はてなキーワード: aセクとは
aセクだと思い込んで生きる
今年50歳になった。
自分のセクシャリティがAセクシャルであると自認してから、ほぼ20年が過ぎた。
自認はしたものの、Aセクシャルを名乗る事に迷いがあったのも事実である。
それは「もしかしたら、いつか誰かに性愛を向けることが有るかもしれない」という可能性を感じていたからだ。
しかし、結局のところ私は誰にも、どのセクシャリティにもどのジェンダーにも、性愛を向けることが出来なかった。
愛情を抱く事は有っても。
性嫌悪ではないので、行為をしようと思えば出来ないことは無かったが、私はそれを拒んだ。
その気が無いのにすることが、なんだか不誠実な気がして…
過去の幾度かの経験で気持ちの伴わないセックスは相手にもその「気持ちの無さ」が伝わってしまう事も判っていたし。
その「気持ちの無さ」は私にとっては「拒絶」では無かったが、そう捉えられてしまう事が多かった。というより殆どだった。
多くの人にとっては性愛や恋愛感情を含まない愛情は、家族や友人間に向けられるものでしかないという感覚だから当然のことである。
「友達以上にはなれないんだね」という意味合いの言葉と共に「僕が(私が)〇〇だから?」と、その人の属性(セクシャリティや人種、社会的な立場等)であるが故に拒絶された、その属性を否定されたと思わせてしまったような言葉が発せられる度に、自分自身の無力さを痛感した。
「私が相手に抱く愛情を、(多くの)人は『愛』とは呼ばないのだ」という事は解っていたが、どうにかして伝えたかった。
その人を本当に愛していると。
「身体の関係に応える事が出来なくても、私に出来る事ならあなたの望みを叶えたいし、力になりたいし、あなたを幸せにしたい」と。
「私にとってあなたの存在そのものがとても尊くて愛しくて、私を凄く幸せにしてくれる最高に素敵な人だ」ということを。
「行為の拒否は、あなたという人格や属性への否定ではない。あなたは何も悪くない」ということを。
でも、それは出来なかった。それは私の力不足の所為。(エゴイスティックな性格も関係してるかも知れないが)
私がもっと成熟した人間で、私の発話に説得力があったなら、少しは伝わったかもしれない。
その人達にもう会う事はないと思うけど、今でも私は伝えたい。
今年50歳になった。
自分のセクシャリティがAセクシャルであると自認してから、ほぼ20年が過ぎた。
自認はしたものの、Aセクシャルを名乗る事に迷いがあったのも事実である。
それは「もしかしたら、いつか誰かに性愛を向けることが有るかもしれない」という可能性を感じていたからだ。
しかし、結局のところ私は誰にも、どのセクシャリティにもどのジェンダーにも、性愛を向けることが出来なかった。
愛情を抱く事は有っても。
性嫌悪ではないので、行為をしようと思えば出来ないことは無かったが、私はそれを拒んだ。
その気が無いのにすることが、なんだか不誠実な気がして…
過去の幾度かの経験で気持ちの伴わないセックスは相手にもその「気持ちの無さ」が伝わってしまう事も判っていたし。
その「気持ちの無さ」は私にとっては「拒絶」では無かったが、そう捉えられてしまう事が多かった。というより殆どだった。
多くの人にとっては性愛や恋愛感情を含まない愛情は、家族や友人間に向けられるものでしかないという感覚だから当然のことである。
「友達以上にはなれないんだね」という意味合いの言葉と共に「僕が(私が)〇〇だから?」と、その人の属性(セクシャリティや人種、社会的な立場等)であるが故に拒絶された、その属性を否定されたと思わせてしまったような言葉が発せられる度に、自分自身の無力さを痛感した。
「私が相手に抱く愛情を、(多くの)人は『愛』とは呼ばないのだ」という事は解っていたが、どうにかして伝えたかった。
その人を本当に愛していると。
「身体の関係に応える事が出来なくても、私に出来る事ならあなたの望みを叶えたいし、力になりたいし、あなたを幸せにしたい」と。
「私にとってあなたの存在そのものがとても尊くて愛しくて、私を凄く幸せにしてくれる最高に素敵な人だ」ということを。
「行為の拒否は、あなたという人格や属性への否定ではない。あなたは何も悪くない」ということを。
でも、それは出来なかった。それは私の力不足の所為。(エゴイスティックな性格も関係してるかも知れないが)
私がもっと成熟した人間で、私の発話に説得力があったなら、少しは伝わったかもしれない。
その人達にもう会う事はないと思うけど、今でも私は伝えたい。
今年50歳になった。
自分のセクシャリティがAセクシャルであると自認してから、ほぼ20年が過ぎた。
自認はしたものの、Aセクシャルを名乗る事に迷いがあったのも事実である。
それは「もしかしたら、いつか誰かに性愛を向けることが有るかもしれない」という可能性を感じていたからだ。
しかし、結局のところ私は誰にも、どのセクシャリティにもどのジェンダーにも、性愛を向けることが出来なかった。
愛情を抱く事は有っても。
性嫌悪ではないので、行為をしようと思えば出来ないことは無かったが、私はそれを拒んだ。
その気が無いのにすることが、なんだか不誠実な気がして…
過去の幾度かの経験で気持ちの伴わないセックスは相手にもその「気持ちの無さ」が伝わってしまう事も判っていたし。
その「気持ちの無さ」は私にとっては「拒絶」では無かったが、そう捉えられてしまう事が多かった。というより殆どだった。
多くの人にとっては性愛や恋愛感情を含まない愛情は、家族や友人間に向けられるものでしかないという感覚だから当然のことである。
「友達以上にはなれないんだね」という意味合いの言葉と共に「僕が(私が)〇〇だから?」と、その人の属性(セクシャリティや人種、社会的な立場等)であるが故に拒絶された、その属性を否定されたと思わせてしまったような言葉が発せられる度に、自分自身の無力さを痛感した。
「私が相手に抱く愛情を、(多くの)人は『愛』とは呼ばないのだ」という事は解っていたが、どうにかして伝えたかった。
その人を本当に愛していると。
「身体の関係に応える事が出来なくても、私に出来る事ならあなたの望みを叶えたいし、力になりたいし、あなたを幸せにしたい」と。
「私にとってあなたの存在そのものがとても尊くて愛しくて、私を凄く幸せにしてくれる最高に素敵な人だ」ということを。
「行為の拒否は、あなたという人格や属性への否定ではない。あなたは何も悪くない」ということを。
でも、それは出来なかった。それは私の力不足の所為。(エゴイスティックな性格も関係してるかも知れないが)
私がもっと成熟した人間で、私の発話に説得力があったなら、少しは伝わったかもしれない。
その人達にもう会う事はないと思うけど、今でも私は伝えたい。
BLが好きだが、男性向けエロもアナルモノが好きだし、Pornohubやxvideoなんかでもブクマはほぼほぼアナルモノ。
私がアナルに目覚めてしまったのはJCの頃。たまたま聞いてた深夜ラジオのHなネタコーナーである。
「お尻に単三電池入れてオナニーしてたらおじいちゃんに見られてとっさにロボットのマネをした」アホな投稿だった。
だが、それを聞いて「お尻って気持ちいいの?」って思ってしまったのだ。
元々早熟で、JSの小さいころからΦを圧迫すればなんか気持ちよくなると知ってしまってた。
そこからラジオをマネて圧迫オナの度にお尻にも何か入れるようになった。
お尻に処女膜はないので気軽に乾電池から始まり、サインペンになり、極太サインペンにと辿る。
大人になってΦの処女をうしなうと、元よりエロイことに興味が大きい私は当然の如く大人のオモチャにも手を出す。
まあ色々買ったよね。ついでにアナル用も買ったよね。
で、当時付き合っていた人と別れた後、オナニーがついついお尻に偏ってしまった。
別にΦが嫌いとかそういう訳ではないし、ポルチオでイケる。でもお尻が好きだから手が伸びるのがソッチってだけである。
で、そんなひとり上手な状態で、実に15年くらいソロ活動に勤しんでいた。
この15年で情報はボンボン手に入るようになり、どうすればよりお尻で気持ちよくなれるのかとか、入れた後に手ごたえのあるところがヒューストン弁だとか、もっと奥のS状結腸まで行くにはどのくらいの長さのオモチャが必要かとか、そういう知識が身についた。
割と最近S状結腸も攻略できた。2年くらいゆっくりオナニーできる時に結腸攻略に挑んでいたのだが、先日結腸前の壁をこねこねしてる時にいきなりズボッと奥へオモチャが嵌った。
「おお!これが結腸か!」喜び勇んで結腸用のオモチャを取り出し入れてみた。
最大太さ3.7cmの玉が8個連なってるタイプの全長50cmもある結腸越え用オモチャ。それまでは5個目までしか入らなかった。
はたしてオモチャは入った。ちょっと苦しかったが50cmを納めきって根元の吸盤の付け根までずっぽり。嬉しくてそのズッポリ咥えているケツを自撮りした。
ちょっと私の開発具合に話が逸れすぎた。まあそんな性活を今までしていた。
で、話は変わるが三か月くらい前に恋人が出来た。彼女は長い付き合いの相手で、出来たと言うか15年前の恋人と同一人物である。
付き合ってない間もシモの話を含めてあらゆる話をする仲だったので、私がアナルマニアなのも知ってる。
その恋人と一度エッチした時、準備を特にせずになだれこんだのでΦにも指しか入れなかった。
私はポルチオではイケるが、Gスポではイケないので、正直言うと演技をした。
まあ乳首でイケるし、クリも可愛がってもらったので、Φ以外は満足だったのだが。
先日オナニーしている最中に「このままじゃだめなんじゃないか」と考えてしまった。
とりあえず、イケるとこを増やしておこうとGスポを開発してみようという気になった。
アナル用の短いプラグはGスポ開発にも使えそうだったので、よーく洗ったプラグをつっこんで、Gスポとクリを同時責めしてみた。
結果はんー?ってかんじ。クリの気持ちよさはあるのだが、Gスポが気持ちいいのかよくわからない。
まあ慣れれば変わってくるかもしれない。そう思ってた。
入れようとしたバイブは普段はお尻に使ってるガンガンピストンするバイブだった。太さは3.2cmくらい。挿入長は15cm程度。
尻ならちょいとワセリンを塗ればツルンと呑み込む、いつものヤツだった。
それにコンドームを被せ、ローションを塗り、さあΦに入れるぞ!と押し付けた。
・
・
・
押し付けた
・
・
・
入らねえ。
よくご無沙汰のΦに対して「クモの巣が張る」なんて暗喩を聞くが、テンパるくらいに入らない。
つか、処女喪った時より痛い気がする。
もしかしてこれが噂に聞く膣痙攣か?リラックス、リラックス……。
リラックスついでに他のディルドを使ってアナルオナニーしてみる。こっちはいつもどおりだ。ふつうに入る。
Φと*は8の字筋と言う筋肉で繋がってるはずなので、お尻に入るならきっと膣痙攣ではないだろう。
・
・
・
入らない。
リラックス目的でやったアナルオナニーでだいぶ満足していたので、その日私はもうちょっとお尻をいじってから終了とした。
その後も何度かΦに挿入を試みてみた。
2.8cm以下のプラグやディルドなら難なく入る。まだGスポは分かんないがポルチオは刺激すれば気持ちがいい。
でもやっぱり3.2cm以上のプラグやディルドは痛くて入らない。
幸か不幸か、恋人はAセクなのでこっちが色々仕掛けないと手を出してこない。
私はHがしたくても、相手は基本そんな気にならない質なので難しい相手だ。
たぶんこれから先も私はソロ活動を極めると思うし、そのうち追々Φも普通に普通サイズが入るようになるかも知れない。
つれづれなるままに書いたが、要は
ただ言語化して、自分の中で整頓して、モヤモヤを捨てたいだけの記事。
<前提>
A子:女・未婚30後半。オタク。
B男:男・未婚40半ば。オタク。
私:女。未婚42。オタク。
3人とも仲良し。B男とは共通の趣味で6年前くらいに知り合った。私とA子はもっと長い付き合い。
3人でや共通の友人を交えて飯食いに行くし、A子とB男だけでもたまに飯に行ってるくらいの仲。
<本題>
B男はA子が好き。それはA子も解ってる(知ってて放置してる)し、周りから見てても解りやすく秋波を送っている。
共通の友人がA子に「B男とつきあってるんでしょう」と言って、とても嫌そうに否定していたくらいB男は解りやすく、そしてその誤解を受けるたびにA子は「友達としてならいいが恋人は無理」と回答している。
で、周りに全然カムアウトしてないが、A子は私の恋人。LGBTQ+の、LでAセクなA子と、BでDセクな私。一緒に住んでる。
が、二人とも公には「恋人は居ない」「募集もしてない」と言ってる。募集してないと言ってるし、A子に至ってはAセクを折に触れて宣言してる。(私もDセクは公表してる)
そういう事情もあるので、A子はB男の気持ちを知ってて放置している。ヘンにつつくとカムアウト含む面倒臭いことになるからだ。
で、つい先日の事だ。
とある珍しいぬいぐるみがタイムラインに流れてきた。本来もふもふではないものをもふもふに作っているものだ。
例えるなら、A子はイカが大好きで、めちゃくちゃリアルなダイオウイカのぬいぐるみを吸盤までリアルにもふもふな生地で大人の身長くらいに作った。そんなぬいぐるみだ。(これは例えです)
で、それを引用RTして「今度のA子の誕プレこれにしよう」と私が呟いた。そのツイート自体には別の共通の友人からいいねがいくつか付いた。
そのツイートから1日か2日くらい経って(キモくて一連非表示&ミュートしてるので時間は不正確)、B男からリプが付いた
「A子がそのダイオウイカ抱いて寝てる寝顔を写メ撮って送ってよ」
スマホに出たリプの表示を見て「え、キモッ」と素直に声に出してしまった。
私は通知を消し、ツイッターも閉じた。
ちなみに、ちょうど30分後に別件でA子から連絡があったのでその別件のやりとりが終わった後に「ツイッター見た?」とだけ聞いてみた。「見た。キモイ」とだけ帰ってきた。
その後帰宅して家でも少し話題に出したが、「二度と一緒にメシに行かない」とA子は憤慨していた。
たぶん、この気持ち悪さは向けられた当事者や、そういった経験のある人間にしか分からないものだと思うし、もしかしたら男性にはとても理解できないものかも知れない。
でも、何故A子とB男の関係において第三者となる私に「女性が見られることを一番嫌がる寝顔」を送るよう言い出したんだろう。思考するまでもなく理由は単純だ。
B男はドルオタである。アイドルちゃんがぬいぐるみを持った自撮りを上げた時に「〇〇ちゃんがそのぬいぐるみ抱いて寝てる寝顔見たいなー」とドルオタがアイドルちゃんに送るノリで、私にリプを送ったんだろうと、私とA子の見解は一致している。
別にドルオタのそういうノリは嫌いだしキモイと思ってはいるが「そういう文化」だとも思ってる。イエッタイガーみたいなノリと一緒だろう。
以前、他のドルオタ友人のコメントを辿ろうとツイッターの「ツイートと返信」欄を見て、アイドルちゃんにキモいリプ送ってるの見てそっ閉じしたこともある。見てはいけないものを見た感があった。
そういうコメばっかり送られるアイドルちゃんは可哀想だなーとも思ってる。まあアイドルはそれも仕事のうちなんだろうけど。
だが、本題のリプを送られた私はアイドルではないし、ドルオタ仲間でもないので、ただただ「気持ち悪い」という感情だけが残った。
結局返信もせずに数日後そっと元のツイート自体を消したんだが、そのリプが来た日はどう返すか悩んでいた
2「え、キモ。そういうのドルオタ仲間だけでやって。私を巻き込むな」
1が一番無難で、2も自省を促せるし次は無いだろう。
でも、私の心の中では3が一番大きかった。めっちゃB男を罵倒したかった。
だって、A子は私の彼女なんだもん。カムアウトしてない以上B男の与り知らぬことではあるが、言ってないだけで私の彼女なのだ。
でも、これDMではなくリプライで来ていた。
これに123どの返信をしたとしても、その前後の時間にTLを見てる共通の知人にぜーんぶ見える会話になるのだ。
リアルでも30人以上は居るだろうし、ネットの共通フォロワーとなればかなりの数が居る。
そんな中で返信するのは躊躇われた。たとえ1を返信しても「何かあった」と周りに見える。
あと、件のリプより数日前B男は「今メンタルやられてる」と自己申告を流してた。
それが頭にあったので、返信をして周りにさらしてしまうのは可哀想かなと思い、私は自分の中でブレーキを掛けてしまった。
その後モヤモヤもやもやして、私は3日ほど趣味の創作活動が手に付かなくなったので、これは完全に悪手だったと思う。
なんで、B男のメンタル慮って私がメンタル削られなあかんねん!!
まだモヤモヤは残ってるんだけど、ようやく創作の方の手が進み始めたので、ここで吐き出して厄落とし。
ここまで読んでくれてありがとう。
バイブオナニーで脱処女したって、誰かに報告するようなことでもないし流石にTwitterとかに書くわけにもいかんので、わざわざ匿名日記にアカウント登録した。
アホである。
と言うか作る気もない。
男が嫌いと言うか、性的欲求を異性にも同性にも覚えたことはない。
過去に何人か女の子を好きになったけど、その子たちとも性交渉したいかって言われると、それもない。
好きだなーって思うことはあっても人間としての好き嫌いくらいで、性交渉に至るかは考えられない。
時代が進むにつれ、それAセクとかノンセクとか、そういう類のものであることを知った。
あれって、別に性欲がないってわけではない。
初めての大人の玩具である。2000円でバイブが買える。安い。
密林は早くて便利なので思い立った翌日には届けてくれた。
流石密林、愛してるぜ。
ド腐れま〇こなので、以前に受けの気持ちになろうと思って買った、ア〇ル洗浄器具とプラグに滅菌ローション(K-Yゼリー)があったので、ローションは買わなかった。
どうでもいいけど、ア〇ル洗浄は試してない。
やるなら浣腸とかも買わなきゃいけないことにあとで気が付いたので、ア〇ルで遊ぶとすればそれからである。
タオル敷いて手鏡でみながら自慰やりすぎのグロマンみつつ、初めてのバイブは振動がえらい気持ちよかった。
ローターとか電マとかそんな気持ちいいもんなのかと疑問に思う気持ちは払しょくされた。
エロ小説やエロ漫画に出てくる頭の白くなるほどの感覚ってなんだよ~って思いながらも、気持ちいいことは気持ちいいので、ゼリーを足しつつ、思い切ってま〇こに挿入。
入らない。
頭は入るけど、それ以上進む気配がない。
意地でも入れてみたかったので、態勢とかバイブの角度変えつつ、押し込んだら入った。
妙な達成感と共に軽く動かすが、当然大して膣内は気持ち良くない。
耳年増なので、エロ漫画のようにいきなり膣で気持ちよくなれるわけない事は知っていたので、ま〇こにバイブ入ってる光景見ながらエロいなぁと思っていた。
それで鏡よく見たら、血が出てた。
処女膜って、激しいスポーツしたらなくなることもあるって見たことがあったので、ぶっちゃけ処女だけど膜なんてないんじゃないかと思っていたのだ。
ってびっくりしつつ、血が出てるま〇こにこれ以上玩具突っ込んでおく気にならなかったので、自慰終了。
マン汁ふき取ったら血がついてた。
そんな感じで脱処女をキメてしまったわけだが、折角買った玩具。
ぶるぶるしてるのをクリに当てるのは気持ちいいので、その後何度か遊んでた。
中にも何度か入れたが、Gスポがわからず、結局クリオナに移行。
ここからはAセクシャル、というふうに線引きがあるわけじゃなくて、一生誰とも恋愛をしないかもしれない一方、もしかしたらそのうち誰かを好きになる可能性もあるんだから、確信とか、キッパリした自覚とかはあまり持たなくてもいいと思う。「今の所Aセクシャルです」でいいんじゃない。
それに、自分に好意を寄せられるのが怖いのを申し訳なく思う必要は無い。理解できないもんは理解できないし、怖いもんは怖いよ。
なんとなく自分がAセクなのかなあと思うのだけど、確信がない。
確信はないけど恋をしたことがないから実際そうなのかもしれない。
人が嫌いなわけではなくて、友達は男女問わず好きだし、男性も女性も別の視点で会話ができて面白い。
話をしていて面白いなって思う人は好きだし、関係を長く、できれば一生続けていきたいと思う。
でもその人たちを恋愛とか、性欲の対象として見れるかというとそうではない。
いやそもそも恋心みたいなものを抱いたことがないので、恋愛として見るという視点がまずないんだけど…
性欲はあるのでそこはオナニーでなんとでもなる。
そういうときにセックスしてる漫画とか見るけど恋愛が介在していない物の方がいい。
一生人と関係性を持っていきたい方だけど、たぶん恋愛はしないんだろうな、と思う。
最近話題になってる漫画(ノンセクの人を好きになり勢いで付き合ってもらったものの、性愛関係がないことに耐えきれずキスしてもらって別れた話)のことを考えてて思い出した事がある。
昔ピンサロで働いてたのだが、そのときフリーで当たった客がフラれたてホヤホヤだった。
どうやら男友達で集まって慰めの会をしているらしく、私はまさにその主役に当たった。
飲んでお姉ちゃんと遊んで忘れようという男の友情、ほんとにあるんだなーーと感心したが、ご本人はいざ席に案内され、見知らぬ女の子と2人きりになり、冷静になってしまったらしい。
普通に会話をし、いざサービス、と至りたかったが、どうしてもそんな気分になれない、それより話を聞いてほしい、というので、店に入って数ヶ月のまだウブだった私は素直にしたがった。
いかに好きだったか、まだ好きなんだ、でも無理なんだ、みたいな話だったと思う。
結果私は呼び出され、店のボーイにしこたま怒られた。ここはピンサロなんだからサービスしろと。
本人が無理って言ってるんです、と素直に話したところ、ボーイがお客さんと話して、結局途中で帰ることになった(んだと思う、記憶が曖昧)。
お見送りをするために席に戻ったけど、まぁ気まずいこと。
本人が納得して払ったおかねでノンサービスならそれでもいいじゃん、と正直思ったし、そのとき本人が求めていたのは、人肌じゃなくて気持ちの寄り添いだったんじゃないか、と思う。
今考えれば店の売り物は女の子のセクシャルサービスであり、それ以外はあくまでトッピング、そうじゃないものをメインにするなら別のお店に行ってくれという話なのはわかる。
このお客さんが帰った後もボーイにこんこんと説教されて、正直納得いかんと思ったけどめんどくさいのでわかったことにしておいた。
ちなみに外見がだめだったとかではない、と信じたい。一応ランカーに入れたくらいなので……。
で、冒頭のノンセクAセクの話に戻るんですけど
自分はピンサロで数年働いたけど正直めちゃくちゃ相性のいい仕事だった。
私はスキンシップが大好きなメンヘラだったし、腐女子としてネタ集めにも事欠かなかったし、金ばらいはいいし……。
そう、スキンシップ大好き人間なので、「人と触れるのが嫌」「握手も無理」「同性でも抱きつかれたりするとゾッとする」というのが全くこれっぽっちも理解ができない。
幼い頃は同性の友人にすぐ抱きついてたし、旦那にはすきあらばチューしたい。
※だがセックスはそんなに好きではない。それよりオナニーのほうが安心して気持ち良くなれる。
スキンシップが苦手(または不要)なことと、ノンセクAセクはまた別の話かもしれないけれど、絶対要件くらいにはなるんじゃないかな……、と思いつつ、失恋でピンサロ嬢相手に性愛より親愛を求めた男の子も、その時の気持ちは近かったんじゃなかろうか。
これはノンセクAセクの人にとってはとんでもない暴論だと重々承知ではあるんだけど、スキンシップ大好き人間が、「スキンシップは苦手、無理」という感覚がどんなものなのか、共感できずともなんとなく理解的な何かをするために思い出したのが彼だったという、とりとめのない話です。
ところでノンセクAセク、きちんと理解しているわけではないので、スキンシップ等も含めて無理という感覚が絶対必要条件だったら、もう「汝は森で、我はたたら場で暮らそう」以外ないんじゃないか、と一瞬思ったんだけど、そうじゃなくて、理解できずとも共存できる世界がこれから出来上がってくんじゃないですかね。
そうだといいなぁ。
性指向においてはマジョリティである自分のエントリが、誰の目にも触れず触れたとしても誰かを傷つけませんように。
※読み返していて思ったんだけど、大好きな旦那とのセックスよりもオナニーのほうが安心してイケるというのも、性愛の性指向の一種なのかもしれない。
私は旦那とのセックスも(妊活中なので)やぶさかではないが、嫌だと思っている配偶者に無理やり強要して致すのは、結局片方のセクシャリティを毀損しているのかもしれない。
ネットでは「したくない側に寄り添うべき」という意見を多く見かけたように思うが、恋人間、夫婦間でお互いが納得しているのであれば、それは他人が口出すことではなく、当事者同士で慮ってやるべき範囲の話と思う。
他人に性的魅力を感じない、あるいは恋愛感情を抱かない(アロマンティック)性的嗜好のことを指すらしい。
あなたは他人に性的魅力や感じない、あるいは恋愛感情を抱かないということを想像できるだろうか。
私は想像できない――自分が他人に性的魅力を感じたり恋愛感情を抱いたりすることが。
誰かとセックスするとき、相手の何に欲情しているのか、何に愛しさを感じるのか、教えてほしい。そこに充足感は、あるんだろうか。
私には学生時代から3年半付き合いを継続している恋人がいる。週末に会えばセックスをする。セックスは好きだ。気持ちいいから。感じやすい身体をしているし、相手を気持ちよくさせることも好きだ。
それでも時々強烈な違和を感じる。場に合わせて自分が口にした「好き」という言葉がひどく空々しく聞こえる。慣れないだけかもしれないと思い何度か繰り返したが、むなしくなるだけだったから今はもうやめた。恋人の欲情した目を見て、すごい目をしているな、と客観的に思う。重なる手や唇の感触が、思春期の頃に感じた離人症のように、画面越しの他人事のように思えた。とめどない身体的な絶頂と息の荒さだけが現実的だった。
恋人とハグをするのは好きだ、温もりや匂いを感じて安心するから。寝顔を見て愛おしいなと思う。
だけど、キスやセックスをするときに、自分を見つめて触れてくる相手に対して、何を感じればいいのかわからない。
この日記を書こうと思った理由は、一昨日ある記事を読んだからだ(恋愛的・性的に惹かれない人たち――「アロマンティック/アセクシャル」にとっての恋愛・結婚像/https://news.yahoo.co.jp/articles/c716935ea75a5eea8369ceae4b01406148ddfd1e?page=1)。
「性行為が一般的に愛情表現としてのコミュニケーションとなることに理解・共感ができず、多幸感を感じない、相手のアクションに対し感情が動かない」という文章を見て、ああこれが自分の違和感の正体か、と思った。
アセクシュアルという単語は以前から知っていたが、それを自分にラベリングしようとは思わなかった。自分の性質をラベリングするのはアイデンティティを確立させるため、ひいては自己承認欲求を満足させるためだと考えているが、私は自己の価値やアイデンティティを考慮する際に恋愛や性別にその重きを置いていない。他人と接するときにも性別を強く意識することはない。
メタ的に計測すると、街ですれ違う人の容姿や仕草に好意を抱く回数は、男性相手より圧倒的に女性の方が多い。メイドカフェに行ってかわいい女の子にどきどきする。生涯、この人以上に好きになることはないだろうと、諦めにも似た憧憬を抱いた相手は女性だった。だから昔は自分のことをレズ寄りのバイなのかもしれないとぼんやり思っていた。セックスは男性としかしたことはないが、おそらく女性ともできる。
魅力的に映る他人の肌の質感を想像することはある。でもその誰に対しても、触れたいだとか、服に隠れた素肌を暴きたいとは思えなかった。その肌の感触を確かめるのは私でなくていい。
他人に恋愛感情を向けられると驚く。付き合うとか、そんなこと想像していなかったから。
付き合って知ったのは、私は嫉妬することが少ないこと、独占欲がほぼ存在しないということ。恋人関係とは男女関係におけるファストパスの進呈で、そういう契約関係だから、期限も終了時の条件もある程度決めておくものだと思ってた。友人にそう話すと計画的すぎると笑われて、みんなはそうじゃないんだと知った。
創作物を読んで相手に恋愛感情を抱いたりの欲情したりすることへ共感はできた。
実感だけが、いまだに手元に降ってこない。
不義については触れずに、話を聞いてほしい。
事情があって、顔が最高にタイプの男性の友人と何度かセックスをした。布団に横たわって、相手の体温を感じると心臓がおかしくなったのかと思うくらいどきどきした。
触れ方が優しくて、ゆっくりだから、すごく気持ちよかった。セックスの最中、暗がりの中で相手の輪郭を視認して、唇を重ねて、高い鼻がぶつかって、快楽を感じて、抱き合って背中を撫でて、試しに耳元へ「好き」とささやいてみて、その後「きみとセックスするのが」と付け足した。何度目でも変わらなかった。
顔が好きな男に抱かれていると意識してみたが、そのことに特別何かを思うことはなかった。ハグをしたときの方がよっぽど滲むような充足感を感じた。
男女問わず魅力的な相手にはどきどきする。でも肌を暴きたいという感情が理解できない。
たぶん私は誰とでもセックスできるから、相手を限定するように気を付けている。そこに"特別"を付与しようとしている。
他人に性的魅力を感じない、恋愛感情を抱かないと恋人に告げたら、きっと恋人を傷付ける予感がしている。
ただ、相手を尊重することができれば恋人関係を維持することに問題はないから、打ち明ける必要もないと考えている。
それでも、教えてほしいと思うことがある。