はてなキーワード: miXiとは
日曜にめずらしく妻も子供も早々にぐっすり寝て自分の時間ができた。
Youtubeでだらだた動画を観るのにも飽きて、久しぶりに昔のものでもみるかーと、クローゼットの奥に眠っているブルーレイやDVDを漁っていた。
目に留まったのは、けいおんの1st Liveブルーレイだった。
もう10年前、当時は時間はあるけど金はない大学生で、けいおん一期の第四話にぐらいから何気なく見始めて衝撃を受けて、今でいう沼にハマったのを少し思い出した。
ブルーレイを50型のテレビ再生して、家族は寝ているので仕事で使うAir pods proを使用して観始めた。
そして同時に当時の自分の熱狂とも言える想いが次々に蘇ってきた。
とにかくけいおんのブルーレイが欲しくて、ブルーレイ搭載のBTO PCを買うために死ぬほどバイトしたこと。
とにかくけいおんのブルーレイが欲しくて、バイトしまくって留年かも?が留年確実となったこと(そして実際留年した)
けいおん1st Liveの抽選にことごとく外れ、絶望的な気持ちのなか、mixiのけいおんコミュで相方が行けなくなったという方に自分のけいおんへの想いをストレートに綴ったら、チケットを譲ってくれたこと。
譲ってくれた方は社会人で、ライブの二期発表に二人で心から喜んで抱き合って発狂したこと、そのあと横アリの近くのうなぎ屋でうなぎ奢ってもらってライブの想いや自分の考え熱く語ったこと。クソ大学生だった自分からすると神様のような目上の方で、心の底から楽しい時間だったこと。
崩れなかった豊崎愛生が最後のふわふわ時間で泣いた瞬間、自分もその社会人の人も泣いた、それぐらいの一体感だった。
ふわふわ時間の紬(寿美菜子)のキーボードと顔に絶頂の気持ちを迎えたのは社会人の人も一緒だった。それが楽しかった。
TBSアニメフェスタ行ったり、Merumoでメルマガ配信し始めたり、彼女が出来そうなチャンスをけいおんに全振りしたり、バイト仲間とけいおんの勉強会したり、したり、したり。
GO! GO! MANIACを初めて聞いた瞬間の衝撃、OP映像のすばらしさにひっくり返った記憶。
二期の作画クオリティに舌を巻き、じっくりと描く3年生編に胸が高鳴り、一話一話のすばらしさに毎話毎話マジで正座して観ていたこと(正座待機、マジであるんですわ)
GO! GO! MANIACのCD発売前にニコニコでみんながFULLバージョンを自作していたとき。FULLじゃなくてFULIなんですよね。Cagayake!GIRLSから音引っ張ってくる人とか天才かなと思った。
終盤、最後の文化祭ライブの会は本当に涙が止まらなかったし、こんなに素晴らしい作品を生み出してくれた全ての人に感謝するメタ思考と、HTTみんなに感情移入する目線がごっちゃになってぐしゃぐしゃになっていた。
この時泣いてなかった梓が最後の天使にふれたよで大粒の涙をこぼすのはもうだめだった。自分の中の何かが変わる気がした。
2nd Liveは規模が大きくなったし、雰囲気も1stと違ったけど、自分にとって大切なライブだったなと思った。ときめきシュガーで澪(日笠陽子)がセンターステージでリズム取れなくなってぐちゃった時に唯(豊崎愛生)がフォローしてるのとか最高だったし、最初から最後まで(マジで早朝の物販列からさいたま新都心の魚民での打ち上げまで)最高だった。
余談ですが、自分はライブ後のさいたま新都心の魚民の生ビールが世界で一番うまいと当時思ってました。
その後一ヶ月もしないうちに東日本大震災で生活環境が一気に変わり、就職、働きだすと不思議とそのときの熱い思いや1日が72時間あったような感覚は失せ、映画版けいおんにもそれほど熱中できずサラリーマンとして頑張る日々になっていきましたとさ。
今考えれば不思議など、自分の時間の中心がけいおんで、でも充実した日常生活を送っていて、今の自分からすると1日72時間ぐらいあったんじゃない?ぐらい濃い日々を送っていたなと思いだした。
テレビなんか持ってなかったし、素晴らしいノイズキャンセリングイヤホンも持ってなかったし、金も全然なかったし、勉強も全然ダメで、女にもモテなかったのになんであんなに楽しかったんだろう。実家で生活していて家族との折り合いをつけつつ深夜アニメ見るのも大変だった(実家から大学通っていた)。
あの時「自分はこれがないなー」と思っていたものが全部手元にあるのに、それと対価にならないほど素晴らしい熱い思いや素晴らしい作品は今ないなと、思ってしまうサラリーマンなわけです。
あの時はクラウドバックアップもなくて、写真も思い出もメールもガラケーやiphone4と一緒に消えてしまったけど、こうやって昔の映像を観ることで思い出せるのっておもしろいなとおもった30代でした。人間こうやって大人になっていくんですかね?昔の思い出にすがるのダセーよなwwwとか20代のころ思ってたんですけど、すみません、こんな輝かしい思い出、自分には捨てることができませんでした。他の人に熱く語りたいけどそうもいかないのではてな匿名ダイアリーにぶちまけるんですけどね!
コロナが流行って転職を考えるものの家族がいる中で悶々としている今の自分にとって、約10年前の熱い思いをおもいださせてもらったのでぶちまけてみたわけですが、気持ちが前向きになったとか自分の心の支えはけいおんとか、そんな陳腐なことばの前に、けいおん観たことないひとはみた方がいいですって。あなたに合わないかもしれないけど、もしあったらあの時の自分のような、もしくは今の自分のような前向きな気持ちを持てるかもしれないので!!!!!
けいおんだいすき。
最近、ジェネレーションギャップ的なものを感じる
自分は20代半ばになるんだが、5~6歳下の年の人と話しているとどうもPCの扱いが苦手な人が多い印象がある
勿論そんな世代の中にも自作プログラミング言語の処理系を作り上げてしまう天才やフロントエンドでもう現役で働いていけるんじゃないかってほどの技術を持った人は居るんだけど、その一方でWindowsの操作がおぼつかない、みたいな人も見る
子供世代からいじりまわしてきたデバイス・ガジェットの中央値が変わったんだろうなぁとつくづく思うようになった
Mac慣れしててWindowsは分からないとか、スマホはすごく触ってるけどPCは殆ど触ってない、みたいな中央値のギャップを感じる
VTuberなんかも、中の人の世代はどうも自分と同じか少し上ぐらいの世代が多くて、ターゲットも広げようという意思を感じる人も居るがたいていの場合視聴者層の中央はニコニコ動画、2ch、mixi、アメーバ、etc...の時代を通ってきた人のように思える
上の世代にIT頓珍漢な人がいるって話もよく上がるけど、下に深い溝が見えてきてるというか、ギャップを感じるようになってきたのは自分だけだろうか?
文章自体書くことが無かったので、文章もおかしい所が多々あると思う。
それでも今の気持ちを吐き出す場所がなかったので、ここで吐き出させてもらう。
タイトルの通り、先週の土曜日に9年間半同棲中の彼女が荷物を残したまま音信不通になってしまった。
半同棲中と書いたのは彼女には子供がおり、面倒を見るためにたまに家に帰ってこない事があったり、
夜に仕事をしていて昼間にも帰らない事もあるので、週に3回ほど家にいるからだ。
だから家に帰ってこない事自体は普通で知らない間に海外に行くぐらいなので、そういう時も不安にはなりはしたが、連絡は取れていたので問題なかった。
しかし今回は土曜の朝に普通に連絡がきていて、iMessageで返信したが配信済にもならなかった。
もちろん携帯電話に電話しても「電源が入っていないか電波が(ry」のメッセージで電源が入っていないようだった。
そのまま月曜になり、いくらメッセージを確認しても配信済にならず電源が切れているままのようで不安になり、事件に巻き込まれたのではないかと彼女の苗字で検索ばかりしている。
そして今も連絡はとれず携帯の電源も入っていないようだ。
もう30手前だが、人に言える趣味や特技といったものが何一つない。
部活には入らず帰ってネット三昧。Twitterと2chとmixiの往復。
アニメやゲームは中学生までそこそこハマってたけどそれすらやる気がなくなった。
アニメなら「これ一話見るのに25分か…」という抵抗を感じてしまって1ツイート10秒で楽に読めるTwitterに流れてしまう。それを何十分も繰り返す。
楽しいかと言われると、まあそこそこ楽しい時はあるけどそうでない時の方が多い。
同じ25分を過ごすならTwitterよりもアニメ見たり本読んだりしたほうが実りがあると思うのだが、始める前の抵抗が大きく感じてしまう。
こういう質問は本当に困る。好きなものを語れるほど気力を持ってコンテンツを摂取していない。
オタクって本当に凄いと思う。
アニメ一作品が何十話もあることに圧倒されるのにそれを毎クール何作品も見ているし、何十巻もある漫画を読んでる。
だから偉いってわけではないけど、自分には何もないと思ってしまう。
30手前にもなると自分のような薄い人生でもいいじゃないか、とも思えてきたが、感受性豊かな時期にもっと色々やっておけばよかった。
Twitterで特定の趣味界隈のフォロー・フォロワーのクラスタの輪にすこし入って入るものの、「質問に答えます!」とかのキャッキャウフフ交流の流れが生じたときに、自分から質問に行けば答えてはくれるが、自分が「質問に答えます!」とかの「ツッコミが来る前提でのボケ」をしても何も来なくてスベってしまう。mixiのコピペになる。コミュニケーションが成立しない。
人との距離を縮めようと一歩踏み出して、会話のボールを投げても、投げ返してくれる人がいつもいなくて、みじめになって引き返すんだ。
「欲しいと願って行動に出ても、手に入らないので、やがて欲しがるのをやめた」なんだよな。学習性無力感。
普通の人はいったいどうやってコミュニケーションを成立させているのか、まるでエスパーにしか見えない。自分には見えない「何か」を使って、アイコンタクトのようなものをして通じ合っているようにしか見えない。単に自分が嫌われているだけなのか。日頃の行いが悪くてハブられているのか?
そのへんが発達障害(ASD傾向)なんだろうなあ。と。でも、同じく傾向のあるにゃるらさんはインターネット人気者なの、その差は何なんだろうな。わからない。
いや努力が足りない、「行動に出た」とは言えない、ただねだってるだけであって「勝ち取る」レベルまで行動に出てないのだ。と言われればそうかも知れない。その捻出するだけの気力が果たして自分に残されているのだろうか。
現状の距離の把握がうまくできていないのか、距離を縮めるためのボールの投げ方がヘタクソなのか。その両方だと思うが。
逆に言えば、「投げられたボールを適切に投げ返していないだろ?」と言われればそうかも知れない。シェアハウスのチャラい人に「ゲームとかやるんすか?」って軽く聞かれたとき、ギャルゲー!とか答えられない相手だし、ギコチなく無難にswitchのスプラトゥーンをやりたくて買ったんすよね~って硬く答えたけども、嫌そうに答え過ぎたのかな。なんか、それ以降あまり話しかけられなくなった。いや話しかけて貰えたこと自体は嬉しいけど、オタク・プロトコルが通用しなさそうな人間との雑談って難しいじゃん・・。っていう問題だと思う。オタク以外と何の話すればいいんですか?
たぶん「話しかけやすい雰囲気づくり」に失敗してるんかなあ。リアルでも、ネットでも。
なんか自分はよく知らないけど、「会社の上司とFacebookでフレンドになっていると、上司が日記を書いたら必ず巡回していいねしないと怒られるから仕方なくやってる」みたいなバッドなカルチャーがあるのを聞いたことあるけど、そんなの今もあるのだろうか。自分はその上司と同じ心理になってしまっていないだろうか。
もうさ、まどろっこしい、伝わっているかよくわからない、誰かに読まれているのかよくわからない(誰も読んでない)テキストを書くよりは、面と向かってボイスチャットすりゃいいじゃん。やっぱ対面で話すの大事だわ。「聞いてない」が発生しないから。かならずキャッチボールになる。
電話が発明されたとき、人は会わなくなるだろうと予測したが、実際には会う約束に使われた。という逸話と同じで。
べつにテキストチャットが悪者ってワケではなくて。Twitterがシャドウバンや検索漏れなどで意思疎通を不可能にしてるから疑心暗鬼なだけで。iMessageでもLINEでもDiscordでも、ふつう「テキストが届かないことがある」なんてことはあり得ないからね・・・。Twitterだけは「このテキストメッセージは伝わってるんだか、伝わってないのかよくわからない」ので、よくわからなくなる。ぶっちゃけありえない。
どういった心づもりで居たらよいのかが、よくわからない。期待していいのか、期待するほうがバカなのか、しかし欲求と期待をなにも発揮せずに人生過ごせとかいうの無理じゃん。Twitterに期待するのがバカなのか。あなたを信じたわたしがバカなのか。
検索漏れとシャドウバンはTwitter特有の疲れを発生させるんですよ。ほかのSNS疲れとは性質が異なる疲れ方なんですよね。ハッシュタグの中にほぼ同じ動画の切り抜きを上げてるのに、なぜかいつも自分は反応されず、他の人のほうが反応されているのは、自分が「多くの人のハッシュタグ検索から見えづらくされている」としか考えられないんですよね、陰謀論ですか?
↓この神経逆なで公式ツイートにぶら下がる怒りのリプライをご覧ください
Twitterがシャドウバンを行っていると指摘されますが、現在も過去にも行ったこともありません。ただ、利用者の皆さんがより快適に利用できるように、ツイートのランク付けを行っています(トップツイート表示の場合)。なお、皆さんがフォローしているアカウントのツイートは常に表示されます。— Twitter Japan (@TwitterJP) June 15, 2020
「知り合いとの1vs1のチャット」
「知り合いのとの1vs多のグループチャット」
それぞれ、やっぱ心づもりって変わってきますよね。
スマホ見てスイッター、インスタ、スマニュ、(た、たまに)はてブ見るけどさ、
結局どれ見れも「いや●●だろ~」「あーあの人●●なんだぁ~」的なくらいしかなくない?
なんかまぁ面白いんだけどなんか刺激なくない?
それでも発信してる人って凄いよね。インスタ・ライン・ツイッター大体セットじゃん?
俺も駆け出し経営者だけどアカウント持ってても正直つぶやいたりできないよ。
やれつぶやいたら自慢と思われるだろとか、企業としてはお堅い事しか言えないとか面白くないし
誰も見ないでしょそんなのってゆ~先入観あるし。自分でも経営者言う必要なくね?とか思うし。
俺には無理だな~とか思うけど、振り返ってみればmixiの赤いメッセージとかfacebookの
赤いアイコンでメッセージきたりしたの嬉しかったな~とか思い出してやろうかなぁーと思うわけよ。
(mixiの赤いメッセージというだけでもうオッサン確定だよなぁ~)
でも今この文章書いててもすんごぉ~く悩むわけよ。そら会社で仕事してたり帰ってからPC業務してるより
よっぽど創造的でルーチンワークでもない、でも新鮮な気持ちになる。そらコメントもつかないだろうと承知している。
でもでも書くことによって凄い自分が考えてた事がオープンになるって不思議な感覚。
共有してもらいたい訳でもないけど(否定は嫌だけど)自分の気持ちを吐き出すって良いですよと酔いの勢いで書いた。
所要時間:30分
Vtuberの話にしろ他サービスの配信サービスの配信者のことにしろニコ生配信者の真似とかいうのアホっぽいからやめたほうがいいよ
一般人の生配信文化は動画配信はPeercastだとかでニコ生でできる事の大半は既にやってた。むしろ規約もクソも無いから無許可のアニメ実況配信だとかやりたい放題だったが…。
当然、企業提供のサービスとしても後発だし、ニコニコ動画の実況動画文化自体が明確に他所からの転載輸入がスタート
ニコ生発の配信者文化が全く無く、他サービスに影響無いとは言わないし、日本最大の動画コミュニティだったのに間違いはないが、ニコ生の真似って言ってて想定してる事の大半は別にニコ生発祥の文化でもなんでもないよ。
なんか、みんながカチンとくるようなこと書くけど、多分色々ブーイングくるだろうけど
小説書き続けるのがキツくなってきて、何か手がかりがほしいので書かせてくれ。
20歳の頃は自サイトにあげてたのだけど、それを見てくれたチャット仲間の人から「○○さんすげえ」とぼそっと言われた。
mixiにあげてた時は、好きな人から「天才とはその人を通じて別の世界が見え隠れするような人のことだと思った」と言われた。
会社の同僚たちに小説アップしてた裏垢知られた時は「これがtwitterじゃなければいいね連打したい」「芸大は試験ってフィルターがあるからこういうかっ飛んだ本物の人とは会えなかった」と言われた。
twitterで投稿してる時はいいねすらつかないけど、後日オフで会った時は「あの小説面白いと思う」とか言われることもパラパラあった。
だから書いた。書いて小説サイトに投稿した。エブリスタと小説家になろう。
でも、全く読まれない。
作風は、なんとも言えない。意味ありげなおとぎ話や詩の世界を長文化したような作風。
世の中字書きは多い。小説も山程あふれてる。
読む側からしても異色のものを読むのは気力がいるし、同じような作品を慣れた感覚で読めるほうが楽だろう。
もっと数こなして何本も書ききって色んなコンテストに応募すべきだと思うのだけど、気力が弱って力が出ない。
信じる力が足りないのだろうか。これしかできないのに
-----
【追記】
みんなありがとう。
書く、賞に出す、感想がもらえる場所を探す、児童文学でやってみる。
冒頭にあんなことを書いたけど私は才能とかはあまり考えてなくて、作家も会社員と同じく書いては評価されてを繰り返して筆力をあげていくものだと思っているので、その鍛錬の場がなくて弱っていた。
昔は i-mode webの世界はヤンキーが、PC web の世界は理系大卒が使っていたわけで。
スマホの誕生によって、モバイル世界とPC世界が繋がったせいで、ゾーニングがぶっ壊れ、検索エンジンは下層民向けのアフィブロばかりヒットするようになった。
かなり心が荒んでいた。余裕のない生活と狭い視野でがんじがらめになっていた。
ダメ具合は今も対してかわらないが、それでもやっぱりひどい。今なら書くこと自体自重するし、書くにしても読む側の気持ちをもっと考えてから書くだろう。
自虐や愚痴のエグイ内容にドン引きするところがいくつもあった。
そんな中でも、コメントをくれていたマイミク(友人)のありがたさが身に沁みた。
今思うと、自分の日記の内容が嫌になって寄り付かなくなったマイミクが何人か確実にいたと思う。当時はそんなことに全然気づくこともなかった。