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はてなキーワード: 日常とは

2017-03-17

CCさくらってすごい作品だな

美形ロリショタホモ百合ブラコンシスコン

学校日常変身魔法バトル

思いつく限りのオタク受け人気要素

を網羅してる

http://anond.hatelabo.jp/20170317140950

ただの日常を綴った日記と見せかけて、最期の一行で不意の問題提起

自分では何も出来ないという話。

思えばずっと甘やかされて育ってきた。

以下、かなり長い自分語りが続くので注意。

先に今現在の話をしておく。

現在私は大学の2回生で、2回生とは言いながら単位を落としすぎて留年した身であるクズと言っても差し支えないだろう。実家田舎のため上京して都会の大学に通っている。具体的金額は伏せるが、親には割と多めの金額仕送りとして貰っていた。

私は長男として生まれた。結局2人目以降は出来なかったので、1人っ子として育った。

不自由ない生活をしてきた。

幼稚園の頃から愛情たっぷりに育てられた。

特に母は本当に私に優しく接してくれた。

私が幼い頃は父と母がよく夫婦喧嘩をしていて、父がよく大声で怒鳴っていたし、母が私にその愚痴を漏らすことが時々あったので、幼少期の私の両親に対する印象は、母が優しい人で、父は怒らせると怖い人、という印象であった。

当時の親や周囲の私の印象は「我の強い子」であったらしい。思い通りにならないと直ぐに癇癪をおこしたそうだ。記憶する限りでは、水泳の授業が嫌いで、水泳のある日は玄関先でこれでもかと言うくらいに抵抗していた。

母は躾はしっかりしていたので、例えば服を脱げば洗濯機に入れるとか、食べた後の食器は台所に運ぶとか、そういうことはきちんと私に教えたし、私も素直に聞いていたらしい。

私が小学校に通うようになると、色んな人と関わる機会が増えた。他の友達の家に遊びに行くようになった。遊びに言った感想は、「何だかちゃごちゃしている」といった感じだった。恐らく共働き家庭だったり、親があまり片付けたりしないような家庭だったのだろう。もちろん綺麗な家庭も、恐らく3割くらいはあったと思うのだが、子供心に「他所の家庭はもっと雑」という印象が残った。そういう余計な影響を受けて、これまで躾られて出来ていたことをしなくなったらしい。これは結局高校卒業までしていないことになるので、相当である

関係あるのかどうかは分からないが、この頃に学校でも奇行が目立つ。喧嘩が弱い癖に、喧嘩をよく吹っかけた(そして返り討ちにあっていた)。小学校低学年だからまだ許されたのだろうが、かなり過激なことをやった。クラスメイトスカートを捲ったりもした。当然学年中の女子から嫌われた。馬鹿である。当たり前のように友達は居なくなった。落書きをよくするようになった。友達ほとんど居なくなったが、ノートにでかい絵を描いて(というか落書きをして)それを見せびらかしたり、長い迷路を書いたりして、周囲の興味を引こうとしていた。健気と言えば健気である。「友達が欲しい」とよく言っていたそうである母親に泣きついたりしていた。

母親も、この時期は何故かかなり厳しかった。もちろん素行が悪くなったこともあるが、他にもゲームの件がある。私は幼稚園卒業するころあたりからゲームが好きだった。あまりにも没頭するので、「1日に30分まで」という制限を課された。が、それを素直に受け入れるわけもなく、毎日のように文句を言ったりして親子喧嘩をした。思えばなぜあそこまで熱中していたかは分からないが、ゲームは今でもかなりやっている方だと思う。とにかくゲーム人生のようなものだった。多分尋常じゃないくらいのハマりようだったのだろう。

そんな小学校低学年を送った。

中学年(3年生)くらいになると、流石にさっきのような奇行はなくなった。が、失ったものはそう簡単には戻らない。相変わらず孤独生活をしていた。この頃になると、いわゆる「クラスの人気者」に対して逆恨みから喧嘩を吹っかけていたような記憶がある(そして返り討ちにされる)。まあとにかく、喧嘩が絶えなかった。そんな時味方でいてくれたのはやはり母である。母は相変わらずゲームに関しては厳しかったが、学校での対人関係では味方でいてくれた。おそらく私の悪い点はちゃんと指摘していたのだろうが、それでも当時の私からすれば無条件の私の味方だった。

悲しいことに、それでも自分の思い通りにならないことがあると癇癪をおこして親に暴言を吐いたりしていたらしい。

高学年になると、県内進学校目指して中学受験勉強をするようになる。低学年の頃から学力の高さには自信があり、塾ではほぼ成績1位であった。まあ、自主的勉強していたわけではなく、自宅での勉強は母が付きっきりだった。しかし、受験しようと言い出したのは私自身であり、親としては別に受験はしなくてもいいという意見だったそうだ。負けず嫌いだったのもあり、勉強苦痛だったが我慢してやれていた。

この頃になるとわりと多くの友達が出来ていたように思う。まあ、親友と言えるほど親しい相手は数人なのではあるが。

小学校通して、友達が少ないという割には活発で、よく色んな人と遊んだ矛盾しているように聞こえるが、要するにそんなに仲良くない人にも突っ込んで遊びに誘っていたわけである友達を人数で計って多い方がいいと言う単純な発想で、家に1度に多くの人が遊びに来た方が偉いという考えである。今思えば極端すぎるが…まあ、自分の好きなもの優先なので、病院に行く予定があるのに勝手に遊びに行く約束を重ねてそちらを優先しようとしたりとかしていた。自己中心的の極みである。まあ、当然親に怒られるのだが…

そしてついに女子からの評判は最悪のまま小学校生活を終えた。まあ、妥当である。ことあるごとに私のことが嫌いという態度を取るので(一種いじめである。いわゆる「〇〇菌がうつる」とか、席替えで隣になった女子が机を離すとかは日常茶飯事)、こちらも腹が立ってよく喧嘩を吹っかけていた。今思うと馬鹿であるが。女子というものは口達者で、特にそういうところが嫌いだった。女性なんて信用してなるものか、女性というのは陰湿で口達者で陰険で裏表のある連中だ、と子供心に思った。

無事志望校合格して中学生になった。この頃からコミュ障を発揮し始める。元々喧嘩を売るしかコミュニケーションの取り方を知らないのだから仕方がないのかも知れない。人との距離の取り方が分からない。友達が出来なかったわけではないが、そんなに多くはなかったと思う。この頃ラノベにハマる。オタク路線まっしぐらである…かと思いきや、意外とドライであった。色んなラノベ漫画を読むのではあるが、一つの作品キャラにどっぷりハマることは無かった。グッズなどはあまり買わなかった。

相変わらずゲームが好きだったし、その事で母と揉めていたのも相変わらずである。ただ、褒められる機会は減ったような気がする。相対的に怒られることが増えた。この頃になると、私にとっての母の印象はただ怒る人になってきていた。

この頃「うごメモ」に出会う。当時DSiパラパラマンガアニメーションを作れるソフト配信されていたのだか、これが使いこなすと結構クオリティの物が作れる。これをインターネット投稿出来るのだ。凝り性な私が作ったうごメモ一定の評価を得た。そのジャンルではそこそこ名の知れたという程度の作者にはなった。どハマりしたのは言うまでもない。やはりそこでも母との対立であるクオリティの高い作品を作りたいのに、時間制限(しかもかなり短い)を課してくる母が憎かったのは覚えている。

まりにやめようとしなかったので、ついにそのDSi永遠に没収された。突然の引退である。同時にゲーム禁止令を出され、これが4年間続くことになる。うごメモ続けたかったのに。

一方で生活面ではさながら幼稚園児かというレベルでの親への甘えっぷりが続いていた。至れり尽くせりである。何でも母がやってくれるのである。この頃から生活面での親へ依存から全く抜けられていない。要するに親離れ出来ていないのだ。この時点で母も対策すべきだ思うが、甘やかしてこのまま放置されていた。

中2のとき初恋をした。クラスの中でもかなり可愛い子であり、要するに私は面喰いだったわけである。先述の女性不信の癖に、「この子だけは純粋無垢で優しくて大丈夫」とかい根拠の無い自信があった。ハマるととことんハマって思い通りにならないと嫌な我の強い性格がここにも発揮されたのか、とにかく追いかけ回す、その勢いまさにストーカーと言っても差し支えない。当然嫌われる。だが、その子は優しいので直接的に迷惑と言わない。告白してもフられるものの、嫌いだとハッキリ言わない。そういうわけなので、私は「ワンチャンある」と3年間くらい信じ続けるハメになるのだ。

そのくせ、何故か他の女の子にもアタックした。いや、アタックしたというか、ただ手当りしだいに告白してただけである。その人数たるや7人である。たぶん誰でも良かったんだと思う。誰でもいいから、異性に好かれたかったのだ。女性不信のくせに。結果は全滅である。当然といえば当然。まあ仲のいい女子なんてひとりも居なかった。関わる機会が無かったわけではないはずなのだが…部活女子の方が多いのだが、部のほかの男子女子と仲いい癖に私はなんとなくその輪の外にいたような感じだった。私だって女子と仲良くしたかったのに。ずっと決まった男子とつるんでいた。間違いなくスクールカースト下層だった。

こういう学校のことは、親にはあまりさなくなっていた。なんだか恥ずかしいのである。なんというか、学校生活、つまり小学校より成長した感じを両親に見せたくない。ずっと小学生のままで居たいような感覚である。要するに甘えてるのだ。この期に及んで。一丁前に恋なんかしてる姿なぞ死んでも見せたくなかった。

高校でもこんな感じである。この頃にはすっかり物事に対するやる気というものをなくし、宿題すらやらなくなって行った。学校に行ってる間は授業はそこそこ真面目に受けるのだが(人並みである)、自宅では全く勉強しない。面倒くさいし、自主的勉強してる姿を親に見られるのが何より気持ちいからだ。

まあ、塾に行っていたのと、学校での授業はそこそこ真面目に聞いていたお陰で、わりといい大学には合格したのだが、自習はほぼ全くしていない。勉強する習慣も皆無である部活も、文化部ではあったが、練習は真面目にやらなかった。努力らしい努力をしてない。この頃にはもう何かを頑張ると言うことをほぼしなくなっていた。何故だろうか…。

ずっと家でこっそり買ったゲームをしたりとかしていた。

そういえば中高生とき携帯スマホの類は親が買ってくれなかった。理由は明白である。まずゲームの件があるから電子機器を与えるのはまずいし、トラブルを引き起こすことも多くメールなどさせたくなかったのだ。一方私としてはそういう電話とかメールとかLINEかいう繋がりから自分が疎外されているのが嫌で、またそれが原因で輪に入れないのが嫌でやはり抗議した。そして親子での衝突は絶えなかった。

そして大学一人暮らしである

親に甘え続けスネをかじり続けた結果、ろくに身の回りのこともしないクズ大学生の出来上がりである。面倒くさいので次第に出席すらしなくなり、面倒くさいのでテスト勉強はせず、部屋の片付けもせず、洗濯は週1回、辛うじて風呂にだけは入るという堕落しきった生活である自炊などもってのほか仕送りは遊ぶ金(しかも大概一人で遊ぶのである友達もほぼ居ない)に消える。自分自身酷いと思う。

少しは書いたが、高校までの私の親に甘えきった生活も改めて書くと、

着ていた服を洗濯機に入れるなどせずに脱ぎ散らかす

食べ終わった食器放置

偏食が激しく母にはわざわざ別メニューを作ってもらう

部屋の片付けも母担当、の癖に母の片付けにいちいち文句を言う

風呂入る順番と時間文句を言う(入りたい時間に、1番目に入りたいのである)

などなどまあ酷いものである。下二つは文句を言って結局喧嘩になるのだが上三つは本当にそうであったのだ。ちなみに偏食の件、最初は本当に偏食であったのだが今は大体の場合「親の前でだけ食べられない」感じである。親がいないと普通に食べるものも多い。

まりに酷いので私自身が高二あたりの時に「小さい頃甘やかしすぎたからこうなった」みたいな事を親に言ったら「私の育て方は間違ってない、あんたが勝手にそんなクズになっただけだろ」と言われた。でも親に甘えちゃうから自分から直す気がないあたりが私のクズっぷりである喧嘩ばかりしてきているし親は嫌いだ。でも親に依存している。

最近は「努力ができたらなあ」と切に思う。目標があっても、そのためになにもしないので何も変わらない。面倒くさいからだ。何か行動を起こし継続して努力出来れば、とよく思う。でもできない。自分の好きなことにすら努力出来ない。

ただ、人にちやほやされたいだけ。承認欲求の塊である過去孤独からだろうか?親の愛情は少なくとも幼少期はたっぷりに受けてきたはずだ。自分に自信が無い。どうしてだろうか。虚栄心ばかりだ。まるで山月記の李徴である。臆病な自尊心尊大羞恥心の獣である。変なプライドだけはある。

さて、どうしようか。

2017-03-16

中2の頃のカースト最上男子がブスで驚愕した

懐かしくなってふと中学卒アルを見てみたのだけど

中2の頃にクラスで一番影響力を持っていたスクールカースト最上位の男子の顔が平均よりかなりブスで驚愕した

(目頭の皮?が張り出したキツい一重で、鼻が低くて横に広がっていて、おでこが妙にへこんでいる)

私が中2の頃はというか、今になるまで、その男子に対してブスというイメージを全く持っていなかった

とにかくクラス支配している怖い男子というイメージがあるだけで、顔について何の記憶もなかった

 

空気に飲まれているときって冷静な価値判断が出来なくなるんだね

恋愛工学テクニックもこれなら通用してしまうかもしれないって思う

ブス顔であることがわからなくなるくらい支配的な空気をつくれば押し流せてしまう…

マスコミにはサイコパス多いって言うけど最上男子みたいなタイプがたくさん居るのかもしれない

空気をつくって大衆操作するのが上手いっていうか、正常な判断力を失わせるのが上手いっていうか

すごい、長年の呪いが解けたみたいな謎の感覚だ…

 

最上男子女子ワーストブスランキング主催するなどして恐れられていたのだけど

あと日常的に気弱で頭のぼんやりした男子を小突き回して笑いものにしていたのだけど

やりたい放題に振る舞いながら「鏡見ろよ」みたいな下剋上展開もなく、最後まで君臨していたな

みんな最上男子の顔を冷静に判断できてない、ブスだなんて思っても居なかったと思う

中3になってクラス替えで別れたから良かったけど、そいつが君臨してる中2の間は

誰がワーストブスになるか、ワーストキモ男になるか、最上男子の顔色伺って怖がってた

同窓会で会ってないからわからないけど、面接官も空気支配して、良いところに就職して、そつなく生きてそうだな…

 

私は共学の公立高校から共学の国公立大学に進んで、男性率が高いから男女両方と交流してきたんだけど

思い返せば見た目が普通以上の男女は好感度が高い順ランキングをすることはあっても

キモい、嫌いな異性についてランキングにすることは絶対に無かったわ

特定の一人の特定行為について最悪だと悪口を言うことはあったけど

何もしていない人でワーストランキング作るという発想は無かったと思う

この強制エントリーワーストランキングというの、本当に効果的な支配システムだな…

多くの人々は自分ミスターミスに選ばれることまでは期待してなくても、ワーストに選ばれるのは怖いと思ってる

そういう心理を利用して審査員みたいなポジションに収まって最上位…賢いよな早急に死ねばいいのに

http://anond.hatelabo.jp/20170316120309

例えば 天文学で用いる「光年」という距離は約9兆4600億kmで、日常的に使う数字とは桁がかけ離れています

そこから天文学的確率」とは桁外れに低い確率のことを意味します。


少なくとも2010年には、秋元康作詞の歌で使われてるようです。

そもそも、主人公記憶喪失で始まる物語シリアスじゃないってどういうことだよと。

記憶喪失日常やほのぼのには有りはしないと、少なくとも建前上はそういうことにしておくべきなのではないかと。

http://anond.hatelabo.jp/20170316102742

で、お前の中では「最終話」と「最終話手前の数話と最終話」、って厳密にやらなきゃいかんわけなの。めんどくさいね

あと2016年限定っていうお前の時期限定提案には乗れないな。乗る必要性がない。



例えば『キルラキル』だったらおバカ路線ではなく最終的には自分の肉親を倒すという深刻なものへと変化していった。

男組』のパロディだとしてもそこまでやんなくても成立はしただろう。まあただし『キルラキル』の場合急激にとはいえないか

FREEDOM』もそうだな。途中までロードムービー風だったのに急激に政府主人公みたいな展開へ向かっていった。

世界征服謀略のズヴィズダー~』では09話まで温泉回とかやってのんびりしている。

もちろん総理などの伏線は敷かれているが、作風のんびり展開はシリアス路線とは言い難い。

まりシリアスコメディバランスがやや悪い。

例えば有名なシュタゲなんて、伏線を敷きながら空気だけは全く日常的で10話まで動かなかった。

その後急展開を詰め込んで変わったがこれは例外的に良かったと思う。

あと初代トップ最初馬鹿展開そのものだったが、最終的に宇宙の存亡と地球の存亡を天秤にかける話に発展している。

多分共通しているのは空気継承するための幕展開が急転しすぎる、というところにあるんだろう。

http://anond.hatelabo.jp/20170316031410

大衆祭りを求めている…。

ただそれだけのことなんだと思う。

みんなで、ワッショイワッショイしたいだけで、元ネタなんて何でも良いのだ。



神社神輿を担いで盛り上がってるおっちゃんに、この祭りの由来・縁起を尋ねても答えられる人はそう多くは無いはずだ。

そして、祭りが終われば、退屈な日常に戻り、また新たな祭りを求めて彷徨い続ける。

弥生時代から続くこの習性は、日本人遺伝子に深く刻み込まれている。

2017-03-15

http://anond.hatelabo.jp/20170315173015

日本じゃない国だと学生でも政治に強い興味や関心を抱いていて、日常会話の中に平気で政治的な話が混じってきたりするんだよね

政治に関心を抱くとかじゃなくてお前が筋トレすらせずに怠けてるだけだろ

デレステユーザを増やしたけれど、世界観を狭めたかもという話

先日のミリ4thで見たPVを元に、ぼーっと思った内容を書きました。

結論ありきの文章なので、理論はめちゃくちゃです。あと、モバ稼働3年目くらいからのにわかなんで、それ以前は知りません。

シンデレラの現状

今、シンデレラの勢いはすごい。ライブの会場は順調に大きくなり、ツアーも組めるようになった。

アイマス全体を見ても、いま一番の稼ぎ頭なんじゃないかなぁ。

そんななかで本家とも言えるモバマスは、イマイチその流れに乗り切れてない気がする。

まぁ、ただ、ぶっちゃけデレステがなくてもアクティブユーザは減ってるんですけどね。

デレステサービスインである2015/9以前から減り続けてるらしい。)

参考 : https://ppdb.momoka-sakurai.com/stat

シンデレラの優位点

そもそもシンデレラが受けた点って、良くも悪くもアイドルが多かったことだと思うんですよ。

とりあえず触れてみれば、誰かしら「この子は!」ってアイドルがいる。

さらにそのアイドルを起点に、関連ユニットだったり、イベントで一緒になったアイドルだったり、言うなら「どんどん推しが増えて行く」状態

そうすると有名な絡みは自然と、マイナーな絡みは自作自演的に二次創作とかが増えて行く。

どんどんコンテンツが広がっていくような感じがしたのです。

モバマス時代

まぁ、それでも格差はあった。人気アイドルは目玉SRになり、不人気アイドルはおまけのRというのが多かった。

誤解のある文章だけど、それなりに事実だと思う。

それでもイベントライバルユニットだったり、メダルSRだったりとそれなりの出番はあった。

シンデレラ慈善活動じゃないので、リターンのあるアイドルに注力するのは当たり前だけど、それでも頑張ってた(と思う)。

モバマスイベント

そんな格差をちょこっと補うのが、イベント多様性だったかなと(not イベ種類)。

単に札束で殴りあうフェスもあれば、ストーリー制のあるツアーもあったりした。

アイプロに限っても、ネギバットにするユッキが居れば、お嬢様を目指す薫ちゃんも居た。

イベントを起点に、世界観を広げられる要素があったんじゃないかなーと思うのです。

あと、まぁ使い回しも多いですが、ライバルユニット存在も。

よくライバルユニット一覧がTwitterとかで流れてますけど、実に多かった。

そこから絡みに目覚めた人も居るんじゃないですかね。

ミリマイティセーラーを見てて思ったのはこの辺です。

余談ですけど、アイマス自体の利点にアイドルに使い勝手が良いってのを聞いたことがあります

アイドルが歌って踊るのは当たり前だけど、時代劇をしてもそれは仕事だと言ってしまえば納得させられるからだとか。

確かにガンダム時代劇してたらおかしいですよねーと言う程度のお話ですが。

デレステイベント

じゃあ、デレステはどうなんだという本題。

デレステイベントは、もう曲ありきという時点で制約が多すぎる。

まず、世界観を広げようにも、それにあう曲が居る。そして歌う以上は声付きじゃないと無理ゲー

さらシステム的な問題か、イベントに出せるのは5人までという制約もある。

これじゃ、特定アイドルを好きになっても、それ以上は広がらない。

しかも、声付きで回してる関係か、やっぱ絡みに限界があって、これもまた広がらない要因の一つ。

あと、イベント世界観も狭い印象がありますね。

ヴァルキュリアとかは良かった印象ですけど、ストーリーはそこに居たるまでの日常だったのが残念です。

モバならヴァルキュリア世界自体イベントに出来た気もするのですが。

一端のまとめ(?)

シンデレラの利点はアイドルの多さと、絡みの多さだった。そして、それに伴う世界観の広さだった。

しかし、デレステはその利点をどうにも生かし切れてない感がある。

んじゃ、どうすりゃ良いのか

デレステモバマスもっと絡ませれば良かったんじゃないですかね(鼻ホジ

いや、結論がほいほい出てくるなら増田愚痴ってないで、運営メールとか出してるわけで。

世界観が広くて、ユーザ勝手妄想を広げてくれてると、運営材料提供するだけで良いかなと思ったりしますが、

デレステメインで行く限りは難しいんじゃないかなーというところです。

であるなら、まだ世界観を広げらせ続ける余地のあるモバマスと、勢いのあるデレステで絡ませれば、

デレステで稼いだユーザをモバに取り込み、自作自演でのコンテンツ活性化が見込めるかもという感じです。

他のアイマスコンテンツ

先日のライブでMマスもミリも、新アプリの発表がありました。

詳細が発表されていないのでなんともですが、単なる音ゲーだと同じ事になりそうだなぁと思います

以上、シンデレラユーザ妄想でした。

マルチタスクしようとする癖

つの思考フォーカスを当て続けられない。

何かを考えてる最中に別のことに意識が飛んでしまう。

集中力がない

つの動作完了する前に欲張って別のことも並行して行おうとしてかえって時間がかかる。

日常的に要領悪いなと感じる瞬間がある。

まともにしたことないけど、多分料理を作るのは苦手だと思う。味付けどうこうの話ではなく手際のはなし

ときどき自分発達障害とかその辺の障害持ちなんじゃないかなんて思う時がある。(多分違うだろうけど)

2017-03-14

自分

当方大学3年生、就職活動真っ只中であり、先月失恋したばかりでもある。以前とある就活セミナーにおいて、「自分史」を書くと自己分析捗ると言うので纏めてみようと思ったのだが、なんだかダラダラ書いてしまいそうになるので、人の目に触れるという条件ならばちゃんとした文章になるのではないかと、此処「はてな匿名ダイアリー」に試験的に投降してみた。


以下、私立文系現役就活生、その半生のあらましである


誕生小学生時代

私はとある裕福な家庭に、長男として誕生した。

母は底辺出身で、元ヤクザ幹部を父に持ち、成り上がる為にスパルタ教育を叩き込まれ秀才であったものの、「女性である」というただ一点で、評価されることなく、夢叶わなかった人間である

父もまた、底辺出身であり、米の代わりに芋を食うような家で育ち、早くに両親を亡くした境遇を持ちながらも、最終的にはF欄大学だが主席卒業し、好きな分野で食っていこうと考えていたが、推薦で入社した会社が急成長を遂げ上級管理職となってしまい、念願の技術屋にはなれなかった人間である

そんな両親の元に、私は産まれた。

母親は自らの経験から所謂教育ママに、父親は古風な家庭で育った為、マナー生活習慣にこと厳しかった。

両親は私を教育するために、自らのストレス妄執をぶつけてきた。

「どうしてこんなことができないのか」「私はあなたにこんなに投資しているのよ」「お前の為にやりたくもない仕事を続けているんだ」

両親の理不尽社会に対する呪詛が、私の実存破壊していった。

私はまた、いじめを受けてもいた。当時はまだ運動もできずどんくさい奴だったからだ。殴られたり蹴られたり、避けられたり、悪口を散々言われたりした。

親にいじめ告白したものの、「男ならやりかえせ」の一点張りでとりあってはくれなかった。

憎かった。両親が、周囲の人々が、社会が、世界が。

両親に叱られる度に、いじめられる度に、「殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す…」と自分の部屋で唱えていたのを覚えている。

本気で両親やいじめっ子を殺す計画を立てたこともあるし、逆に自殺しようと思ったこともあった(いずれも発見されたことで未遂に終わっている)。

上記の計画が失敗に終わった為、何も感じなくなるように、心を殺せるよういつも自己暗示をかけていた。

力が欲しかった。死にたくなかった。生き抜く力が欲しかった。そして認められたかった。愛されたかった。


そんな自分に味方をしてくれた人間が一人だけいた。祖父であった。

祖父はどうやら自分の娘にスパルタ教育を施したことを負い目に感じているようで、両親(特にからから暴言を良く諌めてくれた。

共働きの影響でよく一人で夕飯を迎えなくてはいけない自分に、良くご飯を作ってくれた。(味は大味すぎだったが)

昔の話を交えながら、「力」について色々と話してくれたのを覚えている。暴力権力学力、魅力…生きていくための力について…

戦中戦後混沌とした日本を力が物言う世界の中生き抜いた祖父一言一句には、老い衰えながらも凄まじい説得力があった。


中学生時代

私立に進学させようとする母親に対し、祖父後ろ盾を得ることで私は無事希望通りに公立中学校に進学することができた。

祖父から「力」について学んだ結果、小学生時代において最底辺だった自分スクールカーストものの見事に逆転した。

陸上競技を始めたことで身体を鍛え、喧嘩も強くなったし、会話術を学んだことで周りから慕われるようになり、部活部長や、生徒会長などリーダー役割兼任したり、学力も向上しトップはいかないものの上位に食い込んだ。そして異性の友人がぐんと増えた。これまでの環境が一変したのだ。

だが母親干渉は止むことはなかった。認められることもなかった。学業邪魔になるから課外活動は止めろと言い、トップになれなければ意味はないと口うるさく言ってきた。無理やり塾へ入れたりもした。

そして環境の変化は「人の心というのは力次第でこんなにも変わってしまうのか」と一種疑念を抱くきっかけにもなった。

それでもなんとかやっていけたのは、唯一本音を話せた祖父後ろ盾と、貧乏すぎてろくな学生時代を送れなかった父親わずかばかりの支援があったからだ。課外活動を維持できたのは父のおかげである

(父は学業、というか母の行動について全くと言っていいほど干渉しなかった。巻き込まれるのが嫌だったというのもあるが、仕事に手一杯で余裕がなかったというのもある。事実ウツ一歩手前であった。)


だがこんな日常が長く続くことはなかった。


母の希望によって、確実に試験突破できる県で2番目に高い進学校入学することが決定したその日、唯一心から信頼していた祖父自殺してしまった。祖父肺炎に長くかかっており、これ以上迷惑をかけたくなかったということ、妻(祖母のこと)を亡くしてからずっと孤独を感じていたということが遺書には記してあった。そして「生きろ」とも。

私が祖父の亡骸を観た時、感じたのはひどい喪失感と「生きることに逃げた」という感情から来る怒りだった。

コレ以降、母の私への干渉は激化することになる。



高校時代

私は初めて心から挫折を味わうことになった。私が進学した高校田舎にあったため、小学校から高校まで、ほぼそのまま上がってくる人間ほとんどであり、既にクラス内にコロニー形成されていた。異なる地方から来た私は、その風習に上手く馴染むことができなかった。

加えて、地頭いいわけでは無い私に対し、周りの人間自分より何倍も優秀な奴らばかりであり、中学時代形成されたちっぽけなプライドはぐしゃぐしゃになってしまった。存在理由否定されたかのようにも思えた。

また、再びいじめを受けることになってしまった、いや、巻き込まれたと言ったほうが正しいだろうか。

入学当初、私と同様、雰囲気に馴染めずいじめられている生徒がおり、私は一度正義感故に彼を庇った。それをきっかけに私もいじめの標的となった。担任先生にも相談したものの、「彼(いじめられていた子)の面倒は君が見てくれ」と聞き入ってはくれなかった。(その先生が私が入っていた陸上競技部顧問だったのだから笑えない)

いじめは年度を超えて行われ、いじめられていた子がいじめを苦にして高校を退学し、いじめ実行犯学校から指導を受けるまで続いた。2年次の後期まで続いた。

学校はその事実隠蔽した。

その結果、部活遠征中に競技出場名簿を改ざんされ体育祭に出ることは叶わず(当日までわからなかった)、

女装して踊る予定だった文化祭は前日に衣装を何者かに隠され(これまた部活遠征でいない間の犯行だった)出演することができなかった。(当日来てくれた他校の友人たちに色々謝ったのを覚えている)

その他はまあ陰口や悪口無視程度で済んでいた。いじめは人の業だと割り切っていたし、自分の心を殺せば、特にダメージはなかった。


後ろ盾を失い、学校はいじめを受け、家では両親から干渉され、行き場を失っていた自分は、性に逃げていた。我ながら最低だったと思う。

中学時代に作った女友達のツテを使うことで、絶えず女の子を紹介してもらうことが出来た。

の子の家庭環境や、生い立ち、タイプ男性など様々な情報を聞き出し、ニーズにあった男性像を演じれば、簡単彼氏彼女関係になることもできた。(例えば片親の子なら包容力のある、甘えられる都合のいい男だったり)

承認欲求を満たし、そのうちに罪悪感に苛まれ自分から関係を切っていくというループに陥っていた。最低だと分かっていながらも止められなかった。

そして人の心に対する疑念は更に高まっていった。


いじめが止んだ高校3年次

なんと今までじぶんやあの子いじめてきた人間が、取り巻きが、なにごともなかったかのように普通に親しげに接してきたのだった。これには絶望した。本当に絶望した。いじめ自体は人の業だと、生物習性だと、遺伝子しかたないのだと、割り切ってきた。仕方のないことだと。心を殺して耐えればいいと。しかしなんだこれは、お前らは十字架を背負うこと無く、一切の反省もなく、悪びれもせず、気まずさもなく、あの時俺が挨拶をしたら無視をしたくせに、ただ自然に「おはよう」だと?「いっしょに昼ごはんどう?」だと?「あいつ(いじめ主犯)最悪だよね」だと?グループワークで一切否定してきたくせにこんどは尊重だと?一緒に勉強しないかだと?なんなんだお前らは一体何で出来ているんだタンパク質か喋るタンパク質なのかこれが人間かそうかそうかこれが心か


今まで私は人の心を操っていた反動で、くだらないことにある種「理想的人間関係」というものを思い描いていた。お互いにお互いを高め合える関係 友情努力勝利

いつか素晴らしい友達出会えるのだと、そう信じていた。



私はほとんど学校に行かなくなってしまっていた。公園にいってひたすらに筋トレや走り込みを行い、図書館に篭り、救いを求めて哲学書や思想書、自己啓発書宗教の本を読み漁り、

部活だけ出て帰る。授業をバックレることもあった。幸い制服が無く、度重なるストレスのせいか老け顔なので、補導されるというのはなかった。親に見つかっても怒鳴られるのを耐えればいいだけなので、平気だった。

本を通じて様々な思想を取り込んでいく中で、ただひたすらに耐えるだけだった親に対しての反抗心が芽生えていくのを感じた。

そして遂に「俺はお前の人形じゃないんだよ」と叫ぶことができた。「ごめんなさい」と泣かれた。「すまなかった」と言われた。12月クリスマス前のことだった。


受験勉強をすっぽかして読書思索にふけった結果、案の定成績はビリから3番目であり、浪人をすることになった。




大学時代

から刷り込みによって、座学が完全にアレルギーになってしまい、勉強をすればするほど体調が悪化しながらも、なんとかそこそこの私立大学に潜り込むことができた。

続きは後で書きます

今の中年おっさんって

子供の頃から日常的にスナック菓子を食ってる最初世代だと思うんだけど、上の世代と比べて健康状況とかどうなん?

からさまに食い過ぎなければ安心して食ってて&子供に食わせててもいいの?

病院へ行くのは本当に正解か?

https://togetter.com/li/1089953

うつ兆候が出たら病院へ行けという記事がバズっているが、即病院という選択肢ちょっと待ったほうがいいんじゃないだろうか。

生命保険住宅ローンを組めなくなるリスクがあるんだけど、将来家庭を持とうと思っている人はどうするんだろう。この件に言及する人があまりいないのだけど、家庭持ちでうつの人はどうしているのだろうか?気になるところである

一応俺の話をしておくが、3年ほど前にパワハラ上司の元に配属されてメンタルボロボロになり、部署異動や転職を繰り返した挙句なんとか日常復帰できたところだ。なのでうつの人の痛みはある程度理解しているつもりなんだが、リスクが怖くて結局一度も病院には行かなかったんだ。

2017-03-13

おっぱいに寄せて。

まず始めにこれは作文ではない。ましてや作文に対する御大層な解説でもない。本来はてな匿名ダイアリーの使い方だろうと思う。戯言だ。そして、作文をアップした私の逃げ道だ。

ここ数日で2つの作文をアップした。どちらもなんてことな日常だ。私は今までここ(どうやら増田というらしいですね、なんででしょう)の存在は知りつつもアップすることはなかった。なぜ作文したのか、する意義は何なのか、そして公開する意図は、おっさん創作だろう、すべて分からないままだ。多分それがここの面白いところだと私は思っている。

1つ目の作文をアップした深夜、ここは全くと言っていいほど閑散としていて、URLを付けてナメクジと書かれ、まあねと思いながら寝た。翌々日、ナメクジの作文に300以上のブックマークが付いていた。ドキドキして困惑した。(このフレーズは追記した後ダサいなと思って消した)コメントも1つ1つ読んだ。引用しているブログも読んだ。ついでにツイッターRT先まで回った。気持ち悪いでしょう。嬉しかったんだね。

その中のコメントおっぱいと私との和解だと評されていた。確かに。シャツ問題など眠くなったのと飽きて仕上げきれなかった(コメントで見抜かれていた)分も含めて、おっぱいと私が折り合いをつける過程タラタラと打ち込んだに過ぎなかった。私はこの客観的意見に対して、正しさの違和感勝手に持った。

私の中で、おっぱいとの雪解けはもっと後のことだったからだ。ここから自己分析に過ぎないのだけれど、1つ目の作文は物理問題に対する和解であったのだろう。精神問題に対する和解自分では良さの分からないおっぱいを、自分が好いとする人に良いとされるまでなかったのだと今更わかった。作文の言葉を借りるとすれば、物理問題に対するサポートメンバーブラジャーであり、精神問題に対するサポートメンバーは彼であったんだと気づいた。

2つ目の作文をアップするときこれは読まれないだろうなと思った。2番煎じは好まれないし、自意識過剰に文を教科書的に作り上げたからだ。なぜかといえば、恋愛話をするのが好きではないからで、ダブルミーニングや状況で彼の変化、「この時の作者の気持ちを答えなさい」的文を入れ込んだためだ。

しかし、幸いにもどちらの作文もたくさんの人に読んでもらえたようで、こそばゆい感情をこそばゆく噛み締めている。正直もうネタはない。今冬、乳首に余ってるリップクリームを塗ったらモチモチになった話ぐらいしかない。そして今使ってしまった。オススメしよう。

また面白おかしくできることがあれば、作文しようと思う。

おっぱいぶるんを越えるのは到底無理なので静かにアップすると思う。3つくらいコメントつくといいな。

今日は早めに寝よう。

おしまいおやすみ

検索」が軽視されている気がする

はてブって、ちゃんと使いさえすれば「何となく覚えがあるけどググラビティが低い記事」とか、

特定話題に関連した記事」とかを検索するのにめちゃくちゃ便利なんだけど、

なんだか「はてブを本当にブックマークとして使うなんてありえない」みたいな風潮になってるよね。



「○○が人気らしいけど誰が話題にしてるか分からない」「××って誰も話題にしなくなったよね」なんて人もときどきいるけど、

そんなのTwitter検索すれば一発で分かるじゃないかと思うんだよ。

日常会話の宝庫だよ。新語流行時期や用法の変遷なんかも時系列で分かるんだよ。ちょうべんり。

でも世間的には「誰だか分からないどうでもいい人間の呟きなんて何の役にも立たないから削除しろ」という人が多いよね。

百歩譲ってフロー情報としての価値は認めていても、ストック情報としては見ていないというか。



Googleが出てきて、Web2.0とか言ってた当時は、「あらゆる情報を整理する」って、

さまざまな手段を駆使して欲しい情報に辿り着いてやるという気概を皆が持っていたけど、

いまやその新鮮な気持ちが失われてしまったように感じる。

SEOスパムが横行した結果として、

検索しても仕方がない」という諦めが蔓延してしまったとのかもしれない。

ググれカス」が単なる形式的言葉になってない?

本当にググってる?

http://anond.hatelabo.jp/20170313092932

ほんとこれなんだよね。

関西に住んでいた人に、「埼玉古墳あるから」といっても響くわけがない

奈良は「なんかしらんけど、裏山が古墳です」みたいな土地だし

石舞台古墳百舌鳥古墳群あたりの有名どころが日常にあった人に対して、

関東古墳提案されても「へーじゃあ足を延ばして見に行こうか」なんて思う人は

よほどの古墳好きだし、そういう人はすでに行ってるだろう。

美術館博物館薦める人も多いけど、

確かに価値ある展覧会東京しか見れないものも多いので、私も上京した当初は楽しみにしていたが、

人気館は、土日は死ぬほど並んで、やっと入れたら大混雑、立ち止まってじっくり見ることすら許されない。

ベルトコンベア状態の観覧なんか落着けないので行かなくなった。

増田が言いたいのは本人も書いているけど、「特別凄いものがあるわけでもないところに人だけが凄い」ところで

場所にしてもイベントにしてもお店にしても食べ物にしても、実は大したことがないものを「これは凄い!」と煽って大行列になるのって

東京あるある」なんじゃないかと思う。

じゃあ何がおすすめできるかというと、

もし増田寺社仏像が好きなんだったら、関東では期待に応えられないから諦めろ。と言うしかない。

興福寺阿修羅像程度であんなに行列ができるのが東京なのだ

ただ、東京のお神輿が出てくるお祭りは、江戸っ子って感じで関西では味わえない魅力があるし

伯爵侯爵が住んでいた西洋建築物赤坂迎賓館(事前申込制だが)などの明治時代建築物庭園お勧めできる。

西洋建築物はかつて神戸にも多くあったが、阪神大震災で壊れたものが多いので、

日本橋三越でも私は充分わくわくできる。

一人の人間ネットメディアにイジり殺されたのになんかみんな反応薄くない?

こんなのはもう日本日常風景なっちゃったって事なのかな

入社数ヶ月で憂鬱気持ち新入社員に向けて

時期的に早いかもしれないけど、一社長として、あくま個人的な思い。



何でもそうだと思うけど

最初はわからないことだらけで悔しかったり、嫌になったりすると思う



どうしても合わないのであればすぐ辞めても構わないが

何故「嫌」なのか、何故「合わない」と思うのか

しっかり考えてから行動に移して欲しい

でないとどこへ行っても同じことになってしま



目標や野望を見つけて欲しい

具体的で無くても良い。

楽しい仕事がしたい」とか、凄いふわふわしたもので良いんだ。



じゃあ「自分にとって」楽しい仕事って何だろなって考えるんだ

具体的な目標になるようイメージを固めていくんだ

ある程度固まってくると妥協をしなきゃいけない部分も出てくると思う

「楽しそうで自分に合ってると思われる仕事見つけたけど給料イマイチ」だからどうするかなあ、とかね



そこでまた考えるんだ

どうしても譲れないものは何かって

やりがい給料?対人関係

そのうち考えるのも嫌になってまたいつもの日常に戻ってしまうかもしれない



数日で答えは出ないと思うが、考えるのは辞めないで欲しい

日々感じた自分感情としっかり向き合って欲しい

「嫌」なのは何でだろう、怒られたから?本当はやりたくないから?

「嬉しい」のは何でだろう、褒められたから?認められたと思うから

人が死ぬということと、それを認識するということと。

22年前、同じ学校の生徒が死んだ。特に仲がよかったわけでも同じクラスだったわけでもないが、講堂で行われていた色々な儀式によって、その人が死んだということを理解した。新聞にも載っていたらしい。当時小学生だった自分新聞などはもちろん読んでおらず、その死を知ったのは学校に行ってからだった。



16年前、祖母が死んだ。父方の実家に行き、大きめの葬式に出席した。顔や名前をちゃんと知っている身内の死は初めてだったが、何の実感もなかった。葬儀場の大きさに驚いたり、お経の長さが印象的だった。数年に一度程度しか顔を合わせない祖母の死は、大したことではないように思えられたが、祖母の死を泣いて悼む参列者を見て、人の死はそれなりに大きい意味を持つということを感じた。



10年前、ネットで知り合った友人が死んだ。自殺だった。その事実は、別のネット上の友人から聞いた。本当に死んだかどうかは定かではないと思っていたが、その人のmixiが親御さんの手で更新されているのを見て、本当に死んだということを理解した。日付も載っていた。Skypeで話した日だった。そんなことはないと思っているが、最後に話した人だったのかもしれない。死ぬ気配なんて微塵もなくて、いつもみたいにバカな話をしていた。そのあとしばらく連絡が取れなくなっていて、忘れかけた頃に死んだという話を聞いた。それなりに仲のよかった彼女の死はショックだったが、物理的に距離が離れていることもあり、生きていても死んでいても大差ないなとその時は思った。



6年前、知り合いが何人か死んだ。これは多分だ。ちゃんと調べたら、間違いなく死んでいるだろうが、調べる意味もないので見ていない。その時の自分にはできることはなくて、少額の寄付をして終わった。裁判官じゃなくて医者になっていればよかったと言った友人の言葉が、心に刺さっていた。何もできない無力さに苛まれていたし、何も行動しなかった自分を恥じた。ただその時は、自分生活もなかなかにハードであり、他人に気を向ける余裕がなかった時期でもあったので、致し方ないのかもしれない。その時死んだ知り合いの誰かのことはよくわからない。多分、死んでいても、生きていても、そのどちらかであることを知る術はなくて、自分の中で死んだと思った時が、その人の死なんだということを理解した。遠くのどこかで生きている友人が急に死んだとしても、自分日常は何も変わらない。友人のことをたまに思い出し、元気でやっているのかなと思い、たまには飲みにでも誘うかと思ったりするくらいだ。自分認識できる生と死しか、僕らは理解できないんだと思う。



昨日、友達が死んだ。知りたくもなんともなかったが、普通にFacebookに載っていた。馬鹿なんじゃないかと思った。他のどうでもいいくだらない投稿と同じ場所に、同じ大きさで、同じフォントで、いいねがあって、コメントがあって、シェアされていた。人の死の知り方は変わったんだと思った。だんだん現実感のない知り方になっているにも関わらず、それを知る速度だけはあがったみたいだった。そして、その死にまつわる誰かの汚い思いや言葉も一緒に見なくてはいけなくなっていた。死んだことはわかったが、それがただの一つの投稿しか感じられず、他の投稿にすぐに埋もれさせてしまった自分の心に驚いた。刺激に慣れすぎた僕らは、人の死ですらもただのコンテンツの一つにしてしまうのだなと。命の大切さをうたう何かが今も昔も溢れているにも関わらず、命の濃度は下がったんだと理解した。



死を知るタイミングが早くなったこと、そして死んだことを確実に知れるようになってしまったことを、素直に良いとは思えない。死んでしまったことを知ったとしても、僕らには何もできない。ただ、無力感に苛まれるだけだ。知るならより近くで、そして知らないなら一生知らないでいたい。何のリアルも伴わない人の死は、知った側には何の意味も伴わない。ただただ心が塞ぎ、そしてすぐに忘れてしまうから

私の親は毒親

今回もダメだったね

ようやくあなたと仲良くなれたかなと思って近づいてみた途端叩き落とされたね

期待と裏切り失望

こんなことを一体何年何回くり返してきたんだろう。どうして仲良くなれないんだろう。どうして私の価値観を認めてもらえないんだろう。髪型、服、恋人日常、どうして逐一文句を言われなければならないのだろう。私はあなた操り人形でも着せ替え人形でもないのに

初めから期待しなきゃいいことなんてわかってる。でもやっぱりあなたのことが好きだから今度こそ分かり合えたんじゃないかって毎回少しは期待してしま

なんどもバカみたいに繰り返される中でただ一つ私の心に澱のように溜まっていく気持ち

私は絶対こんな親にはならない

東京を旅立つ前に

就職4月から東京都からドがつくほどの田舎に引っ越すことが決まっている。

今日は街を歩きながらウインドウショッピングした。

いままで取るに足らないと思っていた、東京の日常が何もかも新鮮に見えた。

夕焼けに染まったビル群にネオンが光り始めると、街全体が華やいで見えた。

なんてこと無い日常が、しみじみと味わい深い。

2017-03-12

毒親持ちのシステムエンジニアSC合格するまで

こんにちは

私(♀)は今、北日本のどこかにある某システム会社システムエンジニアをしています

20歳就職し、今年で5年目になります

小さいときからパソコン電子工作が好きで、高校卒業後は情報系の専門学校入学しました。

飛びぬけて優秀というわけではありませんが、進学の推薦に困らない程度の成績は維持していました。

卒業がせまったときに進学か就職かを決めることになりました。

私子ちゃんの成績なら進学なんでしょう?」「私子は進学のほうが向いてるよ」と周りからは言われました。

私も進学したいという気持ちがありました。

親に相談したところ、母は「ダメとは言わない。進学するなら奨学金を借りてほしい」と言いました。

父は「四大を卒業した女はすぐに結婚して辞めると思われる。四大なんて女が行くところじゃない」と言いました。

父が言うならそうなのだろうと思いました。

奨学金を背負うだけの覚悟もなかったので、就職を選びました。

今のシステム会社入社し、同期の1人と一緒に運用系の部署に配属されました。

学生時代はCやJavaの基本について学んではいましたが、その部署ではプログラミングをすることはほとんどありませんでした。

代わりにLinux,TCP/IP,ネットワーク構築の技術が求められました。

LinuxTCP/IP,ネットワーク構築は初めて見る知識で先輩が教えてくれる業務をこなすの必死でした。

一緒に配属された同期は性格の明るさと器用さでどんどん仕事を覚えていき、私と差がついていくのがわかりました。

のし我が家

同期と差がつけられるのが悔しかった私は、勉強をはじめました。

とりあえず応用情報(AP)を取得しようと思いました。

基本情報学生時代に取得済み)

そのころ、我が家祖母介護めぐりよく父と母がけんかしていました。

母が「殺せ!殺せ!私を殺せ!」とはさみを持ってよく叫んでいました。

私と弟が母親をよく羽交い絞めにして止めました。

祖母は、父に対しかなりの毒親っぷりを発揮&クソトメであったため、介護も大変だったようです。

家族喧嘩を見つけたら止めなくてはいけなかったので、

喧嘩を見なければいいと思った私はよく図書館勉強していました。

その秋のAPは落ちました。

パワハラおばさんとの出会い

配属されて1年ほどたったころ、私はある女性40代、既婚)の下で働くことになりました。

ほぼ男性部署で、私が入社する前は部署唯一の女性でした。

以下おばさんと呼ぶことにします。

「なぜわからないの?」「かんがえたの?」「もう1回調べて」とよく言われたので、言うとおりにしました。

厳しいなぁと思いましたが、私の成長を思ってしてくれているのだと思いました。

自分なりにがんばってみるものの、つき返される日々がつづきました。

そのうちに、夜眠れなくなりました。

おでこにきびで埋め尽くされました。

出社前に嘔吐するのが日常になりました。

毎日倦怠感がありました。

仕事 がんばる 方法」「仕事 落ち込み 立ち直る」でぐぐることが多くなりました。

いろんなにきび治療方法を試したので、にきび治療に詳しくなりました。

元気出す系のドーピングアイテムにも詳しくなりました。(レッドブルからプラセンタまで)

ある日、おばさんが言いました。

あなたを見てるとイライラするのよ。あなたの成長なんて知ったこっちゃないのよ。さっさとやってよ。」

その後、うつ病と診断され、1ヶ月会社休みました。

うつ病になってから

我が家うつ病理解があるとは言いがたい家庭です。

土日出勤・給料未払いというブラック企業勤めの弟が居たので、相対的ホワイト企業勤めの私がうつ病、ちゃんちゃらおかしかったのでしょう。

夕食のときに、父が「会社を休むのなら学校にでも行け」といいました。

私はおもわず泣きました。

「飯がまずくなる」と父にしかられたため、自分の部屋で食べました。

休んでいる間の家族の目がつらかったので、1ヶ月で仕事に復帰しました。

「つらかったら半日で帰ってもいいんだよ」と上司男性、おばさんとは別人)に言われましたが、家に帰ってもろくなことがないので、定時まではたらきました。

そんな中、弟が交通事故で重傷を負いました。

弟は障害者手帳を持つようになりました。

弟の日常生活を、家族サポートするようになりました。

ある日、私が自分と弟の夜ご飯を作るよう言われていましたが

用事があり作りませんでした。

弟は帰るなり私を殴り、「なぜ俺の飯がないんだ」と叫びました。

さすがに理不尽だと思い親に訴えました。

母は「あの子やかんみたいな子だからね。すぐに沸騰するのよ」といいました。

その後親から弟にお叱りがあったようです。

弟は私に会うたびににらむようになりました。

親に言いつけたことへの報復が怖くて、夜は自分の部屋の扉に、机やいすでバリケードを作って寝ました。

一人暮らしをはじめる

APは5回ぐらい落ちました。

親の怒号や弟の報復におびえることな勉強できる場所がほしいと思いました。

実家暮らしで、うつ病趣味もなくなっていたので、お金はありました。

親は、一人暮らしをすることについては何も言いませんでした。

引っ越したのは大通り沿いの木造アパートでした。

隣の部屋のおじさんの声、車の音がうるさかったですが、親の怒号や弟におびえた日々に比べたら天国でした。

好きな時間にご飯が食べられる。

好きな時間勉強ができる。

好きな時間に帰ってこられる。

家事料理も楽しくて苦になりませんでした。

引っ越しからAPに受かりました。

調子に乗ってSCも受けたら、受かりました。

以上です。

http://anond.hatelabo.jp/20170312113526

尊厳は失われるが、心の防衛機能が働きにより、

それが日常であると受け入れて心の平穏を取り戻そうとするとは思う。

とりあえず人前でイカせるような奴らは全員通報して豚箱送りにしてもらおう。

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