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はてなキーワード: デザイナーとは

2015-09-08

本当に佐野氏のエンブレム著作権的にアウトじゃないのかの論考

深津氏の文章を読んで、本当に佐野氏のロゴ著作権的にアウトじゃないか

疑問に思ったのでベルギー弁護士の人がやろうとしていた

ことを代わりにやってみた。

著作権侵害が成立するには

1.依拠

2.類似性

3.利用行為を行ったか

の3つをすべて満たす必要があるらしいので、順番に検討してみようと思う。

なお、著作権侵害が成立する要件については、こちら

(http://www.saegusa-pat.co.jp/copyright/cr_02_3.htm

を参考にした。


1.依拠

はつまりパクった経路が確認できるかをベルギー側が

証明する必要があり、Pinterestの閲覧の有無が争点になると思う。

当然ベルギーデザイナーPinterest自分ロゴ登録しているし

佐野氏もPinterest登録していたことが確認されている。

これによって佐野氏がベルギー側のロゴを見たということには充分妥当性があるように思う。

ここで佐野氏が実際にそのページをみたかどうかの証明必要ないし(もちろん証拠があればそれに越したことはないが)、

佐野氏がもし仮に、見ていないと発言しても、忘れたと発言しても依拠性が覆されることはない。



2.類似性

まず佐野氏のロゴベルギー側のロゴ類似している部分を列挙してみる。

類似点 ベルギー側のデザインの要素

・中心の縦の棒のパーツ

・左上と右下におかれたパーツ

・3つのパーツにより切り抜かれた円の形を視覚的に感得できること

・パーツの組み合わせにより『T』と『L』の合字が視覚的に感得できること

以上の4つではないかと思う。

(1)判例判断基準

判例では、他人著作物表現形式上本質的な特徴を直接感得できるかが判例判断基準となるようだ。

ここでは、"表現形式上の特徴"が争点となる。

9分割による"モジュール"による展開性や"書体"などは、

"構造的な特徴"となり、デザイン本質的な特徴ではない。

もし仮にまったく別のデザインなのに、モジュール展開性が

可能だったり、たまたま『T』の書体が一緒だとしてもそれは

構造的な特徴(つまりアイデアのこと)として処理され、

類似性があるとは認められないのと同じ。



(2)表現共通性

これは一目しただけで、類似していることが認められるのではないかと思う。

相違点はベルギーデザイナーデザインが外側に黒丸で囲んであり、

モノクロ(2色構成)で構成されているのに対し、佐野氏の、エンブレム

外側の黒丸に対する円がなく、4色構成であり、右上に赤い丸があることの

いであるが、これらの違いはベルギーロゴが土台にあってはじめて

成り立つものであり、ベルギーロゴ本質的な特徴であることが理解できる。

まりベルギーデザインが土台にないと、佐野氏のデザインはまず

構成できないことに着目したい。




(3)創作的部分の共通性

ここではベルギーロゴ創作的か、一般的かが問われる。

日本側は、幾何学的模様による構成は、どこにでもあると

主張していて立証は難しいように思える。

しかベルギーロゴが『T』と『L』の合字であることに

着目してみたい。

ベルギーロゴの着想の出発点は『T』と『L』の合字部分

である

それに対し、佐野氏のロゴの出発点は『T』のフォントである

原案を見てもそれは明らかである


佐野氏の案を出発点にすると、どうしてもロゴの右下にあった

パーツ(≒△)は右上にこないといけない。佐野氏の原案でも

右上に△があり、右下に△を入れる論理的必然性がなく、

ここに飛躍的がある。

ベルギーロゴには元々、『T』と『L』の合字であるという

出発点となっているため、飛躍的な超越はない。ここにベルギー

ロゴ創作性が認められる。

おそらく佐野氏は『L』の合字部分に気付かなかったのではないか。

ベルギー側のデザインが『T』のみのロゴだと思い込んだのである

日本人には一見なにも問題ないように思われる。しかし『T』の

右下にパーツを入れることは欧米では一般的ではないのである

まり佐野氏のロゴは、『T』としては非常に不自然な形状をして

いることになる。この不自然さこそ、一般的でないことの証明であり

創作性を保有しているということになる。

さて佐野氏はどこから、右下に三角(≒△)のパーツを配置する

という着想を得たのだろうか。


3利用行為を行ったかどうか

あきらかに五輪エンブレムとして利用すれば利用行為を行ったことになる。

佐野氏がエンブレムを取り下げたために、ベルギー側も告訴を取り下げるしかなかった。




おそらく以上のことをベルギー側は証明しようとしていたので

はないかと思われる。

これを読んでもみんな(深津氏や山本一郎氏を含む)は、佐野氏は

エンブレムをパクッてないということになるのだろうか、聞いてみたいところである

ついでに以前の自分記事

http://anond.hatelabo.jp/touch/20150903190148


よろしくどうぞ

「よくわかる、なぜ「五輪リエージュロゴは似てない」と考えるデ

よくわかる、なぜ「五輪リエージュロゴは似てない」と考えるデザイナーが多いのか?

http://bylines.news.yahoo.co.jp/takayukifukatsu/20150907-00049112/

なんというか、この記事を読んで「この人って常識教養もないのか?」って思った。

もしこの見解が「デザイナー界隈の最大公約数」というのなら、デザイナーってのはどれだけ教養常識もないのだろう。

この説明をみて「その通り!」って思う人って、どれだけ教養も知識もないのだろう。

深津貴之という人は、ベルギー国やそのデザイナー侮辱しているのだろうか。

今回の類似性理解するには、前提としてステンシル書体を知っていなければなりません。これは製図やレタリングで使われるステンシルテンプレートモチーフとした書体通称です。リエージュや、チヒョルト展の文字デザインは、このステンシル系の書体ベースにしています

まりリエージュチヒョルト展のロゴにあるTやLの文字の分割具合は、「ステンシル書体お約束」なわけです。

1.ステンシル書体という書体ジャンルがある

2.リエージュロゴチヒョルトロゴは、このステンシル書体に属する

3.ロゴのTが分割されてるのは、ステンシル書体(のローマン系)の作法

などとあるように、深津氏の論理大前提に「リエージュロゴ」や「チヒョルトロゴ」は、ステンシル書体を基本にして作られている、という主張をおいている。

そんなわけあるか。

ステンシル体というのは、ペンキやスプレーなどで簡単に、木箱や木樽などにアルファベットをペイントする「型紙文字」を模したものだ。

ところどころ文字の線が切れているのは、「型紙を作るときに閉曲線を作らない」為とか、さらに型紙の強度(壊れにくさ)なども加味した、

実用大前提理由があるんであって、オシャレのためでも独自性のためでもない。

更に、ステンシル書体の由来が「実用」、それも非常に泥臭い場所用途での実用やその使われる対象や実際の転写品質関係もあることから

ステンシル書体は「野性味」、良い意味での「不精さ」「無骨さ」「無頼」「不器用」「泥臭さ」「俗っぽさ」「荒っぽさ」、そういうイメージ連想させるものだ。

ベルギー国王名前を冠したベルギー王立の劇場エンブレムを作るときに、そんなものから出発するわけがないだろう。

深津氏の主張は「ベルギー王や王立劇場イメージは、野生、不精、無骨不器用、泥臭い、俗っぽい、荒っぽい、である」といっているに等しく、

ステンシル書体から出発してスタイリングを経て現在ロゴになった、と主張するということは

リエージュ劇場は、ちょっときれいにスタイリングされただけ、そもそもの根本的にはステンシル書体が似合う場所なんだよ」と言っているにすら等しい。

まりにも無教養すぎるし、ベルギー国や王立劇場、そのデザイナーに対してあまり侮辱的過ぎる。

「でもステンシル書体と共通する特徴があるんだし、ステンシル書体と同じ」というところから恐らく深津氏の論理は出発しているんだけど、

それこそ深津氏が言うところの「井と♯と#が同じ文字と言っている、無学な藁人形」と深津氏の知能が同じであるということに等しい。

なんというんだろう、これが本当に「デザイナー」の共通認識なのか?

デザイナーというのはここまで無教養で、無礼で、不躾で、まがりなりにも一国の王を侮辱して恥じない人間なのか?

深津氏の説明を聞いて「なるほど」と思った人は、このぐらいのことも頭が回らないのか?

ごまかし」てるのは反論記事じゃね? と思った

http://twinavi.jp/topics/news/55ed5ffc-0a30-4ffc-a057-3b8eac133a21 これ。

なんとなれば「T」に隙間の無いステンシル書体存在することは、リエージュロゴステンシル書体モチーフにしていない理由にはならないから

記事よくわかる、なぜ「五輪とリエージュのロゴは似てない」と考えるデザイナーが多いのか?)では、名刺デザイン展開を根拠リエージュロゴステンシルモチーフにしている、としていて、そうすると「Théâtre de Liège」の頭文字TLを合わせたあのロゴの隙間が論理的整合性を保って説明できる。

一方反論記事デザイナーの『ごまかし』 本当に「五輪とリエージュのロゴは似てない」か?)では、

リエージュロゴについて言えばむしろ、(佐野氏が五輪エンブレムモチーフとして紹介した)DidotやBodoniのようなローマン系のフォントセリフ文字の端のヒゲの部分)から発想し、エリアを囲む四角形を外円の円周をあてて切り抜いた、と考えるほうが自然に思われます

となっていて、その根拠が全く示されないため「お前がそう思うんならそうなんだろう お前ん中ではな」と言わざるを得ない。

そして反論記事後段の「ごまかし」の指摘。ここも微妙だったりする。

「似てない」根拠は、「似て見えるか、似て見えないか」でも、エンブレムデザインのものではなく、デザインする上での「設計思想」のみと言うことになります

──つまるところ、この記事解説は、佐野氏が会見で行った解説に、自分に都合のいい事例だけを付加しただけの「ごまかし」ということになるのではないでしょうか?

反論記事の筆者は上記のように元記事批判しているわけだが、ここに反論記事自身の「ごまかし」がある。元記事の主張に向き合わず周辺箇所にレッテルをはることで矮小化しようとしている、とでも言えばいいのか。

どういうことかというと、元記事の主張は、両ロゴはコンセプト(=設計思想)が違うため、「似てない」とするデザイナーが多い、である個人的には「似てるけど設計思想が違うから別物」と表現した方がいいとは思う)。

これが元記事の根幹であり、元記事批判するのであれば最初ツッコミをいれるべきだと思うが、反論記事はここをスルーする。そして逆に、元記事におけるステンシル書体商標のくだりを「自分に都合のいい事例」と批判する。

しかステンシル書体のくだりは、リエージュロゴ側のコンセプトを推論したものであり、主張の根拠となり得るものだ。他方、商標のくだりは何故事前に類似を見抜けなかったのかや、何故ロゴを事後修正したのかという疑問に答えるためのもの

いずれも元記事内での役割があり、その役割妥当性もある。決して「自分に都合のいい事例」でもなければ「ごまか」すためのものでもない。逆にそうレッテルをはってしま反論記事に「ごまかし」を感じてしまう――のだが、はてなの諸賢にはどう映っただろうか。

五輪エンブレムをめぐるホッテントリについて」がわかりにくい理由

http://anond.hatelabo.jp/20150907223211

個人的釈然としない部分がいくつかあるので整理・言及したい。

増田氏の主張は以下の通りである

-----

1. 「劇場ロゴパクリ」は争点になっていない。五輪エンブレムとして採用するか否かが争点

2. 類似性(似ている/似ていない)が認められるかどうかということが話題となった

3. パクったかどうかに関係なく、単に似ているということで著作権上の問題が生じる

4. 他の案件におけるパクリ(盗用)はあった

5. 「劇場ロゴパクリ」はなくても、チヒョルト展のパクリはあったと認定できる。その根拠は次の二つである

5-1. 文字とは無関係の装飾要素かつまったく不要な赤丸が原案の右下にあったか

5-2. 「(佐野氏がチヒョルト展を訪れた事実を認めた上で佐野氏がチヒョルト展のロゴを)覚えてない」と弁解したことについて、彼は嘘をついている、プロならばこれほどのデザインをあっさり忘れるはずがないから

6. 深津氏は争点になってないものについて解説しており、深津氏の見解のもの意味を持たない。

7. 「劇場ロゴとのパクリではない」なんていうどうでもいいことを持ち出して、「専門家の言うことを聞け」と述べるような深津氏の主張は妥当ではない

8. 深津氏の見解の主要な点は「専門家に任せるべきだ」とした部分にあるが、最終案を決めたのは素人である武藤事務総長であるため、深津氏の主張は成立しない

9. ベルギー劇場ロゴとの類似性が認められるかどうかという法的争点を抱えている状況の中、佐野氏の他の案件におけるパクリが判明。加えて、原案と最終案はまったく違うものであるほか、最終案を決定したのは事務総長ということが判明した。これをふまえて、「五輪エンブレムとして採用するには適切ではない」という民意が生じた。

10. 9 を無視して「専門家判断に任せよ」という深津氏の主張は問題デザインの面だけに限定しており、きわめて視野が狭い。まったく問題所在理解していない。

11. 今回のエンブレムは、エンブレムデザインとしての良し悪しで決まったのではなく、展開力で決まった

12. (原案の)丸と三角と四角というデザインはあまりにも単純で凡庸であり、これを「美しい」「見事だ」と思うようなデザイナーはいないだろう。専門家民衆の声と自分の心の声を聞くべき

13. 心の底では「くだらん」と思いながらはっきりと口に出せない。「展開力が優れている」と言われると「なるほど」と言って承諾するだけで「エンブレムとしてはあまりにも凡庸な図形だ」という本音を口にできない。

14. そんなデザイナーたちの良心というものを信用できない

id:sisya 氏のコメントに対し:

15. 「(劇場ロゴと)似ているか依拠しているか」というような話題は争点ではない

16. この事件問題点は、ベルギー裁判で勝つかどうかじゃない

17. 著作権問題にしていない。そもそもベルギーロゴとの関係問題にしていない。ベルギーロゴとの関係などはどうでもいい

id:bros_tamaコメントに対し:

18. “五輪エンブレムデザインで何が問題であったのか”ということは今回の騒動ではほとんど意味がないことだというふうに評価している

19.パクリデザイナー作品五輪正式採用することの倫理的な是非」が問題

20. 美術的な問題はない。美術的なことをいくら論じても、今回の騒動には何の関係もないというのが本項の趣旨

21. 劇場ロゴとの類似性とかパクリとかはほとんど話題になっていない

22. 深津氏の見解否定しているわけではなく、本質とは関係ないとして軽視しているだけ

id:Eizo0000 氏のコメントに対し:

23. この問題専門家(つまりデザイナー)に委ねるべきで、大衆がこの問題に口出しするべきではない、という発想を問題視している

id:honma200 氏のコメントに対し:

24. 問題本質は、法律違反をした(あちこちで画像の盗用をした)作者のデザイン五輪採用するかどうかという倫理的な部分にある

25. 23 の主張も、深津氏の記事が訂正されたことによりかなり色褪せてきたとも言える。

-----

全体を通して、おそらく増田氏は「犯罪者である佐野氏がデザインしたエンブレム採用することは倫理的問題がある」ということを言いたかったのだろう。

しかしながら、その結論に向けて展開した論理が歪んでいること、根拠が不十分であったりすること、本筋とは関係ない論理が混じっていること、

話題」「争点」「問題」といった言葉の使い分けが曖昧であることが、エントリのわかりにくさや理不尽さを生じているのではないかと考える。

冒頭で個人的釈然としない部分があると述べた。論理が歪んでいるのが気持ち悪いと思う私的な感情から、その部分について指摘していきたいと思う。

増田氏が取り扱う問題と深津氏が記事が取り扱うことが違うということを増田自身認識していない

増田氏は、深津氏の記事を「劇場ロゴパクリではないと言っているだけ」としたが、この時点から既にズレが生じている。

記事は、「五輪リエージュロゴは似てない」と考えるデザイナーがどうしてそのように考えるかといった点にフォーカスしたものに過ぎず、増田氏が取り扱いたい問題については言及していない。

増田自身も、ロゴデザインがどうとか劇場ロゴと似ているかとか著作権がどうとかは争点ではない(主張1、15、16、17、18、20)、

自身の取り扱いたい問題本質とは関係ないとしている(主張22。これらの主張だけを見れば主張6 も「(増田氏にとって)意味を持たない」として解釈することができる)。

それなのにも関わらず、自身問題とすることを深津氏の記事と結びつけたために、6、7、8、10 といった見当違いな主張が生まれ、(はてブコメント欄観測する限り)読む側に混乱が生じたのではないだろうか。釈然としない。

■各人のコメントに対する返答の的はずれさ

3、4 に対し、id:sisya 氏は「単に似ているだけでは盗用にならず、依拠しているかどうかが重要」とコメントされたのではないだろうか。

そのことについては深津氏の記事の「前提知識1」の項に書かれており、それを踏まえてid:sisya 氏は「参照元エントリ全然読解できていないように見える。」「もう少し元記事を読み返すことをお勧めする。」と述べたと思われる。

そう考えると、id:sisya 氏に対する返答は的外れである

id:bros_tama 氏の「あの記事は“五輪エンブレムデザインで何が問題であったのか”について書かれているんです」というコメントに対し、

「それはわかっている」「本質とは関係のないことをいくら解説しても、そんなことはどうでもいいことだ」と返答しながらも、なぜ自身問題とすることを深津氏の記事と結びつけたのか。

その矛盾id:bros_tama 氏がコメントをする動機となったと思われるが、いかんせん増田氏の返答は的外れである釈然としない。

根拠不十分

4 については、実際にトートバッグの件について佐野氏側が「第三者デザイントレースしていたことが判明」と発表していることから、間違いのない認識だろう。

しかしながら、5 については何の根拠もない。その根拠とする5-1 についても5-2 についても不確かではないか。釈然としない。

■「それ、あなた感想ですよね」(ひろゆき風)

ちょっと主語が大きすぎるのではないかと思う(主張9、12、13)。自身の思いを投影しただけに過ぎないと感じる。釈然としない。

不要論理

犯罪者である佐野氏がデザインしたエンブレム採用することは倫理的問題がある」という結論に向かう上で、6、7、8、101112、13、14 は必要のない論理ではないか。

深津氏がいわれもなく謗られたと受け取る可能性がある内容を記述することに何の意味があるのか。釈然としない。

犯罪者呼ばわり

トートバッグの件について、佐野氏側はトレースした事実を認めたが、それ以外の案件についてはまだはっきりとした裏付けはとれていない。

何らかの罪に問われたわけではない現在の状況下において、一個人を「大犯罪者」と呼ぶのは果たしていかがなものか。一個人が一個人を断罪することは危険ではないかと私個人は思う。釈然としない。

■ずれる結論

犯罪者である佐野氏がデザインしたエンブレム採用することは倫理的問題がある」(以下、結論Aとする。)という結論に向けて論理を展開したかと思いきや、

id:Eizo0000 氏のコメントを受けて「この問題専門家(つまりデザイナー)に委ねるべきで、大衆がこの問題に口出しするべきではない、という発想を問題視している」(以下、結論Bとする。)と結論を変更した。

その後、深津氏が記事結論部分の表現を変更したことを受け、増田氏は「問題視したことは、かなり色褪せてきたとも言えます。」「「大衆デザインには無知なんだから口出しするな」というような方針が、少しは改まったのだとすれば、本項は一定役割があったと言えるでしょう。」と追記。

なんだ、結論Bを言いたかったのかと思いきや、さらにその後のid:honma200 氏のコメントを受けて、再び結論Aを書き連ねる。これでは、結局言いたいことが錯綜しても仕方ない状況だ。釈然としない。

■まとめ

横暴な論理を振り回すことは非常に危険行為ではないかと思いますしかしながら、増田氏が問題視する倫理面に切り込んでいくことは重要と思うので、これについて僕も書けたらよかったのですが、見識がなく断念しました。どなたかお願いします。

http://anond.hatelabo.jp/20150908151311

いや、それは逆なんだが。。。

チクリを受けて出てきたのはトートバッグにパクられたアメリカデザイナー

んで、そっちは事実パクリだったわけで。

(部下責任戦法で逃げ切ろうとしてるけど、その辺、誰も責任とってないよね?)

http://anond.hatelabo.jp/20150908150946

まあ、もうコレ以上似てる似てないを議論しても

一般国民」としても「デザイナー」としても全く意味が無いから

さっさと裁判して判決出してもらいましょう、ということしか無いと思うんだけど。

一般国民」と言われるネットの声を静めるのは不可能だし、

それに対してデザイナーが何言っても無駄だし燃料にしかならないの、そこ早く気づくべき。


言われるだけ言われて黙ってたら負け、なんて雰囲気反論してるだけならそれは「一般国民による叩き」となんら変わらない。

http://anond.hatelabo.jp/20150908150035

じゃあ、裁判起こしたオリビエ・ドビって、デザインのこと何も知らない素人なのかよって感じ

なぜそこまでドビとかいうよく分からんデザイナーを信用できるのか疑問だ。

http://anond.hatelabo.jp/20150908084541

・似ている点として、以下の特徴があるように見える。

 - 主張と違う論点反論する

 - 自分(または他の人)が良いと思っているから正しいと主張する

 - 業界自体が間違っていると言い出す

いや、だからそれがそもそもデザイナー業界の方がやってること、と言うのは理解できません?

エセデザイナーエセ科学者だとして、



どうですか?まさにエセデザイナーエセ科学者じゃないですか?

この逆は成り立ちますか?

何方が先に「エセ」ってるんですか?

デザイナー一枚岩ではないから

修正エンブレム模倣ではないという主張はまだわかるんだけど、修正エンブレムヤン・チヒョルト展の模倣だろ?

近大のアン・キヨン准教授テレビでそう言ってたってことは、デザイン業界内部でも「模倣だ」という見方はあり得るってことじゃん。

それともアン准教授大衆迎合してるだけってこと?

自分劣等感デザイナー投影して「デザイナーは偉そうにしてる」とか「俺たちを馬鹿にしている」とか言ってる奴はもう黙ってて欲しい

佐野を引きずり下ろして十分に鬱憤は晴れただろ

結局は「みんなが気に入らないからあのロゴはやめよう」ということ

ロゴ発表の時点から大不評だったところにタイミングよく類似ロゴが見つかったかパクリだと叫んで引きずり下ろしただけで、

似てるかどうかなど最初から大した問題ではない。ただ単に「あのロゴは気に入らないから使いたくない」というだけ。

コンセプトを褒めるデザイナーはいても、あの形状がいいと思う人に今までお目にかかったことがない。

単に意匠としてみた時には良いデザインとは言えないなら、止めて正解だったと思う。

深津氏はとてもすごいが、その深津氏を盾になぜか自分ドヤ顔しているデザイナーぽい人たちに言いたい。

おまえらのそういうとこじゃね?

パクリだと難癖をつけられた時の、対処

スポーツの祭典を象徴するロゴの騒動は、辞退した事もあって一応の落ち着きを見せ、総括の段階に入ったようだ。

まり、アレは一体何だったのかという説明と、それに対する反発の第二ステージに入ってきたと言って良い。

ロゴに関しては、専門家の説明と素人感情の両方がネットでは読めるので、説明はしない。

ここで触れるのは「自分がもしも佐野氏の立場になったら」という対処法だ。

まあ仕事とか趣味とか、そういう時の話だと考えてくれ。

諦める

一番簡単なのは、諦めることだ。

冗談ではなく、最初検討すべきことだ。

趣味ガンプラに色を塗った。

店長を思いローソンカラーに塗ってみたら面白かったので、Twitter写真を載せた。

「それ、セブンイレブンパクリでしょ?」「べつやくれい恐竜に塗ってたのパクった?」

続々とリプが飛んできたとしよう。クソリプとは言えない。適切な感想だし。

ここで、「いや、思いつきで」とか「セブンイレブンのヤツは今ググったけど、みたことない」

みたいな反論は火に油だ。転載されてどこかのまとめサイトにでも載ったら、まあオシマイだろう。

最終的に識者に「著作権的にはグレーですが、迂闊な公開とは言えるかもしれません」とかオチが付いたりする。

「言われてみるとパクリっぽいね。消しときます

相手の意見肯定しつつ諦めることで、2,3日すれば「消すくらいなら上げるな」的なクソリプも収まる。

対応するとして、まずは分類

ちょっとややこしいので、まず分類しておこう。

パクリ」と「似てる」には明確に差があって、

パクリ」は「誰かのに似せる」という「行為」を問題視される。盗用や盗作等、黙って使うと非難される。

「似てる」は「誰かのに似ている」という「結果」を問題視される。途中経過は、あんまり関係ない。

パクリ問題場合

パクリ」とは「似せる」という「行為」を問題にされるので、やってるやってない双方で証明は異常に難しい。

これは「所有権を主張するなら、譲ってもらった相手が譲ってもらった相手のそのまた譲ってもらった(以下略」と最初まで遡って証明せよ、と言われていたいわゆる所有権悪魔の証明みたいになる。

そして、対処法も法律の枠組みと同じになる。証明責任を転換させる「権利推定」という手法だ。

「この事実があるんだから、この権利があるもの推定する」という方法

カッコよく言えば、「プロセス規定する」と言っても良い。

プロセスに沿って仕事してましたよ、と説明すれば良くなる。(というか、良くなることにしないと進まないのでそう決めてる)

似ていることが問題場合

この件で一番仕事で身近なのは特許だろう。

先行技術調査、なんていい方をするけど、似た特許がすでに無いか調べてから出願する(特許を出す)のが一般的だ。

この場合特許庁登録されているもので調べれば、少なくとも仕事の上では、以後問題になることはない。

プロセスに沿って仕事していれば、特許無効審判で潰されても、賠償問題にはならない。

感情問題場合

混ざりやすく、対応を間違えやすいのがこちら。

  1. ある行為をするに相応しい「人間性」
  2. 人間の飛躍しがちな推定

ポイントは大きくは2つあって、まあ「格」と「情緒」と言っても良い。

人間の屑であってもクレバー人間は多いし、サイコパスからこそ社会的成功するなんて論文もある。

冷静に考えれば、「人間性」と「その人が行った成果」は、全く関係ないんだけれども、世の中そうはなっていない。

格式」は、服装振る舞い挨拶儀礼ほぼ全てについて回るので、まあ、根強いし仕方のない面もある。

情緒」は、論理性とかは特にないので、同じように情緒的に対応するしか無かったりする。

対処法その1:切り分けて淡々対応する

仕事場合が該当するんだけど、実は順序良く対応できる。

  1. プロセスに沿って仕事をしたので、「パクリ」じゃないと主張
  2. 「似ている」事に対する、リスクを説明する
  3. 1,2番に問題がないと言質をとった上で、「格式」の問題確認
  4. 書面にして関係者に展開する

例えば商標登録して、ブランド展開しようと考えたとする。

こういう場合特許情報プラットフォームで調べると、出願されてるかは判る(例えば「はてブ」は、登録5672858で登録済み)

例えば、全くの天啓で「アノニ増田」を思いついたとする。(これは商標登録されてない)

こういう時は、弁理士弁護士に依頼して、商標出願してもらうのがプロセスになる。

こうすると、「パクリじゃない」と調査してくれた上で、「似ている」場合リスクの報告もしてもらえる。

そして、法律上問題点クリアした上で、「格式」として、類似に見えるサービス展開はどうだ?みたいな話になる。

なんで言質をとって関係者展開で事実を積み上げるかというと、次への布石になるからだ。

格式」や「情緒しか問題がない場合は、明らかな「難癖」は、見た目で判りやすくなるからだ。

仕事で良くある「それは法律上の」とか「それは盗作や盗用のリスクが」という批判を潰せる)

対処法その2:言質をとって問題を切り分けていく

まあ仕事でもないと、プロセスに則って何かをやるってのは難しい。

個人では弁護士に依頼して調査してもらう(お金責任の肩代わりをしてもらう)ことはまずない。

そうすると、言質をとって対応するのが次善の策になる。

パクリだ!」→「これはこういうことで」→「そういうことを言ってるんじゃない!」というのを、前提とするってことだ。

特に発言多様性意味を変えてくる(大抵謝ったりしない)相手に対応するとき基本方針になる。

これは、コミュニケーションを繰り返すという意味ではなくて、想定しておくという形になる。

具体例:よくわかる、なぜ「五輪とリエージュのロゴは似てない」と考えるデザイナーが多いのか?(深津貴之) - 個人 - Yahoo!ニュース

この深津氏の説明が優れているのは、「言質をとって切り分ける」想定問答集として理想的な形になっているからだ。

たいへん雑で恐縮だが、「対処法」に絞って整理すると、説明としては以下のようになる。

途中、デザイン寄りだったり、秘匿性の話が挟まっていたりはするものの、きちんと切り分けされている。

やっているのは「情緒からの切り離し

「オマエのことが気に入らない」とストレートに言う人間は、実は非常に少ない。

「俺は、なんとなく、気に入らない」は、ほぼ無敵で対処法が存在しないけれども、

「みんなは、法律的に、問題視するのでは」という「第三者批判」は対処法がある。

その為、深津氏の説明は、

という流れで、以下の結論に持って行ってる

反論しようとすると、法律問題感情問題かのどちらかをハッキリ言わないとバカに見えるようになっている。

オリジナル部分が違えばパクリではないと規定しているが、妥当な前提だろう。似てるだけなら全部ステンシル書体パクリになるし)

(「著作権的にオリジナル主張が難しい」という弁理士弁護士やその他デザイナーが指摘はできる構成

まとめ

パクリだってまれたら諦めてゴメンして取り下げろ。

仕事上で諦められないなら、プロセスに沿って仕事してた、対応粛々しますと切り返せ。

仕事ネット上で炎上したら……感情の解消と、法律面の対応は、両輪。

情緒」の解消は、基本的当事者間の話し合いになるので、そこをクリアするとネットは沈静化するよ。

法律面は粛々対応。「格」対応は、週刊誌ゴシップで蓄積有るはず。基本根回しとコネ

……上記は、難癖対応であって、弁護士代理人としてやってきたら、ちゃんと対応しよう。

雑感

まあ、今までは週刊誌で盛り上がるだけなんで抑えも取引も効いただろうけど、ネットから燃え広がるとコントロール難しいからねー

でも、リクルート事件筆頭に、やっぱ国会議員は硬いわ。不逮捕特権伊達じゃねえな-

アルファベット一覧のTだけ余計なものが付いているについて

http://anond.hatelabo.jp/20150907223211

佐野氏が後日発表した、レンブレム展開例のアルファベット一覧。

これ、Tだけ余分な要素が付いているから後付けだ、という人が多いけど、その説明がデザイナーからされていないので書きます

このアルファベットは、Aから順に作ったわけではないです。

まずTをモチーフにしたロゴを作った。

これを展開させるためにアルファベット一覧を作った。

この順番です。

からTにだけ余分なものが付いているんです。

http://anond.hatelabo.jp/20150908121823

× 炎上に参加する人間を、群集心理に煽られただけの、主体性の無い暴動市民だと決めつけている

○ 炎上に参加する人間は、群集心理に煽られただけの、主体性の無い暴動市民である

× 今回の炎上は、東京オリンピックのことを「ビジネスの一環」と考えている一部の人間が、「俺たちのオリンピック」と考えている多数の国民気持ち理解しようとしなかったことが発端

○ 今回の炎上は、東京オリンピックのことを「ビジネスの一環と考えている一部の人間が主導している」と決めつけた多数の国民が、その不満をいけ好かないデザイナーに向けたことが発端

× 発言力、影響力の少ない人達が集って大きな声を上げるという意味で、ネット上のデモではあったけれど、私刑ではない

○ 発言力、影響力が少ないと自称する大衆が、デマを流し個人情報を暴き脅迫嫌がらせを重ねたという意味で、私刑である

深津さんは似てるって認めてるよ

表層的な部分は似てるって。

でもデザイン設計)としては似てない。

それは何としても理解してもらわないと。


深津さんも世の多くのデザイナーも、多分、佐野がどうなろうがエンブレムが何になろうがどうでもいいと思ってるよ。

佐野を庇うどころか、この恥知らずがって思ってる。

ただデザインってのに真摯になると、デザインに対する世間の誤解を放置したままではいかんと、逃げずに説明しなきゃなんないと思ってるんじゃないかな。


あの記事についた、現時点で400件近いコメント一つ一つに今だに未だに深津さん答えてるからよく読んでみなよ。

http://bylines.news.yahoo.co.jp/takayukifukatsu/20150907-00049112/


http://anond.hatelabo.jp/20150908102213

デザイナー村の詭弁批判すると反知性主義者扱いされるのか

デザイナー村は絶対議論に負けない「無敵の人」で構成されてるんだな

五輪エンブレムの件に見る反知性主義アンチインテリ)について

いくら専門家が説明しようとしても

デザイナー様が下々の者にご高説をたれやがる。説明が必要ってなんだよ!?パッと見分かるようにしろ!良し悪しを決めるのは知識層じゃなくて大衆だ!」

って意見がある一定出てきます。これが反知性主義って理解であってますか?

反知性主義を「知性が無い」とか悪い意味では使ってません。専門家や知識層主導の社会に対するアンチとしての大衆層主導主義というような意味合いです)

どちらの主義が良い悪いという話ではありません。

ポピュリズムに近い認識で合ってるんですかね?

http://anond.hatelabo.jp/20150908031302

真正から書いたつもりだが、

反論出来ないと見るやいなや、「お前の論点はずれてる」論法ですか。。。



貴方の主張はなんでしょう?

まずはフランスパン等、後から見つかったものに関しては関係なし、とせよ、ということですね?

ですが、第一に、「一般国民」の方々はデザインのコンセプトがどうこう、と言うより、

あのエンブレムオリンピックに「ふさわしいかどうか」が一番の関心ごとです。

そして、それについてはもはや誰がどう見ても「ふさわしくない」です。

実際、取り下げた理由も様々な面から「ふさわしくない」という理由からです。

(それが「佐野家に今後弊害をもたらす」という理由なども含め。)




で、あなたはこういうことは関係ないだろう?と言いたいわけですよね?

では関係ないところで話しましょう。

そのエンブレムがどうか、と言う話に関してです。

それに関しては、

デザイナーが訴えたことがきっかけで事が始まった」

これが全てです。

一般国民」の方々があれは似てる!と言って騒ぎ出した話ではありません。

同種業者デザイナーの方が言い出してる話です。

コンセプトなどの話も十分理解されてる上で、あれは似ている、と訴えています

勿論、それがただの言いがかり、と終わるかもしれませんし、逆に訴えが認められるかもしれません。

もはや裁判所で消めるしか無いでしょう。


一般国民関係なく、デザイナーの中の話です。

ですから一般国民に分かるようにデザインの話をしてやるか」みたいな主張はなんら意味が無いのです。

理解いただけますか?

http://anond.hatelabo.jp/20150908025803

「T」に見えるのはなぜかという文に、まんま「T」に見えないっておうむ返しのようなオリジナリティーに欠ける文章ですね。

せっかくなので、デザイナーを唸らせる文章どうぞ。

http://anond.hatelabo.jp/20150908022153

だったらデザイナーを名乗るんじゃねーよ、深夜バイトでもやってろゴミクズ、で終了。

てめえの創作力のなさを業界全体で隠蔽しあってんじゃねーよカス

http://anond.hatelabo.jp/20150908021712

で、何かこの感じ見たことあるなーと思ったら、反エセ科学記事に対するエセ科学信者コメントにそっくりだと気付きました。

・主張と違う論点反論する

自分(または他の人)が良いと思っているから正しいと主張する

業界自体が間違っていると言い出す

しろ

エセ科学信者=デザイナー

エセ科学記事=「一般国民

ですが。。。


もともと、エンブレムが似てる、と言い出したのはデザイナー

一般国民には違いが分からない」と言うのは正に

・主張と違う論点反論する

一般国民」が特に断罪してるのはその後見つかってる明らかなパクリなわけで。

で、そのパクリ事実で本人が認めてる訳で。

自分(または他の人)が良いと思っているから正しいと主張する

これこそデザイナー人達がやってること。

パクったかパクってないかはもはや佐野氏本人しかからないし、

デザイン著作権おかしいるかどうか、は裁判所に任すしかない。

デザインのコンセプトが違うから、というが、

それもデザイナーの人がやんややんや言い出したが、

そもそもコンセプトがホントに違うものだった、はもはや佐野氏本人しかからない。

そのコンセプトもオリジナルとは全く違うしコロコロ変わってる様に見えるのは少なくとも悪印象。


業界自体が間違っていると言い出す

一般国民」なんて大きな括りで批判し始めてるんですがね。。。

デザイナーも「デザイナー以外」を断罪してるんですがね。。。

http://anond.hatelabo.jp/20150908022703

まあ、現状だとそれは商標を抑えない方が悪い、ということになってしまう。商標制度も、色んな紆余曲折を積み重ねて現状の制度が一番マシだろう現行の制度がある訳で。

ただ、そこに有象無象既得権益商標とはちょっと違うが某ネズミとか)が蠢いてるのは事実だし、現行制度限界であることは間違いない。だから、何らかの救済策は必要だと思う。

でも、それこそ現状の制度を変える代案がある訳でもないんだよなあ。

極端な話、その保護を外すと、中国みたいに何でもパクリOKみたいな世界になるし、保護を強化するとデザイナーが何も作れなくなってしまう。

過去の何かに似ないデザインなんて作れる訳ねーだろ、ぼけ

ちゃんとしたグラフィックデザイン歴史なんて百年やそこらだけれど、毎年何万人っていう人間が何作品作ってきたと思ってるんだ。それ以前には人類が始まってから人間創作活動してきた。

 

「他のなににも似ていないデザインを作れ」なんて無理だよ。あほか、くそが。

 

佐野氏の五輪ロゴの話でいえば、モジュール化という今回のコンセプトをグラフィックに落とし込んでいれば問題ない、極端な話、佐野氏がベルギーロゴを知ってたとしても問題ないというのがデザイン業界では雰囲気な気がする。結局どれだけ、それらしい能書きが作れて、それをグラフィックとして落とし込めているか、なんだよ。そして、すくなくとも佐野氏は、デザイン業界言語では、ベルギー差別化できるくらいの論理武装は出来ていて、それがデザイン業界にいる人なら「ああ、こうしたかったのね」というのがコンセプト文なしで大体伝わるものが作れていた。だから佐野氏案は採用された。仮に審査中にベルギーロゴが出てきていたとしても、審査員は「よいデザイン」と判断していたんじゃないかな、と思う。

 

けど、それが市民乖離してるんだとしたら、どっちかがすり寄るしかない。ただし、もしデザイン業界側がすり寄ることになったら、それはデザイナーは何も作れなくなる。ほんとに。だって手を動かした瞬間、その手の軌跡は人類数千年の歴史のうちの誰かが動かした手の軌跡に似てしまう。どうしても似てしまう。ちょっと考えれば分かることだろ。

似てることが罪なら、もう本当になにも作れなくなる。

 

そんなこと言っていると、いやそうじゃない「態度」が市民に受け入れられなかったんだという反論になっていない反論がくる。それ気持ちは分かるけど、それならそれで徹底的に「態度」に対して批判を加えるべきで、「ロゴ類似性」を責めるべきではない。能書きぐだぐだ書いて剽窃だ、だから佐野氏は駄目だ、と言ったところで、佐野氏態度がむかつくんだったらその能書きは「ごまかし」だろ。素直にお前の態度がむかつく、って言えば済む話じゃないか。

 

それならそれで佐野氏も「ごめんぴー、調子載ってたよ」って謝って済むじゃない。それで手打ちだよ。トートバッグとか展開例の写真のみそぎは別にまた必要だけれど。

 

いまはデザインの話だけだけど、根源的には音楽にも絵画にも彫刻にもマンガにもアニメにも小説にも料理にも何にでも言えちゃうよ。そんな息苦しい世界は私は嫌だよ。

 

http://twinavi.jp/topics/news/55ed5ffc-0a30-4ffc-a057-3b8eac133a21

これを読んで、あと、これのブコメを読んで。思ったことを書きなぐりました。

今更ながらオリンピックロゴ問題について

ロゴ問題って根本的な部分を盗用問題すり替えて誤魔化してる気がする。

ロゴ問題最初美術館から抗議があった時のワイドショーなりの解説を思い出してほしいのだけど、ロゴが似ているとオリンピック開催中そのロゴは使えなくなる。っていう解説があったと思うんだけど、覚えてる? 以前オリンピックの時に開催地と同じ店名だったかで開催中店舗名白紙を貼って対応したとか、そういったエピソードなども紹介していたと思う。

美術館からの抗議の主題それは困るから変えてくれって事だと思うのだけど、主催は何故かこのまま行くって決めちゃったわけで……。

ロゴ作者の様々な失態のせいで話がロゴは盗用かって話になってるけどさ、そもそも似ているものが沢山ありそうなデザインを選んではいけないのではないの?

ロゴは有名なデザイナー模倣で、その作品もよくある手法を利用しているってことらしいのだけど、それはつまり同じように模倣している人がいるかもしれないって事なわけで、選考も作る方もプロであるなら、そこに思い至らないわけがない。その上、商標登録を調べたら初期案と似た構図があったわけでしょう? どうしてこのデザインで行くことになったのか理解できない。

無理やり決めたと考えるなら、なんらかの背景があったのではと邪推の一つも入れたくなってしまう。ロゴ問題の話をデザイン畑の人が記事を上げる度に、やっぱり何かあるのかなぁと思ってしまうのは仕方ないよね。

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