はてなキーワード: 裏目とは
岸田内閣の支持率が下がりまくりだし、何もしてないって言われてる状態、まあこうなってしまうのはわかるんだけど同情しちまうよ。
俺が岸田文雄に期待したのは、穏健で漸次的な変化だったんだよね。
俺の政治に対する考え方は、「政治は、複雑な組織や立法的な仕組みも、各人の心情も、利害も絡み合ってるから、明らかに悪い所があってもその修正には利害調整が必要だし、素早く解決することは禍根を残すのでよくない。デカい変化を望む側にも、現状堅守を望む側にもいい顔をしてそれぞれの感情をなだめつつ、じわじわ変えていくのが一番予後が良い」というもの。
そして岸田はそれをやってくれるかもと思ってた。
政権初期の、話を聞くとか検討ばっかで何もしてないと言われてたあの姿勢も、やってる感で時間を稼ぎ、八方美人をして好感度をあげて右派も左派も老人も若者も政治家も国民も懐柔し、四年経ったら人々に恨みつらみを残さずいい方に変えたじゃん、くらいの結果に繋げる作戦なんじゃないかと思っていた。
しかしロシアの戦争とそれによる為替の乱高下、安倍晋三の射殺、そして何より統一教会問題により、国民も、そしておそらく政治家も心情を硬化させ、素早く断固とした処置を求める時代にぶち当たってしまった。
医者で言えば、俺が岸田文雄に期待した働きは慢性疾患向けというか、患者と話し合って、不安をなだめて、体力つけさせて、投薬で改善するみたいな感じだったわけ。
ひたすら各方面をなだめようとしていた政権初期の態度もそれを目指しており、今後関係各所を懐柔してからやりたいことに、色々プランがあったと思う(まあこれは岸田に好意的な見方であり、最初から何もする気なかったという意見を論理的に否定する証拠はない)。
しかし、時代の流れにより、完全に外科的な、「岸田! いますぐメスを持て! 切除しろ! 出血とか体力とか気にしてる場合か! 早くしろ! 切れ!」が求められるようになってしまった。
プランもやりたいこともグチャグチャでしょ。
デカい変化をする事前準備として、抵抗しそうな年取ったお偉いさん(典型は麻生派)からも、変化を好む若手からも信頼を得ようって態度は、統一教会関係者をなかなか切れないという形で完全に裏目になってしまった。
状況が変わったんだからさっさと切ればいいと言いたがる人もいるだろうが、それでは結局都合のいい時にしか仲良くしない奴という烙印を押され、信頼を得られないのだ。
そんで、安倍とその周辺やプーチンの悪行の責めを受けまくっている。
俺は岸田に同情しちまうよ。鬱になったりするんじゃないか。
「生きづらい私は発達障碍者でした」というタイトルでツイッターで掲載された漫画がある。名指こそされていないが、この漫画を痛烈に批判したはてな匿名ダイアリーの投稿がここ数日、バズっている。
私はこの投稿を見て、元の漫画を知った。この漫画はもちろん描写は拙いし、よく書かれているわけではない。しかし、私は作者に書きたい内容があり、そこにはある程度の普遍性があり、結果としてエンタメになりうると思った。この漫画を自分なりに読み解いてみたい。作品と、それに対する酷評へのリンクは一番下に載せてあるので、背景を知りたい方は先に見てみてほしい。
この作品は以下の流れで進行していく
1. 若い頃、仕事がどうしてもできない。努力をしてもうまくいかず、職を転々とする。
2. 結婚し、仕事を辞める。子どもが生まれる。子どもが成長し、発達障害と診断される。
3. そこから自分が発達障害かもしれないと思い、自分もそう診断される。
4. これまでの自分の生きづらさは自分の怠慢のせいではなく、発達障害のせいなのだと知り、気持ちが楽になる。
5. 自分の人生はやり直せないが、せめて子どもを同じ発達障害を持つ身として親身になって支えてやれるかもしれない、という前向きな気持ちになる。
まずはっきりさせておきたいのは、この漫画では主観的に(もちろん客観的にも)発達障害を克服する(した)描写はない、ということだ。ライフハックを駆使して職場でのパフォーマンスを改善したとか、婚活してなんとかいい男を捕まえて、家事だけして楽に生きられるようになった、という話は書かれていない。批判にあるような(王道漫画における)主人公の奮起・成長・挑戦・勝利などはこの作品に全く関係はない。そもそも作者自身が発達障害を克服できていると思っていないのだから。
またこの作品に、理解のある彼くん、という要素を見出すのは筋違いだ。そもそも結婚して子供が生まれた、というだけで、果たして夫が発達障害に理解があるかすら書かれていない。伴侶ができたから人生が楽になった、という話にはなっていないのは明らかだと思う。
この作品において作者は自分は発達障害を克服することはできず、また辛かった過去をやり直すことも出来ないが、発達障害を認め、前向きな意味(同じ発達障害を持つ子どもを理解してあげられる)を見出す。これは受容の物語として読むべきだと思う。
ある意味で焦点がはっきりしている(必要な要素しか書かれていない)のでこの物語を克服者・成功者の語りとして読む人は理解できない。以下においてはこの話を受容の物語として読み、その普遍性について語っていきたいと思う。
あると思う。少なくとも私には感じ入るものがあったし、発達障害をもつ人間にとっては十分に共感できる作品だと思う。
私は(診断こそされていないが)明らかにADHDで、中学生や高校生の頃には大変苦労した。当時は発達障害という言葉が一般的ではなかったので、この作者のように、怠慢であると周囲に思われていたし、そのため自己評価が本当に低かった記憶がある。
この作品を読んで、大人になり、ADHDという言葉を知って衝撃を受けたことを思い出した。自分が宿題を出したり、授業に集中できないことは自分が悪いのではなく、あくまで発達障害というものだったのだと知ることで、自分の過去をやり直すことはできなくとも、何か気が楽になった。また、ADHDのことを知ることで、自分の将来をより良いものにしよう、という前向きな気持ちができた。
このような経験は、発達障害を持つ人間には珍しいものではないと思う。少なくとも発達障害という言葉を知らずに、自責の念に苦しんでいた人には刺さる内容なのではないか、と私は考える。
私はあると思う。どうしようもできないこと(発達障害に限らず)があって、それを克服できないまでも、そのことを前向きにとらえよう、という話は小説や映画などによくあるテーマだ。
私の好きな映画に「海よりもまだ深く」という映画(海街diaryと同じく是枝裕和監督)があるが、これもまさに上のようなテーマで書かれている。一冊だけ売れた冴えない小説家である主人公が、自分の人生を受け入れられずあがくが、裏目にでるばかり。母、別れた妻、子どもとの一夜を通じて、自分の上手くいかなさを受け入れ、前向きに背筋を伸ばして歩き出す、というのがこの映画のシナリオになる。この映画の前後で主人公の状況は何もよくなってはいない。ただそのままならない状況を受け入れ、そこから一歩踏み出そうとすることが作品における救いになっている。
この例のように、うまくいかない自分を受け入れ、前向きに歩き出す、というテーマはフィクションにおいては特に奇異ではないテーマだ。「生きづらい私は発達障碍者でした」という作品は、描写が稚拙で駆け足であるという問題点はあるにしろ、その伝えたいテーマは普遍的で、エンターテイメントとして成立しうる要素があると思う。
昨今、強い言葉で作品を斬って捨てるという批評がもてはやされる傾向にある。しかし作品を読むということはもっと地味で、注意を要するものではないか。私自身は何か批評の専門的な教育を受けたわけではないが、作者の意図を理解し、誠意をむって向き合うことをしてきたつもりだ。この文章を通じて、作品を虚心坦懐に読み、丁寧な読解を心がける人が一人でも増えればと思う。
以下に作品へのリンクと、はてな匿名ダイアリーの投稿のリンクを載せておく。
https://twitter.com/fukufuku_diary/status/1581977574023913472
https://anond.hatelabo.jp/20221020011014
またはてな匿名ダイアリーの中で一人、簡潔にいい批判をされている方がいたので、その人の投稿へのリンクもここに載せておく。自分と同じことを考えている人がいたので、少しほっとした。
2021年2月のアニメ化発表から10ヶ月、ようやく公式サイトが開設され、情報が解禁された。
これでぼざろは2位の『チェンソーマン』や6位の『その着せ替え人形は恋をする』と並んだことになる。この2作は、いずれも2022年を代表する大ヒット作だ。
さらに、制作は着せ恋と同じCloverWorksなのでなおさら出来が期待できるものだった。
さすがCloverWorks、作画がすごく綺麗。特に喜多ちゃんのティザービジュアルはすごく好きだった。
ところが、後に出たキービジュアルを見たときの第一声は「なにこれ」だった。
これCloverWorksでやってもいいのか。非常に評価が高かった着せ恋や明日ちゃんが放送されていた頃だったから落差が凄まじかった。
そして10月9日の深夜0:00、ついに『ぼっち・ざ・ろっく』は放送を開始した。
実際に視聴したけど、作画は確かに綺麗だ。しかし、なんか違和感がある。
ぼざろの放送終了後、担当していたアニメーションプロデューサーの梅原翔太さんが作画スタッフを丁寧に紹介していた。
梅原さんは2022年に大ヒットアニメ『この着せ替え人形は恋をする』でもアニメーションプロデューサーを務めており、美麗な作画を実現する原動力と言ってもいい存在だ。
そして、ぼざろには着せ恋や明日ちゃんをやってた優秀なスタッフを贅沢に起用していた。さらに、OPムービーではけいおんやキャラデザを務めていた堀口悠紀子さんを起用していた。
アニプレックスも芳文社もぼざろに社運を賭けていると言ってもいいほど、ぼざろに最高のスタッフが集結していることが分かる。
ぼざろの作画に違和感を感じる原因は端的に言ってこんな感じだ。
キャラデザが垢抜けない。
キャラデザのデフォルメが強すぎて、綺麗な背景作画に付いて行けてない。
京アニのアニメに例えてみれば、ヴァイオレット・エヴァーガーデンの背景に日常のキャラデザが混ざっているような感じ。
そのせいで、実写風景に落書きを入れたような感じになっている。
その点、けいおんとゆるキャンはすごかった。原作の作画やキャラデザはあまり良いとは言えなかったが、アニメになってだいぶ垢抜けた。
基本、美少女アニメというのは女の子のキャラデザで魅せるものだから、もう少し女の子の方に力を入れたほうが良かったのではないかと思う。
私の主張に対してこういう反論が来るだろう。
「ギャグ重視の日常系アニメだから、女の子のデフォルメが強くてもいいじゃないか」
この作品もぼざろと同じく、陽キャコンプレックスをこじらせた陰キャのギャグ漫画であり、過激な顔芸も多い。
しかし、あそびあそばせはぼざろと違って、女の子の等身と肉感が高い。
ぼざろに対して作画で比較するとすれば『王様ランキング』であろう。
あのアニメもキャラデザのデフォルメが強く、背景の作画がきれいだ。しかし、ぼざろほどやりすぎてはおらず、ちょうどよくデフォルメされていた。
川にボランティアが鯉の稚魚を放流するやつとか、EM菌養成のための塊を子どもたちが川に投げ込むやつね。
昨夜、麻雀がそれなり以上に上手な人らの対戦を見ていての感想。
4人打ちの話。
一戦目から配牌の時点で全ての三元牌が2牌ずつ揃ってる人がいたんだけど、大三元には全然届かなかった。
基本的に鳴きも絡めないと組めないうえに、他家は鳴いた時点で絞りにかかるだろうから、相当な強運がないとアガるどころか集めるのも厳しいってことだろうね。
(全部暗刻で集めるとしたら更に強運が必要)
しかもその人はそれで調子を崩し、半荘終わった頃には飛んでしまった。
(特に、形やタイミングとかを何も考えずリーチかけては裏目に出るパターンが散見された)
一方、最終的に勝った人も發1の白中2を配牌でもらったときがあったけど、すぐに發を捨て小三元もほぼ期待せず、せいぜい鳴いて役牌?程度の超現実路線で打っていた。
まあ、役満含め強い役でスピーディにアガりたい人は3人打ちでもやってろって話か。
自分は3人打ち嫌いだけど。
完全な私見なんだけど、安倍元首相が本当にやりたかったのはたぶん2つだけだったんじゃないのかな?
この2つを実現するために、とにかく節操なくできることを全部やった、使えるものは全部使ったってことなのかなと。
目的があってそれを実現するために我慢できることは我慢する。そういう現実主義者。
今話題の統一教会も、安倍氏自身が熱心な信者とはとても言えないと思う。信者ならどの面下げて公明党と連立与党を組めるんかなと。
もっとホジくれば他の宗教団体と懇意にしていた証拠も出てくるんじゃないかな?反社組織とも繋がりは見つかると思う。
でも皆んな忘れがちだけど、統一教会信者も創価学会信者も反社組織構成員も同じ有権者で同じ一票を持ってるんだよね。
とにかく票につながって改憲勢力の拡大につながれば何でもいいって考えてたんじゃないかな?
ただあまりに節操がなくて、そして悪い意味でうまく票も集まったから、逆に敵も多くなった。
僕の記憶だと、自民党総裁が他党に対してネガティブな印象操作を行ったのって、安倍氏だけなんじゃないかな?(麻生氏もか?)
良くも悪くも自民党は政権担当能力のある党は自分たちだけというプライドがあって、他党は相手にしていないところがあったけど、
民主党に政権を取られたときに散々ネガティブキャンペーンをはられたことを根に持っていて、
安倍氏は「今度はワシがやったるわい」って本当にやっちゃった。
それもあって民主党支持者が減ったように思ってるんだけど、一方で敵が多くなった原因の一つだよね。
支持者が増えてきたから具体的に憲法条文の調整に入ろうとしたら、「〇〇という条文を入れたら改正に賛成してやる」とか方々から好き勝手なことを言われて、
でもとにかく9条廃止のためにはと要望を草案にガンガン突っ込んでいって、気がついたら収拾つかなくなっていた。
結果的に「こんな憲法は嫌だ」って状態になっちゃって世間的な支持が広がらず、完全に裏目に出ちゃった。
経済政策もべつに右だの左だの気にしてなかったんじゃないかな?
https://note.com/seanky/n/n4780f5cbebc7 でも紹介されてるように、「一貫した思想がない」ってのが妥当な評価で、
経済再興さえしてくれたら、思想なんてどうでもいい、とにかく経済を上向きにする、って考えてたんじゃないのかな?
ただ「一貫した思想がない」が「政策に一貫性がない」って方向に進んじゃったのは本当に残念だったね。
結果的にやったことが裏目に出ちゃうことがけっこうあったようにも見える。消費税増税とか。
経済こそ大衆の「気分」をコントロールしなきゃいけないんだから、一貫性が必要だったのに。
まあ、これもアベノミクス実現のために裏側で他の議員、官僚などの各方面と調整せざるをえなかったのが原因だと推察してる。
実際、やりたくないことをやってる時の安倍氏は言葉少ないんよね。説明が足りないとも言うけど。
で、結局僕は何が言いたかったのか?
皆んなが同じ方向を向くなんてどだい無理な話なんだから、自分がどうしても実現したいことだけを最重要視する。
後はなるようにしかならないよ。
12:00
A 「安倍さん? 安倍晋三? なんてことだ。ヤクザの仕業?」
増田「まだはっきりしてない。前の首相暗殺は1936年らしい。なんでこうなるんだ」
14:40
A 「死ぬだろう。実はもう死んでいて、死亡確認ができる医師を待っているのではないかと疑っている」
増田「えっ、なんで」
A 「ニュースでは彼は瀕死状態にあると言っていた。もし仮に死ななかったとしても、背中を撃たれているので麻痺が残る可能性がある。
しかしこれはどうもヤクザではなさそうだ。ヤクザなら別のやり方をするだろう」
A 「らしいな」
A 「NHKを見ている」
増田「へー知らんかった」
A 「ただ、そのような人はとっくにその場にいるはずだ」
増田「そうだねえ」
15:00
A 「襲撃者は「安倍がいると不愉快だから殺したかった」と言ったらしい。どこか京アニ放火の馬鹿を思わせる」
A 「だから”どこか“と言った」
15:15
16:10
増田「カメラっぽい鉄砲https://pbs.twimg.com/media/FXHn8wAUEAAeRzK.jpg」
A 「プーチンが撃たれていたらよかった。だが悲しいかな、やつは厳重に警護されていて人々の前には現れない。友達や同僚すら近づけない。排泄物すら守らせている」
増田「そうなんだ」
A 「どこのチャンネルでも安倍さんについて報道している。生きていてほしい。一人の死だけが欲しい」
17:50
A 「rest in peace. 殺した人は死刑になるだろう」
A 「私が安倍さんのために殺そう」
A 「長い間首相だった。そして彼はロシアと日本の関係を良くしようとしていた。彼のおかげでロシアから日本を訪ねるときに招待状がいらなくなった」
増田「へえ知らなかった」
A 「他にはまだ招待状がなければ入れない国もあるが日本ではもはや必要ない」
増田「他には何か」
A 「アベノミクス」
A 「前に話したはずだ」
増田「(すると数ヶ月前に聞いたので感想は全部か。「アベノミクスは裏目に出たからもう再選はないだろう」と言ってたな)」
A 「でもそのころは安倍さんは生きていたんだ…。テレビでよく見ていた。愛国者のようだった」
A 「良いことだ。国を利すると思った選択肢を選ぶだろうから」
20:30
正直なところ、この戦争が日露関係をそこまで悪くしたとは思わない」
増田「なんで」
A 「プーチンはボリスが辞めるとき笑っていた。この数ヶ月は西側については全くほめない。でも日本については悪く言っていない」
増田「そうなんだ」
22:00
ああ、安倍さんのことを思うと本当に悲しい。親戚のおじさんを亡くしたような気分だ」
https://anond.hatelabo.jp/20220429220736
ネットミームとしてよく目にする「理解のある彼くん」という言葉。
なぜか当たり前のように、自分と無関係の存在のように感じて消費していた。
だってまぁ、「理解のある彼くん」ってだいたい優男風のイケメンに描かれるし、
だから、アラフォーの妻と息子を持つおっさんの自分とは別世界の話だと思ってた。
でも今日、この記事(https://togetter.com/li/1912651)をたまたま見たら、
ちょっとしたことで塞ぎ込んで、仕事も休みがちになり、夜中に死にたいと言って泣き出す。
俺はうつ病だと思っているのだが、病気じゃないと言って認めようとしないし、病院には断固として行きたがらない。
そんな妻を時には夜中まで慰めてやり。特に不安定な日は自分も仕事を休んで一緒にいてあげたりもして。
安月給だけど、なんとか暮らしてはいけるから仕事も辞めていいと伝え。
妻からネガティブな発言が出ない日はない。一日もただ笑って過ごせる日がない。
何より辛いのは、「解決に向けて動こうとする」という、男性脳的なアプローチはすべて裏目に出ること。
自分が一生懸命状況をよくする方法を考えても、「気持ちをわかってくれない」と一蹴されて前に進めない。
胸の中に込み上げてくる「甘えてる」「弱い」と思ってしまう心をなんとか抑える。
どんなに優しくしても溝は深まる。
その度に子供の顔が浮かんで振り切れない。
別れたら、妻は本当に死んでしまうかもしれない。
最終的には「捨てないで」と泣きつかれて、問題は今日も先送りにされる。
ああ、そうだ、俺は「理解のある彼くん」なんだ。
そして、俺こそ「理解のある彼くん」なんてどこにも存在しないという証左でもあり、
それらは全部「理解してあげたい彼くん」であり、そして「本当は理解できないけど別れたくない、または別れられないから我慢している彼くん」でもある。
そんな「彼くん」たちに幸あれ。