最近話題になってる漫画(ノンセクの人を好きになり勢いで付き合ってもらったものの、性愛関係がないことに耐えきれずキスしてもらって別れた話)のことを考えてて思い出した事がある。
昔ピンサロで働いてたのだが、そのときフリーで当たった客がフラれたてホヤホヤだった。
どうやら男友達で集まって慰めの会をしているらしく、私はまさにその主役に当たった。
飲んでお姉ちゃんと遊んで忘れようという男の友情、ほんとにあるんだなーーと感心したが、ご本人はいざ席に案内され、見知らぬ女の子と2人きりになり、冷静になってしまったらしい。
普通に会話をし、いざサービス、と至りたかったが、どうしてもそんな気分になれない、それより話を聞いてほしい、というので、店に入って数ヶ月のまだウブだった私は素直にしたがった。
いかに好きだったか、まだ好きなんだ、でも無理なんだ、みたいな話だったと思う。
結果私は呼び出され、店のボーイにしこたま怒られた。ここはピンサロなんだからサービスしろと。
本人が無理って言ってるんです、と素直に話したところ、ボーイがお客さんと話して、結局途中で帰ることになった(んだと思う、記憶が曖昧)。
お見送りをするために席に戻ったけど、まぁ気まずいこと。
本人が納得して払ったおかねでノンサービスならそれでもいいじゃん、と正直思ったし、そのとき本人が求めていたのは、人肌じゃなくて気持ちの寄り添いだったんじゃないか、と思う。
今考えれば店の売り物は女の子のセクシャルサービスであり、それ以外はあくまでトッピング、そうじゃないものをメインにするなら別のお店に行ってくれという話なのはわかる。
このお客さんが帰った後もボーイにこんこんと説教されて、正直納得いかんと思ったけどめんどくさいのでわかったことにしておいた。
ちなみに外見がだめだったとかではない、と信じたい。一応ランカーに入れたくらいなので……。
で、冒頭のノンセクAセクの話に戻るんですけど
自分はピンサロで数年働いたけど正直めちゃくちゃ相性のいい仕事だった。
私はスキンシップが大好きなメンヘラだったし、腐女子としてネタ集めにも事欠かなかったし、金ばらいはいいし……。
そう、スキンシップ大好き人間なので、「人と触れるのが嫌」「握手も無理」「同性でも抱きつかれたりするとゾッとする」というのが全くこれっぽっちも理解ができない。
幼い頃は同性の友人にすぐ抱きついてたし、旦那にはすきあらばチューしたい。
※だがセックスはそんなに好きではない。それよりオナニーのほうが安心して気持ち良くなれる。
スキンシップが苦手(または不要)なことと、ノンセクAセクはまた別の話かもしれないけれど、絶対要件くらいにはなるんじゃないかな……、と思いつつ、失恋でピンサロ嬢相手に性愛より親愛を求めた男の子も、その時の気持ちは近かったんじゃなかろうか。
これはノンセクAセクの人にとってはとんでもない暴論だと重々承知ではあるんだけど、スキンシップ大好き人間が、「スキンシップは苦手、無理」という感覚がどんなものなのか、共感できずともなんとなく理解的な何かをするために思い出したのが彼だったという、とりとめのない話です。
ところでノンセクAセク、きちんと理解しているわけではないので、スキンシップ等も含めて無理という感覚が絶対必要条件だったら、もう「汝は森で、我はたたら場で暮らそう」以外ないんじゃないか、と一瞬思ったんだけど、そうじゃなくて、理解できずとも共存できる世界がこれから出来上がってくんじゃないですかね。
そうだといいなぁ。
性指向においてはマジョリティである自分のエントリが、誰の目にも触れず触れたとしても誰かを傷つけませんように。
※読み返していて思ったんだけど、大好きな旦那とのセックスよりもオナニーのほうが安心してイケるというのも、性愛の性指向の一種なのかもしれない。
私は旦那とのセックスも(妊活中なので)やぶさかではないが、嫌だと思っている配偶者に無理やり強要して致すのは、結局片方のセクシャリティを毀損しているのかもしれない。
ネットでは「したくない側に寄り添うべき」という意見を多く見かけたように思うが、恋人間、夫婦間でお互いが納得しているのであれば、それは他人が口出すことではなく、当事者同士で慮ってやるべき範囲の話と思う。
とぐろまきどうでもうんこ