はてなキーワード: 不可能とは
某お店の従業員だったが、駐輪場は専用の場所じゃなくて一般客と同じところ(の一部分)を使えって指示だったのでいつもそこに自転車を置いてた
そうしたらとある日、帰ろうとしたら自転車がないことに気がついた
鍵かけ忘れたかな、と思ったがポケットの中に鍵はしっかり入ってたので鍵は間違いなくかけてあった
つまり犯人は、しっかりとした作りの鍵(サドルの下に付いてるアレ)をぶち壊したうえで、人の自転車を盗ったことになるのだが
営業時間中に盗んだとしたら人の目があるわけで、にも関わらずよく盗んでいけたなっていう感心とふざけんじゃねえっていう感情の二つが渦巻いてた
返って来るにしても、いつ返って来るか分からないが泣き寝入りするのはムカつくし、自分に損はないので店から徒歩3分の場所にある交番で一応被害届を出しておいた
そうしたら2ヶ月後に、二つ離れた市(距離的には直線で30km前後)に捨ててあったと警察から連絡があった。捨ててあったので犯人は分からずじまい
当然ながら既に新しい自転車を購入していたので今更古い自転車をどうこうしたいわけもなく、警察の方で処分してもらえないか聞いてみたら管轄外だって言われた
じゃあ取りに行くけど、受取場所は最寄りの警察署でいいのかって尋ねてみたらまさかの二つ離れた市の警察署まで取りに来いと言われた
もしかして警察署で返してもらったら、その返してもらった自転車に乗って帰れってことですか?と尋ねたら、まあそうですねと返ってきた
不可能ではないが嫌だったので、ダメ元でゴネてみたら交通課?の人が自転車を運べるぐらいの車を借りてくれてわざわざ自宅まで持ってきてくれた
正直自宅まで来てくれたあの時の警察の人には申し訳ないと思ったが、さすがに片道2時間ぐらいの距離を車なしで移動するのはキツかったのだ。許せ
創作物、ずっと応援してきたもの、にわかファンごときにわかられたくないし、自分が一番の理解者でありたいみたいな気持ち。
これが、良いのか悪いのか。
なんかわかったような。
たとえ作者が犯罪を犯していても、作品そのものに罪はないし。作者がいけ好かなくても、作品だけは良かったりはしばしばある。作者が気に入らんからと、作品まで毛嫌いするのはアホのやることなんだと。
それが正しいと思ってたし、結論、それが正しいと思う。
でも、その理論を信仰するのであれば、創る側に立った時も同じことを唱えなければならないと気がついた。
たとえば僕の作品愛しさに、作者である僕に嫌なことを言ってくる人がいる。続きみたいから早くかけよ、別の物を創るな、俺の欲しいもんを創れと。そういう人にはそもそも僕の作品を理解できる素質ないとか思ってた。僕がそういうことを言われるのが嫌で、だから人にもそういう言葉はかけない。それゆえにどうしても、そういった行動は作品内でも間違った行動であるという価値観で評価されてしまう。
そういう、僕が間違ってると思うことを平気でやるような人間に、僕の価値観をベースに創られた作品など、僕の世界など理解出来るはずないのだ。善悪の考え方が違うし。
って思ってたけど。
それはつまり、僕のことを理解できてなければ僕の作品を理解することはできないということにほかならないじゃん。
言ってること真逆じゃんな。
あーこれだわ、と思った。僕が創作物を公開するのに、足りてなかった心がまえ。
創作物に対する解釈の正しさ、というのは個人の中にしか存在し得なくて、それが「正しい」という価値観も、その人の中でしか通用しないこと。
Aさんには目の前の絵の中の鳥が赤に見えて、Bさんには青に見える。それを描いたCさんは、緑で塗ったと言っている。
この中で、誰が正しいのか。
創作物は、僕が僕ではない誰かにそれを見せた瞬間、その誰かの主観というフィルターを通して解釈される。例えそれがどんな解釈であろうと、その誰かにとってはその解釈が一番正しい。
僕が、極力作者本人を知ることを避け、不純物の混入を防ぎながら他人の作品を自分の主観フィルターで濾すように、僕の作品を見る人にはみな等しく僕の作品を解釈する権利をもっているし、それがこの世で唯一正しい作品の解釈、と信じる権利も持っている。
もちろん、そのフィルターの性能によって作品は悪に見えたり善に見えたりする。でも仕方ない。僕が持ってるフィルターと同じものは、この世のどこを探しても存在しない。
僕が「正しい解釈」を発表したところで、その正しい解釈すら他人のフィルターを通してから他人に入っていくわけで、それはもはやまったくの別物であり。
「正しい解釈」として何かを発表することが不可能である以上、正しい解釈というものはこの世に存在することができないものであることになる。僕以外のだれにも、観測不能なのだから。
だからこそ、どこまで作者ことを知り、作品をどう解釈するかは自由。作者もまた、作品を発表した時、その作品はもはや作者の手を離れて、見る者一人一人の中で展開され、その人の回路で理解される、その人の中でもう一つの作品ができてしまうようなものだと考えた方がよいのだと思う。
自分の作品なのだから自分の解釈が正しくて、文句をつけてくる人は理解できてなくて、褒めてくれる人は理解できている、みたいな考え方は、創作をする上でメンタルを守っていくためには正しいけど、向き合い方としては正しくないのだと気づいた。
心がまえ、間違ってたなって話。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/georgebest1969/status/1362343129676881922
岩田医師がブコメでボロクソに言われてるけど、高山医師の態度もひどかった。
高山医師の返信によって岩田医師が歪めた解釈で批判したように読めてしまうが、高山医師が安全が担保されていない氷を「いいですよ」といったことは間違いない。そこに岩田医師が根拠(テキスト)をもって反論しても、「岩田先生って、東南アジアに行っても「氷」は避けてんですか? あるいは、プロとして「ダメだって言ったからな。俺は」という指導?」などと不遜な態度をとり、挙句の果てには「私は世間話レベルで応じてしまいました。」と開き直る始末であった。感染症に詳しい医師として厚労省に出入りし、メディアにも出ている医師が、である。
(https://twitter.com/nonbeepanda/status/1361673589544480769)
そもそも話は東南アジアで氷を入れて飲むのは安全上問題がある、というものだ。
管理が明確になされていない氷を避けることは旅行医学の基礎的な内容であり、東南アジアではその安全性が担保されていないことを岩田医師はデータを出して示したが、それに対して高山医師は「そういう時代の経験のもとに私はお話ししています」とあくまで個人の経験をもとに持論を展開し、「料理人が手洗いしてなくて、コップや料理が汚染されてるリスクと大差ないのでは?」とか、熊本の馬刺しのことを持ちだしたり、「東南アジアで氷なしで暮らしていくのなんて、ほとんど不可能」などと、関係のないことばかり述べているのである。
それに対し、岩田医師が批判されているようなツイートをするのは仕方がないのではないか。確かに、「東南アジア」を「途上国」、「中空の氷」を「カチ割り氷以外」と置き換えてしまってはいるが、安全が担保されていない氷に対して「いいですよ」と言っていることに違いないのである。世間話になんでそんなに噛みつくんだという批判もあるが、途上国での氷の使用は明確にリスクがあるということが、教科書にも載っていて試験にも出るような基本的な内容であるのに、影響力のある医師が軽く「いいですよ」と言ってしまったら被害が増えるだけである。
こんなに広いインターネットなのに非モテの恋愛成功談調べようとTwitter検索してもはてなで検索しても風俗行って素人童貞卒業したエピソードくらいしか出てこない
勿論出会い系のアフィリエイトに誘導してるだけのいかがでしたかブログや恋愛工学情報を売り出そうとしてる糞情報商材屋はカウントに入らんよな
逆に非モテ童貞がマッチングアプリやら結婚相談所に登録しても結局うまく行かずただに金と時間と自尊心を無駄にしたっていうエピソードなら山程見つかるのに
実は非モテって理解のある彼女ちゃんどころかどんなに頑張って自分を磨いてもメンヘラ女の理解ある彼くんにも嫁に金吸われるだけのATMにすらなるの不可能なんじゃね?
って思ってるんだが、実際どうなんだろうか
業が深すぎる
民主主義の理念からすると、直接民主主義がさいつよじゃん。でも現実的には不可能だから間接民主主義してるって習うじゃん。
でも今や技術的には直接民主主義も不可能ではないわけじゃん?たとえば「夫婦別姓、賛成?反対?」とかネット使って全国民に投票させることはできるじゃん。
でも、そういうことしようとしたら「民衆の判断がいつも正しいとは限らない」みたいな批判が出るでしょ。あーたしかに、「民衆は愚かだもんなあ」って思いもするけどさ、「だから今の間接民主主義を肯定します」っつたらさ、現状の間接民主主義は民主主義の理念に基づかない賢人政治ってことになっちゃわない?それって民主主義そのものへの否定だよね。国民一人一人が自由で平等な有権者、って言う前提自体を否定してるよね?それって許されていいの?
そもそも現代の政治制度って、国民の教育も情報インフラもめちゃくちゃ乏しい時代の制度じゃん。それをいつまでも使い続けるって変だと思うんだよね。いつかは変えなくちゃならないでしょ。いつまで今の制度で行くんだろう?100年?200年?1000年?
もちろん今すぐ変えなくていいと思うけど、変える予定は念頭において考えていかなくちゃいけないと思うんだよね。政治制度の在り方はもっと問われていいんじゃないかな。今だって投票率の低下とか問題はある訳だし……。
で、「間接民主主義から直接民主主義に移行すべきなのか?」って俺は悩むわけよ。理想論的には関接<直接なわけだけど、実行したらどっちがいい結果を生むかはわからないじゃん。この場合の「いい結果」の定義もただの価値観なわけだけど、まあここでは「最大多数の最大幸福」とでもしておくとしてさ。ソ連崩壊で社会主義は見放されたみたいに、結局全ては結果論なのかもしれないよね。
まあ、それじゃあ最大多数の最大幸福が達成できるなら、人民に参政権はいらないのか?とか……考え始めるとわからなくなるんだけど。
民主主義の理念ってどれだけ大事にすればいいんだろう。何より優先させて、何より優先させないのが正しいんだろう。理念を大事にして、政治を直接的にしていく努力って必要じゃないのかなあ。間接民主主義は直接民主主義へ移行するべきなんだろうか?
そこらへんが頭の中で整理できてないと思う。
やり直し。
頭悪すぎるw
先日あるテレビ番組がいくつかのハラスメントを扱い、その内容がネットでも話題になった。
それについて様々な反応が見られたが、そもそも「告白」という言葉の認識が人々の間でちゃんと共通しているのか私は気になった。
当たり前ではあるが、その認識にずれがあると無意識のうちに「告白ハラスメント」しかねない。
そこでタイトルの通り、恋愛における「告白」という行為のもつ様々な意味を考えることにした。
(ここで考える「告白」はセットで交際の申し込みがあるものとする。また論点がぶれるため、ここでは「交際」の意味については言及しないこととする。)
恋愛における「告白」の意味は、簡潔に述べるなら「自身の行為を意中の相手に伝えること」といったところか。
さすがにこれに異を唱える人はいないだろう。
今回取り上げる側面は、以下の2つである。
何当たり前のことを言ってるんだ、と突っ込まれそうだが恋愛における「告白」という文化が一般的な現代日本では重要なことだと私は考える。
このメリットは、告白された者が相手の好意を知った上で自身の気持ちを伝えることができる点である。
「あの人は私のことをどう思っているのだろう」とやきもきした経験は多くの人々にあるが、その葛藤がなくなることで晴れて交際が開始できるのだ。
さらに両想いなのに交際が遅れるまたは始まらないという悲劇を回避できる。
片思いであった場合、「そのままの関係でいよう」とどちらかが言ったとてきれいさっぱり意識しないのはほぼ不可能だろう。
どれだけ好意を寄せているようでも、告白していない段階ならばその好意を胸に秘めたままなかったことにできるが、告白したら後戻りはできない。
両者の関係が近ければ近いほど修復は難しく、学校や職場仲間や同性同士などの関係なら大変であるのは間違いない。
まず、序盤で述べた「告白ハラスメント」はこれに該当するだろう。
自己満足な「当たって砕けろ」なんて言葉はあるが、それは告白した者の当たり方が弱いこととされた者がきれいに砕けることが前提である。
告白した者の当たり方が強い例としては、目上の人が下の人に告白する場合、告白の内容が重かったり回数が多かったりする場合がある。
された者がきれいに砕ける例としては、目下の人が上の人に告白する場合、元の関係が希薄な場合、された者からした者への心遣いが良くも悪くもない場合がある。
これらのような条件が満たされないと、「告白ハラスメント」になりかねない。
また、周囲の人々が告白があったことを知っているとややこしい影響が出てくる。
「付き合えばいいのに」「ふられて可哀そう」と勝手な意見を出す野次馬的な人が出たり、告白した者に好意をもつ人が逆恨みしたりする(これの究極が不倫)。
他にも様々な影響はあるだろうが、ポジティブなものはほぼないと思う。
これら2つの側面を考えると、「告白」がいかに厄介なものかわかる。
だからこそ、「告白」をする者には事前にある程度状況を理解する義務があると言っていいだろう。
「告白」は基本的に一発逆転を狙う行為ではなく、両者の気持ちを確認する行為である。
確かに世の中に「○○ハラスメント」という言葉が増えて面倒に思うかもしれない。
しかし、「告白ハラスメント」という言葉を知って単純に批判的な考えを持った人の中に、相手のことを考えられない人がいないことを私は望む。
そういう意味での仏教って方向性的には小乗的という意味でエリート主義に近いからなあ
変更不可能などうでもいいことから開放されて自分の人生を生きよう
というのは正論だけど
ある男を物理的に消滅させて直後に別の場所に微粒子レベルで全く同じ存在を生成したとしても、
それは同一人物が移動したのではなく同じ記憶を持った別人が生まれたわけであって、人間のテレポーテーションとは論理的に不可能であるみたいな話をどこかで聞いてなるほどなーって思ったんだけど、
ふと疑問が浮かんだ。
じゃあ例えば超テクノロジーで俺の脳みその容量が1%分が消滅して、消えた直後に消滅した脳みそ部分がまた微粒子レベルで復元したとするじゃん?
でもそれだと俺の自我とか魂は俺のままである気がするんだよね。
じゃあそれを1日ごとに100回繰り返したら?なんとなくだけど、それも俺のままである気がする。いやでもなんか変じゃね?
ちょっとグロい話なんだけど、じゃあ俺の肉体を1cm角のブロック状に細かく切断して、肉片を交互になるように2つのグループに分ける、
そして、2つのグループの肉片郡に足りない肉片をそれぞれ微粒子レベルで復活させて補完して俺の存在を2人にする
この場合、元あった俺の自我はどこに行くんだ?意味がわからんぞ
https://anond.hatelabo.jp/20210216220112
シンママだけじゃなくて、「夫の死をガチで願う」妻達とかもそうだけど。
「あなた自分で選択した結果でしょ?」みたいな指摘に対して超キレる。
「クズ男を結婚前に見抜くなんて不可能。不可能なことをなぜ出来なかったと責めるのは死ね」みたいな調子で。
あの幼児感は正直凄いと思った。
・教育面: 父母いずれか1人が中卒以下
・衛生面: 喫煙者
・容姿: 美醜の価値観は個人差はあれど、社会生活を営む上での最低限のラインはあるでしょう
日本は順調に家庭間の経済格差が進んで国全体の貧困は加速するばかり。一方でSNS等の情報技術の発達によりいわゆる勝ち組と負け組の「差異」は嫌でも目に入ってしまう、そんな時代です。幼くして自分の生活環境が世間一般的に「劣悪」と評されるに値し、自ら生まれながらに不幸な立場にあることに気づいてしまう機会がより多くなったことでしょう。こうした現実は幼少期から青年期にかけての多感な時期の子供の人格形成に大きく影響します。そのうち未来と自分自身に希望が持てずに「どうして〇〇のような生活を送れないのだろう、あぁ生きるのが辛い」と感じてしまう中高生で溢れかえってしまうことはなるでしょう。
そういうかわいそうな子供たちの育ってきた家庭環境から「ああ、その条件ならしょうがないよ」っていう一定のラインを今のうちに明文化しておくことで、今後勃興してくるであろう関連議論の役に立つと思います。
「あなたは悪くない、あなたのお父さんとお母さんが子育て計画にこれだけ穴があったのが問題だね」という形で慰めることだってできると思います。
生まれた環境は本人にはどうしようもないことだってあります。子供本人だけが君の努力不足が悪いなどと責められるのは可哀想じゃありませんか。
なお、今回『2人以上作ってはいけない』としたのは、1人も子供を作るなと強制するのは不可能と思いますが、不幸な子は1人で十分だろと諭すことは可能な範囲だと思ったからです。
政府は少子化対策する気がないとか日本の少子化の加速を憂う人は多いけど、それでも「バカと金がない無計画夫婦は子供を産むべきではない、自分のエゴでその子が不幸になるだけ」って意見は、おそらく皆の統一見解だと思うので。
ちなみに、当方は反出生主義ではありません。が、何となく世の中のトレンドがそうなりつつあるので、皆さんの考える「バカと金がない無計画夫婦」のラインがどの程度なのか気になったのと、それなりに需要があると思い書いてみた次第です。
アキバや池袋がシャッター街になってバタバタ潰れてんのんのが象徴的だわな
歌舞伎町とか六本木は法律ガン無視でも大してそう取り締まられはしないからなんやかんやで生き残ってる
法律でがんじがらめにした上に利益は上げろなんて物理的にできるわけねーだろ
国がクソほど税金を株価に投入してる企業くらいしか絶対に成立不可能なわけで
そもそもGDPマイナス成長の日本で未知の手付かずの療育なんかあるわけがない
結果、秘密工作員みたいな働き方プラス諜報機関のフロント企業経営みたいな感じでしか空手で起業を軌道に乗せることができない
飲酒や風俗なんかのソフト産業しかない、こんなもん何も生み出さない筆頭だわ
現実は利権団体に振り回されて意味不明な矛盾だらけの法律作りまくる始末
端的に言えば終わってるわこの国、そりゃ金持ちになって上流の仲間入りした瞬間に海外志向で逃げようとするやつ多発するに決まってんだろと
それは男達は村を出て狩に、女達は村で手仕事をしていたことに由来すると心理学者は言う
だから女は目的もなくお喋りを楽しめる才能があるが、男性にはこれはないらしい
もちろんこれは実証不可能な人文科学お得意の妄想だが、彼らの御伽噺を信じるのなら
男は男たちだけで狩りに出ることで孤独を埋められるかもしれない
個人を特定するのが不可能な環境でレッテル貼りをするのは必ず間違いです
あなたは間違った行為をすることで指摘される点を自ら作り出している
まぁ、わかりませんよね
人の話を聞けませんもんね
インターネットというか通信技術本当にすごくて、俺は正直まったく理解できてない
いま触ってるスマホの原理だってなにひとつ分かってないと言っていい
謎技術の超機械を触ったら文章をインターネット(って一体なんなんだ?)に放つことができて、それを遠くにいる人が読む もう、とんでもねえよ
物理で習った筈なんだけど、目に見えねえし、直感的に理解することが不可能 なんなんだ?マジで
その意味わからん電波を介して情報通信できるってのがもう完全に意味不明 どうなってんだ人類 賢すぎるだろ
サルが木の棒使って果物取ってたら「賢い!」ってなるレベルの動物界において、なぜ複雑怪奇な超機械で意味不明な電磁波を操作して通信なんてマネができるのか?
っていう思いはわりとあるんだよな
はてな村というか増田が特にそういう話題好きな感じもあるが、とはいえTwitterなんかでも定期的に盛り上がってる印象
目に見えねえし意味もわからん謎の電磁波を操って、何千キロも離れたところと一瞬で通信できるような技術
それをもってる高度知性生命体が、電波を介して非モテ論争ですか
そんなことやってていいのかよ?!
いいんだろうな