はてなキーワード: 荷物検査とは
今だからこそ皆さんに児童相談所に無理矢理に一時保護されたトラウマを知ってほしい。
お願いします。
とくに精神疾患や非行はありませんでした(いまは一時保護体験が原因で鬱ですが)
勿論虐待はありません。
一時保護に至る経緯としては、朝、寝ているところを職員大人複数で車に押し込められ、連れ去られました。
着替えさせ許されず、当然、同意などありません。
施設に入って聞いた話、人によっては、引きこもりの自立支援施設のように、ドアを破壊されて連れられたと聞きました。
親の許可を得た上での保護措置と言うので法的には問題ないかもしれませんが一生のトラウマになりました。
その後三重にあるあすなろ学園と言う、児童養護施設のようなところに入れられました。
最初荷物検査させられすべて把握されます。名前を書かされます。プライベートありません。
当然外出できません。職員から見て問題行動があれば一人部屋に監禁されるなど脅されます。
隣に中学分校があり、行きたくないといっても毎日無理矢理引っ張られて行かされます。
そう言う生活が嫌で脱走する人は結構いましたが、脱走すると警察を呼ぶと脅されます。施設には自閉症児がいました。
自閉症児と、色々な症状を持つ子が5人部屋にすし詰めのように入れられていました。
今から考えると、病状によって分けるべきではないかと思いますが、中学生だったのでこういう物かと思って。
精神的なケアもあまりありませんでした。閉鎖空間に閉じ込めて学校行かせるだけ。
退所後、私はそれが原因になって人間不信になり引きこもりました。今も解決してません。
無理に入院させた親と軋轢が発生し家庭がグチャグチャになりました。
私だけでなく、他の子もトラウマになってる人が多く、自殺した子もいると聞きました。
ですが、施設退所後の事なので、後々自殺などがあっても施設や児相は責任は取りません。
施設に入っている間、何も事件が無ければ良いという考え方です。
このままいけば、また、引きこもり自立支援施設や、精神病棟に拘束されるのでしょうか?
これが無理矢理に一時保護され養護施設に入れられた、私の現実です。
ずっと今も苦しんでいます。
職員の方へ。今だからこそ児童相談所に無理矢理に一時保護されたトラウマを知ってほしい。お願いします。
私が一時保護させられた時は、不登校でした。とくに精神疾患や非行はありませんでした(いまは一時保護体験が原因で鬱ですが)一時保護に至る経緯としては、朝、寝ているところを職員大人複数で車に押し込められ、連れ去られました。着替えさせ許されず、当然、同意などありません。せめておしっこさせてください、と言っても無視されました。
施設に入って聞いた話、人によっては、引きこもりの自立支援施設のように、ドアを破壊されて連れられたと聞きました。親の許可を得た上での保護措置と言うので法的には問題ないかもしれませんが一生のトラウマになりました。
その後三重にあるあすなろ学園と言う、児童養護施設のようなところに入れられました。
最初荷物検査させられすべて把握されます。名前を書かされます。プライベートありません。部屋にマイクが仕掛けられていて詰所に全て聞こえます。当然外出できません。職員から見て問題行動があれば一人部屋に監禁されるなど脅されます。
隣に中学分校があり、行きたくないといっても毎日無理矢理引っ張られて行かされます。隣に学校があるので、不登校と言うのは不可能です。そう言う生活が嫌で脱走する人は結構いましたが、脱走すると警察を呼ぶと脅されます。施設には自閉症児がいました。
自閉症児と、色々な症状を持つ子が5人部屋にすし詰めのように入れられていました。今から考えると、病状によって分けるべきではないかと思いますが、中学生だったのでこういう物かと思って。精神的なケアもあまりありませんでした。閉鎖空間に閉じ込めて学校行かせるだけ。
退所後、私はそれが原因になって人間不信になり引きこもりました。今も解決してません。無理に入院させた親と軋轢が発生し家庭がグチャグチャになりました。私だけでなく、他の子もトラウマになってる人が多く、自殺した子もいると聞きました。
きちんと社会復帰した人は、3割以下だと思います。ですが、施設退所後の事なので、後々自殺などがあっても施設は責任は取りません。施設に入っている間、何も事件が無ければ良いという考え方です。
自分の体験は以上です。今も苦しんでます。このままいけば、また、引きこもり自立支援施設や、精神病棟に拘束されるのでしょうか?
ブクマでの反応ありがとうございます。
受け取り方は個々人の自由ですが、一つだけ気になるブクマがあったので返信します
◾️「病識のない人を病院に連れていくのは大変」みたいな話かな。虐待とはまた違う問題。
統合失調症の病識が無いと言う意味でしょうか。それは無いです。
精神科には行っていますが、児相の件が原因のうつ病の診断がされただけです。
入場ゲートを設けて係官が荷物検査をすると、まあ禁止物品が何%持ち込まれて、そのうちの何%が見つかって、何%がすり抜けて、何%が持ち込み断念される、という推計ができるだろう。生産ラインを設けて機械を大量生産すると、まあ不良品が何%発生して、そのうちの何%が見つかって、何%がすり抜けて、何%が保証期間内ギリギリまで動く、という推計ができるだろう。
法を電子計算機に執行させるということはこれとは異なる。もちろん電子計算機という機械は正規分布に従って故障し、破損する。しかし入力情報の体積に対して正規分布に従った出力は返さない。
電子計算機に執行させた規則には例外がない。境界領域がない。理念も、倫理もない。一貫していて、再現性があり、連続性がなく、離散的である。情状酌量もないし、似た概念間の援用もない。「似た」という概念がない。これはプログラマーにとっては極めて当たり前だし、ただの利用者でも馴染み深い人は多いだろう。問題なのはもちろんこれがまだ一般人にははっきりと言語化されて理解されていないということだが、ここ数年でこの問題に直面しているのは、実は立法と司法と法執行なのではないだろうか。事件が起きるたび、規則が作られるたび、情報処理技術の関係者は「明確な基準を示せ」という声を上げる。彼らは基準と、基準の適切さと、執行に逸脱がないことにしか関心がない。
彼らの世界では、法は書けばそのとおりに「なる」のだ。
なんかふと思い出したんだけどわざわざ友達に言う内容でもないし、でもちょっと聞いてほしかったのでかきます。長文書くのなんて読書感想文以来だから支離滅裂だけど良かったら読んでください。
中学三年生の修学旅行でこっぴどく怒られた。理由はヘアアイロンの持ち込み。同室の子に見られてちくられた。
私は酷い天パで、小学生のときそれはそれはいじられた。子どもならではの無邪気な言葉でも深く傷付いたし、耐えられなくて不登校になったことも、自分で髪の毛をうなじくらいまで切ったこともある。みんなは忘れていても、その瞬間の相手の顔も言葉も、私だけは鮮明に覚えている。ある時どうしても欲しいとねだって、誕生日、クリスマス、お正月分のプレゼントとしてちょっと高いヘアアイロンを買ってもらった。これは私にとっていわば革命で、思い通りにまっすぐになる感動で泣いてしまった。余談だけど天パのままの自分が写った卒アルや写真を見るのが耐えられなくて、まとめて箱に入れて神社で燃やしてもらった。
修学旅行を迎える頃には既に縮毛矯正を2回、ストパーを6回していた。風呂のときはまっすぐになる(と聞いた)シャンプー、コンディショナー、トリートメントをし、温風と冷風を交互にしながら乾かし、髪が枕に擦れないよう座ったまま就寝。毎朝5時に起きて1時間かけて丁寧にブロー、その後も軽く1時間はヘアアイロンを使ってうねった髪を伸ばし、急いで支度して7時20分には家を出る生活をしていた。
修学旅行まであと1ヶ月くらいになってから配られた修学旅行のしおりを見ると「ヘアアイロンの持込、使用は禁止」の文字があり絶望した。どうしようどうしようどうしよう。夜どれだけ気を使っても朝起きると大惨事、ヘアアイロンで伸ばさないと天パが目立ってしまう。私にとってそれは苦痛以外の何物でもなく、死んだほうがマシなのではと思うくらいだった。たった一文で修学旅行に行くのを本気で躊躇った。
ちなみにキャンプのときはお風呂に入らなかったため、ケープでガチガチに固めたら3日間そのまま保つことができたので事なきを得た。ケープすごい。
担任の説得、そして修学旅行の代金の積立を支払っていたのもあり、修学旅行には参加することになった。けれど頭にあったのは天パがバレてしまった時の屈辱だけだった。
そして修学旅行1週間前、偶然クラスメイトの会話が聞こえてきた。内容は携帯を持っていくか否かだった。しばらく盗み聞き(?)していたが、満場一致で持っていくことになったらしい。携帯ももちろん禁止だったが、クラスメイトが当たり前のように持っていくと聞いた瞬間、私の中で何かが弾け、同級生がルールを破って携帯を持っていくのなら私もヘアアイロンを持っていこうと決意した。
荷物検査はあったが生理用品や歯ブラシ、ハンドタオルなどを詰めたポーチに隠して入れた。生理用品が入っていたら遠慮して奥まで見られないだろうと考えたからだった。
1日目の夜は民宿だった。体内時計を駆使していつも通り5時に起床。私はすぐに寝落ちてしまったが他のみんなは夜遅くまで起きていたらしく、5時の時点では全員爆睡していた。何故か布団をしまう押入れの中にコンセントがあったため、押入れの戸を閉め、埃っぽくむせそうになるなか必死に髪を伸ばし続けた。本当はブローもしたかったが音で周りを起こしてしまいそうだったのでやめた。実はドライヤーも禁止だったが、濡れたまま寝ては風邪をひいてしまうと民宿の方がこっそり貸してくれていた。
一通り終えて腕時計を見ると7時前だった。9時にはホールのようなところに集合していないといけないので7時ぴったりにみんなを起こし、民宿の方の手作りの朝食(すごくおいしい)を食べてから各自準備をしてホールに向かった。
2日目の夜はホテルだった。民宿とは班が違い、もっと少人数になる。疲れがあったこと、そして先生の独断で決まった班だったから仲良い子がいなかったことなどが重なりあまり会話もせずに就寝。
朝起きたら5時半だった。ベッドの上のコンセントを使い、班の子達に見られないよう床に座り込み必死に伸ばし続けた。だが6時半になるかならないかのとき、ひとりが目覚めてしまった。何か(電源がついていることを示すライト)が光っていたのが不思議だったのかゆっくり近づいてきて、突然の事だったので隠すこともできず見られてしまった。終わったと思った。でもその子は何も言わず準備を始めたので心の底からほっとした。ヘアアイロンは元のポーチにしまった。だんだん他の子も起きはじめ、おはようと挨拶を交わして顔を洗いに行く。しばらくして生徒が起きているか見回っていた先生がドアを開けて入ってきた。するとヘアアイロンを見た子がよく通った声で「この子ヘアアイロン持ってるんですけど」と言った。頭が真っ白になった。奇しくもそれは携帯を持ち込んでいた子だった。
朝食はホテルの大きなホールで学年全員でとった。だが見せしめのように入口に置かれた私のヘアアイロンが気になって気になって何も喉を通らなかった。
それからは何も覚えていない。いつのまにか駅に着いていた。どうしたらいいか分からなくて立ちすくんでいると担任に呼ばれた。当たり前だが怒られた。声が大きい先生なので生徒に限らず通行人にも全部聞こえていたと思う。とてつもなく恥ずかしかった。正直持込みがバレたことより、ヘアアイロンを使わないといけない髪だということが知られてしまったことのほうが恥ずかしくてたまらなかった。親が迎えに来るまで20分くらい説教されたあと、ヘアアイロンは返された。帰りの車の中で泣いた。母親は私がどれだけ髪に執着しているか知っていたからか、乗った瞬間のおかえり以外は何も言わなかった。
ルールを破った私が全面的に悪いって分かってたけど本当に本当にしんどかった。
私はその後父に頼み込み、卒業してからするつもりだった引越しを夏休み中になるよう早めてもらった。卒アルを受け取らないようにするためだった。転校前の学校にも転校先の学校にもお願いをし、卒アルの個人写真には私が写らないようにしてもらった。(かなり経ってから友達が持っていた卒アルを見せてもらうと集合写真には多少入っていた。)すると業者さんが気を使ってくれたのか私専用の写真集を作ってくれた。私も写っていてがどれも小さく、どちらかというと友達の写真がメインだった。思い出の写真は1枚も残らないものだと思っていたので本当にありがたかった。
転校先で友達はできなかったけど、高校はちゃんと通えてるし、卒アルを受け取らなかったのは正解だと思っている。
また、中途半端なタイミングでの転校だったから内心ズタボロでいい高校には入れなかった。
悪いことをしたので自分に返ってきたのかなと思っています。自業自得です。
それと努力の甲斐あってか今はかなりまっすぐになっていますが、それでも気を抜くとすぐうねります。笑
天パに限らずコンプレックスを持っている子、たくさんたくさんいると思います。コンプレックスは簡単には直せないし、本人の気持ち次第で短所になったり長所になったりするものだと思います。気にしないようにって言われても余計気にしちゃうとか、そういうのも痛いほど分かります。だけどこれは逃げなんかじゃないので、自分の納得のいくまで整形でも何でもして気持ちを和らげて、強く生きてくれると嬉しいです。いい話風に終わりたかったけど私のルール違反がいい話になるわけないのでここで終わります。脱字修正しました。長々と読んでくれた方ありがとうございました!
本当はハルビンに行きたかったけど寒いし、まあ初めての旅行だしと思って北京にした。
小学生の頃から中国に憧れていたわけだけど逆に行って嫌になるんじゃないかとか思ったりもしたけど、そんなことなかった。
行くことに緊張もなく飛行機から夜景をみてやっと来れたと思った。
いつも一人でベッドの上で映画を見たり本読んだり、犬の散歩をしたりして過ごしているから外国で一人で過ごしたって特別孤独を感じたりしなかった。
ドミトリーで同じ部屋になった人、長城に行く途中で知り合った子とも住所交換した。
友達はいらないし、親しい人ができたとしても結局また一人に戻ると考えてた。
今住んでいるとこは本当につまらなくて、ここの若い人は何というか金持ちで面白みがない、経験値が低い。
帰ってきて思ったのは今住んでるこの場所で親しい人はやはりつくれないなということ。
どこ行っても年寄りには親近感があるけど、若い人には基本的にない。自分とは違うしそうでありたいと思ってる。
北京ではよそ者だけれども、この人たちと自分は違うとは思わなかった。
北京で毎日スーパーで食料を買ったり、荷物検査してから地下鉄やバスに乗ったりするのが当たり前のように感じた。
5日しかいなかったし、しかも北京だけしか今のところは知らないけれどここにいるより中国で生活する方が自然な感じ。
日本に帰りたくないとは一度も思わなかったけれど、とにかく中国で日常生活を送りたい。
中国語が話せたらすぐ仲良くなれるんじゃないかと思う、実際に結構筆談したし。
中国人は思っていたより全然優しかった、日本人ももちろん優しいし寛大だと思う。でも優しいの基準が違うと思う、どちらかというと他人に興味ない感じ。
停車中の荷物検査は最も危険な時間だ。祐太はコンテナの隙間で白い息を殺し、屈強な女性職員が通り過ぎるのを待った。でも大丈夫、きっと会える。根拠はないけど、かじかんだ手の中にある少女の写真を握りしめると勇気がわいてきた。やがて列車は再び駅を出発した。
※※※ ※※※
「高校は女人町のとこに行くんだ」美術室で部活の後片付けをしながら、由紀はさらりと言った。女人町のことは祐太も知っていた。夜に安心して出歩けるよう、女性だけが生活することを許された町だ。由紀がこの町の女の子であることもクラス中のみんなが知っていた。義務教育を卒業すると、女人町に戻るか外の町にとどまるか、母親が選択することも。ただ、由紀が戻ることになったのを知ったのは、祐太が最初だった。
「そっか、由紀は行きたいのか?」
「わかんない。でも親が決めたことだし」
話はそれで終わった。由紀はそのまま学校を卒業し、女人町の高校に進学していった。通常、女人町に戻った女性は、それ以降もうほぼ外に出ることはない。
※※※ ※※※
祐太は地元の高校に進学し、由紀との思い出は忘れていった。学年たった二人の美術部員だったこと、部の存続をかけての新歓、絵の具の匂い、いつも頬を赤くしすぎる由紀の人物画の癖。
そして大学に進学した1年目の冬休み、消えかけた思い出が蘇った。新しく出来た鉄道趣味の友人が、ポロッと言った一言がきっかけだった。「この貨物列車、女人町に行くんだよな」
「へえ。あそこ、電車が通ってるんだ」
「生活物資やなんかは流通が必要だしな。ああいう町だから、警戒は厳重だけど、荷物は別だよな」
町につながる場所がある。そう思うと急に由紀に会いに行きたくなった。手がかりは卒業アルバムの切り抜きの写真と、中学の頃貰った家の付近のスケッチだけ。町の写真は盗撮につながるからと規制されていたからだ。メールももちろんできない。
それでも祐太は諦めなかった。夕闇に紛れて女人町行きの貨物列車に忍び込むことに成功した。後は列車が連れて行ってくれることを待つだけだ。
※※※ ※※※
検問は数度あった。そのたびにコンテナの死角に滑り込んでやりすごした。屋根も壁もない。昼から小降りだった雨は、東京ではめずらしく雪になっていた。風が強く、寒さが身にしみる。
夜、女人町に入った後、列車が緊急停止した。「人手が足りない!」「男性職員も応援に呼んでください!」「承認はまだ?!」何かしら事故があったのだろう。辺り一面は漆黒の雪景色で、職員たちは雪かきやヒトモノの整理で相当混乱していた。今なら脱出できる!祐太は暗い雪道に踊り出た。
周囲は真っ暗で、明るい場所は雪面をまばらに照らすオレンジや薄紫の街灯くらい。隠れる場所はいくらでもある。とにかくすぐ寒さをしのげるところに逃げ込み、明るくなってからスケッチの場所を探そう。祐太はそんなことを考えながら暗がりを歩いていた。
誰もいないと思っていた。そんな油断もあって、暗闇の中全身真っ黒な服から覗く2対の目に、祐太は気づかなかった。
※※※ ※※※
祐太は人らしきものにぶつかった。背筋が凍る。見つかった!そこにいたのは2人組で、頭の上からイスラム教徒の女性が被るブルカのような真っ黒い布をかぶっていた。
「あなたは…男の人?」
ブルカの女性に話しかけられた。動揺のあまり、祐太はしばらく動くこともできなかったが、やがてやっと声を振り絞り答えた。
「ごめんなさい、人を探して、ここまで来たんです。今回だけは見逃してください!」
「でも、こんな格好をしてると捕まるぞ」
後ろの方のブルカから、男性の声が聞こえた。この町にも男性がいたのか!祐太はほっとした。
「私の服を貸してあげる。まずは私達の家に来ましょう」
そして促されるまま、祐太は二人の家に案内された。
※※※ ※※※
家の中に入ればもうブルカは必要ない。助けてくれた二人を改めて見ると、祐太と同じ大学生くらいの男女だった。女性は比奈、男性は陸と名乗った。祐太は二人の家で事情を話した。スケッチの情報から、比奈が通っている絵画教室をしている家だとわかった。この家の近所だ。陸からは余分なブルカも貸してもらった。男性同士助け合いの精神もあっただろうが、何から何まで手助けしてもらい、本当に感謝するしかない。
しかし、ブルカなんて被って不審がられないだろうか。聞くと、若い女性はだいたいこんな格好だという。
「昔、目元やチークを真っ赤にするメイクが流行ってね。うさぎ目メイクって言ったっけ。好きなは好きだけど嫌いな人は『幼女ポルノのようなメイクだ、ミラノ帰りの自分からは信じられない。VOGUEを見習え』って、大論争。喧嘩を避けるように、結局みんな姿を隠すようになっちゃった。」
「でも、そのおかげで俺たちみたいな男もこっそり生きられるんだけどな」
聞けば恋人を作りたい女性や父親がほしい家庭は、こうやってこっそり男性を家に引き入れて暮らしているそうだ。よく考えるとそうしなければ町の人口は減る一方だ。この町はそうやって矛盾を抱えながら維持されてきたのだろう。
「由紀ちゃんと連絡がつながったわ。今すぐ行きましょう。ゆっくりさせてあげたいところだけど、ママがこれ以上男性を住まわせるつもりなのか疑ってるの…ごめんね。」
どうも話から推測すると、男性を匿いながら暮らすのは専業主婦を抱えるのと同程度に負担のかかることで、できれば避けたいようだ。祐太もこれ以上迷惑をかける気もなかった。コートを着込み、ブルカを身にまとって比奈と共に家を離れた。
二階の窓では、母親と思しき女性が祐太に視線を貼りつかせていた。
※※※ ※※※
祐太は、ついに由紀の家にたどり着いた。玄関口で見た由紀は、中学のときの面影を残していた。急ぎ足で比奈と一緒に部屋に入り、ブルカを脱いだ。
「祐太…」由紀は口を押さえて、もう半分涙声になっていた。「来てくれたのね…」
「じゃあ、私はお邪魔かな」そう言って比奈は部屋を出た。部屋は由紀と祐太、二人きりになった。まるで中学の美術部と同じ風景だ。そう言えば改めて見渡すと、部屋の様子も美術部室のように幾つもの絵画や機材が並んでいる。ここは由紀の部屋ではないんだろうか?
「お母さんの美術教室のアトリエよ。今時期は教室やってないから自由に使えるわ。布団持ってくるから、ここに今日はここに泊まってって」由紀はいたずらっぽく目を輝かせて言った。「お母さんには内緒ね」
「悪い奴だなぁー」軽口を叩くと本当にあの頃に返ったようだ。「今でも絵、続けてるのか?」
「そうね、つい最近も描いた絵がそこにあった気がするけど…」
「待って、当ててみるよ。…あ、わかった。右から3番目のだろ。なんでわかったと思う?」
「「頬が赤すぎる」」2人の声が被った。そして2人とも大笑いした。
その後は夜遅くまで話をした。昔の思い出、卒業してからの生活、祐太のここに来るまでの冒険譚。話している内に日付が変わり、外の雪はますます降り積もった。
「これから、どうするの?」
「もう少しここにいたら?こんな雪だもん。2~3日は色々マヒしてて気づかれないって」
ひょっとしたらここで暮らすのも悪くないかもしれない。ブルカがあれば外出もできるだろう。男性同士のコミュニティもあるようだし、由紀の家族にも気に入ってもらえればよいな。そんなことを考えながら、祐太は眠ってしまった。
※※※ ※※※
「おい起きろ!さっさと出る準備をするんだ!」
突然の怒号とともに毛布を剥ぎ取られ、祐太は目覚めた。目の前には警官姿の屈強な女性が2人、立っている。
寝起きで意識がはっきりしないまま、祐太は両脇を抱えられて外に待機していたパトカーに詰め込まれた。「xx時xx分、xxxx確保…」警官の一人が無線で何か会話をしている。まるでまだ夢の中のようだ。いや、昨日までの記憶の方が夢なのか?
祐太はやっとのことで声を出した。答えはしっかりとは聞き取れなかった。これから町の外の警察に引き渡され、そこでこってりと絞られるらしい。
隣に座った大柄な女性警官は威圧的な雰囲気だ。でもパトカーはシャーベットの路面を頼りなく走っていて、そのギャップに祐太は少し笑ってしまった。
なんて結末だ。
※※※ ※※※
「密告があったみたいね。あんたも大胆なことするわね…」由紀の母親はコーヒーを淹れながら由紀に話しかけた「報奨金高いんだよねぇ。誰だか知らないけどだいぶ儲かったんだろうな」母親は少し呆れていたが、それほど意に介していないようだ。対照的に由紀は朝からずっと泣いていた。
「ごめんなさい。もうこんなことしない…」
「本当だよ!色々面倒なんだからね!」
母親は一言だけ釘をさしたあと、あんたもコーヒー飲みなよ、と一杯テーブルに置き、洗濯物を干しにリビングを出ていった。
その日一日、しおらしく反省した様子を見せていた由紀だが、心の中では計画を立てていた。町を出る。祐太に会いに行く。
※※※ ※※※
大雪の混乱は女人町では5日間で収束した。もう雪は懲り懲り、そんな気分を察してか、その後はずっと晴れ続きだった。暦はもう立春になったが、まだ気温は冬。それは女人町でも同じだ。
「それじゃ友達の家に泊まりに行ってくる。3日くらいで帰ってくるよ」リュックに荷物を詰めた由紀が玄関で母親に言った。母親は答えた。
「え、え?…お母さん何言った?私友達の家に…」
「こないだ来た男の子のところに行くんでしょ。外の列車の切符なんて買えなかったけど、駅の入場券くらいは買えたわ。あとはあんたで何とかしなさい」
ああ、お母さんには何でもバレバレだ。由紀は素直に切符を受け取った。でも、本当に外に出ていいんだろうか?お母さんに迷惑かかるんじゃないかな?
「やっぱり血筋なのかね。私もあんたのお父さんに会いに列車に乗って出かけていったんだよ。そのときにはもう社会人だったけどね。」
それは初耳だった。色々型破りな母親なのは知ってたけど、まさか列車に忍び込んで町を出るなんて!
「いやいや、その時はこの町もまだインフラが整備されてなくて、男性も沢山作業に出入りしてたんだけどね。ただ住む場所だけは別々で、でもどうしてもあの人に会いに行きたくてさ。臨月なのに常磐線に乗って出かけちゃったの。そしたら電車の中であんた生まれちゃって!大騒ぎだったわ」
何それ!電車で生まれたって聞いてたけど、そんなシチュエーションで生まれたの?何か私より祐太より、お母さんのがよっぽど大胆じゃん!
「だから言ったじゃん。血筋なんだなって」お母さんはいたずらっぽく目を輝かせて言った。「お婆ちゃんには内緒ね」
わかったお母さん。私も頑張る!
※※※ ※※※
停車中の荷物検査は最も危険な時間だ。由紀はコンテナの隙間で白い息を殺し、屈強な女性職員が通り過ぎるのを待った。でも大丈夫、きっと会える。根拠はないけど、かじかんだ手の中にある少年の写真を握りしめると勇気がわいてきた。やがて列車は再び駅を出発した。
1~5について俺も感想文を共有して便乗してみる。
1.
中国人向けの検索サービスで日本語の情報が出ないのも当たり前だと思う。
香港の海外ローミング用の格安 SIM を Amazon で出発前に購入し、
また 有料の VPN サービスを契約しているのでそれを持ちこんだ。
Google だろうが LINE だろうが日本にいるのと全く同じように通信できた。
iPhone も全ての機能が使えたので、特に不便を感じることはなかった。
有料 VPN については、一部つなげない VPN サーバーがあったり、
VPN サーバーにはつなげても、Google にアクセスできたが
LINE にはアクセスできないといった感じの不安定さがあった。
最近「中国政府が全ての VPN サーバーを遮断」っていうニュースがあったけど
あれはどうやら認可を受けていない事業者を規制しただけの話のようで、
中国本土から Google 等への接続を完全に規制するものではなかったようだ。
2.
手荷物を機械に通すだけでよく、飛行機のような厳重な雰囲気は無いし、
(時間帯がよかっただけかもしれないが)列に並ぶとかはなく
改札を通る手間が二回に増えたとかそれくらいの印象。
まぁでも、面倒と思う人はいるかもしれない。
後、運賃がかなり安かったが、これはそもそも物価が安いからか。
地下鉄に関しては、あまり日本にいるのと変わらないぐらいの印象。
3.
華強北の電気街は俺も行った。
正直、深センの前情報がひどすぎたためもっと田舎なのを想像していた。
その反動で、かなり規模が大きかったのに驚いたという印象。
規模だけでいうと日本は追い抜かれてるんじゃないだろうか。
4.
ちょっと調べた限り QR コードは外国人は使えなさそうだと思ったのもあり
ただ、店で現金を使うとまず偽札をチェックする機械に通されるので、
そういう国なんだろうな、とは思った。
QR コードがホームレスにまで普及しているという話を聞いたことがあるが
やっぱり現金(物理)の信用がない国なんだろうなと思っている。
5.
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結論として、増田がディストピアと言う理由が大きくは二つある気がして、
単純に期待よりも悪かったという面があると思うのだが、
オイラ昨日深センに行ってきたんですわ。広州から電車で深センに入って、深センから香港経由で日本に帰ってきた。
そしたらタイムリーなことに深セン行ったら日本ヤバイと思ったっていう↓の記事がバズってて、だけどオイラの見て感じたことと相当違うなと思ったんで忘れないうちに感想を書く。
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/53545
あなたは今から書くことを読んでも深センに希望を見ることができるだろうか?
これはよく知られている話だけど、深センではGoogle, Facebook, Twitter, Line等の資本主義国のWebサービスが大半使用不能。
旅行blogで深センの情報を読もうと思っても、閲覧制限があるようでLivedoor blogやfc2 blogは参照できなかった。
かといって百度で日本語の現地情報を検索しても、フィルタリングがかかっているようでスカスカの情報しか返ってこない。
記事の筆者も当然この状況を見ているはずだが、これでも深センに希望を感じたのだろうか?
深センへは日本からの直行便が少ないので、広州経由で深センに向かったわけだけどもやたら難儀した。
直線距離だと100km程度で、日本で例えるなら東京宇都宮間ほどの距離。
最近の中国では全土に高速鉄道が走っているので、そいつを使えばわずか30分で着く…のだけれども。
外国人は鉄道のチケットを事前予約するのはできないので現地の駅で切符を買う必要があるので広州南駅に向かったのだが、
自動券売機は、中国の身分証を読み込む必要があるので一切使えない。窓口に並んで切符を買う必要がある。この窓口の待ち時間が異様に長い。
さらに、中国の鉄道は全席指定になっているので、当日券を買おうとしても4時間後の便しか買えなかった。
しかも、鉄道に乗る前に待ち受ける身分証確認と手荷物検査。行列続きで非常に疲れた。
深センについた後も地下鉄の移動前にはX線スキャンの荷物検査があり、非常に面倒だった。
どうやら中国では鉄道は日本でいう飛行機のような存在で、気軽に利用できる乗り物ではないようだ。
記事でも言及されていた深センの電気街、「華強北」。オイラも行ってきました。というかこれ目当てで深セン旅行を決めたんだけどね。
で、実際に行ってみて、結論から言うと「失望」の一言に尽きるかと。
確かに規模は大きいよ。ヨドバシ秋葉レベルのビルが何棟もあって、秋葉原の高架下にあるような個人店がぎっしり中に詰まってるんだから。
だけど売られている商品に多様性がないんだな。店が100店舗あっても大半がスマートフォン販売 or そのアクセサリー。
USBケーブルに充電器、交換用のバッテリーにSDカード、こんな商品を扱う店が9割くらいを占める。
もちろん、Foxxconの横流し品であろうスマートフォンの機構部品を扱う店や、顕微鏡片手にスマートフォンの基盤修理をしている店のようなマニアックなのもあったんだけど少数派。
さらに、オイラの期待していた「深セン」でしか買えないエッジのきいたもの、例えばbitcoinの採掘マシーンとか評判の高い中国メーカーの短波ラジオのようなものは皆無だった。
まあ、この辺はオイラの探し方が足りなかったのかもしれないが、表通りに立ち並ぶ店の品ぞろえは日本とそう変わるものではなかった。
QRコードの読み込みで決済ができきる「微信支付」は銀行口座と紐づけが必要だから、外国人は簡単に利用できないよ。
仕方ないから町の人の使う様子を見ていたんだけど確かに普及はしている。レンタルサイクルや駅の売店で使っている人はすごく多い。
ただし、屋台の支払いでも普通に使われているかというとそうでもないよなという感じ。
「日本ヤバイ遅れている」を強調するために話を盛っているような気はする。体感的には日本の駅ビルテナントでのSuica決済と同程度の印象。
日本に帰るために、深センから国境(香港返還後20年たってもまだ残っているのだ!)を徒歩で超えて香港に入った。
香港の街並みは深センや広州と比べるとどこか古臭く見える。駅も狭いし、鉄道車両も年季が入っている。
だけどここには自由があった。Googleもtwitterもfacebookもすべて使える。DMMの18禁サイトすら自由に見れる。
地下鉄を乗るときの手荷物検査は存在しないし、外国人もオクトパスカード(香港版Suica)を買えるし、クレジットカードの普及率が高いので、商店で気軽にキャッシュレス決済ができる。
中国本土に居たのはわずか数日のことだったが、香港では深センにない自由を感じたのだった。
[PDF]関東大震災と文豪 - 成蹊大学図書館の展示から -
http://repository.seikei.ac.jp/dspace/bitstream/10928/526/1/kokubun-47_56-86.pdf
ブコメ経由で知った論文だが、あまり目立ってなかったので引用しておく。「関東大震災朝鮮人虐殺」とは別に朝鮮人だけが殺害されたわけではなくて、「朝鮮人と間違われる」などして多くの日本人や中国人も殺害されていることは覚えておきたい。
僕は善良なる市民である。しかし僕の所見によれば、菊池寛はこの資格に乏しい。…菊池と雑談を交換してゐた。…その内に僕は大火の原因は○○○○○○○○さうだと云つた。すると菊池は眉を挙げながら、「嘘だよ、君」と一喝した。…しかし次手にもう一度、何でも○○○○はボルシェヴィツキの手先ださうだと云つた。菊池は今度も眉を挙げると、「嘘さ、君、そんなことは」と叱りつけた。…
再び僕の所見によれば、善良なる市民と云ふものはボルシェヴィツキと○○○○との陰謀の存在を信ずるものである。もし萬一信じられぬ場合は、少くとも信じてゐるらしい顔つきを装はねばならぬものである。けれども野蛮なる菊池寛は信じもしなければ信じる真似もしない。これは完全に善良なる市民の資格を放棄したと見るべきである。善良なる市民たると同時に勇敢なる自警団の一員たる僕は菊池の為に惜まざるを得ない。
(〇〇は言論統制の時代に伏字にされた「不逞朝鮮人」などの言葉。これはデマに踊らされた「善良なる市民」への芥川龍之介ならではの皮肉の文章)
××を持つて、合言葉を使ふなどと云ふことは、大正の世にあるまじき事と思つてゐたが、震災後四五日の間は、私も××を手にして、合言葉を使つて、警戒に当つた。
あの震災に関聯して、今思い出しても日本人として堪らない気持ちのするのは、各地に起った例の鮮人騒ぎである。…とにかく鮮人に対して、あの時日本人の行ったことは、これは何とも弁解のしようのない野蛮至極のものであった。ああ云う場合、この国の人間には、野蛮人の血が流れているのではないかという気がする。…
「そんな莫迦な話があるものか。鮮人が地震を予知していたわけではあるまいし、何処で勢揃いし、何処からやって来るというのだ。…そんなことは絶対に考えられないよ。僕はこれから寝るから、ほんとうに鮮人が来たら起こしてくれ。」…と云って、人々を安心させるために、畳の上にひっくり返ったら、実際に眠ってしまった。
井戸に毒を入れるとか、爆弾を投げるとかさまざまな浮説が聞こえてくる。こんな場末の町へまでも荒らして歩くためには一体何千キロの毒薬、何万キロの爆弾が入るであろうか、そういう目の子勘定だけからでもじぶんにはその話は信ぜられなかった。
アラララ、と聞こえる高い叫び声は朝鮮語らしく聞こえる。竹刀でも激しく打ち合うような音も聞こえる。朝鮮人がこの大動乱に乗じて暴動を起こしたという筋書を疑う力もないから、空地の周囲の叫び声や、打ち合うもの音を、朝鮮人との戦いなのだ、と私は思っていた。…
私はこのときのことをおもい出すたびに、同じ長屋で親しくしていたひとりのおかみさんの言った言葉を同時におもい出す。…長屋のものが半壊のわが家のまわりに寄り合ったとき、ひとりが自分のゆうべの恐ろしかった経験を話し出した。話し手の彼女は、一晩中朝鮮人に追いかけられて逃げて歩いた、というのだ。それを聞いたとき、興行師のおかみさんは、利口にその話を訂正した。彼女はこう言ったのである。朝鮮人が暴動を起こしたなんていったって、ここは日本の土地なんだから、朝鮮人よりも日本人の数の方が多いにきまっている。
朝鮮人に追いかけられたとおもっていたのは、追われる朝鮮人のその前方にあんたがいたのだ。逃げて走る朝鮮人の前を、あんたは自分が追われるとおもって走っていたにすぎない、と。
私はこの訂正を聞いたとき、強いショックでうなずき、かねてのこの人への尊敬をいっそう強くした。…貧しい興行師のこの妻のような怜悧で正しい判断は、あの当時住民の多くは持ち得なかった。政府の流した蜚語は、大地震という自然の脅威におののいている住民の、異常な神経を煽った。
東京では朝鮮人が暴れ廻つてゐるといふやうな噂を聞く。が自分は信じなかつた。
松井田で、警官二三人に弥次馬十人余りで一人の朝鮮人を追ひかけるのを見た。
「殺した」直ぐ引返して来た一人が車窓の下でこんなにいつたが、余りに簡単すぎた。今もそれは半信半疑だ。…
丁度自分の前で、自転車で来た若者と刺子を着た若者とが落ち合ひ、二人は友達らしく立話を始めた。…
「―鮮人が裏へ廻つたてんで、直ぐ日本刀を持つて追ひかけると、それが鮮人でねえんだ」…「然しかう云ふ時でもなけりやあ、人間は殺せねえと思つたから、到頭やつちやつたよ」二人は笑つてゐる。
(汽車内で足を踏んだ踏まないの騒ぎが始まって)
喧嘩はしばらく続いていた。すると在郷軍人らしい方が、…突然座席へ突っ立ち上がった。
「諸君、こいつは鮮人だぞ。太い奴だ。こんな所へもぐり込んでやがって」…
…時どき脅えきったその男の声が聞こえた。しかも相手がおろおろすればするほど、みんなの疑いを増し興奮を烈しくするばかりだった。(その男は次の駅で引きずりおろされ)物凄いほど鉄拳の雨を浴びた。
私は思わず窓から首を出してこう叫んだ。側にいた二三の人もやはり同じようなことを怒鳴った。…こうして人の雪崩にもまれながら改札口の彼方にきえて行ったその日本人の後姿をいまだに忘れる事はできない。私には、一箇月ほどたった後に埼玉県下に於ける虐殺事件が公表された時、あの男も一緒に殺されたとしか思えなかった。そして無防御の少数者を多数の武器と力で得々として虐殺した勇敢にして忠実なる「大和魂」に対して、否、それまでにしなければ承知のできないほど無条件に興奮したがる「大和魂」に対して、心からの侮蔑と憎悪とを感じないわけにいかなかった。ことに、その蒙昧と卑劣と無節制とに対して。
急いで東京へ帰らうとして、先ず護身用のピストルを買つた。それを何かに包んで、ルツクザツクの奥深く納めた。…
学生の目には、車中の誰も彼もが○○に見えた。学生は車中の総ての人に荷物の検査を迫つた。
耕作君の袋の中にはピストルがある。…若し、それを見られたら、自分は殺されると思つた。
耕作君は終に立ち上がつて演説した。(荷物検査をするなら陸軍の出張所に行くように説得し、みんなの賛成を得る。)
耕作君はほつとした。
「実際、もうお終ひかと思つた」と、耕作君は幾度も言つた。
(震災の2日後に平沢が警察に連行され、その翌日、著者が石油と薪を運ぶ巡査と会った時の回想)
「石油と薪を積んで何処へ行くのです。」
「殺した人間を焼きに行くのだよ。」…
「昨夜は人殺しで徹夜までさせられちゃった。三百二十人も殺した。外国人が亀戸管内に視察に来るので、今日急いで焼いてしまうのだよ。」
「皆鮮人ですか。」
(そこで、著者はその死体のある場所を教えてもらい、そこへ向かう。)
自分は一眼見てその凄惨な有様に度肝をぬかれてしまった。自分の目はどす黒い血の色や、灰色の死人の顔を見て、一時にくらむような気がした。涙が出て仕方がなかった。…
「全体どういふ理由で自分はこんな目に…あんまり幸福でありすぎたからだらうか…然し自分の生活はそれほど幸福ではなかつた筈である…」
(同房の男は好きなもの一つ食べずに貯めこんだお金を火事場泥棒と間違えられて取り上げられてしまった。)
「あゝ口惜しい…。ほんとに好きなドラ焼き一つ喰はず辛抱したんだ。浅草から逃げて来る時も五銭の西瓜一切喰べるのをこらへて来たんだ。あゝ口惜しい…」彼はわんわん泣き叫んだ。
(そして、取り調べのないまま 4 日目を迎える。)
「支障なく出社したければ荷物検査に応じたほうが良い」が常識だけど、江添氏は揉め事になるリスクを承知で荷物検査に応じない自由を貫いたわけで。
全ての警察官が法律を遵守して、違法な職務質問がなくなるのが理想だけど、現実はそうじゃないので、「揉め事や転び公妨での逮捕のリスクを承知で抵抗する」か「少々不愉快だけど検査に応じてさっさと終わらせる」かになってる。
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もう少し掘り下げると、
1. 忠告に従うことによる面倒さ (職質: 比較的小さい, 性犯罪: 比較的大きい)
2. 忠告に従わなかった場合に面倒事や犯罪に巻き込まれる確率 (職質: 比較的大きい, 性犯罪: 比較的小さい)
3. 面倒事や犯罪に巻き込まれた場合の深刻さ/不利益の度合い (職質の場合も性犯罪の場合も、人生が狂いかねないという点で同程度に高い)
4. 自衛以外の方法で、巻き込まれる確率を小さくすることの困難さ(職質: 比較的小さい, 性犯罪: 大きい)
といった要素がある。
(1-3について)
職質の場合、忠告に従わないことによる不利益と、従うことによる面倒を天秤にかけて大半の人は従わざるを得ない。確かに実質強制といえる。
性犯罪の場合、「忠告に従わないことによる不利益に対する、従うことによる面倒さ」が職質の場合より大きいので、職質の場合ほど「強制度合い」は大きくない。とはいえ、人によっても異なるので強制されていると感じる人がいるのも理解できる。
(4について)
職質の場合、近い将来、警察組織の体質が改善して荷物検査を実質的に強制するようなことがなくなる可能性は多分にある。だから、「一般的な忠告に従う必要はない」ということを声高に主張し、実行する人を増やすことには結構意味がある。
性犯罪の場合、男を全員去勢するとか、犯罪を予知して起きてもいない犯罪で誰かを逮捕する、というような非現実的なことでも起きない限り性犯罪はなくならないし、たとえレイプの最高刑を死刑にしたところで大幅に減りもしない。それなのに「一般的な忠告に従う必要はない」なんて主張したり、忠告する人を非難して何が得られると思っているのかがわからない。
リスクをゼロに(もしくは無視できるほど小さく)はできないという事実があるなかで、各人ができることは自衛しかないでしょうという、フェミニストを含めて誰でもわかるようなことが、なぜフェミニズムの文脈になると無視されるのか。
女性の自由を制限しない自衛の方法を提唱している人達は良い仕事をしてると思うよ。
それ以外の、「どのような形であれ女性自身が自衛しなければいけない世の中が間違ってる」というようなことを言う人達が理解できないの。
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警察官なりレイプ犯なり、不利益をもたらす本人が「忠告」してるならそれは強制と同義だけど、第三者が言ってるなら、それがいくら現実的に従わざるを得ないものでも強制と同義にはならないよ。
善意のヨハネスブルク人の「ヨハネスブルクには来ないほうがいいよ」「ヨハネスブルクは危ないから来るな」という忠告は、あくまで忠告。
>というか、もしも「怪しい人物に手荷物検査を求めたのに応じられなかったから解放した。しかし、その手荷物には爆弾が入っており無辜の市民が殺害された」みたいな事件が起きた時、「手荷物検査は任意なので拒否られたら仕方がない」とかそれご遺族の前で言えんの?と思うわ。
もちろん言えるよ。
正しさで人の心を踏みにじれる奴は嫌いだわ。正しければ正しいって顔をしている傲慢さはヘドが出る。まぁ、これは個人的な気持ちの問題でもう話とは関係ないから無視してくれ。
もし「拒否されても強制的に荷物検査できたほうが国民の利益になる」というなら、
なぜ法律がそうなっていないのかを考えたほうがいい。
法はそうなっていないがそれだと足りないから受忍義務という解釈があるんじゃね?
きっと法をそうしていないで解釈という恣意的な運用をしているのを叩くだろう。しかし俺自身は解釈による弾力的な運用ができないルールには意味がないと思う立場だ。この件の前からずっとな。ルールで全てのパターンを網羅しきれる完全さが人間にあるのか?というと、そんなことはない。それが理想だということはわかるからそれを目指すことに異論はないが、しかしその理想に囚われて現実を無視するのはアホだとしか思わん。
だから、
とまでは言わんが、しかし法を守ることが最初に来てしまってそれで人間を守れない方がよっぽど怖い。
人間は法のためにあるんじゃないんだ。人間を守るために法がある。そして法は不完全だから、法を守れば人間が守れる、という命題は真じゃない。
なんで法律で禁止されてることを「警察のお仕事」だと思うんだろう。
単純な事実として、警察のお仕事は質問をするところまでなんだよ。
拒否されたら終わり。
もし「拒否されても強制的に荷物検査できたほうが国民の利益になる」というなら、
なぜ法律がそうなっていないのかを考えたほうがいい。
というか、もしも「怪しい人物に手荷物検査を求めたのに応じられなかったから解放した。しかし、その手荷物には爆弾が入っており無辜の市民が殺害された」みたいな事件が起きた時、「手荷物検査は任意なので拒否られたら仕方がない」とかそれご遺族の前で言えんの?と思うわ。
もちろん言えるよ。
むしろその場の感情次第で法律をいくらでも無視していい、というほうが恐ろしいけど。
その次は「国民全員が銃を持っていれば怪しい人間をその場で射殺できた」?
犯罪予防の段階で「たられば」を言っても仕方ないんだよ。
その時の愚痴です。
まず開場までの話。
一般入場口と撮影会/サイン会入場口は別になっていて、開場は10時。
サイン会も同じく10時開始だったので、一般入場口とサイン会入場口それぞれに行列ができていた。
撮影会/サイン会入場口はさらに二手に分かれていて、スタンリー列とジェレミー・レナー列があった。
スタンリー列/ジェレミー・レナーは、それぞれ200~300人くらいが並んでいた。おそらく一般入場列も同じくらい並んでいたんだろうと推測。
そして入場からの話。
撮影会/サイン会列は、スタンリー/ジェレミーともに10時を15分くらい過ぎたところでようやく開場され、みんなお行儀よく並んだまま入場する。
荷物検査を終えていざ会場に入ってみるが、サイン会エリアまでは若干離れていて、既に列もなくなり、早くもどこに行けばわからなくなる。
手近な警備員さんに聞いてみると、あそこにロープが張ってあるから、その通りに進んでくれとのこと。警備員が指し示した方を見ると、10mくらい先の仕切り板に沿ってロープが張ってあり、数名が並んでいる様子。近づいて並んでみるも、どうも様子がおかしい。ふと上を見上げると、この列はサイン会の当日販売チケット売り場の列ですね。
なんだよ違うじゃんと思ってそこを抜けると、チケット売り場の横が撮影会/サイン会エリアの入り口になっており、ものすごい人だかり。
おやおやと思いながらエリアの中を見ると、1000人は下らない数の行列がうねうねと続いており、エリアの入場規制のため出るも入るもできない状態。
あれあれ、これは一般入場で当日サイン券を買った人が既に入っていますね。
そりゃそうだよね、だって撮影会/サイン会列に並んで入ってきたけど、誘導は会場の入り口までで、そこから撮影会/サイン会エリアの入場口までまったくのフリーダムだったし。
これなら一般入場口から入って撮影会/サイン会エリアに直行すれば、もっと早く入れましたよね。
運営の人がメガホンで何か怒鳴ってるけど、「サインは次回13時からになるんで、一回解散しましょうか!ね!」と言ったと思ったら、「スタ…じ、じぇれ…ジェレミー・レナーさんのサイン会…じゃないや、撮影会にチケット持ってる人いるー!?あ、いた、じゃあね、こっち回ってきて!もう入っちゃいましょう!」ってな感じで、まずカミカミで誰の何なのかわからない、いつ入れてもらえるかわからないから解散もできない、さらにタメ口でイライラ感の追い打ち。
誰もその場を動かないまま粘ってたら、とりあえず撮影会は200人ずつ入場させるとのこと。撮影会チケットを持っていたので何とか入ることはできたけど、どう考えても前のサイン会が終わってないから撮影会に入れるわけがない。撮影会を優先させればサイン会に並んでいる人を待たせるだけ。このスケジュール組んだの誰?どうするつもりだったの??
さらにさらに、並んでいる間にも「サイン会チケット当日販売分追加のお知らせです。」って放送が流れてくる。
いやいやいや、この状況見てる?大丈夫なの??
結局撮影会に3時間超、サイン会に1時間超並んで、どうにか合計28,000円をドブに捨てずに済んだけど、他のステージイベントや限定商品などなどはゲットできず。コミコンを楽しんだって気分にはなれなかった。
ただ、ハナから撮影会/サイン会に興味なかった人は結構楽しんでたみたいでよかったです。
でも運営は猛省してほしいところ。公式サイトも情報が全然載ってなかったし、当日配布のパンフもTBDの文字があちこちに踊ってたし、まったくもってやる気が感じられなかったな…。
AKBの握手会がこの間の事件の影響で、手荷物検査が厳重になったというニュースサイトの記事から以下引用。(一部伏せる)
これまでに約40回、握手会に来ているという●●県●●町の会社員●●●●さん(25)は、「警備員の姿を多く見かけ、以前より態勢が強化された印象を受ける。入場に時間がかかるが、安全のためなら仕方ない」と話していた。
上記の●●には実際のニュースサイトではコメントした人の県名と町名と本名が書かれているのだが・・・
AKB好きな無名のサラリーマンの本名を載せたところで、この記事の信ぴょう性が上がったり、ニュース価値が上がったりしないじゃん?
普通に「これまでに約40回、握手会に来ているという会社員(25)は、」でも十分通じるじゃん。
なのになんで載せるんだろうか?
まあ、この人も40回も握手会に行くくらいだから、周囲にオープンにして、後ろめたさを感じていないんだろうし、だからこそ名前を載せることを許可したんだろうけど・・・
日時:2014年6月28日(土) 18時30分開演(第2回公演)
入場無料だが、ハガキによる事前応募・抽選制である。つまり私の個人情報は防衛省に把握されたw
原題は「シェルタリング・スカイ」。
同名の映画があるが、特にそれとは関係ない模様。ちなみに映画の方の音楽は坂本龍一氏の担当で、ゴールデングローブ賞受賞らしいので、今度聞いてみようと思う。
曲は終始穏やかで、オーボエの澄んだ音色とトランペットの柔らかな音が印象的だった。
「オリエント急行」「ドラゴンの年」「ハーレクイン(ユーフォニアム独奏曲)」などで有名なスパークの曲ということで楽しみにしていた。期待通りのスパーク節を、厳選された編成の音楽隊が見事に演奏した。
これ以上吹くと崩れる、というギリギリのところで荒ぶるホルンの音が、吹奏楽サウンドのホルンで、とても気に入った。
トランペットは途中で舞台裏で演奏するのだが、舞台裏から聞こえるフレーズとしては相当難易度が高く、スパーク先生鬼だ……と思った。
パーカッションは、上手からひな壇にかけてかぎかっこの“「”字状に配置されていたが、上手手前に「パチン」と打ち合わせる楽器(名前が分からない……スラップスティック?)、上手奥にタンバリン、上手中央にスネアと、結構離れているのに終始揺るぎないリズムを刻んでいて安心して聴けた。
ロビーでも放送で流れたのは、カフェで休憩中の身にはありがたかった。
1部はウィンド・オーケストラ編成、2部は大編成のシンフォニック・バンド編成とのことだった。
これも期待していた曲。上手に吹くととてもカッコイイ。
曲目紹介で、1964年の東京オリンピック、そして先日の国立競技場での編隊飛行の話があった。「F-86F」「T-4」とちゃんと紹介するあたり、ニヤッとしてしまった。
演奏は文句なかったが、特にトリオのサックスが美しかった。そしてドラムセット!どこまで譜面に書いてあって、どこまでアドリブなんだろう。普通の曲ならアドリブだろうと思うのだが、なにしろ斎藤高順「航空中央音楽隊第4代隊長」の作である。一音一音忠実に……なんてことも???
服部克久氏の息子の服部隆之氏の曲。「機動戦艦ナデシコ」「半沢直樹」「ルーズヴェルト・ゲーム」など劇伴の分野を中心に活躍されている方が、航空自衛隊50周年(つまり10年前の2004年)に委嘱により作曲したもの。
トゥッティの音圧と、それに負けないツインスネアドラム。迫力のある曲だった。
この曲は、航空自衛隊60周年記念で募集した作品の中から選ばれた、コンサート・マーチ。
東京藝術大学トロンボーン専攻で首席で卒業、入隊1年3ヵ月の田中裕香さんの曲。
この曲も60周年記念。こちらは歩ける行進曲。
国立音楽大学卒のトランペット奏者で、北部航空音楽隊所属の和田信さんの曲。
トリオがEuphの旋律(対旋律ではなく)で始まるのが意外だった。
曲自体は弱起で始まり、装飾的な動きや音量差も多く、歩くのに向いているかどうか……
二人は曲目紹介でそれぞれマイクを握ったが、ちゃんと階級を名乗るのか、と思った。
一般の方で「○○会社課長の△△です」という機会はそんなにないと思う。
航空自衛官の16階級中、2等空曹は12番目、空士長は14番目である。ちなみに航空中央音楽隊長で指揮の水科克夫さんは2等空佐、4番目である。
「春になって、王達が戦いに出るに及んで」を知っていたので、期待していた。
複雑な拍子の曲で、非常に難易度が高い。「危険な空でぶつかり合う2つの対立した力を表現」とあるが、まさにそんな感じだった。
アメリカ軍のことは全く知らないのだが、第564戦略空軍司令部軍楽隊の委嘱による作曲と聞いて「564」という数に驚いた。
アンコール1曲目は「一旦地上に降りて(水科克夫さん)」ふるさと。
ここで、楽団のメンバー紹介が行われたが、北部、中部、西武、南西の各音楽隊からのメンバーが想像以上に多くて驚いた。
アンコール2曲目は空に戻って。
おそらく音楽会最後の曲として定番になっているのだろう、公式の行進曲。
やや大きなシンフォニック・バンド編成になった第2部だが、野暮ったく分厚くなることはなく、高いレベルの合奏による心地よいサウンドが維持されていた。木管の弱奏の際に一瞬、弦?と思うような、ふわりとした音が鳴った瞬間があった。
この日の空は荒れ模様だったが、ホールの中は澄んだ、濁りのない吹奏楽サウンドで満たされていた(すみだ、だけに)。