はてなキーワード: カンとは
単なるポリエステル財布だけど、とにかく薄くて軽いのに使い勝手が良い
2年使っているが壊れることはないし、壊れたとしても新しい財布もこれにしようかと思っている
外観はオーソドックスな二つ折り。だから小銭とカードにすぐアクセスできる
薄さを強調した財布はL字ファスナーになっているものが多く、取り出すのに結構手間だ
こういう構造にした開発陣はわかっている
小銭なんて1ヶ月に数回しか使わないキャッシュレス社会だけど、たまに使うから困る
ただそれだけだが、だいたいの金額がわかる上に余計なゴミとかが入っても見えるのがいい
水に浸かっても乾かすのが楽だ
トラベルを謳うだけある
スーツに入れる飾りにしか思っていない人間にはわからないだろうが、財布はジーンズに入れておくのが基本だ
革でもポリエステルでも、一瞬で財布を開けられないなら使う意味がない
一瞬で開けられる
一瞬で閉められる
財布を見ることもなく、ときに片手でできる
1000円しない
マツキタツヤがらみのツイートで見かけた性依存症についての漫画を読んで思い出したんだけど。
前いた職場の飲み会の二次会で、イケイケアラフォーツーブロックの上司が独身のころ五股?七股?かけてたっていう自慢をいきなりはじめて、ぐでんぐでんに酔っ払ってたからつい勢いで
「そりゃええ自慢になりますわなあwタイガーウッズw」つって返したことがある。要は性依存症呼ばわりだな
まあ実際そうなんだろうが、クソみたいな自慢を突き返す方便としてあれがどのくらい良くてどのくらい間違ってたのか、未だに考えるんだよな。考えてもしゃあないが
その場にいた人らはだいたいスルーしたか、ピンとこなくてポカンとしてたかのどっちかだった。新入社員一人だけおもくそ吹き出してて、個人的にはそれでスッキリできた
昔からの大ファンから言わせれば、正直作品の出来不出来が激しいと思っている。
いくつかの大傑作を生み出してもいたことが魅力となっている。
自分が傑作選を編集するなら、異論は多いだろうが以下の作品になるだろう。
「ミノタウロスの皿」
「ノスタル爺」
「イヤなイヤなイヤな奴」
「ヒョンヒョロ」
自分のなかでは「ミノタウロスの皿」「ノスタル爺」が飛び抜けて名作。
20年以上繰り返し読んでいるが、読むたびにその凄さにため息が出る。
(追記)
印象としては、1970年代前半が駄作と傑作の振り幅が大きく、
1980年代以降は良くも悪くも作品の質が安定するようになっている。
手探り状態で試行錯誤を重ねていた70年代のほうがやはり魅力的かな。
ラストの締め方に強い違和感がある(あれがいいという人も多いのだろうけど)。
個人的には藤子F短編は途中まで凄くてもラストがイマイチだなと思うことが多い。
その点「ミノタウロスの皿」「ノスタル爺」はラストが神がかっている。
「クレパトラだぞ」も非常に好きな作品だけど、ラストが若干の不満。
「僕はゆるせないぞ!自分がそんなにみにくく老いていくことを!過去の自分をせめること以外なすこともなく・・・」
のセリフに鞭打たれる日々。
人に興味ないよねとよく言われることが多かった。確かに人の名前は覚えられないし、学生の頃話題になりがちな誰と誰が付き合っているだとか全くわからなかったし興味もわかなかった。
あるときふと気づく。確かに私は人のことをあまり覚えられない。でも大切にする人は大切にしていると最近気付いた。人に興味のない人の言い訳のテンプレートのようなものだけど、これが事実でほとんどの人に興味はなく、興味の大きさがクソデカ感情しかない人間だったらしい。
そんな私の3つのリアルクソデカ感情とその相手について話そうと思う。
不思議というか破天荒というか突拍子もない行動をするというか、世間的には問題児でしかないような彼女。なにか問題起こしてもまぁ彼女ならしかたないよねという風潮まであった。タバコを吸うとかそういう問題ではなく、体育祭で日傘をさしていたり、人間が入れないはずの小さいロッカーから飛び出てきたり、入学式そうそう他クラスまで殴り込みにいき、名前なんていうの?って聞いて回るような変人。しかも一回みたひとの顔と名前は絶対に忘れないという変人オブ変人だった。
そんな変人で、すらりとしていて、いつも飄々としていた彼女が美しいとしいと思ったのだ。恋愛的な意味ではなく、なんといえばいいのかわからないけど、毎日彼女がかわいくて仕方がなく、「おはよう、今日もかわいいね○○さん」と挨拶のように言っていた。かわいいね、好きだよと毎日言っていた。女の子同士のじゃれあいのような感じではなく、かといって恋愛的に好きなわけでもないのに、私はほぼ真顔で毎日伝えていた。私自身それがクソデカ感情だとよくわかっていなかったからである。彼女ほどではないが、彼女に限らず、女の子がかわいくなったら、なにも考えず本心で「かわいくなったね」とか「美人になったね」と真顔で言っていたし、男の子にもまた「なんかかっこよくなったな」ということもあった。そのときは大抵ドン引きされるか「でっしょーーやっぱり私超美人だからさーーww」と茶化されることばかりだった。それが当たり前だとは思う。
引かれてもおかしくないような挨拶を毎日していたけれど、何故か彼女はいつも普通の顔をして「おはよ」といっていた。
学校を卒業して一年後あったときに流石にクソデカ感情抑えようと以前の挨拶をしなかったら、「もう私のこと好きじゃないの?」ときょとんとした顔で聞かれた。流石に沸いた。何故かわからないけど彼女は私のクソデカ感情を、こいつはそういうもんだと思って受け止めてくれていたのだ。ありがたい。
部活動で私とふたりセットにされる男の子がいた。ふたりとも他の部員より積極的に活動していたからか、この学年だとこのふたりだよねといわれるようなセット。
彼は意図も言わずに理解できないような無理難題を急に言い出して、私に押し付ける。不思議なことにそのどれもが成功し、私に押し付けた無理難題は確実に意味のあるものだった。
最初は彼のことが恋愛的に好きだったのかもしれないけれど気づいたら、恋愛なんてなにもなく、崇拝していた。彼のやることなら絶対に成功する。彼の思い描いた思想を叶えることが楽しくて楽しくてしかたなかった。相棒のように頼り、頼られることがなにより嬉しかった(振り回されてばかりだったわけではなく、こちらからもかなり頼っていた)。部活動で死ぬことはないと言えど、不思議なことに彼のためなら死んでいいなと本気で思っていた。
ここにきてやっと、もしかしてちょっと重いかとしれない?と思うようになったこと、またもともと恋愛的に好きだった疑惑もあいまり、クソデカ感情をぶつけるのは流石にアカンなと思うことができたらしい。しかし隠せないのがクソデカ感情というもので、疲れているときに無理難題を言われると、「君のいうことは必ずいい方向に向かうし私は君のためならなんだってやりますよ」とか言ってしまっていた。何度か言ってしまったことがあり、スルーされたり苦い顔をされたした。本当に申し訳なかったと思う。
遠い昔「クラスも部活も一緒なわけでもないし仲良いけど、二番目なんだよなー」とある女の子に言われた。他意はなかったのだろう。放課後とか休み時間によく遊びはするけれど、お互いの家に言ったこともないし、クラスも部活も違う。クラスも部活も同じ子とより仲良くなるのは当たり前だ。
いや、わかるけどわざわざいうかね?一番になりたいというより、どれだけ仲良くなっても私は二番目という認識が離れなかった。
私は特に怪我をしているわけではないが階段が苦手で降りるのも上るのも無意識なら上れるけれど意識するとよたついてしまう。母親には階段の上から「落ちても助けんからねーw」とよく言われていた。当たり前だ。幼稚園児や小学生ならまだしも高校生相手なら私じゃなくて下敷きになった母が大怪我する可能性がある。人が上からふってきて怪我したくないもの。リスク避けるのは大事。
ある日疲れからか死ぬほど段差に弱い日があって、「おまえほんと今日ヤバイよ気を付けるどころの騒ぎじゃない」と周囲に言われていた。そんな日でも階段を使わなければならないときはあるもので、彼女と一緒に下の階へ向かおうとしていた。
「おまえ絶対落ちるなよーww」といいながら彼女は私の前にでた。前と言うことは私の下。
「え、前いくん?落ちたら危ないよ?」
「目の前で落ちたら気分悪いじゃん」
彼女は当たり前かのごとく少し前にでて後ろを振り返りつつ私をみて「大丈夫かー」と声をかけつつ降りてくれたのだ。もう二番目といわれたのは何年も前だけれど、二番目でも良いから彼女になにかあったら絶対に守ろう。彼女が心配してくれたその言葉だけで生きていける気がした。
これ以来彼女は階段を上るときも下るときもいつも私の落ちる側にいて声をかけてくれる。その度に彼女になにか嫌なことを言うやつがいたら、胸ぐらつかんで殴りにいこうと決心するのだ。
彼女はおそらくクソデカ感情が苦手なのでなるべく出さないようにしている。やっと自分がクソデカ感情持ちだと気付いたのだ。ただ、やっぱり隠しきれないのがクソデカ感情であり、彼女へのクソデカ感情を出すとガン無視される。ごめん。以前手紙をかいたらラブレターになってしまったのは本当にごめん。
ほかにもあと2,3人ほどクソデカ感情を向けている方もいるが、あまりにも長くなってしまうので割愛する。
クソデカ感情をぶつけられて気持ちのいいものではないと思う。私は嬉しいが、苦手な人だっていっぱいいる。流石に私もあったことのない人にクソデカ感情向けられてぶつけられるのは怖い。クソデカ感情が生まれてしまうのはもう仕方がない。なるべく出さず、クソデカ感情が苦手な人に無意識にぶつけないようにしなければならない。相手に不快な思いをさせてしまったら駄目だ。
あとクソデカ感情以外の人たちにもっと興味をもつようにしなければならない。興味の触れ幅が0か100しかないのはいろいろと不便。あと大変申し訳ないのが彼氏がいたときですら、クソデカ感情のほうが限界突破してしまっているという状態(今は彼氏いない)。勿論彼氏のことはちゃんと大好きになるし大好きだから付き合った訳なのだけれど、その思いがクソデカ感情に勝てない。相手に申し訳ないし、失礼だからちゃんと向き合わなきゃいけない。
私の人生はまだまだ続く。
クソデカ感情によって人を不快にさせないように。拗らせて犯罪を犯さないように。明日我が身だと自覚をもってクソデカ感情との向き合いかたを考えつつ生きていかねばならない。
なにか困ったことがあるかもしれない。私が相談にのってよいと君が思うのならば私がいくらでも話を聞こう。愛する人を見つけるかもしれない。直接教えてくれたとしても風の噂で聞いたとしても私は全力で祝福しよう。直接教えてくれたのならば心からのおめでとうを沢山伝えよう。風の噂で聞いたのなら祝福の意味を込めてひとりぼっちのティーパーティをしよう。
なんていうか、まず校内に異性がいないから、
「特別仲がいい友達同士」みたいにお互いをちょっと特別と思いあう関係を作って、やや過剰にいちゃいちゃしてみたりとかそんな程度。
それでも、やっぱりみんな年頃になると
中学後半~高校前半とかあたりになると、そんな集団の中でも、「特に女の子っぽい扱いの子」「特に男の子っぽい扱いの子」が出てくる。
後者は例えば体育会系の部活に入ってて、高身長でショートカットの子とか。
そういう子には、ファンの子とかついたりして、バレンタインにチョコもらったりして、ちょっとした宝塚スター状態。
そんな風な、とあるボーイッシュで格好いい女の子を好きになって、憧れたり、恋焦がれる気持ちを抱いたとして。
その気持ちを、ごっこではなくて本当に好きなんだと強く思い込んでみたり、あるいは、本当に好きだったりして。毎晩考えて。
みんな高校も後半になると他校の男子とかと交流をし始めても、まだ好きだったりして。
周りから「もー、まだそんなこと言ってるんー」とか言われながらも「だって好きなんだもん!」と言い張ってみたり。
女の子同士だから、声高に「好き!」と叫ぶことを許される空気に甘えて、公言しつづけたりして。
で、そんな風に高校生活を過ごした後に、みんな卒業して、それぞれバラバラに就職・進学していって。
みんな新しい場所でいろんな人間関係を築いたり、もうちょっと踏み込んだ恋愛をしたりしている中で、しばらくたってもまだ、その子が好きだっていう思いを、ああ好きだったなー、かっこいいなーってまだ持ち続けて。
あの頃みたいには会えないけど、それでも誰かを好きな気持ちを持ち続けてるのはうれしいな、と思ってみたりして。
それで数か月くらいしたある日、同窓会をすることになって。
久々にその子に会える!と思って、わくわくしながら会いに行ったら、なんか、めちゃくちゃ普通の女の子になってるの。
当時、部活のために短く揃えていたぱさぱさのベリーショートも、今はもうふわっとしたボブになってて。普通に女の子の服着てて。
あの頃のこととかなかったみたいに、学校の男友達の話とか、恋愛の噂話をかを楽しそうにしてて。
その子は全く悪くないんだけど、「あ、もう変わっちゃったんだな」って。あの頃のあの子はいないんだって。
そして、なんか、高校の頃のあの子に今でも恋焦がれた気持ちをまだ持ち続けてる私だけが、
いつまでも高校生から成長できてないやつみたいな感じがして、幼稚というか、傲慢というか、
とある作品の二次創作を書くたびに決まってコメントをくれる人がいる。
ありがたいことだ。感謝の気持ちは私にもある。けれど、嬉しいか嬉しくないかといわれれば、むしろ、嬉しくないのだ。
感想、もらえるだけでありがたい。そういう空気が、そこかしにあって、ここにしか書けないので吐き出させてほしい。
とかなら、ありがとうございます。と返事をして、私もにっこり。で、終われるのだが、その感想はいつもなんと返事をして良いものかわからないのだ。
テレビ見ながら呟く独り言のような。「ギャハハ!!こんなことも知らないなんてまじありえねぇ!!」みたいなコメントが届く。
文面からは楽しんでくれてることはわかるけれど、自己完結してるから返事をどう書けば良いのかわからずに憂鬱な気分になってしまう。
別に返事は絶対書かなくてはいけないものではないので、私も「あぁ、楽しんでくれたんだな」で、終われれば良いんだろう。でも、私も感想を送ったときに返事があると嬉しいタイプなのでなんとか、頭をひねってお礼を伝えようとする。
そして、文面が出てこなくて心が削れてしまう。
でもって今回は、落ち込んだ主人公が最後はハッピーになる話を私は書いたつもりだったのに、主人公元気だせ!とコメントをいただき、主人公、もう元気なんだが?と、ポカンとしてしまった。
私の書き方が拙くて伝わらなかったのかもしれないけど、やっぱり書いてる人になにか伝えたいなら、相手の反応を考えて送ってほしいと思ってしまった。
梅雨も終わりに近づき、一年の折り返しである。新しい環境にもそろそろ慣れてくる頃だろう。新入社員は三ヶ月強、まだ少しぎこちないだろうか。
私も4月に初めて後輩ができた。新卒の男の子だ。(子と言うと怒られるかもしれない)
彼について、思うことが積もってきたので吐き出させてほしい。
かなり長い。ごめん。
4月、うちの会社はコロナの影響がそこまで大きくなく、彼は私と同じフロアに配属されて、ごく当たり前に仕事がスタートした。
AもAで癖が強い人で、彼に対してかなり嫌味っぽく、パワハラまがいな言葉を使う。
似たミスをした私には「これは間違いだけど、皆やりがちなことだよ。次から気をつけて」なのに、彼には執拗に原因を追及したり、他にも『彼にだけ特別』キツくあたっているようだった。
彼は日に日に笑顔をなくしていて、焦っているから余計にミスも増える。社内の人との日常会話すら、できない精神状態にあるんじゃないかと思えた。
心配だった。周りの人と上司に相談して、配置替えをしてもらった。
私が教育係になった。
「分からないことはまず増田に聞いてね。増田の勉強にもなるから」という役割だ。
業務内容が全く同じではないので、つきっきりで何かを教えることはないが、彼が質問しやすいように、と席は隣にしてもらった。
ここで本題に戻る。
どうもその彼が好きになれないことに気づいたのである。
初めは、Aにいじめられてこんなに怯えて可哀想に、と思った。大丈夫だよ、肩の力を抜いて仕事を覚えていけたらいいね、と、Aの手前口には出せないが、心から思っていた。
仕事の進みはかなり遅かったが、プレッシャーにならないよう親切に声をかけていたつもりだった。
なんか、ずっと貼り付けたような笑顔だな。
喋り方もバカに丁寧だ。
お客様や社外の人への言葉遣いは確かに大切だけど、社内の人にまで同じ話し方をする。もうゴリゴリに一線を引いている。
Aは彼にネチネチ横から口を挟んでいたため、私は同じことをしないでおこうと思っていたが、質問されないので彼がどこまで理解して仕事をしているのかわからない。
私も自分の仕事を抱えているので、ずっと見ているわけにもいかない。
たまに「心配なことない?」「さっきの仕事、大丈夫だった?」と聞くと、「今のところは大丈夫です!」と返される。シャットアウトするような貼り付けた笑顔で。
何を言っても、笑顔で「はい、はい、ありがとうございます、わかりました、ありがとうございます」と目を見て返される。最後に会釈なんかもされる。
目なんか見なくていいのに。そこに丁寧さを出さなくていい。「あっなるほど!」とか「それってこういうことですか?」みたいな相槌の方が100倍良い。
全部理解できると思ってない。疑問が浮かんだら質問してほしい。説明が苦手な自覚もあるから。
キャッチボールがないのだ。私が一方的に喋って終わる。暗に拒絶されているみたいだ。説明をするのがストレスになってきた。
初めは失敗して当たり前、と思っていても、彼が私の目を見て相槌を打ってきた内容でミスしているのを見ると、「ほら見たことか、分かってないじゃないか」と思ってしまう。
数人で食事に誘っても、笑顔で「ありがとうございます」とは言うが、全くありがたくなさそう。実際行きたくないんだと思う。
誘う前に逃げるように消えることもある。(昼食とか)
職場の人間関係なんてそんなもの、と言われたらそれまでだけど、なんというか、そうじゃない気がする。
一匹狼になるにはタイミングが早すぎる。まだ何も知らない年次なのに。
緊張からの遠慮や、まだ強張っているんだと思っていたが、だんだん彼の元の性格がこうなんじゃないか?と考えるようになった。
言葉遣いは丁寧、素朴で大人しく、彼なりに真摯に振る舞っているだろうその態度が、どうしても引っかかる。
言動にプライドの高さも垣間見えて、接しづらい。(元教育係Aからの指摘にはビミョーに不満気な返事をするとか)
Aのパワハラまがいな言動は絶対に間違っていたけれど、気持ちはわかる、と思ってしまった。
そんなわけで、日に日にモヤモヤが溜まっている。
この間はついに、彼のミスにブチ切れる夢を見た。夢でよかった。
周りからも「彼が何を考えているのかわからない」と心配の声が上がっている。あとは、抱え込んでないかな?つらくないかな?とか。(優しい)
側で見ていない上司からは、彼は仕事の覚えが悪い、ちょっと問題有りな新人、と評価されているようだ。
庇う気持ちもなくなっている。私は嫌な先輩だ。
正直もう、彼の成長を別に願っていない自分がいる。教育係じゃなかったら無関心を決め込んでいただろう。
いっそ「本当にわかってるの?」と叱責したり、おどけて「そんな固くならなくてもいいよ〜!リラックスしよ〜!」みたいに言えたらどれだけいいかと思ったこともあるが、そこまでしたいと思えないのが、私の本性なんだろうな。
初めの配置替えの対応から察しの通り、職場は良い人ばかりで、こんな黒いことを吐き出せる相手がいないので匿名で書かせてもらいました。
私達はもっと救いのないほど世界がめちゃくちゃになるような災禍を求めていたはず。
なんですかこの中途半端なコロナの流行は、もっとドカンと増えて大量の死者を出して世界中の経済バランスぶっ壊れて略奪とか暴動とかが連日連夜とめどなく繰り返す世紀末の世界を見せてほしいものです。
それもこれも、多くの人が頑張って流行を止めようとしているからなのでしょう。憎たらしいですね。
SNSなどでコロナそれほど深刻じゃないよ。騒いでるやつが頭悪いだけだよ。みたいな草の根運動を続けて、じわじわ国民の外出を促し、大きな感染爆発を引き起こしましょう。
コロナはただの風邪、じゃないですけど(さすがにこれは幼稚過ぎる)、もっとそれっぽい風説の流布で外出OKみたいな雰囲気やムーブメントを出してガンガン感染者を増やしましょう。
やっぱり作戦としては、頭の悪い一般国民の中になんとなく外出してもOKという空気を作るのが重要だと思うんです。
そうやって外出を増やせば、自然と感染拡大が起きるので、あとは自然と圧倒的な感染爆発の物量で医療リソースを枯渇させ医療従事者や患者などに被害が連鎖的に発生するという流れです。