2018-03-04

エロマンガ先生』論:度重なる奇妙さとその正体について

※おれは原作を読んでおらず、アニメを全話視聴しただけ、つまり原作三巻までの内容しか知らない。
※『エロマンガ先生』という表記は、原作ではなくアニメ作品を指す。

この論考もどきの楽な読み方について

結論は最終項「みんな家族になりたい」に書いているんで、各項の見出しだけを読んでから最終項を読むのが最短ルートだ。

もちろん、全部読んでくれることにこしたことはないけれど、どこのだれが書いたかからない約6000字の論考もどきに付き合ってくれる人はまれだろうから全部読んでくれた人にはすごく感激しちゃうマジで


ラブコメ発生装置として学校を使わない=もう学校はいらない

エロマンガ先生』にはいくつも奇妙なところがある。中高生なのに小説家イラストレーターとして第一線で活躍しているのが奇妙だというのではない。現代日本舞台にした中高生ラブコメなのに「学校」がラブコメ発生装置として使われず、それどころか学校がほぼ出てこないのが奇妙な点のひとつだ。

エロマンガ先生』は「家」が舞台の中心であり、方向性でもある。これは長編ラブコメとしてはめずらしい。

1~8話、12話は和泉家、9話10話はエルフ大先生の別荘(家の延長)が舞台になる。出版社はたまに出てくる程度なのでラブコメ発生装置として機能しているとはいえない。

まりこれは、もう学校はいらないという宣言をしているということだ。

まったくもって小説家小説ではない

原作小説家小説家について書いている小説家小説だ。しかし『エロマンガ先生』は小説家小説として奇妙だ。

通常の小説家小説には、小説家あるある小説への熱意・展望愚痴小説論、作者自身体験談らしきもの、などが書かれるものなんだけれど、『エロマンガ先生』にはいっさいそういったことが出てこず、歯の浮くような理想論しか語られない(あんなことを本気で思っている小説家はいない)。また、さまざまなライトノベルが出てくるけれど、どれも超有名どころばかりだ。ふつうもっと自分の好みを推したり、もっとマニアック作品をあげたりするものだけれど、そういったことをいっさいやらない。

以上の二点からエロマンガ先生』は、本来的な意味小説家小説をやる気がないとわかる。

ストーリー人間関係は「小説小説」にたくし、恋愛はおいしいところだけを抽出する

では、なんのために小説家小説の枠組みを利用しているのか。それは話を二層仕立てにするためだ。

第一層目は、「小説小説」(作中でキャラたちが書いた小説)を媒介とした人間関係の構築とストーリーの起伏だ。

まず、疎遠気味だった正宗と沙霧をつないでくれたのは「小説小説」だ。正宗は、沙霧のために最高の妹萌えを目指して「小説」を書き、沙霧はその「小説」のためにイラストを描くという関係になっていく。

エルフ大先生、ムラマサ先輩とも「小説小説」によって関係が構築されている。正宗エルフ大先生の「小説」のファンだということでふたりは仲良くなるし、ムラマサ先輩にいたっては正宗の「小説」がこの世で一番おもしろいとまで言い、かなり積極的正宗アプローチをかけていく。

すべては「小説小説」でつながっている。

正宗が沙霧に告白するきっかけをつくったのも「小説小説」だし、ラノベ天下一武道会なんていう「小説小説」どうしの闘いがあったりするし、ムラマサ先輩が敵意を向けていたのは正宗本人ではなく正宗の新作「小説」だし、エルフ大先生の別荘で合宿をすることになるのも「小説小説」が根っこにある。

ストーリーの起伏は「小説小説」に依るところがとても大きい。

第二層目は、おいしいところだけを抽出した甘々な恋愛要素だ。

ふつうラブコメでは、主人公ヒロインとの関係性(恋愛要素)でストーリーの起伏をつくっていくため、ときには喧嘩をしたり、すれ違いがあったりとマイナス方向に話をもっていく必要もある。

エロマンガ先生場合は「小説小説」がストーリーの起伏を担当してくれるから恋愛要素で起伏をつくる必要がない。その結果、超ウェルメイドで、甘々な恋愛のみを抽出することに成功している。マイナス方向の恋愛要素がなにもないのにラブコメとして成立している。これはすごい

男女間の摩擦のない恋愛描写批判もあるだろうけど、こんなにうまく抽出できている長編作品の例はすくなくともおれは知らない。

やたらと凝っているエロシーン

ふつうラブコメエロシーンというのはおまけ要素だ。風でスカートがめくれて女の子パンツが見えて「ムフ」となったり(ラッキースケベ)、露天風呂ヒロインたちが「***ちゃんの胸大きい~」と会話していたり(サービスカット)、というものだ。

エロマンガ先生』のエロシーンは格がちがう。『エロマンガ先生』の場合エロシーンも「本編」であり、ストーリーの進行を補助していく。

たとえば、一話を思い返してほしい。エロマンガ先生の生配信を見ていた正宗エロマンガ先生が妹であることに気づき配信を切らずに着替えようとしているエロマンガ先生をドアを叩いて全力で止め、ネット上に妹の裸を晒すことなく済んだというシーンがあった。これはラッキースケベの応用で、一話でもっと重要なシーンだ。

三話の冒頭では、となりの無人洋館からピアノの音が聴こえてきて、もしかするとオバケかもしれないと怖がる沙霧の頼みで、正宗がとなりへようすを見にいくと知り合いの少女作家が裸でピアノを弾いていたというシーンがあった。これもラッキースケベだ。エルフ大先生名誉のためにも念を押しておくと、あれはエロシーンだ。エロと同時に話もすすむ。

このように『エロマンガ先生』のエロシーンは、ハプニングというかたちでストーリーの展開を補助する役割果たしている。これに加えサービスカット豊富だ。というかエロシーン・サービスカットのない回がなく、ものすごいサービス精神でもって甘々な恋愛を強化していく。

エロマンガ先生構造をまとめるとこうなる。

一般的な学園ラブコメの一例

学校――人間関係の発生―→恋愛要素(人間関係ストーリーサービス)←―サービスを強化――エロ

エロマンガ先生場合

【第二層】恋愛要素(サービス)←――――――――サービスを強化―――┐

      ↑                           │

     サービスを強化                      │

      │                           │

第一層】小説小説人間関係ストーリー)←―ストーリーを補助――エロ

学校は出てこないのに制服ちゃんと出てくる

あと、これはおまけ程度の話なんだけれど、この作品学校のシーンはほぼないのにヒロインがわざわざ制服を着て、主人公に見せにくるという奇妙なシーンがある。それも二回も。

普段は見られない、エルフ大先生とムラマサ先輩の制服姿が拝めるのはいい。けれど、ふつうだったら学校帰りという設定にでもしておけばいいのに、ヒロインふたり共に「男って制服が好きなんでしょう?だからあなたのために着てきてあげたんだよ」というふうなことを言わせる。

とても奇妙なシーンだけれど、つまりこれは、もう学校はいらないと宣言したけれど、学校生活の面倒くさいところを取り除いた女子象徴としての「制服萌え」は残っている、ということだ。

ここまでの話を三行でまとめる

エロマンガ先生』とは!?
学校なんていう公的領域は信じられない!!
信じられるのは己の仕事と、楽しい恋愛描写オナニーのためのエロネタ制服萌えだ!!というアニメ

でも、もうちょっとだけ、おれの話はつづくんだ……。

幼なじみキャラのあまり空気感山田エルフのお隣さん感のなさ

学校もいらないけど、「となり近所」もたいして重要じゃない。

智恵という幼なじみキャラがいる。この幼なじみほとんど活躍しない。「お嫁さんになってもいいよ」みたいなことを言うけれど、目立った活躍はそれくらいで、あとは正宗ラノベ談義に花を咲かせているだけだ。

また、エルフ大先生にお隣さんの感じがないことも気になる。お隣さんの感じがない理由はさまざまだ。初登場時にお隣さんではないこと、お隣さんらしい活躍を見せるのが三話から五話前半までの短い期間だけだということ、お隣さんのテンプレートをこなしていないこと(たとえば、朝起こしにくるとか、両親公認の仲になっているとか、いっしょに登校するとか)などが挙げられる。

幼なじみもお隣さんもさほど有効につかわれない。つまり、「となり近所」という公的領域重要ではないということだ。

みんな「家族」になりたい

学校」「となり近所」といった公的領域重要ではない。では、『エロマンガ先生』のキャラたちは、なにを支えに生きているのだろうか。みんな我が強いし、仕事成功しているから、自分ひとりの力で自立しているように見える。けれどそうではない。ましてや恋愛至上主義者の集まりでもない。

第八話「夢見る紗霧と夏花火」の終盤、こういうやりとりがある。

正宗打ち上げ、楽しかたか?」

沙霧「ふつう……」

正宗「この家にみんなが集まってくれてさ、みんなで同じもの食べていろんなこと話して、おれはすげえ楽しかった。その分みんなが帰ったらシンとしちまったな」

沙霧「兄さん、寂しかったの? あのとき電話、なんだかおかしかったから……」

正宗そうかもしれない。おれはね、ひとりでいるのが怖いんだ。おれの実の母親な、おれがひとりで留守番してるとき事故にあって帰ってこなかった。だから新しい家族ができて嬉しかった。情けないよな」

花火の上がる音)

沙霧「やっとわかった。兄さんは家族がほしいんだ」

正宗「うん、おれは家族がほしい」

沙霧「私は兄さんを家族だなんて思ってなかったし、兄さんの妹になんてなりたくない。でも、しょうがいから、ちょっとだけ妹のふりをしてあげる」

おれが『エロマンガ先生』のなかでいちばん好きなシーンだ。でも、いい話だというだけではなく、とても重要なことを言っている。

正宗は沙霧と「家族」になりたい。そして、沙霧も正宗「家族」になりたい。でも、いまふたり「家族」ではない。

複雑な家庭事情の結果、一軒家にふたりきりになってしまった正宗と沙霧が、どうやって家族になるか。それは第四話「エロマンガ先生」の終盤で提示されている。

正宗「なあ紗霧、おれにも夢ができたぞ。おれはこの原稿を本にする。たくさんの人たちをおもしろがらせて、バンバン人気が出て、楽勝で自立できるくらいお金も稼いで、そんでもってアニメ化だ!」

沙霧「それが兄さんの夢?」

正宗「ちがうちがう、こんなのは前準備だ。うちのリビングに大きな液晶テレビを買って、豪華なケーキにろうそく立ててさ、おまえを部屋から連れ出して、ふたりアニメを見るんだ。おれが原作で、おまえがイラストを描いた、おれたちのアニメだ」

正宗が熱心に語る「うちのリビングに大きな液晶テレビを買って、豪華なケーキにろうそく立ててさ[……]ふたりアニメを見るんだ。」というのは幸せな家庭のイメージのものだ。そして、「おまえ(沙霧)を部屋から連れ出して」というのは、沙霧の閉じこもり克服=ふたり家族になるための第一歩目という具体的なイメージ正宗はもっていることを示している。

まり正宗ヴィジョンはこうだ。ふたり作家イラストレーターとして協力して仕事成功させる、その成功は「家族になりたい」という夢につながる。
単純化すれば「仕事 → 家族」というヴィジョンだ。 

正宗と沙霧だけではなく、エルフ大先生やムラマサ先輩も家族の夢をもっている。

エルフ大先生は第九話で「結婚」を強調した愛の告白をする。両親がプロポーズをした場所で、両親の幸せ結婚生活イメージを、自分正宗が築くてあろう幸せ結婚生活イメージに重ね合わせる。ただ、父親とは幼いころに死別しているため、その幸せイメージは淡い。

ムラマサ先輩も七話で、正宗に「わたし専属小説家になれ」「印税のすべてをあげてもいい」と言い、後に愛の告白もする。セリフからは「ヒモ」のようなイメージが浮かんでくるけれど、見方を変えれば、世帯主の女が男を養うという家族といえる。

主要キャラはみんな家族の夢を支えに生きている。

ただし、正宗と沙霧が共有している「仕事 → 家族」というとても明確なヴィジョンに比べて、エルフ大先生とムラマサ先輩のもつヴィジョンは不完全だ。エルフ大先生のは曖昧すぎるし、ムラマサ先輩のは一方的すぎる(そもそも無自覚だ)。ついでにいっておくと、智恵(幼なじみ)は「お嫁さんになる」というフワ~ッとしたことしか言えてないので蚊帳の外だ。

ここまでの話で「仕事 → 家族」という考え方はおかしい。「仕事+恋愛 → 結婚 → 家族」と考えるのが常識なのではないかと思う人もいると思う。

率直にいうと、家族をつくるのに恋愛結婚をする必要はかならずしもない。『エロマンガ先生』において恋愛はおまけにすぎない。

前述したとおり、『エロマンガ先生』は小説小説仕事さえあれば人間関係を構築できるし、ストーリーがすすむし、家族の夢に向かって前進することができる。恋愛あくまサービス要素にすぎず、あってもなくても、なにも影響しない。つまり、おまけだ。

エロマンガ先生』における各要素の重要度は「恋愛 < エロ < 仕事 < 家族」というふうになる(学校、となり近所は除外)。

このなかで恋愛はおまけだから簡単に省ける。エロストーリーの補助をしてくれるけれど省こうと思えば省ける。仕事小説小説)はストーリー人間関係などさまざまに絡んでいるので必須だし、家族は最終目標だ。

よって「仕事 → 家族」が成立する。


結論エロマンガ先生』はこういうアニメだ。

家族になりたい」という夢を叶えてくれるのは学校やとなり近所といった公的領域ではないし、家族をつくるために恋愛をする必要はかならずしもない。家族の夢を叶えてくれるのは己の仕事のみであり、その仕事に耐えるために100%甘々な恋愛エロネタ制服萌えといった癒やしが必要だ。

おれは『エロマンガ先生』に共感してしまう。

家族をつくる=(常識で考えれば)結婚する、ということに恋愛はいらないんじゃないかとおれは思っているし、国や会社やとなり近所が直接的に手助けしてくれるわけでもない。会社がしてくれるのはあくま金銭的な補助のみであり、仕事をしていないとその恩恵あやかれない。国はほんとうになにもしてくれない。仕事こそが最重要だ。おれは会社に生かされている。そして日々の辛い業務から離脱すべく、おれはマンガアニメに没頭する……(宗教? 芸術? 知らない子ですね……)。

エロマンガ先生』はこういったおれの(おれたちの、おまえたちの)現実をしっかりと的確に描きつつ、荒唐無稽エロバカアニメを全力でやっているところがすばらしいところだ。

※追記 指摘のあった箇所を修正

  • これはpotatostudioのブコメに大体同意 いやポストモダンは知らんけど 原作者はもういくつかアニメ化作品を出してる老練な作家なんで、エロにせよ家族という(最終的なオチをつけるため...

  • なぜ「家族になりたい」のかという点までパラフレーズしてほしかった。

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