はてなキーワード: 大学時代とは
就活がより厳しくなり、圧迫面接なんかも出てくるのって、社会人による大学生への嫉妬にも原因があると思う。
自分の大学時代が楽しくて充実していて、社会人になった今が辛く苦しいから、つい最近まで楽しく大学生やってた連中をボコボコにしてやりたくなる。
老いが忍び寄ってきた自分に対して、就活生はまだ若くて毎日が楽しそうなのも妬ましい。
「おれがこんなに大変な思いしておっさん社会人やってるのに、お前らは若くて楽しそうで許せない」みたいな。
就活デモって若者の悲惨さをアピールして同情を勝ち取り、有利に進めることだったと思うのだけど、
十数年来の女友達との会話。
「ほう」
「結婚と恋愛って別なんだね。結婚相手は一緒にいてどきどきする人じゃなくて、気を使わないでいい落ち着く人がいいんだね。」
「…。」
その日もクリスマスに買い物に付き合わされていた。
一瞬ためらったが、意を決して口に出した。
「それって、俺じゃね?」
「え?」
「だってさ、お前すっごい神経質じゃん?人見知りだし、気も使いすぎる。本当に気を使わないで済む相手なんて俺以外いるの?」
「…。」
これまでお互いを異性とは認識していても、恋愛に発展することは無かった。
恋愛のアクションをとれば、その関係は壊れてしまうかもしれない。
でも、なぜかその日は一歩だけ前に進んだ。
日々感じる閉塞感に変化をもたらしたかったのだろうか。
答えは、少しだけ俺の予想を超えていた。
「50歳になってもお互い結婚してなかったら、一緒に暮らそう。」
「…なんだそれ。」
「まあそれまでにはお互いいい人見つかるかもしれないじゃない。」
「まあねえ」
「50歳になっても独り身だったら、一緒に暮らす。協定を結ぼう!」
「…了解。」
またひとつ、結論を先延ばしにした。
俺との結婚を拒否するわけでもなく、受け入れるわけでもない。
俺も自分が極力傷つかない形で問いかけるだけで、自分の意志を表示しない。
そうやってリスクを取らない選択ばかりするから、結果も伴わない。
歳を重ねるごとに傷つくのが怖くなり、こんな保険だらけの選択ばかりしていく。
なんとなくその原因もわかる気がして、それは綱渡りの競争で勝者にならなければならない義務感が全面化していることなのではないかということだ。
職場はもちろん、親、兄弟姉妹、配偶者、恋人、友人、あらゆる人間関係で安心できる場所が少ない。
もちろん、子供でもない限り「無条件に自分自身を受け入れてくれる場所」なんていうものが誰にでも用意されているわけではないのは当り前だけど、
今の日本の社会って「失敗できない」という感覚が強過ぎやしないだろうか?
「あいつは使えない。使えないやつとはつるまない方がいい。いつ自分の評判に響くかわからない」。
実際、中学生あたりの年頃に、いじめる側にまわるかいじめられる側になるのか戦々恐々とする構造とあまり変わらない。
裏で働いているのは利害関係の論理で、この利害の理屈があらゆるところに顔を出している。
でも、個人的な関係まで悪化するかはともかくとして、ビジネスの場ではある程度それは仕方の無いのことだ。
しかし、恋愛関係が損得勘定なのは珍しくないとしても、親兄弟や利害が無いはずの友人関係までもが損得で勘定されかねない今の状況はどうなんだろうか。
いけてるやつとつき合いのあるいけてる自分、いけてないやつとつき合っているいけてない自分。
そして、自分は自分の友人や親兄弟や恋人から見て、いけてるのかいけてないのか?
あるいは実際はそういうわけでもないのかもしれない。
親兄弟・友人同士の関係における損得勘定感覚、利害の論理はもしかするとそれほど前面化しているわけではないのかもしれない。
だけど、ここで重要なのは「そう感じられる」ということだ。不信の種にはそれだけで十分だ。
社会生活を送るにあたって「失敗できない」という緊張を延々と強いられたらどうなるだろう?
誰に対しても「へまをすれば自分は徹底的に見捨てられる。だから決してミスをしてはいけない。この綱を踏み外してはいけない」
という強迫観念を持って日々を生きなければならないとしたらどうなるだろう?
そして、失敗してしまった人間が「自分はへまをしてしまった。綱から落ちてしまった。だから自分は見捨てられても仕方ない存在だ」
と感じているとしたらしたらどうだろうか?
恐れる人間は当然のようにその恐れの原因である自分の物差しを、そのまま他人を評価する物差しとして使う。
この場合「へまをしないようにそこに精力を傾けて努力している私は、へまをした人間を切り捨ててもいいのだ」という感覚だ。
こうして実感された全方向における関係性の「綱渡り感」は社会的現実になり、再生産され、綱から落ちた者への容赦ない冷笑・蔑視・罵倒は正当化される。
とにかく明るく元気で前向きにいることが義務づけられているこの空気の中、
少しでも気鬱な表情を見せれば途端に敗者の匂いが漂い、それだけであらゆる場面で敬遠の対象になってしまう。
今までの日本社会ならば、失敗したとしても、明るく元気で前向きにいることが可能だった。
社会全体が経済的な繁栄を享受する中で一度二度つまづいたとしても、もう一度立ち上がってライフコースを再構築するくらい日本社会の路は太く安定していたからだ。
「なあになんとかなるさ。死ぬわけじゃあるまい。人が人でなくなるわけがあるまい」が現実だったのだ。
だけど、今や日本社会の路は一本の綱になってしまった。誰かがどこかで失敗することは避けられない。
そんな社会で私たちは「一度躓いたら徹底的に孤立する」という「綱渡り感」から逃げられない。
「みんながやっている綱渡りなんだ。敗者が孤立するのは当然だ」という声があらゆるところから聞こえる。
でも果たして本当にそうなんだろうか?本当に失敗した人間は孤立しなければならないんだろうか?
目の前の路は、落ちたらまっさかさまに孤立へと落ちる、一本の綱なんだろうか?
実は、目の前の路を「綱渡り」にしているのは僕たち自身なのではないだろうか?
僕の弟は今大学4年生で、本命ではないけれども、某企業から内定を頂いている。だけど本人はひどく落ち込んでいるようだ。
大企業へ就職する者が多いという周りの友人に比べた時、弟は、既に失敗している、綱から落ちてしまった、という思いがするのだそうだ。
驚いたことに、留年してもう一度本命の企業(某広告代理店)に挑戦したいと言い出す始末。正気の沙汰とは思えない。
挙句の果てに、弟は僕に対しても卑屈な態度をとるようになってしまった。
僕の会社は弟の内定先よりもはるかに知名度の低い会社だというのに、だ。そんな弟を見るのは軽くショックだった。
だけど、自分の周りを見てみても、もしかしたらそういう感覚は、この日本社会ではもう当り前なのかもしれないと思うようになった。
共に氷河期の就職戦線を生き残った大学時代の友人が、弟とまったく同じ卑屈な態度をしていたからだ。
失業をきっかけに鬱になってしまった彼の元を彼の妻は去っていった。幸か不幸か彼らには子供はいなかった。
そして友人は変わった。ひどく自分を卑下し、まるで「まともな人達」と同じ場所で生きていること自体が申し訳ないことかのように振る舞うようになった。
彼の失業や離婚に心を痛める人間は世界で彼ひとりしかおらず、他の誰一人として彼の心痛を共有できるものはいないかのような物言いをするようになってしまった。
氷河期世代の割に比較的のんきに生きてきた僕は、今とても恐ろしくなっている。
今まで考えたこともなかったけれども、もし僕が会社から解雇を告げられたら、あの卑屈な表情を僕に向けてきた弟や友人は僕を嘲るだろうか。
僕の恋人は負け犬を見る様な目で僕を見て、そして僕から離れていくだろうか。何より僕はそんな態度をとり始めた周りの人間を恨まずにいられるだろうか。
人生の苦しい状況で、支え合うことよりも、蜘蛛の糸を奪い合った亡者達と同じように蹴落とし合うことを選び、
ひたすら損得と利害だけで行動するような餓鬼の如きなにかに成り果ててしまうのだろうか。
綱の下に広がる網は、綱の上を歩いている時にははっきりと見えるけれど、一度綱から足を踏み外した瞬間に消えてしまうのかもしれない。
なんという恐ろしさ。徹底的に孤立するから綱から足を踏み外せない、でも誰かは足を踏み外さなければならない。
ならば蹴落とす、自分が落ちない為に。落ちたやつには目もくれない。
こんな緊張があらゆる人間関係で全面化してしまったら、そりゃ狂うわ。
綱をうまく渡れている時でも生きている心地がしないもの。
「もし、お前の一番の希望が通らなかったとしても、その時は僕がどこかにコネをつけてやるから。そのくらいはなんとかなるから。だから後悔の無い様に思いっきって挑戦してください」と。
そして、友人にはこうメールする。「元気?お前が暇なうちに久しぶりにまたオールナイトでも見に行こうぜ」。
彼女にもメールを送る。「お仕事おつかれさん。今度、温泉でも行っておいしいごはんでも食べて一日中ぼーっとしてゆっくりしよう」。
多分、会社の同僚にも送るだろう。今はもうあんまり顔を合わせなくなった大学時代の友人や高校時代の友人にも。父と母にも送ろう。
少なくとも、僕にできる部分だけでも常に網を張っておこうと思う。
きっと今は、そういうひとりを思いつめさせないように気遣う努力がひとりひとりにとって必要な時代なんだと思う。
そうじゃなきゃ、みんな悲惨な気分を内に秘めて、そして隠しきれずに卑屈な顔をしながら生きていかなければならなくなってしまう。
いいことがあれば共に喜び、わるいことがあったら共に悲しみ、そしてまた再スタートを切ることをお互いに後押しし合わなければダメなんだと思う。
これだけ厳しい時代なんだから、経済的な意味でも、人間的な意味でも、そのくらいのことができなければ、僕たちは人間でなくなってしまう。
男の場合はチビブサメンに生まれても後天的な努力でいくらでも勝てる仕組みになってるんだよね。
この一文が示すように。逆に、高身長イケメンに生まれたが頭が悪く怠惰だった男は、若いうちのいっときチヤホヤされるものの、
25歳過ぎて派遣やフリーター、肉体労働に明け暮れる貧乏人だと女はどんどん離れていく。
逆に、女の価値は若さと顔が全てなんだよ。努力でどうしようもない生まれつきのことだけが全て。
男は女の顔と年齢しか見ていないし、高学歴で有名企業に勤めている元増田も「そこそこ可愛い顔」の嫁をもらっている。
「頑張っているブス」に一切の価値を見出さないのが全ての男という生き物なんだよね。
大学時代、とある講義で使ったテキストに『精神疾患の要因には、遺伝的要因と環境的要因の2種類がある』と書かれていた。
教授は眉間に深く皺を刻み、苛立ちの隠せないざらついた声で、室内の学生に命じた。
「これは間違いだから、遺伝的要因の部分を黒く塗りつぶせ」と。
随分と古い文献を参照しているのだなと、教授は憤っていた。
4年前、兄は統合失調症を発症した。元々、ストレスを感じやすい人だった。
こういう病院に行くことになったから、と母から資料が手渡された。精神病院のパンフレットだった。
父は4人兄妹で、そのうち3人が自律神経失調症を患っていたことを、その時に知った。
叔父の息子(つまり従弟)が長い間入院しているのは、兄と同じ病気に罹患しているからという事実も、同時に。
笑いたくなった。父から子へと、遺伝しているじゃないか。テキストの記述が正しかったんじゃないか。
腹を抱えて笑いたくなった。偽善者め。あの講義をした教授に後ろから飛び膝蹴りを喰らわせたかった。
出来なかったので、代わりにテキストを開き、塗りつぶした箇所の上に修正テープを貼り、それから「遺伝的要因」と書き直した。
兄は、そして私も、もう結婚してもいいような年頃だ。両親にはそろそろ孫の顔が見たいと言われている。
しかし、少なくとも私は、結婚する気はない。万が一結婚することになっても、子どもを産むつもりは毛頭ない。
少し前、胎内にいる子どもに障害があることが発覚したら、産むか産まないかという討論があった。
普通の人にとって、何らかの障害を持つ子どもを授かる確率は、1000分の1とか10000分の1とかの、比較的低い確率である。
しかし、私自身の場合はどうだろう。普通の人よりは、高い確率であるだろうと思う。
障害は個性のひとつ。素敵な言葉だと思う。これが常識となった世の中は、お花畑のような素晴らしさなのだろう。
兄のことを馬鹿にするわけではないが、障害は、重い。妹である私がそう思うのだから、親として兄を背負う父母の負担は大きいはずだ。
そして、自分の子どもがそうなってしまったとき、私には耐え切れる自信はない。
兄はこれからどうなるのだろうか。障害をなるだけ軽くし、自立しようと、兄は努力を重ねている。
しかし、時折、ぎらぎらとした危うい光を宿し、家族を睨みつける兄を見ると、それは無理なことではないだろうか、という思いが湧いてくる。
父母が死んだとき、兄を背負うのは恐らく、私の役目になるのだろう。
その時に結婚していようといなかろうと、一生、兄を支えていくことになるのだろう。
それが嫌ならば逃げ出せばいい。選択肢のひとつとして、それを思いつくものの、そんな非情なことは出来ないと、すぐに打ち消す私は、家族の絆という名前の鎖に縛られている。
父は私に言う。「お前は元気で良かったな」と。
人よりも感情の起伏が激しくて、落ち込みやすいという自覚はある。
ちきりんさんの本「ゆるく考えよう」に「コミュニケーション成立比率」というものがあります。
100%
A氏はB氏の発言を常に正しく理解し、一切誤解しない。逆もまた同じ(理解するとは「同意」の意味ではなく「わかる」の意味)
90%以上
70%以上
日常会話の他、業務を共にする上でも一切ストレスを感じない。ただし、感情、感覚の説明、擬態語、擬声語を用いだコミュニケーション、前提を省略した会話については時に誤解が生じる。
50%以上
日常会話に問題はないが、ともに仕事をするにはお互いに注意深いコミュニケーションが必要。業務の場合は、おたがい話すだけでなく文章化や図解による確認があれば安心できる。
30%以上
日常会話は成り立つが、仕事や議論では、相手の言っていることを理解するのに時間と手間がかかり、お互いに手間がかかり、フラストレーションを感じる。誤解や軋轢が頻繁に生じる
20%以上
日常会話においても、様々な誤解が頻繁に生じる
20%未満
おそらく、飲みニケーションが最も有効に機能するのは50%以上から70%前後であると思われます。
年寄りの、特に役職持ちあたりが一番飲みニケーションを楽しんでいることからも明らかでしょう。
価値観や感覚は共有しており、情報や前提といった部分にお互い共有が足りない所がある場合、飲みながらのコミュニケーションというのは楽しく、かつ有用なものになります。
70%を超えだすと、酒の力を借りずとも、コミュニケーションそのものが有用になるでしょう。
もちろん酒があっても楽しいでしょうが、こういう人達はランチタイムでも十分活用できるはずです。
30%~50%ゾーンの人も、何も考えずに「飲みニケーションをやればうまくいく」などと甘い考えでなければやり用はあるでしょう。お互いに相手との違いや問題意識をしっかり持った上で酒の力を借りればうまくいくこともないとは言えない・・・ような。
言うまでもなく、30%以下の関係ですね。
これは飲みにケーションで何とかしようとしないほうが良いと思います。
まず最低限会話に必要な知識や、仕事の進め方についての共通認識がありません。
このあたりは、教科書的に教えて共有すべき、あるいは仕事場で先輩を観察しながら学習していくべき内容で、
酒の席で教えるものでもないでしょう。
むしろ「うまく振舞おうと思ってもできない」状態で、無理に適応するよう進めると、反発につながると思います。
私自身は、どうしても自分は職場では20%とか30%の関係でいたいんだ、という人はもうしょうがないと思う。
それでも、最初はこちらから20%から50%くらいになるまで、職場でコミュニケーションをとっていき、
見込みがありそうだったら、飲みニケーションに積極的に招待する、というやり方でいきたいと思ってます。
今の「飲みニケーション」の運営は、ふるい落とし方式のようになっていると思います。
努力して50%ラインまで登って来られる奴は可愛がってやる、そうじゃない奴は知らん、というやり方。
就職活動で篩いにかけられて、職場でもまたふるいにかけられる。それに頑張ってしがみついても、ふるいが常に意識に張り付いて、仕事もコミュニケーションも楽しく感じられない、というのはもったいないですね。
出世を目指すような人間は、当然これに耐えるべきだと思いますが、普通の人はもうちょっと自然に仕事できるようにしたいですね。
これは更に私の勝手な考えなんですが、
最近の大学生は、友達間でもコミュニケーション成立比率が低いような気がします。
傍から見るとすれ違いまくっているのに、なんとなく成立しているような振りをしている、というか。
とりあえず会話の投げ合いがあればそれで満足というか。キャッチボールになってんのかいな、と。
この「低いレベルでのコミュニケーション」に慣れているというか、満足してしまうと、
仕事で求められるレベルのコミュニケーションがしんどく感じられるのかもしれません。
友達といっても、一緒に同じ目標に向かって取り組んだり、というのをやっていなければ
50%以上の成立比率を要求されるようなことは殆ど無いでしょう。
大学時代はそれでも困ることはあまりない人もいるかも知れませんが、
仕事では最低でも50%以上のコミュニケーションを知っていることは必要です。
このレベルまで相手との関係を深めるということに嫌悪感を感じているように見える若い人を見かけると、
必要だから、というだけでなく、最初は戸惑ったり窮屈に感じるかもしれないけれど、
「内側」の感覚というか、周囲と強い結び付きをを味わいながら仕事できるようになると、
楽しいと思えるようになると信じているのですが、こういうのはもう古いのでしょうか?
超氷河期だそうです。(これも就活ビジネスの煽り文句な気もしますが)
いや、でもまあ、確かにそうなんでしょう。周りも非正規が多いです。
「何がリーマン崩壊だよ!リーマンになれねーじゃん!」とか笑えないけど笑ってた気がします。
あのタイミングでこれはねーよ、と。
なにせFランクラス(ちょっと言い過ぎ?)の大学(校)だったので。
好きでやってたITだったので資格を取っておいたのだけが救いでした(応用情報技術者試験)
まあ、でも、終わってみればという感じです。
7、8社ほどで内定をいただきました。
ニュースでやってる、100社落ちたとかってのは余程訳があるのかなぁとか、考えたりしたもんです。
就活(笑)解禁だそうなのでメモ程度に経験を残しておこうと思います。ただ、人によっては全く参考にならない気も(笑)
1.中小のみ狙う。
1社だけ入りたかったウェブ関連の会社があったのですが(まぁ、中小ですが)、イミフな試験で落ちました。(愛と恋の違いだの何だのを書けとか書いてありましたね)
地方住まい、通勤圏内を求めていたのですが、県内にいい会社が見当たらなかったので高速で通える県外にしました。
本当は東京にでも出て、やりたい仕事をやっても良かったのですがやめました(理由は後述)
とにかく合同企業説明会(笑)でも人がいないところを狙います。
地方なんかだと地域でやってるUターン誘致の説明会とかジョブカフェのやってる説明会が狙い目です。
むしろリクなんちゃらとか、今話題のマイなんちゃらとかのは行かなくていいです。時間の無駄です。
2.話の合う人事の年齢を見つける
僕は年寄りに話を合わせるのが得意なので、年寄り人事がいる会社をさらに集中して狙いました。
若い人と話すのが得意なら若い人を狙えばいいと思います。
人気の無い企業の人事はとにかく暇なのでガンガンしゃべります。
話を聞いてくれるだけで嬉しいようです。(彼らだって暇なんだから当たり前っちゃ当たり前ですが)
3.乱発しすぎない
僕も焦っていろんな会社を手当たり次第に受けたことがありますが(最初の3社くらい)、あれはやめたほうがいいです。
時間もお金も有限です。企業をリスト化して優先順位(行きたい順だけじゃなくて入れそうなことも加味して)をつけて狙っていったほうが良いです。
4.自分を捨てる
よく言われているように、企業は技術や個性なんて求めちゃいません。
僕はある中堅ITの子会社で「僕はコンピュータが大好きです」といった直後に
「この仕事は、極端に言えばコンピュータがなくてもいい仕事だと思っています」とかなんとか言いました。(あほらしい話です)
SIerは技術者を軽視しているのが隅々まで行き渡っているのでこれであっさり受かります。(当然、蹴りましたが...)
自分の本当の考えなんて大して必要ありません。
5.なんだかんだで資格
学校名で「は?(笑)」みたいな感じでも「応用情報技術者試験受かりました(キリッ)」とかやっとけば覚えてもらえます。
中小企業だと「とりあえず一人はコイツでいいか」的な空気が会場一杯に広がります。
以上5点に気をつけると不本意な気分満点ですが、とりあえず内定しますよ。やってみてくださいね〜。
(以下蛇足)
此処から先は独り言。
僕は情報処理技術が大好きです。高校時代は文系で、心理学に興味があったのに、いつの間にか....。
実は大学(校)に入った理由は学費が安いということが一番で、ついでに興味のあるパソコンを、という気持ちだったのですが...。
大学時代は僕の人生で一番(一番は社会に出てからの今かもしれませんが)勉強した時期です。
あれほど熱中するものがなかった自分がここまでのめり込むとは思いませんでした。
OS、コンパイラ、画像処理、組み込み、データベース、ネットワーク。
何でもやりました。学校もなんだかんだで多くを学べる所でした。
実を言えば東京のベンチャーみたいな会社に憧れたりしたのです。
最先端で戦ってみたいという気持ちが今でもあります。(今はVBでサビ残して詐欺みたいなモノ作ってますからね)
ただ、長年付き合った恋人や、家族なんかのことも考え、今は地方にいます。「今は」
僕は三年は勉強期間だと思っています。社会のルールも知らないのですから。
もし、中小は嫌だとか不安だと思うのなら、こう考えてはいかがでしょうか?(あれ、独り言じゃない)
「三年間の職業訓練」
会社や社会人の方に怒られそうですね。3〜5年でやめられると中小には痛いそうですし。
でもまあ、雇った方も自己責任だし、ね。(こういう内容だと自分のブログに書けないから増田はいいと思う)
3年経てばテレワーク事情ももうちょいマシかも(さすがに無理?)
だめならこのまま人生を切り売りするか、バイト時代好きだった小売にでも転職しようかな、と考えたり。
(正直同じハードさなら小売のほうが楽しい。この業界PGはいてもプログラマいないし。OSS開発もできるからね)
だから、3年間だけ。
とりあえず昨日アマゾンから補充された、机の上に積み上げられた本を読まねば....。とりあえずトランザクション処理からにするか...。鈍器だろこれ
経済的な理由で習い事なんかさせてもらえない家庭もあれば、経済的理由で高校にいけない子供もいる。
分刻みのスケジュールで拘束されて勉強させられてる子供だっている。
平均値ど真ん中ではないかもしれないが、プラスマイナスSDくらいに入るフツーの親。
ついでに、あなたのコミュ力ゼロというのは、たぶん親は関係ない。
私も友達を家に招いたり、友達の家に遊びに行ったりした経験は数えるほどしかない。
ああいうのは、生まれ持った才能。
大学時代、上京した。
私も、親がいなかればなにか変わるはずと思ってた。
私の想像する大学生は、もちろん毎日ではないにしろ、カラオケもボーリングも食事会もコンパをしたりするものだと思ってた。
繰り返すけど、なにもなかった。
お酒はゼミの新歓と追いコンの時に飲んだから、幸いなことに経験することが出来た。
そんなコミュ障の私でも、生きてる。
もう32才になるけど健康に生きてる。
自慢話。
小学生の頃、先生が『良薬口に苦し』の本当の意味知ってるかー?とか質問してきた。俺は即座に手を上げて、「良い人は厳しい」と答えた。
先「○○よく知ってんな。先生知ったの最近だったよ。どこで覚えたんだ?」
俺「そんなの聞いただけでわかる」
先「…。」
実際聞いた瞬間にちょっと考えてすぐに分かった。諺になって残ってるくらいだから言葉通りの意味ではない。何かの例え話のはずでだとしたら何だ?と思ったら即座に答えが浮かんだ。数学が得意なやつなんかは正しい答えには常に確信があるみたいだが、俺の場合は文系の答えにそうした確信があって、それが裏切られたことは滅多にない。ただ、数学の場合はその確信は本物のひらめきなんだろうが、俺の場合文系分野だったから経験上の成功体験の積み重ねによるもので紛い物なのだろうと思う。
今は38円の充填豆腐の冷奴食いながら、ブラックニッカの水割り飲んでます。
それでですね、俺元は一応金融マンでした。結構イカした金融マンだったと思います、自分で言うのもなんだけど。
ところが、ある日突然何もかもがプチーンと弾けて、俺は仕事を辞めました。まー、限界だったんだと思います。
親は俺を勘当し「二度と我が家に近寄るな。タカリに来るな」と言いました。まー、そんなもんです。しょうがないです。
そういうわけで、俺は二度と親に迷惑をかけないようこの東京でヒモ生活を始めました。そろそろ四ヶ月が経ちます。
彼女は公務員です。結構キツい仕事のようで、大分疲れた顔で帰って来ることが多いです。
大学時代から付き合い7年目。仕事を辞めた俺を受け入れてくれた、大事な宿主です。
そういうわけで、家事は全般的に俺が請け負うことになりました。まぁ、それくらいは当然ですよね。
朝起きると、まず朝食を拵えます。彼女は和食が好みなので、魚をメインに組み立てます。
まぁ、アジの開き、厚焼き玉子、ほうれん草の胡麻汚し、メシ、味噌汁、みたいなのを作ります。
彼女は6時半には家を出て行くので、その後膨大な時間が残ります。まぁ、洗濯をして掃除をして一時間半。
それから買出しその他の雑用をしてもう一時間半。まだいいとこ10時です。
この辺りで煙草を一本吸って、コーヒーを飲みます。そして本を読む。すると、2時くらいになります。
さて、この後彼女が帰るまでの数時間、俺は何をすればいいんでしょうか?
もちろん、この生活がずっと続くとは思ってません。いつかは、俺も働かなきゃいけない。
そういうわけで、FPや証アナをとってみたり、あるいは中小企業診断士の勉強をしたりと色々してみたんですが。
なんていうか、自分がもう一回組織で働くビジョンが一ミリも出て来ません。多分、働くくらいなら死ぬ、と
割と真剣に思ってるんだと思います。ところが、埋め難い退屈が同時にある。
ふと思うんですけど、専業主婦の皆さんって普段何してるんでしょうか。だって、どう考えても家事なんて、
どんなに遅いとしても午前中には終わるじゃないですか。その後数時間の空白をどうやって埋めてるんだろう?
これは人生に二度と訪れない休憩時間だ、やりたかったことをやろう、とかも思ったんです。
例えば、かつて小説家になりたくて本を読む時間が欲しかったこととかを思い出して、必死に本を読んだり
あるいは文章を書いたりしてみたんです。でも、全然やる気にならない。
じゃあ、カネになることをやればいいじゃないか。例えば、金融出身なら投資やれよ、とかそういう話なんですが。
これもまた、全く手につかない。マネー・ゲームは大好きだった筈なのに。だから金融に行った筈なのに、
全然やる気が起こらないんです。自分の状態が全然理解出来ない。家事は楽しいのに、それ以外何もできない。
一日煙草を二本吸います。コーヒーを二杯飲みます。あと、人並みにメシを食います。
それでも生活費って、年金と保険を入れても正直5万でお釣りがきちゃうんです。
この生活が永続しないことなんてわかりきってます。俺も彼女もいずれ老いる。何かを考えなきゃいけない。
なのに、全く気力が回復しないんです。「これって鬱か?」と思ったんですが、そういう症状も全くない。
これまでの半生、わりとエネルギッシュに生きて来たつもりなんです。なのに、今ここから抜け出す気力が1ミリもない。
これはどういうことなのか、自分にも全然わからない。欲望という欲望が消えてしまったみたいなんです。
身体的な症状といえば、完全な不能になったことだけが唯一の問題点なんですが。
その点も、あの若かりし頃の行き場のない欲望から開放されて、むしろ快適なくらいで。
なんなんでしょうか、この状態。甘えるな、働け、と言われたらそのとおりです。
しかし、俺は多分カネが尽きても多分働かない気がしてならない。彼女に放り出されたら、今のこの気持ちのまま
俺は、物心ついた頃から家にコンピュータがあり、MS-DOSも、Windows 3.1も、PC-9801も触ってた。小学校時代には市内にプロバイダーが一個しかない頃からダイヤルアップ28.8kbpsでインターネットしてたし(時代はテレホーダイ)、中学時代にはWeb制作やプログラミングを覚えてた。高校時代には自作プログラムを配布したりしてたし、大学時代には代行制作でお金もらったりもしていて、今はIT企業に勤めて2年目になる。つまり何が言いたいかと言うと、俺は昔からインドアの陰キャラの陰毛野郎で、コンピュータが友達みたいな奴だった。余暇のほとんどをコンピュータと共に過ごしたし、それはそれで楽しかった。
でもそのせいで、他のみんなが興味を持つことに対して興味を失ってしまった。テレビみないし、基礎体力づくりができてないからダイビングとかスノボとか誘われても行きたくないし、みんなでスマブラやろってなっても俺だけ弱い。俺がコンピュータに向き合っていた時間と同じだけ、他のみんなはテレビを見て話題づくりをしていたし、サッカーとかして基礎体力づくりをしていたし、スマブラの練習をしていた。対して俺は、人間ではなくコンピュータを友達に選んでいたのだ。この結論に達したとき、なんともいえぬ空虚感にさいなまれた。俺は、人と違うことを選んでしまったがために、人が楽しめることを楽しめない人間なんだ、と思いながら生きてきた。
先日、大学時代の友人の結婚披露宴に招待されて行ってきた。余興を頼まれていたので、得意のコンピュータを活かしてビデオレターを作って流してプレゼントした。披露宴と二次会の様子を趣味のデジイチで撮った写真を製本してプレゼントした。参加者に向けて写真とビデオをまとめて思い出サイトも作った。そしたら、ものすごく喜んでもらえた。あ、こんなにも喜んでもらえるんやったら、今まで俺がしてきた時間の使い方、一概に間違いと決めつけるのも良くないのかもな、と思った。生きてたら何かしら経験してるはずで、経験値を得てるんよな。できないことがあっても、できることがあったらええやんな。さ、今週もがんばって働こー!
ここ数年、恋人に恵まれない人間やそういう人間ばかりのコミュニティを目にする機会が何度かあった。
彼(彼女)らは口々に出会いがないと言い、結婚の見通しを聞けば数年の内には、とかお見合いでもいい、と言う。
率直に言ってその「出会いがない」という言い訳はあまりにもナンセンス。「出会い」という、白馬の王子様がある日突然現れたり、お姫様が空から降ってきたりするようなイベントを期待するのが間違い。
そういう出会いから恋愛に発展し、幸せをつかむ人がいないわけではない。しかし、20年30年と生きてきた人間は人生の節々で何十人何百人という異性と出会ってきているのだから、その機会をこれまで見過ごしてきた人間が、今更次の出会いからチャンスをものにしようなどと考えない方がいい。次も必ず見過ごす。
ではどういう努力をすればいいのか?それは簡単、「1対1で気を許して会話できる友人を、性別問わず作る」ことだ。
これ自体は恋人を作ることとは全く関係がない。要するに恋愛とは関係なく仲の良い知り合いを増やせということだが、中でも仲の良い異性の友人を作ることが必要である。
恋人がほしいと願っているが、気付けば仲の良い異性の友達すらいない、という人はいないだろうか。次のような点に注意する。
①サシでの交流をする
必ず1対1で関係を作る。最初は大勢のグループで遊んだり食事をしたりする仲でもいいが、必ずその中から1人、2人とピックアップして特に交際しておく。
グループの人間関係は一見しっかりしているようで、そのうち1人欠けてもどうってことはないようになっている(それがあなたでも)し、ちょっとした不和が崩壊を招く。
そうではなく、自分がいなければ成り立たない人間関係を作る必要があり、よほどの人徳でもなければ、それはサシの関係が最も簡単。
②「新しい」人脈を作りすぎない
よくあるミスが、人との出会いを求めて新しい人間関係を作ろうと躍起になってしまうこと。これは恋愛だけでなくビジネスの世界で最もよく見られる。これまで知らない人々と出会い、輪を広げるのは確かに心地が良く、出会いの場を増やしているように見えるが、実際はそういう新しい人脈は意外と発展性がなく、簡単に消滅することがほとんど。それよりは、これまでのコミュニティ、例えば中高、大学のサークル、ゼミ、昔の職場、隣の部署、取引先など、既にある程度交流がある人々との関係を見直していく方がよほど自然で、維持しやすい。眠っているコミュニティの人脈を掘り返してみる。
③「サシ飲みに行ける」距離感
これ以上でもこれ以下でもない。毎日言葉を交わす必要も、メールやSNSで交流する必要もない。飲みに行こう、と言えば都合の良い日を教えてくれる、という距離感を作る。異性の場合、無目的にサシ飲みというのはハードルが高いので、最初はプロジェクトの打ち合わせと称してもいいし、週末のミニお疲れ会としてもいい。何かしらの理由をつけて前例を作っておく。そして大切なのは、定期的に繰り返すということ。習慣は身につくもので、最初は理由がなければできないことも繰り返しているうちに違和感がなくなる。その距離を保っておく。
④恋愛対象でない異性こそ大切に
「出会いがない」という人ほど、身の回りの恋愛対象でない異性をないがしろにする傾向がある。それは大きな間違いである。恋愛対象でない異性ほど大切な友人として扱わなければならない。たとえ相手に恋人がいようとも意識的に距離を置いてはならない。恋人がいる人間は逆に余裕を持って異性に接することができるので、関係を深めるのは難しくないし、無用な警戒をされずにすむ(ことが多い)。そして、いったん恋愛対象でないと決めた友人に変な気を起こしてはならない。「この人は男女関係なく人と仲良くできる」という印象を持たせなければならない。
その友人に恋人がいるなら特に、その話を聞くように心がける。相手にとってあなたは自分の恋人と同性であり、その視点からのアドバイスはいつでも説得力とありがたみがある。これは互いに恋愛対象とみなしていない場合にしかできないので、そのような男女関係を目指すべきである。これは自分の恋愛観を形成し見直すのにも役立つし、ますます信頼を得ることができる。
⑥複数、できれば3人以上作る
そのような「異性の友人」を1人に絞ってはいけない。それは相手にとって負担が大きすぎるし、警戒されてしまう。あくまでもドライな関係を維持するためには、3人以上そのような友人を持つことが望ましい。そして、それらの友人はできるだけコミュニティを分散させる。
このように、仲の良い異性の友人、しかもサシ飲みをして恋愛の話に踏み込める友人を作ることがなぜ恋人を作るのに役立つのだろうか。それは以下のような効果による。
(1) 異性に触れられる
要するに「異性慣れ」
(2) 距離をコントロールできるようになる
異性の友人と適切な距離感を保つことができるなら、さらに踏み込むこともいずれできるようになる
異性の友人は自分たちの輪の中であなたの話をし、広告塔として働くことになるだろう。つまり、多数の異性と交流することなく自分の存在をアピールし、友人をパイプにしてさらなる交流を生み出すことが可能になる。これこそが、恋愛に発展しうる最も起こりやすい効果である。
「出会いがない」という人は自分の人脈をフル活用して異性の友人を作りましょう。
なお、筆者は男性であるが、高校、大学、大学院、勤務先、取引先のコミュニティにそれぞれ1、2人ずつの異性の友人がいる。恋愛をしたことがない女性から既婚者まで様々で、筆者が恋愛の仲立ちをしたこともある。facebook、mixiやメールを使っていつでも酒に誘うことができるが、上に挙げたとおり彼女らと恋愛に陥ってはいない(大学時代、上記のような関係だと思っていた女性から交際を申し込まれたことはあるが、断っている)。
大学〜現在の勤務先の間に交際した女性は5人だが、全て上のような心がけをしてからのお付き合い。高校時代は振られてばかりだった。
http://anond.hatelabo.jp/20111109225007のつづき
確かにナンパで見ず知らずの女性に声かけができるようになると(連絡先交換したり、連れ出したり、セックスしたりしてない時点で)何かふっきれたように自信がつく。実際、自己啓発目的でナンパを始める者も多い。
相手が同性であっても、たまたま隣席だっただけの見ず知らずの人物に話しかけるのは抵抗がある人は多いだろう。
ナンパで声かけさえ経験すれば、上記も非常に簡単にできるようになる。声かけは交友関係を広めたり、人脈を作ったりするのに必要なスキルだ。
どうしてもナンパできずに地蔵になってしまう人は、逆もまた真なりで、ナンパ以外で他人に声をかけることから初めてもいいのではないか?
コンビニの店員に「ありがとう、朝夕寒くなってきたね」「○○さんって変わった名前だね」
犬の散歩してる人に「おはようございます。可愛いワンちゃんですね。」
電車の中で立っている老人を見かけたら「どうぞ座ってください。どちらまで行かれるんですか」
などなど、ハードルの低いところから経験値を重ねていけばいいのではないか。
これらをこなしていけば、さらに恋愛対象の異性を探すときも、イベントに参加している人や習い事教室でいっしょの人なら、緊張せずに話しかけられるようになっているはず。
あなたが学生なら周囲の女子に声をかけてみるのもいい。タダでこれだけ女性と接点が持てる時期は今しかないと心得るんだ。
私は大学時代のクラブの関係で女子大生と知り合える機会はあるが、さもなければ女子大生パブで金を払って相手してもらわないといけない。
その彼氏とは趣味も性格も合いませんが,一緒に居ると楽しいし二人とも寂しがり屋なのでここまできました。
夜の方は彼がもとから積極的ではないせいか,二,三か月に一度,長い時は半年以上何もないこともあります。
大学時代は私から誘うこともあったのですが,彼があまりにもそっちのけがないので,最近は誘われた時しかしません。
私は少し,というか大分ネガティブ思考なので,彼が私の誘いや約束をしていても,それを無視して夜早々と寝てしまうのは自分のせいだと半分くらい思い込んでいます。
それを言うと,いつも「○○は悪くないよ」と否定してくれるので残りの半分は違う者が原因だと思うようにしています。
でも,かなりショックです。やっぱり私が悪いのかな…
彼氏は体格がよく,体重も0.1t近くあり肥満しています。私との身長差はあまりありません。
身体を動かすのが億劫のようで,少し運動をするとすぐに根を上げます。
これはつい先ほどの話です。もう我慢ならないので書いてしまいます。
今日は二人ともお休みの日だったので,飲みに行こうと言う話がありました。
その話を昼間していた時,彼は夜の事も視野に入れて楽しそうにしていました。
私も,久々だし彼から誘ってくるのは珍しいことなのでOKしていました。
彼とのSEXは嫌いじゃないし(むしろ好きだし…)毎回いわれる度に楽しみなんですよ。
たとえ,頭のどこかでまた裏切られるんだろうなと冷めていたとしても,楽しみなんです…
そして,お酒を飲んでいざ帰ってきました。
でも,私はコスプレなんか元々興味ないし,大学時代は面白そうだから何となく着ていましたが…
(制服は彼が選んで折半で買いました。友達に言ったら彼が全額負担してしかるべきだと言っていました…皆さんはどう思いますか…)
もうそんな恰好したいとも思わないし,彼は私より制服の方がいいのかな…なんてよからぬ考えが思い浮かんでしまうので,今日は着ないよ…と何となく伝えました。
彼は私に「先にシャワー浴びて(終わったら呼んで)」と言いテレビをつけました。
もうこの時点で嫌な予感しかしませんでしたが,それでも信じてしまう私は馬鹿ですよね。
きれいに身体を洗いました。彼に嫌な思いをさせないために,沁みるけれどボディソープを使ってきちんと汚れを落とします。
身体をふいて,彼に「あがったよ」と一言声をかけ,薄着で布団の中に潜りました。
まだテレビの音は消えません。NHKのドキュメント番組を見ていたようです。
やがてその番組もおわりました。
まだ彼は動きません。
…もうだめだ…
また裏切られました。いつもの傾向で,もう駄目だと悟りました。何度同じことを繰り返したことか…
駅から徒歩で20分以上かかるところに住んでいるので,歩き疲れたと言っていますが,それならなぜ帰って来た時にそれを言わないのでしょうか。
嫌な制服を着て待っていた時も,彼の大好きな短い丈のスカートをはいた時も,結局私を放置して自分は寝るかテレビを見るかになることが多いです。
「しよう」
と言って,約束して,何度同じことを繰り返してきたことか。
私のスペックですが,トップは85-D,身長162センチメートル,BMI23で標準体型。
これじゃダメなんでしょうか。もっと旨が大きくないと男の人は大切に思ってくれないのでしょうか。
彼の事をこんなに好きなのに,何がいけないんでしょうか…
待っているだけでは,何ていわれそうですが,誘う勇気ももうありません(裏切られるのが怖い…)
そして彼に何がいけなかったのか問います。
今回は…その面倒な問いに答えたくないから,家に帰っても私を泳がせておいたらしいです。
遂にそのせいで疲れたと言えなかったから,全部私が悪いとまで言われてしまいました。
悪いのか…悪いのか…
いじめに遭っていました,小中と,いじめに遭ってきましたので心が大分マイナス思考なんです。
だから私だけ悪いように思うのかもしれませんが,悪いのはお前だと言われてしまったのでもう立ち直れません。
どうしたらいいかわかりません。
死んだ方がましかもしれません,一生こんなことで…こんなことで裏切られ続けるならば…そのたびに頭が混乱してしまうなら…
私が言うことを聞かないと,彼は私を叩きます。
正直怖いです。
そのせいで別れ話が出たこともあります。
今も彼は私を叩いたり,押さえつけたりします。
内向的な性格の人なので,私をストレス発散の道具にしているとしか思えません。
先ほども,「もうやだ」と言ったら押さえつけられました。
それでも少しは悪いと思っていたのか,電子レンジで熱した牛乳を持ってきてくれましたが,
とても飲む気になれない…でも無理やり飲まされました。
いや,凄い目でにらんでくるので…飲まないと顔に熱い牛乳をかけられそうなので,無理やり飲みました。
猫舌の私には熱すぎる牛乳なのですが,飲まないと殺されそうなので飲みました。
でも彼とは別れたくありません。
叩かれたり裏切られたりして喜ぶ趣味はありませんが,それ以外の彼は一緒に居て楽しいし本当に大好きなので結婚もしたいです。
でも,そのためにどうしたらいいかわかりません…
性生活や日常の事(特に男性が女性を叩く心理が理解できない…),どう対処したらいいかわかりません
まとまりのない文章で申し訳ありませんが,だれかアドバイスください…
追記(11/9早朝)
アドバイスをくださった方へ
とても参考になる意見を本当にありがとうございました。
一応相談できる人はいるのですが,内容が内容だけになかなか言い出しにくいので…ほっとした気分です。
ここでいただいたアドバイスのおかげで自分の考えをまとめることが出来てきました。
大学時代からの女友達が結婚することになって、元彼の思い出話を聞いた。
大学生の頃にカフェ店員のバイトで出会ったけど、最悪だったという。
・ホテルの備品を何でも持ち帰ろうとする。ホテル名の刺繍がされたタオルとか、明らかに持って帰っちゃいけないようなものまで。しかも止めると怒り出す。
・店員への態度が悪い。自分も接客業やっているのに、客になったときは高飛車で、つまらないことでもネチネチとクレームをつける。
・箸の持ち方が変で、ヒジをついて食べる。食べながら喋るので口の中の食べ物が見える。クチャクチャ音を立てて食べる。
・鼻をかまずにすする。ズビーッ、ズズズーッと不潔な音を出されるのが不愉快でしょうがなかったとか。
・部屋の中がものすごく散らかっていて臭い。掃除をしないのでどこも不潔。洗濯物も大量に溜めている。
・好みの味付けが濃い。どこで外食するときもソースやしょうゆを大量にかける。友達の手料理にも、元の味がわからないくらいかける(友達はかなり料理が上手いのに台無し)。
・モバゲーをやっていて、依存状態。「1~2時間置きに携帯いじってモバゲーしてる大人」の姿がかなり痛かった。
・歯を磨かない。歯垢がたまっていてキスすると臭い。注意するとその時は磨いてくれるが、言わないと絶対磨いてくれない。
・教養が無い。富山や岐阜の場所がわからない。英単語も全然知らない。最近のニュースも何も知らない。
ようするに「育ちが悪い」ということなのだと思う。
学生時代の飲食バイトって色々な育ちの人間が入り混じっているから、育ちの格差がある同士が付き合ってしまうこともある。
女友達は結局その元彼を振って、同じ会社に勤めている同期の男性と結婚することになった。
その彼と付き合っていくなかでは、元彼で体験したようなイヤな思いは一切していないらしい。
私は育ちの悪い男性というとワイルドな魅力があるように幻想を抱いていたんだけど、友達の話を聞いて、実際付き合うとダメになるんだろうなと感じた。
私にも同じ大学で知り合って今婚約中の彼氏がいて、マンネリを感じたり、本当にこの人と一生一緒でいいのかな?なんて考えたりしていたけど、育ちの差があって不快な思いをする関係より、今の彼との安定した関係がずっといいのかなと思うようになった。
彼を大切にしようと思った。