去年のこと。
とても仲が良く、毎日連絡を取るわけではないけど、お互い思い立ったときに急にLINEで会話を始めたりどこかに遊びに行ったりする、そんな付き合いを10年くらい続けてる友達。
お祝いしたい気持ちはとても強かったが、世の中はコロナが猛威を奮っている。
ふたつ返事で参加を伝えたものの、式の日程が近づくにつれ状況は悪くなり、ついに会社から「同居家族以外との飲食は一切禁止」と通達が出てしまった。
「カクカクシカジカで結婚式いけないかも…」と寂しい連絡をしたところ、会場側と調整してくれて挙式だけの参列もOKということになった。
式の当日はいい天気で、友人夫婦は二人ともとてもキレイだった。
最悪ご祝儀だけPayPayで投げるか…とか思ってたので、部分的にでも参列できたのは嬉しかった。
なんだっけな、ああそう、それで、アスリート目線のオリンピックは新婚夫婦目線の結婚式みたいなものじゃないかなと思った。
結婚式をしたい夫婦がたくさんいるように、オリンピックに出たいアスリートはたくさんいる。
結婚式をしなくても夫婦は生きていられるように、オリンピックがなくてもアスリートは生きていられる(経済的・精神的な生死ではなく身体的な生死)。
結婚式が感染リスクが高まるイベントであるように、オリンピックは感染リスクが高まるイベントである。
そうだとすると、やっぱり今のアスリートに向けられている批判は意地悪だなと思う。
オリンピックをやりたいと言う(あるいはやりたくかいと言わない)と叩かれる。
結婚式したいなという希望を口にできないのは辛いのではないか。
オリンピックが開催できる形を考えたいと言うと叩かれる。
挙式だけならいいかも、親族数人だけならできるかも、みたいな検討すら許されないのは辛いのではないか。
そもそもオリンピック自体、アスリートが声を上げてどうこうというものではないと思う。
結婚式の開催自体に親類や職場などの事情が絡むのと、オリンピックの開催自体に委員会やスポンサーなどの事情が絡むのと似ていると思う(クソくらえってとこも含めて)。
アスリート全員が「断固反対」と声を揃えれば話は別だが、それはないだろう。できるものならやりたいと考える選手はいると思ったほうが自然だ。結婚式もできるものならやりたいと考える夫婦が必ずいるように。
ちなみにオリンピックに出たくなくて(あるいはオリンピックを諦めて)選考辞退したり競技を引退したりしているアスリートはもういると思う。パラの選手では見かけたけど、ある程度有名じゃないと報道もあんまりされないし、どの程度いるのかは知らない。
つまり、だから、オリンピックを否定しない選手を叩くのは、結婚式をしたい新婚夫婦を叩くのと同じくらい可哀想だと思った。
俺はよう叩かん。選手たちは振り回されながらもこれまでよく頑張っていると思う。
後で見返して自分で何言ってるかわかるんだろうか…
開催イコール周囲へのコロナ感染超拡大・死者増加が必至なオリンピックと単なる結婚式を同じように考えるとバグるからやめときなはれ。 オリンピックというジェノサイドに、従事す...