はてなキーワード: 知らない子ですねとは
ちなみに、Gmail前提の話。
GASでGmailのonCreateDraft的なトリガーとかイベントがあれば楽だったんだけど、無かった。○uck!!
Googleコンタクトで敬称を設定できるんだけど、スマート作成とかスマートリプライとかで候補に出てくるかっていうと出てきたり出てこなかったりする。○uck!!
テンプレートで変数埋め込みとかもできないみたい。○uck!!厳密にはできるんだけど、結構workaroundな感じですぐ使えなくなりそうだし他人にお勧めできない。
てかそもそも、こんなことのためにわざわざGAS使うのがおかしい。
ここまでで1時間くらい使った。まあ勉強にはなったけどそんな回り道をした俺に○uck!!
とりあえず、あなたはコピペしてるってことなんで、それ前提でちょっとした効率化を考えてみた。
下準備が面倒だけど。
まず、Googleコンタクトで敬称・会社・役職などを設定する。
連絡先がたくさんあるなら、CSVでエクスポートしてExcelかスプシで開いて、「Name Suffix」(敬称)「Organization 1 - Name」(会社)「Organization 1 - Title」(役職)の列を一括変更してインポートするのが楽。ちなみに「Name Prefix」はSirとかMr.とか入れるところ。
これで下準備は終わり。
Gmailでメールを作成するときなど、宛先メールアドレスの脇にそのアイコンや名前が出てくる。
で、アイコンや名前にカーソルを合わせて1秒ほど待つと、↓みたいなポップアップが(Googleコンタクトに登録されていれば)敬称付きの名前・会社・役職と一緒に出てくる。
https://ferret-one.akamaized.net/images/623a863585ad34000174a1e6/large.png
Googleコンタクトに姓名をどっちも入れると「田中太郎様」ってなるので、そこは名を抜かすなど臨機応変に。
連絡先を全部変更する前に、1件だけ試しでやってみるのをオススメする。
Thunderbirdの方も、Googleコンタクトを同期させれば似たような使い方ができるかもしれない。
俺はThunderbirdまともに使ったことないので、有識者に指示を仰いでください。
今は、これが精一杯。
追記:
一回のコピペで済ませたいならGoogleコンタクトにメモって項目があるので、それでも良いかもしれない。
ただ、ポップアップを表示させた後「詳細表示を開く」ってボタンを押して出てきた右ペインを一番下までスクロールしないとメモが出てこないので、一長一短という感じ。
まああとは色々やってみてくれ。
俺の仕事の話。
俺にメールしてくるのはお客さんじゃないので、「この度はお世話になります。〇〇社△△部xxと申します」とか「お忙しい中大変恐縮ですが、何卒ご検討のほどよろしくお願い致します」とかかましてきやがったら「自動差し込みとかでない限りそういうのいらないんで。俺からは一切しません」って開口一番に言う。
そういう仕事をしてる。
時間 | 記事数 | 文字数 | 文字数平均 | 文字数中央値 |
---|---|---|---|---|
00 | 114 | 12334 | 108.2 | 44 |
01 | 49 | 6410 | 130.8 | 56 |
02 | 34 | 2848 | 83.8 | 49 |
03 | 19 | 1256 | 66.1 | 61 |
04 | 16 | 4879 | 304.9 | 65.5 |
05 | 11 | 859 | 78.1 | 70 |
06 | 41 | 5974 | 145.7 | 58 |
07 | 94 | 6157 | 65.5 | 32.5 |
08 | 101 | 5304 | 52.5 | 29 |
09 | 122 | 8895 | 72.9 | 31 |
10 | 149 | 9803 | 65.8 | 28 |
11 | 179 | 14351 | 80.2 | 40 |
12 | 175 | 20586 | 117.6 | 41 |
13 | 201 | 17054 | 84.8 | 41 |
14 | 143 | 16115 | 112.7 | 50 |
15 | 148 | 14220 | 96.1 | 38 |
16 | 145 | 12857 | 88.7 | 40 |
17 | 169 | 13301 | 78.7 | 33 |
18 | 175 | 14533 | 83.0 | 34 |
19 | 114 | 10007 | 87.8 | 38 |
20 | 141 | 21567 | 153.0 | 42 |
21 | 146 | 14186 | 97.2 | 37 |
22 | 190 | 22288 | 117.3 | 36 |
23 | 125 | 11012 | 88.1 | 37 |
1日 | 2801 | 266796 | 95.3 | 38 |
ひっかぶる(5), レズバトル(4), ハサウェイ(21), 洛外(4), アンダーバー(3), 国号(3), タウラス(4), ラケット(8), エウレカ(9), 吉幾三(5), セレ女(4), アイシールド21(4), 知らない子ですね(3), プリキュア(24), 接種(31), ホラー(8), ウマ娘(33), 艦これ(7), ワクチン(64), 五輪(22), 表現規制(6), ウマ(8), 味覚(6), プレイヤー(14), 開催(27), 中止(27), ジャンプ(19), 変異(9), オリンピック(30), 選手(16), 破壊(13), 貧乏(18), 予約(12)
■ソシャゲにありがちな「キャラがプレイヤーに好いてくれる」のがマジ /20210426184734(34), ■本読む習慣無い上に頭が悪い俺でもとっつきやすい小説 /20210513195740(27), (タイトル不明) /20210514211221(20), ■一人だけ格が違うトッププロが好きだ /20210513152256(19), ■トロピカルージュ!プリキュアがやばい /20210513214243(18), ■貧乏なリベラルこそいないことにされてない? /20210514015911(16), ■ウマ娘ブームとかで、オタクって世界の美しさを知らなかった可哀想な人達なんだなってようやくわかった /20210511011851(15), ■ /20210514121623(14), ■きょうだいが実家と縁を切ったせいで被害が及んだ人いる? /20210513222618(14), ■何度考えたってアイシールド21は本当にすごい漫画だと思う /20210514130550(13), ■グルメ増田に聞きたい /20210514185041(12), ■シュワッと!プリキュア /20210514011331(11), ■実在の曲名をタイトルなどに引用してる作品 /20210514125100(11), ■ /20210514110523(11), ■自民党が見つけた議会ハック一覧 /20210513154226(10), ■父が職場で嫌な思いをしている /20210514002237(10), ■あっ、こいつレズバトル強いな…って奴の特徴 /20210514115542(10), ■お尻に挿れたら気持ちよさそうなアルファベット /20210514165508(10), ■ネットで完全に狂っちゃってる政治の人居るじゃん? /20210514181211(9), ■45~49歳はネット上でうるさすぎ /20210514112833(9)
物語の基本が「かけているもの」が最後に「満たされて終わる」ものだとしたら、そのお手本の一つがアイシールド21だといえると思う。
アイシールド21ってたくさんの試合を乗り越えながら丁寧に丁寧にアメフト部の部員全員のコンプレックスや弱点を克服したり、強みに変えたりしてたんよね。他の「より強い技を覚えていくゲーム」になりがちなジャンプ系のスポコンものとは一線を画す「物語としての強さがある」ことは高く評価できると思う。
他の名作スポコン漫画とか見ててもちょいちょい「なんかおるやつ」みたいなのが混ざってたりするけど、アイシールドは部員全員がアメフトを通じてきちんと人間的にも成長していく様が描かれていて非常に良い。
おそらく試合展開から逆算してキャラクターを作ってる部分もあると思う。こういう展開の試合、こういう展開の試合、こういう展開の試合。この試合にはこういうキャラの能力が必要で、この時点ではこのキャラは覚醒していない予定なのでこの展開は難しい等々等々。
最初から最後まで計算づくで作られている。これを連載作品できっちりやり切ったのは本当にすごい。
誰もが主役、とまではいわなくてもそれぞれがそれぞれの個性を生かして、自分でできることを精一杯やりこなして勝利をつかむ。チームプレイってものに対して誠実に作られているのもとてもよい。
がり勉の運動未経験で最後までほぼウンチだった雪光学が、選択したルートをひたすら間違いなく走ってパスをキャッチする、その一点で最強チームから得点をとるのはめちゃくちゃ熱かった。しかもこの「選択したルートをひたすら間違いなく走り続ける」ってのは「親に言われた通り成功へのルート(お勉強)をひたすら走り続けた雪光の小中学生時代」にきちんと対応している。う、美しい。
「なんでもこなしちゃう天才」が、自分が天才でないことを認めて「チームのためならなんでもやれる男」にクラスアップする展開もアツい。しかも、最後まで能力値としては中途半端な器用貧乏のままなのよね。
ほとんどの人はもう読んでると思うので今更言うことでもないとは思うんだけど、もしまだ読んでない人がいるならちょっと読んでみてほしい。最初から最後までセブンのサンドイッチばりに具材たっぷりで面白いから。
ワールドカップ編?
知らない子ですね……
※この旧版になります。完全版は無料でnoteで公開中ですので、是非そちらの方をご覧下さい。
https://note.com/syosin_kai/n/nb97f2a0a193a
ちょっとゲームの歴史をかじったことがある人なら聞いたことがあるだろう言葉『初心会』。
とにかくこの言葉へのイメージは最悪だ。「真っ黒組織」「ゲームヤクザ」「歴史の闇」「悪の秘密結社」etcetc。
そんな初心会だが、はたしてどれだけの人が正確に初心会とはなんなのか、どのような悪どいことをしてきたのか、そして最後はどういうふうに消えていったかを語ることができるだろうか? おそらく、ほとんどいないのではないだろうか。
この初心会について、私が調べたことをゲームの流通の歴史を絡めてまとめて書き出すぞ。これで君も初心会マスターだ! ちょっと長いけど勘弁な!
もともとの任天堂は花札屋であり、そこからトランプやおもちゃを売り出したことは知っているかな? 創業は明治時代だ。
1960年代前半の任天堂は問屋を通じてテリトリー別に小売店を団体で集め、トランプやかるたの特売セールの景品といった形で温泉招待旅行などを行ったりしていた。そうした中、「ダイヤ会」という親睦会が問屋内で自然発生する。このときはあくまでローカルな親睦団体という形でしかなかった。
1973年2月、光線銃といったヒット商品が出始めたのをきっかけに、このダイヤ会を全国規模のきちんとした親睦会の形にしようとして生まれたのが初心会だ。ファミコンが生まれるずっと前だ。そしてファミコンはこの初心会に参加している問屋(59社加盟、その中でゲームに力を注いでいたのは30社ほどだったそうだ)を通じてのみ、流通させようとした。これには理由がある。
ファミコンのゲームはROMカセットだ。ROMカセットはCDと違って作るのが大変だ。発売日の三ヶ月前にはどれくらいつくるか数字を決めなきゃならない。一本つくるのに1000円以上かかる。もちろん任天堂は自前の工場を持っているわけではないから、他社の工場にお金を払って作ってもらうわけだな。(ドラゴンクエストシリーズは京セラがつくっていたらしい)
つくってもらったゲームソフトを売る。売れればいい。残ったらどうするか? ROMカセットはとにかく廃棄しづらい。体積があるから倉庫の在庫としては大変だ。処分するにも金がかかる。そのため在庫なしの売り切りスタイルであることが求められた。第一、このときの任天堂に「日本全国どこでどれほど、どのファミコンゲームが売れるか」という予測を立てる能力はまったくなかった。
それゆえ当時の任天堂社長山内は初心会の力を借りることにした。ファミコンとゲームソフトは全量初心会への返品なし買い切り制。在庫は持たず、追加の注文が重なってきたら再販というスタイルだ。ファミコンの専売権を与えるかわりに返品は勘弁してくれということだ。初心会は全国にその配下の二次問屋があるので、彼らを通じて全国の小売店にファミコンを売りだした。ちなみに当初の初心会参加問屋の意見としては「こんなもの絶対に売れない」だったそうだ。
ややこしいのがこの後、ファミコンの登場に衝撃を受けたハドソンとナムコがサードパーティとして参加することだ。当時の任天堂はサードパーティが現れることを予測していなかった。というか、まさか他社がファミコンソフトを作れるとは思っていなかった。そのためサードパーティ参加用の契約書をあわてて作る羽目になったという。(このときアメリカにてアタリがサードパーティであるアクティビジョンを販売差し止めで訴えていたが、後に和解し、サードパーティが合法化された経緯があるため、そもそもサードパーティを認めない、という選択肢はなかったものと思われる)
このときのナムコは簡単だった。ナムコは自前でROMカセットを作ることができたからだ。アーケードの雄はハードウェアを扱う力に長けていた。ナムコに対しては自社生産を認め、1本100円のロイヤリティを収めてくれれば問題ないという契約を交わした。
ハドソンが問題だった。ハドソンは能力こそずば抜けていたが、なにぶん会社の規模が小さかった。とても自前でROMカセットは作ることができず、任天堂に頼ることになった。
任天堂からしたらさらに想定外の事態だ。どうやればスマートにサードパーティ用のソフトを流通させることができるのか。任天堂はリスクを負うことなく、かつゲーム市場が適正に伸びていくための方法を模索する必要があった。
最終的な仕様は、まずサードパーティは一括して任天堂に製造委託費を払う。その中からロイヤリティを差っ引き、任天堂は工場にROMを発注する。作る数は任天堂、サードパーティ、初心会の3つで相談して決める。初心会はサードパーティが任天堂に委託したROMを全数買取、支払いする。これで決まった。
もちろんこれが全てではない。年末はクリスマス商戦を狙って多数のソフトメーカーがソフトを投入してくるので、思ったような数が生産できないので任天堂が拒絶する場合もある。初心会の見込み以上に売れると意気込んだサードパーティが、自前で在庫を抱えてリピートを狙う場合もあった。ROMカセットは作るのにとにかく時間がかかるから、リピート発注が来てもそのとき在庫がなければ応えられるのは早くて三ヶ月後だ(半導体の在庫事情によっては半年待たされることもあったらしい)。そうなればすでに需要は中古で落ち着いてしまう。そういう理由で初心会の注文数よりも多くつくるメーカーもあった。そのままリピート注文が来ず在庫になった? その場合は大特価で二次出荷するしかない。君はかつてゲーム屋でファミコン版グラディウスが新品980円で売られているところを見たことはないか? あれはつまり、そういうことだ。
この中で任天堂を非難する流れがあった。サードパーティがソフトを出すにあたり、任天堂はなんのリスクもなくロイヤリティを徴収していると。しかしこれはそもそもファミコンという当たるかどうかわからないプラットフォームを立て、リスクを負った会社が得るリターンとしてはむしろ当然ではないだろうか。不満があるならセガのように自社プラットフォームを出せばいい。ナムコも自社プラットフォームを計画していたらしいが、結局世に出ることはなかった。
ファミコン時代の流通はこういうことで決まった。このあたりの動きでは初心会があまり悪の組織っぽくなくて意外かもしれない。こんな証言がある。スクウェアの創設者鈴木尚が2003年岡山大学にてインタビューを受けたときの発言である。
>初心会っていう問屋集団が、ある時期は全くファイナンスの役割を果たしてくれてたわけですよ。あまりに量が大きくなると「すみません、お金ないんですよぉ」って言うと手形をくれるわけです。その手形を担保に銀行からお金を借りるわけです。実質的には、ある日突然ファミコン・ブームが終焉しない限りは、返ってくるだろうという。
この時期はスクウェアがファミコンに参入したての頃を指す。任天堂はROMの製造委託費を前払いで求めてくるので、どこかが銀行の代行をしなければならない。そこで初心会が(正確にはその中の一つの問屋だろうが)その役割を果たしていたということだ。
スクウェアはこの後ファイナルファンタジーで有数のRPGメーカーとして名を馳せることになるが、実は完全覚醒するまでにはもう少し時間がかかった。初代ファイナルファンタジーの初回出荷数は40万本で、これが最終的には80万本まで伸びる。次回作ファイナルファンタジー2にて70万本超えの実績を得たが、実はこれ、途中でかなり問屋内で在庫が残って大変だったという。しかしファイナルファンタジー3では初のミリオン超え(最終的には140万本)を果たす。それに伴い過去作も売れるようになって、リピードがかかったというわけだ。このあたり初心会はうまくスクウェアのバックアップに動いているように見える。
そう見えるのは、それはスクウェアが一流メーカー入りを果たしたからだった。ファミコン末期の他のメーカーはどうだったか? 1990年8月晴海にて「ファミリーコンピュータ・ゲームボーイ展示会」「スーパーファミコン発表会」が行われた。年末発売のソフト中心に初心会や小売店に対して各ゲームメーカーが披露する展示会だ。この展示会自体は1988年からやっている。
しかし1990年ではついに「受注ゼロ」のソフトが出始めたのだ。しかも一つや2つではなく、この展示会で並んだソフト(約100タイトル)のうち、3割が受注ゼロだった。この時点でファミコン市場は売れるソフトと、そうではないソフトの差が尋常ではなく離れていた。
この場合、メーカーには2つの道がある。一つは発売中止。もう一つは「任天堂には最低限の発注を行い、初心会には最大限の営業活動を続ける」というもの。もちろん初心会に対して売る気を見せるために大規模な広告活動をやれば発注はくるかもしれないが、その分当然損益分岐点はどんどん高くなる。もっとも有効なのは卸値自体を下げてしまうことかもしれない。
そうしてギリギリの攻防が続けられなんとか出荷したゲームはどうなるだろうか? 端的にいうと、人気ソフトの添え物として扱われた。初心会問屋は二次問屋や小売店へ向けて1本の人気ソフトに対してこういった不人気ゲームや、在庫の売れ残りゲームが抱合せで売りつけた。このときのレートによって「1対3」「1対4」などという言葉が生まれた。(場合によっては1対8なんてのもあったらしい)
さらにはバッタ屋ルートなるものも存在した。問屋の不良在庫を捨て値で買取、独自のルートで小売店に売る。このときの小売店はゲーム屋とは限らない。スーパー、ディスカウントストア、リサイクルショップと様々だ。なかには「お楽しみ袋問屋」なるものもでてきて、中身が見えないファミコンソフトの詰め合わせが一山いくらの世界だったそうだ。こういった不人気ソフトはワゴンセールをとてもよく賑わしてくれた。
ちなみに抱合せ販売は違法なので、公正取引委員会による排除勧告が初心会問屋に入ったことがある。ドラゴンクエスト4の頃だ。そのためかわりに「新作ドラゴンクエストの受注を行います。なおドラゴンクエストの他にあの大人気ソフト郡(大人気とは言っていない)のリピート販売を行いますので、ぜひ同時注文してくださいね」なんて手法が取られた。
これらの状況を任天堂は当然良く思っていなかった。もともと任天堂はアタリショックを目の当たりにして、「クズソフトの氾濫は市場を殺す」と認識していた。そのため、サードパーティには本数制限をかけた。が、サードパーティ自体が増えれば意味がなかった。子供向けのおもちゃであるために表現規制を敷いたが、クオリティチェックはまだこの時行われていなかった。どんどん増えるソフトと初心会の流通在庫は市場を殺す材料になりえた。どこもが不良在庫を減らそうとやっきになって価格をディスカウントしてしまえば、プレイヤーは適正価格でゲームソフトを買おう、という意欲が損なわれる恐れがある。
そこで任天堂はこの状況を打破すべくスーパーマリオクラブという組織を立ち上げる。一般のモニタープレイヤー2000人超を使い、彼らに発売前のゲームを二時間実際にプレイしてもらい、どこがどう面白いのか、つまらなかったのかを評価をする。評価は項目ごとに点数付けされ、集計されたデータは問屋や小売店に送られる。このデータは雑誌ファミリーコンピュータマガジンなどにも送られ掲載されていたので、知っている人は多いんじゃないかな。そしてこのスーパーマリオクラブはソフト売上の予測も立てるようになった。意外なことにこの素人集団の予測が的中した。後年はマリオクラブの参加者自身が慣れてきてしまい、その予測が外れるようになってしまったが。余談だがマリオクラブはこの後正式な任天堂の品質管理部門となった。さらにその後分社化が行われ、マリオクラブ株式会社となった。
任天堂としてはスーパーファミコンを機に一度市場をリセットしようと試みた。品質管理に売上予測、あまりに多くなりすぎた流通在庫。今ではピンとこない話だが、当時のゲームメーカーは「いったいどれほどのゲームが実際にプレイヤーの手に渡っているのか、どれほど流通在庫が眠っているのか」を把握する方法がほとんどなかった。商売相手は小売店やプレイヤーではなく、あくまで初心会だからこんなことになったわけだ。
当時の任天堂社長山内はこう語っている。「どれほどのソフトが売れるか、我々にはわかりようがない。流通のプロに任せるしかない」。これは初心会オンリーの流通を自己弁護した言葉と思われた。しかしこの言葉には「流通のプロでもわからないのなら、任せる意味がない」ということを含んでいる。この言葉の本当の意味はこの後判明する。
そうして新たなスタートをきったスーパーファミコン市場だったが、これは結論からいうと、なんら変わらなかった。むしろますますカオスになっていった。このあたりからいよいよ初心会の初心会らしい悪行が目立ち出す。厳密にいうとこの美味しい市場に目をつけた業者が、なんとか流通に入り込もうとし、初心会の中の一部(ここはもしかしたら一部ではないかもしれない)が彼らと手を組んだ結果なのだが。
・スーパーファミコン本体がほしい場合はアクトレイザーとの抱合せで(違法? 知りません)。しかもスーパーファミコン自体の掛け率は98%。場合によっては小売超え。別売りのケーブル(スーパーファミコンはAVケーブルが別売りだった)を売るほうが利益がでる状況だ。
・80万本の出荷実績があるサッカーゲームの第二弾が登場したとき、初心会のとある問屋一社が初回出荷数50万のうち25万を買い占めた。この25万は発売日に大量には卸さず、自前で在庫として抱え、市場在庫が枯渇して小売店や二次問屋が注文してくるのに対し、他のクズソフトとの抱き合わせ(違法? 知らない子ですね)で売りさばいた。
・とある問屋がメーカーに対して「うちは来週から社員旅行にでかけるんで、申し訳ないのですけど一週間早くソフトを卸してくれませんか?」と要望があった。それに応じて一週間早くソフトを送ると、なんとそのまま発売日よりも一週間早く小売店にソフトが並んでいた。社員旅行なんてそもそも嘘だった。
・メーカーに対してゲームソフトを大量に仕入れることを約束する見返りとして、その担当者個人の口座にリベートを送るように要求した。
(続く)
https://anond.hatelabo.jp/20210504185958
30歳、ゲーム好き。
好きといっても下手の横好きってやつで、
スマブラとかポケモンみたいなレーティングがあるようなやつは大抵真ん中よりちょっと下。
FPSもやるけど、先週始めたエーペックスはまだ10キルもしていない。
初心者サーバーとはいえ、俺とデュオになった人は貧乏くじを引いたことになるので申し訳ない。
そんでも、好きだから楽しんでやっている。
児童とか学生という肩書があった時期だと思うんだけど、あの時は本当に1日中ゲームができた。
朝起きたらまずゲームボーイを起動して朝飯までの5分や10分すらも惜しむようにポケモンを育てた。
夕方帰ってきたら友達と育てたポケモンを戦わせたりスマブラやったり。
中学くらいからはひたすらパワプロでサクセスをぶん回していた。
学校のある日でも1日に2、3人は作ったし、休日なら5人くらいは作れた。
高校生になってポケモンに復帰してからは、取り憑かれたように卵の孵化作業をしていた。
DSは良い。TVが一台しかない実家暮らしでも、夜に自室でこもって没頭できたし、
大学に入ってもそれは続いたし、一人暮らしでWi-Fiを開通してからは家でも対戦できるようになって
「すげえ世の中になったなあ」とか思っていた。
この頃は、夜中の3時くらいまでゲームをしていた。
場合によっては夜明けまでやってしまうようなことも多々あった。
新作が出たとき、なんか知らんけど急にドハマリしたとき、ちょっと思い立ってRTAのマネごとみたいなことをしたとき。
夜通し一人で、あるいは友人と、一心不乱にゲームにのめり込んでいたのが、俺の学生時代だ。
けど、疲れる。1時間もすると、ふうっと息を吐いてコントローラーを置いてしまう。
目が疲れ、肩が凝り、頭が働かなくなる。
そんで、休憩と称してダラダラしてると、気を抜いた隙に寝落ちしている。
BGMがゆったりしたゲームなんかだと、キャラクターを動かしながら寝てしまっている。
なんだか悲しくて寂しい。
多分、どっちも。
持て余すほどの体力と時間があったあの頃が懐かしい。
今では会社から通勤電車のなかか、帰宅してからほんの1、2時間くらいしか時間がない。
休日だって子どもの世話と家事が最優先だから、確保できる時間は同じだ。
部屋〜の隅〜、積まれ〜たゲームソフト、やら〜なくちゃ〜意味が〜ない〜のかな。
そういえば、本も読まなくなった。
学生の頃は好きな作家の小説が出たら徹夜で読んだりしていたのに、
今では積ん読ばかりが増えていく。
それら全てを高水準で保たないと、娯楽を楽しむことは難しい。
まずもって操作のやり方がわからん。コントローラーに書いてある記号をどうすればどう動くかがわからん。そもそもろくに握ったことがない。
マリオカートもドンキーコングもポケモンもわからん。ファイナルファンタジーもドラゴンクエストもウィザードリィもタクティクスオウガもわからん。テトリスくらいはわかる。
『ダンジョン飯』を読んでゲラゲラ笑ってはいるが、それはそれとして知らない単語やちっとも馴染みのない前提知識が出てきて困惑することがある。ゲームの常識がわからん。
当然、あつ森もFGOもやってない。スプラトゥーンにも無縁だ。艦これ? アズールレーン? アイドルマスター? 知らない子ですね。
高校・大学でノベルゲーにはまったけど、それって要するに本読んでるのと同じで、ドラクエやFFとは似て非なるものだからな。
『うたわれるもの』内のミニゲームすらクリアできずに友達に泣きついたのはいい思い出だ。だってどうやってもクリアできなかったもん。
クリアできないと続きが読めないゲームは苦手だ。スポーツの試合に勝たないと続きが読めない本なんてこの世にあるだろうか?
だからストーリーがついてるゲームがいかに名作かという話を滔々と語られても、それは自分には読めないことがわかっているので悲しい気持ちになるだけ。
選択肢をクリックするだけで続きが読めるゲームならいいんだけどね。『魔法使いの夜』の続きはいつ出るんですか……『月姫リメイク』にさつき√は実装されるんですか……
ということで、親の禁止によってゲーオタにはならなかった実例がここにあるぞ、ということが言いたかった。
なお、成人後にプリキュアにはまった俺を見た親は言った。
「妹ちゃんは高いグッズとかを欲しがるから、こういうのにはまらせないように気をつけていたんだけど、まさかお兄ちゃんがはまるなんてねえ……」
うるさい、余計なお世話だ。ぷいきゅあ、がんばえー!
正規品かどうかとライセンス認証できるかどうかとライセンス使用許諾違反かどうかというのはそれぞれ別の話。
ライセンス認証っていうアクティベーションの作業と、使用許諾っていうMicrosoftとのライセンス契約は別の話だからね。
Windowsの販売形態(Microsoftは使用許諾するものであって販売していないというけど)はいくつか種類があって、リテール版・DSP版・OEM版・VL版が代表的なライセンス形態。
リテール版はどんなパソコンや仮想環境でも1台のデバイスにつき1つのインスタンスまでインストールOKな単体販売のライセンス。高いやつ。
DSP版は自作パソコンやってる人にはおなじみの簡易的なパッケージで売られているライセンスで、単体販売は認められていないのでパーツとセットで購入・使用する必要がある。ライセンスがセットで買ったハードウェアに紐づいているもの。新規インストールまたはプレインストール限定。リテールよりは安い。(8/8.1の時には単体販売されていたこともある)
OEM版はパソコンメーカー向けにMicrosoftが大量に卸しているライセンスで、OEMが作ったパソコンにプレインストールする形で工場出荷したものに限って使用が許諾されているもの。中古PCとかに入っているのはだいたいこれ。ライセンスはPCと紐づいているので、出荷時にインストールされていたものなら所有者が変わってもOK。数が多いので安い。
VL版は主に企業向けにMicrosoftが卸しているライセンスで、購入した組織内に限って使用が許諾されているもの。数が多いので安い。
DSP版はLANカードみたいな安くて毒にも薬にもならんようなパーツとセットで売られることが多い。パーツとセットのライセンスなので、例えばLANカードと一緒に買ったDSP版を、セットで購入したLANカードが入っていないPCにインストールして使うのは使用許諾違反。正規品で認証も通って使えるけど使用許諾違反。
セット購入したLANカードを付けたPCにDSP版をインストールしているんだけどLANカード以外のハードウェア構成がごっそり変わってしまった場合には、正規品で使用許諾も守ってるのに認証が通らないということもある。この場合はMicrosoftのサポートに連絡が必要なこともある。正規品でライセンスも守っているなら何とかしてくれる。Microsoftアカウントに紐づけとくと便利。
OEM版は工場出荷時のPCに紐づいているので、正規品のライセンスキーでもほかのPCで使うのは使用許諾違反。
いや、星5はいるよ
ちょうどスタートダッシュキャンペーンと重なってるから最初の石はちょっと多かった
ただ宝物庫とか種火の周回にはあまり多く時間が取れないからどうしても低レベル行軍になってしまうんだ
第六特異点あたりだと最初に出てくる目玉から全滅しちゃうぐらい低かったし、セラフ復刻の告知も既にされてたからなりふり構わず突っ込むしかなかった
第七特異点ティアマトあたりのイベントを流しでやらないといけないのは本当に残念だったぞ。ラフムで全滅するし。
最初の星5は青王で、年初のバビロニアピックアップでエルキドゥが引けた
それぐらいレベル差あった
第一部やセラフやってるときはまだ配布鯖のほうが戦力として相当期待できたんだよね
何より足りなかったのは時間
種火回収する時間が取れればもう少し余裕持てたんだと思う
大学生相当になったので、親に頼み込んで奨学金を貰って一人暮らしをする許可を貰ったのが2年前の年度末だった気がする。
1年半ほど一人暮らししたのでその記録というか反省なんかをば。
一人しかいない部屋で好きな音楽やラジオを流しながら本を読んだりプログラミングしたりするのはなかなかに良い心地だった。
学校に通いつつリモートワークでアルバイト、研究したり機械学習の勉強をした。友達と飲みに行ってみたり、女の子誘って飯行ったり。
一人の部屋に帰ってくると寂しかったけど、プログラミングしたり勉強したりして不思議と寂しくなんて無かった。でも彼女欲しい...。
エッチなコンテンツも常識的な範囲で自由に楽しめる。上の階は足音とギシギシ音がうるさかったけどまあ住めば都ってなもんです。
その一方で、一人暮らししてみたらただ単に暮らしていくことがこんなにも大変なことかと痛感した。
食費、光熱費、家賃、生活必需品、出費出費と金は出ていくばかりで管理が追いつかない。
奨学金は月8万円、苦しいながらバイトの給料と合わせてギリギリ暮らせた。貯金?知らない子ですね...。
自分のことくらい自分で出来て当たり前、当たり前だけど結構難しいってこういうことかーとか、親ってこんなことやってたのかーって22歳にもなってようやく現実として認識した。
父さん、母さんありがとう。
自分でご飯作らないと腹が減るし、洗濯しないと汗臭いオタクが数日もしないうちに完成する。オタクは服を洗濯してちゃんと風呂に入って身体をきれいにしろ(自戒)。
当たり前だけど、今まで自分が出来ていなかったことだ。この機会にちゃんと認識して実践出来たのはいい経験だったしこれから必要になるスキルだ。
とりあえず就職が決まって、親を安心させることが出来た。内定式の案内とか来て「あぁ、俺就職出来るんだぁ〜」とほわほわ考えてる。
一人暮らしをやめることになった。
理由は就職に際して引っ越す必要がでてきたので、その貯金的な意味合いが強い。
本当は一人暮らしの孤独さに耐えられなくなったから。さっき寂しくないって言ったのにね。だって実家の猫に会いたい...。
実家に帰ってもまあやることは変わらないだろう。
勉強して研究してバイトして、生活する。でも視点は少し変わった(気がする)。
待っててな猫、あと数日で帰るよ。僕のこと覚えてるといいな。
結論は最終項「みんな家族になりたい」に書いているんで、各項の見出しだけを読んでから最終項を読むのが最短ルートだ。
もちろん、全部読んでくれることにこしたことはないけれど、どこのだれが書いたかわからない約6000字の論考もどきに付き合ってくれる人はまれだろうから全部読んでくれた人にはすごく感激しちゃうよマジで。
『エロマンガ先生』にはいくつも奇妙なところがある。中高生なのに小説家・イラストレーターとして第一線で活躍しているのが奇妙だというのではない。現代日本を舞台にした中高生のラブコメなのに「学校」がラブコメ発生装置として使われず、それどころか学校がほぼ出てこないのが奇妙な点のひとつだ。
『エロマンガ先生』は「家」が舞台の中心であり、方向性でもある。これは長編のラブコメとしてはめずらしい。
1~8話、12話は和泉家、9話10話はエルフ大先生の別荘(家の延長)が舞台になる。出版社はたまに出てくる程度なのでラブコメ発生装置として機能しているとはいえない。
つまりこれは、もう学校はいらないという宣言をしているということだ。
原作は小説家が小説家について書いている小説家小説だ。しかし『エロマンガ先生』は小説家小説として奇妙だ。
通常の小説家小説には、小説家あるある、小説への熱意・展望・愚痴、小説論、作者自身の体験談らしきもの、などが書かれるものなんだけれど、『エロマンガ先生』にはいっさいそういったことが出てこず、歯の浮くような理想論しか語られない(あんなことを本気で思っている小説家はいない)。また、さまざまなライトノベルが出てくるけれど、どれも超有名どころばかりだ。ふつう、もっと自分の好みを推したり、もっとマニアックな作品をあげたりするものだけれど、そういったことをいっさいやらない。
以上の二点から『エロマンガ先生』は、本来的な意味で小説家小説をやる気がないとわかる。
では、なんのために小説家小説の枠組みを利用しているのか。それは話を二層仕立てにするためだ。
まず、疎遠気味だった正宗と沙霧をつないでくれたのは「小説内小説」だ。正宗は、沙霧のために最高の妹萌えを目指して「小説」を書き、沙霧はその「小説」のためにイラストを描くという関係になっていく。
エルフ大先生、ムラマサ先輩とも「小説内小説」によって関係が構築されている。正宗がエルフ大先生の「小説」のファンだということでふたりは仲良くなるし、ムラマサ先輩にいたっては正宗の「小説」がこの世で一番おもしろいとまで言い、かなり積極的に正宗にアプローチをかけていく。
正宗が沙霧に告白するきっかけをつくったのも「小説内小説」だし、ラノベ天下一武道会なんていう「小説内小説」どうしの闘いがあったりするし、ムラマサ先輩が敵意を向けていたのは正宗本人ではなく正宗の新作「小説」だし、エルフ大先生の別荘で合宿をすることになるのも「小説内小説」が根っこにある。
ストーリーの起伏は「小説内小説」に依るところがとても大きい。
ふつうラブコメでは、主人公とヒロインとの関係性(恋愛要素)でストーリーの起伏をつくっていくため、ときには喧嘩をしたり、すれ違いがあったりとマイナス方向に話をもっていく必要もある。
エロマンガ先生の場合は「小説内小説」がストーリーの起伏を担当してくれるから恋愛要素で起伏をつくる必要がない。その結果、超ウェルメイドで、甘々な恋愛のみを抽出することに成功している。マイナス方向の恋愛要素がなにもないのにラブコメとして成立している。これはすごい。
男女間の摩擦のない恋愛描写は批判もあるだろうけど、こんなにうまく抽出できている長編作品の例はすくなくともおれは知らない。
ふつう、ラブコメのエロシーンというのはおまけ要素だ。風でスカートがめくれて女の子のパンツが見えて「ムフ」となったり(ラッキースケベ)、露天風呂でヒロインたちが「***ちゃんの胸大きい~」と会話していたり(サービスカット)、というものだ。
『エロマンガ先生』のエロシーンは格がちがう。『エロマンガ先生』の場合はエロシーンも「本編」であり、ストーリーの進行を補助していく。
たとえば、一話を思い返してほしい。エロマンガ先生の生配信を見ていた正宗はエロマンガ先生が妹であることに気づき、配信を切らずに着替えようとしているエロマンガ先生をドアを叩いて全力で止め、ネット上に妹の裸を晒すことなく済んだというシーンがあった。これはラッキースケベの応用で、一話でもっとも重要なシーンだ。
三話の冒頭では、となりの無人の洋館からピアノの音が聴こえてきて、もしかするとオバケかもしれないと怖がる沙霧の頼みで、正宗がとなりへようすを見にいくと知り合いの少女作家が裸でピアノを弾いていたというシーンがあった。これもラッキースケベだ。エルフ大先生の名誉のためにも念を押しておくと、あれはエロシーンだ。エロと同時に話もすすむ。
このように『エロマンガ先生』のエロシーンは、ハプニングというかたちでストーリーの展開を補助する役割を果たしている。これに加えサービスカットも豊富だ。というかエロシーン・サービスカットのない回がなく、ものすごいサービス精神でもって甘々な恋愛を強化していく。
学校――人間関係の発生―→恋愛要素(人間関係、ストーリー、サービス)←―サービスを強化――エロ
【第二層】恋愛要素(サービス)←――――――――サービスを強化―――┐
↑ │
サービスを強化 │
│ │
【第一層】小説内小説(人間関係、ストーリー)←―ストーリーを補助――エロ
あと、これはおまけ程度の話なんだけれど、この作品、学校のシーンはほぼないのにヒロインがわざわざ制服を着て、主人公に見せにくるという奇妙なシーンがある。それも二回も。
普段は見られない、エルフ大先生とムラマサ先輩の制服姿が拝めるのはいい。けれど、ふつうだったら学校帰りという設定にでもしておけばいいのに、ヒロインふたり共に「男って制服が好きなんでしょう?だから、あなたのために着てきてあげたんだよ」というふうなことを言わせる。
とても奇妙なシーンだけれど、つまりこれは、もう学校はいらないと宣言したけれど、学校生活の面倒くさいところを取り除いた女子の象徴としての「制服萌え」は残っている、ということだ。
でも、もうちょっとだけ、おれの話はつづくんだ……。
智恵という幼なじみのキャラがいる。この幼なじみ、ほとんど活躍しない。「お嫁さんになってもいいよ」みたいなことを言うけれど、目立った活躍はそれくらいで、あとは正宗とラノベ談義に花を咲かせているだけだ。
また、エルフ大先生にお隣さんの感じがないことも気になる。お隣さんの感じがない理由はさまざまだ。初登場時にお隣さんではないこと、お隣さんらしい活躍を見せるのが三話から五話前半までの短い期間だけだということ、お隣さんのテンプレートをこなしていないこと(たとえば、朝起こしにくるとか、両親公認の仲になっているとか、いっしょに登校するとか)などが挙げられる。
幼なじみもお隣さんもさほど有効につかわれない。つまり、「となり近所」という公的領域も重要ではないということだ。
「学校」「となり近所」といった公的領域は重要ではない。では、『エロマンガ先生』のキャラたちは、なにを支えに生きているのだろうか。みんな我が強いし、仕事で成功しているから、自分ひとりの力で自立しているように見える。けれどそうではない。ましてや恋愛至上主義者の集まりでもない。
第八話「夢見る紗霧と夏花火」の終盤、こういうやりとりがある。
沙霧「ふつう……」
正宗「この家にみんなが集まってくれてさ、みんなで同じもの食べていろんなこと話して、おれはすげえ楽しかった。その分みんなが帰ったらシンとしちまったな」
沙霧「兄さん、寂しかったの? あのときの電話、なんだかおかしかったから……」
正宗「そうかもしれない。おれはね、ひとりでいるのが怖いんだ。おれの実の母親な、おれがひとりで留守番してるときに事故にあって帰ってこなかった。だから新しい家族ができて嬉しかった。情けないよな」
(花火の上がる音)
沙霧「やっとわかった。兄さんは家族がほしいんだ」
沙霧「私は兄さんを家族だなんて思ってなかったし、兄さんの妹になんてなりたくない。でも、しょうがないから、ちょっとだけ妹のふりをしてあげる」
おれが『エロマンガ先生』のなかでいちばん好きなシーンだ。でも、いい話だというだけではなく、とても重要なことを言っている。
複雑な家庭事情の結果、一軒家にふたりきりになってしまった正宗と沙霧が、どうやって家族になるか。それは第四話「エロマンガ先生」の終盤で提示されている。
正宗「なあ紗霧、おれにも夢ができたぞ。おれはこの原稿を本にする。たくさんの人たちをおもしろがらせて、バンバン人気が出て、楽勝で自立できるくらいお金も稼いで、そんでもってアニメ化だ!」
沙霧「それが兄さんの夢?」
正宗「ちがうちがう、こんなのは前準備だ。うちのリビングに大きな液晶テレビを買って、豪華なケーキにろうそく立ててさ、おまえを部屋から連れ出して、ふたりでアニメを見るんだ。おれが原作で、おまえがイラストを描いた、おれたちのアニメだ」
正宗が熱心に語る「うちのリビングに大きな液晶テレビを買って、豪華なケーキにろうそく立ててさ[……]ふたりでアニメを見るんだ。」というのは幸せな家庭のイメージそのものだ。そして、「おまえ(沙霧)を部屋から連れ出して」というのは、沙霧の閉じこもり克服=ふたりが家族になるための第一歩目という具体的なイメージを正宗はもっていることを示している。
正宗と沙霧だけではなく、エルフ大先生やムラマサ先輩も家族の夢をもっている。
エルフ大先生は第九話で「結婚」を強調した愛の告白をする。両親がプロポーズをした場所で、両親の幸せな結婚生活のイメージを、自分と正宗が築くてあろう幸せな結婚生活のイメージに重ね合わせる。ただ、父親とは幼いころに死別しているため、その幸せのイメージは淡い。
ムラマサ先輩も七話で、正宗に「わたし専属の小説家になれ」「印税のすべてをあげてもいい」と言い、後に愛の告白もする。セリフからは「ヒモ」のようなイメージが浮かんでくるけれど、見方を変えれば、世帯主の女が男を養うという家族といえる。
ただし、正宗と沙霧が共有している「仕事 → 家族」というとても明確なヴィジョンに比べて、エルフ大先生とムラマサ先輩のもつヴィジョンは不完全だ。エルフ大先生のは曖昧すぎるし、ムラマサ先輩のは一方的すぎる(そもそも無自覚だ)。ついでにいっておくと、智恵(幼なじみ)は「お嫁さんになる」というフワ~ッとしたことしか言えてないので蚊帳の外だ。
ここまでの話で「仕事 → 家族」という考え方はおかしい。「仕事+恋愛 → 結婚 → 家族」と考えるのが常識なのではないかと思う人もいると思う。
率直にいうと、家族をつくるのに恋愛・結婚をする必要はかならずしもない。『エロマンガ先生』において恋愛はおまけにすぎない。
前述したとおり、『エロマンガ先生』は小説内小説=仕事さえあれば人間関係を構築できるし、ストーリーがすすむし、家族の夢に向かって前進することができる。恋愛はあくまでサービス要素にすぎず、あってもなくても、なにも影響しない。つまり、おまけだ。
『エロマンガ先生』における各要素の重要度は「恋愛 < エロ < 仕事 < 家族」というふうになる(学校、となり近所は除外)。
このなかで恋愛はおまけだから簡単に省ける。エロはストーリーの補助をしてくれるけれど省こうと思えば省ける。仕事(小説内小説)はストーリーや人間関係などさまざまに絡んでいるので必須だし、家族は最終目標だ。
家族をつくる=(常識で考えれば)結婚する、ということに恋愛はいらないんじゃないかとおれは思っているし、国や会社やとなり近所が直接的に手助けしてくれるわけでもない。会社がしてくれるのはあくまで金銭的な補助のみであり、仕事をしていないとその恩恵にあやかれない。国はほんとうになにもしてくれない。仕事こそが最重要だ。おれは会社に生かされている。そして日々の辛い業務から離脱すべく、おれはマンガやアニメに没頭する……(宗教? 芸術? 知らない子ですね……)。
『エロマンガ先生』はこういったおれの(おれたちの、おまえたちの)現実をしっかりと的確に描きつつ、荒唐無稽なエロバカアニメを全力でやっているところがすばらしいところだ。
※追記 指摘のあった箇所を修正
### なぜ私の研究はつらいのか
最近,研究がつらい.終わって欲しいというよりはやっていて楽しくない,苦しいという気持ちに近い.
最近はつらいつらいとTwitter(の鍵垢)で呟いていることも多い.
しかし呟いたところで何も変わりはしないので,なぜ研究がつらいのか,自分なりに考えてみた.
一時は研究をやっている意味がわからないだとか言っていたけれどよくよく考えるとそれは副次的なものであることがわかった.
その結果を以下に述べる.
なぜ小中学校時代の話なのかと思われた方も多いだろう.理由は,研究がつらい原因を探った結果それは自分の人格と大きく関わっていることがわかったからである.読みたくない方は飛ばしてもらって構わない.
本当に怒られることが嫌いな人間だった.学校の規則は絶対に破らないし,「人が嫌がることはやらない」を過度に解釈してほとんど能動的に人とは関わることはなかった.(能動的に人と関わるとフレーミング問題並みに人が嫌がる可能性を考える必要がある)
ここから分かることは,どうやら自分はクズなほどに『傷つけたくない』しそれすなわち『傷つきたくない』らしいのである.飛んだエゴイズムである.
受動的な自分でも,部活に入ったりすれば友達ができるものである.さらに4年間同じクラスという都合上能動的に働きかけられる友人も増えていった.
さて,大学に入学すると,これまで受動的に生きてきた私にとっては試練の連続である.成り行きで何もせずとも友人ができていたため,友人の作り方がわからない.サークルに入ろうとも編入という微妙な立ち位置のせいで疎外感を感じ辞めてしまった.
しかしここで変わろうと決意したのだろう.学科の控え室に引きこもり,会話になるべく参加しようと試みた.おかげで会話に参加することには慣れ,初対面の人とも会話ができるようになってきた.
しかしここで結局は「傷つけたくない」「傷つきたくない」自分に悩むことになる.初対面の人とは話せるものの,話したことがある人との距離感がわからないのである.この人は話しかけられる距離なのか,この人がご飯に誘っているときについていっても良い距離なのか,この人はご飯に誘っても気分を害さずに来てくれるのか,この人は課題のペアに誘ってもいいと言ってくれるか,この人にリプライを送っても違和感はないのか,などが全くわからずにまた病むことになってしまった.ちょうど1年前の話である.
これまで長々しく人生を振り返ってきたが,鍵となるのは『傷つけたくない』『傷つきたくない』自分である.これらが呪いとなって自信を蝕むのである.
研究がつらくなった流れを振り返ってみる.
きっかけは11月,先輩方にテーマについてのアドバイスを伺った時であったと思う.
長い時には1時間以上ずっとテーマのダメなところについてツッコミをいただいた.
ここで自分が強い人間なら(まともな人間なら?)そのアドバイスに従ってテーマを改善していた(この場合大きくテーマを変えていた)だろう.
『ツッコミをいただいたのはテーマであって,テーマが悪いのである.自分が否定されているのではない』と意識ではわかっているつもりだった.
しかし私の無意識下には人を「傷つけたくない」論理,いわゆる『この世の全ての不利益は当人の能力不足』という論理が存在するらしく,次のように解釈されてしまったらしい.
こんなクズみたいな論理のせいで,『傷つきたくない』自分は大きなダメージを負ってしまった.もちろん先輩方は何も悪くないし先輩方こそが正しいのである.そのアドバイスを勝手に悪く解釈し凹んだ自分こそが悪い.
これで終わればまだ良かったものの,研究が手につかなくなり進捗は発生しないしMTGすらサボってしまった(遅刻ということにしたけれど)あたりからエスカレートしていく.その次の週のMTGが決定的で,ほとんど進捗がなかったことと先週の遅刻に加えて,このままじゃ卒論終わらないよと先生から指摘をいただいたのである.自分から見た先生はめちゃくちゃ怖かった.
自業自得そのものである.進捗を生まなかった自分が悪いしさらにはMTGをサボった自分が究極に悪い.このMTG後は涙目で実装の参考にする論文を読みながら退学する妄想が止まなかった.
この後は研究が非常につらくなった.自分のテーマが穴を抱えているという時点で(卒論提出まで時間がなく変更がきかない(と自分では信じ込んでいる))その欠点をいつ突っ込まれるかとビクビクしながら実装をしている.
最近は毎日のルーチンが面倒くさい.風呂に入るのも面倒だし入ったとこで出るのも面倒.寝つきも良くはないし朝起きれない妄想がつらく寝るのも面倒だし,朝はもちろん起きれない.
こんな状況もあってか2度目のMTG遅刻(=サボり)をしてしまった.もう半分先生には見放されてるんだろうなという気もする.どこまで被害妄想なのかはわからないけれど.
#### まとめ
すなわち,研究をつらくしているのはクズみたいな自分の人格なのである.
これを読んだ方は何も参考にならず自分語りをしているこの記事に失望したかもしれない.人を失望させる方がよっぽど人を傷つけているはずなのになぜこの記事を公開したのだろうか.
まあどんな卒論でも卒業はできるらしいので少しづつ進めていこうと思う.メンタル回復のため美味しいご飯を食べるようにしてみてもいいかもしれない(最近これが食べたいという食欲も沸かないけれど…).睡眠もしっかり摂るようにしてみよう(家が遠いので進捗を生むためには睡眠を犠牲にする必要があるけれど).もう一つ?知らない子ですね(そもそも同期とのコミュニケーションすら不安がっている自分にそれ以上ができるはずがない)
アドバイスができるとすれば実装前にテーマについてどこまでも議論しようということである.アイデアを出す段階ではテーマが否定されてもダメージは少なかったので,その時期にどこまで穴を無くせるかが勝負なのだと思う.
#### +α
そもそもこの人格では研究やっていけないどころかエンジニアとしてもやっていけないと思われた方も多いだろう(し自分もそう思っていて病みをエスカレートさせていた)
あるエピソードを紹介しよう.自分がとある企業に5日間のインターンシップに行った時である.機械学習周りでいくつか上司の方に言われた通りに実装を行った.ところが,最後の報告会で技術部のトップのような方からめちゃくちゃツッコミをいただいたのである.この時も涙目になりながら頷いていた. しかしこの後「絶対にもっと強いエンジニアになってやる」という気持ちが強く湧いてきたのである.
なぜ研究がつらい例とこの事例では最終的な結末が異なるのか.これはまだ私もわかっていない.卒論を終わらせたら何か分かることがあるかもしれない.ならば進捗を産むしかないだろう.いつかそれが分かる時が来ると信じて.