?」と尋ねる。
それを聞いた赤の他人は、
でも彼女には100%悪意がないんだろうと思う分指摘もできず、駅員と目配せして固まっていると
妊婦さん本人が「ちょっと横になりたいので救護室に行きます」と言ってくれ
めんどくさかったので駅員そっちのけで車いすを開いて
体調の自己申告が出来たり、自力で歩けるくらい回復していたので
もちろん心配ではあるのだけれど。
救急車を呼ばなかった警備員に対して舌打ちと睨みをした彼女を見て
人助けって何なんだろうなって。
心配してくれるのはありがたいけど
自信満々に赤の他人に
って言われた妊婦さん困るだろうなって。
正直、手伝えてよかったという気持ちよりも
ずっと気持ちが鬱々としている。
この二つの路線、2019の人身事故件数同率三位なのだが、なんで早急に対応をしないのだろうか。
どちらかが止まれば両方止まることも多いので実質一位だと思っている。
27件と27件、合わせて54件。人身事故のみで年に54回路線が乱れる。有休何年か分より多い。
最近はなんだか踏切立ち入りや遮断機故障で止まる件数も増えている気がする。なぜだ。
関西圏に住んでいると神戸よりも西側から大阪に来る人もいて、この人たちはしょっちゅう遅刻に巻き込まれているだろう。
自然災害はもう仕方ない。風が強い地域で、いわゆる「六甲おろし」が荒れ狂う場所なので倒木などは仕方ない。
大体住んでる場所一緒のはずなのに、事故起きてる場所はその辺だし。
ホームドアも都会といえるだろうJR神戸線範囲だけでも設置が足りていない印象だ。
もっと早く、急いで、やるべきだろう。
頼む、やってくれ。
予定日を過ぎても一向に中の人が出てこないので、促進剤を打って強制出産する。本当はもう少し様子を見ることもできるらしいが、年末年始を挟むと病院側も色々あるらしい。オトナの事情だ。
妊娠する前、正直に言うと、妊婦なんて腹が大きくなるだけで何でもないと思っていた。
実際になってみると、意外としんどい。
ついでに頭も全く回らない。文章を読んでも一回では頭に入ってこないし、口頭での指示は言われたそばから抜けていく。
動悸や息切れもあるし、腰は痛いし、電車や車で酔う回数も明らかに増えた。
1日外をウロウロすると、あまりに疲れて顔色が真っ青になってしまう。
私は体力に全く自信のない自営業なので、妊娠が分かってからすぐに仕事を減らし、妊娠中はほとんど働かずに過ごしていた。
こんな状態でどうやって働き続けているのだろう。女の人ってすごい。
電車に乗ると、妊娠マークを見てすぐに席を譲ってくれる人がたくさんいた。
ヘロヘロ妊婦だったので、譲ってくれると本当に助かった。譲ってくれた人には、もれなく一生幸せに過ごせる呪いをかけておいた。
でも、面白いことに、席を譲ってくれる人は全員おば様。
若い人や男性は譲ってはくれない。譲ってくれないのか、妊婦マークに気付いてないのか、気付いても譲る必要性を感じていないのかは分からない。
ちなみに私も妊婦になる前は席を譲らない側の人間だった(席を譲ろうと思うほど妊婦に興味がなかった)から、譲られなくても格段何も思わなかった。
逆に譲ってくれたおば様たちは、きっと妊娠中に大変な思いをしたのだろうなぁと思うと涙が出そうだ。
私も妊婦さんを見たら、席を譲るようなオバちゃんになろうと思う。
妊婦は空気を吸っても太る、と聞いていたからビクビクしていたら、なんとびっくり体重が増えずに医者に怒られる、というレアな体験をした。
普段は食べないオヤツを1日2回食べ、カロリー気にせず食べたいものを朝昼晩と食べ、炭水化物を多めに取っても効果なし。
何が腹立たしいって、妊娠する前はこんな生活してたら普通に太っていたという事実である。
胎児、羊水、増加分の血液、胎盤の重さを全て足すとそのぐらいの重さらしいので、産んだら元の体重に戻りそうだ。
戻らなかったらどうしよう。
美味しいお店があると聞いて、父と豚足を食べに行った。
汚い立ち飲み屋のようなところで豚足を食べ、あまりに美味しいのでお持ち帰り。
翌日お持ち帰りを嬉々として食べたら、その日の晩に盛大に吐いた。
1つ言えることは、豚足はおいしいということ。
電車に乗って出かけようとしたら、人身事故の影響で混んでいた。
とりあえず乗った各駅停車。その中で、頭の先から冷たいものが足元まで降りてくる、という初めての感覚があった。
ああこれダメなやつ、と、次の駅で転がるように下車し、壁を伝って何とかベンチに腰を下ろした。
人でごった返したホームの中で、一緒に電車に乗っていた夫が温かい飲み物を買いに走り、全く回復しない私を見てすぐに駅員を呼びに行ってくれた。
私がベンチで気分の悪さと戦っていると、電車待ちの行列の中から2人のおば様がやってきた。
「大丈夫?」
「あら、あなた妊娠中?駅員さん呼ぼうか?ああ旦那さんが呼んでくれているのね。」
「顔が真っ白よ。」
そう言って見ず知らずの私の背中を撫で、大丈夫大丈夫、と励ましの呪文をかけてくれた。
まさかの優しさに号泣してしまった私を見て、泣かなくていいのよぉ〜とおば様たちが笑った。
「妊娠ははじめてかしら?」
知らない妊婦の腹の事情なんかに興味を持ってくれて、私はその質問に答えることで何とか気持ちを立て直すことができた。
あの優しさは一生忘れない。
そして、私もそういうことができる人間になりたいと思った。
これ以上電車に乗せるのは不安だと、夫は電車で家に帰り、車で迎えに来てくれることになった。
電車に乗った意味が全くなくなってしまったが、夫があまりに優しいので、将来介護は任せろと心の中で呟き駅長室でお留守番。
駅員さんはとても優しく気遣ってくれて、毛布やら枕やらを準備し、何かあったら声をかけてと丁寧に言って、仕事場へ戻って行った。
人身事故の最中なので、駅長室はたくさんの放送が飛び交っていた。ドコで電車が止まってるとか、駅のホームで何が起こったとか。
向こうの方で駅員さんの
「うぉおぅ…。こりゃもうダメだわ…。」
という、この世の終わりを見た人みたいな呟きが聞こえた。
その間にも、忘れ物をしたとか、切符がないとか、道に迷ったとか、迷子を見つけたとか、お客さんがドンドンやってきて、一つ一つ優しく対応する声が聞こえ続けていた。
ソファでまどろみながら、駅員さんってすごいなぁと思った。
お仕事、本当にご苦労様です。
私が倒れた駅のホームで、対応が遅いとか情報がないとか客の誘導が出来てないとか、ずっと大声で文句をつけているオッサンが1人いた。
でも、私におば様たちが駆け寄って慰めている姿を見て、声を荒げるのをすぐにやめていた。
気遣ってくれてありがとう。でも、駅員さんにも優しくしてほしいな。
妊娠して明らかに変わったのは、バストサイズと乳首の色だ。バストは大きくなり、乳首は真っ黒になった。
それはもうまっくろくろな乳首で、こりゃ「乳首をピンクにします」みたいな怪しげなクリームが売れるわけだと妙に納得した。
そしてお腹には、正中線と呼ばれるらしい、一本の黒い線が浮き出てきた。
胃のあたりから股の上にかけて、まっすぐ引かれた黒い線。妊娠週数が進むにつれ、ちょっとずつ濃くなっていった。
これは最初の細胞分裂の跡だと、どこかに書いてあった気がする。本当ならおもしろい。
切り取り線に見えるので、てっきり帝王切開の時はこの線を目印に縦にメスを入れるのかと思っていたら、横に切るらしい。
なんだ、キリトリ線じゃないのか…。
黒くなったのは乳首だけじゃない。
脇のあたりとか、背中の上の方とか、局所的に黒くなっているところがいくつかある。何故かはサッパリ分からない。
私は毛深くない方だが、明らかに産毛の量も増えた。背中も気持ちフワフワになり、お腹にも毛が生え、腰にも産毛のクッションができた。
毛が生えているところは弱いところだと聞いたことがある。胎児を守ろうとしてこうなっているのなら、私の身体は私の気持ちなんかよりよっぽどお母さんだ。
私は普段から化粧を全くしない程度には美容に興味がない。だから黒くなったところで、そういうものか、ぐらいの感慨で済んでいる。
でも美容にしっかり向き合っている女性は、この黒くなったり毛が生えたりする現象をどう受け止めるんだろう。
やはり、ショックを受けるのだろうか。
それとも、子が産めるのならと受け入れるのだろうか。
まだ見ぬ子のために自分のこだわりを一旦置いておけるって、すごいことだ。
一方では「妊婦は動くな、ゴロゴロすべし」と言われた。お腹が張ったりすると、赤ちゃんも苦しいらしい。
もう一方では「妊婦は動け、何でもやっちゃえ」と言われた。動いてはいけない場合は指示をするから、それ以外はお産に向けての体力作りのために動いてほしいらしい。
仕方ないので、都合のいい方を日替わりで信じることにした。おかげで楽しい妊婦生活だった。
おかげで好き勝手、ストレスもほとんどなく過ごしてきた気がする。
夫は優しさが服を着て歩いているような人で、義両親は付かず離れずの距離で気を回してくれる。
実の兄弟とも仲良しで、義兄弟やイトコ、ハトコとも、深夜まで話し込むことができる程度に仲がいい。
友人もそれなりにいて、出産経験のある子からのお下がりとお祝いで、赤ちゃん用品はほとんど買うことなく済んでしまった。
これだけ味方がいて、みんなに励まされているけど、やはり出産は怖い。どれだけ痛いのか考えただけで震える。
そして妊娠中は苦しい。何の理由もないのにメソメソ泣いて夫を困らせたり、何もしていないのに疲れて一日中寝ていたりした。
それでも周りは許してくれて、慰めてくれて、私の好物を買って来てくれたりする。
だから何とかここまで耐えることができた。
そこには必ず、DVを受けていませんか?と書いてある。
世の中にはいるのだ。人に恵まれず、望まない妊娠をして、苦しい妊婦生活を一人で過ごし、出産の恐怖に怯える人が。
私が大勢に支えられて何とかやってきた生活を、ただ一人で耐え抜くのはどんな気持ちなのだろう。
幸せになってほしい。
つわりで気持ちが悪いと「腹の中の人のせいだ!」と思うし、胎動で眠れないと「ちょっとは静かにしてよ!」とウンザリするし、思うように動けないと「お腹重すぎるよ!」と悪態をついたりする。
そもそもお腹が膨らんでいったところで、その中に人間が1人入っている、というのが信じられない。
でも、もし本当に産まれてくれたら、精一杯かわいがってみようと思っている。
私は子どもを産んで育てたいと思っているけれど、別に子ども好きではない。
だから泣き声を聞いてうるさいと思うことだってあるだろうし、イライラすることもあると思う。
ついでに家事も上手くないから、子どもにいい環境なんて作ってあげられない。
それでも休み休み愛して、一緒の時間を過ごして、ゆっくりお母さんになっていけたら素敵だ。
明日産まれたら、お腹の中の人は初めての肺呼吸と初めての哺乳で大パニックだろう。
その前に、狭い産道を通ることでヘロヘロかもしれない。
一緒に頑張ろう。
痛いのは怖いけど、私も何とかやってみるよ。
どうやら人身事故で止まっているようだ。
止まってすぐだったようで1時間は動かない模様。
そして、すぐに訪れる便意。酔いも冷めていく。
しかし、便意の中、先頭まで歩けるのか、また下車してもトイレまでもつのかなど、
考えた結果、座って我慢する事にした。
だが、心を無にするも時間が進まない。
最悪、車両連結部で隠れて持っているビニール袋に用を足すかなど、色々な考えが頭をめぐる。
いつ気を抜いたら出てもおかしくない状態で運転再開時刻に近づいたとこで、
そしてその後もさらに延長。
漏らしたとはいえ、まだ気になる程度ではない。
幸い、終電間近で電車内に人もほとんどおらず、気づかれなかったはず。
次に止まった駅で下車してトイレに駆け込み、慌てて済ます。幸いパンツが少し染みていた程度だった。
慌てて済ましたのには訳があり、次の終電に駆け込むためだ。
しかし、非情にも階段をかけて、ホームに向っている途中で電車の扉が閉まる。
あと10秒早ければ…。踏んだり蹴ったりだった。
これ、結局どうすれば良かったんだろう。
車両先頭まで行けば簡易トイレがあったとか、無いよね…。あるのかな?
車内アナウンスも運転再開時刻と、先頭から降りられる事しか伝えてくれないから、きつかった。
【追記】
恥ずかしくて書かなかったけれど、こんなの漏れたうちに入らないと言われたので…。
駅を降りて、この駅には何もなかったので、隣の駅のネカフェに泊まろうと思って30分かからない程度で着くので歩いていたら、
ずっと我慢していたせいで腸がおかしくなったのか、我慢する余裕もなく出てしまった。
こんな事なら駅を出ないでもう一度、駅のトイレに戻れば良かった。
ただ、これまた幸いにパンツから垂れはしなかった。ボクサーパンツのおかげだと思う。
ネットカフェに着いて、入って店員さんに気づかれなかったと思いたいけれど、
チェックインして、すぐにトイレに駆け込んで確認したらズボンにまで染みていた…。
とりあえずパンツはビニール袋に入れるでいいけれど、ズボンどうしようって。
正直、フラットシート個室で、染みたズボンのまま座るのは、はばかられた。
持っているビニールたくさん敷いてその上から座ったから大丈夫なはず…。
こんなときのためにではないけれど、かばんに10枚以上ビニール袋入れていて良かった。
死ぬのが怖いので眠れない。
睡眠は小さな死だという言葉の通り、意識がなくなる自分が怖くって眠れない。
そうは言っても睡眠障害というわけでもなく、眠ろうとすれば眠れる。
ただ、その眠りに入るのがとても怖いのだ。
ツイッターで、自殺を予告したアカウントのツイートが流れてきた。
私がそれを知ったのは今日なので、アカウントの持ち主は数日前まで生きていたことになる。
境遇が特に当てはまるわけでもアカウントの持ち主と知人だったわけでもなかったし、最初目にした時は読むことすらせずスクロールした。そもそもニュースに疎いから、それが記事になった事件の話のことであるとも知らなかった。
その後、何となく気になったから巻き戻って、今度は不特定多数に晒された遺書を読んだ。
ただ怖かった。
社会に対する理不尽とか、彼が受けてきた苦痛とか、貶められたプライドとか、想像はできるが詳細が語られていないそれがどこまで彼を追い詰めたのかわからない。だが、ただ、怖いと感じた。
故人の復讐心とかではなく、そこで死を選択したことと、死んでしまった結果が怖いと思った。
いままでの人生で死にたいと思わなかったことは一度もないし、今でも死んでしまいたいと思うことは多々ある。
だが、死にたいなと思うたびに、死ぬことに付随する痛みや恐怖を想像してしまい一度も実行しようとまで至ったことはない。
それは、自分が抱えている死にたいという感情がそこまで切迫していないからかもしれないし、死ぬ以外の選択が残っているからかもしれない。
ただ、運良く死ぬのが怖いと思い続けているので私は生きることを選択している。
電車の人身事故による自殺や遅延など、数字だけでみてしまえばよくある話だ。
義務教育や学校教育のころは、道徳の授業で命についてだとか自殺に関するビデオを見せられたものを素直に受け止めていた。
だが、今になって自分が人身事故で電車の遅延に巻き込まれるようになった時、そこで誰かが死んだ事実に対し、何とも思っていない自分がいた。
授業であんなにも素晴らしい理想の、自殺者に対する態度を考えていたのに、他者の死に煩わしさすら感じていた。
遺書と、最後のツイートに繋げられたリプ欄には「迷惑をかけるな」と言った趣旨のリプライがズラリと並んでいた。
それに反論をしているツイートも勿論あったし、遺書と個人のツイートをスクショして、その死を広めようとしている人も何人か見かけた。
迷惑だと即答する人もいれば、自殺自体が迷惑だという人もいるのだろう。
飛び込み自殺を止められて、それでも死ねと言われたら誰だってそう言う。少なくとも私はそうだ。
その答えを用意していなければ、飛び込み自殺を批判してはいけないのか。
人の死生観や死ぬという選択に至った感情を尊重したいから安易に自殺するなとは、私は言えない。
身内や仲の良い友人ならば死んでしまうことが悲しいとストレートに伝えられるが、赤の他人なんてそんな感情持つ隙がない。
画面越しの遺書を見て私は怖くなった。
自分にとって、どうでもよくなってしまう数値に感情がついてしまった。
きっと、まだ生きていた頃のその人にあっても性格は合わないし仲良くなれるかもわからない。
もし、生きていたとしても街中ですれ違うことすらないかもしれない。
ただ、画面越しの単なる情報が感情を伝えて、関係のない他人の死を伝えた途端。赤の他人の死がとても怖くなってしまった。
故人は、死ぬのが怖くなかったのだろうか。
生きていた頃、存在すら知らなかった人物に聞くことは到底出来ない。だが、何となくザワザワとした感情を抱いた。
怖いまま死んだのか、怖く無くなってしまったのか、それとも怖いと思う隙間もなかったのだろうか。
死は怖い。