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はてなキーワード: 採血とは

2012-04-13

目に注射した話

先週あたりから突然目に痛みを感じるようになって、眼科に行ってみたら『強膜炎』と診断された。

それでいくつか目薬を出されて、まめにさしていたんだけど、今日病院行ったら「結構重傷ですねー」とか言われて、大学病院に行くことに。(『ぶどう膜炎』にレベルアップしたらしい)

それだけでも結構修羅場なんだけど、大学病院で何人かの先生に診断を受けたところ、もう点眼薬が効かない状態まで目の炎症が進んでいるとのこと。

先生「ここまで炎症がひどいと、目に注射しないとだめですね。注射すればよくなりますから

心の修羅場の風速が一気に嵐に変わった。血の気が引いた。

目に注射?!まじ?!まじで?!

俺「あ、あの痛くないですかね…」

先生麻酔効かせますから

そうだ、麻酔が効いてるんだから大丈夫だ!と自分に言い聞かせるも、心拍数は上がるばかり。

目に注射…目に注射…目に注射…目に注射

準備が整うまでの待ち時間はほんとに地獄だった。

そらから別室に呼ばれて、ベットに寝かされた。看護婦っぽい人に「どっちの目ですか?」と聞かれたので「症状があるのは右目ですけど…」と自信なさげに答えたが、看護婦さんは先生に確認する様子はなし。確認してくれー!と心の中で悲鳴を上げてたら、先生がきた。注射を打つの先生らしい。

先生機械で目を開けますからね」

といわれて、強制的にまぶたを開いておく器具をつけられる。恐ろしいことに注射針が見える程度には視力が残っていた。

淡々注射器の準備を進めるスタッフの人たち。

(絶対瞳が動く!)(というか、針を直視したら絶対に逃げる!)と恐怖心がピークに達して頃にその時はきた。

先生「上向いててください。目薬さしますね」と目薬を2~3滴。

先生「ずっと下を向いててくださいね

緊張でガッチガチになりながら必死で下を向いていると、目に何かが刺さるのがわかった。麻酔が効いているのかあんまり痛みはない。下を向いているせいで、視界に注射器が映ることはなかった。

「下向いててくださいな-」と言われながら、たぶん1分ほどで注射は終わった。

その後、ガーゼを渡されて目を押さえながらしばらく寝た後、再度問診・採血をやってその日の治療は終了。

ガーゼが取ってみたら血の涙…をイメージしていたけど、うっすらピンクになってるぐらいで出血の形跡はほとんどなかった。

だた赤いゼリー状の物体がガーゼについてて、注射したところの目の組織に思えて怖かった…

いまのところ注射が効いたのか、痛みはだいたい収まったように思う。

右目の視界は白濁してて失明するかもしれないという不安はあるけれど、目の注射の恐怖を乗り越えられた安心感でなんとかなる気もしてる(何の根拠もないけど)

まあ、とにかく人生で10本の指にははい修羅場だった。

死ぬかと思った

2011-10-26

なにこれ

かれこれ二週間超下痢が続いている。

トイレ結構頻回に行ってる。

そしてその間粘血便?が何回かあった。

もう絞っても出ねえよってほどハラ下した後、ウォシュレット水に混じって血まみれのクラゲみたいなもんが。

仰天して病院に駆け込んだら採血を経て内視鏡検査が決まった。

「せいぜい痔だと思ってたのに」という憂鬱気分と、

「飲食制限地味にきついし下剤ちょうこわい、つうか大病だったらどうしよう」という恐怖心と、

「うっひょーーー! ついに! ついに暗黒の臓器に足を踏み入れる!!!1!!」的な

小学生男子級の興奮と期待が入り混じってなんかすごく変な気分。

いや大腸検査だし暗黒の臓器まで行かないのはわかってんだけど、こんなにwktkしたのは久々だ。

2011-10-20

逃げましたが・・・・ http://anond.hatelabo.jp/20111020013955

なぜ、これは、こんなにブクマが付くのでしょう?

逃げた話も出てきてるかな? わかりにくいかな http://sky.geocities.jp/nanami061106/

そこの中で見た事は本当にショックで、あの有名なA日新聞のルポよりひどくて・・・

しかし、それを言っても言えば言うほど、こっちも危ない目にあう可能性もあり(正気を疑われるので)何とも言えない気持ちになりながら、ずっと暮らしてきてます

体の調子も、そこにいたストレスで、その病院採血した時に血糖値糖尿病の境界域になってると言われ、それ以来体に痛みやだるさがありますが、病院に行くのも怖かったし行っても、医療生協病院医療相談も芳しくなく、違う病院に何も言わずに行っても保険証がなかったから、怪しまれたのか、きちんと調べず帰されたりして怖くなったりしてました。

そこの中には、親の虐待や家庭に問題があったと思われる人たちもいましたが、普通に話ができる人が、閉鎖病棟に入れられていました。家庭に問題があったせいか内向的性格になり、外に友人知人が一人もいないので、助けを求める事ができないので、いいようにされていると思いました。

逃げたのは、そのようなひどい状況を外に知らせないといけないと思ったかですが、逃げて精神科病院相談に行っても、来ないでくれと断られたり、他にもいろいろ困った目に遭わされた事もあります

症状がひどい人暴れる人より、おかしくない人が来てくれた方が病院も助かります。家庭に問題あったと思われる人たちはだいたい公費で入ってました。家族自分の懐が痛まないし虐待事実も隠せるのでちょうどよいのだと思います

自分ではありませんが、消えた掲示板でこういう書き込みもありました 

http://backupurl.com/2qfwkm (これがなかなか探せなかった。ここにはないけどこの人の今は閉鎖されてる掲示板過去ログのような目に自分は遭わされてはいません。裸で連れてかれたり。投薬もされてなかったので違う部分もあるのだと思います)

自分はてなダイアリーでやっと見つけた。それがこれ、ここにも書き込みが反映されなかった事を書いていた。繰り返しにあるけど、これです。 http://d.hatena.ne.jp/oooquree/20111009/1318121258?sid=23




精神科というのはNHKでもこういうふうに特集されてます http://video.google.com/videoplay?docid=1357970654167682728

youtubeでは読売新聞大阪本社記者がこう言ってます。 http://www.youtube.com/watch?v=ihkqaeDP7ys

全部が全部こうだと言うのではありませんが、こういう可能性もあるし、普通世界とはかけ離れた世界です。A日新ルポにも書いてありましたが、怪しい私立の病院でも医師大学病院から派遣だそうで、自分が関わった病院でもそうでした。

精神医療に関する違法な強制入院の週刊spaの記事の中身が引用されてるブログ http://blog.goo.ne.jp/publicult/m/200809

spaのケース4の事例では訴訟も起きてます

http://www.courts.go.jp/search/jhsp0030?hanreiid=33874&hanreiKbn=04

事件番号平成15(ワ)1090

事件名  損害賠償請求事件

裁判年月日 平成18年11月22日

裁判所名・部 京都地方裁判所    第7民事部

判示事項の要旨

精神保健及び精神障害者福祉に関する法律(平成11年改正前)33条1項に規定する医療保護入院の前提となる指定医の診察を受けさせる目的で,原告家族の依頼を受けた医師が問診を十分にしないまま,町職員らが原告を押さえ付けた状態で,医師精神安定剤注射して,病院に搬送した行為につき,医師及び町職員の行為違法とされた事例



あるライターのところに書き込みが反映されなくて、その中身を紹介したら、ここには入ったというブログ http://donjinan.blog101.fc2.com/blog-entry-173.html#cm

そこにも載せているけど、自分の書きこみを保存したページ  http://sky.geocities.jp/oooquree/kako1006.html


ブクマしようとしたら何回やっても取れないページがあるのに気づいた。はてなアメーバ仕様のせいかもしれない

http://ameblo.jp/momo-kako/entry-11030085406.html このページをブクマし、コメントを下のように入れようとしていた。

9月28日以来私のコメントは反映されてない。他の精神病院被害者ブログには入ったので、かこ氏への中身も載せた。http://donjinan.blog101.fc2.com/blog-entry-173.html#cmライターは煽るだけで本気で何とかしようなんて思ってない

ライターは煽るだけで冷静に物事を捉えようとしていない。地震東電関係で言えばT田教授のような精神科医を良いもののように紹介している。その人全部がおかしいわけじゃなくても ( T田氏も当たってる面もあるがデータの示し方など杜撰さも指摘されているし、ケレンたっぷりな人だと思うが、)そのあたりも指摘しないといけないと思う

この人はあんまり調べてないと思う。精神病院精神科については、本当にいろいろあって、一面的に捉えるのは危険だと思う。薬についてもうつ病の薬は依存性もあり、危険性もあるが、正しい医学的知識を持った医者の指導の元に服用し続けている人も居る。一概には言えない事だと思う。

この人のブクマできるかどうか、誰か試してみて

他にブクマできたところもあるので、仕様の問題かもしれない http://b.hatena.ne.jp/entry/profile.ameba.jp/momo-kako/ ブクマできたところのブクマ



増田にも入らなかった中身について書いたものがありました

精神医療被害者について聞き取りしているライターのかこさんに書いて載らなかったもの

タイトルを表示させる形にしたら、前ツリーに繋がらなかった事があったので、やってみたんだけど、繋がってるな。どうしてだろう?別にいいんだけど多いし読みにくくなるし、今は関係ない邪魔情報というか煽りもあるツリーだから。。。

最近ものでは、病院関係じゃなくアパート半壊について(鍵施錠の事で)トゥゲッタが、PVは意外に伸びた。  http://togetter.com/li/202013 家賃滞納して追い出し屋被害に遭ったネットニュース記事へ家賃滞納なしで同じ事をされた話を書き込んだが

ツリーに出てくる林医師に関しては

http://d.hatena.ne.jp/oooquree/searchdiary?word=%CE%D3

林公一ペンネームでは?という意見もある。自分はてなダイアリーには、断定的に書いてあるが、

http://anond.hatelabo.jp/20111010132657  で補足したように、質問サイトでそういう回答があって、厚生労働省がやってる医師検索では1名しか出ないのがわかっただけなので、ピンネームではないかという意見もあるという言い方に留めておいた方がいいと思っている。

2011-10-09

精神医療被害者について聞き取りしているライターのかこさんに書いて載らなかったもの

最初がこれ http://ameblo.jp/momo-kako/entry-11030085406.html

5 ■無題
こういう事で金儲けしている人にすごく疑問を持ちます被害者の話で本を作って儲けて、被害者は助けないんですか?こういう形の人だけじゃなくて、精神病院の中で苦しんでいる人たちも居ます。

笠氏の事を入れたのも自分です。冷やかしではありません。私は精神病院から逃げて20暮らしてきてますが、人格に問題のある親の事で困ったままの状態です。
私以外にも某巨大掲示板スレでは親から逃げてる人たちのスレもあります。
言うと被害妄想にされそうで怖くて相談にも行けませんでした。
基本的人権に関する事なので、もっと国や行政が助けなければいけないと思います。
本当は一般の人にも道義的責任はあるはずです。国や行政に働きかけるという方向で助けてもらえますか?

今、親に居場所がわかったら、親から嫌がらせとも何ともよくわからない事をされ、それについては弁護士内容証明を書くまでの事にもなったのですが、それをやったのは親以外にも利害がからむ相手が居たのですが、弁護士が相手方についたらそっちと訴訟じゃなくて交渉がしたいと言い出し、それを嫌がるならやめると、おりてしまったという状態です。
詳しくは、自分で作ったサイト事情が載ってます。
少し前の記事に、不登校児を精神病院に入れなくて良かったという話がコメント欄にありましたが、うちの母親養護教諭をやってた時不登校の生徒さんを精神病院入院させていたそうです。私は不登校児ではありません。
親を専門家に診せよう色々な所に相談に行ってました。

まだ、説明の途中ですが、どこかで公開で質問できないでしょうか?
なまえ 2011-09-28 16:52:00  >>このコメントに返信


http://sky.geocities.jp/oooquree/kako1006.html

お返事ありがとうございます

今日ツイッタで拡散させようとしていたら、凍結されました。

私は今ものすごい状況に居ます

そんなにすごくないかもしれないけど、普通家族ならこんな目に遭わないと思いますアパート半壊させた業者に親が協力し、無断交換施錠し警察が民事扱いで介入し、鍵は家主から手に入れたもの

その時の警官の家主を庇う言い方や、法的な場以外での面会の強要の仕方に大変ショックを受け

その後も本当に色々あり

こういう書き込みでも、ここでどこと特定できる言い方はまずいと思いますが個人のある犯罪にあった方のブログでも、その方の検察審査会に関するネットニュース記事を見て質問しに行って、窮状か事情か、事情を書いたページを載せたり書き込んだりしていたら、返事が無かったので、返事はしないんですか?みたいな事を聞いたら

「戦う ○さんを応援します」と書かれました。

その人はその犯罪に関する警察への苦情も聞き取るとか、よくわからない事も書いてました。なんでわからない事と思ったかと言うと、警察に対して、そんななあなあで済まして良い問題ばかりではないと思ったかです。中には国家賠償請求したら通るものだってあるかもしれないのに、ごめんで済んだら警察いらん、と関西の子供は言いますが、そこで引き合いに出される警察から権利侵害ハラスメントをごめんで済ませようとしているのには、違和感を感じました。

それはそれとして、こっちは戦えるような状態ではないのに、そんなまるで政治家みたいな言い方、何と言う人だろうと思いました。

私もその犯罪は未遂だけど遭ってます。ずっと昔ですが、その事も書きました。それからしばらくして人が怖くなり家に居たら、余計に親はここぞとばかりに責めてきました。今回の事でもそうですが、人が弱っているとここぞとばかり攻撃します。

あぁ こんな事書いても全部被害妄想にされるかもしれない。。。。。

でも、サイトに半壊画像はあるので、これは実際その場所の近くの人にでも確認してもらえば確認できると思います

http://sky.geocities.jp/oooquree/fax.html

からの気持ち悪いFAXが上に来てますが、だいたい概要がわかります

http://sky.geocities.jp/nanami061106/

精神病院関係の事も載せてます

最近はてなブログです

http://d.hatena.ne.jp/oooquree/about

最近作った新聞?らしきページ 編集自分でできないもの 凍結されたツイッタアカウントです

http://paper.li/Tasmanian_good/1317696179

私がライター自称ジャーナリスト()笑を信用しないのは、この前見つけたネットニュースが、家賃滞納して鍵施錠された人の事を記事にしていて、情報提供の欄から書き込んだのに全く連絡が来ないというような事もあるからです

それがなぜ記事になるかと言えば、”弁護士が流すから”ではないかと思います

私は追い出し屋の被害にあったのではなく追い出し屋対策弁護士の被害に遭いました。ツイッタで追い出し屋について記事を書いたりちょっとした本を出したり(本は不動産関係だったかな)してた人が、何を思ったか、私をフォローしたので、質問したのですが、○さんの幸せをお祈りしています、とか自動応答なのかもしれませんが、意味を為してない答えばかり返ってきたりしました。

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1367730408

弁護士の問題

http://www.mynewsjapan.com/reports/1502#comments

ニュース記事 URLはネットリンクフリーだし中身も特に問題視されたわけではないので大丈夫だと思いますが、削除にされたらショックです

ニュース記事の中のツイッタ枠の中にもたくさん書いてあったのですが、凍結されたので、読めないかもしれません。

自分ブラウザに残っている分だけでも保存してき、また読める形にしたいと思ってますが。

もっと詳しく今の状況を書いたものもあったのです

今、非常にややこしい状況で、親の異常性を認めて生活保護を親に連絡せずに通したのに、よく考えたらちっとも保護になってないような状況です

こちらが、保護施設や病院への保護を望んでもCWは病院は知らないと言うし、病院へ聞いてもCWに言ってと言われるし

総合的に相談ができる公立の内科精神科もありCWもいる近くの病院へ行こうとしたら、それまで通っていた漢方のクリニックの神経に効く漢方薬内科の薬かもしれないと民生の係長に言われ、クリニックを止めないといけないと言われマ大変ショックを受けました。

民生の苦情を総務に出したら、改善されるどころか、余計酷くなりました。

生活保護精神的にも肉体的にもまいって、動けなくなって普通じゃないくらいぼーっとするとか、眠れないとか、見間違いが極端に多くなるとか、色々精神的に問題もあったから受けようとしたのですが、それだけではなく、私は20年間内科的治療を全く受けてません。私が入れられた病院で、採血した時血糖値糖尿病の境界域になっていると言われそれ以来ずっと体に痛みもありだるさもあります。前のような異様なだるさは取れたものの、冬場は何ヶ月か寝込むとか、毎日は働けないとか、そんな形で暮らしてきました。

本当はもっと早く生活保護なり何なり受けるべきだったと思いますが、CWには「今まで働いてたんでしょ」と言われました。

今までってその時は、2~3ヶ月かもっとかほとんど寝たきりでした。

上は下書き実際入力したもの

http://sky.geocities.jp/oooquree/fax.html

からの気持ち悪いFAXが上に来てますが、だいたい概要がわかります

http://sky.geocities.jp/nanami061106/

精神病院関係の事も載せてます

最近はてなブログです

http://d.hatena.ne.jp/oooquree/about

最近作った新聞?らしきページ 編集自分でできないもの 凍結されたツイッタアカウントです

http://paper.li/Tasmanian_good/1317696179

私がライター自称ジャーナリスト()笑を信用しないのは、この前見つけたネットニュースが、家賃滞納して鍵施錠された人の事を記事にしていて、情報提供の欄から書き込んだのに全く連絡が来ないというような事もあるからです

それがなぜ記事になるかと言えば、”弁護士が流すから”ではないかと思います

私は追い出し屋の被害にあったのではなく追い出し屋対策弁護士の被害に遭いました。ツイッタで追い出し屋について記事を書いたりちょっとした本を出したり(本は不動産関係だったかな)してた人が、何を思ったか、私をフォローしたので、質問したのですが、○さんの幸せをお祈りしています、とか自動応答なのかもしれませんが、意味を為してない答えばかり返ってきたりしました。

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1367730408

弁護士の問題

http://www.mynewsjapan.com/reports/1502#comments

ニュース記事 URLはネットリンクフリーだし中身も特に問題視されたわけではないので大丈夫だと思いますが、削除にされたらショックです

ニュース記事の中のツイッタ枠の中にもたくさん書いてあったのですが、凍結されたので、読めないかもしれません。

自分ブラウザに残っている分だけでも保存してき、また読める形にしたいと思ってますが。

もっと詳しく今の状況を書いたものもありました。

http://anond.hatelabo.jp/20110926141342

今、非常にややこしい状況で、親の異常性を認めて生活保護を親に連絡せずに通したのに、よく考えたらちっとも保護になってないような状況です

7割が20年間も医療行為を受けてないという事はありませにんよね?

憲法国民権利を守るもので、法律は国や行政側を守るというと語弊はありますが、国民を規定するものとしてあるそうですが、憲法に反する法律は作れないのだから憲法の方が法律より強いと解釈されるらしいです

でも、調べてみたら生活保護に関しては、理念としては憲法側が勝っても良さそうなものなのに、抽象的な部分は結構敗訴してます国民感情を考えての事かもしれません。

しかし、国民の7割が20年内科治療をしてない状態で暮らしてる国なんてあるんでしょうか?少なくとも日本では考えられないはずです

行かさないとは言ってないと言って来るかも知れませんが、ただでさえショックに次ぐショックで、精神的にまいっている状態の人間に言うことではないと思います

区役所からの文書を見ただけで動揺し、吐いたり下したりするようにもなりました。

信頼関係破壊し恐怖心を与え、自力で変な避難をしなくてはいけなくなったのは、区役所責任だと思います

保護費は手渡しにすると言う文書が来て、振り込まれていません。これも、親から取るべきだと思います道義的にもいつも原因を作ってその責任曖昧にする事をしてきた親です。離れて住んでいる人の部屋にいきなり鍵を施錠し入れ無くして行く異常者です

これが、どれだけ精神的に堪えたか。今も書いても親を庇う人もいます精神医療を考える会の人には、両親に家族会に入って貰って無理解を失くすよう話し合い、とか言われ大変驚かされましたし、この人はちょっとその他の判断もおかしい部分があったので、特殊な例かもしれませんが。

15年ほど前いきなり両親が来た時、当時のアパートの隣の部屋の人に「実は精神病院に入れてまして」(これを言ったのは父)と言って行き、養護教諭だった母は、転職して精神病院で働いていますと、メモを残して行きました。

ちなみに、母は不登校の生徒さんを精神病院入院させていたそうです

私は不登校児ではありません。

字数制限で入らなかったものです

今、非常にややこしい状況で、親の異常性を認めて生活保護を親に連絡せずに通したのに、よく考えたらちっとも保護になってないような状況です

こちらが、保護施設や病院への保護を望んでもCWは病院は知らないと言うし、病院へ聞いてもCWに言ってと言われるし

総合的に相談ができる公立の内科精神科もありCWもいる近くの病院へ行こうとしたら、それまで通っていた漢方のクリニックの神経に効く漢方薬内科の薬かもしれないと民生の係長に言われ、クリニックを止めないといけないと言われマ大変ショックを受けました。

民生の苦情を総務に出したら、改善されるどころか、余計酷くなりました。

生活保護精神的にも肉体的にもまいって、動けなくなって普通じゃないくらいぼーっとするとか、眠れないとか、見間違いが極端に多くなるとか、色々精神的に問題もあったから受けようとしたのですが、それだけではなく、私は20年間内科的治療を全く受けてません。私が入れられた病院で、採血した時血糖値糖尿病の境界域になっていると言われそれ以来ずっと体に痛みもありだるさもあります。前のような異様なだるさは取れたものの、冬場は何ヶ月か寝込むとか、毎日は働けないとか、そんな形で暮らしてきました。

本当はもっと早く生活保護なり何なり受けるべきだったと思いますが、CWには「今まで働いてたんでしょ」と言われました。

今までってその時は、2~3ヶ月かもっとかほとんど寝たきりでした。

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あの半壊アパートに住めと言うのは、人間らしい健康的で文化的な最低限度の生活とは言えないと思います

構造的に危険なのと、家主と親の恐怖とで。

男女間DVの場合は居場所がわからないように細心の注意を払っているようなのに、虐待や異様さを(ふつうじゃないと言うのが録音されてます)認めつつ保護しないのはおかしです。自力で逃げる力も無いか保護申請したのに。

申請時に親が狂っているのか狂ったふりをしているのかわからない、区役所はどう判断されますか?と聞いているのに。


上のURLは、ライターじゃない被害を書いているブログの人に紹介した時に作ったページです。そこには載りました。

まだ、この後もコメント入れました。

問題点の指摘はいいけど、ではどうするかとか、漢方薬についても、少しは書いてたけど、わかってるのなら、もっと詳しい情報も調べて載せた方が良いのでは無いかと思ったので、それも書き込みしました。

この人の今は削除にしてある過去にあった掲示板には、長くてもいいから書いて下さいと書いてあるのに

怪しいと思ったというか、ブログにも、どちらかと言えば苦しみを書いて下さい、みたいな誘導を感じないわけでもない文章も↓

精神医療BBS作りました

http://momo-kako.webdeki-bbs.com/

 精神医療に関すること、精神科でひどいめにあった方、向精神薬副作用離脱症状などについて、言いたいこと、訴えたいこと、書き込んでください。

 当事者の声がなによりの説得力です

 また、同じ体験をされた方たちの情報交換の場にもなればと願っています

 私の記事へのご意見でも結構です

今は無いけど

掲示板じゃないからかな?意見でも結構とあるのに、意見書いたら載らないじゃんw ひどい><

ひどい目にあった、いいたいこと 訴えたいこと ・・・・ ではどうするか?がない と思った。

それに、地獄への道は善意で敷き詰められている、という言葉もあるように、悪気が無くて薬を処方している医師いるかもしれない。 薬全てがまずいというのも早計かもしれない。 期間や頻度の問題でもあるのではないかとも思うけど、そんなに詳しいわけじゃないので何とも言えないけど。  どこかのページで、ラジカルな主張をする精神科医に影響されて、精神科医ほとんどが良くない!とか書いてたけど、統計を取ったわけでもないのに、そこまでいうのは言いすぎだと思う。何だか他の業界弱者救済の弱者搾取と同じ事にならないといいけど、と思う。  ( 薬全てがまずいとは、はっきりそう書いてあるわけではないが、問題点ばかり指摘すると、全部まずいと受け取られがちなので、それと併記すべき情報も載せた方が良いのではないかというような事を思ったということ )

これこれ、このへん http://ameblo.jp/momo-kako/entry-11026922226.html

yahoo掲示板メンタル治療関係者らしき人から、私見としての意見で、これとは違う事で既存医師の問題を指摘してたのは見たことあるけど、問題がある傾向があるからと言って、100人中2~3人とかいうのはちょっと大げさではないかと思うし、そこまで言うならもっと調べてから数字を出すべきではないかと思う。無名人間営利目的でもなく書くのと、それで出版している人が書くのは違う。

何でもそうだけど、世の中問題ありまくりなんだから、切り取り方によっては、何でもでっちあげられる。これはでっちあげではないけど、微妙に煽る方向に持って行っているような気がする。

2011-04-28

気仙沼市本吉病院に関する備忘録

 Yahoo知恵袋には、本吉病院長に対する地域の冷たい仕打ちがあったような記事が出てくる。

 webには、そのようなものはなかなか出回らない。 とりあえず、ちょっとメモまで。

本吉町公式ホームページ 交流広場掲示板から

どうなのかな? 投稿者:一患者 投稿日:2007/02/20(Tue) 19:57 No.106


 この頃、本吉病院に行くことに、ちょっと抵抗を感じるようになりました。誤診なのか知識不足なのか、適切な処置をされないで手遅れになるところだった人の話を聞きました医者も生身の人間ですから、診誤ることもあるかもしれないけれども、私たち一般の人は医者を頼りに病院に行くわけですから、しっかり診察をしてほしいもです

森町長がこの掲示板を見るかどうか分かりませんが、できたら、もっと医師研修なり、勉強の機会を与えて、町民の命を預かるというのは、重責かもしれないけれども、でも、本吉町で唯一の病院ですので、高い機械を入れるばかりでなく、それを使いこなす人材医師を育ててほしいと思います。赤字で大変でしょうが、一考お願いします。

直接、病院事務長や院長に話をすればいいのでしょうが……


 あとは、勉強用に。

本吉国民健康保険病院改革プラン(平成20年12月本吉国民健康保険病院)

病院あゆみ

 本吉国民健康保険病院は、昭和22年8月に旧津谷国民健康保険組合の直営で一般病床24床の病院として開設された。

 翌23年には、法改正により旧津谷町に移管され直営病院となった。

 昭和26年には産婦人科の診療も開始された。

 昭和30年3月の町村合併により本吉国民健康保険病院となり、この年に新病棟建設され、一般病床52床、伝染病病床12床を有する病院となった。

 昭和34年当時診療科目は、内科、外科、小児科産婦人科標榜しており、地域の中核的病院として住民の健康と福祉の増進に大きく貢献してきた。

 しかし、その後人口減少などの理由により、病院は多額の累積赤字を抱えるようになったため、昭和47年に病院運営委員会を設置し累積赤字の解消に努めてきた。

 赤字解消策の一つとして、同年に外科、産婦人科が廃止された。

 その後も逐次規模の縮小が図られ、昭和61年には一般病床38床で、内科、小児科標榜する現在病院の規模となった。

 昭和47年から取組んできた累積赤字の解消は、一般会計からの繰入金の増額等により平成6年に全て解消することが出来た。

 その後は単年度の損失はあるものの繰越利益剰余金により累積赤字は発生していない。

 本吉町内には、かつては数軒の医科医院開業されていたが、医師高齢化等により廃業し、平成15年以降は診療が行われておらず、本吉病院が町内唯一の一般病院として現在に至っている。

 国の医療費抑制策による近年の診療報酬改定は、小規模な病院に与える影響が大きく本吉病院においても診療収入が減少している。

 特に平成16年度の診療報酬改定により薬の長期投与が可能となり、患者の通院数が月2 回から月1 回になったため外来患者数が減少したことも診療収入減少の要因の一つとなっている。

 現在本吉病院では、常勤医師2名により平日の診療に当たり、土日及び祝日等は東北大学病院より臨時医師派遣いただき診療に当たっているが、患者数による必要医師数は常勤医師3名となっており、早急に常勤医師3名体制の確立を図る必要がある。・・・


現在病院提供している医療と職員数

 本吉国民健康保険病院は、一般病床が38床で、診療科目は内科、小児科標榜しているが、現在は内科医師2名により、実質的には内科単科のみの医療提供を行っている。

 外来患者数は、1日平均70~80名で年間約21,000人となっているが年々減少傾向にある。入院患者は1日平均35人で病床利用率は93%となっておりここ数年は横ばいとなっている。

 外来入院診療のほかに、件数は少ないが訪問診療や訪問看護・訪問リハビリ等も行っている。

 本吉病院は、町内唯一の一般病院であることから、毎週日曜日は当番医として診療を行っているとともに、救急告示医療機関はなっていないが、内科に係る初期救急については24時間受け入れを行っている。

 また、町の健康福祉課が計画している乳幼児等の各種健診や予防接種のほか、町立の幼稚園保育所小学校中学校の校医も受託している。

 さらに、町内企業産業医を受託しているとともに気仙沼地域産業センター主催健康相談への協力も行っている。

 以上のように、本吉病院地域において果たしている役割は極めて大きく、本吉町の保健医療の推進を図る上で欠くことのできない重要医療施設となっている。

 本吉病院の正職員数は、医師2名、薬剤師1名、診療放射線技師1名、臨床検査技師1名、理学療法士2名、管理栄養士1名、看護師18名、事務職員5名の計31名、ほかに臨時職員が看護補助員9名を含めて21名で、合計52名となっている。

 医師については、本吉病院患者数による常勤医師必要数は3名で、1名不足となっていることから、当直等を含めた勤務時間が過剰になるなど医師の負担が重くなっており、早急に医師の確保を図る必要がある。

 看護師については、本年度正職員1名を採用し18名となり、必要数は確保している。(参照 【別表】定員管理に関する計画)

4月2日河北新報

気仙沼本吉病院 苦境を結束でカバー「住民守る」


 宮城県気仙沼市本吉町の市立本吉病院(38床)が苦境に立たされている。津波で1階が高さ1.7メートルまで浸水した被害に加え、2人の常勤医が辞職するなどして現場を離れたからだ。被災と「常勤医ゼロ」の異常事態が重なる医療現場で、看護師派遣医師が「住民の身近な病院を守りたい」と奮闘を続けている。

 押し寄せた津波入院患者20人や職員は避難したが、1階の診療室やエックス線室、コンピューター断層撮影CT)などの医療機器は水に漬かり、損壊した

 3月20日には院長(59)が辞表届けを提出。もう1人の常勤医の40代男性も体調を崩し、ともに現場を離れた。病院関係者は「停電、断水、薬不足の中、外来患者は普段の2~3倍に上り、昼夜働きづめだった。誰も責められない」と語る。

 現在医療活動は、徳洲会病院グループでつくる災害医療協力隊TMAT」が担う。入院患者岩手県千厩病院一関市)に移送し、24時間態勢で外来診療に当たる。

 千葉県から5泊6日の日程でやってきた医師黒岩宙司さん(54)は「避難生活の長期化で風邪や不眠を訴える人が増えている。今こそ協力隊の力を発揮しなければならない」と力を込める。

 病院職員は津波によって12人が自宅損壊、2人が家族を失った。自宅が津波で流された薬剤師長の遠藤博文さん(54)は「JR気仙沼線の復旧の見通しが立たず、遠距離通院はできない。ここを守るしかない」と、泊まり込みを続ける。

 TMATの支援期間は1カ月程度の見通し。市は復興作業と医師確保という難題を背負った。

 看護師長の佐々木美知子さん(44)は「人口1万1000の本吉地区住民にとって、病院はここしかない」と話す。

 職務に追われ、2人の子どもと会えたのは震災1週間後だった。「住民の健康を守るため、病院存続のため、みんなで力を合わせたい」。言葉に強い覚悟がにじんだ。(高橋鉄男)

4月17日河北新報

ふんばる 3.11大震災病院存続 使命を胸に


◎常勤医去り職員が結束/宮城県気仙沼市本吉病院看護師長・佐々木美知子さん(44)

 入院患者19人全員岩手県病院に移し、人心地ついた朝だった。
 3月20日。気仙沼市本吉病院
 男性院長(59)の姿が消えた。
 震災から9日間、泊まり込みで診療を続けていた。部屋に辞職願があった。同じ日にもう1人の常勤医も体調を崩し、現場を離れた。
 旧本吉町で唯一の病院は常勤医がいなくなった。
 看護師ら31人の職員が残された。被災で派遣された外部医療団の応援を受けている。

4月上旬
 「おばあちゃん、眠れていますか」
 2階の一室で外来患者に話し掛ける。そばで派遣医師心音を聴いている。
 院長は地元兵庫県阪神大震災にも遭ったという。耐えられなくなったのだろう。
 「責められないよね。私も逃げ出したいぐらいだもの」
 津波で1階が水没した医療機器が壊れ、カルテが流され、ガスと電気と水が止まった。
 メモ用紙に「カルテ」と書き込み、急場しのぎの診療記録を作ることから始めた。
 入院患者の足元で雑魚寝し、患者タオルを借りて寒さをしのいだ。医薬品が足りない。患者によっては点滴を半分に減らさざるを得なかった。
 病院は存続するのだろうか。常勤医の不在は職員を不安にさせた。
 外来患者は1日200人前後震災前の3倍に増えた。不眠や風邪を訴える。
 「病院地域の人に求められている。病院消滅の不安は消え、存続への使命感に変わった」


 4月9、10の両日、地元の住民約100人がモップと雑巾を手にやって来た。自治会長(52)が常勤医不在を知り、「地域の力で病院を守ろう」と清掃を呼び掛けた。
 1階の泥をぬぐい取る。職員も一緒に精を出す。
 看護師長になって12年になる。2人いる管理職の1人として職員を束ねる。
 「みんなと一緒に目の前の患者に向き合うことしかできない」
 職員のうち、12人が家を流された。それでもほぼ休みなく働いてくれる。家族を失った看護師現場復帰した
 家に帰ると、長男(8)と長女(5)に抱き付かれる。「うちはどうして休みがないの」と聞かれる。ほとんど一緒にいられない。夫(42)も市の水道職員で忙しい
 医療はいずれ去る。
 「それまでに常勤の医師を確保し、以前の運営に戻れるかどうか分からない。でも、職員と地域の人は命の拠点を残したいと頑張っている」
 心の中でわが子に言い聞かす。
 もう少し待って。いい未来を残すから。(高橋鉄男)

4月20日毎日新聞

東日本大震災:常勤医不在に看護師奮闘 宮城気仙沼


 東日本大震災津波で1階が水没した宮城県気仙沼市の市立本吉病院(38床)は、大半の医療機器が流されたうえ、院長ら2人いた常勤医が病院を去るなど苦難に直面した。だが、残った看護師や職員は県外から派遣された医師とともに「被災して苦しんでいる人をわれわれが見捨てるわけにはいかない」と奮闘を続けている。【村松洋、堀江拓哉】


 3月11日、2階建ての病院は大きな揺れで停電した。非常用発電機でひと息ついたのもつかの間、約35分後には津波が襲った。1階が水没したが、入院患者19人と看護師長の佐々木美知子さん(44)ら看護師、職員約20人は2階に避難して無事だった。医薬品や布団、非常用食料は2階の一室に運び込んだ。
 夜には自治会から発電機を借りて、心電図などの機器モニターした。それでも院内は真っ暗で、懐中電灯看護を続け、患者にはレトルト食品など非常食を食べてもらった。
 来院者は増えた。不眠やストレスで息苦しさを訴える被災者が多く、通常の約4倍の270人が来院する日もあった。佐々木さんは10日間、自宅にも帰らずに看護を続けた。
 17日には県外から3人の医師が応援に入り、19日には入院患者の転院を終えた。だが翌日、院長(59)の姿はなかった。机上に「一身上の都合」を理由にした辞職願があった。
 院長は阪神大震災で被災し、東日本大震災では津波にのまれ、病院の燃料タンクにつかまって助かった。管理課長鈴木幸志さん(59)は「2度も被災され、院長の家族も心配していた。去ったことをとがめるわけにはいかない」と話す。体調を崩したもう一人の常勤医も病院を去った。
 残った看護師や職員たちも被災者で、計29人中12人が津波で家を流された。夫や親族を亡くした看護師もいるが、全員ほとんど休まずに勤務を続ける。
 4月9、10日には地区の住民ら約100人が1階の汚泥の掃き出しなど掃除をしてくれた。地震から1カ月の11日、1階での診療を再開した
 応援の医師はいずれ県外に戻る。病院は今、市や医師会を通じ、新たな常勤医を求めている。佐々木さんは、常勤医不在で病院の将来を心配しながらもこう話す。「家を流され、私たちより困っている人が大勢いる。そんな人たちを診てあげられるのは私たちしかいない。今できることを毎日続けるだけです

4月27日中日新聞

宮城気仙沼病院、常勤医不在


 宮城県気仙沼市本吉地区で唯一の医療機関、市立本吉病院では、震災後に男性医師と院長が相次いで休職・辞職し、残された看護師たちが応援の医師と休まず働き続けている。
 「大丈夫? 痛くないかな」。白衣の代わりに白いエプロンをまとう看護師長の佐々木美知子さん(44)が高齢の女性から採血し、優しく語りかけた。
 1階天井近くまで達した津波白衣医療機器も流した人口1万1千人の本吉地区から中央部への道は断絶。佐々木さんらは、薬を求めたり体調不良を訴える市民の応対に追われた。院長(59)は1日に最大で270人の患者を診察した
 応援の医療チームが到着した14日から、50代の男性医師休職。20日には院長が姿を消した。院長室の荷物にまぎれて辞表が見つかった。「院長がああいう辞め方をしたことを責められない」と佐々木さん。「看護師だけになってもやるしかないと覚悟した
 応援チームは小児科や外科の医師もいて、24時間体制で患者を診られる。皮肉にも、内科だけだった震災前より多くの市民を診察できるようになった。5月までは医師2人のチームが交代で来てくれる。ただ、地元主治医と呼べる医者がいずれ必要となる。
 「ここが地域の中心になって、福祉や介護、生活すべてを守りたい」。佐々木さんは同僚の看護師と肩を寄せ、笑いあう。「早く新しい先生に来てもらえるよう、私たちが頑張らなくちゃ」 (柚木まり)

記者とインフォーマントが誰なのかも控えておく。

2010-11-05

守るべきもの、という言い訳について

パソコンをしながら

妻が見ている月9ドラマを横目に見て、

馬鹿にしていた。

 

腎臓移植」を断る主人公の親戚達。

そして、ついには婚約者にも断られる。

 

自分が同じ立場だったら…?

「死ぬわけじゃないって言ってるんだし、協力するだろ、普通。」

ご都合主義、くだらない。」

そう思っていた。

 

先日、伯父が白血病にかかった。

 

割腹がよく、明るい性格の伯父だったので、

突然の知らせに驚いた。

 

すぐに「骨髄移植」という言葉が頭をよぎったが、

薬で治療をする、という事らしく、

本格的治療に入る前に見舞いに行ったりした。

 

その後、忙しくなり、なかなか顔を出せなかったが、

どうやら退院をしても良い期間と、

入院をする期間とを交互するような生活に入り、

安定してきたという話を聞いていた。

 

ところが急に耐えられないほどの痛みを訴え、検査をしたら、

骨髄移植による治療が必要な段階に入ったらしい。

 

唯一の兄弟である母が提供者となるべく、検査をすることになった。

そこで、医師より以下のような説明があったらしい。

 

骨髄移植には以下の2通りの方法がある。

全身麻酔を行い、骨髄より骨髄液を抽出する方法

・薬により血中の白血球数を通常の10倍ほどに増やした状態で採血(?)を行う方法

 

前者は全身麻酔リスク(マヒなど)があり、

後者は薬の影響で数年後、自身が白血病にかかるケースがある、という事らしい。

 

そして、近年では後者が主流になってきているそうだ。

白血病リスクがある後者が主流という事に耳を疑ったが、

医師の話を母から又聞きしているので、情報が欠けているのかもしれない。)

 

テレビタレントドナー登録をカジュアルに訴えているような世の中なので、

恐らく医師の言ったようなリスクは非常に低い確率で発生するようなことなのだと思う。

 

しかしそれを聞いた時、

検査の結果、適合して伯父を救って欲しいという気持ちと同時に、

適合せずに母が安全でいて欲しいという気持ちが生まれてしまった。

 

仮に、母に代わって自分が行けるか、と考えると、

妊娠中の妻と、生まれてくる子供の事が浮かび、確実に躊躇している自分がいた。

 

まさに、鼻で笑っていたドラマの薄情な親戚そのものだった。

直接医師に確認をしていないので、情報が足りていない状況だが、

自分がそう考え事がひどくショックだった。

 

そして今日検査の結果、

残念ながら母の血液では伯父に適合しなかったという連絡があった。

 

まずはリスクについて、直接医師から説明を受けに行こうと思う。

2010-09-01

「つまり男性ホルモンは脱毛防止する作用があったんだよ!!」

テストステロン存在する=毛が太くなる!!つまり男性ホルモンは脱毛防止する作用があったんだよ!!」

wikiとかでAGAについて調べていた個人的メモ。誤解を起こしそうなので以下。正確性の保障なし。

男性ホルモンの2種類】

テストステロン(T)

・脱毛を引き起こさない(毛髪を太くする)

・性欲の増加

・骨格筋肉の成長

・やる気、行動力の増進

■ジヒドロテストステロン(DHT)

・脱毛を引き起こす(発毛周期を休止期へ)

・性欲の減少

・髭など体毛の増加

前立腺肥大

AGA(男性型脱毛症)の進行過程】

1.老化などによりT減少

2.Tに5αリダクター酵素が作用しDHTに変化(通常よりDHTが増加する)

3.DHTが毛母細胞の成長を抑制

4.発毛周期が休止期へ、脱毛・薄毛に

[フィナステリドを服用]

5.5αリダクター酵素を阻害、DHT生成抑制

6.発毛周期正常化、回復

DHTについて】

おそらく一般的に男性ホルモンではげる~のはDHTの方を指してる。

DHTを生成するのはTの不足分を補う為らしい。

上にも書いたけどDHTは性欲減少するから、Tが減って子孫がまずい!からとかじゃないみたい。

デメリットばかりのDHTが生成されるのは多分ホルモンバランスを整える為かも。

(DHTは陰茎の成長に関与します)

テストステロンの増加について】

で、wiki見ると筋肉トレーニングによってTの分泌が促される、

実銃の使用などの危険物危険な行為で普段の100倍近いT値を記録したとある。

また女性とのコミュニケーション恋人浮気、さらにはほどほどなセックスによっても増加するよう。

他にはFPSでチームで勝利したときなども増加するらしい。(攻撃的、闘争心)

【どうすべきか】

男性でいる限りTはあり続けて減少すればDHTが増加してしまうんだから、

Tが下限値(8.5pg/mL)以上あれば禿予防になるんじゃないか。そうなればDHT生成の必要がないからね。

だから筋トレなどの男らしい事すれば薄毛進行を遅らせる事が出来るかも。Tを増やす食事も摂るとか。

すでに薄毛が気になる人はフィナステリドを服用して進行を防止する。

長期休暇には彼女ハワイにでも言ってセックスしながら実弾射撃しつつ、現地人と浮気すればいい。

※20歳代の平均は11.8pg/mL。それ未満は男性ホルモン低下傾向群とされるらしいです。

※フィナステリド服用初期の副作用の睾丸痛はDHT濃度が減りホルモンバランスを整えようと

テストステロンを増加した為らしいです。

食べ物

テストステロン量増加食品

単価不飽和脂肪酸…ナッツ、オリーブ油アボガド

飽和脂肪酸…肉、卵黄

テストステロン量減少食品(健康にはよい)

多価不飽和脂肪酸…魚、植物油

【その他】

まぁ既に高齢である場合や遺伝的に

テストステロンの減少率が高い、

・5αリダクターゼを多く生成する体質、

・DHTの感受性が高い

場合などは効果薄いかもだけど。(彼女持ちで体育会系でもつるっぱげの人もいる)

あと低テストステロン状態だと死亡リスクが高い。

検査

因みに血中テストテロンの量や、自分が遺伝的にAGAになる可能性があるかは検査できます。

血中テストステロンは午前中が最も高いから、その時に採血するといいらしいです。

【まとめ】

最後にまとめ?ると、ホルモン的にも健康な生活を送るには充分な運動重要

(基本的に体育会系のリア中の勝利...orz

【参考】

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%86%E3%82%B9%E3%83%88%E3%82%B9%E3%83%86%E3%83%AD%E3%83%B3

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%84%B1%E6%AF%9B%E3%81%AE%E6%B2%BB%E7%99%82

http://www.daito-p.co.jp/reference/testosterone.htm

http://www.hairmedicalcure.com/terms/dihydro.html

http://ikumou.sakura.ne.jp/testdht.html

http://intmed.exblog.jp/4128674/

http://www.sf-magazine.com/april00/teststeron.htm

http://www.haircarenavi.com/article/106472777.html

2010-05-05

http://d.hatena.ne.jp/bookstore/20100503/1272856385

HIV感染した看護師さんの件とシャア・アズナブルの憂鬱

今回の件、まず個人の立場を述べておきたい。

  • 当人に無断で検査をしたことは許しがたい
  • でも、患者としてこの病院に「行きたくない」という人は責められない
  • なので病院としては困ってるんだろうなぁと思う

この3点

事実って言うか感染の可能性についてはNATROMさんの

1. 看護師の業務で、ミスも含め、看護師患者への感染が起こるようなことはきわめて考えにくい

 「針刺し事故」というのはありますが、これは患者に刺した針を誤って医療従事者に刺すことです。何百回、何千回も採血をやっていれば、稀にはそういうこともあります。しかし、医療従事者→患者感染させるには、一度、医療従事者に針を刺すという事故があった後に、さらにその針を患者に刺すという、稀なミスが二度続けて起きなければなりません。そのような事故が起きたことなんて、聞いたことがありません。

2. これまでの報告で、医療従事者から患者へのHIV感染はきわめて稀で、しかも看護師の業務よりも感染リスクの高い医療行為によるものだった

 医療従事者から患者への感染事故の報告をまとめた論文があるのですが、HIVについては、2003年の段階で、全世界で3例のみです。こんにゃくゼリーのほうがずっと危ないです。しかも、その3例は、看護師業務だけではなく、心臓外科手術などを行う医師も含めての話です。執刀医がHIVキャリアだったら、執刀中に誤ってメスを自分の指に刺しただけで感染の可能性がありますから、「HIVキャリア医師は外科手術はダメ」というのは合理的で差別ではないでしょう。この場合、稀なミスが二度ではなく、一度で感染の可能性が生じます。

3. HIVより感染力の強いB型肝炎ウイルスも、看護師の業務によって感染していないという事実がある

 B型肝炎ウイルスHIVより感染力が強く、しかもキャリアの数も多いです。日本人集団の1~2%がキャリアです。B型肝炎ウイルスキャリア看護師は多くいます。もしHIV看護師業務でそれほどたやすく感染するとしたら、B型肝炎ウイルス感染がもっと多く観察されてもいいでしょう。しかし、看護師業務によるB型肝炎感染は、私の知る限りではありません。

で間違いないんだろうと思います。

 

でもそれがわかっても「なんとなくやだ」というのは消えないだろうし、ほかに病院があるなら多分多くの人は多分そっちに行っちゃうだろうなぁと

 

さて?

 

この病院を変えた人を、「バカ」だの「残念な人」だの言えるかどうか?今回ちょっと煽っちゃえ的に「行かないよ」なんつっちゃったので煽られちゃった人も出てきてちょっと困っちゃったりしてるわけですが、普通この場合(時期的にまあ想像がつくとしても)理由としてそれは挙げませんよね。だってこうなるから。多分理由なんて問われないだろうし。

そこを無理やり捕まえて「この差別野郎」といっても「うるせぇこのレッテル貼り」で終わる話で平行線。おそらくこの方がいる病院とほぼ条件が変わらなけば他の病院に行くひとが多いだろうと。これ考えすぎですかねぇ。

まあ上記の仮定のもとで経営に影響が出た場合。その怨嗟は当然その人個人に向かうわけで。廃院なんてことになって、特定されてなければなんだかんだ言ってその病院から採用しない→どこからか特定→病気以外の不採用条件を決定→その不採用条件に該当するものは全て不採用(もちろん当人も)→不当と訴えるも不当性の証明が困難みたいなコンボは軽く妄想出来るわけで。あ、妄想ですねすいません。

 

話が横にそれちゃったので戻すと、言いたいことって言うのは「その病院にはなんとなく行きたくないなあと思う人は多分多いだろうし(おいらもその一人だし)、たぶんそれは事実を知ってもあんま変わんないんじゃないかと思う」ってことです。たぶん個々の人に事実(実際の感染の可能性)を知らせた上で「行く」って聞いたら「行く」って言うと思いますよ。差別主義者だって思われるのやだし。でも実際の行動って違うんだろうなーって。

 

なんでここまで弄れてるのかっていう話だけど、昔の調査でエコに関するアンケートを取ったところ。殆どの人がエコに関する日常のことはすべきであると回答してた。でも、実際の行動を観察すると殆どしていなかったし、していたとしてもゴミを持っていってもらえないなどの不利益を被るものだったと言う。

 

人なんてそんなもんで口では正当性を口にするがなんだかんだでベネフィット/コストで動く。つーかほとんど正当性なんかじゃ動かない。で、ここでシャアの登場。つっても「逆シャア」の時のキレたシャア。多分当時の様相だと全ての人類宇宙に出ることが地球再生する一番いい方法だったのだろう。でも、動いてくれない。”人類革新”が待ってるのに動いてくれない。たぶん、ジオニズムってものすごい崇高な理想だしかなり実践的な哲学でもると思うのだけど、多分、みんなそうだよねっていう思想なんだけど。皆乗らない。でシャアはどうするのか「だったら地球にいられなくシテヤンヨ」と言うふうになる。なんか、おいらを非難している人たちからこのシャアの苛立に似た「インテリ上から目線」と「焦燥」を感じるんだよね(妄想かな?)

 

で、何なんだろうなも思う。貴方達が頭良くて冷静なのは分かった。アクシズをぶつけてこないことも分かった。でもなんか、そうなんか「なんだかなぁ」っていう気分が消えなくてダラダラこんな文を書いてみました。

 

で言いたくなったわけさ「ならば、今すぐ愚民共すべてに叡智をさずけてみせろ」って。ただそれだけ。

2010-05-02

自分赤ちゃんHIV陽性の看護士に任せたいかどうか

HIV陽性が判明した看護士に、病院実質的解雇の要求をした話について。

 

http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1469548.html

http://anond.hatelabo.jp/20100502170423

 

2ちゃんねるの反応が頭悪そうなのや、あまりに正直すぎるのも驚いたが、

それ以上に、はてブブログtwitterなどの非匿名メディアでの反応が

みんな恐ろしくいい子ちゃん過ぎて驚いた。

 

積極的に差別をする気はないけど、HIV陽性の看護士なんて感覚的には嫌だろう。

みんな、そんなに建前トークで、いいカッコしたいのか?

それとも、担当看護士を自由に選ぶ立場になった時の自分の心の動きが

想像出来ないほど、想像力に欠けているのか?

 

自分HIVに関する知識や関心は高い方だと思う。

感染力の低さも、感染経路も全て知っているし、自分でも定期的にHIV検査を受けている。

だが、それでもHIV看護士がいる病院はなんとなく嫌だと思う。

こんなことは誰にも言わない。はてブでもブログでも書かない。

友人から「このニュース、どう思う?」って聞かれたら、

病院の都合もわからないでもないけど、この対応はどうかと思うよ」って言う。

でも本当は、この対応は当たり前だと思っている自分がいる。

 

 

想像してみてほしい。

自分じゃなく、自分赤ちゃんが、血液検査を受けることになった時。

担当看護士をどっちかを選んでいい、という話になった時。

HIVキャリアであることを明示している看護士と、

HIVキャリアではないと明示している看護士

どちらを選ぶ?

 

俺だったら、HIVキャリアじゃない方を選ぶ。

どんなに差別主義者と言われたって、子供のためにそっちを選ぶ。

 

これが、自分採血だったら、そこまで気にしない。

なぜか?

自分採血の時に天秤にかけられているものは、

差別主義者ではない自分、というプライド」 と 「限りなく確率が低い感染リスク」 だからだ。

社会正義燃えて、プライドを持って生きている人なら、ささいなリスクより、自分プライドを大事にして、

あえてHIVキャリア看護士の方を積極的に選択する人も多いだろう。

それでも、一瞬考えて悩むはずだ。

どちらを選んだかが公表されないのであれば、安全な方を選ぶ人も多いのではないか。

ともあれ、自分のことなら、この程度の悩みで済む。

自分で全責任が取れるからだ。

 

 

これが、自分子供採血を受けさせる場合だったら、どうだろうか。

差別主義者ではない自分、というプライド」 と 「限りなく確率が低い子供への感染リスク」になる。

ここでも、自分プライドを優先できるだろうか?

それは、むしろエゴなのではないか?

もしくは逆に、子供への教育の一環として、「『差別主義者ではない親』というプライド」を優先させるか?

さらに、HIV陽性の看護士を積極的に選んだ理由を、配偶者に責められた時、しっかり反論出来るだろうか。

これが原因で離婚になってもおかしくないくらいの問題だ。

そのようなリスクを踏まえてもHIVキャリア看護士を選べる人は、稀なのではないか。

 

 

もしこれが看護士じゃなくてHIVキャリアの友達と今までどおりの交流をするか、という話だったら、

多少は気になるけど友達のことが好きだから、気にしない。

その時でも、「友情」×「プライド」 > 「嫌な感覚」×「わずかなリスク」 という不等号が成立しているはずだ。

友人がHIV陽性になったと聞いて、表面的には冷静にしていても、何にも意識せずに接することが出来る人はいない。

そこまでHIVは当たり前の病気には、まだなっていないからだ。

その友人とグラスの回し飲みをする時、その事実を完全に忘れていなければ、一瞬でも頭の中をよぎるはずだ。

それでも気にしない振りをして同じグラスで飲む俺カッケー

とまでは行かないが、「大事な友人だからな」という一種特別な気持ちはあるだろう。

 

だが、その友人が、自分子供にも平気でグラスを回していたら、どう思うか。

正直なところ「なんて無神経なやつだ」と思うのが大半だろう。

さらに、その相手が旧来の友人ではなく、今日たまたま食事の席で隣になって

会話を交わしただけの人で、実は私HIVキャリアなんですよ、という告白を受けた後だったら。

子供にグラスを渡される前に、声をあげて注意するのではないか?

それすらも差別と言うのか?

 

 

病院側の対応は、おおむね間違っていない。

看護士として働かせ続けるのはもちろん、事務職などに移したとしても、

どこからともなく漏れ風評被害経営難に陥っていた可能性がある。

むしろ、看護士感染が確定して、表沙汰になった時点で「詰み」なのだ。

続けて雇うも地獄解雇地獄。どちらも風評被害はまぬがれない。

 

他人事を、冷めた視点であれこれ批評するのは簡単だ。

いくらでも自分のことは棚に上げられるし、正義感ぶることも出来る。

偽善者って、こういうことを言うんじゃないかな。

2010-04-24

http://anond.hatelabo.jp/20100424164154

すごいざっとだけど、400ccを1万8千円くらいで病院に売る。

でもって採血検査とか診断)のコストは7千円くらい、って感じだったと思う。

2009-09-09

なぜ出産健康保険が適用されないのか

■「おめでた」の時は公的保険制度を使おう

http://money.jp.msn.com/insure/columns/columnarticle.aspx?ac=fp2009090801&cc=06&nt=06

出産健康保険の適用対象にすればいいのに。

一説によると「出産病気ではないから」保険の適用外なんだそうだが、健康保険法には第1条にこう書いてある

第1章 総 則

目的

第1条 この法律は、労働者の業務外の事由による疾病、負傷若しくは死亡又は出産及びその被扶養者の疾病、負傷、死亡又は出産に関して保険給付を行い、もって国民の生活の安定と福祉の向上に寄与することを目的とする。

あれ、出産も含むって書いてあるじゃん

なんで保険の適用外なんだ?

出産費用だけが少子化の原因ではないけど、50万近くかかる出産費用保険適用されるだけでも家計の負担はかなりのものだろう。

それに、出産時だけでなくて妊婦検診も保険対象外なので結構お金がかかる。

14回分の無料券も貰えるけど、エコー採血などでも保険適用外の検査ってことで使えないも多い。(使えないと1万ぐらい平気でかかる)

こんなんでゴチャゴチャやるんなら出産関連の診察を保険適用してくれよ。

それでなくてもオムツミルクベビーカーだ、ちょっと育ったら保育園だなんだと金がかかるんだし。

出産資金で尻込みさせてたら誰も子供産まなくなるって。

出産費用無料化+祝い金で当面の生活をサポートしてくれれば子供産んでみようかって人も増えると思うんだけどなぁ。

2009-06-20

エイズ(HIV)検査受けてきた

HIV感染ノイローゼになってしまいしばらく苦しんだのでレポート

基礎知識

HIVには1型と2型があります。日本国内では2型はほとんど症例なし。

感染からウイルス検出可能になるまで時間がかかります(ウィンドウピリオド)

ウィンドウピリオド検査の種類によって違う。

  1型→NAT検査(高い・実施施設少ない)で11日(検査は11日目で可能だが結果出るまで1週間)

     抗体抗原検査(保健所無料が多い)の場合、8週間(東京の場合。地方で古い検査してる所は12週らしい)

  2型→12週間

自分の経過

5月下旬:不安行為をしてしまう。ぶっちゃけ風俗です。その時点では特にHIVのことは考えなかった。

 

3日目:何となく不安を覚えてHIVについて調べてみる。感染初期症状として発熱や発疹、下痢が起こりうることを知る。

    ちょうどそのときにお腹に謎の発疹が出来ており、完全にパニックに。すぐにでも検査を受けに行きたかったが

    ウィンドウピリオドのため11日目まで検査を受けられない。この精神状況で1週間耐えるなんてと絶望的な気持ちに。

  

4-7日目:精神状態最悪期。感染していたら家族にどう話せばいいのか分からない。家族笑顔を見るだけで胸が苦しくなる。

     同時にWEBHIVについて調べまくる。仕事なんて全然手に付かない。

  

8-11日目:調べていくうちに自分の行為では感染リスクはかなり低いことが分かって、かなり気持ちが落ち着いてくる。

      NAT検査は高いし(15,000円くらい)、2ヵ月後に保健所検査受ければいいかなーと思い始める

 

12日目:原因不明の下痢と発熱。パニック再発動。今思い返すと感染ノイローゼストレスで腸がやられたんだと思うが、

    この時はマジで感染を覚悟した。本当に死のうと思った。

 

13日目:NAT検査を受ける。5ccの採血だけで5分で終了。結果は1週間後。

 

14-19日目:家に居るとどうしてもHIVのことを考えてしまう。捗りはしなかったけどなるべく遅くまで仕事をして

      帰ったら即効寝て、少しでも一日が短く感じるよう、少しでも早く結果日が来るよう、それだけを考えていた。

      下痢は止まらず。

 

20日目:結果が出るのは夜20時。電話で結果を聞くことになっていたが、もし陽性だった場合一人で耐え切れる自身が無かったので

    病院の前で電話した。陽性だったらすぐ駆け込んで今後の治療について質問しようと思っていた。

    病院に着くまでの電車の中での僕は、本当にひどい顔をしていたと思う。10分前から緊張で吐き気が襲ってきた。

    結果は陰性。身体から力が抜けて座り込んでしまった。一応来院して医者から話を聞く。

    「この検査結果は1型についてはほぼ間違いない。最後に仕上げとして12週後の検査を受けて下さい」と言われる。

 

今(23日目):2型の症例は本当に少ないようなので、とりあえず精神は落ち着いている。

感想

これはキツイ。今までの人生でもっとも精神的にタフな3週間だった。仕事プレッシャーなんてこれに比べたらうんこだ。

そしてちょっぴり人生観が変わったと思う。新しい命をもらった気持ちで人生を有効に使おうと今は思っている。

いつまで続くかは分からんけど。みんなも将来のパートナー感染さないために、検査受けとけよー!以上。

2009-03-01

祖父がアルツハイマー痴呆症になった

 春の日射しが穏やかな日は、祖父がにこにこ笑っている顔が目にちらついて、私は少し辛くなる。祖父はアルツハイマー痴呆症になり、特別養護老人ホームにいる。もう二年くらいになると思う。祖父が施設でにこにこと笑うようになってから、父も母も笑えるようになった。私も弟妹も笑えるようになった。

 それまでの日々は、家族にとって、特に父と母にとって、地獄のような日々だった。

 祖父は、元々厳しくて頑固なところのある人だった。成人する前に両親を亡くし、大人に混じって農家を切り盛りしていたから、気が強くなってしまったのだろう。祖母と結婚して、父の姉と、父が生まれた。その後、警備員農家兼業するようになった。祖父も祖母も厳しい人で、昔の農家気質だったから、母は嫁入りした当初から辛い思いをすることもあったようだ。ただ、祖父も祖母も、孫である私たちには多少甘い部分をみせていた記憶がある。

 祖父が定年になる前、私がまだ小学生だった頃、祖母が亡くなった。五十代後半の死は、あまりにも早かった。母には、祖母の役目と母の役目、両方がのしかかった。今から約二十年前で、家事は女の仕事、女は男を立てるもの、という価値観はまだまだ当たり前にあった時代の話。祖母が亡くなってから、祖父の母に対する当たりがきつくなったと父は言う。また、この頃から酒量が増えた、とも。

 それから一年経って、私や弟とは歳の離れた妹が生まれた。母は仕事をやめた。祖父は歳の離れた末の孫を溺愛した。しょっちゅうかまうものだから、母は機嫌を悪くして、時々父や私に愚痴を言った。

 祖父と母の関係が決定的に悪化したのは、私が高校生になり、妹にある程度手がかからなくなって、母が再び働きに出るようになった後だ。祖父はとっくに定年になっていて、ずっと家にいるようになった。趣味の合う友人と連れだって遊びに出かけたことも時々はあったけれど、家にいることがほとんどで、昼間は自室に籠もっているか、畑で仕事をしているかだった。祖父には、母が五時過ぎに仕事から帰ると同時に台所の自分の席に座ってお酒を飲み始める習慣があった。母が夕食の支度をしている後ろ姿の、その後ろで二時間くらい、じっと座っているのだ。六時になる頃には私も弟妹も家にいたけれど、居間でテレビに釘付けだったから、その状態には気づけなかった。七時も過ぎて父が仕事から帰ってくると、夕食。六人で食卓を囲む。私と弟妹は思い思いにおしゃべりをする。ひとしきり話し終わった頃、祖父が口を開く。ときどき意味の分からないことを言う。話が通じないことに、私たちはイライラし始めて黙ってしまう。父が間に入って話すけれど、お酒の入っている祖父は興奮しやすく、時々興奮しすぎて母に当たった。祖父が母に当たると父も頭に血が上って、怒鳴り合いになる。しまいには祖父が「そんなに邪魔なら殺せ!包丁で刺せ!」などと叫んで、部屋に籠もってしまう。こんな日々が続いた。

 今思い出すと、この頃にはまだらボケが始まっていたのかもしれない。それで執拗にいろいろと尋ねたのかもしれない。私も弟妹も、学校がお昼頃で終わった日は居間でテレビを見たり、宿題をしたりしていた。そのとき、祖父がいつも居間にあらわれて話をしようとするのをうっとおしがっていた。なにも分かってない子供なんてワガママなもので、無視して自室に籠もることもあった。食卓を囲んでいるとき、怒鳴って気分をめちゃくちゃにする祖父の理不尽さも大嫌いだった。

 学校でもいろいろあるというのに、「殺せ!」と怒号の響く家は気が休まらなくて大嫌いだった。弟は、高校生になると、わざと夜遅く帰ってくるようになった。父が叱ったが聞く耳を持たなかったし、男の子だと言うこともあり、いつしか容認されていった。私にはそんな要領のよさはなかったし、妹はまだ小学生だったから、毎晩のように繰り返される怒鳴り合いをそばで聞いているしかなかった。

 私が大学への進学を考えた頃、両親は地元大学を勧めたけれど、私は県外の大学に願書を出した。願書を出す直前までは、後期試験地元を受けると言っていたくせに、結局後期試験の願書も県外の大学に出した。今思えばふざけた話だが、初めての反抗らしい反抗だった。県外の大学に進学した後は、部活バイト等、わざと忙しくして下宿にいないようにしていた。家からの電話憂鬱だったからだ。下宿に居ないのを両親に詮索されるのも嫌だったし、なにより、家族の誰かが別の誰かを殺したという電話がいつか入ることを本気で心配していたのだ。講義がない時期には帰省憂鬱だった。夏も冬も理由をつけて、一週間くらいしか家に帰らなかった。家に帰るとおなじみの怒鳴り合いの日々だった。帰って一、二日は静かだが、三日目を過ぎると怒鳴り合いが始まる。家から下宿に戻った後はますます電話が怖くなった。酷いときは電話線を抜いた。

 一歳下の弟も大学に進学して、家を離れた。家は、祖父と両親と妹だけになった。私たちは両親と妹を犠牲にしたのだと思う。

 大学三年の夏、父から電話がかかってきた。この時は不思議電話を取る気になった。電話の内容は中学生の妹のことだった。食事を全く取らなくなったという。父は毎晩のように妹の訴えを聞いていたけれど、最後には「頑張れ」と言うしかなく、なにもできないまま悪くなったという。妹に対しては罪悪感があった。夏休みはほとんどを家で過ごした。

 家に帰ってすぐに父と話した。母にはもう無理だからと言われ、母のお薬手帳を見せられた。そこに並んでいる処方薬の名前を調べると、抗精神病薬ばかりだった。母は頻繁に被害妄想を訴えるようになっていた。最初は、家に祖父と二人でいる間、いつも祖父が後にいるから怖いという訴えだった。それがいつの間にか、家の中で誰かに監視されている、家の中に盗聴器がある、近所ぐるみで監視している、警察に狙われている、と徐々に変化していった。祖父の行動ひとつひとつが、何者かによる母への攻撃であるかのように見えていたようだ。父は祖父に、母を刺激しないように何度も言ったが、祖父はその場では返事をするものの、すぐに忘れてしまうらしく、全く変わらなかった。

 その日会った妹はどこか異様だった。何を聞いても無表情で「うん……」と、けだるそうに返事をするだけ。本当に食事を取らなくなっていた。一口食べて箸を置き、体がだるいのかすぐ居間で横になる。重症だと思った。その日の晩、私が自室でうとうとしかけている頃、妹が枕を抱えて部屋に来て「一緒に寝ていい?」と言った。招き入れると、妹はしばらく黙っていたが、突然堰を切ったように話し始め、もう無理だと訴えた。妹は、いつか家の中で殺し合いが起こるといって怯えていた。母の被害妄想が始まってから、夕方の台所で母と祖父の言い争いが起こるようになった。妹はなるべく早く学校から帰り、食事の準備をしている母のそばにずっといた。妹がいる間は、母は穏やかで、祖父の機嫌もそう悪くはならないから。妹は毎日のように母の愚痴を聞いた。しかし状況は変わらず、母は夜中に突然飛び起きて、怖いと言って泣くようになっていった。妹の部屋は両親の寝室のすぐ隣だったから、母の泣く声で眠れないこともしばしばあったという。学校人間関係は、妹にとってあまりよくない状態で、妹の気が休まる時間はどこにもなかった。妹は、父には何かしてくれるようには言えないという。父は毎晩のように祖父と戦っていたし、母をなだめるのでいっぱいいっぱいだから、これ以上無理はさせられないと。

 父に遠慮している妹には悪いと思ったが、現状を父に伝えた。その上で、父にはしばらく黙っていてもらうことにした。妹の体調があまりよくないこともあり、病院に連れて行った。妹は検査採血をされ、胃カメラを飲み、点滴を打たれて「病人みたい」と笑った。「検査に異常はないから精神的なものだと思う、食べられないのが続くようなら精神科を紹介するから様子を見て」と言われた。その日からしばらく、妹は私にべったりと甘えていた。何をするにも一緒だった。帰省してきた弟は、帰ってくると真っ先に「おい大丈夫か?」と言った。進学して家を出てから、これだけ長い間弟妹と一緒にいたのは初めてだった。三人でくだらない話ばかりした。「この家、超不幸だ」と言いながら笑った。妹は、プリンゼリーから始めて、普通の食事も少しずつ摂るようになった。妹が笑うようになった頃、大学講義が始まって時間切れ。私はわざと忙しくするのを止め、電話を取るようになった。

 その後もしばらく膠着状態だった。祖父も母もあいかわらずの調子で、間に立つ父は本当にたいへんな思いをしただろう。

 私が大学卒業した頃、状況がますます悪い方に動きはじめた。昼間のうちに家のあちこちに水たまりができ、家族がしばしばそれを踏んづけるようになった。水たまりの犯人は祖父。時々失禁をするようになったのだ。何度注意しても改善せず、おむつを勧めても頑として受け入れない。以前は熱心に畑に出ていたのに部屋に籠もることが多くなり、同時に食事や入浴を忘れるようになった。部屋に籠もる一方で、ふらっといなくなることもあり、連絡をもらった父が慌てて迎えに行って頭を下げるのだ。時々真夜中に近所の家を訪ねることまであり、消耗した父は何度も祖父に「勘弁してくれ」と土下座したが、状況はまったく変わらなかった。祖父は自分の状況が分かっていなかったか、分かっていてもどうしようもなかったのだろう。他にも、庭先に祖父がどこからか拾ってきた妙なガラクタが増えたりもした。捨てようとすると祖父が怒るので、だんだん量が増えた。祖父は車の免許を持っていたけど、ちょうどこの頃に庭先で車をぶつけたこともあり、危ないので免許証を取り上げて車の鍵を隠した。祖父が車の鍵に執着して家じゅうを探しまわるので、母が影響されて荒れることもあった。

 さすがに近所にも親戚にも隠し通せなくなり、父は、隣県に住む伯母に相談した。伯母はその何年か前にヘルパー資格を取っており、福祉関係仕事も長いのでしばらく預かることを父に提案した。父も母も限界だったから、一ヶ月程度ということで祖父を伯母に預けた。庭先のガラクタを片づけ、荒れ放題になっていた祖父の部屋を片づけ、少し落ち着いたところで事件が起こった。伯母に預けた後、二週間も経っていないうちの出来事だ。伯母はその日も祖父に声をかけ、パートタイム仕事に出かけた。伯母が帰ると、祖父がなにも持たずにいなくなっていた。すぐに探しに出かけたが、祖父は見つからなかった。警察やご近所に連絡し、数日経って、祖父が警察保護されていると連絡があった。伯母宅からはずいぶん離れていた。祖父は警察に、家に帰せと主張していたそうだ。

 父はこの時、もう自宅で見るのは無理だと思ったそうだ。病院検査を受けるように祖父に勧めたが、祖父は昔から親は子よりえらいと思っている人で、このときも言うことを聞かなかった。父は、祖父が唯一頭の上がらない祖父の友人に状況を話し、祖父を説得してもらうことにした。祖父の友人は「もうずっと前からボケておかしくなっていることが分かっていたけど、言われるまで言えなかった」と、父に頭を下げた。祖父は友人の説得でしぶしぶ承諾し、父と友人に付き添われて病院検査を受けた。

 診断、アルツハイマー痴呆症

 アルツハイマー痴呆症には、根本的な治療薬がない。当時あったのは進行を抑えるだけの薬で、祖父を「治す」ことはできなかった。介護施設を探すことを医者から提案されたが、老人病院にも介護施設にも空きがなく、どこも順番待ちの状態で、診断がついても状況は変わらなかった。祖父の友人の協力を取りつけられたおかげで、祖父を説得しなければならないときにその人から強く言ってもらうこともできるようになったのはよかったが、祖父が内容を忘れてしまうことが何度もあったため、どれくらい効果があったのかは分からない。

 注意して祖父を観察するようになると、物事をしっかり認識できているときと、そうでないときがあることが分かった。普通に過ごしていても、時々どこを見ているのか分からないような様子でいることが、しばらくの間続くのだ。その直後の祖父は決まって難しい顔をした。どこか悲しそうで、戸惑っているような表情。話しているときも、前後の文脈が分からなくなっている様子があった。つい一瞬前に話した内容を忘れてしまうのだ。そして何度も直前の話を聞き返す。説明しなおして話が繋がるときもあれば、辻褄が合わないままのときもある。その時の祖父の表情は、やっぱりどこか悲しそうで、戸惑っているようだった。いわゆるまだらボケと呼ばれる症状だ。頭がしっかりしているときは、その直前まで自分が呆けていたことを分かっていたのかもしれない。

 診断がついてから何ヶ月も経って、家からそれなりに近い場所に介護施設が見つかったので、祖父を入居させる手続きをした。これで一件落着のはずだった。ところが、一週間後には「無理なので引き取ってください」と連絡が入った。何度も頼んだが、手に負えないから無理だと断られた。手に負えない原因は、主に精神的な症状だ。場所や状況を認識する能力が低下しているので、そこがどこなのか、なぜそこにいるのか理解できない。家にいたはずがいつの間にか知らない場所に連れてこられたと思いこみ、何度も脱走しようとした。止めようとしても、自分被害者だと思っているから暴れる。祖父は身体も大きく、農作業で身体を動かしていたこともあり、暴れると抑えるのは難しかった。収集癖の悪化も災いした。他の入居者の部屋に入りこみ、物を自分の場所に持ち帰るのだ。職員が返すように言っても、自分のものだと言い張って返さない。そして他の入居者とトラブルになる。こんなことが入居直後から繰り返されたので、ついには断られたのだ。

 それからは施設探し。祖父の身体疾患のこともあり、施設からは精神的に安定するまでは介護施設よりは病院に入った方がいいと言われた。受け入れてくれる病院などそうそうないから、しばらくは再び悪夢の日々。次の病院が見つかるまでに数ヶ月かかった。

 鍵のかかった病院に入ってから、祖父はぼうっとしていることが増えた。薬の影響もあったのだろう。週に一度、一時間かけて病院に行き、洗濯物を預かり、祖父と少し話した。最初の頃は、よく歩いていると職員に聞かされた。その後、車いすに座ってぼうっとしていることがだんだんと増え、歩くことも減った。話しかけると「よく来たなあ」と笑った。祖父から話しをすることはあまりなく、もっぱら私たちの話を聞いた。しっかり話を聞いていると思うと、急にぼうっとしてしまうこともあった。もう慣れていたから、そんなものだと思うようになった。祖父の顔は、だんだん穏やかになっていった。

 入院から半年ぐらい後のことだと思うが、祖父の状態が落ち着き、特別養護老人ホームに空きが出た。すぐに祖父をそちらに移すことになった。ホームには病院と同じように鍵がついており、入居者が自由になれるエリアは鍵の内側だけだったが、病院に比べると明るく開放的で、入居者が昼間に集まっているロビーの雰囲気も、なんとなく暖かみを感じるものだった。祖父をそちらに移してからも、週に一度、洗濯物を取りに行っている。施設に全部まかせることもできたが、父がその程度の面倒は見たいと言って譲らなかった。祖父は他の入居者とは少し離れた場所、ロビーのそばにある職員詰め所の入り口に、椅子を置いて座っている。職員は「いつもあそこに座ってますよ。よく分かりませんけどお気に入りみたいです」と言う。昔、警備をしていた名残だろうか。守衛として座っている時間も長かっただろうから。祖父に声をかけると「よく来たな」と私の名前を呼んで、にこにこ笑う。私が久々に祖父を見舞ったのは、ちょうどこの時期、少し暖かくなってきた頃だ。

 その後も現在まで、父は週に一度は祖父を見舞い、祖父の洗濯愚痴もこぼさず楽しそうにやっている。母は「お母さん、ノータッチだから楽でいいわ」と、のほほんとお茶をすする。一時期の被害妄想は、ほとんどなくなり、よく笑うようになった。家に寄りつかなかった弟は、遠方で就職したくせに「家の方が落ち着く」と、長期休暇のたびにぎりぎりまで長居する。妹は地元大学に進み、家の中ではよい意味ワガママな振る舞いをするようになった。弟妹はときどき、父について祖父のところに行く。以前とは違う意味で家の中がやかましくなった。みんな、笑えるようになった。

 私は結婚して家を出た。ときどき、父と一緒に祖父のところに出かける。このごろ祖父は私のことがわからなくなった。祖父は私を、祖父の娘の名前で呼び、話しかけてくる。私はにこにこしている祖父のために、にこにこながら受け答えをする。内心はかなり複雑だが、もしそれを表に出せば、また祖父を難しい顔にさせてしまうかもしれないから。同じ時間と場所を共有していても、祖父が見ている景色と、私が見ている景色多分違う。それを共有できることももうないかもしれないが、いつも難しい顔をしていた祖父がにこにこと笑っているのだから、これでよかったのだと思いたい。

 そういえば、祖父が楽しみにしていた花嫁姿を、祖父に見せてなかったことを思い出した。

2009-02-20

HIV検査を受けてきました

自分ブログに載せる勇気がなかったので備忘録としてこちらへ。

自信を確信に変えるために受けてきました。

http://www.city.shinjuku.tokyo.jp/division/340700yobo/aids-sti.htm

(コピペでみてください)

診察の流れ(新宿の場合)

  1. 事前に予約を入れます。完全匿名無料で可能です。予約番号をもらえます。
  2. 会場に行きます。会場には血液検査会場と書かれていました。
  3. 当日の予約番号をもらい、簡単なアンケート(任意提出)があります。
  4. 予約番号で呼ばれ、電話で予約した予約番号が聞かれて、問診票が渡されます。
    • 書くことは2つ。自分意志で受けることの確認と、心配した行為から2か月以上たっているかです。
  5. いよいよ保健士面談です。まず、今回の検査についての概要と方法について説明を受けます。
  • 血液を5cc抜いてHIV抗体の有無を調べます。(HIVウィルスの有無を調べるわけではない)
  • HIV抗体には2種類あるため、こちらでは両方とも確認します。
  • 抗体ができるのは60日かかるので2か月という期限があります。
  • HIV空気感染しません。キスでも移りません。
  • 粘膜質の部分から感染します。あと血液関連。
  • 万が一の場合には匿名医師の紹介や支援団体を紹介します。
  • 抗体がある=AIDSではないです。発症するまで数年から10年はかかります。
  • HIVを治す薬は現状ではないが、発症を遅らせる薬はあります。→近い未来に期待です。
  • ついでに、梅毒クラミジア感染症検査も可能です。
  • こちらは、尿検査血液5ccが必要です。一緒に受けますか?→受けました。
  • 差し支えなければ、心配な事原因について教えてください。→答えました。
  • 男性ですか女性ですかとストレートに聞かれてちょっと涙目女性保健士だった…。
  • 検査結果については1週間後、医師から口頭のみで。証明書はだせないです。

6.カウンセリング終了後、尿検査採血の流れであっさり終了でした。

気づいた点

最後に

  • パートナーのために受けてくださいとか書いてあったのでなるほどなーと思いました。
  • 空気感染しないとはいえもしこの中にキャリアの人がいたらとか思うとちょっとこわいなーと。
  • とりあえず不安だったら受けるべき。無料だし。

2008-12-12

http://anond.hatelabo.jp/20081212180635

首にさされたことはないけど自分も血が出にくいよ。

200mlで30分くらいかかった。血圧は上が100超えるか超えないかくらい。

血管は刺すまでは見えてるけど刺した途端消える。んで血が出ない。採血程度だと一応問題ないんだけど,体質だから無理なら仕方無いんじゃないかな。かなり時間がとられるのと,別に特に体調が良いわけでもない自分が席を埋めてる間に二人三人と採れるんじゃないかと考えると億劫になってしまうので一度しか行ったことないや。

http://anond.hatelabo.jp/20081212180635

そういう人は無理にやらなくてもいいんじゃないのかな。

自分も血圧が低い(上が80くらい)ので献血はしてない。以前一度行ったとき、上が100ないと出来ないと言われた。もうずいぶん前のことなんで最近は変わってるかな。

知り合いに採血がしにくくて、毎度何度も針を刺し直される人もいる。結構大柄な男性で意外なんだけど。あちこち試して駄目だったので首からってのも聞いたことある。話を聞くに採血する側もそういうケースに慣れてるみたいで、ということは、割といるんじゃないかな。

私のトラウマ採血

http://anond.hatelabo.jp/20081212153203

一度も献血したことなくてごめん。血を採るのが不安なんだ。

学生時代健康診断のたびに採血が怖かった。

しかし、別に血を見るのが嫌いとか、注射が怖いとかじゃない。いや、注射は嫌いだが。

血が出ないのが怖かった。

採血で三度刺されたとか、首に刺された人はそう多くあるまい。

なんて事をここに書くと、意外にはてなには居そうなのだが、

そんな経験をするとまた血が出ないんじゃないかと、採血が怖かった。

献血なんて何時間もかかったりしないだろうかと怖くていけなかった。

当時は生活が乱れてたし、何よりあまり水分を取らなかったからで、

今では採血は少なくとも1発で終わる程度には出るようになっている。

それでも、やっぱりちっと不安が走る。

それに、社会人になってからは献血出来る機会自体が少なくて、なんだかんだで未だ未経験だ。

今後、機会があってもするかどうかは微妙だな。

なんとなく不安なので、誰かに背中を押してもらわなければ、多分しないだろう。

というわけで、念のために聞いておきたい。

献血時間が掛かる人、最大どのくらいかかるの?

たぶん杞憂なんだろうけど。

2008-12-03

手にぶわっと水泡ができた増田ですが、病院システムに驚いた。

初診料に3500円もかかるのね。

紹介状も予約もないから3時間待ってやっとかかれたよ…

さて採血とかあるのかな。ドキドキする。

2008-07-31

真空採血管ホルダーの取り扱いについて

平成17年1月に厚生労働省医薬食品局安全対策課長が各都道府県衛生主管部(局)長宛てにだした「真空採血管等における使用上の注意等の追加等について」という文書によれば、「ホルダーは患者ごとの使用とし、使用後は廃棄すること。(ホルダーに血液が付着した場合は、交差感染のおそれがあるため。)」となってたわけです。

それが今回、平成20年6月に日本医師会常任理事木下勝之氏が都道府県医師医療安全担当理事宛にだした「真空採血管ホルダーの取り扱いについて」では、

今般の真空採血管ホルダーに関しましては、微量採血用の穿刺器具との混同が見受けられ・・・云々とあり、真空採血管ホルダーによると考えられる感染の報告は一例もないとし

真空採血管ホルダーに関する調査は、厚生労働省見解のごとく、その必要がないことと理解を求めております。

では一体前回平成17年に出された通達はなんだったんでしょうか。

たしかに、現場からすればこのホルダーを患者ごとの使い捨てにした日にはコストが大幅に上がり、事実上使用が取りやめになるのは目に見えております。

だからといって、この感染報告が一例もないので今まで通りで問題なしとする対応はいかがなものなんでしょうか。

後々また新たな問題の火種とならなければよいのですが。

2008-06-20

ホルダー使い回しダメなの!?

とりあえず、ニュースイラストを見てみろ。

採血ホルダー使い回し、熊本では数万人規模 日赤など

http://www.asahi.com/health/news/SEB200806190017.html

よく採血される俺だけど、このホルダーを使い捨てにしている場面を見たことがない。

針は毎回外して捨てているのは見てるけど。

ひょっとしてこのホルダー使い回し問題は凄い規模になるかもしれない。

2007-10-29

http://anond.hatelabo.jp/20071029211221

やっぱり今でも差別がひどいのかね。

数ヶ月前に外国入院するはめになって毎日のように点滴だ採血だと針刺されまくってたので検査に行きたいんだよね。

全部新品だったと思うけど、自分を安心させるためにも行きたい。

でも検査したことがばれただけでも差別されるんじゃないかって不安になっちゃう。

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