はてなキーワード: 有効とは
「悪夢の民主党政権」などというかつての民主党政権に対する一連の無根拠な誹謗中傷の一つに「超円高を放置して製造業を壊滅させた」という物がある。
円高は国内の製造業の国際競争力を弱めるにも関わらず民主党政権は有効な対策を取らず、企業が倒産したり海外に工場を移したりして、そこで働いていた人々の雇用も失われた、という批判だ。
今回の平田オリザ氏による「製造業とエンタテイメント産業は構造が違うのだから支援方法も異なるべき」という客観的事実を述べたにすぎない発言から文脈を欠いた引用と悪意を持った解釈を行って氏を攻撃する動きを注視し抑止しなければならない。
平田氏を巡っては「日本の建設業と地方経済を壊滅させたスローガン『コンクリートから人へ』の提唱者である」というこれまた無根拠な誹謗中傷が右派勢力によって喧伝されているという嘆かわしい状況が既にある。
決して、「このように製造業に対して無知・無理解な者が内閣官房参与であったから、民主党政権は超円高を放置し日本の製造業を壊滅させたのだ」などと無根拠の上に無根拠を重ねるが如き誹謗中傷を許してはならない。
いや女性も女性性から降りようって運動がムーブメントになったことがあったんだぞ。
フェミニズムがそれだ。
今のネトフェミが言うような雑な女性アゲじゃあない、ガチのフェミニズムでは、お前が言うような、女性が見た目を磨こうとすること自体が悪だとされた。「ブラジャーは抑圧」ってキャッチコピーだったんだ。ブラも化粧も男に媚びるものとされて、ダイエットを推奨するスーパーモデルがフェミニズムの一番の敵だった。
これがなんで頓挫したかっていうと、女は結局、ブラも化粧も好きで、モデルみたいになりたかったからだ。
女が社会に適応して、自分磨きをすることが自分の特になるとおもったから、ではない。
この点でお前には誤解がある。
男もたぶん同じだぜ。
男性性から降りろってワード、知っての通りフェミニズムから出てきたけど、発想が同じなんだよ。
男女差を生む要素を全て悪とするために、稼いで妻を養うこと、筋肉をつけることを悪とした。そういうことが出来ている精神的マッチョの男性芸能人を敵に設定した。
そんで、男の場合も結果は同じで、男はたいていの場合、金が欲しいし、筋肉つくと気分がいいっていうね。男性だろうがなんだろうが、何かしら競争をしていること自体が人生の充実につながるところある。楽しいからそうするのであって、己を高めるのが当然の義務だから己を高めているのだ、みたいな話とは少し違うはずだ。
「弱者男性」がお前の言うように社会に適応した結果として己を高めていこうとすることなんか、恐らくない。「弱者男性」はむしろ過度に社会に適応しているんだよ。思想として広まった言説に、己を適応しているの。
もしも令和の現代で、男性性から降りろ、とか言う妄言がまだ有効だとしたら、それは思想の進歩が遅れているからなんだ。
フェミニズムに耐性がなかったから、男性性から降りろとかいうかつてのフリージェンダー思想の焼き直しが広まってしまった。今は、男性性はやっぱあったほうがいいよね、という話が広まっている、今まさに最中なのだ。
女性性については80年代に既に終わったフェーズだが、男性性についてもたぶんあと数年で完了するだろう。
最近ツイッターではよく「日本は欧米よりずっとコロナを押さえ込んでるんだから欧米に学ぶことなんてない」みたいな意見を凄く見るんだけどさ
確かに日本では不思議なくらいコロナで死者が出て無くて、欧米では人が死にまくってるけど、これってまさしく「不思議なこと」なんじゃないの?
逆に聞きたいんだけど、「日本ではコロナを押さえ込めてる」のが政権の的確な対応だと思ってる人っている?私の目には「誰も理由はわからないけどなぜか上手くいってる」としか見えない。
日本が上手く対処したんじゃなくて、全然できてないのになぜか上手くいっている。そうとしか思えない。
こういうこというとすぐ「何が何でも安倍総理の功績を認めたくないパヨク」とか言われんだけどさ、真面目な話、少なくとも安倍政権が有効な対処を打ててないことだけは明確じゃん。そこはもう共通認識じゃないの?
安倍総理自身が緊急事態宣言の発令が遅れたことを反省してるし、それ以前から思いつきの休校措置(通勤はノータッチ)とか和牛券の配布検討みたいなタコ踊りしかしてないわけで、それにもかかわらずコロナは不可解なまでに日本で蔓延してない。
入国管理して徹底的なロックダウンまでしてる欧米で万単位の死者が出てるのに。真面目な話、なんで????
回答になってないような気が。
「次も次もってなる」っていうのも、「セーフティーネットにならない」っていうのも直近の損得勘定の前には無意味だと思う。
「次も次もってなる」は、わからなくもないが、短期的には人気とり(支持率維持)には有効っていうことの裏返しだと思う。
「セーフティーネットにならない」ということは、セーフティーネットになり得る施策には大胆に財政出動するってこと?そうはなってない気がするが。
証拠が出揃うのを待っていては手遅れになる場合もある。そのような状況では有効と思われる施策をリスク覚悟で試すしかない。失敗したときのダメージが少ないことがわかっているなら今すぐするべき。
「一見全然違うもの」を、その仕組みや構造に着目して類似を指摘することで、最初の問題に新たな切り口が広がる……という手法自体は、発想法として有効だったりするんよな。だからああいう論理未満の無茶な記事も書かれるわけなんやけど。
たとえば有名どころで言うなら、清涼飲料水のボトルのデザインで、「握りやすい(細い)」と「多く見せたい(太い)」をどう形にするか、を考えたとき、「しまるところ締まって、ボリューミーなところをボリュームいっぱいに見せたい」のは「女性のファッション」も同じだよね、と発想すると、流行していた女性用のスカートをボトルデザインに取り入れる、というアイデアが出てくるかもしれない。これを件の増田風に「清涼飲料水のボトルも女性のボディラインも同じだよね」と書けば「雑類似乙」とか「飲む目的で手に取るものと自らまとうものは違う、女性差別」とか批判炎上するだろうけど、けどこれがそれほど悪い発想ではなかった、ってことはコカ・コーラの歴史が証明してる。
つまり何が言いたいかってーと、雑類似の一部は社会に豊かなアイデアを提供する【必要悪】かもしれないよ、ってこと。じゃーね。
あなたが言うところの初学者ほど参考書やらwebサイトみたいなのを一生懸命に写経したがるからな
お前は写経僧になりたいのかと
そして質が悪いことに参考書も、ググって上位にでてくるwebサイトも、間違えた解釈(本人はバカでこれが正しいと思っているのだろうが)を書いていたり、非推奨だったり廃止された機能をなんとか有効化して使う方法なんて本末転倒なことをやっているからな
皆さんご存知の通り、コロナウイルスの恐ろしいところは、その多くが無症状でありながら他人に感染させるステルス性です。
みなさんは基本家にいるときはマスクを着用しておりますでしょうか?できれば付けたほうがいいかもしれませんが
多くの方はマスクを着用していないと存じます。もちろん皆様は部屋の除菌などかなりのレベルで気を付けているとは思いますが
多くの場合換気はノーマークだと思います。そこで、日本建築学会の意見を参考に換気についてもチェックしてみましょう。
実は日本は世界有数の換気機構が普及した国です。古い家では風通しが重要視され、新しい家では建築基準法等で
換気関連はかなり厳格に規定されております。 たとえば換気関連の法律が2008年に制定された韓国は、ヨーロッパやアメリカと
比較しても比較的死亡者数が少なくなっております。アメリカはどうでしょう。たとえばキッチン換気扇を見てみると、アメリカは
空気を換気せさせるというより油の捕集に重点を置き、汚染空気は屋内循環しても良いのです。これは家の広さや気候の影響もあるので
一概に遅れているとはいえないまでも、コロナにとってはマイナスです。
死亡者が特に多いイタリアでは機械換気の普及率は約1割です。ドイツでさえ3割程度です。日本は同じ条件の換気設備なら7割弱程度です。
トイレなどのダーティーゾーンについては日本の換気設備普及率はほぼ10割となります。
コロナ対策では部屋内を負圧に保つ第三種換気が重要になります。これは現代でもローコスト住宅に採用されており、一番普及率が高い手法です。
省エネ性能ではハンデを抱えますが こと、コロナ対策では最強の効果を発揮します。第三種換気が確保できないのなら扇風機も有効な方法です。
皆様の部屋ではどのように対処すればよいでしょうか。
ワンルームならキッチン換気扇をつけっぱなしでもありだと思います。 部屋に換気扇があるなら換気扇はつけっぱなしがよいでしょう。
エアコンは換気機能がないので注意が必要です。特に次亜塩素酸ナトリウムを多用する除菌をする場合、換気をきちんとしないと、却って肺を痛めます。
備忘録。SARS-CoV-2 (幼名 2019-nCoV)というコロナウイルスが引き起こすのがCOVID-19という急性呼吸器疾患。病名の別称として「新型コロナ」「新型肺炎」ともいわれる。
2019年末ごろに中国で人類によって発見された新型コロナウイルス性肺炎は非常に厄介で、新型コロナ前の世界と後の世界とを分断するインパクトがあるウイルスであると考えている。
(イ) ワクチンの研究が進んでいる。しかし有効なワクチンはできないとみている。風邪のウイルスの一種であるコロナウイルスは、一般論として変異が非常に早い。武漢で見つかった割には、武漢株とヨーロッパ・アメリカ株とでは区別ができるほどであり、後者の方が毒性が一段と違うとされる。3か月そこそこで変異株が見つかるほど変異が早い。では今から作ったワクチンはいつの株に間に合うのだろうか。
(ロ) インフルエンザワクチンですらだいたい香港型ソ連型があってABとある。そしてワクチンが必ず効くわけではない。(おたふくかぜや麻疹のように高い確率できくワクチンもあるけど)。では、コロナウイルスのワクチンは効くのか? 無発症感染者が市中を闊歩するようであればそのワクチンは「有効」と評価していいのだろうか。
(ハ) 薬は有効なのか。発症後の治療に有効だとしよう。しかしSERS-CoV2の厄介さは重症度だけではない。熱や咳が出たら薬飲んでおねんねしてればOKっていうヌルいウイルスならこんな状況にはなってない。極端に言えば「よくわかんないんだけど顔を合わせた人間がみんな病気になる。しかも朝元気ででも夜死ぬ」という西洋呪術か何かみたいな感染能力と症状との組み合わせが厄介なのである。
(1) 人類はよほどの覚悟があったとしてもこのコロナウイルスを撲滅できない。まず、すべての人間を清浄にしても他の生物(多分哺乳類だ)がウイルスを持っていればまた発生する。SARSはコウモリかなにかが元宿主であったし、MERSはヒトコブラクダである。そしてSARSもMERSも定着しているし、根絶はそもそも目指されていないといっていい。SARS-CoV2は猫やトラにうつったという報告もあった。人間だけどうにかしてどうなるものではない。
(2) それでもせめて人間だけでもどうにかしてみるとしよう。発症前に感染させることができるうえ、無発症感染者が一定数いる。神出鬼没、落下傘降下作戦、自然発生的といっていい。潜伏期間もはっきりしない。発症するとして感染からまでは他人にうつさないのか(つっても、うつされている以上体のどこかに一定量のウイルスが付着しているとみていいんだけど)、いつからうつすのかわからない。
(3) 2を補足する。当該ウイルスが物質の表面上で失活するまでの時間が執筆時点でよくわかっていない。3日ほどという説もある。仮に感染者が一人もいなくなったとしても、失活前のウイルスを拾ってしまえば感染者がまた出てくる可能性がある。
(4) 感染者が存在し続ける限り根絶はできないといっていい。未発症感染者という存在のせいで、感染者がいなくなって、今後も出ないと宣言するのが極めて困難である。
それでも何とか感染者をいなくしてみよう。最後の感染者が1人になり(なんなくてもいいんだけど)、その人が排出したウイルスがすべて失活すればこの病気は地球上から消えてなくなる。新型コロナがなめらかな物質表面で3日失活しなかったという説があるが、最後に排出したウイルスが失活するまで1週間としてみよう。発症した場合他人にうつす期間はどのくらいだろう。発症から3週間程度で死亡した話はある。余裕を見て発症から4週間は他人にうつすものとしよう。では、感染から発症まではどのくらいとしよう。1週間としよう。すると、最後から2番目に感染した人の感染から6週間はウイルスは活性を持ったまま地球上に存続しうる。非発症感染者も仮に感染からウイルス排出がやむまで5週間としよう。
すると、とある時点から6週間世界のみんなが完全に引きこもれば、地球上に感染力のある新型コロナウイルスはなくなることになる。でも、こんなことはそれこそあり得ない。まさに仮定することが無価値以外の何物でもない妄想である。
人類はSARS-CoV-2のいる地球で生きていくことになる。昨年11月に送ることができた生活はもはや送ることはできない。紙のない世界で生きていくことができない。文字のない世界で生きていくことができない。通貨のない世界で生きていくことができない。蒸気機関のない世界で生きていくことができない。石油のない世界で生きていくことができない。電力のない世界で生きていくことができない。半導体のない世界で生きていくことができない。電気通信のない世界で生きていくことができない。
たかだか1万年前にはこれらはすべてなかった。もはやこれらがない世界を想像するのは困難だ。そして、同様に、SARS-CoV-2のない世界で生きていくことができない。
我が上司がこんなことを述べた。
労基法など一部の法律は、制定当時と現在とで状況が異なり、時代にあっていない、追い付いていないと。
確かにそういう部分があるのだろうし、はっきりいって経営側にとって労働者を思い通りに支配コントロールしようとするには都合の悪い内容もあるのだろう。
たとえ時代に追い付いていない法律であったとしても、それが現行法として有効に存在していることは厳然たる事実であり、それを遵守しない、違反するということは単なるコンプライアンス違反にすぎないということ。
法律が時代に追い付いていないという点については的確に指摘し、批判的な声を上げているが、コンプライアンス違反という点についてはいかなる指摘をし、声を上げるのか、見ものである。
1、勤勉で有能な人間
このタイプは参謀に向いている。成功するための方法を次々とひらめいて組織を有効に回すことができるからだ。
このタイプは現場責任者に向いている。本人の意志に関わらず行動して結果を出さなければいけないので、「怠惰である」ことは現実的に問題にならないからだ。
しかし、このタイプを「意見を求められる人」のポジションにつけてはいけない。
このタイプは末端で組織の手足として働くことに向いている。指示されたことしかやらないしできないがそれで十分だ。
そうでなければ組織の最高責任者に飾っておくのがいい。部下の邪魔をしないから部下が有能である限りその組織は能力を十二分に発揮できる。
4、勤勉だが無能な人
>勤勉で有能な人間
>しかし、このタイプを「意見を求められる人」のポジションにつけてはいけない。
>勤勉だが無能な人
それぞれ、なぜ?
面白いと思った。
個人的なことは政治的なこと(The personal is political)っていうスローガンは60年代の初期フェミニズムの文脈において、個人的なことが政治的にあつかわれて"なかった"時に有効だった。
社会科学(とそれと相互に依拠しているリベラル思想)は、そういう情勢に反発して、それまでパーソナルだと思われてきた事実がどれほどポリティカルかを語り、論証してきた。あたりまえだけど、社会っていうのはパーソナルな人たちによって構成されているので、パーソナルな事実をポリティカルな構造に関係していると示すのは、難しくなかったはず。今では古典の一部になった社会科学理論によって、パーソナルなことはまさにポリティカルであることが今では自明とされている。
いや、そこで、お前の疑問というか、痛みね。
個人的なことが政治的なことになったら、個人はそりゃ幸福から遠ざかるわな。
そういう視点は、確かにリベラル思想には欠けていると思う。今でもそうだ。
リベラリズムは、個人の幸せを得ようとしていたのに、かえってフーコーの言うところの生権力による支配を、むしろ強力に推し進めてきたのだと言える。
そういう状態に対するバックラッシュっていうのは、これまで無かった訳じゃあないけれども(携帯をわざと持たないことが一部でもてはやされるなど)、今後もっと広く強力になっていくのかもしれないな。だって辛さのほうが強力になっているもの。増田ですら、頻繁に、リベラリズムがむしろ人の自由を縛ってくる、それがうざい、ということが言われている。世界全体で見たときにも、リベラリズムの今の衰退についても、原因の一端ぐらいにはなっているのかも。