はてなキーワード: 有効とは
「ブクマカは一枚岩じゃない」は至極当然の事で「無敵戦術」でも何でもない
はじめから「一部の」ブクマカを批判していればいいものを、「一部の」を省略するような主語デカ病は己の首を締めているも同然なんだよ
「一部の」を省略しても論旨や説得力は変わらないのに
「一部の」を省略すると死んじゃう病なの?噓つきなの?
日本人の犯罪者が数人いた事をもって「日本人は犯罪者」とする言説に対して
niagado 「主語がデカい」の逃げはずるい。複数を対象にしたら例外事項なんてあるに決まってるから、物事に適切な主語なんて示せるわけないのに。
逃げでも何でもないぞ
主語の規模を適切に表現するのは面倒だけど、ブコメの中から自分が馬鹿だと思う奴をピックアップして「ブコメ49個中3個(6%)は馬鹿だ」のように言えばいいだろ
勝手にはてなの総意みたいなものをねつ造する奴(元増田のお前含め)自体がアリみたいな虫と同レベルの知能しか持ってないことに気付けよ
今でも批判してる人はいくらでもいるし、当初から批判してなかった人だってネトサポに限らずはてサみたいな奴でも原発安全厨みたいなやつとも親和性あるわけでいくらでもいた
威勢よくキレてないで
オレから言えるのはそれだけだ
おちついてくらせるようになったら脳のスキャンとかしたほうがいいかもしれん
https://www.saiseikai.or.jp/medical/disease/idiopathic_hypersomnia/
新型コロナ対策として、人と人との距離を空ける「ソーシャル・ディスタンス」がその有効な手段の1つとされていることは誰もがご承知のとおり。
距離を空けること自体には何の異論もないが、この言葉が出始めた当初から、ソーシャル・ディスタンスを「社会的距離」と訳すことには違和感しかなかった。
この言葉が求めているのは、他人との間に「物理的な」距離を取ることだよね。そして、それを社会全体でやりましょうという。それが、「ソーシャル」に込められたの本来の意味のはず。
例えば「上司と部下」「教師と生徒」のように、物理的に近くにいたとしても、社会というものの存在が作った距離を「社会的な距離」というのなら理解できる。しかし、新型コロナ対策として求められているのは決してこのような意味ではない。
最近になって、記事によっては「人と人との距離」「フィジカル・ディスタンス」「他人との距離」などとするものが少しずつ増えているところをみても、自分と同じように違和感のある人も案外、多いのではないだろうか。
また、「ソーシャル・ディスタンス」ではなく「ソーシャル・ディスタンシング」というのが正しいはず。変な言葉が感染(?)して広がっていくのは、ウイルス以上に早いのかもしれない。
----
tl;dr
----
前提
----
「ある男がパートナーの女の(誤った)発言に対して毎回優しく肯定的に応じたのち、間違いを説明する」というカップルの在り方について、「優しく肯定が入る方が女性側の立場として自信が得られる」という考えについて。
基本的にこの構図がお互いの認識になること自体が mansplaining さがあって嫌なのだけど、それは表題の文脈の下では脇に置いておいて、そこでの選択肢として、{肯定的/否定的}に応じ間違いの説明を{しない/する} という4通りにおいて、{肯定的, する} というのは確かに望ましい。まず、批判と非難の違いが一般に理解されにくいのは、批判の否定的な口上は例えばその場が学問的であるといった「場」があることで信頼が支えられていて初めて機能するので、それ以外の場で批判(正/偽)と非難(善/悪)が混同されることがあるのは、必ずしも混同する側が悪いわけではない(cf. 元SPEED・今井絵理子議員の「批判なき政治」発言)。その意味で、プライベートなコミュニケーションにおいて、{肯定的/否定的}というのはニュートラルではなく、肯定的の方が心理的効果として望ましいといえる。また、毎回間違いの説明をすることは、毎回間違っているということに気づかされることになり自信を喪失しうるが、指摘しないままにパターナリスティックに傷つきやすさにのみ配慮して放置することは相手が反論したり、追加情報を提示したりといったことを通して「相手の方が正しかった」という可能性に賭けないということであり、他者としての尊重に欠けるばかりか、相手の成長の機会をも奪うことになる。ただ、陰謀論的だったりオカルト的だったりといった特定のバイアスを含む情報ばかり拾ってくることは、一朝一夕で改善するものではない。そうならないためには相応の努力と知識が必要なのであって、場合によっては、ずっと同じ構図を繰り返しその構図がお互いの認識になるということが生じてしまうかもしれない。そのどうしようもないギャップを、他の側面で補うことで相互の尊敬を維持できるならば、これは問題として前景化しないかも。でも、その切り分けをせずに、繰り返し続けている誤りについて、口上のオブラートでごまかしたとしても、少なくともそれは知的自信の向上までにはつながらない。自信を支える相応の能力や実践、もしくは基礎的な肯定感が必要である。
ここで、「もしくは」になるのは、「自信」の性質に拠る。(上のような話をしておいてリテラシー低めの引用をするのは気が引けるが、読みやすさを重視して、参考: https://diamond.jp/articles/-/78423?page=4 )自信を得るのに能力や実績が有効ではあるが、能力や実績がなくても自信が得られないわけではない。生来の自己肯定感などによってそれは変わる。逆に言えば、そこが低いと、小手先で何をしたところで、自信は低いままにもなる。病的であれば、薬によって脳内神経伝達物質のバランスの改善を図るということも視野に入れるべきである。しかし、そこまででないならば、「他の側面で補うことで相互の尊敬を維持」という意味で「愛されている」という実感による基本的な肯定感の向上などが有効でありうる。逆に言うと、自分を愛さない人間と一緒にいることは、自己肯定感の側面からかなり危ない行為であることに留意したほうがいい。ここで、愛も、条件付きの愛とそうでないものがあるが、条件を、性的なものや、ある1つの能力的なもののように一側面の条件に頼っていると、それは脆弱になる(というかそれは愛ではないと思うが)。条件付きであっても、それは、条件と等価以上に為されるものであることで(cf. 信頼と信用の関係、『信頼の構造』を想定しているけど、アドラーでもなんでも同じようなこと言ってる) 肯定感を支える愛になりうる。
少し話をもどして、プライベートなコミュニケーションにおいてそもそも正しいことが必要かどうかというのも一考の余地はある。例えば、「今日は空が赤いねぇ、不吉な感じすらするねぇ」という言葉に対して、「空は予言能力はない」なんて返したら、その返しすらギャグである場合を除いて、「科学的に正しいこと」に重きを置きすぎていると言われてもしょうがないだろう。いつもいつも科学的な正しさを持ち込むべきではない。一方で、「〇〇という薬が効くそうだよ!」という言葉に対して、「それは××という危険性が指摘されていて安易に飲むべきではない」と応じることは、プライベートの場面であるとはいえ、いやむしろ、服薬するという最も実践的な場であるからこそ、科学的正しさが適切に活かされなければならない場面である。政治的な発言については、例えば「#検察庁法改正案に抗議します」とだけ呟いた芸能人に対して「なんも分かってないだろ」といったクソリプが相次いだけれども(それ自体は具体的ではない発言に具体的ではない形で具体的発言のなさをなじっていて全くクソリプでしかないと思う)、そこで立法の背景の正当性についてどう思うかと問うこと自体は(数の暴力を伴わなければ)議論を深めるために民主主義的には望ましいコミュニケーションである。それがTwitterのようなパブリックな場ではなく、プライベートなコミュニケーションにおいても同じく妥当する。ただ、政治的な話をすることというのは、それ自体が嫌がられるし、議論となるともっとそうだ。特段の配慮が必要でもある。学問的な話なら、それが宇宙人の存在についてであってすら、正しさはむしろ娯楽のために重要である。それが(学問ではなく通俗的な意味での)文学的な話ではないと相互了解があった上ではあるが。つまり、「タコ型の宇宙人って歩きにくくない?」から始まる会話は科学的正しさによって楽しもうという意思は見られないので、それはまるで漫才の相方のように応じればよいのである。{正/偽}をコードとしない意外と多くの場面でも正しさというのは実用的にも楽しさの面でも重要なのであり、それが、「知的レベルが合っていないと楽しくない」というのがよく言われる原因でもある。もちろん、賢いなら相手に合わせることもできるのだが、それは冒頭の話に戻る。そのパターナリスティックな対応は、相手を尊重しているのですか、と。
私ネトウヨだけど、安倍内閣の特徴は、反対派が言うような巨悪や無能ではなく、調整型で組織防衛型という点にあると思う。
これまで自民以外も含めて、政策に関係ない些細なことやわきの甘い点を攻撃されて失墜していった反省から、決定的なボロを出さないことに注力した究極形態にみえる。
これまで安倍首相は数々の批判にさらされてきたが、いまだに収賄をはじめ一発退場の違法行為の実行犯としての証拠は挙げられていない。
揚げ足をとられないように、発言は抽象的になり、文書などの証拠も極力出さないようになる。
それが公正さ、誠実さに欠けていると批判されても、明確な違法行為の実行犯とはならない範囲を見極めているのが巧妙。
そういう点では(そうは見えないかもしれないが)歴代内閣でもっとも守りの堅い、将棋で言う穴熊のような盤石の防御態勢を作った。
状況によって組織防衛の「組織」が日本だったり内閣だったり自民だったりするが、守りに関することは動きが早くて、それ以外は調整型なので遅く、大胆な改革はしない。
組織に対して献身的であり、個人的な私利私欲は意外なほど見せていないので自民党内部から刺されることもない。
首相の座に居続けることで得られる利益というのはあるだろうが、もっと直接的な欲はほぼ見せない。
調整型であることで、自民党内部や官僚や多種多様な産業界のどこか(農業とか製造業とか)が割を食ってその業界ぐるみで反発されることもない。
調整型・組織防衛型であることのメリットは政権を長く保つことができて、長期計画の政策がおこなえるということ。
(現状できていなかったとしても、その下地ができているということ)
短期間で任務が変わる場合、一般の公務員などでよくあるが、1年くらいで成果が出る目先の改革に注力してしまい、
どんなに優秀な人でも長期的展望がないいきあたりばったりのことをやってしまう。
デメリットはもちろん癒着、腐敗、見えないところでルール違反をしやすいところ。
現政権の場合、防衛的にわきを固めているので、不祥事も他の政権と同等かそれ以下であり、ことさらにそこを攻めても崩れない。
今のような巨悪や無能を論点とした正攻法や、揚げ足とり、違法行為に対する間接的関与で安倍首相個人を叩いても、さほどダメージは与えられないと思う。
とはいえ現状はすでに安倍首相個人が一般大衆のヘイトを買いすぎているので、次の選挙で自民が大ダメージを受けるのは確実ではある。
安倍首相と自民を分断させ、自民党員に安倍支持を表明することがデメリットと感じさせるようになったら組織防衛が崩れていくだろう。
それに向けて内部に反安倍派を増やすような工作を今からしておくのも有効だと思う。
調整型を攻めるなら、他の先進国のような大胆でスピード感のある情報改革を進める方が国のためになる、という政策論議がいいかもしれない。
給付金の申請に関する告知、絶対に足りて無かったと思う。総理が「オンラインでも申請できます」くらいしか言わなかったために現場にめちゃくちゃ負担がかかってる。
【政府広報で伝えるべきだった項目】
・マイナンバーカードができるまでには申請から1〜2ヶ月かかる。まだマイナンバーカードを持ってない人は、給付金の申請を郵送でした方が良い。
・そもそもカードリーダーのあるパソコンか、おサイフ機能があるスマホがないと申請できない(どちらも持ってない状態でどうしたら申請できるか聞かれたことがあった)
・マイナンバーカード持ってても事前に電子証明が必要。ない場合は自治体で申請する必要あり。5年で失効するので、失効したら再度自治体で更新する必要あり。
・マイナンバーカードの有効期限は10年間。今のところ期限切れになってる人はいないはず。(有効期限について聞かれることあった)
・4月末はさほど無かったのに、5月に入ってから突然マイナンバーカードに関する相談が急増した。前々からオンライン申請にはこういった条件が必要だから、お早めにご準備くださいと告知しておくべきだった。
いまだかつてやったことがなかったオンライン申請に関する不備不具合多発すること分かってたんだから、十分な周知を行うべきだった。
ただでさえ自治体には、銀行の融資関係とか児童手当、補助金の申請で納税証明書とか所得証明書、印鑑証明書等必要な人がたくさん来ていて過密状態なのに…と思う。
手厳しい意見だ。どうだろうか、たとえば侵略されつつあるビルマやインドネシアの国民が、イギリス人やオランダ人に国籍を与えるのはよそう、なんて議論できただろうか。したかも知れないが、無意味だったろう。
重要な点は版図を広げることでなく、外国の侵略を防ぐことだ。民主的な方法は良い。平和的な方法も良い。有効かどうかは、歴史が証明している。
前線をどこに設定するかという視点で見れば、日本以外を希望したい。具体的には朝鮮半島や台湾がありがたいのであって、一足跳びに日本が陥落することは好ましくない。
私の意見は、端的には、北朝鮮に侵攻することで韓国を元気づけようというものだ。韓国に前線がある限りは、私自身はピンフだ。
ヨーロッパ連合は、他国人に一部人権を相互に認める試みだった。あれをモデルにするのがいいと思うが、中国主導の一帯一路とは相容れないなぁ。
俺も安倍ちゃんが世界に先駆けて行った休校とマスク配布を最初バカにしてたけど、どうも有効らしいと他国が追随する今になって反省してるよ。
未だに俺んちにマスクが届かないのはどうかと思うけど。
なぜなら、今回抗議した人のほとんどが「黒川検事長の定年延長」と「検察庁法改正案」(と国家公務員法改正案)とを混同しているからです。
普通に考えて、ほとんど報道もされなかった「検察庁法改正案」自体に、1日で著名人を含むあれほどの数の抗議が集まるはずがありません。
まともな読解力があるなら(※1)、1月に大きく報じられた、異例の法解釈による黒川弘務さんの定年延長に対する不満が、今回爆発したのだと考えるべきでしょう。
つまり、「#検察庁法改正案に抗議します」は実質的には黒川さん定年延長に抗議するハッシュタグです。
ですが、これに対する反論はなぜか、「検察庁法改正案」自体は問題ない(黒川さんと直接の関係はない)というものばかりで、
(「興味がない」という謎の反論もあったけど)
「#検察庁法改正案に抗議します」というハッシュタグを使ったお前らが悪いんだ!とのご批判は真摯に受け止めなければならないと思うところですが、
黒川さんの定年延長はすでに決まってしまっているので、現実的な手段として、関連する今回の法改正に抗議するのは妥当でしょう(新たな黒川さんを生まないためにも ※2)。
文言が気に入らなくともハッシュタグを乱立させては意味がないため、先に使われているタグに大同団結するというのも、Twitterでは政治に限らずよくあることです。
「昨日抗議に参加したのは間違いだったのではないか、謝ったほうがいいのではないか」と悩んでいる人がこの記事を読んでいるかもしれませんが、自信を持ってください。
あなたが当初持っていた黒川検事長定年延長への疑問は解消されましたか?
謝るとしても、せいぜい「ハッシュタグが不正確だった」程度のものでしょう。
これに対する反論は、今後もたぶん出ないです。
今回の問題を分かりやすく https://note.com/tonfi/n/n95a2265c6273
黒川さんはこんな人 http://nobuyoyagi.blog16.fc2.com/blog-entry-791.html
※1 インターネット政治マンは、異なる意見に接すると読解力が著しく低下し、当たらないご指摘を繰り出す不具合を抱えています。
インターネット政治マンが一人だけなら「なにいってんだこいつ」で済みますが、Twitterやはてなブックマークのような政治マンの巣窟ではこの不具合が同時多発的に発症するので、当たらないご指摘も攻撃としてはそれなりに有効になります。
引越しを機にいらないもの捨てまくっているものは整理整頓してちゃんと収納していきたいからオススメの収納用品教えてくれ
今はダンボールの中に適当に入れたりメタルラックの上に適当に置いたり、床に直置きして足の踏み場が無くなりつつある状態。
all_insanity ウォールシェルフおすすめ。窓やドアの上のデットスペースを有効活用しよう。ただし地震で揺れたときに落ちてきても危険じゃないものにしておこう
ホッチキスで壁にほとんど傷つけず壁収納が作れる器具があるらしいのでそれ調べてみる。ありがとう!
borinpan インテリアに合うか分からないけど、IKEAのトロファストって棚が腰掛けとしても使える。引き出しは使わないで本棚としても使えますのでよかったら!
画像検索したら良さそうなので今度IKEAで見てくる。ありがとう!