はてなキーワード: バブル期とは
いつの日か報いを受けてほしい。
一見普通に見えて、こりゃ関わったら大変だという人、初めてだったので書き留めておく。
(コロナ以前)
お気に入りの部下は、遅刻、居眠り→不問「最近頑張っているから疲れているのかな?」
気に入らない部下、居眠り→「やる気が無いなら帰れ!ほらっ!帰れよ!」
みんな「美味しいね。幹事イイお店見つけたね!」と話している中、
事業部長「いや、いまいちだね。。もっと美味しいお店教えてやるよ。○○ってお店でどうのこうの…」
みんな「……」
アンガーマネジメントを学んで欲しい。
叱責されている本人はもとより、これを聞かされている社員も、モチベーション下がりまくるのでホント止めてほしい。。
「私をこのように怒らせる、大声を上げさせるのは、お前のせい。お前が私をそうさせているんだ!」って言ってたのを聞いたよ。
けれど、誰も止められる人が居ない。
私は運よく隣のフロアに移ったけれど、隣から例の声が聞こえてくると、あー、またやってるわー、とテンション下がる。
ああーーーー、なんか書いてて嫌な気分になった!
このコロナ禍、大変だけど、テレワークになってフロアに怒鳴り声が響かなくなったのは良かった。
web会議で、切れてた、叱責してたとの話はまだ聞いていない。
いつの日か報いを受けてほしい。
日光はせっかく遠足で1回は来て貰えてるのに、また来たいと思わせる体験を与えられてない。
東照宮と華厳の滝をルートに入れてしまうと、高原や湿地帯の魅力を伝えられないままタイムアップ。それに、神社仏閣が主力にも関わらず、外国人を増やそうとする意識が少ない。
那須はアクセスがいいせいで日帰り客をターゲットにした安直な施設、アウトレット、土産物屋、民家を改装したペンションばかり。
首都圏から行きやすい温泉付きの渓谷としては優秀なはずなのだが、スキー客を那須と日光と奪いあい、スキー人気の低迷と同時に廃墟群になりつつある。
鬼怒川、那珂川は立派な観光資源だが、現在のところ釣り人の集客しか考えてないのは視野狭窄だと思う。
首都圏から行ける観光やなは貴重だし、温泉もあるんだからプラスアルファがあればもっと集客出来るはず。
ツインリンクもてぎがあるのに、その周辺が観光が弱い。那須ハイランドパークとサファリパークが立地や敷地面積はなかなかなのに、バブル期以降投資してないのでしょぼい。立地にかまけてる感が強い。
食べ物は美味しい。
イチゴや餃子以外にもご当地グルメはあるが、全くアピールしていない。
まとめると、観光資源は悪くないが、日帰りでは伝えきれてない。
プロ野球かプロサッカーチームでもあれば、あるいはガルパンやあの花みたいなアニメコンテンツでもあれば、リピーターが続出、栃木県の魅力が伝わり、箱根や京都と肩を並べる観光地になれるだろう。
90年代前半、自分が18歳の時に区役所に住民票と戸籍謄本を取りに行った際に父親の名前を聞かれたので答えたところ、違うと言われて怒られた。「君、自分の親の名前なんで知らないの?おかしいでしょ」
父の名前は音読みで通っていて、父の親、つまり祖父母も音読みで呼んでいたし父自身もそれが本名だと言っており仕事で使う名刺の振り仮名も音読みだった。
更にもっとおかしな事に気が付いた。父方の祖父母の名前も違う。普段使っていて手紙や軽い法的文書(学校に出す認書など)にも書き、預金通帳にも記され、付き合いのある人に呼ばれる名前は通名だったのだ。本人が全く名乗った事もなく出てきた事もない本名が別にあったのである。
更に自分の苗字も今まで使っていた当用漢字と違い、戸籍では旧字体だという事にも気が付いた。知らなかったので学校の学生証も卒業証書も銀行口座も当用漢字で、それで通っていた。
何れも父方の関係である。何故こういう風になっているのか良く判らなかった。が、調べる方法を知らなかったしものを知る大人が近くに居なかったので説明を得られなかった。
その後10年以上が経過して図書館で調べる方法を知り、更にネットという道具を得た。その結果歴史的な背景がある事が判った。我々はほんの十数年前の事すら知らない。核家族化によって大文字の伝統から外された風俗も伝授されない。
日本は中華文化圏の周縁にあった。独立した文化ではあったが風物の認識には漢籍(中国で書かれた書物)が参照される。梅雨があるのにそれを無視して「四季」なんていうのもそうだ。漢詩での季題に倣って詩やうたを詠んだ事に由る。
昔の中国では親に貰った本名を親を除いて他人が呼んではいけない。本人も使ってはいけない。これは諱(忌み名)であり墓場まで持って行く。他人が本名を呼ぶのは殺人に値する非礼である。
この風習が日本でも倣われ、江戸時代まではやはり出生時に親に貰った本名は親以外が使ってはいけなかった。幼少時には幼名を使い成長した後には仮名(けみょう)を使う。仮名というのは後世の歴史用語であって当時の人達は本名を絶対使わないのだから「名」といったらこれのみである。
武士の場合は朝廷の官名を名乗った。大岡越前守の越前守は律令制時代の越前国の長官だ。それを名乗っている。水戸黄門は変則的で黄門は中国での中納言の事である。漢籍=知的であるので漢語で名乗ったものだ。~~左衛門~~右衛門というのは宮廷の衛兵の事だ。だから家光公なんて言い方は後世のもので当時の人は絶対に言わない。言ったら死刑だ。
外国の報道では天皇の名にemperorを付けるが日本語の報道では絶対に名を呼ばないのはその名残である。
明治になるとこの風習は廃され、どこでも本名を使う事が定められ、諱の併称も禁止された。だから明治以後は本名一本主義である。
…のだが実際は人々は従わなかった。相変わらず通名も使われ続け、更に一般化したのが有職読みだ。
有職(ゆうそく)読みは訓読みする語を音読みする事である。特に名前での使用が顕著であった。
例えば名付けする時に音読みも訓読みも出来る名にする。本名は訓読みとして戸籍に記す。だが一般に使うのは音読みの名前とした。
一般と言っても法的な行動含めほぼ一生の生活の全部である。不動産を買ったり婚姻届け出す以外ではそれで問題は起きなかった。現在常識化している正しい本名をどこでも使うのを求められるようになったのはバブル以後の30年位でしかないからだ。
だから歴史で伊藤博文(ひろぶみ)と習っても、当時の人はひろぶみなんて呼ぶ人は恐らく一人も居ない。呼び方は「はくぶん」だ。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q13120057343
「イヌカイ キ」とフリガナを振っている。日本人の名に「き」はちょっと変だが、訓読みの本名を音読みするのが当たり前なのでそう書いてあるのである。当然本人の名乗りだけでなく世間の通りも「き」なので当然の事だ。
戦前の新聞を見れば歴史で習うのと違い、政治家の名前はほぼ全て音読みのフリガナが振られている。原敬なら「ハラ ケイ」である。
戦後になると流石にこの風習は廃れた。特に戦後生まれの団塊世代はこの倣いに従わなかったし、その親である戦中派の多数派も有職読みで子を呼ぶ事をしなかった。
しかし保守的な家庭ではこの倣いを続ける所もあった。それが私の父方だったのだ。祖父は旧職業軍人で戦後も神社や右翼人士と付き合いがある右翼シンパであった。
こんな感じで段々とこの倣いは細くなって行ったのだがバブル期~90年代前半にトドメがさされた。
銀行口座はそれまでハンコと通帳だけを参照するもので、本人確認もろくに行っていなかった。だから仮名での口座開設も簡単であり、銀行自体がそれを止めていなった。日本人で外国人名の口座をもっている人もいるし、法人格獲得していない社名でも口座が開設出来た。
だが当時日本はストックの急拡大により急激に国際的な地位を獲得しつつあり、マネーロンダリングへの対策を求められる事になった。これで仮名での口座開設は不可能になり、本人確認書類も必要になった。口座の文字は本名の字と一致させる必要がある。
更にIDカードが常に参照される社会になって行った。90年代初頭では「欧米では何するにもIDカード提示させられるのでID携行必須なんだよ」というのが珍しい事として語られていたのだが、90年代後半の日本はその欧米と同じ状態になっていた。
こうして本名との完全一致は常に求められうようになったので有職読みとか通称使用とかは完全に無くなって行ったのであった。
だから私が区役所で怒られる数年前までは細々と続いていた風習であったが、現代っ子であった私は自分の周囲がそういう古い倣いに従っていた事に気づかずに居たのである。
そして私を叱った区役所の役人は自分が生まれた頃にはまだかなり現役の風習に気づかず40年以上生きてきたのである。更に戸籍や住民票を扱う部署に配属されてなお知らなかったのである。常識とは視野を狭くする事の一例だ。常識があるが故に保守的な風習が認識できないというのは寓話的だ。
こういう事が判ってから母型の家系を調べると、やはり曾祖父母として認識されていた名前が戸籍に出てこないケースがあった。認識されていた名前と本名が違うのだろう。
現代っ子の自分は時代の常識に則り祖父母の名を本人に代わり書く時も本名を使うようになったが、この辺の知識が無かったのでその時バツが悪い思いをしているだろうという事に気が付かなかった。直接聞いた訳ではないが生まれてから数十年それが名前であったのだから言うまでもない。
親にキラキラネーム付けられて成人してから変名するケースが増えているが、この問題も昔の知恵なら問題にならない。
そもそも親がまともかバカかというのは子がベット出来ないギャンブルだ。そしてやたらとおかしな名前をつける親というのは戦前には結構いた。ダジャレで付けたり有名芸者の名前付けたり、バカ親は戦前でもバカ親である。
でも通名を別につける方法が残されているから問題が無い。「親に貰った名前を変えていいのですか?だって?親に貰った名前を名乗れるかよ!」と言えたのだ。
更に変な読みを付けられても有職読みすればいいのだから問題ない。「今鹿」で「なうしか」と付けられても「こんろく」と名乗ればいい。これは今でも教育現場でも会社でも本来の読みに固執しているのが問題であってそんな例外なきルールなんて精々30位の歴史しか無い。困った問題が続出しているなら破棄すればいいだけの問題だ。
なので硬いルールと思っているものが実は30年程度の風習でしかない事に気が付くべきだし、柔軟にしたら解決する問題もあるという事に気づくべきだ。伝統というものは伝統と思っているものの外側にある事がある。そしてその伝統が問題を解決する術を持っている事もあるという事に気づくべきだ。
最後に、あの区役所のおっさんにこの「自分の親の名前の読み方を知らない理由」を言って聞かせたいもんだが、もう鬼籍に入っちゃってるだろうなぁ。あんたの叱責のおかげで日本の伝統について知ることが出来たぜ。
自治体職員の使い捨て感、善意と自己犠牲で成立してるのを感じている。コロナや児童虐待対応での疲弊はマスコミを通して世に共有されているけど、他にも、共有されていないだけでこういうことがたくさんある。人としての尊厳を感じられなくなってくる。バブル期採用の上司、時代の風潮、人口の減少、税収減少、職員減少、しわ寄せが来てるように思う。退職したいけど、退職してどうやって生きていけばいいんだろう。表立って活動できないけど、本当は、そういうことを誰かに相談したい。
小山田圭吾のいじめ座談会の件、1995年のサブカル誌の座談会の内容を令和3年のインターネット越しに読んだ感想。
バブル期に、不良文化とかヤンキー文化とかのアンチテーゼ的に急成長したサブカル文化の極端に歪んだ悪意の塊が、急にフラッシュバックしてきて、最悪で懐かしい気持ちになった。
この時期のサブカルってアングラとの境界線が曖昧で、みうらじゅんとか、いとうせいこうとか、唐沢なをきとかが、蒸留して上澄みだけをライトでポップな文化に昇華させた一方で、そのヘドロのような残渣はサブカル雑誌の形で強烈な異臭を放ってた。
今でも、裏モノJAPANとか実話ナックルズみたいにコンビニ本棚の片隅で確かな存在感を放ってるサブカル誌はあるんだけど、このころのサブカルって今みたいに「明解にワル」的な感じじゃなくて、もっともっとライトな部分がアングラと地続きの感じというか、普通に生活している人でも半歩踏み外したら即闇みたいな、そういう危険なワクワク感があった。
何も悪びれる事もなく当たり前のようにライト犯罪告発してる小山田の雑誌座談会なんて、ほんと最悪だ。が、
令和の極端に浄化された空気の中で、自分の息子と公園で遊ぶような事をしている今でも、たまーにブックオフの雑誌コーナーの片隅で色褪せている20世紀末のサブカル誌を手に取って、吐き気をもよおすほどの邪悪を嗅ぎたくなる瞬間があって。
そんなことを久々に思い出した。
表題の通りだ。
私の父は一部上場企業に勤めている。
有名難関大(文系)を出て海外赴任も経験した、それなりに高級取りのサラリーマンだ。一時期は年収四桁万円あった。
しかしながら、エクセルはおろかパワポも一切使えず、おまけにアスペルガーのきらいがあり人付き合いも苦手だ。そして海外赴任も経験したにもかかわらず、なんと英検2級程度の語学力しかない。(赴任先は英語圏ではなかったが)
こんな人間が存在するわけがない、釣りかと思われるかもしれないが、事実今私の横に座ってコーヒー飲みながらNHKダーヴィンが来たをぼーっと眺めている。
社会人になって、私はこの父親がどうしてここまで生きてこられたのか本当に謎に思っている。
※父のことは普通に好きでも嫌いでもないですが、どうやって生き残ってきたのかがほんとに謎なんです…
因みに父は人嫌いなので友達もいません。