はてなキーワード: 窒素とは
芸術家としての宮崎駿、経営者としての宮崎駿、父としての宮崎駿、そして乙女としての宮崎駿。
時計の商人に影を盗まれたのは、加齢により才能が枯れつつあることを示唆してる。
蓬萊島で八仙から魂を余分に1つ貰ったことで命こそ助かったが、影=才能は元の魂に紐付いてるので回収されてしまった。
空からたくさん蛇口が生えてくるシーンで一本だけ赤い水が流れてきたが、あれは血ではなく絵の具だと思う。赤い絵の具の欠如が八仙達を怒らせたことを踏まえると、そう考えないと辻褄が合わない。
雷様におへそを取られる=へその緒が切られる=母親との繋がりが切れるというメタファーは分かりやすいけど、雷は空気中の窒素を酸素と結びつけて稲に穂を実らせるという側面も持つ。つまり男根のメタファーでもある。この辺は宮崎駿のエディプスコンプレックスを露骨に告白していてかなり攻めてるなと思った。
これはすごいわかる。
ジムでサウナ入る人は多いんだけど、風呂だけ入りに来る爺さん以外だと筋トレやるマッチョなタイプに多い。ランニングや自転車で有酸素やる人はそっちで汗をかけるけど、筋トレ好きマッチョは有酸素嫌いが多いからだと予想してる。体が重い人にとってランニングやエアロビクスはヘビーだし、速筋鍛えてマッチョ目指す人にとって遅筋に効く有酸素は逆効果だったりするからだ。
有酸素は喉が渇くので水を飲む。だけど筋トレはそうじゃないので、トレーニング中はほとんど飲まずにロッカールームでプロテイン飲むとかそんな人が結構いる。
痛風の原因となる尿酸は窒素を含んでいるたんぱく質を壊すとできる物質なので毎日筋トレやるマッチョタイプは当然尿酸値が高い。プリン体云々よりも筋肉を壊して作る作業をしてることが大きい。ちゃんと処理できればいいんだけど全然水を飲んでなかったり、腎機能が弱ってたりすると血液の中で尿酸が飽和して結晶ができて痛風になる。
予兆が出たらマッサージとか絶対にやったら駄目だ。血液を回して結晶を作らせないようについついやりたくなるんだけど、ちょっと痛みが出たくらいのタイミングでマッサージすると即刻進むぞ。痛風の痛みは足の使いすぎの痛みと似てるので足の使いすぎと勘違いしてマッサージしてもらって発作きたことが2回ある。レントゲンや血液とらないととらないと医者も外科と内科の切り分けができないので、変な痛みがあったらマッサージとかしないですぐに外科に行くことをお勧めする。
わいはそのひとの自由とおもってるで
けっかとして肉とか魚とかチーズとか卵へらしたんだったらそれが10gだったとしてもえらいことやで
2023-06-30
■だからマジのヴィーガン以外が「ヴィーガン」名乗るのやめろって
最近も自称ヴィーガンが「チートデイ」発言で多方面からバチクソ叩かれてましたが。
厳格なヴィーガンのお姉様は命を奪わないことに誇りを持ってるから、「ヴィーガン」の名を汚す適当なヴィーガンが何より許せないんですよね。
「残酷な家畜生産を"少しでも"減らそう」とか、「肉食を"控えて"畜産業の環境破壊を止めよう」みたいな理屈は通じません。
せっかく近い志で肉食を減らそうとしてるのに、内ゲバ始まってて面白いですね。
ヴィーガン叩きも加速して肉を食べる人が減りません。最悪です。
で、提案なんですけど
「ヴィーガン=絶対に動物を食べないし使わない人」これ徹底していきましょう。
肉食を減らす、たまに食べる人のことは「フレキシタリアン」という丁度いい言葉があります。
※追記
なんか見られてるので、ヴィーガン達のざっくりした分類も置いておきます。
人間に動物の命を奪う権利はない!人は殺さないのに動物を殺すのは種差別だ!という派閥。ヴィーガンの原義はこっち。本文の、インターネットで人を攻撃しまくっている厳格なヴィーガンが属するのもここ。宗教に近い。
○環境を守ろう派
畜産業は温室効果ガスめっちゃ排出し、窒素やリンを食べては出し、淡水も大量に消費するしで持続的じゃない!減らしていこう!という派閥。環境負荷を減らすことが目的なので、厳格にヴィーガンをすることはそれほど重要でなく、フレキシタリアンを名乗る人も多い。話題のチートデイの方もおそらくここ。主張にわりと科学的根拠がある。
本当に健康的かはさておき、肉乳卵魚食べないって意味では確かにヴィーガンだけど…?うっかり「ゆるヴィーガン」とか言っちゃって叩かれがち。
最近も自称ヴィーガンが「チートデイ」発言で多方面からバチクソ叩かれてましたが。
厳格なヴィーガンのお姉様は命を奪わないことに誇りを持ってるから、「ヴィーガン」の名を汚す適当なヴィーガンが何より許せないんですよね。
「残酷な家畜生産を"少しでも"減らそう」とか、「肉食を"控えて"畜産業の環境破壊を止めよう」みたいな理屈は通じません。
せっかく近い志で肉食を減らそうとしてるのに、内ゲバ始まってて面白いですね。
ヴィーガン叩きも加速して肉を食べる人が減りません。最悪です。
で、提案なんですけど
「ヴィーガン=絶対に動物を食べないし使わない人」これ徹底していきましょう。
肉食を減らす、たまに食べる人のことは「フレキシタリアン」という丁度いい言葉があります。
無用な争いを減らすために、そもそもヴィーガンとは主義主張が違うんです~って言っときましょう。
あ、「ゆるヴィーガン」「トランスヴィーガン」名乗るのはやめた方がいいですよ。少なくともTwitterでは
※追記
なんか見られてるので、ヴィーガン達のざっくりした分類も置いておきます。
人間に動物の命を奪う権利はない!人は殺さないのに動物を殺すのは種差別だ!という派閥。ヴィーガンの原義はこっち。本文の、インターネットで人を攻撃しまくっている厳格なヴィーガンが属するのもここ。宗教に近い。
○環境を守ろう派
畜産業は温室効果ガスめっちゃ排出し、窒素やリンを食べては出し、淡水も大量に消費するしで持続的じゃない!減らしていこう!という派閥。環境負荷を減らすことが目的なので、厳格にヴィーガンをすることはそれほど重要でなく、フレキシタリアンを名乗る人も多い。話題のチートデイの方もおそらくここ。主張にわりと科学的根拠がある。
本当に健康的かはさておき、肉乳卵魚食べないって意味では確かにヴィーガンだけど…?うっかり「ゆるヴィーガン」とか言っちゃって叩かれがち。
そう考えると楽にほぼ確実に死ねるボタンとかは金さえあれば作るのは難しくないかもしれない。
ボウガンなら工作できそうだし、首にロープ巻き付けて車で高速道路走ってどこかに引っかかって首ポーンはどうだろう。コナンの一話みたいだな。
涸れ井戸の中に入ってガス缶に穴開けてマッチつけるでもいいな。体が一瞬でバラバラになるくらいの爆発力ってどれくらい必要なんだろうか。
苦しくないなら気絶してる最中に酸欠で死ぬとか。窒素缶はモノタロウで買えるからなんかそれで。
自殺するのに縊首がシェアNo.1なの納得行かないんだよな、なんでそんな苦しそうな方法取るのか。
落雷の結果、有機合成で空気中の窒素が固定化されて稲の生育がよくなる。落雷のことを稲妻と呼ぶようになった。
日本人がやたらと豆をたべるのは、豆が貴重なタンパク源だったこともあるが、稲の裏作で豆を栽培すると、根菌が窒素を固定するため、稲の生育が良くなることのほうが大きい。
田舎でやたらと彼岸花が栽培されているのは日本人の信心深さ、というよりも、彼岸花が窒素の固定をすることを知っていたからに他ならない。
日本史の教科書に「江戸時代、通貨経済が発達し、菜種油として現金化しやすい菜の花の栽培が普及した」と記述されているが、菜の花が窒素の固定をすることを知っていたから、という理由のほうが大きい。
この文を書いている今日、所用で外出した先で雨に遭い、それが止むのを夕方まで待ち、さて自転車で自宅に帰ろうとした道すがら、空に虹(にじ)を見た。
今日の外出先から自宅へと向かおうとすると、ちょうど西から東へ進行する形になる。東の空へと流れ去る黒い雨雲を背景に、色の濃く鮮やかなもの、色が淡いもの、二本の虹が綺麗な弧を描いていた。
その時、私が通行していた自転車道兼遊歩道には、他に散歩やランニングをしている人たちもいたのだが、彼らも私と同じように、虹に見とれたり、スマホで画像を撮ったりしていた。中には「二本の虹なんか初めて見た!」と驚いている人たちも少なからず見られた。虹が二本出ることを知らない人もいるのかと、むしろそれに私は驚いたのだが、のんびりと空を見上げる余裕を持つことがあまり許されない現代人には、仕方が無いことなのかもしれない。綺麗な虹を見たという新鮮な感動が機会となって、彼らが空の気象や天体に関心を持ってくれたら嬉しい。
ところで、二本の虹が出ることを知らないということは、おそらく彼らは二本の虹の名前も知らないのであろう。しかし、虹が二本出ることを知っている人でも、案外その名まで知っている方は少数派ではなかろうか。こんなことを言うと「虹は虹でしょ?区別とかあるの?」と思われるかもしれないが、漢字による呼称は区別がある。
漢字の原型は、殷代の甲骨文字に見ることができるが、その中には既に、虹を表した象形文字を見出すことができる。それは、弓形の弧を描く二本線で描かれており、弧線の両端には口を開いて下を向く頭を持ち、しかも角らしき突起まで見られる。
甲骨文字は占いに関する記録を遺したものであることから卜辞(ボクジ)とも呼ばれ、古くから中国人自身による研究が行われていた。その一つに郭沫若(かく・まつじゃく)の著した『卜辞通纂考釈』があるが、この中で「一つ出た虹を『虹(コウ)』、二つ出た虹を『霓(ゲイ)』と称したものであろう」という説が述べられている。ただし、現在の漢和辞典を引けば、『虹(コウ)』が雄で『霓(ゲイ)』が雌とも記されていて、郭沫若の説とはやや異なる。二本の虹の濃い方を『虹』、淡い方を『霓』として雌雄ペアと見るのが後代の見方である。いずれにしても、卜占の亀甲や肩甲骨に刻まれるような神秘的・神話的存在として、虹・霓は古代中国人の心を捉えていた。
残念ながら、私のデバイスの文字変換では『霓』の文字しか出てこないのだが、本来は『虫』偏に『兒』旁で、ちゃんと『虹』とペアになるのに相応しい形をした文字である。それが現在、雨冠の字形が主流となっているのは、科学的な物の見方をするようになった近・現代人が、この漢字には神話的・呪術的な役割ではなく、気象用語という科学的な役割を担わせるようになったことの反映であろう。
虫偏の字であることからも判るとおり『虹(コウ)・霓(ゲイ)』のことを、昔の人々は、広い意味での『蟲(むし)』の類いと考え、すなわち「ヘビ」の一つと見做していた。これは日本でも同じことで、マムシやフクムシなど「ムシ」の呼び名がヘビには用いられている。『フクムシ(福虫)』というのは、これは穀倉を荒らすネズミなどの害獣を捕食してくれる益獣だからである。『マムシ(真虫)』の真(ま)は、オオカミに冠した神名『大口真神(おほくちのまかみ)』における真(ま)と同じく、強く猛々しい神の名を軽々しく直接的に呼ばないようにするための、一種の忌み名としての尊敬の接頭語であろう。
『虹(コウ)・霓(ゲイ)』は、両端に頭を持つ怪蛇であるから「それではヘビじゃなくて、むしろ龍とかの仲間ではないか」と言われるであろう。しかし、昔の人々にとっては、家屋の周辺や田畑などで身近に見かける普通のヘビですら、神秘的な存在だったのである。昔の人々にとって、龍(りゅう)/蛟(みずち)etc.と普通のヘビとの間の境界は、我々現代人が考えるよりも遥かに曖昧であったと言ってもいい。足を持たない、もしくは四脚が有っても小さくて目立たない、細長いクネクネとした身体の動物のことを、一纏めの仲間として昔の人々は捉えていたと考えられる。このことを少し頭の片隅に置いてから、以下を読み進めてもらいたい。
「それにしても、虹がヘビだなんて、昔の中国の人たちは面白いことを考えていたものだなあ」と思われるかもしれない。しかし、実は「虹(にじ)=天の蛇」という考え方は、近代化する以前の社会では、地球レベルで広く見られた/見られるものである。そして、それは日本も例外ではない。そもそも日本語の名称『ニジ』そのものが『ヘビ』を意味していたとも考えられている。
日本における「『天の蛇』としての虹」の話に関しては、ロシア人言語学者ニコライ・ネフスキーによる有名な研究をはじめとして、多数の調査研究が為されている。それらから、思いつくままに事例を紹介していこう。
例えば、琉球諸島宮古島では虹を『ティンパウ』と呼んでいたが、『ティン』は「天」、『パウ』は「ハブ」のことである。『ハブ』は『ヘビ/ヘミ』系統の語である。大蛇を表す『ウワバミ』の語に含まれる『バミ』もまた『ヘビ/ヘミ』の転訛であると考えられる。『ウワ(上)』はマ(真)カミの真と同じく、忌み名としての尊敬の接頭語であろう。
宮古島の北にある池間島には、若返りの水についての昔話が伝えられている。欠けて新月となり姿を消し、再び満ちて姿を現すことを繰り返す月。脱皮して不老不死を保つ(かのように信じられていた)蛇。若水とは、神話では月や蛇と結び付けられて語られる、不老不死の象徴である。月と水が結び付けられるのは、潮の干満との連想であろうか。
太古の昔、人間はスデ水(若返りの水)を浴びて脱皮することで、不老不死を保っていた。ある時、天の太陽神が、セッカ(ヒタキ科の鳥類)に命じて、スデ水を月から地上へと運ばせていた。ところが、途中で『アウナズ(虹)』が、スデ水を奪って捨ててしまった(あるいは、スデ水を横取りして使い、脱皮するようになった)。このため、太陽神と月神の怒りを買ったアウナズは、それ以来、太陽の反対側に出るようになったという。
若水物語に登場する『アウナズ』という語は、琉球諸島地域におけるアオヘビ類を指して言う『アウナジ/オーノジ』系統の語と明らかに同じものである。他に、八重山群島竹富島でも『オーナーヂィ』と言うとされる。つまり『天の虹』と『地上の蛇』を、同じ名前で呼んでいたのである。
少し変わったものでは、小浜島では虹を『チネー・ミマンチィ』と呼んでいたというが、これは『ティン・ヌ・ミミジィ(天の蚯蚓[ミミズ])』の意であるという。細長くてクネクネした動物を昔の人々は一纏めに捉えていたという話を、今一度、思い出してもらいたい。
新城島では、虹を『アミ・ファイ・ムヌ(雨を食うモノ)』と呼ぶ。雨が降りそうで本格的には降らない俄か雨で終わる状況を「虹が雨を食った」と言うからだそうである。与那国島には『アミ・ヌミャー(雨を飲むモノ)』という呼び名もある。
虹が喉の渇きを潤すために雨や地上の水を飲みに現れる、或いは、虹が喉の渇きを潤すために雨を呼び起こすという信仰もまた、広く見られるものである。
長野県では、龍が天から水を飲みに降りてきた姿が虹とされ、また、同県更科では「虹は『ジャ(蛇)』の吹く気である」と信じられていた。山梨県西部でも「『ノジ』は蛇の息」とされた。秋田県平鹿では「『ノギ』は吹いた」と表現した。大分県でも、虹が出ると「『ジャ(蛇)』が吹いた」と言われていた。水神としての蛇神が棲むとされた湖沼から天の蛇としての虹が出現して、雨を呼び起こすという話も広く分布していることが認められる。このことから、ネフスキーは湖沼の支配神を指す『主(ヌシ)』も『ニジ』と同一起源ではないかと考えたようであるが、それは流石に後代の研究者から否定されたようである。しかし、湖沼の主といえば大抵は龍蛇なので、語源論としてはともかく、ヌシと虹を結びつけるネフスキーの見方は意外に悪くないと思える。
ネフスキーと同じ頃の時代、宮良当壮という研究者は、虹とヘビ類の方言呼称を分析して「『ニジ』はヘビを意味する語から分化した」ということを立証しようと試みた。ニジの呼び名には『ノジ/ネジ/ヌジ/ヌギetc.』がある。既に上でも紹介したが、琉球諸島地域におけるアオヘビ類の呼び名が「アヲ+(語根)」の形をとっており、その語根部分の変化が『ノジ/ナジ/ナギetc.』となっていて、極めて似ている。そこから、宮良は「『ナギ』が『ウナギ(鰻)』を含めた『ヘビ型動物』の総称であり、そこから『ニジ/ヌギ』などの語が派生分化していった」と考えたのである。細長いクネクネした動物を一纏めに捉えていたという話を、再度、思い出していただけたであろうか。
この宮良説の傍証としては、例えば秋田県ではアオダイショウのことを『アヲノジ/アヲノズ』と呼び、『ノジ/ノズ』は同地域における虹の呼称と共通しているなどといった事例が幾つも見られるので、宮良説はあり得ると個人的には思っている。大蛇を指す『オロチ』という語も、尊敬の『接頭語オ(御)+ロチ(ノジ系統語の転訛)』と考えられる。
とはいえ、現代人の感覚から見れば、特に、生物学や動物分類学の知識を通じて見れば、ヘビとウナギを同類視するという考え方は、なかなか受け入れ難いものと思われるかもしれない。しかし、以下の話を読まれたならば、どうだろうか。
昔の日本人は、雷神に対して信仰を抱いていた。特に農民は、落雷に対する特別な信仰を抱いていた。例えば、岐阜県美濃地方では、稲田に落雷があれば、その場所に注連縄を張って神聖視・聖別した。何故このように稲田への落雷を特別視したのか。それは『稲妻(イナヅマ)』という単語に端的に表されている。イナヅマとは「稲の配偶者」であり、昔の日本の農民たちは、雷神を「稲田神を孕ませる夫(ツマ)」と見做したのである。これは、落雷のジグザグ線が蛇神の顕現と見做されたこと、そして、蛇体が男性器の象徴と考えられていたこととも関係しているのであろう。落雷は豊作の予兆であった。
東北地方には、落雷のあった稲田を神聖視する風習が存在した。例えば、岩手県では、落雷のあった稲田を「お田の神の田」と呼んだり、女性や家畜を入れないようにしたり、雷神と刻んだ石を建てて祀るなどした。
この岩手県をはじめ、東北地方には「ウンナン田」と称する水田の事例が見られ、これは「落雷のあった水田」であり、しかも「鰻(ウナギ)の姿が見られる水田」のことであるとされる。ウナギが住める水田は、水温が比較的高く、良い水田だと考えたからともされる。落雷後の水田でウナギを目撃したことで、農民たちは「雷神が水田に棲み着いて、良い水田に変化した」と考えたのであろう。しかし、それだけではあるまい。
今では、落雷が豊作の予兆であるという考え方は、単なる非科学的な迷信ではなく、それなりの自然科学的な根拠があったと知られている。農作物の稲だけに限らず、植物の生長には、窒素肥料成分が不可欠である。大気中には気体の窒素が大量に存在するものの、それらは化学的に安定な窒素分子の状態で存在しているため、そのままでは植物も栄養素として利用できない。ハーバーボッシュ法による大気中の窒素を人工的に固定する方法が確立し、窒素肥料の大量生産が実現するまでは、大気中の気体窒素を、植物が栄養素として利用できる窒素化合物の形に化学変化させることができたのは、マメ科植物の根に共生している根粒菌を除けば、雷による空中放電だけであった。おそらく、落雷が起きた水田の周辺では、雷の電気により生じた窒素酸化物の影響で、稲の発育が良かったのだと想像される。それを見た農民たちが、経験知として「落雷=豊作の徴」と語り伝えたものが、ウンナン田なのであろう。
最後になるが、もしも『ナギ』系統の語がヘビ型動物を指すという説が真実であるとすれば、そこからどうしても思い浮かべてしまうのが、インドから東南アジア地域に広く分布する蛇神『ナーガNaga』の存在である。果たして、ヘビの古い呼称の一つである『ナガムシ(長い蟲)』の『ナガ』は『ナーガ』と関係があるのか。水の中にいる長くクネクネしたヘビのような身体をした動物ウナギは、もしかしたら『オ(御)+ナーガ』からその名が付けられたのか。
妄想は尽きない。
今回の内容は、この本の受け売りである。とても面白い名著なので、是非、図書館などで一読することをおすすめしておく。
栗花落カナヲと蛇の話⇒anond:20221108215545