はてなキーワード: 至上命題とは
番組の合間に秋の東北の映像が流れるんだけど、これがよくできていて、東北に行きたくなる。
放射能の脅威については百家争鳴だから、はっきり言って何を信用していいのか分からない。
「ほんとはやべーかもしんないけど時間も経ったし生産者や議員からの圧力があるしでテキトーに出している」ものなのだ。テキトー極まる。
薬害エイズでもB型肝炎でも何でも後からでも十分にひっくり返る。
そしてそれは仕方ないことなのだ。
政府に万能を求めてることが間違っている。政府はただの組織だ。神でもなんでもない。
(オマケに「政府を小さくすべし、自己責任である」と6年前に選挙で意思決定したのは何処の誰だったかね)
チームを潰すには、同士討ちが一番効率が良い(諫早も農水省が地元を分断させて事業を進めた)。
被災地を信用できない。
悲しいことだと思う。けど、どうしようもない。
CMがいつも痛々しい。社会貢献やタバコ以外の事業部門の紹介、いかにタバコの害を減らすかの取り組みばかり。
ああこの会社の至上命題はそもそも存在意義の模索なんだな、そしてそういった命題を抱えた組織というのは、外から見るとひどく痛々しいのだな、と思った。
まあJTは言ってみれば麻薬製造会社で「死の商人」なわけだから、タバコが叩かれそういった窮地に陥っているのは仕方ないだろうし、いずれタバコをやめて違う会社になるだろうと思う。
ただ、東北は違う。
彼らは望んで放射能を浴びたわけではないし、正直あまりにも気の毒だと思う。
現在の放射能被害の責任は、ほぼ100%ずさんな原発管理をしていた東電にある。
ああ、この人達は望まないのに、ゆるやかな死の商人になってしまったのだ。
そして彼らは薄ぼんやりとそれに気付いている。
除染は終わらない。放射能は消えない。けれど、あえてキャンペーンを打つということの意味。
それは、「放射能に汚染されたかもしれない地域をPRするということは、観光客が放射能に汚染されるかもしれないということを分かっている」ということ。
ロンドンその他都市のあの「愚者の祭り」から1週間が過ぎて、あの月曜日の事情が少しずつ分かってきた。5年以上ロンドンに住んでいる者としてあれこれ考えることも多かったし、諸事情で「暴徒」のおかれた環境について少し知る機会もあったので、少し書いておきたい。
これについては、無軌道な若者の暴走と言うことで概ねコンセンサスは取れているように思う。以下のtogetterは現状ロンドンで理解されていることに近い。
警察が、最初の暴動の抑制に失敗したことで、「今なら何をやっても大丈夫」という無礼講的なお祭り騒ぎが一挙に拡大したと言うことなのだろう。周囲の興奮と燃えさかる炎に当てられて、「乗るしかない、このビックウェーブに!」とばかりに舞い上がってしまった子供が相当数いたであろう事は間違いない。(ロンドンで逮捕された暴徒の5割以上は18歳未満であるというニュースが出ている。)
もちろん、子供の暴走がここまで大事になってしまったのは異常事態であり、その裏側に社会的問題があると考えるのは当然だ。ただし、今回のように、当事者すら争乱の理由が分からないという状況は、「ぼくの考える社会の欠陥」的な牽強付会の自説を宣伝する絶好の機会だ。実際、イギリス社会の事情も知らず、勉強した形跡も全く読み取れないのに、適当なことを言って悦に入る類の人をTogetterで何人か見かけた(以下に一例)。このエントリーを書こうと思ったのは、その手の単純で非現実的な観念論ではなく、地に足のついた議論の土台を提供したいとおもったからだ。
http://www.guardian.co.uk/uk/2011/aug/09/london-riots-who-took-part
報道から明らかになっているのは、暴徒の大半が未成年であること、特定のエスニックグループが暴徒になったわけではないこと、そして多くがロンドンでも貧しいとされる地域の住人であること。加えてもう一つ言えるのは、彼らの多くがカウンシルフラットと呼ばれる、低所得者向けの公営住宅に住んでいると言うことだ。このカウンシルフラットというのは、イギリスの貧困を語る上では非常に重要な点なので、少し説明をしておきたい。
イギリスにはホームレスが少ない。ロンドンを歩いていると分かるが、駅の構内で段ボールを敷いて寝ている人が殆どいない。公園に段ボールハウスの村が出来ているということもない。どうやらロンドン全体で野宿人の数は500人に届かないようだ。イギリス全体でも1000人未満のようで、2万5000人のドイツと比べると圧倒的に少ない。
何故かというと、イギリスにはあちこちにカウンシルフラットと呼ばれる公営住宅があり、イギリス国籍さえあれば、家賃を払えない低所得者は優先的に居住が認められるからだ。このカウンシルフラットがどのくらいあるのかは自分には分からないが、イギリス中そこかしこにあると思ってもらって間違いない。下の地図は今回暴動の起きたHackneyのものだが、住宅の実に5割がカウンシルフラットとなっている。
カウンシルフラットの家賃は圧倒的に低く、ばらつきはあるものの相場の5分の1程度。それすら払えない人には更に住宅手当が下りる。光熱費やTV受信料も実質タダだ。そして、当然家があるだけでは餓死してしまうので、これとは別にpersonal allowanceと呼ばれる生活手当が出る(最近制度改革があったので名前などが若干違うかもしれないが、大枠は同じ)。25歳未満の単身で週に50ポンド。25歳以上なら60ポンド。外食さえしなければ十分食費と携帯代をまかなえる金額だ(円高の今だと8000円弱に相当)。イギリス国民には、食べるに困るレベルでの貧困は(概ね)存在しない。
ただし、これだけ「おいしい」カウンシルフラットは、当然人気も高い。ウェイティングリストの人数は500万人に達しており、それなりに困窮していないとフラットは手に入らない。下の掲示板では親とカウンシルフラットに同居している30歳女性が、一人で住めるカウンシルフラットを探しているのだが、「今現在無宿とかでないと難しい」と返答されている。
http://boards.gumtree.com/viewtopic.php?t=215432&p=2686792
ここで、イギリス人なら誰でも知っているトリックがある。子供がいて、しかも親がシングルマザーだと、フラットが優先的に廻ってくるのだ。こうなると、親から独立したい、しかし職がない子供にとって、手っ取り早い手段は妊娠と言うことになる。かくして、イギリスは先進国でも突出して10代の母親が多い国になった。しかも、子供が生まれると一人当たり週に12~20ポンドのChild benefitが支給される。また、シングルマザーだと上の生活手当も週に40ポンド前後は増額される。このため、パートナーがいても敢えて結婚せず、シングルマザーになる母親が多い(当然の結果として、その後別れて本当のシングルマザーになる確率は高まる)。母親ひとりに子供一人で月500ポンド(約7万円)あれば、正直生活には困らない。
とはいえ、貯金は難しい。それに、貯金額が6000ポンドを超えてしまうと支給額が減額されてしまうので、そもそも貯金する理由がないのだが。ちょっと大きなTVを買おうとすれば、夜遊びを楽しみたければ、その分働くしかない。問題なのは子供だ。託児所に預けたいところだが、ロンドンの託児所は1ヶ月フルタイムで1000ポンド。平均所得層ですら厳しいこの金額を彼らが払えるわけはない。その結果、子供は無人の家に置き去りでTVを見るかゲームをするかと言うことになる。言葉を学ぶには最低の環境だ。
その結果起こったのが、子供の識字率の低下。移民だけでなく、ネイティブの識字率が低下している。2007年に政府が行った大規模な調査によると、小学1年生の6分の1が自分の名前やmom, catといった3文字の簡単な単語を書くことが出来ない。当然、こういう子供は小学校のカリキュラムに着いていくことは難しい。その結果、無視できない数の中学生(数字は忘れた)が、「数学の試験問題の英語が理解できない」ために零点をとる、という現象が起きてしまった。こんな状況では学校に行くのは苦痛でしかない。カウンシルフラットの周りでは、昼間から特に何をするでもなくぼーっと座っている子供達をよく見かける。
この様な子供が成人して職に就くのは、非常に難しい。肉体労働系なら大丈夫だろうが、ポーランドからの出稼ぎ労働者の方が高いスキルと低い給料で働いている。それよりも低い賃金では、生活保障の支給額を下回ってしまうので、働く意味がない。こうして、カウンシルフラットで生まれた子供は、またカウンシルフラットで自分の子供を産むことになる。ちなみに、失業手当の受給者数は約150万人。人口が倍の日本では80万人だ(失業率は8%弱)。別制度のincapacity benefit(病気などで働けない人のためのもの)の受給者は250万人(人口の5%弱)を超えている。
結果、親子3代、殆ど働きもせずカウンシルフラットに住み続けている、という話は、もはやイギリスでは珍しいものではなくなっている。このような状況で子供が未来に希望を見いだせないのは当然のことだ。少なくとも彼らには、サッカーの才能に恵まれてプレミアリーグに行くくらいしか、この生活を抜け出る手段がないように見えるのではないか。これでは、リオデジャネイロの山肌に広がるスラムの子供にサッカー以外の未来がないのと大して変わらない(実際には、カウンシルフラット生まれでも頑張って勉強して、奨学金で博士号まで取る人もいる。そのための制度や組織もある。ブラジルのスラムに比べれば、カウンシルフラットの子供達は圧倒的に恵まれているという点は強調しておきたい)。このような状況で鬱屈しないでいられるのは、よほど心の強い人間だけだろう。
今回暴動でワイン1本を盗んで歓声をあげ、昨日裁判所で有罪を宣告された子供達は、多くがこういう鬱屈と共に生きているのだと思う。
カウンシルフラットの子供達が鬱屈しているならば、イギリスの納税者達は絶望している。イギリスの税金は高い。年収550万円以下なら所得税は20%、それ以上なら40%(しかも、社会保障関連の支出は所得税収総額を上回っている。なにしろ、上に書いたincapacity benefitだけで1兆5千億円かかっていたのだから)。消費税は20%。それ以外に地方税も取られるし、国民保険料も安くはない。通勤の交通費は自腹が原則だし、会社が住宅補助を出してくれると言うこともあまりない。そういう辛い家計をやりくりしながら、やたら高い家賃を払って暮らしている家のすぐ隣で、無職の人が昼間からぷらぷらしていたりするわけだ(カウンシルフラットは本当にあちこちにあるので)。
それでも、ブレアが政権を取った1997年以降、イギリス人は低所得層との格差を縮めるために税金を投入する政策を支持してきた。小学校低学年は30人学級となり、小学校入学前に児童の学力を底上げするためのプログラム(SSLP)にも1000億円の予算が付き、補習授業は大きく拡充され、挙句には、高校をドロップアウトする生徒を減らすために、出席率が高い貧困家庭の生徒に補助金まで出した。職歴のないシングルマザーにはコンサルティングから面接の訓練まで提供している(一人当たりのコストは10万円)。
にも関わらず、今回の暴動だ。これを「先進国とは思えない、途上国の光景のようだ」と思った人はイギリスにも少なくない。ブレア政権の教育改革がスタートしたのは99年前後だから、今回の暴徒の大半は改革された教育制度の下で育ってきた子供達である。これだけの負担をしていながら、なぜ途上国のスラムのような光景を見なければならないのか。これに絶望せずにいられるのは、やはりよほど心の強い人間だけだろう。
(1) 警察力の強化。これは言うまでもない。秩序を失えば人間は(誰であれ)動物になりうると言うことを、今回の暴動は証明した。ならば、秩序の維持は至上命題だ。先週キャメロンがアドバイサーに招聘したビル・ブラットンはニューヨークで例の「割れ窓理論」の実行部隊を指揮した人であり、警察官の最適配置システムの第一人者でもある。締め付けは厳しくならざるを得ない。
もしこの手の暴動を放置すれば、被害者は自警団を組織する。彼らは武装し、いがみ合い、それが新たな暴動の引き金になる。そうなる前にキャメロンには何とか手を売ってもらいたいと思う。もしかしたらもう手遅れなのかも知れないが。
(2) 社会保障制度の見直し。これは実のところ暴動前から進行している。上で書いたincapacity benefitだが、悪用して海外旅行まで楽しむ輩が多く出た上、一度受給者になると死ぬまでもらえるので、就労意欲がゼロになる。以前から批判が絶えず、キャメロン政権は廃止を決めた(別制度で代替)。ただし、これらの社会保障の削減が暴動の理由ではないというのはマスコミでも一致した見解だ(まだ削減は殆ど始まっていない上、暴徒の大半は親元で暮らしているのでそもそも受給していない)。
上でも書いてきたように、手厚い社会保障制度それ自体が受給者と、その子供や孫の未来までをも奪ってきたという側面がある。そして、この制度は格差の縮小どころか、治安維持という最低限の目的すら達成できなかった。何より、イギリス経済はこれ以上の負担にはもはや耐えられない。ならば、社会保障は削減しつつ、彼らに可能な限り働いてもらうしかない。Benefit Busters (興味のある人はyoutubeで検索すると良い)などを見ているとなかなかに大変そうではあるが、もう選択肢がないのである。
(3) 納税者の復讐。今日キャメロン首相まで”social fightback”と言う言葉を使っていて驚いた。具体的には、暴動に参加した子供がいる家庭に対する社会保障給付の停止。カウンシルフラットからも追い出す。少なくとも感情的には、そして理屈の上でも、そうすべき理由はたくさんある。それが更なる悪循環を招くとしても、あそこまでやられてしまっては納税者の側も収まらない(ちなみに、オックスフォードケンブリッジ卒のエリートはこの手の復讐にはあまり賛同しない。彼らはびっくりするほど穏健だ。怒っているのはむしろ小商店の店主のようないわゆる中産階級に多いような気がする)。鬱屈した子供の暴発を「社会の歪み」を理由に肯定する人は、絶望した納税者の復讐も肯定せねば片手落ちであろうと思う。
最後に、下のtogetterで見つけた以下のコメントについて。
火がつけば爆発するしかないほどの不満を溜め、失うものが何もない奴らがこれだけの数居るんだよ。社会がそれを生んだ。(中略)問題は目の前にそのままの姿である。こいつらのYouTubeを見ろ。音楽を聴け。睨みつけてくる視線に自分をさらせ。
この人の書いたラップの話は、今まで全く知らなかった分野な事もあって新鮮で、興味深く読んだが、このコメントには一言申し上げたい。無茶言うな。暴動明けの火曜日の朝にCamden Townの駅で暴徒の一人とばったり顔を合わせたが、彼の睨み付ける視線にどう応えろと言うのか。プラットフォームのあちこちにどかどか蹴りを入れながら、肩で風を切って周囲にガンをたれながら練り歩いていったが、一個人として彼を見れば、まだ自分を抑制できないただの子供であり、仮にポケットの中に盗品が入っていれば犯罪者に過ぎない。彼らをひとりの人間として直視するなら、そういう扱いにならざるを得ない。復讐の対象にならざるを得ない。むしろ、彼らを一個人ではなく社会現象の一部として扱った方が、まだ冷静な判断は下しやすくなるのではないかと思う。
どうしてこの憎しみを晴らすことができようか。(否、晴らすことはできない)
動画共有サイト、youtubeにアップロードされた「いじめ動画」は2chネラーの心に火をつけた。
すぐさま、特定、晒し、中傷、電凸が行われ、まさしくいじめた加害者達は大衆による私刑を受けようとしている。
この話を書くにあたってもこの憎しみが原動力になっていることは否めないが僕達自身は冷静にならないといけない。
僕達が人格的人間であり尊厳を持ち、また、他者の人格を尊重するなら、つまり人間であるなら、
そう簡単に、その憎しみを個人的には晴らすべきでない。
まず彼ら(被害者も加害者も両方)を傷つけることを避けることは一番の至上命題にしなければいけない。
少なくとも、被害者をないがしろにする正義は君だけの正義にすぎず、被害者からしたらむしろ迷惑だ。
加害者を傷つけることを避けることはもはや不可能だが、それでも注意を払わなければいけない。
人間であるかぎり、例え殺人者であろうと人格を尊重すべきなのだ。
そして未だ彼らは子供であり、未発達であり、更生の余地があることを考えると余計慎重にならなければいけない。
私たちは、相手が不正義すなわち悪ならば、何をしてもいいわけではない。
冷静に対応するということは、冷酷に残酷に対応するということではない。
フェアに、彼らがどういうミスを犯してしまいどう償うべきなのか、そして被害者はどう対応してもらいどう保護されるべきなのか、
それを議論し考え、僕らの立場からは集団的圧力、非難として諭すのである。
「いじめた奴を徹底的に潰せ」。ただ単にこう暴言を吐くだけではいじめはなくならない。
あなたが通った学校でもいじめはあったでしょう?私が通っていた学校でもいじめはありました。
いじめを防ぐために学校はどういう対処をすべきなのか?一切の揉め事をもみ消すべきなのか?喧嘩は許すべきなのか?いじめをどう定義するのか?社会に出て生じるいじめとどう折り合いをつけるべきなのか?
私たちがより良い社会を作るために、それぞれの価値観を持ち寄りどうすればよくなるのかを議論し改善することができるはずだ。
もちろん非難も大切な行動の一つだ。
社会的制裁は悪というものを全人類に知らしめ、今後同様の悪をすれば実態を伴うリスクがあることを示唆する。
しかし、非難一辺倒は、単なる集団の暴走に終わり、彼らの生活基盤を破壊するだけに終わる。
感情は行動の原動力となり、巨大な圧力となる。圧力は他者の行動を変え、未来はより良い社会に向かうかもしれない。
暴言を吐き嫌がらせをし違法に動画を拡散し、子供を中傷する人間は、いじめた加害者となんら変わらない。
むしろ、そういう陰湿ないじめをする人間がいるからこそ日本の学校や職場でいじめがなくならないのかもしれない。
弱い者ほど相手を許すことができない
許すということは、強さの証だ
そして、加害者にはもう一度チャンスを与えるべきだ。
もし、今までの罪をあらため今後同様の罪を犯さないならばのうのうと無かった事のように生活をする権利を与えるべきなのだ。
加害者を最終的に許し、のうのうと暮らさせることはいじめを許すことにはならない。
我々が悪意と誹謗中傷だけに終始すればするほど、彼らは私たちを脅威とはみなすが、話は聞かなくなるだろう。
結局は問題はうやむやにされ、再発防止策は甘く、「いじめ」をこの学校だけの問題に終わらせ、被害者は報われず、そんなことにさえなりかねない。
彼が嫌だと思っていたとしたらいじめだし、まったくもってそうじゃないならいじめではないかもしれない。
だいたい、いじめと悪ふざけの境界線なんてないのだ。
最初は悪ふざけで相手も嫌がってなかったものでも、簡単にエスカレートしいじめになる。
被害者は内心いやでも友達付き合いもあるし言い出すことが出来ない。
ただ僕は、このじゃれあいの不公平性と、彼の表情から、実質的ないじめであろうと判断したにすぎない。
でも、僕自身もいじめをしたことはある。
彼は僕のことをどう思っているかしらないが、僕自身は親友だと思っていたし、幼なじみだった。
そんな彼に対し、僕は毎日登校時に、彼の後ろに周り、靴のかかとを踏むのだ。
今思えば、あれはいじめだったと思う。本当の親友であれば、そんな悪ふざけなんてしないはずだ。
僕は彼をおもちゃとして遊び、人格を踏みにじったのだから僕自身も反省しなければいけない。
往々にして、多くの人はいじめに関わっている。
明らかな差別、いじめ、暴力をする人もいるし、同調圧力に負けて結果的にいじめに加担する人もいる。
いじめが悪いことだと知っていることを、それを止めることが出来るかは別問題だ。
塾でそれなりに中の良かったA君とB君は、エアガンの貸し借りで揉め、A君はB君をいじめるようになった。
受験を控えたある夜、極めつけにA君はB君の腹をおもいっきり蹴り、それ以来B君は塾に来なくなった。
B君は最後の最後蹴られるまで笑っていた。B君にとってA君は友達以上の友達だったはずだ。
その後、A君自身も、B君をいじめて塾を辞めさせたというレッテル(事実)を貼られ、クラス全体から、「無視」、「関わらないようにしよう」「陰口」という新たないじめに会うことになる。
僕は終始、傍観者だったし、受験前だったから極力関わらないようにしていた。つまりはいじめに加担したということだ。
その時はいじめがあったこともB君の名前すら忘れていて別の友人の名前を出してしまった。
「よぉ、ひさしぶりやな尾崎」
「誰やねん。」
「あれ?C君だろ!?」
「違うわwwBだよ」
「あ!!Bかwwww塾で一緒だった。」
「Cって誰だよwww」
みたいな会話だった気がする。
ちなみに、B君の実名はもう忘れた。
いまの僕はどちらかというといじめられる側にいるが、運良くいじめられずには済んでいる。
いまなら、相手をおもちゃとしてではなく、一人の人格として尊重することもできると思っている。
でもいじめを止める自信はやっぱり無いなぁ、、、。
小学校中学校(ここまでオート)→高校(私立に行かなくてもなんとかなる、ほぼオート)
→大学(やや難度は上がるが、奨学金がまだ使えるのでなんとかなる)→就職(運要素が多いが、これまでの貯金が生きる)
ここまでは、努力でなんとなるんだよ。なったし。
しかし、この就職の次のステップがくそつまらな過ぎる。毎日続く単調な仕事、ゴミのような課長代理、クソのような課長
ウンコを煮詰めたような局長。これにおべっかをすり倒し、愚痴りながら地方配属、勤務。
人生は努力だ、人生は我慢だ、というのはわかる。そりゃ、一流企業の名刺について回るステータスは確かに魅力だ。
しかし、大学進学より難しいくせして大学進学より遥かに面白くねぇ。まさか、世間で有能と言われている人々が
こんなクソ面白くない生活に甘んじているとは、学生時代は思いもしなかった。
生きるために働く、というのはわかる。貧乏な家の出だし育ちも悪い、生活のリアリティってのは確かにわかる。
しかし、重圧はあっても刺激はない生活というのは本当に、心底つまらない。身体がどこからか膿んで来るような気がする。
基本的に、これまでの人生は「ここ一番勝負」ってのが多かった。入試もそうだし、なんだってそうだった。
ある場所に至るまで、継続的努力をすることが求められていた。しかし、仕事においては「ある場所」ってのがない。
むしろ、減点されないことが至上命題になる。気を抜いたらゴリゴリ点数が削られるくせに、加点要素がない。
じわじわとダルい。まさか、こんなに面白くないとは思いもしなかった。ここでトップを目指す気力が全くわいてこない。
これは、非常に厳しい。一発勝負で負けたら即死になってしまう。
本当に、社会人ってのは何をモチベーションに生きてるんだ。就職して三年、ひたすら時間を潰してるような気がする。
もちろん、重圧はあるから妙に疲れる。しかし、これは肩が凝るタイプの疲れで心地よさが全く無い。
この行き詰まりを一体、世の中の人はどうしているんだ。就職活動までは、攻略する!って感じがあって非常に人生が面白かった。
次々直面する面倒ごとをクリアしていく爽快感があった。長くても数年のスパンで解決しなければいけない問題が積み重なっていたし、実際に解決可能だった。しかし、組織人にそういうのって無いよね。大きいとこだと特に。
俺がいなくても会社回るし。そもそも、俺は超利己的な人間なので「俺の」問題解決や「俺の」成長には興味があるけど、
組織が云々会社が云々ってのは全く以って面白くない。俺の給料変わらないし。
行き詰まりだ、面白くねぇ。
従って業務の効率化を推進し、コストを切り下げることが至上命題となる。
よって選挙で選ばれた首長には、能力が高いことが期待されるのだが、
高い能力の証左としての高い報酬を自ら切り下げるのは、報酬に見合った政治ができないことの自認と言える。
政治家の寿命は短い。3期12年を全うしたら他の選挙区に移るのが通例である。
そのため政治家の世代交代は頻繁に起きるのだが、給与引き下げはその障壁になる。
供託金、選挙費用を積み立てたらぺんぺん草も生えないような給与では、別に十分な収入が見込める人間しか立候補できないからだ。
仕事をしないのに給与が高すぎるのではなく、安すぎて仕事ができないのに自己顕示欲や正義感の強い無能しか集まらないのである。
仮に、奇跡的に自己顕示欲の強い有能な首長が就いたとしても、それは12年間しかもたない。
給与削減によって、自治体は次に途方もない無能が来るリスクを背負い続けねばならないのだ。
名古屋市の場合、有権者が10円出せば議員が1人養える。実は議員とはお安いのだ。
今回は5円の価値も認めないとノーを突きつけた形だが、10円の世界でさえああなのだから、5円になってレベルが飛躍的に上がるとは到底思えない。
75議席×5円=375円のために、まあ痛い出費をしたものだ。議席半分が実現されれば年間500円か。大した削減効果である。
無論、給与カットは分かりやすい。具体的な数字も出るし、改革の前に自ら痛みを受けたとして半ば英雄視される。
はっきり言って食傷なのはさておいても、行政全体で見て首長議員の歳費なんてものは雀の涙である。
しかし、具体的で分かりやすい給与カットは、メディアの格好の餌だ。
影にある抽象的な問題には光が当たらず、まして返納そのものが問題になった場合、
下らないパフォーマンスのために光を当てるべき問題が先延ばしになるのである。(現に河村市政当初これがあった)
このような指摘はそれこそ食傷だとは思うのだが、やっぱり流行るのである。
それは何故か?
こちらが一生懸命支え、保護すればするほど勘違いし、こちらと同じ権利またはそれ以上を求める。
これは、保護する側の人間が弱者に対して立場をハッキリと伝えないから起こるのである。
また弱者に対して、あなたは弱者ですよと伝えること自体がタブーである風潮もある。
そういった要素が重なり、最近は弱者が自分自身を弱者であると認識することができなくなってきている。
また彼らのプライドは誰よりも高い、他人がこれだけ優しくしてくれるのは自分がそれだけ優れているからだと思うからだ。
実際は周りに居る人間が優しいだけで、弱者自身になにか特別な価値がある訳ではない。
それは、心の奥底では自分は弱い人間であると気付いているからである。
しかしその事実を認めることは出来ない、それをした瞬間彼らはアイデンティティクライシスを起こすからだ。
だから所謂「大人」と呼ばれている人間が通る道を通っていない。
彼らの考えは、10代後半の若者のようであり非常に幼い。
そういった彼らの特徴は、自分さえよければ他人がどうなろうと知ったことではない、という考えに基づき行動している点である。
自分を守ることが彼らの至上命題、自分を守るためなら無条件で他人を批判する。
自分を守るために、何の根拠も無く「ごめんなさい」と言う。
長期的目標に基づいた行動では無く、超短期的目標に基づいた行動しか取れない。
こうした人間が社会に進出していく事によって社会は不安定になっていく。
しかし、それを止めることは出来ない。何故なら我々は彼らを「差別」してきたからだ。
この「差別」の「つけ」を今払わされることになっている。
きっとあなたの周りにも、理解しがたい人間は居ると思う。毎日その人物に振り回され、疲れる日々。
ちょっとこのモデルに当てはめて欲しい、きっと答えは見えてくるはずだから。
「○○厨」ってなんか中毒者とか、偏執狂的な意味が含まれてると思うのよね。しかも、その対象がマイナーなもの。
言い換えると、「自分(話者)が、何ら/殆ど価値を見出していないものに対して執着している人を蔑みを含めて使う言葉」という感じ。
つまり、「処女厨」って用語を使っている人は、女を判断する際に、処女かどうかを気にしていなかった人(気にしていない人)」。
自分が気にしていなった部分、つまり処女であることが至上命題であり、非処女は価値がない様に語られる様が看過出来なくて、そういう言葉を作ったのだと思う。
あと、この用語が使われる文脈は、童貞とか性に対して純潔な人に対する嘲りや蔑みも含んでると思う。
多分そういう価値観の人はきっと、1万人の人間を救ったけどその為に家庭が破たんした医者とかより
社会に寄生しているにも関わらず温かい家庭を築く人の方が重要だと考えているんだろう。
仕事ができるということは、人間社会の為になっているというのは事実だ。
しかし、そういうベンチマーク出来る部分では、多くの人間が自己否定してしまうことになるから
弱肉強食が否定されて、あなたのような価値が主流だと言うことは理解してる。
つまり、一生懸命社会の為になるように生産活動を行う人を否定して、弱い者同士で傷をなめあうことを良しとする価値だ。
自分の遺伝子が高い資質を持っていたとしたら、それを一人占めするのではなく、他人に分けるのが社会貢献だと僕は思う。
問題は僕の周りも一応社会があって、人間のつながりで成り立っているということ。
僕が元カノに精液提供を拒んだ場合、僕は元カノの友人の女性たちから非常に悪い待遇を受けることになる。
そして、彼女たちは旦那さんを支配しているので、彼女たちから待遇が悪くなるということは僕の仕事上問題になるということ。
何度も書いてるけど、僕は仕事が出来る部類の人間で高学歴でエリートだけど、僕くらいのレベルの人は別に僕一人じゃなくて何人もいる。
僕は取り換え可能な人材なんだ。
そして、今回問題なのは、何度も書いてるけど、提供依頼者が元カノだってこと。
多様性ということばが人口に膾炙してから久しい。
多様性を尊重するという建前のもとで、働き方、生き方に幅を持たせる試みが幾度もなされてきた。
つまり、我々は多様性を尊重するという至上命題を尊重するあまり、ただ「種」を分化させることだけに努め、異種交雑にまで頭が回らなかった。
むしろ我々の理想は後者ではなかったか。多くの人がいて、多くの考え方があり、交わり、多くの人生の交流が生まれ、闊達な社会を臨む。それが我々の理想ではなかったか。
ところが現実は違った。我々は、他者は他者であるとして自らを鎖し、近しいものだけの疎な結合に情熱を注ぎ、異なるものとの壁を堆く積むばかりに執心するばかりとなり、より偏食となり、食わず嫌いを促し、それを食べるものは気狂いだと非難さえしてしまっている。
今ここに、多様性の敗北を宣言しよう。
今ここで、錦の御旗を降ろし、白旗を掲げよう。
今ここから、自由の許されぬ固い多様性を満喫しよう。
当たり前だ。
大したものでないなら、大したものにしろ。
本職にいる以上、それは至上命題だ。
雑念は捨てろ。幻覚を見るな。
それが職だ。
それを怠るなら、メシを食うな。そして死ね。
18: ドラエモン 2009/06/03(Wed) 22:20 ID:FVI/6pSxncJq [ va4qsJNk0c ]
現時点で普通に考える限り、いわゆる「リフレ政策」の必要性は明らかだと思うが、
1)状況が変わればリフレ政策が望ましくなくなる可能性は十分ある。
2)そもそも「現時点で普通に考え」ていることが間違いである可能性は決してゼロではない。
3)そうした場合、政治的なプロパガンダであるなら、引っ込みが付かないし、そうしたものとして
支持してきた人もはしごを外されて困惑する。
4)そもそもコメント欄を検閲するブログで信者だけ集めても無意味であり、批判や疑問に対して
オープンであることが、匿名掲示板で議論している理由だし、メリットである。考えずに支持
21: ドラエモン 2009/06/03(Wed) 23:22 ID:FVI/6pSxncJq [ va4qsJNk0c ]
つうかねぇ、リフレ政策を構造改革やら清算主義などが猖獗を極める中で提唱した
理由は、感情やイデオロギーによって盲目になることへの警告だったわけよ。もし
政治的に成功することそれ自体が至上命題なら、変な政策が軒並み失敗して万策
尽きてしまい、国民が塗炭の苦しみにのたうつまで待てばよいのであって、なにも
不人気なことを言うことはないでしょう。
ああ…
政府の対応が早かったとは言わないし、後手ではあるんだけど、ちょっと違うかな。
まあこの手の人にいちいち指摘しても仕方ないんだろうけど。知る気も理解する気もなさそうだし。
>「マニュアルどおりである」とは言っているが、そのマニュアルの文言や政府が実際に取った行動について何一つ具体的言及なし。
これはどういうことかというと、農水省に連絡が上がった時点で自治体にほぼ白紙委任に近い強力な権限を与え、移動制限や殺処分など農家の財産権を脅かせるほどの強力な措置を自治体レベルで決断できるようにしている。元々防疫のためのリソースは各自治体で管理されており、問題も自治体が最も直接的に把握している。リソースも情報も二次的になる中央政府が出る幕はあまり無い。政府がやることは黙って判子を押すことと後で補償問題が出た時にケツを持つこと。
この枠組みは民主党が作ったものではなくて自民党が作ったものだけど、機動的に対応することを考えると合理的なシステムだ。基本的に中央は判子押しマシーンになっていても回るようになっている。
>少なくとも現場の県知事、地元選出国会議員が具体的要望事項をまとめて国に申請していたのを、その責任者が一顧だにせず国外逃亡したことに対する言及なし。
まず第一に「外遊」と言われてるのは外国との農業交渉。これを打ち切るのは国益上「タダ」ではない。上記の通り、初動対応では大臣を必要としないシステムになっている以上、農業交渉を優先することはおかしい決定ではない。もっとも、政治パフォーマンスを考えると交渉の方を打ち切った方が選挙的には有利だったというのはあるがね。これ考えてみれば当たり前の話で、初期対応で大臣が必要だと、WTOで全面戦争してる最中に口蹄疫発生したら究極の二択なんて話になっちゃう。
で、正規ルートでやってる「申請」は全部通ってるはず。返す返すも、マニュアル通りの申請はめくら判で通る。大臣は必要ないし、必要だったらシステムが馬鹿。この辺、国有林の使用なんかも「正規で申請してくれれば通すよ」と農水省が言ってるのに議員が別ルートで出てきたりしてちょっと混乱してたね。
>批判者の根本的論拠である「地元からの要請、しかも非常に具体的に挙げている要望に全く応えなかった」ことを批判しているということを全く無視。
># 「#kouteieki 防疫指針では殺処分や死体処理、消毒措置などの現地における具体的な防疫措置は現地対策本部の役割になっています。中央の役割はバックアップですね。資材人員の補給、各所との連絡調整、他県との連携等。」とあるが、その「バックアップ」要請をスルーしたのはどこのどなただったかな。
具体的な要望が「何千億円掛かる」とか「防疫スキルのある要員を何万人」とかの世界なんでそれを即決で出すのは難しいよ。それでも消毒剤の調達とか農水省の現有リソースで行えることは結構やってたよね。まあ別に民主党が偉いわけじゃなくて、頑張ってたのは農水省の役人なんだけど。
ただ、2000年の例とよく比較されるけど、今年のケースはのっけから全てが数百倍大きい。
「今から100万頭殺処分するから必要なリソースをくれ」とか言ったってそんな袖は日本国には無い。自衛隊投入すればとか思ってる人もいるけど、防疫って消毒液一つ使うにもそれなりの知識が必要なので穴掘り人員いれば良いみたいな話じゃないんだよ。
結局それでも相当無茶して出してるけど結果的に現場に混乱が起こってるし。
重要な問題として、これは初報から少し経って(4/23に)明らかになったことなんだけど、口蹄疫発生から中央に報告が来るまで宮崎県内で1ヶ月ほど遅れてるというのがある。これは不幸な技術的限界なのか隠蔽なのかなんて話はこの際どうでも良い。ここで責任の押し付け合いをする意味はなくて、「現実として1ヶ月ほど無防備に感染拡大した状態からスタートしている」というのが重要。これは「最初から終わっている」に等しい。
現行の枠組みは実のところそこまで酷い状態は想定していない。最初にグラウンドゼロかその近辺から報告が来ることを想定していて、だからこそ移動制限して殺処分していけば何とかなるわけだが、既にウィルスが県内にバラバラに飛び散っている状態から開始したら最早到底この手法では制圧できない。
この辺り、農水省も「まだ力技で対応できる」と考えていたのなら、それはちょっと問題だ。上記の通り初手から宮崎県は通常より数百倍のリソースを要求しており振れない袖なのは目に見えているし、これだけ散らばると発見からもぐらたたき式に殺処分しても封じ込められない。
現在政府の対応は「広域でパージする」という方向に向かっている。また、全部即座に殺処分するのは物理的に不可能なのでワクチン投与に踏み切って殺処分を順次処理に切り替えるようだ。この決断は早いか遅いかというと微妙だが、早いとは言えないだろう。現実的に考えてこうするしかないことは4/23の段階で分かってはいたはずだ。
もちろん莫大な補償問題が発生する以上は予算が必要で、もしかしたら対症療法だけで済むかもしれないという甘い期待があり、世論にはまだこの開始条件の終わりっぷりが浸透していないし、野党は嬉々として無責任にわめいている、言われるままリソース供出していれば決断は先送りになる。決断を遅らせる材料は豊富だ。
が、やはりこの決断は早いとは言えない。民主党が本当に肝の据わった「政治主導」での決断が出来るなら5月上旬には腹を括れるだけの材料も揃っていたはずだ。
ともあれ現在の至上命題は近隣県に波及させないことだ。今のところ近隣県には被害は波及していない。宮崎県の防疫体制は、殺処分こそ物理的限界に達しているが、移動制限と消毒で公式発覚以降の封じ込めには成功していると見られる。尤も、発覚以前に拡散した分はまだ隠れているだろうし今後もポツポツ出てくるだろうから広域パージはせざるを得ないのだが。
愚痴です
ああ、もう・・・
どいつもこいつも自分も・・・・・・
無粋で無粋で無粋で死ねば良い
何かを評価する権利なんか無い、俺にも、あなたにも、誰にも彼にも
無粋だ
観測の正確性の追求は至上命題だ、見極めろ
お前も、自分も、どいつもこいつも不十分だ
分かり得ない事には口を閉ざせ、語りえぬものについては、沈黙しなければならない
言い切れないのなら、逡巡が混じるようならば、そんな言葉は捨てて燃やし尽くしてしまえ
不用意な言葉を放つな
俺も、お前も、彼も、誰も
そして、せめて脳内だけでは自由であれ
自身の前提は自身で幾らでも挿げ替えろ、矛盾なんか自身だけが飲み込めれば良いんだ
自身が思う方向に心内を尖らせれば良いよ
死ぬも生きるも好きにするが良い
そこにしか安息はないんだから
俺も、お前も、彼も、誰も、分かってやれるのは、矛盾を許して理解して修正してやれるのはてめぇだけだ
ああ、観測者であることを放棄したい
思考を宇宙の彼方へ葬ってしまいたい
「県外移設」が至上命題なら、普天間だけ鹿児島県とか宮崎県とかに編入しちまえばいいじゃん。
もしくは全く新しい県を新設するとか。
いやほんと、本気でそうする以外に解決の道無いよ?
これが最も尊厳を保ちつつ、あわよくば回復する可能性もある手段。
因みに付け加えておくと、現在ワープアだけども親から一定の遺産相続が見込める方は死んではいけません。(是非、相続税を緩いままにしてくれる政党に投票して下さい)
幸せというものは、人それぞれの形があると思います。
しかし、ある程度の一般形とも呼べる幸せの形は存在すると思います。
そのある程度に達するには汚いようですが、はっきり言ってお金が必要です。
一定の所得がなければままなりません。こんな事はワープアを自覚する人ならとっくに理解していることだとも思います。
ですが、ここで改めてそれについて確認したいと思います。
物質主義と吐き捨てる人もいるかもしれませんが、
普遍的に望むものとしてまずは車でしょうか。軽自動車か中級クラスのものかは問わずに、とりあえず車の所持です。
次は住宅ですね。何千万のローンを背負って何十年もかけて返済していくあれですね。
もっともこれはワープアの身分ではおそらく契約もままならないでしょう。
まず、結婚に必要なものについてはしばしば、ネットでも議論が散見されますね。
個人の信条などで大きく左右されます。しかし、確実に一定の所得は必要だとは思いますね。
出会いやお互いの尊重が一番大切という、実に優等生な回答もよくみかけますし、部分的には私も賛成です。
ですが、この手の論を展開する人をよく見てください。
そういった人たちはまずワープアではありません。ワープアでない人たちの人生観を真に受けると
苦しみが増えるだけに終わることも多いですよ。
教育。これはワープアの方なら大概は高卒もしくはFラン大でしょう。
仕事を通して如何に学歴が人生を左右するかもよく存じておられるかと思います。
これもまた学歴だけが人生ではなく、社会にでてからは実力で勝負だと言うテンプレのような優等生的回答が存在しますね。
結婚の話と同じように論を展開する人をよく見てください。
それなりの学歴を保持している人が多いですよ。もしくは中卒だけども今は起業して平均以上の年収だという人もいます。
後者のような方は本当に実力で抜きんでたんだなぁと、感心させられるような人も実際います。
ですが、これはなかなか本人たちが言葉に出さないので見抜けないのですが(成功者は他人から良く見られる姿勢を心得ています)
強運、もしくは汚い真似を成している人が多い。
運も実力であり、汚いかどうかは個々人の基準で変わりますが、ワープアのあなたとは全然違うという事だけは理解してください。
もうひとつは老後の生活です。
仮にワープアのまま実直に生き続けたとして、若年層のあなたが高齢者になったとき
この制度はどうなっていると思いますか?年金制度については破綻論者のほうが優勢です。
ここではとりあえず、破綻したケースで考えてみて下さい。
ワープアではない方たちは良くも悪くも消費を抑えて貯蓄傾向があるそうですが、ワープアな貴方に貯蓄はできますか?
生きる中で発生する苦悩は上記以外にもたくさんあり、またそれ以上の苦痛を覚えさせるものもあるでしょう。
ありがちなものばかりですが、大勢に適用できるであろう事を改めて挙げてみました。
しかし、漠然と問題に対峙するのではなくそれの除去が可能かどうかを更に考えてみて下さい。
今から所得を増やす方法はありますか?
昭和の時代ではありません。終身雇用でもなく定期昇給もありません。ワープアではそれどころか解雇されるかどうかの瀬戸際でしょう。
地道に銀行へ預けても無駄なことですね。昔の用に金利がついて増えていくこともありません。(老人はこの辺りを隠してポジショントークを展開する人が多い)
今から政治体制を変える方法はありますか?
話し合いで解決したことって何かありますか?
これは本当にタチの悪い幻想ですね。物事は恫喝か誘惑で動きます。
善意で動くものゼロではありませんが、大局には何ら影響を与えません。
見事な高齢化社会です。世代ごとに利害関係が衝突も起こしてます。
国会答弁を見ていると、政治家も流石に完全な鬼ではなく若年層の貧困について野党がもの申しています。
しかし、与党は財源がないと切り捨てて終わりですね。財源が無いというのは一見正当性があるように見えますが、
まぁようするに問題放棄です。仮に与党が変わってもワープアは放棄されると思いますよ。
選挙に当選することが至上命題なのでご老人にとって不利益となることが国会で成立することはありません。
寝言ですね。こんなもので国は変わりません。すさまじい暴力はイノベーションを生みますが、
ワープアの引き起こす微々たる暴力は世の中に何ら影響を与えません。
人に平気で迷惑をかけるようなやつだからおまえらは落ちぶれたんだと、団塊の皆さんが説教垂れておしまいです。
全うに問題と対峙しても、明確に閉塞感を感じるだけですね。
突き詰めればやはり人を救うのは自殺です。
現在、日本では確認されているだけでも年間3万人以上の自殺者がいます。
WHO基準を用いるとなんと10万人の自殺者が発生しているとも考えることができます。
日本では年間14万人の変死体が発見されます。WHOでは変死体の半分は自殺と考えますので14万人の半分
7万人と確認された3万人で10万人といった数字に相成ります。
3万人であろうと10万人であろうと、多いと思いませんか?
また、変死体が14万人というのもすごい話です。この科学と道徳のある程度浸透した日本ですら
自然死を迎えるというのはとても難しいことなんです。ことさらワープアな人にとっては。
首吊りのインセンティブとは上述の諸問題を解決してしまうことです。
自殺とは自己保存欲の一環です。これ以上苦しみたくない。傷つけられたくないという己の尊厳を守るための尊い行為です。
一時期、硫化水素を用いた自殺が流行しましたね。しかし、あれは好ましくありません。
あれは周囲に迷惑をかけるという面において影響が大きい。迷惑をかけることそのものよりも、
事後において自分一人で死ねばよかったのに、というTVのコメンテーターにいるような普通の人々につけいる隙を与えてしまうからです。
まず、これは確実です。服毒やリストカットなどは未遂に終わったり、後遺症が残るなど確実性に欠けます。
女性の自殺志願者が未遂に終わることが多いのはそういった方法を用いることが多いからです。
よく、糞尿を垂れ流して醜い死に様であると揶揄されるこの方法ですが一定の誤解があります。
人は死後硬直が発生します。死後1~2時間程度で始まります。ポイントとなるのはいつまでも硬直しているわけではなく
数十時間経過すると筋弛緩が始まります。ここで初めて体内から糞尿が漏れ出すという事態になるのです。
およそ丸一日は硬直していられますので、こういった面を気にする方は割と発見しやすいところを選ぶと良いのではないかと思います。
また、一般的に首吊りというと空中に宙ぶらりになった状態をイメージすると思いますが、これを定型縊死と呼びます。
それに対して非定型縊死という状態があって、これは膝をついた状態で首に荷重をかけた死に方です。
結局のところ、動脈と静脈に荷重をかければいい訳なので、およそ30kgほどの荷重が必要です。
先にあわよくば回復と書きました。
とかく、ないがしろにされるワープアですがそれなりの母数はいるのです。
一人一人では本当に脆弱な一介の貧乏人に過ぎませんが、連ねれば産業構造に欠かせない要素の一つなのです。
ここに勝算があります。
現在サイレントテロなどという行動様式があります。しかし、そんなものではなま温く遅い。
従来の外部へと働きかけていたテロルを自己がいつのまにか所属していた属性にぶつける。つまり自殺です。
ドラスティックに短期間で多くのワープアが自殺すれば産業構造に大穴を開けることができるのです。
これは社会的強者、上位層を道連れにできるという効能を備えています。
他人を能動的に傷つける従来の先鋭的自殺(自爆テロ)よりも、遂行者を貶める隙を与えません。
一人一人の小さな自殺がいずれ社会を大きく変えていく……これって素晴らしいことだと思いませんか?
私自身は絶対に自殺なんてしません。自分を殺すくらいなら平気で他人を傷つけます。
その方が比べようもなく爽快で愉快な手段です。
これから先しばらくはサイコパスだけが生き残る。そんな世の中が続くと思います。
企業なんて「儲けて株主に利益を還元する」ことが至上命題なんだから、
社会に利益を還元するだとか、社員を豊かにするなんてことは幻想だろ。
経営者含め社員に金を払うのも、税を払うのも必要だから払うだけだ。
それでもシステム上金払ってるんだから、大企業の利益≒国民の利益となるのは正しいじゃないか。
そりゃ経営者はある程度多く貰えるようにできるけど、そんなん微々たるもんだよ。
で、何が嘘なの?お手洗いさんの会社はまだ金があるからよこせってだけだろ。
それが「儲けて株主に利益を還元する」ということに繋がるんなら説明してよ。
大企業を叩くのはかまわないし、個人の態度としては正しいと思う。
でも、その根底には「いいから俺に金をよこせ」っていうことしかないのに、
余計な屁理屈をつけてるのが気にいらない。
いや、金が無いんなら『必要なこと』もやっちゃいかんってことじゃないの?基本的な原則としては。
だから、『そんな社会』が良くないと思うんだったら国から助け舟を出すっていう話になるだけでしょ。
その状況を見てから「これはイカン」つって国が助け舟を出す、っていう順番なの?
それっておかしくない?
国が助け舟を出すまでの期間に、病院たらいまわしにされて死ぬ人は無念だろうねぇ。
地方自治体って、まず赤字を出さないことが大前提、至上命題なの?
公共サービスって、最低限はどこに住んでても受けられるべきなんじゃないの?
(最低限=ナショナルミニマムってどこよ、てのは難しい議論だけどさ)
本idの方、プライベートモードで使用中なんだが、私信出さないといけなくなったんで、ちょいと借りますよっと。
関係ない人読んでもつまらんよw
http://d.hatena.ne.jp/mojimoji/20080330/p1
>「チベットへのコミットのみを支持し、それ以外のコミットを批判する(支持しないのではない、積極的に攻撃する)ような態度を正当化する一貫性」
なんというわら人形。一番本質的な所が全く述べられてないんだが。その記述に倣うならこう。
「チベットへのコミットのみを支持し、それ以外のコミット『をチベットに関連付けする事で、本来チベットへ向かうべきであった問題の焦点をずらし、エネルギーを分散させてしまう事』を批判する(支持しないのではない、積極的に攻撃する)ような態度を正当化する一貫性」
ブコメだから適当読解で、言ってもいないことを勝手に読み取るマンはカンベンな。
要するに、自分の信奉する政治的ポジションの囚人になった馬鹿どものウチゲバで、チベットを仮想敵イデオロギー陣営の攻撃の道具として使うせいで、普通にチベットに懸念を持つだけの人の気持ちの発露を邪魔すんなよということ。まぁ普通ならそれで分かるんだが、一貫性を具体的に示せといってるんで、もうちょい詳しく説明しておくかね。
世界各国の民主化されたメディアに接する事の出来る所に住む普通の民衆が、パレスチナや昨年のミャンマーや今回のチベットといった場所で人民が生命の危機に晒されている不正義に反応して緊急的な対応を求める意思をネットを通じて表明したりデモを行ったりする訳だ。
そのような注視の蓄積は、国際的な圧力として該当国・関係国に自制を、対応の緩慢な自国の政府に対応を促す事に繋がると信じる。市井の人の感覚とはそういうものだ。
ところが、そういった時にどうもいろんなイデオロギー的な主張の臭いを放たずにはいられない連中が、その表明行動に関与する事を目論む訳だ。
例えば、サヨ系平和団体が憎くて仕方ない連中がいるようで、こぴぺ発祥と思われるものからチベット事件のまとめガイドラインのようなヘイトサイトまで立ち上げて、ここぞとばかりにサヨ系平和団体と呼ばれる団体の欺瞞を喧伝する事に血道をあげている訳だ。または、チベット虐殺抗議デモin大阪(撮影日08/03/23)このようにデモにかこつけて竹島のためにチベットをダシに使う屑とか、他にも色々ウンザリさせられるものがあるだろう。
その逆に、「チベット問題との温度差をすげえ感じた」このエントリはどうだ。
チベットを枕にしたことで、生命に関わる緊急性も自由度も違う、直接関連する属性といえば少数民族に対する弾圧という話を「もしチベットについて語るのであればアイヌについても同じレベルで語れ!」とばかりに賭け金を引き上げ、市井の人のチベットへの素朴な感情の表明に対して冷水を浴びせているのに他ならない。
そんな事は無いって?いや、そうなんだよ。善良な市民と自分で名乗るほど恥知らずではない善良な市民はだれもチベットに声を上げる時にイデオロギー問題まで関わりあいたくないんだ。君が、『なぜなら、最初から「チベット「も」」問題であることを認めているからだ。』と主張し、『主観的には、一貫したものを作ろうと考えている、行動しているつもりではある』のであれば尚更、チベットにコミットする際には、今は緊急性と結束したシンプルなメッセージが要求されている事だと判断をして、アイヌに関する問題については、絡めない細心の努力をしなければならないんだよ。
わしがチベットについてはてぶで一貫していっているのはそれだけの事だよ。だから、わしの中でとりたてて「中国が嫌い」なんていう要素を見出す事ができないんだ、期待に添えなくてすまんね。
まぁそうは言っても、アイヌについて言及すべきではないという主張については不満は残るだろうし、そういえば
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://d.hatena.ne.jp/buyobuyo/20080326%23p2
この辺でカリカリきてる人も居るようだし、「抑圧者側」とか選べない属人論法という煽りもあるので、件のアイヌデモについて思うところも語っておくか。
まずは件のデモの、配布されたパンフレットにあったという主張をみてみる。
> 差別は貧困を拡大し、貧困はさらにいっそうの差別を生み、生活環境、子弟の進学状況などでも格差をひろげているのが現状です。
この主張は要するに、現代文明の日本人として普通の水準の生活を送らせろという主張なのだから、アイヌである事を主張するのは矛盾してるんじゃね?
このグループの主張を見るに、アイヌゆえにというのがあるが、それこそアファーマティブアクションの負の側面がここまで明らかになっている今なお、部落差別の利権構造と同じ泥沼へ、自ら色をつけて堕ちていくようにしか思えない訳で。痛いニュースに取り上げられた反応は、チベットとは関係なくて、そういう手口をやる人間特有のあさましい部分を見透かしての反応なのではないかな。童話の青い鳥の食事に飛びついてしまった事を認められない自分の内面までは、社会には救えないんだよ。
それに対して、わしの言ってるのは、イオル(狩場)ごと返還して生活が成り立つように、アイヌのアイデンティティに対して本当に誇りを持っている者こそ望む物を渡すべきだと主張してるのだが。
そもそも、大部分のアイヌは二風谷ダムの立ち退きには生活向上を引き換えに同意した訳で、その中で強制収用と戦い抜いたのは、二軒だけだったというのは前提でよいよね?そうやって誇りを守った萱野茂も亡くなった状況で、本当に返還して、覚悟なしに単なる山地でどう過ごすのかと。本物のアイヌの生活はサスティナブルな生活様態の先達として敬意を払うべき対象であるが、その厳しさも想像できるからこそ、実践する覚悟は問われても仕方ないんでは?覚悟が無いなら、文化は博物館の中に入れて、日本人の人権の範囲で生活向上を求めるしかないじゃない。
地図を見てたら、この地域なんか典型的な間延びした生活前線であるな。持続可能な生活様態への変革が至上命題だと常々主張しているわし的にも、是非ともこの近辺の非アイヌ住民には、平取ダム作れとかゴネる下流住民ごとまとめて、集約されたコンパクトシティへと移住して頂いて、北海道経済を疲弊させているインフラコストの無駄を省ければ効率もよくて一石二鳥でもあり、実現していただきたいな。