はてなキーワード: 何度でもとは
あんな馬鹿みたいにクソデカい車乗るならそれなりに運転できるようになってからにしろよ。
たいして狭くもない道での離合でモタモタ、モタモタしてるから車が一杯に溜まってしまって何ともならなくなるとか馬鹿じゃない?
つーかある一定のIQより低い運転者は運転できない仕組みをメーカーも標準装備しろよ。
誰でも解けるような簡単なパズルゲームをクリアできないとエンジンが掛からない仕組みとかさ。
車の運転が極端に苦手なやつ、ってそういうところの知能が欠けてるやつだからさ。
だいたい本来は運転免許証取得の段階で、もっともっとふるい落とさないといけないはずなのにそれをしていないのが原因なんだけど。
結局、お金儲けの仕組みとしての制度に運転免許証が成り下がってるからそうなるんだよ。
試験には落とされるけれど、費用はそれほど掛からずに何度でもチャレンジできて、きちんとした学びを経てスキルを獲得すれば免許を取得できる仕組みにしないといけないよ。
「謝ったら死ぬまで殴る病かよ!じゃあ俺ももう謝るとか無理だな!」ってキレられるの本当意味分からんわ。
人間が罪の意識を自分事としてちゃんと持てるかどうか怪しいから罰則がこの世界に存在してて、実際それ食らってる側は「謝ったんだから許してよ」で何度でも再発させようとしてくるんだから罰則受けてもらうしかね―だろ。
繰り返すほどに罰則が重くなりますよってシステムにしないといつまでも同じことやって謝って終わりにしてくるだけじゃん。
つーかそれをしたくて溜まらないって顔に書いてあるから「そうならないように罰則が必要ですよね」とこっちが言ってるのをキレときゃすり抜けられるとか思われてるのがマジでありえん。
何が「死ぬまで殴る」だよ。
お前がやらかした問題に比べたら軽いぐらいだし、むしろお前のほうが「相手が死ぬまで謝りながら殴ろうとしてくる病」みたいなもんじゃねーか。
「殴る」って比喩表現を使うようなことなら、お前が先にやってんだよ。
なんでそれを謝っただけで終わらせようとするねん。
じゃあお前も殴って痛みを覚えてもらうしか無いだろ。
[SUGER (C6 H12 O5)2 と書かれたビン]
「食べ物じゃないんですね!」
……と書かれた画像があった。
まあ当然こんなのはツッコミどころ満載の画像で最初これ自体がコラ画像なのだと思ったのだが……どうも「白砂糖は魔薬!?」という本があるらしく、その中の一コマのようであった(参考↓)
ふと思った。
「これ、塩でも味の素でも水でも何でも使えるくね??」
水なら
[WATER H2O と書かれたビン]
「飲み物じゃないんですね!」
塩や味の素なら
[SOLT NaCl と書かれたビン]
「食べ物じゃないんですね!」
[AJINOMOTO HOOC(CH2)2CH(NH2)COONa と書かれたビン]
「食べ物じゃないんですね!」
……いくらでも作れるな。なんならタンパク質でもいけるし、油でもいけるし、炭水化物でもいける。
[N2 78%
O2 21%
Ar 0.93%
CO2 0.03%
…と書かれたビン]
「そんな恐ろしい薬品だったんですね!」
とか書けちゃう。ビタミンでもミネラルでも、人体に必要な物質だろうと何なら人体そのものでも無限に書けてしまう。
しかし、実際にこれを見てコラだと理解できない人が空気断ちして窒息死しても困るし、そうでなくても変に信じたりしたら空気から汚染物質(ネオンとかアルゴン)を取り除く装置です!!みたいなインチキグッズに走り出しかねない。
なんなら、明らかに人工物であり金属の塊であるワッシャーですら5Gの電波を防ぎますなんて書いたら売れてしまうらしい現状、そんなコラを作って良いものか?
明らかなフォント違いで文字の濃さとかも違うクソコラでも、それを強調のための技法(レトリック)だと思いこんでしまう可能性があるのではないだろうか。
人間は「そんなもん義務教育を受けてれば普通にわかる常識だろう」って事でも、例えば小学生とか中学の時点で理科を20点30点しか取れない人なんかがいたら、パッと信じてしまいかねない。高校の化学を単なる「薬とかを文字の式で表すもの」くらいにしか理解してない場合、そうなりかねないのではないか?
そんな感じの事を考えて、コラを作ろうとしたが止めた。これを良識というべきか、単に杞憂と考えるべきなのかは分からないけど。人間の知性を信じるのは大事だが、同時に人間は痴性の持ち主であることも重々に承知していないといけない。
法律というのは個々の場面では意図的に矛盾するように設計されている。 矛盾というか衝突かな。
明文化されている権利の行使であってもそれが他の権利を侵すなら無制限に認められるわけではない。
つまり権利と権利は衝突するし、衝突するところを司法で個別に調整する仕組みになっている。
逆に救済として必要な以上のことを求めることが出来ない。
被害者遺族は加害者に懲罰を求める権利はない。 被害者遺族は加害者に懲罰する権利も懲罰を求める権利もない。 大事なことなので二度言いました。
大事なことなので何度でも強調しますが被害者は加害者に対して求めることが出来るのは被害の回復。
死人は生き返らないので通常は金銭に換算される。
秩序を維持するために必要だから殺人者の権利 (自由権・生存権) と衝突しても秩序のほうが大事だという理屈で罰を与えることが出来ている。
逆に秩序を維持するのに必要な以上の罰を与えることが出来ない。
被害者や世間の感情を無視して秩序が成り立たないという現実があるから考慮はするが直接的な要素ではない。
医療を含めた福祉が機能していない、そもそも存在していない状況で資本主義を推し進めるとどうなるかというのは既に産業革命期のイギリスで経験済みであり、労働者だけでなく資本家やエスタブリッシュメントにとっても問題のある看過できない事態になったから福祉制度が設計されたわけでありましてな。
国家という単位によって一人一人の生命、健康、福祉を維持することが出来ないなら国家に代わる枠組みを考える必要があるという話であって、国家を維持するために福祉をカットするというのは本末転倒なのであります。治安を維持するための暴力装置が国民を脅し賄賂を要求する後進国のようなものです。
暴力を独占し、自由に対して一定の規制をし、一定の義務を課すことが国家に許されているのは国民の権利や生命を擁護するためであります。
「しかし国家を維持しなければ国民を守ることはできないじゃないか!」という反論は当てはまりません。
何度でも言いますが、国家が国民を保護することができないのならば国家に代わる個人保護のための枠組みを考えるまでであります。
そんなことはないので
増田でも 発達=働けない もしくは 低所得 ってなりがちよな
『いや、別に平均以上取れるでしょ』に突っかかって来る自称発達の主婦ブクマカもいる
Twitterやメンタルヘルス板を見ても自分と同じくらい重たい症状の人見ないし
どう見ても自分よりも症状が軽そうなのに働けないとか言っていて『???』ってなるし、
(普通に平均以上は稼げる)
いや馴れ合いしてるだけやん・・・・でもこの極端な弱さも含めて精神疾患なのか?って思ってたら
ヤバ過ぎる家庭環境 や 1年くらい風呂入れないとかの激重いの見て、そういう重た過ぎる話がキツ過ぎて増田来たこと思い出したり、
あとこれかなぁ。考えなしで薬を飲む人が多すぎること。ワイは現在は服用していない。頓服はお守りで持ってるが
ワイなんか処方されそうな薬を事前に副作用とかガッチリ英語で調べたうえで医師にその場で質問するが?
何度でも繰り返すがどうして何も考えず薬を飲めるんだ?
法的には問題ないけど社会福祉活動の方法論的には絶対に絶対に許されない。
そういうことは世の中にいくらでもある。警察に行っても取り合ってくれないけど人として絶対許せないことってあるだろ?
でもColaboやそのシンパは自分たちは無謬の正義のカタマリということで押し通すだろう。
それには暇一派の口撃がむしろ大いに後押しになっている。あんな輩に対して少しでも非を認めたらおしまいだと、まあ誰でも思うわな。
でもそもそも無謬の正義なんて無いので、そういうのは独善から腐敗へと一本道だと歴史が繰り返し示している。
左翼がどうしても理解しないのはそこのところで、人の世にハッピーエンドも最終解答もないのだが「今度こそ」「自分たちは特別」と何度でも同じ轍を踏む。
何度でも後足で砂かけるスーパー恩知らず行動は「信頼していい大人か試している」というのは確かにあると思う。
虐待などふつうではない生育環境に置かれた児に関わるには、ふつうの善悪の感覚をちょっと脇に置かねばならないところがある。
繰り返しモノを盗んだりしてもまずは頭ごなしに叱らない、とか。もちろん甘やかせばいいというものでもなく、とにかく普通の子供と接する感覚のままでは通用しない。
分からない人にはわからない特殊な事情があるんだというのはこの人の言う通りだろう。
さてそこで仁藤氏らはスペシャリストとしてうまくやってるのかというと、「日常的な価値判断を注意深く脇に置く」どころか「アタシらの正義についてきなさい!ついてこれない子はもう知らない」という、勢いでごまかしているのではないだろうか。
喩え悪いけど、職質技術無いからオイコラオイコラの威迫恫喝一本槍の無能ポリみたいにさ。
(信頼できない語り手ではあるが)支援受けた子の証言からはそれが強く窺われる。
政治活動に無造作に関わらせるガサツさや、何より水原らの攻撃に対して「我々は無謬である」とスクラム組んで戦闘的な姿勢を示し続けているのを見て、このひとたちを信用して「こわれもの」の被虐待児童とか任せられるのかと疑問に思う。
まず、現状のマスゴミ、テレビ・新聞などで、生活保護が好意的に描かれることはまずないし、見たことがある奴さえいないだろう。
マスゴミが生活保護を取り上げる時は、いつも必ず、不正受給か、受給者の犯罪の時しかない。
私は昔、生活に困った若者同士で、生活保護の受け方を教え合うグループについての報道で、「けしからん! 若いなら働け!」というだけのニュースかワイドショーさえ見たことがある。
不正受給でも他の受給者の犯罪でも、朝日テレビは叩きまくっていた。
日本は、貧困者への福祉を攻撃したメディアがリベラル面できる、世界で唯一の国だろう。
実際は、生活保護が受けられなくて、犯罪を犯すケースの方が、よっぽど多いにも関わらず、そうした事件が報道されることは全くない。
ところが、当の受給者やニートたちでさえ、そうしたテレビへの危機感は少ない。
彼らは、目につくネットの工作員にしか見えないアンチには危機感を抱くのに、テレビには抱きにくい。
というのも、テレビが生活保護を取り上げる回数は少なく、そもそも、そうした受給者たちは、テレビなど見ないからだ。
テレビを見ないように誘導されている、と言った方が正確だろう。
生活保護を取り上げる回数が少なくとも、何度も定期的に流すので、テレビに釘付けの主婦や学生層は、何度となく、そうした報道を目にしている。
だが、極たまにしかテレビを見ない層が、そうした報道を目にする確率は、限りなく低い。
そうして、反感を持たれる層からステルスしながら、生活保護について、特に何とも思ってない、自分が受ける立場になることなんてないと思ってる層に対しては、何度でもネガキャンを繰り返せる。
人は、自分に関心がないことについては、目につきやすい説を、特に考えることもなく、そうなんだ~と思いやすい。
そもそも、生活保護が貰えずに飢え死にするくらいなら、犯罪を犯して刑務所送りにされた方がまだマシなんだから、少し常識で考えれば、生活保護が犯罪を抑止する効果が高いことは分かりそうなものだが、関心の低い人間が、そこまで考えることは殆どない。