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はてなキーワード: 中学生とは

2023-11-25

自衛隊に限らずブルーカラーの奴らが「社会人経験」語れるのかなって疑問はある

自分たち給料が出てくる流れみたいなのを感じ取った経験がないわけじゃんブルーカラー人達って。

実際ブルーカラーの中でも頭までブルーな人は一行目だけ読んで「マックバイトしてお客さんからお金貰った経験ありますけど?」みたいなブコメを書きに走ってそうなんだよね。

違うんだよなー。

頑張って売り上げを増やしても給料に反映されないお金のやり取りじゃビジネス本質は何も見えないよ。

薄利多売も売れ残り本社店長責任を背負ってくれていて、自分たちは単に作業を失敗しないようにするだけでしょ?

単純作業者ってさ、自分のやってることが商売としてどういう意味を持ってるのか考える必要性がないんだよね。

必要性がなくても考えてます」ってのもズレてんだよね。

責任がある中で考えるの、責任がない中で自分の拘りや勉強のためだけに考えるのは全然違う。

まあでも自衛隊がその中で最底辺なのは間違いないね

絶対に食いっぱぐれない中で、やってる感を一番出せそうなシナリオを上が考えて、それに向けて必死素振りしてるだけの操り人形だもんね。

バス運転手でさえ「あんまりお客さんに悪い印象持たれるとクビになったり嫌なシフト回されるから頑張らないとなあ……」って意識はあるけど、自衛隊にはそれがないもん。

しろ無能っぷりを発揮するほどにより無能でも出来る簡単仕事が回せてもらえるっていう無能天国

そこで有能ぶって周りを支えてたとか言ってもさ、それって小学生野球中学生の補欠が混じってエース気取ってるようなもんで世間全体で見たら全然なのよね。

恋愛経験一定の年齢までにないと詰む

デッドライン大学卒業までだと思う。

25歳過ぎた頃から女性を紹介しようかと言われたり、職場や昔の同級生女性から食事や飲みやお出掛けに誘われる機会もちらほら出てきたけど遅かった。

中学生高校生大学生、新社会人社会人とそれぞれ相応しいデートの形があり、殆ど人間はこれを階段みたいに順番に登っていく。男性はともかく、女性殆ど大学卒業までにデート恋愛や性の経験を積む。

一方で俺みたいに中高大と一切恋愛経験デート経験のない人間アラサーになってからデートしたり恋愛しても「社会人デートなのにこんな場所だった」「社会人デートなのにこんな店だった」「社会人なのにこんなプレゼントだった」ってなって振られる上にコミュニティ内でそのことを言いふらされ全ての女性から距離を置かれる。

もし孫の顔がみたい子持ち増田子供が適切な段階で適切な恋愛経験が積めるように全力尽くしてやれ。

じゃないと一人息子なのに結婚孫の顔を見る機会も潰えた俺の両親みたいになるぞ。

おさせの子のこと好きになったことがある

初めての相手ではなかったんだけどね。

でも恋愛経験全然なかった。

少年の頃、本当に大昔の話で、今とはぜんぜん違う時代の話。

ヤンキーとかがたくさんいた。

僕の兄弟はわりと有名な悪いヤンキーたちだった。

そのなかでどういうわけか僕だけが真面目で勉強が好きな子供だった。

だけれでも増田兄弟末っ子入学してくる、ってだけでちょっと話題になった。

めちゃくちゃ悪いやつなんだろう、って。

そのとき担任先生自分クラス増田を入れられることになって、ちょっと緊張していたとずっとあとから話してくれた。

でもまあ僕は全然ヤンキーじゃなかったし普通中学生だった。

はじめてのセックスは一番上の兄の同級生とだった。

青田買い?みたいな?感じ?

その頃はヤンキーがすごいモテる時代だった。

僕は全然真面目でヤンキーじゃなかったんだけど、でも増田兄弟末っ子なんだからヤンキーにならないわけがないと思われてたんだと思う。

中学生の頃とかふたつ上でもすごくお姉さんな感じがする。

よくジュースとか奢ってくれてやさしかったし、大好きだったからあげクンとか一緒に食べようよとか、ってその子のうちに連れ込まれしまった。

部屋に入ったらちょっと着替えるね、って突然服を脱がれてさ。

でも下着姿になったら、そのまま服を着ないの。

あたりまえだけどオチンチンがギンギンになった。

でも純粋だったから見たら駄目なんだと思いながらからあげクン食べてたんだけど、そのお姉さんに押し倒されてオチンチン食べられてしまった。

僕が好きになったのはそのお姉さんの妹の方だった。

anond:20231124055533

意味わかんね。対戦ゲームってほとんどは反射神経と動体視力に優れた人間が勝つだけじゃん。適材適所だし、何の職に就いても優秀なものが昇進するのは当たり前。

Apexのランクでいうなら、中学生レベル知識で止まってるブロンズもいれば、博士号持ちのマスターもいるし、ノーベル賞受賞するプレデターもいる。それとも、ノーベル賞の受賞を辞退する世の中の方がいいってこと?

anond:20231123184004

具体的には覚えてないけど、中学生の時に初めて読んで話がいきなり終わってたり、読みたくもない漫画が載ってるのを見て「なんだこれ。こんなの買う奴いるのか」って思ったのは覚えてる

2023-11-24

anond:20231123184004

初めてではないけど、ジョジョ4部には似た感じの登場人物がいるのと、最後のジョセフが仗助に財布持ってかれるシーンだけやたら覚えてた。中学生になってから読み返してなんか知ってるなと。

anond:20231123192446

横だけど、自分ジョジョを知ったのは中学生とき

当時は第五部が連載中だった

絵が個性的すぎ、登場人物髪型が変すぎる(特にブチャラティのおかっぱ頭&変なヘアアクセサリーが付いてるのが生理的に受け付けなかった)でドン引き

※たしか読んだのはプロシュート兄貴ブチャラティ戦だったと思う

しかも毎回ジャンプの後ろのほうに載ってたよね?

アンケートとか関係ない特別枠みたいに

そうやって編集部から贔屓されてる理由が当時は理解できなくて拒絶反応を起こしたわ

結局、人生ずーっとジョジョ生理的に無理って状態で生きてきて、ようやく受け入れられるようになったのが30代後半になってから

いまだにブチャラティ髪型は苦手だけど、彼はいいやつだしジョジョもとんでもねえ作品だと分かった

大人になって許容範囲が広がって良かったよ

発達障害精神障害持ちニートだけど無能すぎてどこにも居場所がない

時間を守れない、電話に出られない。やるべきことを先延ばしにして、延々とネットをしてしまう。人に話しかけられても、バカにされたくないという思いで、感情を押し殺し、冷たく接してしまう。

こんなんだから、いろんな人に見限られてきた。いつも腫れ物扱い。

まだ母親は、見捨てないでいてくれるが。

本当に俺はコミュ障で、雑談というものが全くできない。

学生時代も、共通趣味を持つ相手しかしゃべれなかった。

から、仲がいい相手に合わせて、仮面ライダーを見たり、ポケモンをやったりした。

でも、それが通用するのは顔見知りがいる中学生までだった。

中学時代人間関係をこじらせたという自覚があったので、高校は、バスで1時間半の遠い場所にある底辺高校に行った。

そしたら、誰にも話しかけることができなく、ぼっちになり、周りの人間が敵に見えるようになり、精神病悪化した。

そこからFラン大学に行ったりしたが、頭も悪く、友達もいない人間卒業はできなかった。結局ニートだ。

そこから数年引きこもって、今のB型作業所にいるんだが、本当に鬱が酷くて、行くことができない日が多い。

鬱が酷いと、電話に出ることもできない。人と話すことが無理だ。

なんだかそうやって月日を送っていたら、「サボるために体調の悪いふりをしてる問題児」みたいな扱いになり、日に日に職員から対応が厳しくなってきた。

こういう扱いをされると、ほんとうにつらい。

そして、月にもらえる賃金が低すぎる。なんとたったの1900円。これは体調が比較的よく、一番頑張った月。一日2時間だが、毎週5日間、ほとんど出席できた。それなのにこの額。これならもらえないほうがまだましだ。

こんな金額を出されると、お前みたいな無能にはこれくらいが妥当なんだよ、と嘲笑されている気がしてきて、俺の労働力を不当に搾取されている気がしてきて、だんだん腹が立ってきて、そのB型作業所をさぼるようになった。

そして今日、これ以上休むなら、もうやめることになる、と言われた。

俺としては、大して続けたくもないし、やめてもいいんだが、なんだか労働力搾取してきたやつらが偉そうにしていることに対してのイライラと、今まで多少なりとも仲良くしてきたのに、あっさりと拒絶されたことに対しての寂しさが入り混じった感情でいっぱいになって、絶望感にさいなまれた。

そして、ここを抜け出したら、俺には居場所がない。どうすればいいんだ。なんというか、社会から拒絶されたような、社会から見捨てられたような、そんなとてもさみしい思いに包まれた。

どうせ俺みたいな障害者は、搾取され続けるしかないんだろう。障害者施設にいる職員は、障害者意見子供のような扱いをする人がとても多い。

なにか意見を言ったとしても、なんか怒ってる(笑)みたいな、本当に子供わがままを言っているかのような態度でないがしろにされる。

障害者のいうことに惑わされるなんてあってはならない、という感じだ。

こんな舐めた態度ばかり取られると、本当に殺意が沸いてくると同時に、俺の価値とは何か、考えてしまう。

俺には生きる価値はあるのか。社会にいても、邪魔なだけなんじゃないか。本当に消えてしまいたい。

もう、ずっと引きこもっていたい。もうこれ以上、傷つきたくない。

本当にもう、すべてめんどくさい。

これは昔から今までずっと共通しているものだが、本当に人の悪意がこわい。怖くて仕方がない。だから俺は人と関わりたくないんだ。

俺みたいな無能に、未来はあるんだろうか。本当に俺は、ちゃんと働けるようになるんだろうか。

鬱すぎて、またネットをずっとやってしまっている。そろそろやめる。

2023-11-23

anond:20231123212060

中学生増田でよくわからん感想なんか書かないと思う

そもそも長文なんて書けずソシャゲするしか能がない

レプリカユニフォーム 部屋着にめっちゃいい

ぱじゃまっぽいつるつるのポリエステル感触が快適だし、

かめのならゆったりしてて動きもじゃまされない

唯一の欠点ポリエステルからダメになりやすそうってのと、

丈が長すぎてトイレとき邪魔になるってことくらいか

あーあとそのまま外出するのもはばかられるってのも欠点ちゃけってんか

レプリカユニフォームふつうにきてるのみたことあるけど、中学生小学生くらいしかたことねえし、

やっぱあきらかにうっ・・とくるビジュアルだったもんなあ

TPOTPO

美苦さは?

APO

anond:20231123192012

もう少し定量的数字を出しながら書けば?

よくわからん感想を書かれても、俺も「中学生?」としか思わない。

2023-11-22

anond:20231122220944

わざと頭の悪い中学生みたいな作文やめろよ

anond:20231122101825

中学生の時は全然ぱっとしなかった、もしくは才能を見る目を持った人が周囲にいなかったけどのちに大成した人なんて山ほどいますよね?

2023-11-21

なんとなく思い出す居なくなった先生たちのこと

小学生の頃、スラッとしててすごくかっこいい40歳くらいのおじさん先生がいた

学校は片田舎僻地、周りはもっさりとした小太り教師ばかりだったし、その先生は目立っていた。

私が卒業してすぐくらいのころ、バイク事故で半身不随で寝たきりになってしまったと聞いた。

小5のころの担任は、自分中学生の時、地方新聞のお悔やみ欄に名前が出ていて亡くなったのを知った。享年56歳だったのを覚えている。料理が好きで、若い頃は料理人になりたかったと言っていたことを思い出した。

妹が小2のころの担任はまだ教師になって数年の若い教師で、美人かつパワフルでもあり子供から人気だったが、妹が卒業する前くらいに休職し、30歳で病死した。

大学の時になんとなく受けていた講義先生は、亡くなる一週間前まで普通に講義をしていたが急死してしまった。

忘れられない本。

私には忘れられない本がある。

佐藤ラギ著 「人形ギニョル)」 という本。

この本に出会ったのは、中学生の頃だった。

親友と共に図書館へ行き、気になる本を数冊抱えながら館内をうろついていた私のもとに、親友が「これ、好きだと思う」と一冊の本を抱えた本の上に置いた。

その本が「人形ギニョル)」だった。

当時私はホラーサスペンスミステリーといった本が好きでよく読んでいたし、球体関節人形を数体所持していたこともあり、表紙のビスクドール写真に心を奪われた。

帰宅し真っ先に読み、序盤はなんとも思わず読んでいたものの、読み進めていくうちに止まらなくなり、最後最後で体中の力が抜けるような、でも気持ちは高揚している。そんな感じだったのを今でも覚えている。

それ以来ずっと「人形ギニョル)」が忘れられなくて、でも当時まだ中学生だった私はお小遣いなどももらっておらず、自由自分で使えるお金を持っていなかったから、すでにもう手に入らないこの本を何度も図書館で借り、何度も読んだ。

高校生になりアルバイトを始め、ある程度自分お金を手に出来た時、まだ普及していなかったネット通販で、本当に届くのかな…?詐欺じゃないよね…?なんて考えながらびくびくしながら購入したのを覚えている。もちろんちゃんと届いた。

あれから十数年経った今も忘れられず、時々思い出したかのようにネットで「人形ギニョル)」のことや、著者の佐藤ラギについて検索する。

読んだ当初は閲覧できた2ちゃんねるスレッドも今はもう見ることはできないし、mixiコミュニティ更新も止まっていた。

その後は集英社文芸誌小説すばる」に『スワンの涙』を連載したという情報があるのみで、執筆活動は途絶えてしまったということや、ネコ・ヤマモト名義でも執筆をしていたこととか、もうほぼ知っているし、なんにも新情報なんてないのに、ふと思い出したとき検索し、「また何も成果はなかった」と安堵する。

anond:20231121074812

少子化理由勘違いしてる奴多すぎだよな

結婚してる家庭の出生数は、実はそんなに落ちてない

結婚しなくなってる

なんで?

結婚価値がないからだよ

家とか社会よりも自分を優先した結果として結婚しなくなり

それが少子化につながってる

都市化だとか子供年金だとか、的外れも良いところよ

お前、月に5,6万貰った程度で、夜泣きに付き合って、泣き叫ぶ子供のために数年潰すのか?

出来ねぇだろ?

小学生になって、中学生になって、そこに居るのが理想的子供の訳でもないからな

他人を虐めて頃すガキかも知れないし

イジメられて引きこもりになるかもしれない

アレルギー持ちや傷害持ちなら、それともつきあわにゃならない

そういうのを「昔」は、お家のためっつって押し付けてたんだよ

結婚しないと社会的な人権がなくて、子供を産めないと石女とか呼ばれた

それくらいの圧力子供を「作らせてた」

それをしなくなったら子供なんてつくらんに決まってるだろ

誰もかれもが自分を優先した結果の少子化

なんでか、それに一番加担した人権派が憤ってて滑稽なんだが

そういう空気が、「私が子供を産まないのは社会所為」みたいな勘違いを生みだしてる

違う

「私が子供を産まないのは自分が楽しく過ごしたいから」

もう、昔みたいに、たまにビフテキ食べるのが最高の贅沢、みたいな暮らしできない訳よ

子供産んで、小遣い2万のサラリーマンとかを「墓場」って呼んじゃう訳よ

バブル期だって子供は増えなかった

そうして成立してる少子化を、政府の怠慢みたいに言って

僕らが僕らを尊重した結果の少子化について

老人が悪いみたいに言いだしてる

そういう社会政府がどんなに頑張ろうが少子化改善は無理よ

昔みたいに、良く出来た社会主義国、みたいな世界にしないとダメ

anond:20231119215851

パリはそういうことでそうだと思う(元仏在住者)。私も中学生だか高校生だかの子供達にシノワシノワ!て囃し立てられたことある。ところでパリ以外のフランス人は優しいので、「フランス人」と書くのは誹謗中傷からやめてほしい。あくまで最悪なのはパリである

ところで、それに対して驚くのは、アメリカがどんどんどんどん差別的で無くなってること(感覚)。これは出張で行くだけなので、本当かどうか、短期間の感覚だけなんだけど、それが行くたびに変化するというか、もちろん元々アメリカの方が欧州より差別されない感があったと思うけど、それがどんどん進んでるというか、英語へたっぴでもちゃん対応しようとするというか、なんかね、みんな色々馬鹿にするけどリベラルっていいなって思うよ。サンフランシスコボストンの上澄だけの話かもしれませんが。。

ともあれ、Paris et Kyoto delendae sunt.である

親戚の集まりがあると女であれば中高生でも配膳を手伝わせられる文化

とてもクソだがあれはセクハラから守るという意味もある

どちらに転んでもクソな文化

私が高校生までは年に1回、飛行機距離にある父方の本家へ行っていた。

まりには、車の距離から私達のように遠方に住んでいる10家族ほどと、多分血縁の遠い親戚が年によって顔を出したり出さなかったりな感じで集まっていた。

成人男性だけでも最低でも10人、でかくなった息子や息子夫婦を連れてきたりもするので多い時は20くらいいたと思う。

嫁と女の子たちはもちろん台所に籠って一日中料理を作り、運ぶのが仕事だった。

そうすると中学大学生の娘に、家事なんてお母さんたちに任せてこっち来てお酌しながら飯を食えと男衆から声がかかる。

しか大学生くらいの娘がいる叔母さんは配膳を手伝いなさい!あんなところに行くな!と厳しく言ってくるのだ。

もちろん小中学生の私もなぜ同い年くらいの男の子は座ってご飯食べれて、私は料理を運ぶだけ、余った酒のつまみ台所の隅で食べなきゃいけないのかと言う不満もあったし、私の母も嫁の立場で、こう言った親戚付き合いの経験がなかったので配膳を手伝わせるのは可哀想と思い一緒にご飯食べてきなさいといってくれるので、私は喜んでお酌しに行った。

お酌しに行くと毎年、生理は来たのか、彼氏はいるのかという質問をされた。はじめてお酌しに行ったのは小学3年生くらいでその質問をされる意味も様々な質問意味もあまり理解できなかったのだ、酒のつまみ話題としてのセクハラだった。中学生になり体も成長するとお触りも増えてきた。この頃になるともう気持ち悪さが理解できるのでお酌はしに行かなくなった。また、高校生大学生のお兄さんは来るのに、仲良かったお姉さん達が来なくなる理由も分かった。毎年母と私に台所仕事してなさいと年長の叔母さん達が私と母を諌めてた理由がわかった。私と母に無理やりにでも台所仕事をさせて叔母さん達がお酌しに行く事もあり、自分ばかり楽しいことをしてずるいと思う事もあったが、ああいセクハラから守る為だったというのも今なら理解できる。


高校生の頃本家当主が亡くなり葬式に参列したのが本家に顔を出した最後である

その日の宴会の時当主の伴侶(おおばぁと呼んでいた)に呼ばれ、本家により近い家に30代独身男性がいるので夜の相手しろと言われた。

勿論意味はわかっていたが、ここまでさせるのか!?と怒り?悲しみ?かは分からないが配膳をしようとしなかろうとどう転んでもよく扱われない文化やそれを良しとする文化全てが嫌になり、何も分からない振りをして宴会の席に行き、おおばぁに〇さんの夜の相手しろって言われたけどどういう意味?と大声で聞いてやった。

その日は一晩本家側の女性達に蔵に閉じ込められ、次の日には葬式の一貫でやることがまだあったが、家族共々帰らせられた。

その時以降は両親も出向いてないそうなので所謂村八分?親戚八分?になったのだろう。

本家に集まった時によく遊んでくれたお兄さんに今高校生の娘がいて、あの時の事を思い出して連絡をくれた。

本家には家族で行くことは避けていたが、家族で顔を出せと言われたらしい。

ちょうど私が問題発言をした時と同じくらいの年齢だから何も無かったとしてもバックれると言っていた。

もう当時の半分にも満たないほど集まる親戚も少なくなり、高齢化し賑やかではなくなったそうだ。

このまま滅びて欲しいし、うち以外でも似たような文化は残ってるところもある。

須らくクソなので全て亡びて欲しい。

2023-11-20

anond:20231120081032

三船といい中学生に性欲出すアラフォーが許されてた昭和が異常ってことだろうな。

2023-11-19

サッカーを一緒に見に行くぐらいの友人が欲しくなった話

およそ15年ぶりくらいに、カシマスタジアムサッカーを観た。

30代前半男性、既婚、2歳の娘と、神奈川県で3人暮らしをしている。

私は茨城出身で、昔から鹿島は身近な存在だった。

家には、アルシンドジーコを肩車している写真が飾られていた。

アレックス・ミネイロ活躍していた時期に、鹿島への興味が深くなっていった。

多分初めて試合を見に行ったのは、2006年頃だったと思う。

当時中学生だった僕は、中の良かったクラスメイトのS藤くんとF谷くんと一緒に、カシマに行った。

F谷くんは一番前で太鼓を叩くような子だったので、S藤くんと一緒に、ゴール裏で、覚えたてのチャントを歌っていた。

ゴールが決まってS藤くんハイタッチして、オブラディを歌ったことも覚えている。

2007年10冠達成の試合は、試合の当日にたまたまチケットを譲ってもらい、

父に車を飛ばしてもらい、前半途中からスタジアムで観戦した。

バックスタンドの2階に行ったが、席が無くて父と離れた席に座った記憶がある。

勝利して、10冠が決まったとき自然と涙がこぼれ、父と大喜びした。

そして、この試合が、今日に至るまでカシマスタジアムで観戦した最後試合だった。

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スカパーJリーグの中継が始まって、DAZNに変わっても、ほぼ必ず毎試合鹿島試合は観ている。

鹿島が大好きだから試合の日は何よりも優先したい気持ちがある。

でも、鹿島が大好きなくせに、カシマスタジアムでの観戦は、15年以上していなかったのだ。

何故か。



距離が遠いし、アクセスがクソ悪いかである



高校生までは同じ県内に住んでいたが、大洗鹿島線に乗ってとんでもない時間を移動しなくてはいけなかったし、

大学東京に進学してからは、さらカシマは遠くなった。(と思っていた。後述。)

ましてや大学時代、周りの友人にサッカー好きは少なく、居たとしても他サポで「カシマに行こう」とは言えなかった。

物理的に距離が遠いのである

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しかし、スタジアム観戦をしていなかったわけではない。

2014年ヴァンフォーレ甲府ホームが雪で使用できなくなり、旧国立競技場で行われた開幕戦

2015年、3-0でガンバ大阪に完勝したヤマザキナビスコカップの決勝。

2016年、完全アウェーの中で勝利したJリーグチャンピオンシップの浦和レッズ戦。

少し期間が空くが、今年はコロナが明け、子どもも少し大きくなったため、

三ツ沢横浜FC戦には家族で、新国立競技場名古屋戦はチケットが当たったので兄と行った。

しかしこれらは全てカシマでの試合ではない。

からアクセスがしやすかった国立埼スタニッパツで観戦したものだ。

ちなみに何故かは分からないが、これらすべての試合鹿島勝利している。私が勝利の女神なのかもしれない。

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今回の「モトフェス」。

開催が決定したその日のうちに、妻に

「この日、どうしてもカシマに行きたい。娘を見てもらうことになるけど、この試合だけは行きたい」

と伝え、了承を得た。

初めてスタジアムで観戦したあの頃、僕の中でのヒーロー本山雅志だった。

そんな選手引退する。カシマに帰ってくる。

行くしか無い、と思いチケットを取った。

東京からバスが出ていることをここで初めて知り(アホ)、最寄り駅が東京であることを知った(皮肉)。

幸いなことに指定席バスチケットも取れ、当日を迎えた。

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15年ぶりのカシマ

得も言われぬ感慨に耽り、いろんな記憶が蘇ってきた。

メンバーも大好きな選手ばかりだし、試合内容も素晴らしいものだった。

開始前にご飯が買えなかったため、前半最後ハラミ飯を買いに行ったら、佐々木竜太のゴールを見逃した。

でも全てが、幸せ空間だった。

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帰りのバスで、このブログタイトルのことを思った。

スタジアムに行って思ったことは、家族連れや夫婦カップル・友人同士など、複数人で来ている人がとても多かったこと。

そして、周りからそれぞれいろんな会話が聞こえてくる。

今日試合は、もちろん特殊ものではあったし、鹿島サポ・ファンしか居なかったとは思うが、

それでも各所から選手についての楽しそうな会話をしているなと感じた。

試合カシマに行くことは出来ないし、これからも年に数度のアウェー観戦がメインだと思う。

一人で行ったことは気楽ではあったが、一緒になって感動を話せるような友人が欲しいな、と感じた。

地元を離れて進学し、職に付き、家を持ち…当時の友人とは誰ひとりとして連絡を取っていないので、SくんやFくんの所在すら知らない。

スタジアムで会ったら隣であーだこーだ言い合い、中継で観戦するときWeb上で感想を言い合う、それくらいの仲の友人がいたら、もっとしかったんだろうな、と。

ちなみに、私の妻はスポーツ全般にまっっっったく興味がなく、

三ツ沢試合たまたま暇だったか家族3人で行っただけで、子どもは途中で飽きてしまい、後半はスタジアムの外で遊んでいた。

今日はもちろん誘うこともしなかったし、誘っても来なかっただろう。

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繰り返すが、今日試合は最高だった。

久しぶりのカシマスタジアムも、久しぶりの選手たちも、会場の雰囲気も、全てが最高だった。

またカシマに行きたいと思った。

から今度は、誰かとその「瞬間」の感情を、分かち合えたら良いな、なんて思う。

死ぬ前に親孝行するつもりでいる

https://anond.hatelabo.jp/20230516151334 人生が詰んでしまったので年内には死ぬ予定なんだけど、その前に両親を旅行に連れて行こうと思ってる。 大学英米文学研究会出会ったうちの両親はイギリス文学が大好き。母は家にやって来た頃から家事をしながらウォルポールの「on modern gardening」やワーズワースの「Lucy Gray」を口ずさんでいた。父はシェイクスピアが大好きで、中学生の頃「お前は知らないだろうけど、母さんにはレディーマクベスのような冷酷さと残忍さがある。優しいだけ、綺麗なだけの女性には魅力なんてないんだ。覚えておけよ」と言われたのを今でも覚えている。 そんな2人だが、なんとイギリスに行ったことがない。俺が生まれたのは南アハウテン州の郊外だったし、そこから東京を挟み母を加えてシンガポール、また東京を挟んでニューヨークと各地を転々とした。他にも様々な国を旅行で訪れているのに何故かイギリスだけは行ったことがない。予

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「ある種の文化として、罵倒するというのがあったので私も」

福岡県立修猷館高等学校では新入生に対する罵倒文化として継承されている。入学式その日から先輩応援団員による校歌応援歌練習が行われ、声が小さい、覚えていない、動きが鈍い、あるいは何の意味もなく怒鳴られる。歴史ある学校ゆえか校歌に加えてやたら応援歌が多い。しかも前時代軍国主義的な応援歌ばかりだ。耐えて久しいと思われる奇矯な学ラン姿の上級から激しい暴言を浴びながら前日必死になって暗記したそれを絶叫しなければならないのだ。これが入学式から一週間続く。体育館への移動は裸足でダッシュだ。先月までひょろひょろした中学生であった新入生はこれによって修猷魂を注入され、修猷男児となるのである天明四年貝原益軒広田弘毅輿望は重し。

これが福岡県の最難関公立高校修猷高校実態である

ただし、今は多少違うかもしれない。

https://anond.hatelabo.jp/20180527212910

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