はてなキーワード: イコールとは
「リベラリズムはそれをなんやかや理屈こねて否定ようとしてるが」→否定ようとしてるが?
「無理。種の保存発言を批判して有利にだった気の盛り上がりだけど」→有利にだった気の盛り上がりだけど?
「お前が切り取った部分は主張ではないから、取り上げてないし、取り下げることもできない。」→「取り上げてないし」ってどういう意味?
「お前が気にするなら別に例えにしてもいいけど? それで満足か?」→「別に例え」って何?
「頑張って反論したかったんだろうけど、なんだろな、ちゃんと脳で言語理解しないとさ、こっちに何一つダメージが通ってこないぞ。」→ダメージが通るって何? ゲームなのこれ?
結局言いたいのは「同性愛者は年金なしになったっていい」なのか「子なしの人間は年金なしになったっていい」なのか、どっちなの? これはリベラリスト云々じゃなくて、単純に論理の話だよ。世代再生産に貢献する人間に保護や助成をする、という話と、同性愛者には年金をやらない、という話はイコールじゃない。これっぽっちの文章を書くのにこれだけミスがあるって結構ヤバいよ。思いつきを大慌てで書き殴ってるから、あちこちツッコミどころが残る雑な議論になっちゃうんじゃないのかな。
「種の保存」なんて言葉、凡人の発想ではまず出てこなくない?よっぽどLGBTのことが嫌で嫌で絶対認めたくなくて、理系でもない人が「科学的な言い訳」を考えたらそうなるんだろうとは想像つくけど。いやそもそも人のこと「種」て言うのヤバない?人のことを、ニンゲンのオスとメスとしか思ってないじゃん。言葉のキモさとしては「ま〜ん(笑)」「種付けセックス」と同じレベルだと思うが…。子どもいる人に「お、種を保存していますね」とか、子どもいない人に「あら、種を保存してませんね」とかまず思わねーよ。まあ別に思うだけならいいけど、さすがに当事者の前でそんなん口に出さなくない?同じ組織内に既婚子無しの人がいたら、万が一思いついたとしても、言えなくない?自民党の担当者は、これを安倍さんの前でも言えるとしたらすごい心臓だよね(晋三だけに!ガハハ!)。政治家に限らず、結婚と出産が当たり前の時代を生きたご年配の方々の間ではメジャーな感覚なのかね。というか種の保存イコール出産だと思ってるのもヤバない?ウチら人類、別に出産しなくても納税とか経済ブン回すとか何かしらの形で種の保存には関与できてるんでないの?そんなに出産が大事ならLGBTの婚姻云々見送りとかじゃなくて出産義務化みたいな法案つくればいいと思うけど、それが明らかな人権侵害で異常ってことはさすがにわかるからやらないんだよね?
たいして政治わからないが、今の自民党は明らかに異常で怖いから選挙のときはとりあえず他の政党に入れるようにしてるけど、それでも支持されてるのがさらに怖い。学習的無力感ってやつなのかね。なんだかんだ日本に生まれてよかったと思ってるから、なんだこの国は!おれは他の国へ行くぞ!とは思えない分、よりしんどい。
少子化対策に女子の教育制限とか、そんなレスバ見かけてまじ白目なんだけど、そんな政治的に絶対不可能な話してもしゃーないでしょ。
少子化なんてつまるところ、「結婚しなくても生きていける」「子ども生まなくても生きていける」社会になったからみんな生まなくなりましたってだけの話でしかなく、女子の教育制限なんて時計の針を戻すやり方はナンセンスでしかない。
やるなら逆で、「子どもを生めば猛烈なメリットがある社会」にしちゃえばいい。
たとえば、子ども産んだ世帯にはその子が成人するまで毎年無税で500万支給します、とか。これなら、子どもを産むことイコール仕事になるし、働きたくない連中は計画的にバンバン産むでしょ(3年ごとに1人で、計3人産んだとしたら、三十年近くの収入が保証される)。
財源は、高齢者の年金やらからかっぱいでくるしかないかもしれないけど、細かいことは俺にはよくわからん。
まぁ、家庭内の虐待が蔓延したり、良からぬ輩が子産み部屋みたいなの作るかもしれんが、そんなのは、このまま緩慢に滅びていく未来とどっちがいい?って話でしかない。
割とマジで顔の作りだけ整形で綺麗にしても(整形じゃなくても)愛嬌のない人は可愛いってあんまり思わないなって気づいた
まーたフラれた。「手を繋ぐのが想像できない」ってさ。
28歳、人並みの恋愛経験あり、彼女いない歴イコール年齢。しかしセフレを3人ほど作った事がある。口説こうとする恋愛脳の時の自分と、割り切ってる時というか普段の自分が違いすぎるのかなあとか感じたりする。いや分からん。
随分前、バイトの後輩(女)に相談したら「優しすぎるんだよ」って言われた。自分としては優しくするしか出来なくて、恋人関係になるかみたいな状況の女性の返答ってどうしてもやんわりしていて「思うことはないの?」と気にしすぎた結果、逆に女性側が私に対して「思うことはないの?」という印象を持って離れていく。
言うなれば私は臆病者で、手札が見えなければベットもできない。気づくのはいつも全てが終わった後で、冷静に考えた時に相手は好意を見せていたことに気づく。
それでもチャンスは訪れるだろう、私の理解者が現れるだろう、と身を任せた結果30歳の大台が迫ってきていて、焦りと不安に苛まれている。
基本的に私はマッチングアプリで出会いを探している。それしか接触する機会を見つけれなかったからだ。見つけれなかったからだと言うも、私が「いいね」を送り相手が送り返してくれるのは一月に一回あるかないかのレベルだ。1年ほど頑張ってみようと努力をし、ひと月に一人会う約束をしては、デート終わりに音信不通になるのが続き(計10人くらい)、何も信じれなくなった。なんだそれくらいの人数でと思うかもしれないが、希少価値の高いイベントであり、全力投球を続けても結果が出せない自分が悔しくて仕方がないのだ。
なんだかんだで今思い返してみて、この8年間で30人くらいに会い、6人くらいと良い雰囲気になり、3人くらいに告白した。そしてその3人は皆「異性として見れない」と言った。
私にはもうなぜ周りの人が、あれそれと男女の仲を作れているのか不思議でならない。
ある人は言う「優しいよね」「清潔感すごいよね」「彼女居そうなのに」「几帳面だよね」「まじめだよね」「地頭いいよね」「かっこいいと思うけどなー」「おしゃれだよね」「先生みたい」「お兄ちゃんみたい」「会社の上司だったら良いのに」「いい声してるよね」「おもしろいよね」「ヒゲも似合うんだね」「女の子みたい」「かわいい」「背高いよね」「手綺麗だよね」「ほそいの羨ましい」「優しすぎるんだよ」「疲れる」「楽しませるつもりある?」「わかって欲しいばかりじゃん」「つまらないんだよ」「自信持ってよ」「何考えてるか分からない」「怖い」「どうやって生きてるの?」「手を繋ぐのが想像ができない」
私はただ、一緒に苦楽を共にできる相手が欲しい。相思相愛を感じてみたい。
胸が痛む。
弱者男性差別は存在するから知ってください、フェミニストはこれ以上差別しないでください
https://note.com/mefimefiapple/n/n6b712e954db8
上記のnoteについて「何故女性やフェミニストに言うのか」「強者男性に言うべきでは」との意見がある様なので、何故なのか、読解してみようと思います。
予め断っておくとこれは女性やフェミニストへの攻撃の意図はありません、また件のnoteについても敵意は(受け止められている程には)大きくはないと判断しますが、それについても最後に触れます。
ではどのように読解すればいいでしょうか?いい方法があります。
以下の様に、国語のテストだと思って読解してみてはどうでしょうか?
このように国語のテストだと思えば、noteを読み込んで該当箇所を抽出するのも楽になる人も居る筈です。難しい問題や複雑な問題もゲームやテストだと思えば簡単に解けてしまう人はいるものです。
(これを「ゲーミフィケーション」という言葉に倣って「国語の期末テスティフィケーション」と呼ぶ(「国語の中間テスティフィケーション」でも可))
以下、幾つかのパートに分けて女性やフェミニストに向けられている理由と解釈できる箇所を抜き出します。
上記箇所の様に、このnoteでは女性も抑圧者・加害者になり得る事を繰り返し強調しています。
これがこのnoteの目的だとすると、明らかに女性に向けた方が効率的です。強者男性に向けて「実は女性も抑圧者になり得るんだ」と言っても「お、おう」と成るだけですし、むしろ告げ口に似てしまいます。だから女性本人に言う必要があると言えます。
また、男性が強者側に位置付けられたり、「抑圧者=男性」という図式が前提とされがちな現代では、そうでない側を殊更に強調する必要があり、そこに女性を対象にする必然性もあると言えます
(ただしその様な前提はテキストの外部から読み取る事なので、テキスト内で論理的に完結する必要のある国語のテストとしては回答に出せない部分になります)
上記箇所の様に、noteでは差別そのものに負けず劣らず、差別を否認し、正当化する事への非難に紙幅が割かれます。
例えば、
未婚男性の寿命の短さは無視される上男性の女性虐待の証拠になり、男性のメンタルの悪化と低すぎる幸福度は無意識化された特権意識のせいにされ、ホームレスと引きこもりさえも女性に厳しい差別的構造の例だとされます。
の様に、男性の差別的な境遇を問題化しようとしたときに、それが女性差別の問題へとすり替えられる様子が描かれます。
弱者男性差別そのものは強者男性・女性・フェミニスト共に加害者に成り得ますが、「弱者男性差別→女性差別」の様な差別の主題のスライドは、女性差別を取り沙汰したいフェミニストにしか動機がありません。
従ってこのような差別のスライドを問題にする限りでは、フェミニストの方々に向ける理由があるという事に成ります。
こうなるとフェミニストはもはや、「女性差別は気にするけど男性差別は気にしない」だけではなく、「女性差別は気にするけど男性差別は積極的に口を塞いで透明化する」というセクシストに見えます。
という箇所も同様でしょう。差別のスライドによって「男性差別は積極的に口を塞いで透明化する」という積極的な加害行動が問題化されます。
関連して、
フェミニストの方に考えてほしいのは、「男性差別はない」「あったとしても大きな声で言うのは女性の口をつぐむことだからいけない」という考えはこの時点でかなり人権軽視であったり、性差別的な言葉ということです
という箇所もありました。
ここについてもやはり、「男性差別はない」「あったとしても大きな声で言うのは女性の口をつぐむことだからいけない」といった発言をする動機が大きいのは女性やフェミニストです。対して強者男性にその様な発言をする動機は大してありません。
(例外としてフェミニストかつ強者男性の場合、女性フェミニストと同じ動機を持ち得ますが、当然その場合「フェミニスト」に重なっています)
似た箇所として、以下の部分も上げられます。
なぜ弱者男性が、ジェンダー平等を望む仲間のはずのフェミニストを攻撃してしまうのか、それは一部のフェミニストがジョージ・ワシントンだからということもあるでしょう。
ここでジョージ・ワシントンは「世界で最初の人権を宣言した憲法を書き上げながら、ネイティブ・アメリカンへの虐殺を差別だと認識できなかった」人物として言及されます。
この文意は「一部のフェミニスト」がジョージ・ワシントンと同様の構造(つまり、女性の人権を保護しながら、弱者男性への差別を認識できなかった)を持っている、だと解釈できます。その上で、
自分たちも白人も平等に殺す無法者より、人権を高らかに謳い上げるがお前たちは人間じゃないから殺されてOKと言う、ジョージ・ワシントンの方が憎く見えたでしょう。
という様に加害そのものより、差別の正当化や、「人権を謳い上げる」正義側に無視される事の苦痛が強調されます。
この点に着目した時、フェミニストは(時に露悪的な)強者男性よりも正義を僭称する機会が多く、正義側としての側面が濃い為、強者男性よりも対象にする動機が大きいと言えます。
この箇所では明確に、差別的な度合いが強者男性より女性全般のほうが大きい可能性を検討しています。
女性はこの差別の抑圧者として大きな存在です。上記の差別では明確に女性の影があります。私自身、街を歩いていて嫌悪や指をさして笑う行為、吐き気をするようなジェスチャー、そういったことを度々経験していましたが、すべて女性でした。
以上の様に、女性による直接的な差別や加害もnoteでは幾つか言及されます。
「彼女も作れない人間はセクシストで、そのような人間の悲鳴はすべてミソジニー」というような意見をフェミニストが多くするのが原因です。男らしくならなければジェンダー平等を訴える人たちの間でさえ人間扱いされないどころか、セクシスト扱いされるのです。
これに対して、女性は異性の「点数が低い人達(先程の結果からみると本来は平均的な人たち)」を排除したり、嫌がったり嘲ったりする形で攻撃します。
例えば「女は黙って朝飯作って帰りは正座で待ってくれてないと」のような差別的な言葉と「無職の男とか絶対無理キモい」のような差別的な言葉は同じくらい重い、そう言えます。
こうした直接的な加害は恐らく女性やフェミニストの方々の中でも一部の方がしている事で、女性やフェミニスト全体がしている事ではありません。
従って女性やフェミニスト全体へ向けてこれらの事を直接の告発として言うのは(丁度一部の男性が行った加害を男性全体に向けて非難するという、弱者男性問題の主要な問題の一つと同様)間違っていますが、
「ぶつかりおじさん」の様に、女性側からは見えにくい一部の女性の加害を知って貰う、という可視化としては意味を持ち得ます。
そしてこれらが女性側からは見えにくいのであれば、特に女性に向けて周知する意味があると言えます。
特にその中でも、
最も弱者男性が差別的なことを言っていて、かんたんに論破できるような「女をあてがえ理論」に対するフェミニストたちの反応を見てください。「弱者男性とかキモい無理。女性の人権を侵害している。」、「その考えが差別的。特権意識から降りろ。」、その他諸々。なぜ、「女性が誰と結婚するかは個人の自由なので社会や国家が介入するな。」とだけ言えないんですか??
フェミニストが差別を糾弾する際、「キモい」「特権意識から降りろ」等の余計であったり部分的に適合しない侮蔑を含めてしまうケースが上げられています。
この箇所を「差別を糾弾する際に、別の差別意識が表面化し易い」という意味だと解釈すると、差別を糾弾する機会の多いフェミニストの方々に特に向ける意味があると言えます。
この貧しい家庭に生まれていじめで苦しむことも多い一生弱者男性(これは実際に統計的に全部正しいんです)は、下駄を脱げと言われても脱げる下駄がありません。むしろ、脱出できる可能性、助けてくれるまわりや、ケアしてくれる行政や団体の偏りを考えると、この層においては女性が下駄を履いていると言っても嘘になりません。この層に「下駄を脱げ」というのは、レイシストが「在日コリアンは特権を捨てろ、社会を牛耳ってる支配者のくせに弱者のフリをするな。孫正義を見てみろ。」というような最悪な言葉と大差ないのです。
この箇所はフェミニズムの文脈で男性に向けられがちな「下駄を脱げ」といった言説が、弱者男性の場合には適合せず(脱げる下駄が無い)、「在日特権」の様な存在しない特権の糾弾という、深刻な差別に成ってしまうケースが扱われています。
このようなフェミニズム言説への応答の箇所は、当然フェミニストへ向ける意味を持ちます。
また、
障害や貧困や差別で苦しんでいる中で、誰か一人にでも愛されたくても無理で絶望して今も首をを吊っていってる人たちに、無理とかキモいとかお前の孤独感さえ差別の証だだとか、それはもう加害欲求が暴走している、差別が楽しくてやめられない、としか言えないじゃないですか。
ゲイも、トランスジェンダーも、在日コリアンも、ハーフも、黒人も、障害者も、相手を「キモい」と言って正義の名のもとに糾弾する光景をあまり見ないですが、フェミニストだけは例外です。
の箇所の様に、フェミニズム的な批判に伴って加害欲求が暴走する可能性についても警告しています。ここもやはり強者男性に向ける意味はあまりなく、フェミニストへ向けて初めて意味がある箇所になります。
件のnoteを読み返しながら、国語のテストのつもりで関連しそうな箇所を抜き出してみましたが、結構あるものですね。
ただこれで全部ではないと思います。もしできれば、これを読んでいるあなたも国語のテストのつもりで挑んでみてはいかがでしょうか?
最後に、これまで追ってきたようにあのnoteは女性やフェミニストへ向けて書かれたものですが、「向ける」ということが「攻撃」や「批判」とイコールではない事は強調しておいた方が良さそうです。
現に彼自身、
だから、一部のフェミニストの方がしてしまったことも、不幸なすれ違いだと思うんです。「ただそんな人達がいると知らなかった」だけだと思うんです。なので、ジェンダーで苦しんでいる人間たちは一緒に戦っていける、そう思っています。理想主義的ですが、理想がないと進歩もありませんから。
と書いています。
この増田に付いても女性やフェミニストへの攻撃や批判の意図ではなく、あくまで彼の文章が女性やフェミニストへ「向け」られていた理由を読解する為に書いたものです。
もし彼のnoteやこの増田を読んで自分を責めている女性やフェミニストの方が居たら、自分を責め過ぎないようにしてください、責める事が目的なのではなく、知って貰う事が目的ですから。
彼のnoteは女性やフェミニストへ向けられていますが、それに応答するために女性やフェミニストの方がするべき事は、実はそれほど大きくはない、というのが私の解釈です。まずは「知る」「存在を認める」「積極的な加害はしない」ただそれだけの事で達成できる、ささやかなものなのです。(当然ですが、同様の事を私は女性差別に対しても行います)
そして私が言うまでも無く、彼のnoteへの反応の中で既にそれをしている女性が何人か居た事は知って居ます。そのような方々に尊敬と感謝を申し上げると共に、そうした方々が今後増える事を祈ります。
今回の主題からはズレますが、何故「弱者男性」を取り上げるのか?と疑問を抱いている方も居たので、ごく簡単にですが、ここにも読解を加えておきます。
私は「男性」という属性は、「ヘテロセクシャル」「健常者」といった単純に「強者」とみなしてもあまり問題が発生しないものではなく、特定の属性とつながるととても悪い影響をもたらす属性だと思っています。
「男性」に「障害者」、「貧困者」、「外見が悪い」などが付くと、「女性」にそれをつけた時より状態が悪化するということがあります。これが「弱者男性差別」です。
この箇所で言及されている通り、「障害者」、「貧困者」、「外見が悪い」等の弱者属性と「男性」が組み合わさった場合に特に悪化・深刻化するとすれば、
それは「弱者」単独でも「男性」単独でもなく、「弱者」+「男性」という組み合わせをわざわざ取り上げる強い動機を生む事になります。何故ならそのような悪化・深刻化は組み合わせないと発現せず、見えないからです。