はてなキーワード: 比喩表現とは
結論から書くと、能力の場合、他の人々にとって新たな学びや価値を提供するものには、どんな能力でもなり得ない
例えば、ポンコツのワイくんが出来ることは人類の9割くらいが出来る。既に出来ていることから得られる新たな知見はないだろう
じゃあ反面教師としてワイくんが役立つのかと言えば、これもまた役には立たない。なぜなら、ポンコツのワイくんが出来ることは9割くらいの人類は苦なく出来るからだ
既に出来ること、一度も失敗していないことから、改善は学べない
だったら、ポンコツや一般的な能力ではなく、天才や難しいチャレンジをしている人なら参考になるかと言えば、やっぱりそれも新たな学びや価値を提供するものにはなり得ない
なぜなら、その能力や環境をほとんどの人類が持っていないからだ
稀有な能力でも一般的な能力でもポンコツな能力でも、能力そのものから得られる学びは等しく何もない
ただ、"態度" や "作品(学術書も含む)" だったらどうでしょうね?そこには無限♾️の気づきや学びや改善があるだろう
ほんま、"態度" や "アウトプット"って大事だなぁって改めて思いました
アウトプットについてはまぁいつかの機会にするとして、態度についての反面教師的な共有を書いとこうと思います
・・・うーん、書いてみて思ったけど、古代からいろんな人間が言ってきていることをただ雑に書き殴っただけだね
ワイくんも子どもの頃にこれらの言葉をそれらしい文章で見たと思うが、頭でなく実感で理解出来るようになったのは今だ
人間は先人が散々○○だぞ!って言ってもけっきょく同じ轍を踏むんだね・・・
0444名無しさん@お腹いっぱい。 (ワッチョイ 23c3-t1ev)
2023/02/12(日) 02:29:44.49ID:gm8yvUFh0
暇空が放火して回ってるだけじゃんw
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/twwatch/1676112918/444
@V5tL87FjId15958
【近況報告】(R6.3.7)
暇空による発チは却下されました
https://twitter.com/V5tL87FjId15958/status/1765577318842732723
@V5tL87FjId15958
でもこれが原因で脳梗塞起こして歩けなくなったのは帰ってこないんですよね
https://twitter.com/V5tL87FjId15958/status/1765585460267753726
@V5tL87FjId15958
ちなみに弁護士先生は結果的に無償でこの仕事をしてくださいました。この場を借りてお礼申しげます
https://twitter.com/V5tL87FjId15958/status/1765588699050631460
人間が出来ているからとか、悟りを開いてるからとかではなく、人とだいぶ価値観がズレてるのであんまムカつかない、
自分が一度怒ると無限に怒り続けていることに自覚があるので、怒り出しそうなことには近づかない、
なので滅多に怒らないのだが、怒っちゃうと異常に強く怒っているよね
ほんで今日、異常に強い怒りの根源が何かはっきりした。基本その場で即座にやり返すのにそのあともずっと怒っているのは、
相手のこと『破滅させてやろう』と思っているんだわ。なお比喩表現ではない模様
これはガチキチですわ。割と普段からふとした瞬間にワイってあたおかなのでは・・・?って思うが、これはガチ目に自分に引いた
ワイは本当にいろんなことに恵まれたね。犯罪者にならないでよかった
あとワイはクソ雑魚ナメクジのキモヲタなのに、噛みつきまくって、同じタイプの人(特に物理特化型)に攻撃されないようにしたいと思いました(戒め)
見た目体力精神力とも弱々なので、よく人から要りもしない圧をかけられたり見下されたりします
弱々なので反撃して戦うのも一苦労ですし、だいたい、あーはいはいしんだしんだと返事します
けれども、会心の一撃出されるとね、これはもうスルー出来なくてね
反撃するんですよ
と言っても悪意のある無視とかないものとして扱うとか、その程度です。スライムですからね。攻撃力ないんで。
でもね、そうすると勇者気取りめっちゃ怯むんですよ。例外なく。
もうね、情けないですよ。君は勇者気取ってマウントとってきたんじゃないのかと。
ドン引きです。もっと私を怒らせて決定的にキレさせてほしいです。
何を怯んでるんですか。機嫌とろうとしてこないでほしいです。
情けないです。
比喩表現をアドリブで使いこなせばいいだけなのに、テンプレパーツをキメラして作った素人のHTMLソースみたいな代物を口から垂れ流してどうなる?
なろう小説に出てくるクソ雑魚魔法使いの口癖みたいに「馬鹿な!言葉を自由に組み合わせたりしたら、日本語が崩壊して造語症になるぞ!」ってビビってんの?
相手が知らなかったらググるしかないような知識マウント語録乱発してイキる言語センスってさ、淫夢界隈の身内馴れ合いと延長線上で同居してるんだけどお気づきでない?
1000年前に流行ったシェイクスピア引っ張り出して「ドヤぁ……漢文の名台詞集を言える俺カッケェ……」とか、ガンダムオタクが友達の家に訪問するなり「まずはうまい水をくれ!」とか抜かして地球を人が住めない星へと凍えつかせてるのと一緒やん?
恥ずかしくないんか?
漫画版のエレンのアルミンに対してのセリフ、エレン「お前なら…壁の向こう側に行ける」をスポイルしたとこ。
このセリフ、素直に捉えると「なんでエレンは壁ぶっ壊すのが確定してるのに"壁の向こう側"なんだ?」
ってなるんだけど、作中の今までの比喩表現の提示だと思うと大分しっくりくるのよね。
エレンの地ならしって、取得しただけで過去も未来も決定づけられるほど、個人が持つには大きすぎる力の比喩...ここではあえて語らないけどまぁ””アレ””だよね
~~脱線~~
実は進撃の巨人の代名詞でもある、「紅蓮の弓矢」でも触れられていて、”宵闇に紫を運ぶ冥府の弓矢”
...これは「二千年若しくは二万年後の君へ」で答え合わせができる。”流星に似た冥府の弓矢”
~~脱線~~
そこから考えると、巨人って武力的な概念の比喩なんじゃないかと思う。
そうすると、今まで周囲を隔てていた壁の正体は「人との境界線的」な概念に見えてくる。
そこでようやく壁の向こう側の話に戻ってくるけど、エレンは結局のところ壁を”壊す”ことしかできなかった。
地ならしで人類8割踏み殺して巨人の力...武力を失わせることによって壁を取り払う形になった。
その上でアルミンに言った「壁の向こう側」が効いてくる。
アルミンは最初から作中の敵に対して、必ず初手対話がお決まりだった。ベルトルトやアニに、ほぼ戦闘になるであろう状況でも対話を求めたり。
そんなアルミンだからこそ、エレンは”壊す”ではない別の方法で「壁の向こう側に行ける」と伝えたんじゃないか、って思うんだ。
けれど、アニメ化に当たって、今まで曲解されかねなかった虐殺部分の表現に加え、
昨今の某諸国の壁情勢(自分で調べて)を鑑みなきゃいけなくなった。だから最終回のアニオリでは
「虐殺の"明確な否定"と、現状の”情勢への配慮"を同時に行わなければいけない」
「謝ったら死ぬまで殴る病かよ!じゃあ俺ももう謝るとか無理だな!」ってキレられるの本当意味分からんわ。
人間が罪の意識を自分事としてちゃんと持てるかどうか怪しいから罰則がこの世界に存在してて、実際それ食らってる側は「謝ったんだから許してよ」で何度でも再発させようとしてくるんだから罰則受けてもらうしかね―だろ。
繰り返すほどに罰則が重くなりますよってシステムにしないといつまでも同じことやって謝って終わりにしてくるだけじゃん。
つーかそれをしたくて溜まらないって顔に書いてあるから「そうならないように罰則が必要ですよね」とこっちが言ってるのをキレときゃすり抜けられるとか思われてるのがマジでありえん。
何が「死ぬまで殴る」だよ。
お前がやらかした問題に比べたら軽いぐらいだし、むしろお前のほうが「相手が死ぬまで謝りながら殴ろうとしてくる病」みたいなもんじゃねーか。
「殴る」って比喩表現を使うようなことなら、お前が先にやってんだよ。
なんでそれを謝っただけで終わらせようとするねん。
じゃあお前も殴って痛みを覚えてもらうしか無いだろ。
はてブのみなさんのなかに複数、「記事の指摘内容」自体は正しいものと鵜呑みにされている人がいることにやや危機感を覚えたので、逐一検証していきます。
準拠する用字用語ルールブックは、記事内では残念ながら指定されていないので、現物を所持しているという点で増田に都合の良い、2016年3月24日発行の『記者ハンドブック 第13版第1刷』を使用します。
なお、2022年3月に「記者ハンドブック」は第14版が出ているのですが、スタイルガイドは別に新しいものが日本語として正しいといった性質のものではなく、またたかが6年で様変わりするようなものでもないので、気にしないことにします。
厳密な話をするなら、増刷のたびに微妙な改訂があったりしますしね。
なお敬語や文法等の指摘は、表記集である記者ハンドブックの範囲外だと思われるので無視します。
また、面倒なので「【誤字】_カテゴリ別」のシートのみを対象にします。
誤用第1位として挙げられていますが、1位になるのも当然で偽ルールです。記者ハンドブックでは「比喩表現には「例え」、仮定表現には「たとえ」、「喩え/譬え/仮令/縦令」は常用漢字表外のため使用禁止」です。
これは正しいルールですが一方で記者ハンドブックには「「まぜご飯」など書き分けが難しい場合には平仮名書き」とあります。必ずしも正誤判定を行えるルールではありません。
例えば
などは、「調べて区別を付ける」ことは可能だが、調べるまでは「混ざっていて区別のつかない」状態を描写しています。
判定は難しいですが、記者ハンドブックは「混じる」の用例に「異物が混じる」を挙げていることも踏まえると、誤りとは言えません。
書き分け基準は正しいですが、『亘る』は常用漢字表外なので『わたる』と平仮名で書きます。
同上。『穿く』は常用漢字表外なので『はく』と平仮名で書きます。
同上。『窺う』は常用漢字表外なので『うかがう』と平仮名で書きます。
記者ハンドブックには「「料理を皿にのせる」など使い分けに迷う場合は平仮名書き」とあります。用例を見ても「猫を膝に乗せる」/ 「家畜を列車に載せる」などは違いがわかりにくいです。
の2点が揃えば「乗る」、2点に反すれば「載る」、片方だけ満たせば書き分け困難として「のる」とするのが妥当に思えます。
そうすると、
は「載る」ではなく「のる」に校正するのが正しいでしょう。
「押さえる」は「物理的圧迫」だけでなく、「確保する」「つかむ」も含みます。そうしないと「要点を押さえる」などが説明できません。
また「物理的圧迫」でも例外として柔道用語では「抑え込み」です。
要約すれば、「抑圧・弾圧・柔道」が「抑える」、それ以外が「押さえる」とするのが正確でしょう。
また、
- 持って帰りたい気持ちを抑えて
は「抑制」なので間違っていません。
これも記者ハンドブックに「使い分けに迷う場合は平仮名書き」とあるようにはっきりとは分けられません。
ただし、少なくとも誤用指摘をされている
- エアコンの効いた
等に関しては記者ハンドブック中に「冷・暖房が効いている」があることから、誤用指摘のほうが間違っていると言えるでしょう。
「沁」は常用漢字表外であり使用禁止。すべて「染みる」で問題ないのが記者ハンドブックルールです。
記者ハンドブックルールでは「敵う」/「適う」を区別しませんが、そもそもどちらも常用漢字表内の読み方に「かなう」がありません。平仮名書きが正しいです。
記者ハンドブックルールでは「散りばめる」/「鏤める」はどちらも誤用ではありませんが、「鏤」は常用漢字外なので使用禁止です。
表記統一のルールとしてひらがなで「ちりばめる」と書くのが正しいルールになっています。
「牡蠣」/「柿」は同音異義語です。牡蠣を柿と書いたら誤りです。しかし「かく」ならば、絵に対しても書に対しても両方に使える、ただの多義語です。「書く」「描く」という2単語があるわけではありません。
多義語も書き分けを行うことで、意味確定が楽になり読みやすい文章にはなります。しかし、「絵を書く」と書いたところで日本語として間違いにはなりません。あくまでプラスワンの基準と考えるのが妥当でしょう。
また、「書く / 描く」の書き分けルールくらい、多くの現代日本人の共通認識になっていれば、強い理由がない限り逸脱しないほうが良いといえるでしょうが、
でも「湧く / 沸く」の違いならどうでしょうか。そんなもの日本人のほとんどは意識していませんし、言語感覚は人それぞれで多様です。何かしらの書き分けを行うことによる読みやすさの向上は、仮にあっても微々たるものでしかありません。
共同通信の配信文などはその性質上個性を抑えた画一の文体が好まれますから、ルールを極めて細かいところまで定めることに意味が出てきますが
一方でオモコロのような個性が売りの媒体では、時にはルールから逸脱することもあるライターの言語感覚を反映させて、自由に書き分けることの方がよっぽど重要です。
記事の冒頭、
にマジレスすると「メディアの違いを理解せよ」ってやつですね。
そして、フォーマルな画一文の校正として見ても、『オモコロを校正する』は、準拠するスタイルガイド・用字用語集・辞書・文法書が指定されていないこと、および常用漢字表外の漢字の使用について明らかに無頓着であることがかなり気にかかります。
記事の著者は「普段、仕事で小説を読んでいます」と主張していますが、この人に仕事で校正してほしくないな……というのが本音です。
この漫画ってつまる所は「将棋と青春を通して描く人生という『一所懸命』」なんだと思うんですよね。
王と玉を取り合うシンプルで言い訳のしようがない世界である盤面の上で、夢や都合や老いといったモヤモヤしたものが絡み合って純粋さが失われていく将棋パート。
それとは反対に色々な物が混ざり合いすぎた絵の具みたいに鈍色と虹色の中間みたいな現実の中で、ハッキリと光るものによって世界がシンプルにほどけていく日常パート。
その2つの相反する世界の中で、純粋と混沌をグラデーションさせながら生きていくことを強要されていく世界を浮かび上がらせ、その複雑さと残酷さに押し潰されそうになる中をどう進むか、その答としての「一所懸命」がこの作品で描かれているものなんだろうなと。
この混沌とした世界で数少ない純粋なもの、将棋の勝ち負け、好きだと想う心、その光を一直線に目指す気持ち、それを絶対に譲れないからと必死に糸をたぐるように追い求めていけばきっと道は拓けるはずだという希望の唄なんですよね。
それを今自分が使っているような陳腐な言葉じゃなくて、比喩表現を駆使して少しでも深く掘り出そうとする思いがファイターを通して今なら分かる。
昔は分からなかった。
将棋という軸に繋ぎ止められた方向性のない群像劇だとさえ思っていた。
全然違った。
皆が光に向かって突き進んでいる。
自分の中から溢れてくる光、それが指し示す道へと向けて精一杯突き進んでいる。
なんで3月のライオンのテーマソングがこんなに力強いんだろうか不思議だった。
桐山零は物凄い強くて天才だけど、その印象は優男、いや優しい男の子っていう感じだった。
でもその歩みは物凄く力強かったんだ。
まっすぐ目の前に伸びる道をノッシノッシと何もかもを押しのけていくように踏みしめていく。
この力強さを奏でていたんだな。
そして、そうやって突き進むために桐山が傷つきながらもファイティングポーズを絶対に解かないで何ラウンドもリングの真ん中で拳を突き出し続けた姿を、そんな桐山の戦いの中に、将棋の勝ち負けだけじゃなくて温かいものが無数にあるんだって教えてくれた光に対しての祝福がこんなにも輝いてるから、こんなにもヒロイックに音が跳ねていたんだ。
俺、分からなかった。
10年もかかってしまった。
凄いな、プロは。
いや本当感心するわ。
BL小説を読んでて思ったからBLの話なんだけど、受けがエロいということを表現するために「娼婦のように」って書かれてるとモヤつくことがある。
その話の世界観とか、視点である攻めの置かれてきた環境によっては適切な表現なんだけど、読んでたのは現代の20代同士のBLなんだよ。
などが気になってしまう。この攻めが西洋美術に造詣が深かったらまだなんとなく、エッチさとかミューズ的な憧憬とか麗しさを感じてんのかなと連想できるんだけど、「娼婦」って潔癖なキャラから見ると、同時に蔑視の意味もニュアンスとして出てくるからイマイチ捉えづらい。
具体的に身体描写とかでエロさを書いてくれたほうがわかりやすいのにな〜とまで思うけど、そこまでいくと単純に好みの問題だな。