はてなキーワード: 挨拶とは
大昔の職場で人によって態度を変える人がいたなー。
私は酷くされる側だった
何か私が気に触ることでもしたのだろうかと気になったり、考えても何も思い当たることがなく、その冷たい態度を思い出しては悲しく辛くなり、家で泣いたりしてたw若かったから。
お互いに同じような仕事上の身分で私の方が少しだけ早く入職しており一応先輩という立場で、でも先輩ぶってるつもりはなく、こちらは普通に対等に接してた。
挨拶無視したり、話しかけても目を見ずにぶっきら棒に小声で返したり、何かしてあげた時にもお礼も言わないなど。機嫌がいい時は、明らかに声のトーンが違い、そういう時はお礼を言ってくれるけど、機嫌わるそうな時は、連絡として⚪︎⚪︎しといたよって声かけても、無視。絶対聞こえてるのに。仕事で使う書類や物を、バンッてワザとものすごい音立てて机に置いたりするので、私もその子より下の後輩もびっくりしたなあ
¤
力に£℃ぃテ!!👾
當方ゎ40代男性デ∞布レ。
一応就職ゎしテレけど、※ぉ金ゎそんナに持っテナぃ!!!
障がぃ者枠デ民間企業デ働ぃテレ。干どもの頃カラ手のカカレヤ¥だっタのゎ間違ぃナぃ。🌟デも、ここまデゎ來レタょ!!
ちょっト思っタコトが布レ。今日の出來事だ。推敲ゎしテナぃ。※
今朝起こっタコトナんだガ、£その時ゎ自宅の山の近ぐを散歩しテタんだ。田舍の道路デ布レ。
ぅちゎ田舍ナのだガ、近年、ィオンのスーパーマーケットトカ分讓地トカニュータウンみタぃナゃ£ガ進出しテぎテレ!!!
その分讓地の前を通っタ時だ。當方ト同じ、40代の罠ガ道路を歩ぃテぃタ。🌸焼酎學校の同級生だっタ!!高校もそぅだ。黑ぃジャージ姿だっタカナ。
颜ゎまあまあデ、中肉中背だげど精悍ナ感じガすレ!!!性格トカキャラゎょぐ覺ぇテナぃ。¥どっちカト言ぅト自信家だっタカナ。昔カラ雰囲氣ゎ變ゎっテナぃ。
曾祖父の時代カラ地兀の名士デ布レ!!!🍀先祖犬体、この市町デ公務員勤めをしテぃレ。もちろんァィ¥も地方公務員デ布レ。高校を出レ時に公務員試驗に合格しテ、クラスメィトカラゎ「あぃ£コネじゃネ?」トカ言ゎレテタげど、自分ゎ違ぅト思っタ!!∞確カに苗字ゎ相當珍しぃげど、£デもあぃ£ガ惡ぃゃ£じゃナぃっテのゎ知っテタ。
🌟そレデさ、自分ガぃ£もその分讓地の前を通レ時、幼稚園ぐらぃの女の干ガ兄妹トカト遊んデレ。3人ぐらぃデ。※その時も、ぃタ!!!ゃゎり姉妹3人デ水遊びトカしテタ。
その干達ゎ、£月に何度カ散歩中に見カけレぐらぃだ。ぉ互ぃに存在ゎ認識しテレ、ぐらぃカナ!!!ぃゃ、ゃゎり向こぅゎ認識すらしテナぃト思ぅ。¤
さっぎの場面に戾レげど。その同級生ガさ、その女兒ガ遊んデレ分讓地の、住宅の端っこを通っタのだ!!!俺もすぐ近ぐにぃレ。※すレト、その女兒ガさ、「こんにちゎー!」っテ犬ぎぃ聲デその同級生に挨拶をしテタ。
駆け寄り氣味ナ感じだっタ!!!£同級生も、「こんちゎ~」っテ感じデ挨拶を返しテタ。惡ぃ癖だトゎ思っタげど、その女兒の颜を見レト……滿面の笑みだっタ。俺ゎ、女の干デも女性デも熟女デも、こんナ眩しぃ笑顏を向げらレタコトゎナぃ!!!
¤あんナ5才ぐらぃの幼ぃ干デもさ、「ァルファォス」っテ惡ぃ言ぃ方にナレげど、※そぅぃぅのガゎカレんだょナ。ぃぃ男性の區別ガ£ぐのだ!!!この年代デも。
£あー、ちょっト氣ガ滅入っタゎ。5才の干にすらモテレっテコトゎ、ぎっト若ぃ干にもモテレんだろ? あぃ£ゎ!!!正直、羨ましぃゎ。🌸自分も、一度デぃぃカラ女の干にモテテみタぃょ。
俺のトコロにも、¥メアㇴストガ來ナぃカナ!!!
『アㇴウスト』っテぃぅ作品ガ布レんだガ、ドィ¥にアㇴウストっテぃぅ黑魔術の怪しぃおっさんガ住んデぃテ……惡魔アㇴストト出會っテ、※死後の魂の服從を交換條件トしテ、現世デ人生のあらゆレ快樂ゃ悲哀を體驗させレトぃぅ契約を交ゎすのだ!!!
そレデ、アㇴウストゎグレートヒェントぃぅ町娘ト戀をしテ、£干供を身籠らせテ、そしテ……ナんカもぅぃろぃろ布っテ、スゲー紆餘曲折を體驗しテ、最後ゎ滿足しテ逝ぐのだ(「時ょトまレ ぉ前ゎ羙しぃ」)!!!
¤魂ゎ惡魔に引ぎ渡Sレレ約束だっタげど……以下ネタバレナのデ省略すレ。
祝日にこんナぼゃぎをしタぐナレ程度にゎ、※ショックナ出來事だっタ!!!
干どもにも、自分にトっテぃぃモノも、ぃぃヒトもゎカレんだょナっテ感じテ、£ちょっト
障がい者枠で民間企業で働いてる。子どもの頃から手のかかるヤツだったのは間違いない。でも、ここまでは来れたよ。
今朝起こったことなんだが、その時は自宅の山の近くを散歩してたんだ。田舎の道路である。
うちは田舎なのだが、近年、イオンのスーパーマーケットとか分譲地とかニュータウンみたいなやつが進出してきてる。
その分譲地の前を通った時だ。当方と同じ、40代の男が道路を歩いていた。焼酎学校の同級生だった。高校もそうだ。黒いジャージ姿だったかな。
顔はまあまあで、中肉中背だけど精悍な感じがする。性格とかキャラはよく覚えてない。どっちかと言うと自信家だったかな。昔から雰囲気は変わってない。
曾祖父の時代から地元の名士である。先祖大体、この市町で公務員勤めをしている。もちろんアイツも地方公務員である。高校を出る時に公務員試験に合格して、クラスメイトからは「あいつコネじゃね?」とか言われてたけど、自分は違うと思った。確かに苗字は相当珍しいけど、でもあいつが悪いやつじゃないってのは知ってた。
それでさ、自分がいつもその分譲地の前を通る時、幼稚園くらいの女の子が兄妹とかと遊んでる。3人くらいで。その時も、いた。やはり姉妹3人で水遊びとかしてた。
その子達は、月に何度か散歩中に見かけるくらいだ。お互いに存在は認識してる、くらいかな。いや、やはり向こうは認識すらしてないと思う。
さっきの場面に戻るけど。その同級生がさ、その女児が遊んでる分譲地の、住宅の端っこを通ったのだ。俺もすぐ近くにいる。すると、その女児がさ、「こんにちはー!」って大きい声でその同級生に挨拶をしてた。
駆け寄り気味な感じだった。同級生も、「こんちは~」って感じで挨拶を返してた。悪い癖だとは思ったけど、その女児の顔を見ると……満面の笑みだった。俺は、女の子でも女性でも熟女でも、こんな眩しい笑顔を向けられたことはない。
あんな5才くらいの幼い子でもさ、「アルファオス」って悪い言い方になるけど、そういうのがわかるんだよな。いい男性の区別がつくのだ。この年代でも。
あー、ちょっと気が滅入ったわ。5才の子にすらモテるってことは、きっと若い子にもモテるんだろ? あいつは。正直、羨ましいわ。自分も、一度でいいから女の子にモテてみたいよ。
『ファウスト』っていう作品があるんだが、ドイツにファウストっていう黒魔術の怪しいおっさんが住んでいて……悪魔メフィストと出会って、死後の魂の服従を交換条件として、現世で人生のあらゆる快楽や悲哀を体験させるという契約を交わすのだ。
それで、ファウストはグレートヒェンという町娘と恋をして、子供を身籠らせて、そして……なんかもういろいろあって、スゲー紆余曲折を体験して、最後は満足して逝くのだ(「時よとまれ お前は美しい」)。
魂は悪魔に引き渡される約束だったけど……以下ネタバレなので省略する。
祝日にこんなぼやきをしたくなる程度には、ショックな出来事だった。
子どもにも、自分にとっていいモノも、いいヒトもわかるんだよなって感じて、ちょっと思うことがあった。
お目汚しをすまなかった。
産休入る時の挨拶の菓子折りが色々炎上してるけど、最近たまたま職場に持ってく菓子折りを選ぶ機会があって、個人的には定番としてよく挙がってるヨックモックは職場への菓子折りに使いづらいなと思った。
基本ヨックモックって缶の箱に入ってるけど、缶は職場で「誰が片付けるの…?」みたいな雰囲気になりがちでさ。紙箱だと可燃ゴミで捨てられるから畳んで捨てるだけで気兼ねない。
4月末で、クソみたいな先輩が辞めた!
興奮してこんな時間になっても眠れない。
最終出社日に、本当にお世話になりました。まだ教えていただきたいことが沢山あったのに残念です、と心にもないことを言えた私偉い。
本当は、イェーイ!転職してくれてサンキュー!と思っていたよ。
印象に残っている先輩の姿
・挨拶はもちろん返してくれない
・5分前に届いた急ぎでもないメールの対応(アンケート回答)をしていないことを大声で責められる
・ダメ出しは鼻で笑いながら、「考えればわかるでしょ」のみ
・会社独自の書類に、どの程度の粒度で書くのかを聞いてもこれ以上の回答はもらえない
・同じ作業でも「少しは自分で考えて動いて!」「必ず私に確認をとって!」が日によって変わる
・仕方がないので、作業内容をチャットで報告して対応するようにしたら「なぜ報告するのか。平社員の私に報告は必要ない」
・先輩が仕切る会議当日に休む。資料の状況をチャットで聞いても無視。会議はなんとか回した。
・翌日何食わぬ顔で出社。ありがとうとか、ごめんねとかそういう類の言葉は一切ない。それどころか、会議の結果をなぜ報告しないのかと催促された
など、人間性に難がありすぎて、平常心で仕事を教わるのが非常に大変だった。
中途入社だったので「やべえ人だな、上司に適宜状況伝えとこ」で乗り切れたけど、新卒だったら潰されてただろうな、と思う。
そんなひどい人を採用してくれた会社には感謝しかない。アルムナイ制度で戻ってこないことを祈ってる。そちらで定着してください。外に出さないでください。
挨拶の際にお菓子を渡すことの是非とかお菓子そのものの値段や味はさておいて、挨拶の時に渡すお菓子にバラ売りしてるものを選ぶ感覚はよく分からない。
喩えとしては少し大袈裟かもしれないけど、慶事や弔事でお金を包む時って相応の封筒を用意するじゃん。包む金額は同じだからって普段使いの茶封筒とかレターセットの封筒に入れたりしないじゃん。
挨拶のお菓子でバラ売りのものを渡されたことはないけど、もし自分が渡される側だったらその場では「ありがとうございます」って受け取りつつ内心ではその感覚を奇妙に感じると思う。
御託並べてるけど結婚することに嫉妬してるようにしか見えない。大きなお世話すぎるし素直に羨ましいって言えよw
最初から結婚する気で付き合って一週間で同棲、十日後には互いの両親に挨拶したわ。
一週間に一回程度しか会わないかつ若ければ三年くらい付き合ってっていうのも分かるけど、同棲して毎日生活してる9ヶ月って前者で考えると3年以上なんだよね。その友達が同棲してるかは知らんけど。35歳なら子供のこと考えるとギリギリだし賢い選択だよ。増田は人のことあーだこーだ言う前に自分の相手見つけて三年付き合ったら?その頃にはアラフォーだけど。
お辞儀判子もないし、通りすがる度に正対して挨拶する必要もない。飲み会でも正座する必要はなく、課長すら自分の料理や飲み物は自分で取る。
こんなの民間でもごく一部じゃね?
20代後半の男。
自分や転職組の先輩や同期との会話を通して感じた公務員になって良かったこと、悪かったことを紹介する。
・緩い上下関係
もちろん常識的な範囲での先輩や上司への言葉遣いや挨拶はみんな心得ているが、前職のような厳しい上下関係はない。
お辞儀判子もないし、通りすがる度に正対して挨拶する必要もない。飲み会でも正座する必要はなく、課長すら自分の料理や飲み物は自分で取る。
・ノルマがない
前職のようにカード、定期、投信とノルマを課されることはない。事務処理の締日はあるが、遡って処理できるし間に合わなかったら来月付にすれば良いだけ。
前職は昼休みでも顧客が来れば対応したし電話も出なきゃ行けなかった。外食や外出も基本禁止だった。
今は昼休みは自由に外食や外出できるし、窓口に人が来ようが電話が鳴ろうが昼休みなら対応しない。
部署にもよるが、基本的に先輩たちは一年目から有給をほぼ使い切っていたらしい。
・先輩や上司が味方になってくれる
前職ではトラブルが起これば基本的に上司は顧客側に立って「お前は何をしたんだ!」って感じだった。顧客が大口なら尚更である。
今では怒り狂った市民が来ようが上司や先輩たちは基本的に自分の側に立って「そちらに不備があったのでは?」という感じのスタンスを貫いてくれる。正直こっちにミスがあったとしてもそれを事前に報告していれば「こちらに問題はない」という態度を取ってくれる。
・飲み会が多い。
盲点だった。先輩や上司は平日の真ん中でも朝まで飲んで青い顔で出勤してくることがある。痛風率高め。
・残業
残業は普通にある。電話や来庁者がいなくなった定時後に事務処理を集中して行うので仕方がない。ただ、自分で「この週は残業して事務仕事を片付けて、来週は定時で帰る」という様に管理できるので苦痛ではない。
前職では不祥事防止のため残業禁止で支店のみんなで一斉に退社していた。事務仕事もノルマもあるので残業禁止は普通にきつかった。
・研修がない
必要な仕事の知識、電話対応、全職場共通のシステムの扱いを一通り身につけてから支店に配属だった。
自治体は基本的に入庁式の直後に部署に突っ込み、新人も戦力にカウントして配置を行っている。初日から何もわからない状態で仕事をするため、知識0で市民対応をして市民をたらい回しにし怒らせてしまったり、書類を同姓同名の別の市民に発送してしまうミスもあった。ミスで詰めてくる上司や先輩がいないので良いが、何もわからない状態で周りと同じ仕事をしなきゃいけないのが大変。
⚫︎2. 技術的なこと
コミュニケーション力とか地頭とかふんわりしたこと言われるけど、もう少し具体的に言語化したらこんな感じになるんだと思う。
エンジニアとしての身内からの評価が高いのはデバッグ能力とか設計能力とかだけど、結局マネジメントからの評価だったり社会人としての評価は年収に関係あるのは前半に書いてあるような技術とは直接関係ない能力だったりする。
空白12年職歴無し35歳無職パートおじさんワイ、今日は休日ながら午前中に初タイミー
練習しているミュージックアワーを熱唱しつつ10分前に就業先の某ホテルに到着するも
しばしのやりとりののち緊急連絡先に電話し無事裏口へと案内される
おそらく日雇い界では搬入=裏口に集合という常識があるのだろう
設営等の軽作業はこれが初めてなワイがそんなことを知る由もない
すまんなフロントの若人よ、ご苦労でござった
さて
リーダー的は28ぐらいの若人、サブリーダーは40代中盤、および同士4人に挨拶し、QRコードをスマホで読み取り就業である
お仕事は台車に積まれた石膏ボード的なパーティションボードや台座がトラックから降ろされ、それを会場へと運び組み立てる作業
会場でパーティションボードをこの胸に抱くのは人生初、石膏ボード運び童貞卒業である
これが中々重く息が上がる
反る背筋に張る三角筋、これだよこれ
男はこの手の全身作業をたまにやんなきゃ心臓も肺も腐っちまうぜ
そういやスーパーでのお仕事ではたまにキャベツが入ったカゴとか持ち上げるぐらいで肩が張ったり息があがるまでの作業はしてないんだよな
会場へのボードの搬入を終えたら台座を指定された場所に置き、パーティションボードの向きを統一しながら差していく
この若干の筋肉への負荷がいいんだよ若干の負荷が
ボードを差し終えるとコの字型の連結金具を上から差し全体の位置を調整して終了
サブリーダーの語るところこれは当たりタイミー、普段の半分の量とのことであった
ラッキーなお仕事でタイミー童貞卒業とはやはりワイは持っているな
フハハハハ
アスレシューズライトの底がコンビニの床で滑ってコケそうになるぐらい擦り切れて平らになってて
youtubeで芸人が紹介していた2980円の耐水シューズに魅力を感じていたがサイズが全然なく
980円のアスレシューズライトを買おうとするも無く片膝を突く
GALLERASとかいうアスレシューズライトみたいな靴が目に付くも靴の側面にGALLERASとデカデカと書かれている
ワークマンってこういう主張好きみたいだけど何が目的なん?ワークマンに求めてるのは安さと機能性だけやで?安物履いて自己主張させたいん?買おうかと思ったウィンドブレーカーも肩甲骨のあたりに要らんロゴ入ってて買うの止めたしよ、ワークマンお前なんか勘違いしてないか?靴下とかスラックスとかは安いしいいけどよ
ブツクサ言いつつ店を後にし眼科に行って緑内障で処方された目薬の効果を確かめる、眼圧18が12になっており効果てきめん!
ゴルゴも読めたし眼科の看護師さんは相変わらずみんな美人で目の保養になりましたわ
ワイが綺麗な女に人扱いしてもらえるのはここだけですわ
これも眼科が用意した付加価値の一種、美人を見るために目を大事にしようというメッセージなんでしょうな!
でそのまま新たに作った眼鏡をショッピングセンター内のJINSへ取りに行く、保証の説明を受けておわり
片目はそのままの度で、片目の度をちょっと上げたら微妙に失敗、前は左目のほうが低めの矯正視力だったのに左目のほうがよく見えるようになってしまい脳が混乱している感がある
左目の度を1段階下げてもらおうかな、JINSは2回までどの調整が無料らしいが眼科の処方箋が必要らしいめんどくせえなあどうしようかなあと思いつつセンター内他店の靴をウィンドウショッピングする
靴のソールが柔らかいほうがいいのか硬い方がいいのか足の指が動くほうがいいのかピッチリのほうがいいのか
わからない
ちなみにすべての移動は徒歩、締めて約9kmで割と歩いたぜ
ん~
のり弁買いに出て味噌汁ぐらい作ろうかな
若い女性がたくさん住んでいるという事は人口が増えていくであろうという考え
なら逆に若い女性が減っていたとしても着床して差し上げたら女性一人当たりの出生数が増えて人口は上向きになるんじゃないかな?
増田君それは”アリ”だ
愛猫は言葉が話せるようになったと言い、私は驚きながらも感激した。
次に日本語を教えてほしいというので、私は二つ返事で頷いた。
「え?」
「朝の挨拶がどうして”おはよう”なのかと聞いたんです。べつに、”こんにちわ”でも”いぬ”でもいいじゃないですか」
私は苛々し始めた。
「…うん」
私は渋々頷いた。
「それなら他の言葉でもいいじゃないですか。それに前から思ってたんですけど、いつも同じ挨拶の言葉を使うって、なんか馬鹿みたいだなって」
私は愛猫の頭を叩いた。
愛猫は驚いた顔を見せ、そのあと顔を伏せると小さな声で「…わかりました」と言った。
そこで目が覚めた。
妙な夢だったなと思いながらベッドから起き上がり、リビングへ行くと愛猫がソファで眠っていた。
思わず頭を撫でると目を覚まし、「にゃあ」とかわいく鳴いた。
・よく遅刻している(すっぴん・髪ボサボサでオフィスに駆け込んでくる)
・家の鍵をオフィスでなくしたとかで大騒ぎになっていた
・常に挙動がおかしい(常に目がキョロキョロしていて落ち着きがなく、この前は水を汲むだけだろうにウロウロしていて、挨拶すると「あっあっ、お、おはようございます……はは……」みたいな感じ)
・返答の内容が時々おかしい(聞いている内容じゃないことが変な間で返ってきて場の空気が「?」となる)
・たまに失礼な質問をする(先輩に、「彼氏さんいるんですか!?」などプライベートのことを根掘り葉掘り聞く)
なんというか、目のキョロキョロ具合だとか落ち着きのなさで、ぱっと見でまず「まぁなんかある人なんだろうな」という感じではあった。
それでも彼女は今、社内でちゃんと「尊重される」ポジションを築いている。
・いつも誰にでも笑顔
・自分の特性で変な空気になった時随時「私変なこと言いましたよね、すみません」等と謝る
会社に入ったばかりの頃は、それはお客さんからクレームが多く、「あいつやばい」ということで嫌われていたらしいが。
長いこと笑顔で一生懸命続けていることで、「あの子はまぁ頑張ってるからね」ということになっている。たどたどしく発表している時も、みんな時々笑いながらも穏やかに聞いていた。
世話好きな人が多い自分の会社だからというのもあるかも。(周りの人がなくしものを一緒に探したり困りごとを聞いてあげたりしているのをたまに見かける)
確かに、最初は「なんだこの人」と思っていたけれど、下手なりにコミュニケーションを取ろうとする一生懸命さに正直胸を打たれるというか、見ていると変に勇気が出る。自分が殻に篭りがちなので。
ここ数年、入ってくる新卒さんを見ていると彼ら・彼女は「他人に敬意を払う」ことを屈辱的と捉えているように見える。
自分は何者にも対しても対等以上であり、気を遣われるべき側だと思っている節が見受けられる。
本社の上役が直々に視察に来ても、向こうから挨拶されない限り挨拶を返さない光景はもはや見慣れたもの。
地方の支店の中間管理職である私なんぞから、仕事のミスを指摘(本当に指摘だけ)したところでふてくされて黙り込むだけである。
別に媚びへつらえとまでは言わないけど、少なくとも敬意は相互的に払うものだと思うんだけどな。
顔見知り程度だったり、挨拶したり、どこかで会えば話すような程度の知人~友達はたくさんいるのにGWに旅行に行ったりディズニーに一緒に行くような友達がいない。
昔からそうだ。
大学のサークルでも先輩後輩男女問わずみんなとなかよし!みたいな感じだったけど、少人数のお出かけとか旅行にはカウントされない。
同じタイミングで出会ったはずの人達も、いつの間にか「すごく仲良し」なグループが出来ていてそこに自分はいない。
個別の誘いはあったり、大人数の飲み会とかは必ず誘われるので嫌われているわけではないと思う。
なんというか、どの界隈でも「ほどほどに好かれてる」みたいな立ち位置にいる感覚。
増田のことNGって人誰もいないから平和でいいとすら言われる。
トラブルが苦手ゆえ上手く立ち回ろうとしすぎて距離感出てしまっているのだろうか。
自分としては仲良くなりたい。
連休とか来る度になんの予定もなくて寂しい。
むかし職場の中途採用のスーパー営業マン先輩(元大企業からのドロップアウト)に「大メーカーさんは主任クラスの肩書で挨拶や交渉に行ったら軽んじられてると受け取られて怒られるよ」と聞いたやで🤔
2024年始まってから散々なんだが!!!!!!世界のこと許さないからなこのカス!!!!!
4月も終わるのでもういい加減立ち直りたいが、時間が経つと怒り以外にも寂しさ、悲しさ、いい思い出、憎めないことがぐちゃぐちゃに混ざりさらにカオスな心境になってきた。
渦中にいるときは全体像が把握できないし、何より感情も時間差で処理されるので後になっていろいろと噴出してくるのだ。
そして、ぽつぽつと人に話すと高確率で、文章に感情をまとめると整理されるという助言をもらうので散文を匿名ダイアリーに投げることで成仏を試みる。フィクションです。
知り合って3年、付き合って2年ちょい、1年半同棲していた彼氏から1月に別れを切り出されたことからすべては始まった。
その時になんて言われたのかを思い返してみよう。
「なんか、求めてるエネルギーと違うんだよね。違和感があるというか。。。。会話も出会った頃から弾まないんだよね。」
今まで、ちょいちょい「増田はおばあちゃんみたいだよね。本当におばあちゃんになったときどうなるの?木になるの?」
などと言われたことを思い出し、カスの元カレ(以下春日)が私の陰キャすぎるエネルギーに疑問を持っていたことを知る。
実際に私は友人付き合いが超限られていて、SNSも苦手でインドアなので図星ではあった。
ただ、私の陰キャ化が加速したのはこの1年のことである。特に2023年は諸々のストレスが重なり、精神的にセーフモードで超低空飛行していたのである。
元々、付き合った頃は逆だったのだ。私が春日と出会った頃、彼はまあまあ重めの鬱を患っていた。
コロナ禍を機に、不眠と身体の不調からずぶずぶと鬱に沈んでいき、大学も中退して家から出ることが怖くなりニートになっていた。
ちなみに補足情報として春日は外国人で、私は現在海外の修士課程に留学中の在外邦人である。紆余曲折あって音楽の趣味が合い意気投合したのが出会いだ。
慣れない異国のコロナ禍で不安な中、曲とも呼べない小さな音楽の断片を作って交換したり、好きなことを共有できる相手は私にとって貴重だった。お互いにまあまあ離れた別都市に住んでいたが、友人として気分転換によく春日の街に遊びに行くようになった。
春日の母と一緒に3人で初めてご飯を食べたとき、春日がいきなり号泣し始めて落ち着かせるために必死に彼の手を握っていたことを思い出す。突然号泣したり沈黙し、動けなくなることが多い状況だった。
春日はとても純粋で、鬱でも前向きに生きようと頑張っている姿を見て次第に応援したくなった。春日はとても美しい声を持っていて、時々歌ってくれることが私の心の浄化にもなっていた。ただ、それも不調により以前のようには歌えない状況だったので本人はとても落ち込んでいた。
私自身、現地語のみの授業を理解し、口頭試験を乗り越えていくことに心身を消耗していたが、なるべく春日が外に出るように引っ張り出したり、心に寄り添えるように丁寧なコミュニケーションを心掛けていた。春日は日本語が上手かったが、言語の壁も高かったので尚更慎重に進めた。Rei harakamiの命日に二人で登山して、山頂で終わりの季節を聴いて黙祷したりとか、今思えば二人とも変な奴だった。
そして、プロのカウンセラーの手を借りて春日は鬱を治療することになり、友人になって一年弱が経つころ、恋人として付き合うようになった。
付き合った当初もまだ鬱は強く残っており、春日に関しては特に自己防衛の機能が強く、何か一つ難しいことがあるとできない理由を無理やり探して諦めたり、衝動で物事を瞬時に決めて深く考えずに逃げるという癖が相まって、物事を継続したり、安定して物事を考えることが難しい様子だった。その中で、私が住んでる家から引っ越しを予定してると伝えると私の住んでる周辺の街に春日も住みたいと言い始めた。それもあって一緒に住もうということになったのである。その後も、具体的な計画が進むにつれ、「やっぱり僕には無理!」とか「やっぱり一緒に住もう!」と、決断が二転三転する春日に精神的に振り回されて疲弊したので、その癖を人と共同で何かを決めるときに持ち出すのはやめてくれとお願いした。
ただ、我々の家探しは困難を極めた。そもそも貸し手市場なのに加えて、正式な賃貸契約の場合はニート(実家が細い)&外国人留学生というコンビでは賃貸の審査を受けるという土俵にすら立つことが難しかった。とはいえ私の家の退去期限もあったので謎のモルドヴァ人のおばさんちの小さな一室をとりあえず借りて、極限の生活が始まった。
状況に反して春日はなぜかこの頃精神が強くなっており、審査に通るために黙々と職を探していた。私は定期試験を乗り越えることと賃貸の審査が通りやすくするための準備でいっぱいいっぱいだった。このモルドヴァのおばさんは一ミリも信用できず、家賃交渉で一悶着あったり大変だったが今では笑い話である。そして、春日は不動産の営業という職を見つけたことにより保証に通るようになり、四か月後、アクセスはあんまりよくないがこじんまりした1LDKに住むことに成功した。
その頃、湖畔に弾丸でキャンプに行ったのも良い思い出。4000円ほどの砂浜で使う用のテントとエアーマットレスだけ持って行ってのだが、初日の夜に土砂降りになってしまい、気が付いたらテントの中が湖みたいになっていた。水にマットレスだけプカプカと浮いてて二人で「ノアの箱舟じゃんwwwwww」とか言って馬鹿すぎて爆笑してたよな。そんな状態で7泊もした。
引っ越し後は、私は円安による金欠と奨学金が終了することに焦りを感じ、なにかWeb制作系で働けないか試行錯誤した。春日はニート生活から一転して、スーツを着て一日11時間勤務の社畜へと変化した。ただ、営業職は出来高制で精神的ダメージも大きく、彼は四カ月後に仕事を辞めた。
そうやって2022年は過ぎ、2023年には無職の春日と留年して金欠の外国人という最強の布陣が出来上がった。
一月頃、金欠、将来の不安、引っ越し一連の疲れがどっと出て私は精神を病み始めるが、打破するため近所のカフェでバイトを始めて安定した。一方春日は、営業職で受けた数々の否定の言葉に傷つき、癒しとして貯金を食いつぶしながらやってみたかったドラムを習い始める。
私のバイトは夜勤と早番が不規則に組まれるような状態で、現地語で早朝のラッシュを捌くことに必死だったのであんまり記憶がない。ただしばらくして、伝手でリモートでできる仕事を依頼されるようになり、そっちの方が興味のあるジャンルだったしガタガタな生活リズムを戻したくてバイトを辞めた。そして、春日は相変わらず週一の習い事以外は日本語の本を公園で読む生活をしていた。
卒業に必要な単位も取り終わったころ日本に3週間ほど二人で遊びに行った。春日は牛丼を大層気に入り、吉野家、すき屋、松屋を食べ比べたのちにすき屋の牛丼以外は認めない頑固さを持ち、片っ端からブックオフと古本市場をはしごし、コンビニはローソン以外には入らない外国人となった。日本にずっと行きたかった春日は終始目をキラキラさせていた。
日本から帰ってきたころ、私はリモートの仕事をしながら本業である芸術に関する活動に勤しんだ。おかげで賞を取りちょっとした催しに参加するなどのイベントが発生した。卒業論文にも取り掛かり始めたがその壁が高く、先行研究の論文と本を現地語で読むことで時間が過ぎていった。卒業後の進路や家族の問題、論文のプレッシャー、円安、制作意欲が低下していることなどのストレスが一気に重なり私の精神は下降し続けていた。
一方春日は、貯金が尽きて彼の母からの仕送りで生活するようになった。とはいえ、日本語能力試験一級に挑戦する目標を立て、ひたすらカフェで日本語の本を読んでいた。なにかバイトしたら?と聞くと、「うん、来月から探す~」と言い続けて2023年は終わった。やるやる詐欺を繰り返す春日にムカついていたが、本当に一級に合格したからえらいよね。
年末年始を彼の地元で過ごし、春日は自分の喉の調子がだいぶ改善したことに気付く。コロナ禍以前は弟の彼女とコンビを組んで路上パフォーマンスをしていたこともあり、再度コンビを組んで地下鉄で歌うと、これがまた投げ銭で儲かった。彼が好きなことでお金を稼げることを発見し私も大層喜んだ。しばらくは家を離れて実家で活動したら?と提案したのだ。
そうして二人で家に帰ってきた2024年一月、冒頭にあるようなことを切り出されたのである。
出会った頃元気がなかった春日の精神はだいぶ安定してきていたのに反して、私は在外年数が増えるにつれ外国人としての立場の弱さやストレス、現地人と対等な土俵に上るための終わりのない努力に疲れ果てていた。きっと、私が春日を家の外に引っ張り出したように、春日が今度は私の人生でつらい時期を支えてくれると期待していたのだ。
しかし現実は違った。もともとは陽キャの素質を持つ春日が好きなことを見つけて元気になったところで、陰キャで元気のない私はただの言葉の通じにくい異邦人のメンタルおばあちゃんでしかなかった。
春日は冒頭の言葉とともに特に話し合わずに足早に地元へ帰り、日銭を稼ぐことに集中した。私は論文に追われてしんどい時期に別れを切り出されたことが悲しくて、その理由も悲しくて、毎日を泣いて過ごした。日が経つにつれて春日がなんの相談もなく結論だけを私に話してすべてを放って逃げたことに怒りがこみ上げ、太宰治崩れのポエムみたいな謝罪文だけ投げてくることも火に油を注ぎ、一日でいいからこっちに帰ってきて話し合え!と伝えると、月末に一日だけこちらに帰ってきた。春日は二時間ほど私に謝り続け、どうしてもやり直したいと言い始めた。
私は春日に対して信頼を失っていたが、それらをゼロからまた積み上げるような努力を一緒にしてくれるならいいよ、と許してしまった。育ってきた背景も母国語、文化も違う二人が関係を健康に維持するにはお互いの努力が必要だ。自分ができることを相手ができないのは当たり前で、自分と違う文化を受け入えてその違いに尊敬を持つことが、同郷人同士以上に必要になる。
もちろん私にも落ち度はあった。私が学業と資金繰り、外国人としての滞在許可証の条件などに四苦八苦してるなか、二十代も半ばになって、苦労して一人で家計を支えている母の仕送りで日本語の本を読んで夜はボードゲームの集まりに参加する貴族のような毎日を送る春日にイライラしており、尊敬を持つことが難しく心の距離を置いていたのも事実である。相変わらずコロコロと判断を変えて振り回されるのも日常茶飯事で、この軽蔑的な感情を外に出さないようにしていたが、確実に伝わっていたに違いない。
そして再び春日は地元に二週間ほど帰り、その間我々はどうやって不安定な時期を乗り越えるのか取り決めを作ったりしていた。その後一週間ほどこちらに春日が帰ってきて、束の間の平和なひと時を過ごした。春日が地元に帰るタイミングで私も着いていって二週間ほど彼の実家で一緒に論文の現地語校正を進めることを決めていた。
そして一緒に帰った翌日、春日に再び「やっぱり波長が合わない。。。。僕はもっと明るくて、引っ張ってくれる人をパートナーにしたい」 「増田とはもう一緒に成長できないし、もう考えてることを伝える気が起きない」 「現地語のスラングを言い合って言語の差なく話したり、もっと協力し合えて一緒に音楽をしてくれる人と付き合いたい」などと散々なことを言われた。
そもそも私だって明るく居たいが、元気ないのは過去のてめえみたいな状況だからだよ。そもそも、外国人にネイティブと同じことを求めるな。私も毎回なんでお前の母国語で話し合いをしなきゃいけないんだって思ってるよ。それでも好きだからやり直したいって懇願してきた二週間前のお前何?蜃気楼?
矢継ぎ早に傷つく言葉を言われて、春日からきっと「こいつはいくら殴っても倒れないから大丈夫」と思われてるのかなとも思った。あのな、自国で家族に囲まれてぬくぬくしてるお前と違って、一度完全に倒れたら誰も私を助けてくれないの。この国に実家もないし親族もいない。ただの病んだアジア人としてさらに劣等感に埋もれて取り返しのつかないレベルに粉々になって、廃人になるだけ。
だから最後の気力だけで完全に折れないようにだけ耐えてんだよカスふざけんな。
というか、鬱を患ったならもうちょっと元気がない人の気持ちがわかって優しくなれるもんじゃないの?と疑問にも思った。しかし、春日の様子を見るに鬱の事実は元気になった今ではもう消し去りたい過去で、鬱の匂いがするものからは遠ざかりたいという心理なのかなと思った。腐ったりんごの隣に置くと、普通のりんごも腐るし困っちゃうよね、みたいな。
「友達としてならうまくやっていけるはず!」とも言われたが、私は春日にとって都合のいい存在で、不都合があると「物足りないなあ...」と切り捨てる程度の存在だったことに絶望した。
私は彼の調子が悪い時に自己肯定感を埋めるだけの存在だったのだ。そもそも、一月から振り回されて論文の進捗もギリギリで、ここでまた振り回されてボロボロになったことにより、私の三カ月間を返せ!!という怒りがこみ上げてきた。一日前に言ってくれたら、あんたの地元行きの電車に乗ってねえよボケナス。
あと、恐らく文化が違うからかもしれないが、彼は愛情表現が強いのだ。「愛してる」という言葉を挨拶のように言う。別れを切り出される数時間前まで「愛してる」と目を見て言われていたその温度差も日本人の私には理解不能で、サイコパスにしか思えなかった。
そこからは、今まで我慢していたいろんな感情が噴出。さらには希死念慮までが唐突に襲ってきて、居場所のない彼の実家で必死に感情を爆弾のように抱えた。
急いで変更した帰りの電車の日まで、知り合いの居ない彼の地元でひたすら論文を書くだけの時間の虚しさ。楽しそうに彼の弟の彼女と爆笑しながら帰宅して、何事もなかったように振る舞ってくる春日から逃げる場のない状況とその惨めさ。さらにムカつくのは私がなぜ傷ついているのか勘違いしているところ。
「ごめんね。。。もう別れることは変えられないから。。。」と言ってくるがオイコラ、全人類のクソ男に告ぐ。そこちゃうねんクソ。お前と別れることに悲しんでるんとちゃうねん。今までそれなりにお互いが人として大切な存在だったはずなのに相手の状況も顧みずに振り回してなんの責任もない別れの仕方をされたことで過去のあんたとの思い出も、私の存在もくそ薄っぺらいものになったことに悲しんでるんじゃボケ。ままごとしてたんとちゃうぞカス。この心境に共感するひとはSHISHAMOの「忘れてやるもんか」を聴くと少しすっきりすると思う。
家に帰ったあと、春日のSNSをすべてブロックした。それでも気になって覗いてしまうSNSでは初ライブもして音楽家としてどんどんバズって有名になっていく春日と弟の彼女が目に突き刺さってきた。それはそれは楽しそうに歌っていて、出会った当時の姿から比べると本当に幸せになってよかったね~と思う気持ちがまだ存在していることにホッとしたが、元カレのSNSを見るのは一種の自傷行為である。
一カ月間、必死に自分のやるべきことをして、フラッシュバックが来るときや寝るときには号泣するということを繰り返してきた。同棲していたので、家の契約とか置いていったものが山ほどあるのでどうしてもいつか顔を合わせなければいけない。あの、世の中の女性はこのような場合どのような顔をして会ってるんですか?
異国の地で一人で生きていくには私は弱く、二人で生きていくにも力及ばなかった。そしてつらい時期に、一番大切な人から浴びせられた性格を否定される言葉に一生懸命保っていた自尊心をもぎ取られ、それをまた家族も親友もいない異国で一人で泣きながら拾いなおしていくこの惨めさ。鬱の時期も愛してもらったお前には分らんよな。私だってつらい時期を耐えて、また心から笑って一緒に楽しく過ごしたかった。
私は無償の愛を持っていなかった。助けたから私も助けてほしかった。でも相手はそう思わなかったというただそれだけのことなのだ。フロムの「愛するということ」にもあるように愛することは技術であり、その修練が必要というのは本当で、意識と覚悟をもって愛すことは、感情とは違う部分も大幅に使う。ただ、お互いに技術がなかっただけなのだ。
この一連の出来事のおかげで今まで出会ったことのない感情たちに出会えたことはよかったと言えるだろう。希死念慮も今では優しい死神のようにぴったりと背後で見守っている。自己が消えそうなときは自己の存在を強烈にこの世に残そうとするのか、創作意欲が見事に回復したことも皮肉である。
また、時間が経つと不思議なことに、カオスな感情の中に謎のメタ認知的な視点が表れて、こうやって惨めに醜く足掻いてる自分も、中途半端な執着をもって繰り返し傷付く自分も、なんだか本当に子供すぎていじらしくて愛らしく思えてくる。感情爆発させてて最高に人間らしくていいじゃんって思えるのも、なんだか傷が少しずつ癒えてる気がする。
人に期待しすぎること自体、ただの我儘になってしまうこともある。どれだけ自分が惨めでかっこ悪くてしんどくても、まだ泣き喚けてるだけ健康で、とりあえず自分を裏切らないものを信じる訓練から始めるしかない。ペットや植物、筋トレ、美容、創作活動はいいぞ。
葉渡賢治のゆるキャラ就任時以来のガチファンである青柳碧さん(仮名)は「目が覚めましたよね。今まで私が推してたゆるキャラの葉渡賢治って、え、ただのおじさんじゃんって。人並みに性欲を秘めてるおじさんに私はわーきゃー言ってたんだって。きも、って思って。葉渡賢治もきもいし、それを無垢に推してた私もきもいし。もちろんあれは不慮の事故だってわかってますよ。誰も悪くない。でもね、一度そういうふうに見えちゃったら、もう、そうとしか見れない。涙出てきますよ。グッズはもう全部捨てました。アクスタを一番最初に捨てた」と極東経済のインタビューに答えた。それを読んで、葉渡賢治は誹謗中傷のチェックをぱたりとやめた。葉渡賢治は8畳の部屋から退去した。市の命令だった。グッズ、マンホール、三ツ葉駅のフォトエリア、公式サイトや公式SNS、動画サイトにアップロードされていたダンス動画など、ゆるキャラとしての葉渡賢治の存在は抹消され、なかったことになった。アニメはAlaskaプレミエール会員なら誰でも見ることができるサブスクに残り続けたが、アニメの内容とは関係のないレビューと低評価が大量に付けられ、黒歴史でしかなかった。
もはやゆるキャラではなくなった葉渡賢治は、以前居住していた6畳の部屋に舞い戻り、以前正社員として勤務していた三ツ葉堂のアルバイトとして採用されたが、現場を離れている間に業務は大幅な効率化が施されていて、仕事に適応することが難しく、上司と揉めて3ヶ月で退職した。上司というのは、かつての葉渡賢治の部下であった。その後、精力的に求職をしたが、採用されたどの現場でもうまくいくことはなく、職を転々とし、やがて採用されることさえなくなった。このままでは生活の維持が難しく、山の麓かつ川沿いに位置する、家賃はただ同然の、三ツ葉市に生息する全ての虫が出現するのではないかと思われる魔境のような4畳ワンルームの部屋に引っ越した。集めた虫をカリカリに焼いて食べながら見ていた動画サイトの広告(「誰でも寝ながら稼げる!」)からクラウドソーシングサイトにアクセスし、誰でもできそうなSNS運用の仕事を受注した。それは、短文SNSであるMemonoにて絶えず流れてくるその日のニュースやトレンドを全て「これは予め仕組まれた工作である、なぜなら」と理由をこじつけて160文字以内の文章にまとめて投稿するというものである。依頼主からは「何でもいいからとにかく数を多くこなしてほしい。最悪、他人の文章のパクリでもいい」との依頼があり、完全出来高制であった。1投稿10円。希望があればアカウントを増やすこともできる、との提案があり、葉渡賢治は10アカウントを同時に運営した。葉渡賢治は真面目であったので、他人の文章を盗用することなく、全てオリジナルの文章を投稿した。「これは予め仕組まれた工作である」という考え方の勉強にも余念がなかった。依頼主にその仕事ぶりは高く評価され、長期契約がなされたが、報酬は変わりがなかった。
ある日、Memonoのトレンドに「葉渡賢治」というワードが浮上しているのを見つけた。何事だ、俺がまた何かやらかしたのか? と葉渡賢治は一瞬思って血の気が引いたが、どうやら人気VTuberである腐葉土咲也が「みんみんみんなの三ツ葉ダンス」の歌ってみた動画を突然に投稿し、それがファンの間で話題になっているようだった。動画を見に行くと、10年前の地方自治体が作ったチープ感溢れるスタジオがバーチャル空間に再現され、その中で腐葉土咲也とやらが元気に「みんみんみんなの三ツ葉ダンス」を歌い、バーチャルで作られた小太りな体で見事に踊りあげていた。コメントでは「なんでわざわざこの曲?笑」「圧倒的才能の無駄遣い」「葉渡なんとかよりも歌うまい」などの投稿があり、葉渡賢治への攻撃はほぼなかった。安堵した葉渡賢治は仕事モードに頭を切り替えた。葉渡賢治は「葉渡賢治」「これは予め仕組まれた工作である」について考えて投稿しなければならなかった。葉渡賢治。これは予め仕組まれた工作である。葉渡賢治。これは予め仕組まれた工作である。葉渡賢治がゆるキャラに選ばれたのは、仕組まれた工作である。なぜなら。なぜなら? なぜならも糞もあるか!と葉渡賢治は思った。だいたい俺が圧倒的1位で38歳にしてゆるキャラに選ばれるわけがあるか! あの市長の酔っ払ったみたいな挨拶はなんだ! ただのおじさんのグッズがそんなに売れるわけないだろ! なんで俺がアニメ化されるんだ! おかしいだろ! あの生放送のスキャンダルだって予め仕組まれた工作だったんだろ! 太って禿げてきた俺が邪魔になったんだろ! そうに決まっている! うああああああ!
葉渡賢治は「葉渡賢治」「これは予め仕組まれた工作である」について寝る間も惜しんで投稿し続けた。それは葉渡賢治の歴史だった。叙事詩だった。人生そのものだった。葉渡賢治は葉渡賢治の生きた証を残そうとしているのであった。「葉渡賢治は三ツ葉市の工作によってゆるキャラにさせられ、人生を歪められた!」「葉渡賢治は市役所近くの8畳の部屋に幽閉され、基本的人権を剥奪された状態であった!」「葉渡賢治は本当は結婚とかしたかったが権力者からの圧力のせいでできなかった!」「よもぎんの晩年はもはや緑ではなく球体とも言えない姿態で活動させられていた!」「葉渡賢治のゆるキャラとしての活動期間、然るべき給料が支払われていない!もっと金が支払われていいはずだ!」「三ツ葉市は世界経済と政治を支配する闇組織と秘密裏に契約を結んでおり、葉渡賢治は生まれた時から彼らの実験台だった!」「腐葉土咲也は葉渡賢治を冒涜するために動画を投稿した!撤回しろ!さもなくば訴えるぞ!」「地球は実は三角であり、ここはもはや地球ですらない!地球だと思い込んでるとやばい!洗脳を解いたほうがいい!」「葉渡賢治の人生を返してくれ!」──。葉渡賢治が徹夜で葉渡賢治の人生の断片を投稿し続けたためか、「葉渡賢治」はトレンドに居座り残り続けたが、やがてトレンドワードは「葉渡賢治 死亡」に姿を変えた。なんでだよ。生きてるわ。誰かが適当なことを言っているのか。インプレゾンビのせいか。生きてるわ!ここでこうして生きてるわい!生きとるわぼけええええぇぇぇ!!
目を覚ますと、これまでの出来事が悪い悪い夢、になっているはずもなく、いつものトコジラミ以外の全ての虫が出る葉渡賢治の部屋であった。SNSの仕事は失い、ガチでこれからどうしよう、という感じであった。が、昨日の「生きとるわぼけええええぇぇぇ!!」が頭の中で鳴っていた。少なくとも今こうして生きていた。どんなことでも起こるような気がした。
葉渡賢治は動画サイトにアクセスし、葉渡賢治のアカウントを作成した。スマートフォンを固定し、配信ボタンをタップすると、「みんみんみんなの三ツ葉ダンス」をアカペラで歌い、踊り始めた。舌はもつれ、足ももつれ、それはもはや歌ではなく、踊りでさえなかった。やがてスマートフォンの充電が切れて生配信が終了しても葉渡賢治は歌い踊り続けた。