はてなキーワード: 流行語大賞とは
フランス人のサッカー選手がフランス語で日本人/アジア人を差別する発言をしたことに関して、フランス在住の日本人作家が「これは差別発言ではない」と擁護していた。これを擁護した理由は、彼が「仮想的(ヴァーチャル)フランス人」になりきっているからだろう。
昔から日本では「仮想的(ヴァーチャル)外国人」になりきって「日本/日本人はダメだ。ただし『ヴァーチャル外国人』である自分は例外とする」というスタイルで、自分たちが棄てた日本や日本人を腐すビジネスを行う人間がいる。例えば、外国人と結婚してパートナーの出身国に移住し、日本人向けに「ダメな日本人とは異なり、X国人はこんな素敵な生活を送っている」的な日本語書籍を出して小銭を稼ぐタイプの人間である。
万葉集には、桜を詠んだ歌よりも梅を詠んだ歌の方が多い。それは、梅を愛でることが、当時の先進国であった中国大陸の文化だったからである。実は、昔から日本人は舶来信仰が強いのである。それでも万葉人たちは、大陸文化に憧れる一方で、日本列島に生きる自分たち自身の文化を、自らの手で作り出そうとする気概も持ち合わせていた。しかし、現代の仮想的(ヴァーチャル)外国人は、そうではない。日本のダメな部分を何とかするべき当事者としての責任を持つことや、日本を改善する為の具体的な営為に携わる泥臭い努力を、彼らは好まない。それよりも「ダメな日本/日本人のことを罵ったり嘲笑する」ことの方を好む。言うまでもなく、その方がラクだからである。
仮想的(ヴァーチャル)外国人としての思考の持ち主は「日本死ね!」が流行語大賞に選出されれば快哉を叫ぶし、外国人による日本人差別発言に関しては「これは差別発言ではない」と擁護したりする。こんな彼らの根底に有るものは何かと言えば、仮想的(ヴァーチャル)外国人としてのショーヴィニズムと、それに加えて、没落国/発展途上国の人間が相手ならば何をしても/言っても許されるという強烈な差別意識である。私は、このような仮想的(ヴァーチャル)外国人としてのショーヴィニズムを“盲目的愛異国心”と心密かに呼んでいる。
最近よく「もう日本は没落し始めた国なのだから、その国民である日本人も何かを言う資格は無い」的なことを言う人間を、はてなブックマークでも見かけるが、こういう人間も仮想的(ヴァーチャル)外国人の一つの例と言えるだろう。これも「日本がダメになったのは自分以外の日本人の責任である」という考え方である。
さて、人間は大なり小なり、他者を差別する欲求を持つ。とはいえ少し知恵が身に付くと、己の差別意識をそのまま表明することは、社会的に良ろしくない振る舞いであると(よほどの愚か者ではない限りは)学習する。その時、真っ当な人間たちは、差別をしない方向に努め始めるが、他方では、何とか理屈を付けて合法的(?)に差別欲求を満たしたいという明後日の方向に努力する人間も現れる。そんな彼らが編み出したのが、仮想的(ヴァーチャル)外国人になりきって、日本/日本人を馬鹿にすることで、己の差別欲求を満たす手法というわけである。「日本や日本人を罵ったり嘲笑することは、差別ではない。何故ならば、言っている自分も日本人だから」という理屈である。
「これは嘲笑や罵倒ではなく、自嘲的な批判である」「ダメな日本/日本人を何とかしたいと思っているからこそ、敢えて汚い言葉を使うのだ」という論法も頻繁に用いられる。そんな彼らの言う「ダメな日本/日本人」に、彼ら自身が含まれることは決して無い。彼らの中では、あくまでもダメなのは「彼ら以外の日本人」である。また「日本を良くしたいから汚い言葉を使う」とは言うが、その汚い言葉使いを、彼らが属しているつもりになっている、仮想的母国であるX国を相手に使うことは無いと言っても過言ではない。欠点の無い国や過ちを犯したことの無い国は存在しないのだから、従って、彼らの精神的・仮想的(ヴァーチャル)母国に該当するX国も、日本と同様に汚い言葉で罵ったり嘲笑しても構わない筈なのだが。
件のフランス在住作家や、彼のサッカー選手擁護を鵜呑みにしていた人間たちも、仮想的(ヴァーチャル)フランス人になろうとしているようである。それだけならば、別に彼らの勝手だから好きにすれば良い話ではあるのだが、しかし彼らのしていることは、畢竟「おフランスのダンナ。あっしは他のニホンザルと違って、ダンナのすることに逆らいやしませんからね。あっしのことを、他のニホンザルと同じに扱わないで下さいね?あっしはダンナと同じく『フランス人』ですからね?」という阿り以外の何物でもない。ビリー・アイリッシュのC-word発言映像に対して「自分はアジア人だけど気にしない」と、彼女に阿るコメントをする日本人やアジア人が多数いたのも、これも同じ動機である。
日本人(アジア人)としてのダメな部分に、きちんと当事者として向き合っていないから、いざ日本人(アジア人)差別に遭遇した時に「これは差別ではない!非日本人(非アジア人)に生まれ変わった現在の自分が、アジア人差別なんかに遭うはずが無い!」と現実逃避する羽目になるのである。
X国の部分をフランス以外の国に入れ換えれば、同じことをしている人間は沢山いる。貴方の周囲にだって、一人や二人はいるだろう。そういう人間は、件のフランス在住作家と同じ轍を踏む可能性が有る。気をつけた方が良い。
弊社は昇給が年1回だ。賞与?そんなものはないし、インセンティブはあるらしいがもちろんそんなものも受け取った記憶はない。
年1回ということは当然の如く上がらなかった場合は来年までそのままということになる。
変化の激しい業界なので年1はどうかと思うのだが。
ざっくりどんな業界かと言えば、とあるサービスを運用しており、半年後のこともロクにわからないのに来期の目標は?と聞かれても、来期があるんですか?という感じの業界だ。
査定は年間通した評価になるはずもなく、流行語大賞よろしく直近の評価がメインになりがちになる。
上がればハッピーでもあるがそれ以上もない。減ったら絶望だし、そのままというのも軽く絶望だ。
なにせ1年変わらないのだ。来年は上げるぞというやる気を1年維持しないといけない。この変化の激しい業界でだ。
過去の経験として、査定時の面談で来期はこうこう頑張ります。という目標を立て、査定を終えた。
3か月後、運用停止決定。異動。あっという間に1年が経ち。評価する人物も変わり。
「異動もあったから評価はそんなにできない。給与はそのままだ。」
貴重な1年を無駄にした感じだ。
そこでだ。
積極的に動かなかったお前のせいだ。
場に流され、それをよしとしたのは私だ。
今年の査定もひどかった。
私は所謂、指示待ち人間に属する。いや、自分的には積極的な指示待ち人間だと思うのだが。
自発的に提案もする。バッターボックスに立てと言われればやる。言われなければ完全に動かない。ではなく、動いている方の作業者だと。思いたい。
そう。思いたい。
作業者はいらない。よく言われる言葉だ。今回の査定でも言われた。
が、私は作業者なのだ。作業者が気質に合っているし作業者としての能力なら結構高い。
すぐ手順覚えるし、効率化するし、ミス少ないし、作業は早い。これは結構自身がある。
が。表立って言えない自身なのだ。なにせ作業者はいらないのだから。
言ってしまったら逆に評価が下がるのだ。「そんなもの誰にでもできるから」「それは自信とは言わない」
つまりはそこだ。
社会とはそういうとこらしい。
そこだ。
私にはお金がいる。借金がある。借金があるくせに節制しない。できない。したくない。
人はどの程度変われるのだろうか。違う。変わると思っていない。違う。変えたくない。違う。面倒くさいのだ。
私は本当に何に対しても面倒くさいのだ。楽して金が手に入るならそれがいい。本当にそう思う。
仕事も面倒くさい。人付き合いも面倒くさい。勉強することも面倒くさい。変わることだって面倒くさいと思うのは当たり前だ。
楽がしたい。楽をするためにどうこうではなく、いとも簡単に楽を手に入れたい。まさに5000兆円ほしい。
まさにぴったりの言葉だ。
本当にガワは相当真面目に見える。酒は飲めない。タバコも吸わない。仕事は休まないし遅刻もしない。
コミュ障で陰キャは隠せてないが。誰にでもできる仕事はできるがリーダーシップはない。ザ・一般人
よくある話だ。あれだけ真面目に過ごしてきた自分が今こんなんだ。
これより「上」というやつに行くには自分でなくなる必要がある。自分を保ったまま「上」に行けるとは思っていない。
何度考えても自分がリーダーシップを発揮して部下を従えバリバリ働いている姿を自分だと思えない。
増える責任。のしかかる重圧。とても面倒くさい。それとの対価が給与として反映される。わかる。そんな社会の常識ともいえる構図なんで今更わかりきってる。
これがあと10歳若かったら。
まだ違ったかもしれない。いや、10年前ですら面倒くさいと思っての今なのだ。
まぁあの時メンタルをやられてなければギャンブル依存症にはならなかったとは思う。
家庭とかそういうものをつくる。
いや、借金抱えた病人を好きになる人がいるか?もはや諦めてる。
趣味を見つける。
金がないのだ。むしろギャンブルが趣味と言っていい。依存症だから。
ギャンブルをやめる。
思考回路が壊れていると思ってもらっていい。
金がないからギャンブルをするのだ。単に取り返すという意味で捉えてもらってもいい。
気分を紛らわし、金が増える返ってくる可能性がある。からやってるのだ。
もしロト6で3億当たったら6億だっけ?
今抱えてる悩みは全て解決すると断言する。
が、買う金がない。その1000円すら惜しい。パチンコのサンドには余裕で諭吉を入れるのにだ。
余裕がない。とも言えるのかもしれない。全ては借金のせいだと。
が、その原因を作ったのは自分だ。誰のせいでもない。
それが嫌なら変えなければならない。
嫌だとは思う。が、変えるのが面倒くさい。
今のままではよくないと思う。が、変えるのが面倒くさい。
もうどうしようもないのだ。
どんな啓発的なことを言われても響かないし、クソみたいな言葉を投げつけられたらムカつく。
自分の感情が第一であり、何においても優先される。面倒くさい。節制するのはやだ。
今のまま借金肩代わりしてくれるあしながおじさんでも出てこないか。まじで。
何かが変わったというのなら。いまこれを書こうと思ったことが変わったことだ。
その些細な変化がとか言う人。絶対出てくるんだ。俺は詳しいんだ。
だが、何ということはない。変わらないよ。断言できる。
一時の気の迷いだ。過去にもよくあった。続かないんだ。面倒くさいから。
もうダメなんだよ。本当に。
何度変わろうと思っても変わらないのだ。変える努力もしていない。
面倒くさいという言葉で片付けている。それをよしとしている。
本当に変わりたいと思うのなら。そうだ。変わりたくないのだ。
なぜ?怖い。不安。だから変わりたくない。不安になりたくない。だから考えないようにしている。
でも変わらないと。知ってる。でもどうしても嫌なのだ。不安に押しつぶされ行き場をなくしたら。変わるのに失敗したら。
そこを跳ね除けて進む強さも自信もない。1歩踏み出す勇気とか。なぜそれが必要なのか。
それができてこそ「上」にいけるというのも知っているが、失敗したら責任はまた自分に帰ってくるのだ。当たり前だ。
その失敗は経験になるには時を逸しすぎている。遅すぎという言葉はないとかいいこと言われたって、経験を活かして成功するまであと何回チャレンジできるのか。
成功してどうするのか。50、60になって成功したらその後どうするのか。意味はあるのか。性欲もなにもかも衰えたその時に人生の絶頂期がきて何ができるのか。せいぜい旅行とかだろう。
辛いなら逃げてもいいというが、逃げて成功できるほど人生は甘くない。嫌というほど知ってる。それで成功してる人は逃亡先で頑張っているのだ。
私は頑張れない。どこにいても辛い。辛いなら逃げていいというのなら。逃げ続けてもいいのではないか。
人それぞれだ。私は「金を稼ぐ」=「成功」なのだ。もうそれしかない。返さなきゃいけないものがある。
自己破産?債務整理?そんなの嫌だね。世間体が。そんなこと言ってられないとかではない。真面目系クズを舐めないでほしい。
その成功を収めるためにしなければならないこと、それをしたくないと思うこと、そこに板挟みになって精神をすり減らして病んで、悲劇のヒロイン(♂)を気取っている。
クズだという自覚も十分ある。じゃあお前はクズだと指摘されればムカつく。
将来何がしたい。どうなりたい。知らん。いまのままでいい。金くれ。給料上げろ。
楽になりたい。
それはそうだろう。もはや生きている意味=借金を返すことなのだから。
こればかりは面倒くさいと言ってられないのだ。真面目系クズの名にかけて。
が、できない。一瞬でも痛いのが嫌というものあるが
「あいつ自殺したんだってよ」「やっぱりな」「だっさ」「やったぜ」
自分の死後に言われるであろうありとあらゆることが許せない。どうせありもしないことも言われるだろうし。
悲しんでくれる人もいるのは知っている。普通に坦々に目立ちもしない真面目を装ってきたんだ。
そうすれば私は「可哀そうな死を遂げた人」として確立するのだ。
何と素晴らしいことかと思う。
電車内で故意に脱糞したとして、男性アルバイトの安納増太(あんのう・ますた)容疑者(38歳)が、東京都迷惑防止条例違反の疑いで警視庁日暮里警察署に逮捕された。
同署によると、安納容疑者は5月28日午後2時ごろ、JR山手線の電車の座席に座りながらわざと脱糞したとのこと。その際、不審に思った他の乗客はスマートフォンで安納容疑者を動画撮影している。安納容疑者は撮影されていることに気がつくと席を立ってドアの前に立ち、電車が駅に到着すると同時に走って立ち去ったという。
通報を受けた同署警察官は、汚物の付着した足跡をたどって男子トイレの個室に立てこもる安納容疑者を発見した。安納容疑者は体調不良を訴え個室に立てこもり続けたが、警察官の長時間の説得により自ら出てきた。同署に任意同行された安納容疑者は容疑を否認し、あくまで体調不良による脱糞だと主張したが、脱糞した様子を撮影した動画を見せられると一転して容疑を認めたので、逮捕されることになった。脱糞した理由として「はてな匿名ダイアリーで注目を浴びたかったから」、「小説投稿サイトでは人気になれなかったから、はてな匿名ダイアリーで活動を始めた」と述べている。
インターネットに詳しい専門家によると、はてな匿名ダイアリーは『名前を隠して楽しく日記』のコンセプトで運用されている匿名の日記サービスで、増田という別称でも知られている。『保育園落ちた日本死ね』のタイトルで投稿された日記が流行語大賞を受賞した他、日記でのいさかいが殺人事件に発展したりと、功罪を超越して社会に大きな影響を及ぼしている。はてな匿名ダイアリーでは、うんこを漏らしたという日記(通称:うんこ増田)の人気が高く、一種の鉄板ネタになっており、YouTubeに例えるならメントスコーラに相当するという。しかしながら、はてな匿名ダイアリーに投稿した日記が例え大きな注目を浴びようとも、YouTubeのように投稿者が収益を得られる仕組みは無いという。また、投稿した日記にIDやハンドルネーム等を明示する仕組みも無いので、小説投稿サイトのように人気を得て書籍化することもないという。
あくまで推測だが、書類送検された男ははてな匿名ダイアリー等のネット活動を続けるうちに、注目を浴びることを求めすぎてしまったのではないか。そして、活動内容がエスカレートしてネットの範囲内には収まらず、現実に影響を及ぼしてしまったのではないか、と専門家は結論付けた。
なお、はてな匿名ダイアリーを運営する『株式会社はてな』に取材を申し込んだが、残念ながら回答は得られなかった。
white_rose なんだろうこの創作臭は……笑
efus トラバで指摘されてるけどアンチ側の批判ポイントを網羅しすぎててさすがに釣り臭い。こんな屏風の虎みたいなツイフェミがマジで実在してたらもう草生やしながら土下座するしかない。
元増田へのトラバ・はてぶに限らず、釣り/嘘/創作認定してる人をよく見かけるのだけど、いったいそれに何の意味があるのだろうとよく思う。
極端なこと言ってしまえば、仮にフィクションだったとして何の問題があるのだろう。
そもそもはてなだろうとTwitterだろうと、ネット上に転がっている散文・随筆・お気持ち文章の真実性なんて自分はわりと気にしていない。
多くの場合、「そういうこともあるのだろうな」と信じすぎもせず疑いすぎもせず読んでいる。
皆も「これは本当かもしれませんし嘘かもしれません」っていう暗黙の了解のもと楽しんでるんだろうと思ってたけど違ったのか。
「保育園落ちた日本死ね」だってあれが世に出た当初に100%事実だったかどうかなんて本人以外にわかりようがないでしょう。
それでも、あの文章がめちゃくちゃバズってその年の流行語大賞にまでノミネートされたのは、「事実かどうかはさておきこういうことってあるかもな」「わかるわかる」って多くの人の共感を呼んだからなんじゃないの。
「真偽はひとまず脇に置きつつ」ということをあそこでは受け入れられるのに元増田みたいに考えてる人がこの社会に一人はいるのかもしれないということを、なぜ了解できずに釣りだの嘘だの勝手に認定して話を終わらせようとしてしまうのか。もちろん個人の感想としては自由だが。
こういう人が世の中に一人でも存在していたら何か都合が悪いの?といらぬ邪推をしてしまう。
なお、「真実か創作かっていろんな側面から推理したり想像で判定したりする楽しみ方もあるんだよ!」という人がいたらそれはなるほどたしかにと思う。
外出すんなって言われそうだけど、冷蔵庫の中身が減ってきたので近所のスーパーに買い物しに行ったんだけど。
着いてみたら、複数人の買い物やめろって言われてんのに家族連れやカップルが来ててレジ前が大行列になってんの。
で、その行列をよく見てみたら、足元にあるソーシャルディスタンス確保用のラインとか全然関係なく詰めたりしてるわけ。
これ並ぶのやだなぁと思ったけど、そうはいかないので並んだけどさ、後ろのババアがすげえ列詰めてくんの。俺は前との間隔空けてんだけど、後ろのババアはそうじゃなかったの。
もうさ、ソーシャルディスタンスが流行語大賞にノミネートされてんのとか嘘でしょ。
これも散々言われてそうだけど、日本人が民度高いとかそんなのもあり得ない。
店が出来る限りの対策として入り口に消毒液置いたり、複数人での買い物控えろって呼びかけたり、レジ前に線引いても全部意味ない。
バカの頭にはそんなの入らないんだよ。習慣を変えなきゃ!なんて意識になるわけもないから変わらない。
前回の緊急事態宣言のときも、間隔空けて並んでたのにジジイに割り込まれて「並んでるんですけど」って言ったらクソデカ舌打ちされたりもあった。
新型コロナウイルス(COVID-19)の流行で頻出するようになった言葉。
日本語の生成が追い付いてない。
たとえ訳語がなくても呼びやすい略語があれば良いが、それもない。
例えば「PCR検査」を毎度毎度「ポリメラーゼ連鎖反応検査」とか“polymerase chain reaction test”とか表記したり発話してたら面倒臭いじゃん。
ソーシャルディスタンス、「ソーディス」はなんか語呂が悪いし「SD」では伝わりづらい。
「密です。」が近い使われ方だが「ソーシャルディスタンス」と1対1では置き換えられない。
エッセンシャルワーカーもそう。「エッワー」では語呂悪いし「EW」ではわかんない。
日本語だと「医療従事者、介護や保育の仕事にかかわる人、宅配業者、スーパーの従業員、公共交通機関で働く人、ゴミ収集業者など
市民の生命と財産を守る為、社会を支える必要不可欠な仕事に従事している人達」と長ったらしすぎる。
被差別者の方、がんばってください。
ちなみに2019年の流行差別用語大賞は「子供部屋おじさん」がノミネートされました。
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ニコ生の某配信で、「不機嫌な時、差別流行語大賞を一度考えた事があるが誰も得しないという結論になった」というような事を話したら「その姿勢、嫌いじゃない」とレス(コメント)があった。