はてなキーワード: 目からうろことは
>女は精神的にも肉体的にも弱さを抱えているので、
>その弱さゆえに、男からみたら卑怯な手段、行動を取らざるを得ない。
>徒党を組んだり、嘘をついたり、状況を見て平気で裏切ったりする振る舞いは、
女でも、うそをついたり裏切ったりする行為は友達が減る理由の最上位に位置するが、「徒党を組む」という行為がそれと同列に卑劣とされているところに驚きを隠せない。
夫も全く同じことを言っていた。
これまで私は全く卑怯とは思っていなかったので、ここが彼らの嫌がることなのか、と目からうろこだった。
他の男の目が気になってタイマン張らないといけないなんて、数で押せないなんて、本当に大変な文化の中で生きているのだなと思った。
これでは自分の弱さがいよいよどうにもならなくなった時、自暴自棄になる人も多かろう。
どうりで自ら死んでしまうはずだ。
マスブラスターをラハールちゃんに継承させようとしたら固有まびは継承できなかった・・・はずかちー
うーんアイテム界もぐることも考えたらいずれにせよどっかでランデマ要員のけんじゃを育てないといけないんだな
汎用キャラにもサブクラ設定できるようになったぶん最初よりかはだいぶらくになってるはずだし
しーふは9999にしてサブクラ稼ごうとしたらなんか修羅エクのジオブラ1発でMAXになりにくくなってて、あれレベル低い方がクラス熟練度たくさん入るんだったっけって思って転生させた
つーか転生時の有料での自動レベルアップするのと1から育てるのとだったら後者のほうが成長率いいのな
邪悪ちゃんもすぐ倒せる
でもキャラ会でめんどいのはメニューないにキャラ一覧がないから邪悪ちゃんがどこにいるのかわからんことだな
最低でも30回以上アイテムかいにもぐらないといかんのはめんどすぎる
しかし昨日80hくらいでトロコンしたってひとのブログみかけたけどとてもいけるきがしないわ
まだしゅらとらぺすらないのに
今調べたらいろいろ目からうろこだった
これでマスブラスター・アサルトアタックもラハールちゃん使えるかも!
あとサブクラスあげのめんどくささ、ジオブラストの方法は最初だけで、もう一人でもサブクラマスターしたようなやつがいて修羅練武4いけるやついるなら、それを使ったタワーでいけるんだって!
これなら複数人どうじにいけるなー
一人ひとりジオブラってのはめんどすぎだと思ってたからほんと助かる
いや、タワーでいけるよな?
早速ためしてみよう
自動車事故といえば他害のことばかりに注意が向いてしまいがちですが、自動車の車内でさえ年間約1300人も自動車運転手及び同乗者が死亡している現実がありますし、そちらのほうへの意識も社会的に高めていって良い気がしますね。
ちなみに、交通刑務所懲役囚人のほぼ全員は自動車運転手です。凶悪交通犯罪者として実名や顔が全国に報道されることも。そしてネットにはその記録がずっと残る。
そして、こちらのサイトによると以外にも自転車は自動車よりも事故率も死亡率も低いのだそうです。
http://bike-lineage.jpn.org/etc/bike-trivia/gentuki.html
また、イギリスの名門大学グラスゴーの医学研究によると、自転車通勤者層は、自動車やバス、電車、徒歩通勤の者よりも健康寿命が長く、実際に長生きする傾向にあるようです。これは事故はもちろん、癌や合併症などの疾病での死についても計算に入れている、とのこと。
なのでイギリスの首都ロンドンでは自動車から通行課税を徴収して自動車の乱用を減らし、自転車への乗り換えを進めるべく、自転車専用道ネットワーク整備を進めているほどであり、ノルウェーの首都オスロは更に徹底していて自家用自動車=マイカーの公道走行違法化を決定済だそうです。そしてロンドンと同じく自転車専用道ネットワーク整備を進める計画推進も決定済。
統計を見ても自動車を減らして自転車への乗り換えを進めれば進めるほど渋滞も公害も事故も不健康も減りますから、自動車への執着という点さえ無視すれば、交通施策として、また健康向上の施策としても合理的と言えましょう。
ちなみに、私は自動車の自動運転化に賛成です。加害リスク、被害リスク共に大きく低下させることができるのですから。
そして、自動運転が特別なもの、という認識は、エレベーターやエスカレーターの例を見れば、間違いだと気付くことができます、というテスラCEO(だったと思います)の話には目からうろこでした。
人々は、エスカレーターやエレベーターを使うように、自動運転の自動車を利用するようになる、というような話もあります。
考えてみれば、完全自動運転ともなればドライバーは一切関与しない(又は、できない)わけで、その状況においてトラブルが起きてもドライバーの責任が問われるのはおかしい、となる。またそもそもからして、そこにはもはや"ドライバー"という概念ではなく、単なる"乗員"というふうになりますから、まさにエレベーターやエスカレーターを利用するような、自動運転自動車は、そういうものに準ずるもの、という意識に変わっていくように思えます。
何にせよ今後が楽しみです。
自動運転までのつなぎとして、自動ブレーキ搭載義務化や、ドライブレコーダー義務化、移動式オービスの配備増強など事故を減らす為の施策は多数あるわけですから、何よりも大切な人命を守る為にもそれらを積極的に進めていきたいですね。
3D酔いとは、ゲームをはじめとするバーチャル空間の出来事を視聴している時に乗り物酔いのような状態になることだ。
本当につい先日、とうとうそれを克服することができたのだ。
似ている状況の人は参考にして欲しい。
友人に勧められて初めて家でFPS(ファーストパーソンシューティング、一人称視点)をプレイした時、30分ほどでトイレで吐いた。
その時は理由がわからず風邪でも引いたのかと思っていたが、そのゲームをする度に気持ち悪くなるのでそれが3D酔いだということを知った。
しかし、不思議な事にTPS(サードパーソンシューティング、三人称視点)は酔わなかった。
そのためしばらくはTPSばかり遊んでいたのだが、ある日TPSでも酔ってしまうゲームに出会ってしまった。
なぜ同じTPSなのに酔うものと酔わないものがあるのだろうか。
そこに疑問を持ったことが、自身が3D酔いを克服するに至ったきっかけだ。
実のところ、自分自身の乗り物酔い耐性は非常に強い。
どれくらい強いかというと、車はもちろん揺れる船の上で本を読んでも大丈夫なくらいだ。
もちろんずっと読み続けられるわけではないが、酔いそうだな感じたら中断すればもとの状態に回復することができる。
つまり、3D酔いと乗り物酔いは発生のメカニズムが同じかもしれないが、耐性は別であることがわかった。
つぎに3D酔いするTPSと3D酔いしないTPSとの違いを考えてみると、そこに明確な違いがあることに気付いた。
酔わないTPSは、基本的に通常操作中はキャラクターが画面に固定されているのだ。
カメラで視点を切り替えることができるが、激しいアクションの最中などは大抵画面の同じ場所に同じ比率でキャラクターが表示されていた。
それに対し、酔いやすいTPSは、キャラクターや視点が絶えず動きまわっていた。
三人称視点でありながら、キャラクターを置き去りにしてカメラが激しく動き続けていたのだ。
その記事においては、FPSの画面に鼻をつけると酔いが緩和されるというのだ。
またある記事においては、画面の中心に丸いシールを貼ると同じく酔が緩和されると書いてあった。
そのことを思い出す限り、TPSにおいてキャラクター自体の位置や比率がそれほど激しく変わらなかったことが、酔いを遠ざけていたことに矛盾しないことが分かった。
それからというもの、FPSをプレイする時は画面中央にある照準に常に意識を集中するようにした。
そうすると確かに酔いを感じるまでの時間が僅かに長くなっていくことが分かった。
画面内で動くものを見つけたら視線を動かし、確認したらまた照準に視線を戻すという繰り返しだ。
確かにそれで酔いは遠ざかったし、これで解決かと思われた。
しかし、画面内にある大量の情報を素早く処理しなくてはいけないFPSにおいて、視線を中心に固定することはデメリットでしかなかった。
そこで、自分が乗り物酔いを中和するときの方法を改めて考えなおしてみることにした。
例えば読書中に自分が乗り物酔いの予感を感じた時、まずはそれを回復させるためにはできるだけ乗り物自体の揺れに身を委ねようとすることから始める。
視点を遠くにして近くの物の動きに意識を取られないようにして、身体を揺れに委ねてその乗り物自体が持つ揺れや遠心力を直接感じられるようにするのだ。
そうしていれば自然と酔いは遠ざかっていく。
今まではそれを無意識にやっていたが、つまりそれを言語化して見れば、「視覚情報の揺れと身体が直接感じる揺れの差異を無くす」ということになる。
もしかすると、これが酔わない秘訣といえるのではないだろうか。
画面内に動かない点を作ってそれに集中するということは、本来そこに無い動きに対し、視線か感じる動きをなくそうと言う努力である。
つまりそれも「視覚情報の揺れと身体が直接感じる揺れの差異を無くす」といえる。
ならば次に試すことは、揺れている視覚情報に対し、身体が感じる揺れを近づけるということだ。
そこでまずは自分が座ったままの状態であっても、歩いている時のように画面の動きにあわせて肩を左右に振ってみることにした。
当然顔は正面を向けたままだが、画面が激しく回転すればそれにあわせて肩を反対にひねり、画面が上下に動けば、それに合わせて胸を前後させてみたのだ。
なんと、これが驚くほどに効果があった。
1時間ほどゲームをプレイしてみたが、まったくもって酔わなかったのだ。
これは目からうろこだった。
自分自身が乗り物酔いに強いという自負から酔いへの対策は身体を落ち着かせることだという思い込みがあったが、もともと実際の動きがないゲームに対しは、酔いの対策は視覚にあわせて身体を動かすということだったのだ。
これを改めて分析してみると、TPSは動きの主体やブレがゲーム内のキャラクターにある。だから自分自身が重力や遠心力を感じる必要がなかったのだ。
ところがFPSは視覚情報に対し、自分自身が重力や遠心力を感じる必要がある。だからこそ、身体をその状態に近づけてやることが酔いの対策となり得たということだろう。
例えばこれは、他人が撮影したビデオ映像を見ているときなんかにも役に立つかもしれない。
撮影者の動きをイメージして、それを自分の身体に再現してやればいいのだ。
酔ってしまうTPSにおいても、揺れを再現する対象をゲーム内のキャラクターではなく、それを撮影しているカメラにあると考えれば、理屈では酔いを和らげることができるはずだ。
最初に断ったとおり、もしある程度乗り物酔いに耐性があるという人は是非試して欲しい。
むしろ身体を動かすまいとしていたことが、自分の酔いを早めていたことに気づくはずである。
そして大変申し訳無いが、そもそも酔いに弱い人に対しては効果が期待できないことを断っておく。
ただ、もしその酔いの原因が視覚から得る揺れの情報と身体が感じる本来の揺れとの差異によるなのだとしたら、その差を無くしてやることで酔いを緩和することができるかもしれない。
その時は効果の有無を聞かせてもらえるととてもありがたい。
よし!
これでプロesportsプレイヤーデビューへの第一歩を踏み出せるだ!
VR版書いた
(追記)母親失格
なによりも、私のような者に時間を割いて意見を下さった方がいることに、非常に励まされた。
「私は死にたいなんて思ったこともなかったよ。
人間は明るく生きるのが一番!
他人に気ぃばっか使ってないで、
自信もって生きなさいよ!」
と励まされた。それでも他人に気を使うことをやめられず、
母からの愛も感じていたし、
母は努力家だったし、
こんなによい母から、なぜ自分のような者が生まれてきたのかと、
毎晩布団にもぐってこっそり泣いていた。
「生まれてきてごめんなさい」と心のなかで唱え続けた。
「自己肯定感」だった。
育ってきた環境の中で、本来身に付くはずものが身に付かなかっただけなのだ。
自己肯定感もそうだが、
なにかを身に付けさせるには、それなりのテクニックが必要だと思う。
正しい接し方さえされていれば子は育つと思う。
目からうろこが落ちたのを覚えている。
娘にも、自己肯定感を持たせることを第一に考えて接している。
しかし、長年他人とのコミュニケーションを避けて生きてきたので、
なかなか人並みに会話に溶け込めなくて今も生きづらい。
それはこれからでも経験を重ねてコミュニケーション能力を身につけていくしかないと思っている。
娘の生きづらさについて、
ドラえもんを例にするなら、
何事にも深く考えることはせず、
とにかく楽に、自分の好きに生きたいのだ。
それなのに私は、出来杉くんこそが人としての正しいあり方だと信じ、
娘にまで無理をさせてきた。
眠たがる朝にむりやり起こし、
まだ遊びたいという夜にむりやり寝かせ、
いやがる学校へ引っ張って連れて行き、
わがままには徹底的に叱った。
それこそが毒親と呼ばれる所業とわかりながら、
のび太のままでは娘があまりにも不憫で、時には焦りから強く叱ることもあった。
娘の障害を受け入れ、
娘は以前よりよい成長が見られている。
服薬も含め、劇的な効果があるわけではないが、地道に続けるしかないと思っている。
のび太はのび太として生きてもよいと、母業10年過ぎてようやく納得できてきたところだ。
そのように導く行動を重ねていくしかないと頭では理解している。
それでもやはり、のび太を受け入れてくれる社会があるのか不安になる。
それでも、してもらえることに感謝し、できないことには支援を求めるしかないと思っている。
娘は、世の中はめんどくさいことばかりだと感じているようだ。
先日の「死んでもいい」発言も、それが原因だと思う。
のび太が「生きているのがいやになった」と言えば、
我が家もいつかそうなりそうでこわい。
娘とは、一緒に生きがい探しを続けている。
飽きっぽいのでまだ見つかっていないが。
遺伝にせよ育ちにせよ、のび太ができそこないなのは不可抗力なのだ。
それこそが、私の心のわだかまりであり、
泣き言を言ってもどうしようもないのがわかっていながら、
のび太ができそこないなために、
のび太が子供を持たなければ、不幸の連鎖はのび太で終わった話なのだ。
のび太はただ、人間として普通の幸せをのぞんでいるだけなのだ。
ここに、
「毒親になるなら生まなければいいのに」という正論を取り入れるならば、
正論をわかっているにも関わらず毒親家系がなくならないのだと思う。
私が独身の誓いを立てていたにも関わらず、なぜ結婚したかについて、
決して誰かに強制されたわけではなく、夫に押しきられたわけでもない。
夫は優しく思いやりがあり、
生きづらい私を認めてくれて、
誰よりも一緒にいて居心地のよい存在だった。
この人を不幸にはしたくない。
この人は自分を認めてくれているし、自分はそこまでダメな人間でもないかもしれない。
そう思ってしまったのだ。
今思えば、彼が私でなければならないと言ったのなんて、
若気の至りで、一時の気の迷いだ。
やはり別れておけばよかったのだ。
それでもあの時の私は、
彼を不幸にする勇気も、
結局は心の弱い自分が、楽な方に流れてこうなったのだ。
今にして思えば、彼もまたのび太だったのだ。
彼は娘のことを常に気にかけてくれているし、
私の話も批判せず聞いてくれる。
これ以上を求めるのは自分の甘えかもしれないと思ってはいるのだが…
パチスロもやめられない。
めんどうなことは大嫌いだ。
娘のADHDがわかって初めて、
http://anond.hatelabo.jp/20160414143255