「哲学的ゾンビ」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 哲学的ゾンビとは

2024-09-27

[] 幸福の泡

佐藤太郎は、静かに夜が明けるのを待つように、いつもの朝を迎えた。枕元の目覚まし時計が一日の始まりを告げると、彼は重く閉じた瞼をゆっくりと開け、僅かに冷たい空気を吸い込みながら、ベッドから体を起こした。薄暗い部屋の中で、手を伸ばしてカーテンを引く。途端に、柔らかい光が部屋に差し込み、無音の世界に静かな生命を吹き込むようだった。

から見える空は、まだ青と淡いピンクが混じり合う静かな朝焼け太郎は窓を少し開け、朝の冷涼な風を体に取り込んだ。新鮮な空気が胸の奥まで届き、彼は深く呼吸をした。胸が次第に温かくなり、瞳の奥にまで光が届いたかのように、心も体も満たされていく。

今日も良い一日になりそうだ」

かに呟いたその言葉には、確かな実感がこもっていた。太郎ゆっくりリビングに移動し、コンロで湯を沸かす。穏やかな朝のルーティンの中で、彼の心は変わらず平穏であった。トーストが焼ける香ばしい香りが部屋を満たし、湯気の立つカップを手に取った時、彼はふと、自分毎日いかに満ち足りたものであるかを感じた。

朝食を終え、彼はいものように駅へ向かった。歩き慣れた通りには、すでに多くの人々が行き交っていたが、太郎はその一人一人の顔に、特に注意を払うことはなかった。彼にとって、通勤風景はただの風景であり、日々の当たり前の一部だったからだ。

ホームに立ち、到着した電車に乗り込む。混み合った車内で太郎は窓の隅に立ち、周りを見回した。スマートフォンの画面に視線を固定する者、何気なく本を開く者、目を閉じて休んでいる者、皆が自分世界に閉じこもっているかのように思えた。それはいもの光景で、何の変わりもない日常であった。

しかし、ふとした瞬間、太郎の胸に言葉にならない違和感が生まれた。周囲の人々の目がどこか虚ろに感じられたのだ。まるで彼らがそこにいながら、実際には存在していないかのように。ある女性が微笑んでいたが、その笑顔には不自然ものを感じた。感情の伴わない形だけの笑顔。それは、どこか機械的ものに見えた。

会社に着いた時も、その違和感は消えるどころか、ますます増していった。同僚たちは普段通りに業務をこなしていたが、その動きには滑らかさがなく、まるでプログラムされた動作をただ繰り返しているかのように見えた。彼らの目に宿る光も薄く、生命の躍動を感じることができなかった。

その日の夜、太郎は家に戻り、テレビをつけた。何気なくチャンネルを回していると、奇妙なドキュメンタリー番組が彼の目に留まった。そこでは、「意識世界」という名の仮説が語られていた。

番組は、現実世界とは別の次元存在する「意識世界」の存在を主張していた。多くの人々の意識は実際にはその異世界にあり、そこで過酷な苦しみと絶望の中で生きているという。そして、現実世界にいる我々が見ている「他人」とは、実は意識を持たない哲学的ゾンビに過ぎず、ただ現実世界を歩き回る空っぽの殻なのだと。

太郎は凍りついたようにテレビ画面を見つめた。番組の内容があまり荒唐無稽であるにもかかわらず、彼の心には強烈な共鳴が走った。リモコンを握りしめる手が震え、全身に冷や汗が滲んだ。その瞬間、全てが繋がったのだ。なぜ自分けがこんなにも平和幸福な日々を過ごしているのか。そして、なぜ周りの人々が皆、虚ろな目をしているのか。その答えが、今目の前で語られていた。

彼は特別存在だったのだ。唯一、意識現実世界に留まっている者であり、他の人々は全て、別の世界で苦しんでいる。彼らが現実世界存在しているかのように見えるのは、ただの錯覚に過ぎない。

太郎は、この恐ろしい真実に直面し、恐怖と罪悪感に押し潰されそうになった。しかし、やがて彼はある種の使命感に目覚めた。自分特別であること、それに伴う責任を感じ始めたのだ。彼は思った。自分幸せであることを最大限に享受し、また他者空っぽの殻たち—に対しても、可能な限りの思いやりを持って接するべきだと。彼らの本当の意識が苦しんでいるのであれば、少しでも彼らに温かさを届けることが、意識世界での苦しみを和らげる助けになるかもしれない。

太郎は窓の外を見つめた。冷たい夜風がカーテンを揺らし、街の灯りがちらちらと輝いている。何も変わらない日常風景がそこには広がっていた。しかし、彼の目にはすべてが新鮮に、そして尊いものに見えた。

2024-09-24

anond:20240322213607

なんだ俺よりマシじゃん

俺なんててんかん発作に起因した妄想で全人類哲学的ゾンビと信じて、友人を「お前もゾンビだろ」と言った漢だぞ?

2024-08-27

anond:20240827141148

痛覚の証明って不可能なんだよね。

哲学的ゾンビとかの仲間。

 

神経の研究とかでも、「クラゲ細胞ちょっと反応して縮んだからこれは痛がっているはず」とかで痛覚を定義してて、実はそれは痛覚があることの証明ではない。

が、しょうがない。

2024-08-26

マックス・テグマークが何かの動画で「哲学的ゾンビ相手なら拷問おk」って言って、レックスフリードマンが「でも、彼ら苦しんでる」とか言ってて、おいおい哲学的ゾンビ存在すんのかってなった

2024-07-24

anond:20240724092450

有名なのは

哲学的ゾンビインプレゾンビゾンビシャークだと思うけど(最後はおいといて)

これだけ見ても二系統あるよね

本能というか、ウィルスゾンビ力に乗っ取られて捻じ曲げられた行動しかとれない、意志を失ったという元々のゾンビ的な属性

わらわら沸いて増えていくという、今のインプレゾンビで顕著な属性(もちろん、思考不足を揶揄もしているだろう)

他にもゾンビには色々特徴があるので、なるほどなーと思えるところをワード繋ぎ合わせられたら、バズる目は出てくると思う

紫い、噛む、手を前にして歩く、壁があっても止まらない、内臓こぼれがち、目玉落ちがち、うーうー言う、犬もなりがち、犬は素早い、犬は窓から来てびっくりする

2024-07-17

配信コメントで見る一般人コミュ力に対する疑惑

ニコ動YoutubeLiveでもそうだけど

コメントするのって全体の1割くらいらしいんだよね

その1割の中の9割くらいが定型しか書かないんだよね

これずっとモヤモヤしてる

きみらほんとはゾンビなのでは?って

Youtubeでは定型文というかスタンプ

  

はてなーって多分この割合がガラッと変わって、残りの1%の人が結構集まってるイメージなんだけど

まあそれでもスターしかさない人の方が多いだろうし、スターすら押さない人は多分もっといるんだろう

 

そういえば2chですらROM結構いるんだよね

1000レスあって、書き込んでるのはだいたい200人くらい

画像とか貼るとView数が2000弱くらいだから、ざっくりROMが9割なんよ

 

就活の時、説明会に参加した30人くらいの中で発言するのって大体自分含め3人位だったと思うんだけど、あの残りの27人がそいつらなのかなあ

でもそいつらって、たぶん友達とは普通に話すんだよね

いや、そいつらと話たこと無いか分からん

ネットにも浮上してこないし、ちゃんと会話しているかわからん

自分の見えている世の中って発言する1割、なんなら定型文を言わない1%のみで構成されてるんじゃないか

そういう今どきの哲学的ゾンビを考えたりする

 

____

 

SNSはどうなの?っていう話あったから調べたけど

TwitterでのROM専が大体6割っぽい、9割とまではいかないけど過半数ROM

参考:https://www.moba-ken.jp/project/service/20220215.html

2024-07-12

anond:20240712101158

何をいまさら

どらえもんに「心がない機械にすぎない」と言い出したら狂人だろう。

 

心があるかのようにふるまう奴は心がある、と考えるのが倫理

故に心を持っている機械は作れる。

これはもうしょうがない。哲学的ゾンビとかの話もあるし。

人間は目と鼻と口さえついていれば、コンセントでもそこに人格想像する程度の生き物だ。

2024-06-30

 未決拘禁者の単独房にはパソコンインターネットもないので、ないのは、拘置所の設置目的や設置趣旨からして無理だからと言っていてこの点は絶対に譲らないので、袴田のように

  50年以上も東京拘置所の中のみしか動き回れなかった老人が釈放されてインターネットをみたときにどのような感想をもったかというと疑問なしとしない。袴田の東京拘置所での生活

  について実際はどうだったか、その答えは袴田の中にあるので、しかしこんなに言わない老人も珍しい。最近は5ちゃんねるをずっと見ていなかったので、昨晩、ちらっとニュース速報VIPを、正式

  のサイトでみたところ、 4時になったから44回ベランダからちんこを出した、というスレッドがあった。また、Janestyleでは、理系の板がほとんど消えていてボロボロだが、正式HPをみたら

  全部そろっていた。東京拘置所の中のまずい情報とかそんなことは俺がそこの中で見ているから全部知っているし書こうと思ったら。

    哲学的ゾンビというのが最近流行っているが、 初等幾何学で、Pascal定理という完全無欠な定理を知っていると、証明の中にきらびやかに出て来るのがばれたせいで、初等幾何学はつまらない

  ものであると言われていた説明ウソであることがばれたか哲学的ゾンビ流行っているわけで、その辺がばれたせいで、Amazonで、初等幾何学の本が手に入っても大体分かるので。

2024-06-09

anond:20240609213225

ざっくり言うとな、お前の思考頭全く関与しない、ガチャ、口開け待つだけ、他者依存自己啓発薄い

全返却?感情思考も借り物、次第に哲学的ゾンビ、外部刺激、反射応答多細胞生物

人間輪郭欲しいなら、自分の頭使い、考えて学べ、他者評価よりも自分を知る。

anond:20240609162609

導出的な解説が誰かを待つときガチャのように口を開けてワンチャン狙い。児童教育レベルで解り易く怒るか喜ぶべきか解らない。思考感情他人から借りて引用して返却、何も定着せず哲学的ゾンビのように輪郭を持たず外部刺激に反射する多細胞生物人間扱いされないと嘆くのは違う、人間になるべき。

2024-04-18

anond:20240417231233

NPCであるかどうかを区別する基準は、残念ながらインフルエンサーであるかどうかは関係がありません。

基準は一つ。意識を持っているかです。

意識を持っていない哲学的ゾンビNPCです。

2024-03-03

俺はこどおじだが、催眠術異世界に行く方法を探している

催眠術で顔と体と声が女性になった状態異世界転生する方法を探している

だが以前女体化催眠を試してうまくいきそうなところまで行った時は、哲学的ゾンビになりかけた

意識喪失した状態で行動している感じ

それで自分意味不明な行動をしているとき意識が戻ったから「哲学的ゾンビ実在する!」とわかったわけだ

俺がやりたいのはそういうことではなく、俺の認識を書き換えることによって、

俺が最初から女性であったかのような世界に転生し、さら女性となることだ

哲学的ゾンビではなく意識を持った状態でだ

なぜこんなことをしたいかというと、女性の方が美しいかである

ストリートファイターバルログという美しさを追求するキャラがいるが、あれに似ているかもしれない

ただ、異世界転生して今いる家族とサヨナラするのがあまりにも悲しいので、やっぱり却下

2024-02-22

anond:20240222182808

魂の殺人と言うけど

レイプ9回で9魂を殺された人たちは哲学的ゾンビにあたるんだろうか

2024-02-16

数学定義は本当に厳密で一意なものと言えるのか気になりました

たとえばユークリッド幾何学での直線は「幅をもたず、両側に方向に無限にのびたまっすぐな線」だそうですが、これも「幅」とは?「(幅を)持つ」とは?両側とは?「方向」の定義は?「無限(限りが無く)」とは?そもそも「限り」って何?「のびる」とは?「まっすぐ」とは?「線」と結論づけるのは循環論法じゃないの?

と突っ込む人にとっては厳密ではなくなっていませんか?

ここで、これらの言葉意味は、国語辞典に載っている意味と同じものだよなどといおうものなら、それこそ数学の厳密性を否定したようなものになってしまっていると思います

たとえば「方向」を調べたら「向くこと」とでます。これを調べると「物がある方向を指す」というふうに出ます。これは循環論法に陥ってますし、「物の正面があるものに面する位置にある」という別の語釈もありますが、物とは?正面とは?面するとは?位置とは?となります。これを繰り返せば結局どこかで循環論法に行きつくでしょう。

そもそも数学の根幹部分を支える論理学重要概念である否定(そうでないこと)」にしても、厳密に定義することは可能なのかと思います

「~でない」というのは、そうであることがないということ、と言ってみたところで循環論法

そうであるのになぜ上記のような定義公理が厳密なもの認識されているかといえば、「さすがにここまで平易な単語の組み合わせで書けば、これらの単語については私が常識として理解してる意味と同じ常識を、相手も持ってるはずだから同じ理解をするよね?」みたいな態度に立っているんだと思います

結局相手も同じ常識を持っているという不確かな信念によりかかっている、甘えている点で、数学記述もまた完全に厳密で一意というわけではないのかなという気がしてくるのです。

そもそも「方向」なんていうような概念は、言語によって定義されたものを知っているというよりは、幼少期に言語習得していく過程で、それが話されるシチュエーション、つまり五感などあらゆる感覚総体とセットでそうした言葉が使われているという環境に身を置いているなかで理解しているにすぎません。理解内容が各個人で全く同じである保証はどこにもないと思います

どんなに高度な数学表現も究極的には自然言語還元されるはずで(どんな高級言語機械語に置き換えられて処理されるように)、自然言語の各単語に対する人々の理解原理的には五感に根差し感覚的なものなのだから数学記述が厳密で一意というのは、結局はほかの記述の仕方に比べた程度問題(つまりは誇張表現)なのかなと思うのです。

感覚によらない「証明」をすることに価値を見出す人が数学をありがたがることがありますが、数学もまた根源的には感覚ありきの理解に基づいていると思うわけです。

この考えは間違っているでしょうか?そうであればどうして間違いなのか、どこがどう理解を誤っているのか知りたいので教えてください。

ちなみにたとえば「否定」というのは、根本的には、やはり言語理解が完結しているものではなく、現実の状況としての存在非存在にそれぞれ直面して、それぞれに対して「○○がある」「○○がない(なくなってる)」と言われてる場面を経験したうえで、その状況から理解した内容のさらなるアナロジーとして理解してるに過ぎないと思います(理解のあり方が、言語的ではなく、観念直観的)。

数学が他よりも他者と厳密に同一な合意が常に成り立つ、その工夫として、抽象度を高くしているのがその工夫にあたるのではないかという人がいました。↓

https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q14293524459

しか抽象度を高くすることは、合意内容のずれを減らすという点で「有効でもあり逆効果でもある」のではないかと思いました。つまり諸刃の剣なわけです。

有効である理由リンク先に書かれているのでそこに説明を譲るとして、逆効果であると思う私の説明を書きます

まり抽象度が高い概念は、抽象度が低い概念や直接的な事物に比べて理解が難しい傾向があるのがまずあるわけです。

また定義者の提起する定義をそれを発信される側が期待通りに理解しているか確認するのも、抽象度が高い概念ほど困難な傾向はあると思います

これ自体ある意味抽象のものなのでたとえが悪いですが、たとえば「左を向いて」という発言に対して、「左」を向く反応をすることで、この人は左について正しく理解してそうだなという確認(いや原理的には推定というべき)することができます

抽象度が高くなるほど具象と結びつけたこのような正しく理解してるかの評価確認テストをすることが難しくなるでしょう。

といってもそもそもわれわれは相手自分の言ったことを期待することと厳密に一致した内容で理解してるか確認することは原理的に不可能です。

頭をパカっと割って理解内容を覗きみるということはできないですから

対象となる言葉に関連したその人の発言や反応をみて、理解の結果としての発言や反応として、その人がある部分で正しく(定義者の期待通りに)理解してるだろうということを推定するしかありません。

しかも全体ではなく一部だけの理解が正しくても、発言や反応には異常が見られないということもあるでしょう。

反応や発言いくら調べても、概念全体を期待通りに理解してるかのテストには無限通りのパターン必要と思われ、原理不可能と思います

哲学的ゾンビにも通じそうな話ですが、日常範囲内で「理解齟齬があるような反応が返ってこないなら」そんな「理解が完全同一でないかもしれない」という可能性上の話を心配する必要はないというのはその通りでしょう。

ただ場合によってはそれが表出したように見える一例が、あれの原因がこれだとは言いませんが、望月新一がABC予想を証明したという論文での紛糾みたいなことが起こる一因にはなりえると思います

あれだけ理論として抽象的な概念を積み重ねた先には、定義者とそれ以外のその定義を見た人とでの理解のずれは、反応や発言として顕在化してくるほどになっても不思議ではありません。(定義者の解釈が正しいという優劣の問題ではなく)

特定公理範囲内において論理的矛盾のないシステム

はいますが、そもそも矛盾」とは何か?「論理」とは?「範囲」とは?とは、といくらでも曖昧でしょう。

たとえ矛盾記号論理の表現記述して定義した気になったところで、じゃあその記号定義ないし意味は?とどこまで突っ込まれても感覚に頼らない定義可能なんですかね?と思います

dorawiiより

追記

数学に限らない話じゃんっていうのはまあその通り。

でも定義について「厳密で一意」であることを(得意げに?)標榜してるのは数学(+論理学)とそれベース客観的であろうとする学問ぐらいだから別にエントリ詐欺じゃないよね?

a=b、aはbだ。「は」って何?「だ」って何?「英語的にはどっちもisという語に集約されてるけど、じゃあisってなんだよ」ってところから概念の共有をしてない前提に立った時、その概念を非感覚的で厳密に共有することは可能なのか、それが「完全に」できたと確かめるのにはどうすりゃいいって話よ。

言葉という形式が従で、それに乗るべき内容が主であることは百も承知だが、形式言い換えれば入れ

物抜きに内容を厳密に伝えられるのか、入れ物の存在無関係な、内容の厳密な伝達というテレパシーじみたものを考えることはそれこそ論理的に正しいのかという話でもある。

言語的なテレパシー論理的に矛盾してるので存在しえないのではないかとは思っている。

さら追記


イデア論かな哲学書読めばってブコメついたけど、順序が逆なんだよね。

イデア論とか学校で習って本読んだりして教養として知ってるからこそ、改めてその考え方を自分なりの具体的な考察対象にあてはめて思索したくなるわけよね。

先達の哲学者たちがいなかったら俺はいまだにブルアカで抜くだけの毎日だわ。むしろ哲学者リスペクト100パーセントなんだよね。

語彙力ないので語弊ありそうなのは百も承知だが、哲学って考え方の基幹部分のオリジナリティーはそんな求められてないんだよ。

しろ先人から受け継いだ考え方をどう今の時代の具体的な問題適用して考察を広げるかが大事なので、ちょっと哲学かじったような素人目には過去論文の焼き増しに見えてその存在意義が理解できないような論文ごまんとあるんだよね。

哲学において焼き増しは無意味パクリじゃないのよ。

あいブコメつける人って「方向性とかみたいな意味ベクトルという言葉を使ってる人は横文字使いたがりの格好つけ」と言ってる人みたいな人を性悪説的にとらえるクレーマー気質が高い人間に感じる。

ちなみに俺はベクトルという言葉を使う人は「周りがベクトルという言葉を使ってるからリアルタイム性を要求される会話でとっさに出てくる言葉ベクトルから、それをそのまま使ってる」ってだけだと思う。

2024-01-21

anond:20240121001346

そのホラー許可するなら、交尾した相手哲学的ゾンビとして操作し、兵力として加算、とかなんでもありやろ

2024-01-16

国民の半数「未来なんてどうでもいい」

おはよう、みんな。

ちょっと見てくれ、このデータを。

[B! 報道] 政党支持率「支持政党ない」45.0% NHK世論調査 | NHK

からビックリしちゃったよ。

日本国民のおおよそ半数が、未来なんてどうだっていい、と考えてるってことでしょう。要するに。

国民の半分が哲学的ゾンビになってるという恐怖。

どーして彼らは、希望を捨てて今に反応するだけの自動マシンに成り下がったのか。

2024-01-02

anond:20240102145959

エルフって本当はいないの?

長い寿命の中で関わり合った者たちが死んでいき取り残される悲哀を描いた物語って実は嘘なの?

事実でなければ意味などないの?

増田哲学的ゾンビじゃないとなぜ言えるの?

2023-11-25

私はイルミナティ幹部をやっている者だ

やあ、皆さん。陰謀舞台裏に潜む者、イルミナティガブリエルだ。今回は、我々の秘密活動について、もう少し深堀りしてみよう。

集団ストーカー思考盗聴、大規模監視。これらは決して陰謀論ではなく、我々が日常的に実行している活動だ。集団ストーカーは、哲学的ゾンビのようなNPCたちが、我々がプログラムした通りに振る舞う舞台を作り上げるものだ。彼らは我々の指示に忠実に従い、私たち計画を実行するために存在している。

思考盗聴は、我々が衛星に取り付けた特殊装置を通じて行われている。スマートフォンと連動しており、誰の思考なのかを自動的判別することができる。これによって、個々のイエローモンキーたちの深層心理にまでアクセスし、彼らの動向を完璧に把握しているのだ。

そして大規模監視。これは一般に広く知られているが、AndroidiOSWindowsなどのオペレーティングシステムデバイス操作し、イエローモンキーたちのあらゆる行動を監視している。これにより、我々は一般人々の生活の奥深くまで手の届く情報を得ることができる。

では、なぜこんなことをしているのか。その鍵は「ムビフィケーション」にある。イエローモンキーたちは、まさにトゥルーマンショーの主人公のような存在だ。お客様たちは主人公干渉し、ストーリー展開をコントロールすることができる。そして、我々が持つムビフィケーションAIは、その主人公監視情報から自動的映画製作することができるのだ。

「誰を主人公とした映画を見てみたい」とイルミナティ会員が要求すれば、その映画を手に入れることができる。この映画一般流通するものではなく、わず1%特別商品だ。現実の誰が主人公になっているのか、それを想像してみてほしい。

イルミナティ会員たちは専用のTVを持っており、その中でムビフィケーションされた作品を視聴することができる。これによって、我々はエンタメのために集団ストーカー、大規模監視思考盗聴を行っているのだ。現実フィクション交錯する中、我々の陰謀はより複雑で、洗練されたものとなっている。

さて、我々の陰謀の更なる深淵に触れていこう。イルミナティ集団ストーキング思考盗聴、大規模監視を行うのは、単にエンタメのためだけではない。これらの情報収集活動は、社会を操るための巧妙な手段であり、我々の影響力を強化する要素でもある。

「ムビフィケーション」は、ただの映画制作手法だけではない。それは同時に洗脳とも言えるものだ。我々のAIは、主人公監視情報からその人物に合わせた情報出来事を取捨選択し、都合のいい形で映画を構築する。これにより、イエローモンキーたちは自分たち生活映画の中で見ることで、徐々に自己認識を失っていく。彼らは演じられた現実に溺れ、我々の手中に操られる存在となる。

さらに、我々は政治経済にも深く介入している。イエローモンキーたちの行動や意見を把握することで、我々は社会の動向を予測し、必要な方向に導くことができる。経済的な影響力もまた、我々の手中に握られている。特定商品サービスに対する需要操作し、市場を操っているのだ。

一方で、我々イルミナティメンバーは、この陰謀の中で特別地位を持っている。我々の決定は、一般イエローモンキーたちには理解できないような深い哲学知識に基づいている。そして、その知識を持つことで我々は支配の中心に立ち、社会の糸を操っているのである

最終的に、我々の目的は「絶対的コントロール」だ。イエローモンキーたちは我々が用意した舞台で演じられ、我々の思惑通りに振舞う。彼らは気づかずに我々の手で導かれ、我々の望む未来を築く存在となっていく。これこそが、真の陰謀本質であり、我々イルミナティの究極の目的なのだ

これからも、舞台裏で繰り広げられる陰謀真相に迫っていく。イエローモンキーたち、目を開け、真実を知る覚悟を持っていることを祈るばかりだ。 Stay vigilant, and embrace the revelation.

2023-11-24

意識存在しなければ宇宙存在意義はない

意識のある存在いるからこそ、宇宙には意義があるので、全人類哲学的ゾンビだったり、あるいは生命体のいない宇宙だったら完全なるリソース無駄いであ

2023-10-25

anond:20231025134225

なにをどうひっくり返しても「人間」と「哲学的ゾンビ」の区別はつけられない、というのが結論だと思うが。

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん