はてなキーワード: 就職氷河期とは
阪神大震災とか
アクアラインの開通とか
嫌韓ブームとか
リーマンショックとか
311とか
スマホの出現とか
こういうのどういう気持ちで受け止めてたの?
小学3年の頃に急に引っ越すことになり、そもそも一軒家が賃貸だったことにショックを受けつつ、マンションへと引っ越す。
この辺りから転落していくんだが、
引っ越しの要因は父親が仕事を変えたらしく、家に居ることが増えた。
もともと何の仕事をしていたのか分からなかったが、引っ越してからはタクシードライバーをやっているようだった。
両親は不仲な感じで、自分は父の居るリビングに居づらく自部屋に籠もってスーファミをやった。
そこから何回か引っ越しを繰り返し、次々と住まいのグレードは落ちていった。
今思うと安家賃を求め引っ越しを繰り返す、引っ越し貧乏のような気もする。
父親はタクシードライバーを辞めバイトみたいな仕事、母はパートで働いていたが、
家は貧乏でお好み焼きに豚肉を入れることも躊躇われる程だった。
高校は行かせて貰えたがそこから進学するという選択肢は自分の中に無かった。
自分は勉強も出来ないのでランクの低い商業高校に入り、その高校内で当初は上位に居たものの、
遊び呆けて順位はみるみる落ちた。
とりあえず家を出たかったので遠方地が良かった。
知り合いの居ない東京は嫌だな、1,2時間もあれば友人に会える近場地方の製造業を選んだ。
ここが人生の転機だった。
リーマンショックも赤字転落しそうだったが何とか耐えきったようだ。
無学な高卒だが課長にまでなり年収は1000万円手前になった。
家も買い、妻子にも恵まれ、中学・高校時代の貧乏生活が嘘のようだ。
これは完全に運要素だ。自分に何かスキルがあるとは思っていない。
2009年卒の就活は氷河期どころか思いっきりバブルだったぞ。07年卒、08年卒はもっとザルだった。
ちなみにこの時期は、マーチ内ですら
「みずほ銀行とりそな銀行は無対策で応募してもかなりの高確率で内々定までいっちゃうから行く気ないなら受けないほうがいい」
みたいに囁かれてた。学内で親しい先輩のうち、この年度にみずほ銀行を受けた人は5人いたけど5人全員内定してた。
早慶なんかだと
というのが常識だったようだ。今の時代の就活生や20世紀の就活を知っている人からしたら衝撃的だろう。
リーマンショック由来の就職氷河期が始まったのは2010年卒の人間の就活から。
この就職氷河期は、不景気突入の嚆矢となる象徴的事件(リーマン破綻)から新卒採用抑制の時間差が全然ない珍しいものだった。本当に突然バブルから氷河期に突入したのだ。
秋頃にメガバンクの採用予定計画が発表されてどこも軒並み半減してて「あーこれはヤバいわ」とNHKのニュースを見ながら血の気が引いたのを覚えている。結果、やはり前年までの就活が嘘のような超買い手市場と相成った。圧迫面接が大流行した。
「マスコミとかパイロットとかじゃない限り大手企業の最終面接は儀式だから落ちない」
という新卒就活の常識が全く通用しなくなったのもこの年度からで、大企業の最終面接落ちも大流行した(増田の友達は東大法学部でしかもコミュ強で容姿も別に悪くなかったのだが、のべ7社の大企業で最終面接まで進んだのにも関わらず全て落とされ無い内定のまま就職留年した)。
そして、このリーマンショック起因の就職氷河期は11年卒、12年卒と年度を重ねるごとに地獄絵図になっていった。
さすがに13年卒の親しい人間は自分にはいなかったので、この年度以降の就活戦線がどういうふうになっていたのかは全くわからない。
誰か教えてほしい。
とりあえず2009年卒はバブル、2010年卒から突然氷河期突入っていうのは強く言っておきたい。
【追記】
メガバンク内定が学友から「うん、まあ良かったね……」程度の反応されるような微妙な位置づけだったのには理由がある。
当時の就活生は「大手でしかも高倍率でホワイト待遇のところが一番エラい」という価値観を抱いており、
したがって、「大手・低倍率・給料と福利厚生以外が非ホワイト」なメガバンク内定は大して凄いと思われなかった。
この価値観がよく表れていたのは2ch就職板の『就職偏差値ランキング』なる有志が独断と偏見で作成したもので、
記憶が確かならそこではメガバンクよりも食品メーカーとか素材メーカーとかのほうが上に据えられていた。
実際、三菱東京UFJを蹴ってサッポロビール、三井住友銀行を蹴って中央発條に入社を決めた人間が友達にいた(生涯賃金で5000万円以上差があると思うのだがそれでも激務は何より恐れられていた。ドラマ半沢直樹が放送されるずっと以前だったが、もうメガバンクが健康に人間らしく働くにはあまりに苛烈でエグい職場環境であることはネットのせいでバレバレだった)。
ちなみに日興コーディアル証券なんか日大や専修あたりの大学からでも内定バンバン出てた。
このように大手金融の採用は(基本的に)ザルだったのだがこれにも例外があって、
東京海上と日本生命(営業幹部採用じゃないほう)の総合職はマーチ男子程度だとほぼノーチャンスだった。
いずれも体育会系有利と言われる会社ではあるが、マーチに関しては体育会系とかどうとかもはや関係なく、各大学0~3人程度の内定にとどまった。
身分違いだったのだろうか。
さて、
当時の就活生は「大手でしかも高倍率でホワイト待遇のところが一番エラい」という価値観を抱いており、
「無い内定にならないため、万一入社しても高給が保証されているから、戦略として仕方なく受ける企業」
でしかなく、基本的に不人気だったのだが、これにも例外があった。
みずほ証券については「ホールセールばかりでリテール全然やらなくていいから」、
信託銀行については「メガバンクと違い、残業全くしないで30歳1000万円まで一律昇給できる地上の楽園だから」
という大間違いでしかないイメージが当時の就活生のあいだで広まりに広まっており、
学歴とコミュ力とルックスとスクールカーストに自信のある就活生が猫も杓子も信託銀行を希望するという謎のブームが生まれていた。
ノー残業・ノーパワハラ・ノー怒声なんていかにも嘘くさいっていうか100%ありえないと確信していたし、
完全に諦められた窓際社員でも自動的に到達できる年収は30歳700~800万円・40歳1000~1100万円くらいがせいぜいなのではという見立てだったからだ。
書いてる途中に思い出したけど、当時は楽天もソフトバンクも本体内定者の学歴ボリュームゾーンは日大って感じの会社だった。
大事なのは大学名、その場でいかに「論理的に落ち着いて会話できるか」、本人の雰囲気であり、超人エピソードを作りに動く就活生は嗤われていた。
バイトかサークルのどれか一つやっていれば充分であり、インターンに応募しようとするやつはそれがたとえ1dayであっても周りから「凄まじく就活に気合を入れている」という見方をされていた。
これはつまり、あっと驚くような体験や活動のおかげで就活結果が大きく変わることがないというシビアな現実を意味しており(テレビ局とかの採用は違うんだろうけど)、
裏を返せば課外活動をせずともコンビニバイトでも適当にやって面接の場をどうにか凌げば大手から内定が出るような時代だった。
筆者には法政大学に通う仲の良い友だちがいたのだが、
彼は今で言うチー牛で(当時は非リアといった)、サークルには所属せずボランティアなどの課外活動のエピソードもなく、
週3のコンビニバイトと1日2度のオナニーをするのみであったが某中堅損保に内定した。
ちなみに体育会野球部であろうが同大学の一般学生と比較してさして就活で有利にならない時代でもあった。
チー牛友人は内定者懇親会に参加したとき、同じ大学の野球部の有名選手がいたことに
と大変なショックを受けたと言っていた。
実際、筆者は野球が好きなので六大学や東都大学の4年制進路を毎年チェックしていたが野球部ブーストが全然効いてなくて毎年苦笑したものだ。
東大や早慶でも一般学生と期待値は大して変わらず、マーチや日東駒専にいたっては一般学生より下手すりゃちょい悪いのではというほどだった。
マーチ野球部から全国紙とかサントリーとかADKとかにいけるのは直系附属出身者や県立トップ校から一般入部してきた選手とかで、野球名門校出身者は主力選手であろうとも野球継続しないのなら大手百貨店が関の山だった。◯◯自動車”販売”とかもお馴染みの進路だった。
そして日東駒専大東亜帝国あたりの野球部の進路はこんなもんじゃなかった。
当時の就活も嘘つき合戦ではあったが、今の就活はインターン当たり前、エピソード作るために大胆に動くの当たり前だと聞いて本当に大変だと思う。
約20年前の話。社会人になって初めての会社を4年で辞めて、次の就職先探す前に辞めちゃったから無職になっちゃったんだけど、働く意欲はあったってか生活費貯金が精々1年分しかなかったので働かないと死んじゃうから再就職先を探して就活始めたんだよね。
当時は転職サイトが今ほど便利じゃなかったし手書き履歴書当たり前だったし、ギリ就職氷河期終わってなかったから辛かったわ。
ほんでまだSNSもmixiくらいしか無かったし、そんな仲の良いわけでもないリアル知り合いに見られるところで就活状況を書くのはちょっと生々しすぎた&上手くいってないのを見られるのが恥ずかしかった、しかし誰かとこの苦しみを共有したい、という理由でそのスレに行きついたんだよね。
俺はそのスレに就活状況を書いてたんだよ。ハロワ行って求人チェックした、リクナビネクスト登録してみた、書類何通送った、面接行った、みたいなことを淡々と。
常駐して4か月目くらいかな? 匿名で書いてても、ほぼ毎日そんな状況報告してたら実質コテハンみたいな感じになるやん。
そんで明らかに俺の書き込みにけっこう攻撃的な反応がなされるようになったんだよ。「うぜーなこいつ」みたいな感じの。
最初は、実質コテハン状態だし、コテハン嫌いの人がそういう反応してんのかな? とか思って、書き込み頻度を減らしたり、他のネタ書き込みに反応したりするのをメインにするように変えてみた。
でも違ったんだよね。俺はそのスレの趣旨を完全に誤解していた。
そのスレは「無職オタが就職を目指すスレ」みたいな名前だったわけだが、実際には「就活する気がほぼ無い無職オタがぬるま湯に浸かるスレ」だったわけよ。
いやー就職しないとヤバいよなーとか言い合いながら実際にはほぼ何もしてない奴ら場に、いきなり実際に就活してる奴が日報書き込んだらそりゃうぜえよな。
決定的だったのがさ、「就活どうしたら上手くいくんだろう?」的な書き込みに、「そんなんわかってたらこのスレにいねえし、上手くいくまで続けるしかないでしょ。俺はやってる」みたいなレスをしたらブチ切れられたんだよね。
それは、励ますつもりで正論でぶん殴ってしまった俺が悪かったわけなんだけど、ああこいつら就活頑張る気なんて全然ないんだなって事実を俺に教えてくれた出来事でもあった。
前置きがクッソ長くなったが、何を言いたいかというと、似たような奴が集まってコミュニケーションする場ってのは実際に役に立つし精神安定にけっこう役に立ったわけだが、結局そこで実際に行動する奴としない奴にハッキリ別れるし、行動しなきゃダメってこと。増田なんて俺のこれを含めてクソだよ。
ガチヒキニートだと、失敗したくないがために事前に最適解を探して行動したいのはわかるんだが、結局のところリアルな個人情報を知ってるわけでもないネット民からのアドバイスなんて大して参考にならねえよ。
とりあえず一つだけ言えるのは、バイト検索アプリ入れて日雇いバイトを探せ。日雇いならどんなにクソみたいな人がいようがクソ仕事だろうが、逆にクソみたいな失敗をしようがその日だけ耐えれば終わる。日雇いバイトでとりあえずてめえの食費光熱費を稼ぐ生活を数か月やりきってみろ。そしたらまた来い。
今は夜勤の帰り。就職氷河期世代のエントリが話題だったのでリーマンショック世代が思いの丈をぶつけようかなと思って書いた。
当時はお祈りメールなんて言葉が生まれ自虐する同世代が多く、大学を出ても非正規雇用どころかバイトすら採用枠を取り合い奪い合う状況だった。
私の世代ではエントリーシートなんていうものが出来てしまい社会へ対し"エントリー"しなきゃいけなかった。
円高政策で製造業が海外移転してしまい、地元の高卒の後輩は更に厳しい田舎の就職状況で3年間も無職だった。
人材派遣会社ですら選考によって採用するか否かを決めていて、リーマンショック世代は派遣にすらならない人が多数居て品格なんて言葉に出来る状況じゃなかったんだ。
はてなではよく就職氷河期世代の事が話題になる。透明化されていて社会から捨てられていると。
でも就職氷河期世代は私たちリーマンショック世代と同じ気持ちが分かるはずなのに、自分たちよりも更に悪い就職状況だったことを想像できるのに私たちを透明化してしまう。
TVでもネットでも当時の苦境として取り上げられるのは就職氷河期世代でリーマンショック世代はほとんど取り上げられることがない。
声をあげないほうが悪い?まだまだ自分たちよりも若いから大丈夫?高卒の後輩も大学へ進まなかったのが悪い?当時の政府や国は悪くなく採用を絞った企業が悪い?
自己責任論かな?
半ば脅しにと捉えられてしまうかも知れないけれど、就職氷河期世代の老後は私たちが、あなた達よりも若い世代が握っている、
私の言い方に腹が立つかも知れないけど敢えて言う。一緒に協力して就職氷河期世代も含めて働き世代、子育て世代、次世代の若者たちが苦境に立たされないよう政府や国、社会や企業に声を上げていこうよ。
就職難が社会問題になり、卒業数年までを新卒とみなすようになるまでの世代の人たちは、大変な苦労を強いられた。
私が大学1年の時の4年はまだ内定拘束があったり、交通費を出さない会社をケチと揶揄していた時代だったが、
私たちが就職活動する頃には、もはや交通費は出す会社が珍しく、そもそも採用しない会社がちらほらあったり、採用しても人数を絞っていた。
そうすると当然、有名大学の学生でも内定が取れない人が出てくる。
そうして卒業した人は、たとえ東大卒であっても新卒採用を受けられなかった。
私は有名私立大法学部にいたが、語学クラスの半分が内定を取れず、
新卒扱いで再度就職試験を受けるためだけに留年したり院へ進学したり、心折れた人たちは公務員試験や書士・司法試験へ流れた。
うっかり卒業してしまいその後も正社員の職にありつけなかった人たちは、そのままずっと非正規雇用の人生を歩み続けている。
*
やっとの思いをして司法試験に受かった人で、弁護士になった人たちもあまり順調とは言えない。
そもそも入学当初から司法試験を目指して目指して予備校通いしていた人たちとはスタートが違うので、
合格に何年もかかった人も多い。新司法試験になってようやく受かったという人は珍しくない。
司法試験改革で合格者数を増やしたが、裁判官・検察は増えなかったので、弁護士が増えすぎてしまい、
相対的に儲からない仕事となったのは今の有様を見れば分かる通りだ。
その後の司法書士が扱える業務が拡大したことにより司法書士の人気・収入が上がり、一時は司法試験よりも合格が難しいと言われるほどになったからだ。
大学院に進学した人たちは悲惨だ。就職浪人のつもりだった人はともかく、博士まで行った人たちのキャリアは完全に詰んでいる。
氷河期世代で教授になれた人間はほとんどおらず、世界が100人の博士だったら、という話まで出てくるぐらいだ。
ポスドクの年収は大体300万もあればいい方ではないだろうか。
うまく行って准教授という名の短期雇用で、例え東大で准教授になったとしても、数年で無職となる。
上が詰まっているので、教授になれるのはごく運がいい人か、よほどの実力者だけだ。
40代半ばで助教授になれなければ教授になれないと言われていたのが90年代だったので、
今後、研究者を続けられるかどうか以前に、生活できるかどうかも怪しい状態に置かれている。
それでも有名私立の実学系の学部にはよそよりも有利な点があったと思う。
ゼミの教授からのコネや、リクルーターになった先輩からの勧誘など。
リクルーターは今でもあるかは知らないが、銀行や保険などの金融系の業種であったもので、
正規の新卒採用ルートとは別に、入社1年目の人たちが後輩のめぼしい人に声をかけて、
会社の人と会わせて非公式の面接を行うというものである。ここで内定がきまると楽だった。
今の学生はサークルに入らないというが、こういうリクルーターのコネはサークル経由でもあり、それ目当てでサークルに所属する人もいた。
また、筆記試験に行くと、「ここにいるのは全員早慶東大の人たちですから名前を書けば筆記は通過できます」なんて試験官が言うこともあった。
内定拘束も今はないかもしれない。ライバル会社へ就職面接に行かないように、内々定を出した学生を入社1年目の社員が呼び出して、