はてなキーワード: 女子力とは
通勤通学のお供に
youtubeで半分メイクのやつ見てたけど、半分だけで比較すると化粧した方の目って殴られた感じになってるんだな。
あと見てて思ったのは男としては化粧してる女が基本になって、化粧してる女に恋してすっぽん見てなんやこれ!って思うわけなんだけど
あまりに女子力(技術力)がアップするとすっぴんの女に対して恋心とか生まれないような気がしてきた。
しかし芸能人でもすっぴん見るとけっこうブサイクなんだよな。じゃあ一般人のすっぴんってどんなけブサイクなんだろうって考えると恐ろしいな。
ふだんプラモデル作ってるからプラモデルの文脈で見るとかなり戦車に対するウェザリングに近いと思った。
カトキ風パステル透明感エアブラシではなく粉を(模型用語でいうところのピグメント)いろいろ塗りつけて立体感とか出して、そのあとクリアー系でうる感とかつや感を出してる感じがした。
あるゲイのツイッターユーザーのツイートがちょっと前にに少しバズっていた。内容は次のようなものだ。
『「LGBT当事者の方々、みんなカミングアウトしてください!社員はみんな受け入れますよ!」という会社の研修が行われたが、カミングアウトしなければ「いけない」みたいになってて気持ち悪い、自分はそっとしておいてほしい』
このツイートには様々な反応が寄せられていた。その中にあったあるリプライが自分はとても印象に残っている。
『LGBTを受け入れろと言ったのはお前らだろ、それなのにそれが行き過ぎたら「やめてほしい」なんて都合良すぎ』というリプライだ。
このリプライをした人はおそらくあまり深く考えず、漠然とLGBTを何かしらの"思想的な団体"だと思っているのだろう。街頭で演説してる右翼団体みたいな。
その考え方は、「性的指向」と「性的思想」を完全に取り違えている。
冒頭のツイートの主は、LGBT当事者だからといって、LGBT団体に属しているわけでもなければ、「LGBTを受け入れろ」という運動に参加してもいないのだ。
この「性質」と「思想」を混同する的外れな批判は、LGBTに関すること以外にもいろいろなところで目にする。
ある新聞の投書か何かの欄で、ある若い女性が「女子力という言葉は、女性に女らしさを押し付けていて良くないものだ」というような意見を主張していた。
「いや、そもそも女子力という言葉を使い始めたのは女だろ、何言ってんだ」(もし投書した女性が「男性が悪い!」というニュアンスを含んでいたらこの反論は最もだが、女性は明らかに「女子力」という言葉が使われている日本の状況についてのみ批判していた)
この的外れな反論は、"女性という集団"はある"思想集団"であるという漠然とした感覚から生まれたのだろう(これにより、女性対男性という対立構造を勝手に作り出している)。これも女性という「性質」と女性のなかの一部の「思想」とを混同している。
何か思想的に気に食わない対象を「叩きたい」、「馬鹿にしたい」という欲望からおそらく無意識のうちにこの混同を行ってしまうのだろう。
もし気に食わない思想と出くわしたならば、その思想を持った特定のLGBT団体や特定のフェミニストや女性団体だけを叩けばいいのに。
いや、ひょっとしたら叩いてる人たちは「LGBT」や「女性」という性質を持ったすべての人が気に食わないのであり、それを叩く理由がほしいだけなのかも知れないが。
実際ないだろうね。
少女漫画の「平凡で取り柄のない私」でも、「心根は優しくて誠実」だったり「ある種の才能があってそこが魅力的」だったりするからね。
そもそも女の子に、「ダメな女の子」を魅力的として見てもらえてないんだと思う。
女子力って言葉、今は「男に媚びる仕草」として使われてるけど、本来女の子の間では「誰も見てないところでも、女らしくきちんと振る舞う仕草」として捉えられてる。
いつもきれいなハンカチを持ってるとか、いつ家に行ってもきれいに片付いてるとかね。
そういう風に「自律できる女性」が魅力的と捉えられてるから、「ダメなオッサン」の女版は基本的には好かれない。
最近、高齢化に合わせて、平凡に生きてきた中年女性や老年女性を主人公にした作品も出てきてるけど、それも「第二の人生を自分の力で切り開くバイタリティ」を描かれてるから、「ダメなおばさん」じゃない。
女の子には「自分はダメでもいいんだ」じゃなくて、「自分はダメじゃない、ダメだと言われても頑張れる」ってメッセージのほうが受けるんだと思う。
一人暮らしももう4年目で、自炊もある程度手慣れたものになりました。
最近は、節約とダイエットのためにバイト先や学校へ手作りのお弁当を持っていきます。
それを見た周りからは「えらいね」とか「女子力高い」とか言って褒められます。
でも自分のお弁当作ることくらい、褒められるようなものじゃないと思うのです。
私の周りには大学生になってもなお、お母さんが作るお弁当を持ってきている人が結構います。
そういったお母さんたちが、バイト代もある大学生にもなって子供のために毎日お弁当を作ることに比べたら、私は自分のことを自分でしているだけで何も偉くありません。
そういった他の周りの大学生に比べてということであれば納得なのですが…
でもそうしたら、子供のためにお弁当を作るお母さん方はどれほど偉いのでしょうか?
小さい子ならともかく、大学生なんてもうお酒も飲めるしバイトで稼ぐこともできる立派な大人です。
専業主婦のお母さんなら家族のケアが仕事のため、毎日お弁当を作ることもある種仕事と考えられるかもしれません。
けれど、働くお母さんもたくさんいますよね。大学に通うよりも忙しいはずです。なのにそんな子どものために毎日お弁当を作るお母さんは本当に神のような存在だなと思ってしまいます。
うちの母親も教師として残業も多い中働きながら、高校時代は毎日お弁当を作ってくれました。今の私の状況と比べても本当に偉いなと思います。
まとまりがなくなってしまいましたが、お弁当を作る私全然偉くない!
以上
反論はあるだろうが、とりあえず見てほしい。
①とほとんど同じだけど
おばさん呼びが嫌いな女性もいるでしょ?
これは男女共通だと思うけど。一応あげる
これは男性の方が臭いが出やすいのに、露骨に顔に出る人とかいて辛い。
とはいえ、お互いのために男性も最低限はケアしようねという気持ちもある。
まあ、あげてくとキリがないんだけど、
女性がされてセクハラに関することは意外と男性も嫌いだったりする。
お互い様なんだよな結局。
定義はないんだけど、
ハニートラップ、美人局は違う。あれは意図的なものなので違う。
結果的に起こした人が悪いんだけど、無意識的に煽っているような状態を無視して、
一方的に悪いというどうかという話ね。
男性性を求められているのに行動を起こせばセクハラと呼ばれる辛さがある。
先日30歳になった。
私は特別可愛くもオシャレでもない。
化粧も服も最低限の興味しかなくて、世の中の女子に比べたら意識低すぎる方だと思う。
それでも人付き合いで困ったこと無いし、過剰な時間やお金をかけることもなく、それで満足していた。
30歳になった日は独り身だった。(今もだけど)
今まで恋人がいたりいなかったり、モテないともモテるとも言えない人並みの恋愛遍歴だと思っている。
女子力の低い私でもなんだかんだで人間性を見てくれる人に出会えてきたのは幸せなことだ。
ただやはり30歳というのは人に何かを感じさせるには十分な節目のようで、急に自分に対する投資というのに興味が湧いてきた。
化粧、服、歯列矯正、脱毛、英会話。この1週間で今までと違うことをこれだけ始めた。
(化粧は今までは雑誌やネットの知識で独学だったので、ちゃんとプロに教えてもらった)
(服も今まではシーズンの変わり目にアウトレットに行って適当に買ってたが、雑誌を見たり自分に似合うものはなにかを考え始めた。
なんかね、楽しいね。これ。
言っちゃあれだけど自分すごい可愛くなってくわ。自信つく。
今までもたまに合コンとか呼ばれてたんだけど、そういう人と会うイベントのときのワクワクとか楽しさが段違い。
もしかして普通の女子って若い内にこの楽しさを味わってるからあんなにオシャレで可愛いの?
あと10年早く目覚めてたら……と思うこともあるけど、自分は20代はガッツリ趣味に生きてきてそれはそれでめちゃくちゃ楽しかったからまあいいや。
今まで私はドラッグストアに売っている安い化粧品しか使ったことがなかった。 敏感肌なのでファンデーションは何を塗っても1時間ほどで痒くなってしまう。そもそも私はソフトウェアエンジニアで、会社には人よりPCやスマホのほうに興味がある人ばかりなので、仕事に行くのにキッチリしたメイクをする必要がない。どうせ誰も見ていない。
社会人としての最低限の身だしなみとして、日焼け止めとパウダーをちょっとはたくくらいで日々のメイクは義務的に終わらせていた。
きっかけは友人の結婚式だった。普段のほぼすっぴん状態で、結婚式のようなフォーマルな場に出ることはできない。
そこで、少ない貯金をおろして初めてデパートの一階にある化粧品売場に出かけた。目的は外資系のとある高級ブランドのファンデーション。なぜかというと、若かりし頃に親戚の結婚式に出たとき、式場でメイクしてもらったのがそのブランドの化粧品だった。そして、そのブランドのファンデーションは、私の敏感肌でもまったく痒くならなかったからだ。その某ブランドなら大丈夫だという確信があった。ただ、そんなに必要と思えないモノに高い金を出すことを渋っていたので、今まで買うことはなかった。
友人の結婚式がなければ一生縁がなかったであろうキラキラした空間に初めて足を踏み入れた。
きっちりメイクした威圧感のある店員さんたち、おしゃれな女性客たち。高級ブランドの化粧品はお金持ちのマダムが使っているというイメージがあったが、意外にも20代、30代が多く、10代の女性たちもちらほら見かけた。
目的のブランドの売り場に近づき、化粧品を眺めていると店員さんに「何かお探しですか?」と声をかけられた。ジーンズにカーディガンとカジュアルな服装で行ったのにちゃんと話しかけてもらえた。それだけで少しうれしかった。
フォーマルな場に出るためのキッチリしたメイクをしたいと伝えると、あれよあれよという間に鏡の前の椅子に座らされた。店員さんが見繕ってくれた、私の肌色に合うファンデーションをその場で試してくれた。コスメカウンターの椅子に座っている間は異様に緊張していた。変な汗が出てくるので店員さんがしてくれたメイクが崩れないかすごく心配だった。結局大丈夫だったけれども。
ファンデーションだけ欲しいと伝えてあったのにチークと口紅も塗ってくれて、あっというまに華やかメイクの見慣れない私が鏡の中にいた。
ほのかに化粧品の香りがする。高級な香りだ。それまで化粧品の匂いは苦手だと思っていたけど、自分で付けてみると案外気にならなかった。満員電車で強烈に香る女性が色々付けすぎなだけなのだろうか。それともブランドが違うだけなのだろうか。自分でつけると気にならなくなるのかもしれないから、それは気をつけたい。
ともかく、一式メイクをしてもらった私は目的のファンデーションを手にして店を出た。お金を使ったあと独特の奇妙な満足感があった。
後日、試しに仕事へ行く時にその化粧品を使ってみた。一日付けていても全く肌が荒れなかった。感動した。今まで1000円〜3000円ほどのファンデーションを気まぐれに買ってはいたものの、どれも痒くなってしまってすぐに落としていた。しかし、この某ブランド化粧品はすごかった。値段もやたらと高いが質もいいということを、その時ようやく理解した。夕方になっても肌が汚くならないし、荒れることもなかった。(でも、どう考えてもパッケージに2000円以上かかってると思う)
その後ネットで化粧品に関する情報収集をして、ベースメイクとリップは良いものを使ったほうがいいという意見を多く見かけた。そして、同じブランドの口紅も買うことにした。数週間後に同じ店に行き、店員さんにフォーマルな場でも使える色のリップを探していると伝えて、いくつか見繕ってもらった。二回目なので私も慣れてきた。手入れをまともにしていないカサカサの唇を綺麗にしてくれて、「唇は皮膚の入れ替わりが早いのでこまめにスクラブすると良いですよ」と教えてもらった。知識が一つ増えた。
それまで数百円の安い口紅しか付けたことがなかったが、この高級リップもすごかった。とにかくつけ心地が物凄くいい。スルスルとすべらせるだけで唇に色が着く。リップはベタベタして気持ち悪いと思いこんでいたが全然ベタベタしない。つけても不快感が全くないのだ。そして色が落ちない。安いリップはこまめに塗り直しが必要だが、これは数時間たってもきれいな色のままだった。そして何より、見た目が豪華なので持っているだけで気分が高揚する。(でも、どう考えても半分はパッケージの値段だと思う)
その後、そのブランドのファンデーションとリップでメイクして街に出かけた。お金持ちではないので他の部分は安い化粧品を使った。しかし、一部でもちゃんとしたブランドの化粧品を使っているというだけで気分が高揚し、自信が湧いてきた。人混みは苦手だが、その日は人の多い場所でも気にならなかった。これがメイクの威力なのかと思った。アラサーにして、ようやくそのことに気がついた。これが女子力なのか……。
君のおかげで私は少し、大人になることができた。
それについての記事を読み、
なるほど、ただ串に刺しているのではなく、
様々な工夫がなされているのだなぁと感心した。
確かに嫌だろうなぁとは思ったし、
ここまで工夫されているのなら、行ってみてかぶりつきたいと思った。
と同時に、
5本セットを3人でシェアされるより、
3人が一人3本4本頼んでくれた方が確かに売上としては上だな
とも考えてしまった。
そうした売上アップの為のセールスが悪だなんて微塵も思わない。
でも、「美味しくする工夫をしているから」以外に、
そうした理由はあって良い。
個人的には、串をシェアするかどうかは一緒に行く人に寄るかなと思う。
一緒にいる人が仲の浅い知り合い程度で、コース料理のやきとりであれば、
仲の良い人たちとであれば、個々が好きな串を頼んで食べるのに何の問題も無いだろう。
また、関係性等々によっては、一口分けたいならそのまま持ってる串を渡して
一つだけ食べあうようなこともするかもしれない。
(本当は良いことでは無いかもしれないが)
「じゃあ仲の良い人とだけ行けば良いじゃないか」と言われるかもしれないが、
「そこまでの仲じゃない」人との食事というのは往々にして存在すると思う。
ある種の引け目から串から外してシェア=形式上の平等を行っている部分もあるのではないだろうか。
一口目~最後によって大きさや味が違うのであれば、真の平等ではない。
とだけ思われるようになってしまうのは、心外だなと思ってしまった。
かぶりついて口周りが汚れても、笑って楽しく過ごせる人と
美味しいお店に行きたいなぁと思う。
そう!
学生同士なんて上下関係ないんだから、そういう飲み方(あーとってー、と、おいよ!、みたいな)するのが当然だと思うんだけどさ。
「気の利くあたし」アピールをする女性と、「お!こいつは女子力あるな」と思う男性のコミュニケーションが皿配りだと思うのに、
全くそれと違う次元で気を利かせるのとやってもらって当然の了解ができてるのがどうにも理解できなくて。
こういうのがコミュ障?
「女子力」もなかなか……