はてなキーワード: 学問とは
そもそも「性的消費」という概念で殴りつけられるのは、どこまでか? を少し考察してみよう。
たとえば、昔あった「ビール広告に水着女性」が×となったのは、単に女性の飲酒率が上がったためでもあるが、表向きの理由としてある程度の正当性があると言えるのは「海水浴場やプール以外の場では通常水着を着ない」というコンセンサスがあるからだ。街中のビール広告で水着を着た女性がこれを宣伝しているというのは、「性的な服装でヘテロ男性の注目を集めるため」以外の理由を見出しづらい。一応明らかに「性的消費」だと言える。――(1)
では、「性的なものを強調した服装」はどうだろうか。古くはアンナミラーズ、あるいはHOOTERSといった店は店内ならともかく、街中の服装として適切とは言えない。これらが、その制服を前面に出した広告をデカデカと駅に張り出したら一定数の人々からクレームが来るだろうことは想像に難くない。その意味では、これらもまた「性的消費」であることにはそれほど異論が無いと考えられる。――(2)
では、「セクシーなアイドル」はどうだろうか。いや、そもそも大なり小なり「セクシー」でないアイドルなど存在しないという意味では、あらゆる「アイドル」を利用したポスターの是非は?(たとえばhttps://www.watch2chan.com/archives/20190615092712.html) またそのアイドルは男女問わないとしたらどうか? あるいはアイドルではあるがアニメ絵のアイドルならどうなのか? このあたりについてクレームを付ける人は実際そう多くない(からこんなのがあるのだろうhttps://www.walkerplus.com/article/166328/)かなり減ると推測できるが、これもまた「性的な興味で広く注目を集める」以外の理由を見出しづらいという意味で、まさしく「性的に消費」の実例なのだが、なぜかそれほどクレームが来ない。実際、先の乃木坂のポスターは「実は彼女らが一人も献血したことなかった」という理由で炎上したわけで、彼女らに求められていたのは必然性ではなく「性的な魅力」であったに過ぎない。――(3)
では、「一般的には普通の表現だが、記号的に一部の特定層に性的に受けとめられることを期待した」ポスターならどうか。たとえば制服の女子、メイドさんの服装、などがそれに相当するだろう。
「制服の女性は若々しさ、凜々しさ、清々しさを表現するためのものであり…」とか「萌えは性的なものではなく…」とかそういう御託は全部嘘だ。むしろ「マズいな」と思っているからそんな言い訳が出てくるので、これも一般的には批判されない/されにくいが、一部では燃えることがあることは実証されている。(もはや人間ですらなく、メイドらしい恰好をしたロボットの表象が叩かれた例https://www.huffingtonpost.jp/2014/03/04/jinko-chino_n_4900699.html)ただし、これを「性的消費」という文脈で叩くのは難しいので、一般には「学生にこんなことを」とか「ジェンダー固定化の懸念がある」とかそういう文脈を用いて叩く。これを混ぜこむのが混乱の原因というのが元増田の主張でその指摘は理解できるが、批判者はむしろそこを混ぜるところに意図があるのである。――(4)
それから、「表現者や対象には明らかにその意図がないかあっても薄いが、そう見られる可能性を排除できないもの」はどうだろうか。(例:ある公的なポスターコンクールの作例 https://twitter.com/abo_saitama/status/1023415216208470018 )この作者に性的なデザインをしたという意図は全く無いだろうが、明らかに構図は胸を強調しているし、いわゆる「乳袋」表現すらある。世にある(セクシーな)漫画的記号表現やデザイン、構図を踏襲したこと、そして、無意識下の「こういうのが受けるだろうな」というイメージが影響したと想像される。…そんなことを述べると一般人的には「?」となるが、学者が意見を述べるのがこういう対象である。時代の中で生きている我々は、同時代の様々なイメージの中で、日々ソレを呼吸しながら自分を形作り、つまり〈時代を内面化〉している。そのように個々人やその表現に内面化された表象を分析するのは学問分野の領域であるし、「一般人には分からないが学問的に危険性が明らかなモノ」に対して警鐘を鳴らすのは、文系理系問わず学問に期待される役割だ。ただ、学者の意見が正しいとしても、それを規制することに社会的合意が得られるまでには段階が必要で、いきなり規制するのは乱暴である。――(5)
最後に、思考実験として二つの例を挙げたい。ひとつは「まいてつ×くま川鉄道」事件。鉄道をネタにしたエロゲを作っていたエロゲメーカーが地元鉄道会社に善意で「そのキャラの差分」みたいな画像をキャンペーン用に提供した(普通に着衣の絵)ことが大問題となり取り下げさせられたケース。(https://togetter.com/li/1031033)。もう一つは、「セーラー服の少女が、ボロボロになり、へその間際や太ももが丸見えのセクシーな姿になった画像を献血ポスターに使ったが全く問題視されていないケース」(https://eiga.com/news/20120528/10/) これらの線引きに対して「主観」以外の適切な理由が見いだせるだろうか? そして、主観以外の理由が見いだせないようなルールを作り運用するような状況で、表現は本当に萎縮しないか? 多少厳しくても合意が得られたルールが明確な基準で運用されていれば、表現はそれほど萎縮しないどころか工夫を凝らして隆盛しさえするだろう。だが、曖昧なルールが曖昧に運用される状況というのは、過剰な自粛が進み、結果的に表現の衰退を招く。
いま本当に必要なのは、上で挙げた(1)~(5)のような例のどれを許しどれを許さないのか、その明白な根拠は何か、をしっかりと論じることだと思う。戦後に猥褻と表現の自由を論じて争われた「チャタレイ夫人の恋人」事件では、弁護側が「文学性」とは何か、「わいせつ」とは一体何か、ということを定義するため客観的なデータを示して懸命に論陣を張ったにもかかわらず、規制を主張した側が極めて感情的、主観的に「明らかに猥褻」、「超弩級の猥褻」といった無茶苦茶な陳述で切って捨てたため、結局、何の議論の深まりも得られなかった。(そしてもっと猥褻なものは普通に社会で流通していた。)昨今のいくつかの表現に対する「明らかにエロい」といった極めて感情的な告発は、残念ながら、魔女狩りにも似たこのような表現規制の過去を彷彿とさせる。
『なんで「台風」を知らなかったの?』では炎上狙いの酷いタイトルと思われてもやむ無しである(結論)。
趣旨に沿うタイトルにしたいのであれば『なぜ「台風」の【正体】を知らなかったのか』や【台風発生のメカニズム】とかにしておけば良かっただけの話である。
でもそれだと「語るに落ちている」ので避けたかったのでしょう?「昔の人ってなんで「雷」を知らなかったの?」なんて阿呆な質問は絶対出てこないでしょうに。
それでも「なぜ『雷の正体は電気』だと知らなかったの?」なんて質問は、自然科学の学問研究の体系が始まってもいない時代に対して発していい事では無い。
「無い」は言い過ぎだとしたら「行儀が悪い」はっきりそう思う。
学問というのは「自らを批判し、更新し続けることで半永久的に衰退しない権威を維持するもの」だからね。
学問は必然的に権威になるものだし、また権威でなくてはならない。そうでなければ学問は学問としての価値(すなわち批判する価値)を失う。
まあ、フェミニズムというものの(大衆から見た)権威が最近落ちぶれつつあるんじゃないの?とは思う。「自らを批判し、更新し続けること」の部分がなかなか見えてこないからね。
心理学とかも(氾濫するトンデモ本のせいで)大衆から見るとアレなんだけど、大学で授業を受けるとまず「科学とは何か?」「反証可能性とは?」とか基本的なことからじっくりやるみたいだね。それはやっぱり権威を権威たらしめるために必要な儀式なんだろうと思う。フェミニズムも授業受けると印象違うのかな。
そうですか
それはあなたが社会学に興味があるからそう思うだけで、あらゆる分野の学者に一定数そういう手合いはいるのではありませんか
しかも大学の外にもそういう輩はいて、専門知識やら既得権益やらマネーやら腕っぷしやら激辛カレーライスやら、おのおの得意技をちらつかせて弱者を支配しているのではありませんか
学者さんは社会的に保護されていて叱られた経験が希薄なため、衆目の面前でやってしまうというマヌケをやらかしがちかもしれないとは想像します
でもあなたが言うような社会学系の学者に特異的な現象は存在しないような気がします
それとも自称学者という言葉の意味は、素人ということなのでしょうか
素人なら、パチスロでにいて、頼んでもないのに横であれこれ指南してくれる赤い顔をしたセンパイと同じなのではないでしょうか
あなたが学問の道を志すも苦悩の中で挫折したというように読み取りましたが、そうだとすると、挫折が憧れとなって学者という人種に過剰な期待を寄せているのでしょうか
いや、過剰かどうかはわかりませんが、とにかく学者にもいい者と悪い者がいて、悪い者は目立つということは間違いないと思われます
卒業制作もはじまり、バイトに学校にそこそこ忙しい日々を送っております。無事に内定も頂き、残りの学生生活を有意義に使いたいと考えています。
理由は奨学金がたくさんあることです。月々3万少し、二十年間、来年度から支払わねばなりません。お給料が20万円少しとかなり普通な企業に就職し、手取りは16万ほどになるのでしょうか? そのなかから3万少し毎月出て行くかと思うと、私にはその生活の中で何ができるのか、普通には生きていけないんだろうかと不安になります。
わかって借りたお金です。自分のために使ったので後悔はありません。でもだから逃げ道がなく苦しいのです。泣きそうです。
大人ってもっとお金持ちだと思ってました。自分の見識の甘さにどうしようもない後悔を感じます。死にたくもなります。(余談ですが、死ぬと奨学金って返さなくていいんですよ。奨学金で自己破産とか聞きますが、頑張って死なずに手続き踏んだんだなぁ、偉いなぁとそんなニュースを見るたびに尊敬します。)
あるいはもっと採算の取れる学部に行けば良いのにと思う方もいるでしょう。でも学びたいことを学ぶために行くのが大学だと私は思っています。就職活動の予備機関としての姿が本来ではないと思うんです。それでは実学以外の学問の価値は無くなってしまうような気さえします。
奨学金なんて自己責任とも聞きますが、親の持っているお金の関係で進学が絶たれるのもおかしいと感じます。親の収入や資産運用まで子供の責任というならば別でしょうが、そのあたりはどうなのでしょうか。連帯責任でしょうか。
進学について、本当に平等を求めるなら子供は皆子供のお金で、自分の責任の金で進学するシステムであるべきなんだと思います。そうすれば私は周りの学生との格差なんて感じないで済むのに。そうすればみんなこの苦しさがわかるのに。
私は今死にたい。
(そういえば来年度から新しい奨学金制度が始まりますね。多分私の実家は新制度の対象内になるでしょう。
私は今年度卒業なので対象外ですが、妹がいるので彼女にこの辛さを味合わせないで済むのは嬉しいです。でも同時にどうしようもなく悲しく、辛く、怒りに震えそうです。たかだか数年の違いなのに!と思わずにいられません。)
大変な乱文で失礼しました。
また最後までお読みいただき、ありがとうございます。
頑張って死なずに生きていきたいです。
力を合わせて頑張りましょうしか言わない
アプリもある
あの局の良いところはテレビ以外の情報伝達手段を追求するところ
災害放送が見れるのに、普段受信料を払ってないような人が見れていいの?
今回はみんな避難所に逃げたらしいけどそこのテレビは自治体が受信料を払ったテレビだよ
俺はいらないとかじゃないんだよ
教育系の番組はいらないって言うけど、子どもは楽しそうに見てる
文化系の番組はいらないって言うけど、民放で組めないようなマイナーな学問の番組ができる
紅白はいらないって言うけど、中継や合成の技術はすごいし高画質放送なども大々的に披露してる
(バラエティとして見ると面白くないのは同意できるからうたコンやのど自慢くらいの気持ちでやってほしいけど)
オリンピックのたびにスポーツ科学を扱った番組を最新鋭のGoProカメラやCGを使って作ってくれる
いらないの一言であの局をなくすのって2位じゃダメなんですかの精神とあまり変わらない気がする
それでも変えたいならあの局が持つ災害放送以外の役割もちゃんと考えて発言してほしい
なぜ「現在のようになったのか」の因果関係の背景を知るため、というのが一つ
自分が生まれて以降の歴史しか知らないと、なぜ韓国が難癖をつけるのかとか
漢字はもともと中国からの借り物だった、というか律令制で定められた
官職名や社会制度やら中国のパクリばっかりといったことを理解せず
ドヤ顔で日本オリジナルみたいに語って大恥をかく大人が量産されてしまう
あと、これは私見だが
「世の中には自分と異質な人間・異質な文化」があることを理解すること
環境によって習慣や考え方さえ左右されている
ということを頭の片隅に意識して置くかおかないかで人間観は大きく変わると思う
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以前にこういうことを書いたことがある