はてなキーワード: ムンバイとは
自分は旅行が趣味だが、定年を迎えた後、「東京から各地へ1泊2日のワンショット旅行を繰り返す」というのは、
極めて非効率な気がする。
例えば北海道であれば、札幌のウィークリーマンションに腰を落ち着けて、そこから日帰り旅行なり1泊2日旅行を繰り返す、という方が、
もっとも、定年を迎えたら体力も衰えるから、毎日旅行するのはツライし、そんなにカネも続かない。
だから例えば
てな按配で、1ヶ月程度札幌に滞在すれば、札幌200キロ圏は概ね旅行し尽くして、
体力も温存でき(荷物移動がないから)、費用もそんなに掛からない、という気がする。
「休み」の日も家に閉じこもるんじゃなく、適度に札幌市内の近場を楽しむ。
「土日」は混雑するから、定年後の身分としてはなるだけ外出は避けたいが、
「土日しかやってないイベント」の類もあるから、その辺は適宜。
「ウイークリーマンション」の類は、調べてみたら、県庁所在都市レベルの大きさの町だと存在しているようなので、
それを「ハシゴ」する。
ということで、65歳定年迎えてから、74歳になるまで、9年間で、概ね日本・世界都市の主要スポットを訪問できるような
65歳になって、カネと健康に恵まれていたら、実践してみたいものだ。
A期間=4月10日~4月25日
B期間=5月15日~7月15日
C期間=9月1日~10月31日
D期間=11月15日~12月15日
E期間=1月15日~3月15日(この期間は春節に注意!)
65歳D期間:下関を拠点に山口県制覇した後、熊本へ行って、熊本を拠点に熊本県制覇
66歳C期間:釧路を拠点に道東制覇した後、旭川へ行って、旭川を拠点に道北制覇
66歳D期間:神戸を拠点に兵庫県制覇した後、大分へ行って、大分を拠点に大分県制覇
67歳D期間:広島を拠点に広島県制覇した後、鹿児島へ行って、鹿児島を拠点に鹿児島県制覇
67歳E期間:ナイロビを拠点にアフリカ東部制覇した後、ケープタウンへ行って、アフリカ南部を制覇
68歳D期間:名古屋を拠点に、愛知県岐阜県三重県を制覇した後、宮崎へ行って、宮崎を拠点に宮崎県制覇
68歳E期間:ムンバイを拠点に、インド西部を制覇した後、デリーに行って、インド北部・ネパール等を制覇
69歳C期間:ウィーンを拠点に、オーストリアやハンガリーなどを制覇した後、ワルシャワに行って、ポーランドを制覇
69歳D期間:徳島を拠点に、徳島県制覇した後、高知に行って、高知県を制覇
69歳E期間:リオデジャネイロを拠点にブラジル制覇した後、ブエノスアイレスに行って、アルゼンチンを制覇
70歳B期間:コペンハーゲンを拠点に、デンマークを制覇した後、ストックホルムに行って、スカンジナビア3国を制覇
70歳C期間:ロサンゼルスを拠点にアメリカ西海岸制覇した後、バンクーバーに行って、カナダ制覇
70歳D期間:福岡を拠点に福岡県を制覇後、長崎に行って、長崎県佐賀県を制覇
70歳E期間:ホーチミンを拠点にベトナムを制覇後、マニラに行って、フィリピンを制覇
71歳B期間:シドニーを拠点にオーストラリアを制覇後、オークランドに行って、ニュージーランドを制覇
71歳C期間:ドバイを拠点に、アラブ諸国を制覇後、テヘランに行って、イランを制覇
71歳D期間:高松を拠点に香川県を制覇後、松山へ行って、愛媛県を制覇
71歳E期間:マドリッドを拠点にスペイン制覇後、リスボンへ行って、ポルトガルを制覇
72歳B期間:モスクワを拠点に、ロシアを制覇(ヨーロッパロシアだけだが)
72歳C期間:札幌を拠点に道央を制覇後、函館に行って、道南を制覇
72歳D期間:松江を拠点に山陰を制覇後、那覇に行って、沖縄を制覇
72歳E期間:イスタンブールを拠点にトルコを制覇後、アテネに行って、ギリシャを制覇
73歳D期間:静岡を拠点に静岡県を制覇後、和歌山へ行き、和歌山県制覇
73歳E期間:シンガポールを拠点にシンガポールマレーシアを制覇後、ジャカルタへ行き、インドネシアを制覇
・A、B、C、D、E期間:ハイシーズンを避けている
・たまに(2~3ヶ月に1回)、東京の自宅に戻ることを想定している。
・「キャンピングカーを買えばいい」という話もある。
確かにその通りだが、キャンピングカーで連泊するのは、体力的にどうかなあ?
・いっそのこと、東京の自宅を売り払って、
1~2年は札幌を自宅とし、その後は福岡に移り住んで・・・というジプシー生活を送るのも、いいかも。
・定年を迎えたら、世界一周航空周遊券を買って1年間世界を豪遊し、
その後で福岡辺りで再就職&転居して、九州・中四国・韓国・中国を旅行しまくる、というのもいいかも。
・でも結局、孫ができたら、それを最優先にするんだろうなあ。
・東京から100キロ離れた県(例:栃木)を複数周遊する場合、カーシェア使用前提だと、宇都宮に拠点移した方が、安いのかなあ。
100キロ先まで観光するなら、6,500円+100キロ×2×15円=9,500円。その差5,600円。
インドでは大麻は合法だった。今は違法だ。日本の大麻取締法は、海外に居住中に大麻を使用した場合も適用される。
その上で、大麻、マリファナをインドで入手する方法のメモを残しておく。
最初に断っておくが、私は大麻は使用したことも無ければ、所持したこともない。
また、これから大麻を楽しもうとしている人へ、ポケットの中に500Rsを2枚は常に用意しておけ。
ホテルの使用人に脅された時、警察に見つかった時。インドは袖の下文化だ。融通が聞く。
IT系企業では、インドへの出張も多いだろう。大学生がインドに旅行しに行くことも多いだろう。
しかし残念ながら、インドで容易に入手できる大麻は、はっきり言って糞だ。樹脂の搾りかすだと思っていい。
特にガンジス川流域とか日本人観光客が多いところで売っている大麻は、まじでカスだ。
AKで武装した軍人の中で買うのは、リスクが高すぎて割に合わない。
あいつらは軍人だが、袖の下は使える。でも、銃を向けられる恐怖は書き表せない。
現実的な入手法だが、まず大都市にいけ。そして、ローカル線を使って10kmくらい郊外に出るんだ。
そして道端に立っている黒人を探すんだが、インド人はアーリア系だが混血も多く、黒人と見分けがつかないだろう。
そういう時には社会の最底辺であるリキシャがたむろしている場所を探す。
そして、その近くの英語がわかる人間を探すんだ。街の至る所にあるタバコ屋で、適当なガムを買え。
ゆっくりと「i want ganja, do you know how can i get it」とか言いながら、同時に気前よくチップを100Rsくらい渡せ。
(ちなみにGanjaの発音は現地ではガ↑ジャ↓だ。日本語読みでガンジャなんて言っても通じない。そして、ボディーランゲージは英語力より重要だ。精一杯ボングを吸うジェスチャーをしてみろ。)
求められたら500Rsを限度に渡せ。恐らくリキシャを紹介してくれるだろう。
そして、リキシャの中でポケット中に現金を分散させろ。右ポケットに2000Rs、左に2000Rs、後ろポケットに500Rsを何枚か。
これから交渉が始まる。財布の中はできるだけ少なくしておけ。
リキシャの運転手は多分笑いながら案内してくれるだろう。100Rsくらい渡しておけ。
(ラッキーな事に相手が英語を理解できる場合は、気をつけろ。そいつは狡猾だ。)
黒人と出会ったら、まず現物取引は出来ない。こちらから必要数を伝えろ。やつらはロールという単位で売っているが、これはだいたいうまい棒一本分くらいのマリファナのバッズだ。
記憶にないが、200Rs/ロールくらいだっか。とにかく激安だ。1週間程度の滞在なら、2ロールあれば十分だろう。
また、もし貴方が幸運なら、樹脂も売ってる。これはグラム売りだ。それなりに高い。
黒人には最大限の敬意を示せ。それが警察等から自分の身を守ることに繋がるし、良好なビジネスを続ける秘訣にもなる。特に長期滞在するつもりなら。
重ね重ねで恐縮だが、黒人にもTIPは多めに弾んでやれ。やつらは徒党を組んでいる。ボスを見分けろ。そいつにTIPを隠して渡せ。
重要なことだが、また来るから、その時も頼む。と伝えろ。「I'll come here again in a week, can i meet you again?」とか適当でいい。嘘でもいい。
でも携帯の番号は教えるな。これは、警察に身を売られる事を防ぐ一番の保身になる。
次に、取引を終えた後、貴方はそれを鞄の中に隠す必要がある。そして、タクシーの運転手は、貴方がBIG DEALを行なっているのを見て、おこぼれを欲しがっているだろう。
200RSくらい渡してやれ。そして、「I WANT TO GO STATION」等簡単に指示を与える。遠くは指示をするな。そして、「I WILL PAY YOU MORE TIP AT STATION LATER」等と伝えておけ。奴らが理解できる英語は、TIP MORE STATIONくらいだ。片言でいい。
そして、駅にたどり着いたら、500Rsくらい渡して他のリキシャに自慢される前に、交通機関をゲットしろ。(電車がオススメだ。)
オススメは、ムンバイならKarl、チェンナイならPadi、デリーは知らない。黒人は川の近くに住んでる。そっちへ行けば多分入手できる。
IT系が多い商業都市で入手することは無理だ。例えばPune(プネー/プナ)とかでは絶対に手に入らない。手に入ったら俺が教えてほしい。
基本的にインド人的にはマリファナはローカーストかアウターカーストが使うものだ。マリファナを吸ってる日本人はまじで馬鹿にされるし、まぁはっきり言って馬鹿だと思う。寝る前の一服とか、人に迷惑をかけない程度に節度を持つことを忘れないでほしい。
もう一つ、マリファナを持って入っていけない場所が2つ有る。空港(当然だ)、そして外国人向けクラブだ。クラブはDRUG FREE(ドラッグ無し)って張り紙がしてあると思うので、荷物検査で長蛇の列が出来てるところは入れない。
http://samuraibp.com/column/first-india-trip
この記事を見て、去年の2月に3週間ほどインド南部のケーララ州+インド最南端のカニャクマリを回ったことを思いだしました。そのことをかきます。
たぶんリンク先の記事は、インド北部のメジャーどころを念頭に置いて書かれてるんだろうと思います。自分は10年前にデリーやバラナシを巡りましたが、その時は確かにこんな感じでした(IT化は全然してなかったけど)。でも、同じインドでも場所によって結構空気が違うんですよねえ。リンク先の記事はコンパクトなのにツボをおさえていて良い記事だと思いますが、地方を巡った経験からの、ちょっと異なるアドバイスを敢えて書かせていただきますよ。どっかしら観光地として日本ではマイナー感漂うケーララを推すべく。
何故かケーララ州ではぼったくりが(あまり)ありませんでした。全般的に、デリーやバラナシの人たちと比べてギラギラしたがめつさが希薄。しかも、どうやらリキシャ運転手同士で客引きルールが設定されているらしく、長距離バススタンドや駅といった場所では日本のようにリキシャが客の順番待ちをしていました。僕が間違って列の後ろの方の運転手に話しかけると「俺の順番じゃないから先頭に行ってくれ」と言われました。信じられますか。インドでですよ。3週間滞在しましたが、金のことでもめたことはほぼありませんでした。
(ここからは推測。ケーララはインドで唯一共産党が政権とってる州でして、そのせいか妙に皆の団結力が強いそうです。リキシャの運転手たちも、全員で示し合わせてストをしたりしてるそうで。上記の話もその土地柄の一環なのかもしれません。彼らに直接聞いたわけではないですが)
(あと、田舎に行けば行くほど、観光客向けの商売人からギラギラさが薄れる気がしますね)
でもこの町では、バスは結構難易度が高かったです。なんせ、バスの路線番号表示がアラビア数字じゃなくて現地語なんですよ。読めねえ。安いし、車窓が高いので町の見物にもってこいなんですけど、目当ての路線を探すのに手間取る可能性があります。あと当然車内アナウンスはないので、おりたい場所に近づいたら結構必死で町並みを観察していないといけません。もし自信が無ければ隣に座ってるおいちゃんに教えてもらうか、諦めてリキシャるかするといいと思います。
ケーララは長距離バス網が異様に発展しているので使いませんでした。
ちなみに鉄道はほぼ予約必須なんですが、最近はネット経由で予約ができるそうです。わざわざ駅に行って朝から窓口に並ぶ必要がない。すばらしい。はずなんですが、なぜか自分のクレカ(viewスイカ)は使えませんでした…。使えるカードと使えないカードがあるみたいなので、渡航前に実際に予約サイトに行って、使えるかどうか実験しておくといいとおもいます。予約の件は日本人から教えてもらったので、日本のクレカが全部ダメってわけでもないんでしょうけど。
公営バスがちょう整備されてます。ケーララを旅するためのメイン交通機関です。まちがいない。
うっかりデメリットの説明の方に力が入ってしまいましたが、便利だったのは間違いないです。ケーララは鉄道の本数が少ない土地なので、うまくバスを使いこなしていただきたいところです。
余談ですが、公営バスは全部、黄色と赤の共産党カラーで統一されてます。窓から見える風景には、鎚と鎌のあのマークがよく落書きされてるので、共産趣味の人は楽しめるはずです。
前述の僕のクレカは、こちらのオンライン予約ではなぜか通りました。べんり。
SIMロック外したあいぽんと現地で買ったSIMカードとの組み合わせ最強です。foursquareで普通にチェックインできます。でも、何故か、SIMカードを売ってくれる店と売ってくれない店がありましたね。コーチンなどの都会では、店はたくさんあるけど何故か売ってもらえず、地方都市のクミリーでようやく買えました。
噂によると、外国人がSIMカードを買うためには、パスポートと、住所の確認が本当は必要で、住所がないバックパッカーは売ってもらいにくい、とのことです。とはいえ僕の英語力に問題があった可能性も大なので、本当かどうかはわかりませんが……。もし携帯を現地調達するなら、パスポートの写しと滞在ホテルの住所を持って行った方が吉かも。
ちなみに日本のSIMカードで海外ローミングを使っても通信はできます。当然一日1000円以上の高価な通信料がかかりますが、極めてお手軽なので、なんかあったら使えます。
あ、それと、あいぽんはコンセント形状さえなんとかすれば変圧器なしで充電できます。
子供の物売りやコジキは、引き際を知らないので大人より扱いに疲れます。
ケーララは日本人ぜんぜんおらんかったですよ。多分地球の歩き方で割かれてるページ数が少ないからだと思います。クミリーの動物保護区でトレッキングに参加したら「おれのツアーに参加した日本人はお前が始めてだ」と言われました。そのあとサファリツアーに参加したんですが、欧米人リア充カップルの群れに混じって、ぼっちでジープに乗るのは辛いものがありました。ケーララは風光明媚だし商売人がギラギラしてなくてゆっくり過ごせるので、もっと日本でもメジャーになってもらいたいものですよ。
木工家具の製作で得た資金を手に、24歳の時から4年間アメリカ、ヨーロッパ、アフリカ、アジアへ放浪の旅に出る。ヨーロッパからの帰路、マルセイユで数週間待たされた後、帰国の船に乗り、象牙海岸、ケープタウン、マダガスカルに立ち寄り、インド・ムンバイ(当時のボンベイ)で下船する。安藤は”何かに導かれるように”汽車に乗り、ベナレスに向かった。ガンジス川で牛が泳ぎ、死者が荼毘に付される傍らで多くの人々が沐浴するさまや、強烈な太陽の下、異様な臭気に包まれた果てしなく続く大地、生と死が渾然一体となり人間の生がむき出しにされた混沌世界に強烈な印象を受け、逃げ出したい気持ちを必死にこらえながらガンジス川の岸辺に座り込み、「生きることはどういうことか」を自問し続けた。「人生というものは所詮どちらに転んでも大した違いはない。ならば闘って、自分の目指すこと、信じることを貫き通せばいいのだ。闘いであるからには、いつか必ず敗れるときが来る。その時は、自然に淘汰されるに任せよう」と考え、ゲリラとしての生き方を決心する。1965年、安藤忠雄24歳のときである。
http://anond.hatelabo.jp/20100324034034
の元増田です。
追記の形にしましたが、流れてしまったので改めて投稿します。
大学生は一度はインドに行け、みたいな話を聞いたことがあるけど、インドには何か学生にカルチャーショックを与えるようなものを感じた?
ご質問有り難う御座います。
カルチャーショックは感じると思います。
私にとっては日本と比べてあからさまな格差が見られたことでしょうか。ヴァリエーションが凄いです。
たとえば、ニューデリーの繁華街コンノートプレイスでも、海外ブランドの店から、パリカバザールの雑多な店、
南のジャンパト通りにひしめく土産物店といろいろな店があります。アーケードに商品を並べる露店やバクシーシ
を求める人もいます。車で移動すると、信号で止まるたびに寄付を求める人がいます。夜になると、路上で寝る
人々も各所でみられます。
交通手段も、タクシー、オートリキシャ、バス、メトロとありますが、新しい車両もあれば、日本では整備不良
で取り締まられそうな車も数多く見ました。バイクの家族五人乗りもよく見ましたし、南の国道では現役のラクダ
もいました。大八車も現役で、いろいろな種類の車が混在しているためか、渋滞がすごかったです。道の整備も所
によりまちまちで、車に乗るときは舌をかまないように注意する必要があります。継続的に費用をかけないとイン
フラは維持できないことがよくわかります。
交通手段といえば列車で、長距離夜行列車は、セカンド、スリーパー、三等冷房スリーパー、同二等、一等と
細かいクラス分けがあり、駅での待合室の有無もそれによって変わっています。夜の駅では、入り口やホームで
毛布にくるまっている人がたくさんいます。
ホテルもバックパッカーのドミトリーから大理石造りのミッドレンジ以上までランクによって設備が全然違い
ます。大都市と地方の格差も大きいです。デリーとムンバイではちょうど良い安宿がほとんどありませんでした
(私は個室バスでホットシャワーが出るかどうかが一つの判断基準になると思っています)。
街のにおいやレストランやホテルの衛生についても日本と全く異なります。ガイドブックにのっている所でも
羽音がうるさいのや黒いのやいろいろな虫がみられます。ヤモリも日本の都会ではほとんど見ないのではないで
しょうか。停電も頻繁で、食事中やシャワーのときにまっくらになるとびっくりしました。あと、食事はインド
人向けのものは大体とてもとてもとても辛く、お菓子であればとてもとてもとても甘いです。日本のインドレス
トランはノンヴェジ(肉OK)が多いですがインドではヴェジの方が多い気がしました。味付けも日本人向けに甘
かったんだと思います。
日本は規制のためだと思いますが、最低限の底が抜けたようなものが目に見える形ではあまりないような気が
します。ビニールシートハウスはあっても、そこに子どもを含め家族が住んでいるという話は聞きません。社会
が確保できる最低限度について現実的な見通しというものが、規制をどうするのかという話には必要なのではな
いかと思いました。
インドに行って良かったと思うのは、そのような格差を見るだけでなく、変化を求める人々の動きにも触れら
れたことでしょうか。汽車の中では、日本で働き口はないかと聞いてくるエンジニアや大学生とも話しましたし、
海外や州を越えた出稼ぎの話しもよく聞きました。ニュースでは、女性に三分の一の議席を確保する留保政策の
審議が話題となっていました。それには指定カースト・部族の席も設けられる予定なのだそうです。
観光名所で特に印象に残ったのはアーグラのタージマハルとヴァーラーナシーのガンジス川です。タージマハル
は写真で見るよりずっと大きく、綺麗です。ヴァーラーナシーは、本当に川に浮いているbodyを見たときの衝撃も
あるのですが、川の近くに行くと迷路のような町が広がっていて、独特の雰囲気があります。どちらも現地に行っ
てみないと、テレビや写真では、その感覚はわからないと思います。
インドのいろいろな場所に行って思ったことは、インドは人も場所も気候もいろいろあって一概には語れない
ということなので、誰もがカルチャーショックを受けるのかはわかりませんが、面白い体験はできると思います。
私にとっては安いほうが印象が強かったのでその方を強調していますが、大都市であれば、クレジットカードが
使える辛くないレストランも、自家発電機を備えているホテルも、新車のハイヤーも、便利な国内線も、バック
パッカー的生活に比較すると目の玉が飛び出るような価格ですが、日本国内旅行に比べれば安く利用できるので、
どのようなインド体験をするかはその人次第ではないでしょうか。
試験的な試みとしてやってみます。
今夜22時までに寄せられたトラバに答えられるものだけ回答します。
追記
大学生は一度はインドに行け、みたいな話を聞いたことがあるけど、インドには何か学生にカルチャーショックを与えるようなものを感じた?
ご質問有り難う御座います。
カルチャーショックは感じると思います。
私にとっては日本と比べてあからさまな格差が見られたことでしょうか。ヴァリエーションが凄いです。
たとえば、ニューデリーの繁華街コンノートプレイスでも、海外ブランドの店から、パリカバザールの雑多な店、
南のジャンパト通りにひしめく土産物店といろいろな店があります。アーケードに商品を並べる露店やバクシーシ
を求める人もいます。車で移動すると、信号で止まるたびに寄付を求める人がいます。夜になると、路上で寝る
人々も各所でみられます。
交通手段も、タクシー、オートリキシャ、バス、メトロとありますが、新しい車両もあれば、日本では整備不良
で取り締まられそうな車も数多く見ました。バイクの家族五人乗りもよく見ましたし、南の国道では現役のラクダ
もいました。大八車も現役で、いろいろな種類の車が混在しているためか、渋滞がすごかったです。道の整備も所
によりまちまちで、車に乗るときは舌をかまないように注意する必要があります。継続的に費用をかけないとイン
フラは維持できないことがよくわかります。
交通手段といえば列車で、長距離夜行列車は、セカンド、スリーパー、三等冷房スリーパー、同二等、一等と
細かいクラス分けがあり、駅での待合室の有無もそれによって変わっています。夜の駅では、入り口やホームで
毛布にくるまっている人がたくさんいます。
ホテルもバックパッカーのドミトリーから大理石造りのミッドレンジ以上までランクによって設備が全然違い
ます。大都市と地方の格差も大きいです。デリーとムンバイではちょうど良い安宿がほとんどありませんでした
(私は個室バスでホットシャワーが出るかどうかが一つの判断基準になると思っています)。
街のにおいやレストランやホテルの衛生についても日本と全く異なります。ガイドブックにのっている所でも
羽音がうるさいのや黒いのやいろいろな虫がみられます。ヤモリも日本の都会ではほとんど見ないのではないで
しょうか。停電も頻繁で、食事中やシャワーのときにまっくらになるとびっくりしました。あと、食事はインド
人向けのものは大体とてもとてもとても辛く、お菓子であればとてもとてもとても甘いです。日本のインドレス
トランはノンヴェジ(肉OK)が多いですがインドではヴェジの方が多い気がしました。味付けも日本人向けに甘
かったんだと思います。
日本は規制のためだと思いますが、最低限の底が抜けたようなものが目に見える形ではあまりないような気が
します。ビニールシートハウスはあっても、そこに子どもを含め家族が住んでいるという話は聞きません。社会
が確保できる最低限度について現実的な見通しというものが、規制をどうするのかという話には必要なのではな
いかと思いました。
インドに行って良かったと思うのは、そのような格差を見るだけでなく、変化を求める人々の動きにも触れら
れたことでしょうか。汽車の中では、日本で働き口はないかと聞いてくるエンジニアや大学生とも話しましたし、
海外や州を越えた出稼ぎの話しもよく聞きました。ニュースでは、女性に三分の一の議席を確保する留保政策の
審議が話題となっていました。それには指定カースト・部族の席も設けられる予定なのだそうです。
観光名所で特に印象に残ったのはアーグラのタージマハルとヴァーラーナシーのガンジス川です。タージマハル
は写真で見るよりずっと大きく、綺麗です。ヴァーラーナシーは、本当に川に浮いているbodyを見たときの衝撃も
あるのですが、川の近くに行くと迷路のような町が広がっていて、独特の雰囲気があります。どちらも現地に行っ
てみないと、テレビや写真では、その感覚はわからないと思います。
インドのいろいろな場所に行って思ったことは、インドは人も場所も気候もいろいろあって一概には語れない
ということなので、誰もがカルチャーショックを受けるのかはわかりませんが、面白い体験はできると思います。
私にとっては安いほうが印象が強かったのでその方を強調していますが、大都市であれば、クレジットカードが
使える辛くないレストランも、自家発電機を備えているホテルも、新車のハイヤーも、便利な国内線も、バック
パッカー的生活に比較すると目の玉が飛び出るような価格ですが、日本国内旅行に比べれば安く利用できるので、
どのようなインド体験をするかはその人次第ではないでしょうか。
「欧米の、ムンバイの、その他さまざま場所の本当のスラムから比べたらマシ」……子どもが死んでいるのに?マシなの?なにが?死ねばいいのにwww
「もう少し地域を絞り込んで欲しい」「町レベルで議論すべき」……何の議論をしたいんだ?www
「ところで、我々はスラムから何を搾取しているんだろうか。」……君が遊んでいる時間がどこから来たと思っているんだい?www
「就職先が決まらなくて泣いてる人間より、よほど幸せ。」……自分が不幸だって言いたいんだろwwwいい大人がころされた子どもよりかわいそうだってwwwwwあんまり嗤わせんなよ
「はあ? よく行くけどべつにスラムでもなんでもないだろ。部外者が大手振って歩けるスラムなんて聞いたことねえよ。」……先生、ではいったい、子どもが殺されるまで折檻されるのが通常化し、「殺された子」の家庭の方が普通に見えてしまう地域をなんて呼ぶんですかね?教えてくださいよ。ベテラン。その呼び方の方がふさわしければそう呼びますよ。問題は、地域が子殺しの背景にあるってことではないですか?「スラムでもなんでもない」地域で、子どもが衆人環視の元で(学校も行政も近所も知っていたんだからね)殺されるのは普通の事態なんですかね?殺した側が普通に見えるってのをどう説明するんですか、ベテラン?なんでもないわけないじゃないですか、ベテラン。
答えを言ってしまうと、先生は搾取する側で、「観光客」として通過しているだけだから理解できないだけですよ。先生は観光客として搾取し、郊外についての売文で搾取し、ベテラン気取りでブクマで搾取するんですね。
追記-そして床屋談義は続く→ http://b.hatena.ne.jp/entry/anond.hatelabo.jp/20100128105229
「欧米の、ムンバイの、その他さまざま場所の本当のスラムから比べたらマシ」……子どもが死んでいるのに?マシなの?なにが?死ねばいいのにwww
ちゃんと言った奴のidを晒せよw
id:fromdusktildawnだろw
別にどっちがマシかなんて話してないのに、こいつってアホだよなw
反論せずにいられないからってお粗末すぎw
論点を摩り替えて自分の主張を押し通すのは不誠実だな。
>「欧米の、ムンバイの、その他さまざま場所の本当のスラムから比べたらマシ」……子どもが死んでいるのに?マシなの?なにが?死ねばいいのにwww
「子供が死んだ」ということに限定するなら、死んだ子供の人数・あるいは割合だろ。ムンバイでは死亡率の1位が「殺人」だった年もあるんだが、それよりはマシだろ。つまり軽々しく「スラム」という言葉を使って遊ぶなということだ。
>「ところで、我々はスラムから何を搾取しているんだろうか。」……君が遊んでいる時間がどこから来たと思っているんだい?www
質問を質問で返すな。ディベートにおいてはこういうことをした時点で反論できずに負けたとみなされる。
君は要するに子供が死んだことなんかどうでもよくて、子供が死んだ事件に対しあれこれ言っている人間を見下してバカにしたいだけなんでしょ? そういうの、本当に気持ち悪いから。一番不誠実で、下劣極まりない。人の命をなんだと思ってるんだ? その姿勢、その態度、俺は否定するし軽蔑もする。
12月限や2月限での先物では75ドル以上を瞬間的とはいえつけているので、アブドラ国王の面子は保たれたと考えても良いのかもしれない。75ドルで必要な分だけ売り捌けさえすれば、そこから多少暴落しても先物を買った人が損をするだけで、売り手の利益は確保できる。これは、先物の本来の効用である。
というわけで、市場で値段を吊り上げていた所に、規制が入ったり、資金繰りに圧力が加わったりという展開が予想されるのであった。
先物を高値掴みしたところは、消費者に転嫁する為に価格が維持されないと損をしてしまうことになるが、その手段が難しくなるのである。
原油を輸出しなければ食べていけない国家にとって、価格を吊り上げるには供給量を減らせばよいのだが、供給しなければお金は手に入らない。供給を調整して価格を吊り上げるという手段は、抜け駆けする所がぼろ儲けをするだけとなり、あまり効果が無い。WTIの相場に資金を流し込んで買い上がるという、力ずくで値段を吊り上げるという手段は効果的であるが、目に余ると規制が入り、潰されるのである。
相場は基本的には自由であるべきだが、資金力にモノを言わせて暴れまわるような人が出てくると、規制が必要となってしまう。本来、資金力にモノを言わせて暴れまわるような人を規制するべきなのだが、名指しでの規制は犯罪者扱いになってしまうので、市場のルールを変更して規制をかけることになる。
規制やルールは、進歩を促す方向で運用し、変更していくべきなのだが、それに逆行するような変更をしなければならなくなる時に、その弊害をどのようにすれば少なく出来るのかという事を考えなければならない。
知らしむべからず依らしむべしだと、猫の目のようにくるくると変わる規制に、市場の参加者は愛想をつかして、より自由な市場へと逃げ出してしまう。規制をする時に、その背景や事情を、市場の参加者に伝える事が出来ていれば、規制の変更を納得し、規制が一時的なモノであると認識し、一休みするだけという対応を取るようになる。規制当局が、直接情報をリリースする事は出来ないが、市場で起きている事を、規制当局に代わって情報をリリースしてくれる媒体があれば良いという事になる。
つまり、大英帝国時代の情報網とインテリジェンスを使って、まともなメディアが阿吽の呼吸で適切な情報をリリースしたり、あるいは、規制当局と金融機関やファンドといった職場の間で人材の流動性が高く、情報がプライベートなルートで流れ、インナーサークルに居る限り情報に不自由しないという背景がある事が、金融センターとなる為には必要なのである。
日本の場合、取引高の大きさだけで金融センターとなってきたが、取引高の大きさだけで比べるならば、上海やボンベイ(ムンバイ)にその地位を奪われかねない状態になっているのである。
二兆円の営業利益と言われるトヨタ自動車より強い一バレル147ドルでも歯が立たない
加藤智大を瞬殺した秋葉原警察署が8年修行して、同じくらいの強さのグッドウィルと二
人がかりでやっと倒した直接派遣禁止と匹敵する戦闘力を持つシーシェパードをあっさり
倒した冷凍餃子・メタミドホス等を悠々倒したミャンマーサイクロンの二倍以上強いスマ
トラ大地震がかなりパワーアップしても全く相手に成らない強さの四川省大地震を一撃で
倒した三浦和義が更にパワーアップしても、それを半分の力で殺せるプーチン大統領をあ
っという間にバラバラにして消した未来のメドベージェフ次期大統領でさえ仲間と束にな
っても敵わない人造環境ドバイ・北京オリンピックに匹敵する強さを持った福田康夫でも
敵わない程に政体エネルギーを刷って強くなった麻生首相と互角の橋下徹による行政代執
行を大きく超えるリーマン吸収状態野村ホールディングスを子供扱い出来るビデオショッ
プ放火犯とノーベル賞受賞後の南部・小林・益川・下村と随分差がある改名パナソニック
でも勝てない完全体ブッシュを一方的に痛めつけることが出来るブチ切れオバマが命をか
けても倒せなかった魔神グーグルが更に凶悪になったGMと互角以上の戦いをした小室容
疑者よりも強くなったムンバイ同時テロでも全く歯が立たない営業赤字に転落したトヨタ
自動車が更に三洋電機を吸収して強化しても全く歯が立たない飯島愛
という爆撃コピペの元ネタが、ドラゴンボールを知らない人のためにどんな漫画かを説明すると・・・
武術の神と言われる亀仙人より強い天津飯でも歯が立たないドラムを瞬殺した悟空が8年修行して、
同じ位の強さのピッコロさんと二人がかりでやっと倒したラディッツと匹敵する戦闘力を持つ栽培マンを
あっさり倒した天津飯・ピッコロ等が束になっても敵わないナッパを悠々倒した悟空の2倍以上強いベジータが
かなりパワーアップしても全く相手にならない強さのリクームを一撃で倒した悟空が更にパワーアップしても、
それを半分の力で殺せるフリーザをあっという間にバラバラにして消した未来のトランクスでさえ
仲間と束になっても 敵わない人造人間17・18号に匹敵する強さを持った神コロ様でも敵わない程に
生体エネルギーを吸って強くなったセルと互角の16号を大きく越える17号吸収態セルを子供扱い出来る
精神と時の部屋パワーアップ後のベジータと随分差がある悟空でも勝てない完全体セルを
一方的に痛めつけることが出来るブチ切れ悟飯をも越えたベジータが命を賭けても倒せなかった魔人ブウが
更に凶悪になったブウと互角以上の戦いをしたゴテンクスよりも強くなった悟飯でも全く歯が立たない
ゴテンクス&ピッコロ吸収ブウが更に悟飯を吸収して強化しても全く歯が立たないベジット
から来ていることは明白なのですが、映画版を拡張された超完全版を説明すると・・・
武術の神と言われる亀仙人より強い天津飯でも歯が立たないドラムを瞬殺した悟空が8年修行して、
同じ位の強さのピッコロさんと二人がかりでやっと倒したラディッツと匹敵する戦闘力を持つ栽培マンを
あっさり倒した天津飯・ピッコロ等が束になっても敵わないナッパを悠々倒した悟空の2倍以上強いベジータが
かなりパワーアップしても全く相手にならない強さのリクームを一撃で倒した悟空が更にパワーアップしても、
それを半分の力で殺せるフリーザをあっという間にバラバラにして消した未来のトランクスでさえ
仲間と束になっても 敵わない人造人間17・18号に匹敵する強さを持った神コロ様でも敵わない程に
生体エネルギーを吸って強くなったセルと互角の16号を大きく越える17号吸収態セルを子供扱い出来る
精神と時の部屋パワーアップ後のベジータと随分差がある悟空でも勝てない完全体セルを
一方的に痛めつけることが出来るブチ切れ悟飯をも越えたベジータが命を賭けても倒せなかった魔人ブウが
更に凶悪になったブウと互角以上の戦いをしたゴテンクスよりも強くなった悟飯でも全く歯が立たない
ゴテンクス&ピッコロ吸収ブウが更に悟飯を吸収して強化しても全く歯が立たないベジット並みの
戦闘力を持つ超サイヤ人4に覚醒した悟空と互角の力を手に入れた大猿ベビーの必殺技を吸収して
パワーアップした超4悟空と互角以上に闘える超17号に近い実力を持つパワーアップ後の四神龍に
匹敵する強さの超4ベジータと超4悟空が束になっても敵わない一神龍を圧倒する強さの
フルパワー状態の超4悟空すら超える超一神龍を赤ん坊扱いできる超サイヤ人4ゴジータ
となって、かなりの長文なのです。
田母神俊雄氏の「論文」が問題になっています。原文は↓からDLできます。
http://www.apa.co.jp/book_report/images/2008jyusyou_saiyuusyu.pdf
親切に英訳までしたようです↓。そのおかげか、さっそく海外でも反響を読んでいます↓↓。
http://www.apa.co.jp/book_report/02.html
http://news.bbc.co.uk/2/hi/asia-pacific/7702374.stm
http://www.guardian.co.uk/world/2008/oct/31/japan-secondworldwar
http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2008/10/31/AR2008103101475.html
http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2008/10/31/AR2008103100989.html
http://www.nytimes.com/2008/11/01/world/asia/01tokyo.html?_r=1&ref=world&oref=slogin
http://www.thestandard.com.hk/breaking_news_detail.asp?id=8886&icid=4&d_str=20081031
http://www.straitstimes.com/Breaking%2BNews/Asia/Story/STIStory_297008.html
http://www.straitstimes.com/Breaking%2BNews/Asia/Story/STIStory_297257.html
ローズベルト陰謀論が結構とりあげられています。どれだけ「国益」を損ねているのだろう。やれやれと、日本の報道に対するブコメや日記を見てみたら、田母神氏の「論文」の内容に肯定的な人もそれなりにいらっしゃるようです。
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://www.apa.co.jp/book_report/images/2008jyusyou_saiyuusyu.pdf
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20081031-00000123-jij-soci
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://www.asahi.com/politics/update/1031/TKY200810310298.html
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2008110102000087.html
私も別に現代史に詳しいわけではないです(気の向いたときに、中身が増えてきたCiNiiとGoogle Scholar、各研究機関の学術リポジトリを漁ってみる程度)。しかし、その限られた知識から見ても、問題の「論文」はその形を為してすらいないと思いました。そこで、現在パラパラと集めている関連文献の整理をかねて、「論文」原文に逐一つっこみをいれてみようと思い、エントリを書いてみることにしました。はてな記法で引用した部分は、断りのない限り田母神氏の「論文」からです。原文の全角数字は全て半角に直したことをおことわりしておきます。
アメリカ合衆国軍隊は日米安全保障条約により日本国内に駐留している。これをアメリカによる日本侵略とは言わない。二国間で合意された条約に基づいているからである。我が国は戦前中国大陸や朝鮮半島を侵略したと言われるが、実は日本軍のこれらの国に対する駐留も条約に基づいたものであることは意外に知られていない。日本は19世紀の後半以降、朝鮮半島や中国大陸に軍を進めることになるが相手国の了承を得ないで一方的に軍を進めたことはない。現在の中国政府から「日本の侵略」を執拗に追求されるが、我が国は日清戦争、日露戦争などによって国際法上合法的に中国大陸に権益を得て、これを守るために条約等に基づいて軍を配置したのである。これに対し、圧力をかけて条約を無理矢理締結させたのだから条約そのものが無効だという人もいるが、昔も今も多少の圧力を伴わない条約など存在したことがない。
駐留を認めることと、「(被害をこうむる方にとっては)侵略(といわれているが田母神氏はそうではないとされる行為)」を認めることは違うでしょう。軍隊に攻めこまれることに了承を与えていたというのは、どのような根拠に基づいているのでしょうか?
「知られていない」ことを明らかにするのが行論の目的ならば、「新事実」(この場合は具体的な条約の内容や運用)を具体的に提示し、典拠となる史料を明らかにするのが論文の作法です。主張の根拠を示すのは、論文のイロハのイです。しかし、残念なことに、この「論文」では全体的に守られていません。関連して、「・・・・・・という人」とありますが、論文で先行研究に言及するときは、注をつけて批判対象を明らかにするルールも守られていません。
この日本軍に対し蒋介石国民党は頻繁にテロ行為を繰り返す。邦人に対する大規模な暴行、惨殺事件も繰り返し発生する。これは現在日本に存在する米軍の横田基地や横須賀基地などに自衛隊が攻撃を仕掛け、米国軍人及びその家族などを暴行、惨殺するようものであり、とても許容できるものではない。これに対し日本政府は辛抱強く和平を追求するが、その都度蒋介石に裏切られるのである。実は蒋介石はコミンテルンに動かされていた。1936年の第2次国共合作によりコミンテルンの手先である毛沢東共産党のゲリラが国民党内に多数入り込んでいた。コミンテルンの目的は日本軍と国民党を戦わせ、両者を疲弊させ、最終的に毛沢東共産党に中国大陸を支配させることであった。我が国は国民党の度重なる挑発に遂に我慢しきれなくなって1937年8月15日、日本の近衛文麿内閣は「支那軍の暴戻を膺懲し以って南京政府の反省を促す為、今や断乎たる措置をとる」と言う声明を発表した。我が国は蒋介石により日中戦争に引きずり込まれた被害者なのである。
スターリンと毛沢東がそれほど仲が良かったとは知りませんでした。コミンテルンにそれほどの影響力があることも知りませんでした。繰り返しますが、オリジナルな主張には、その土台となる史料の裏づけが必要です(「実は??」と書いているのですから、普通は知らない新しいことなのですよね?)。大事なことなので強調します。「新しいことを主張するためには、根拠を示さなければならない」、これは学問の基本です。
1928 年の張作霖列車爆破事件も関東軍の仕業であると長い間言われてきたが、近年ではソ連情報機関の資料が発掘され、少なくとも日本軍がやったとは断定できなくなった。「マオ(誰も知らなかった毛沢東)(ユン・チアン、講談社)」、「黄文雄の大東亜戦争肯定論( 黄文雄、ワック出版)」及び「日本よ、「歴史力」を磨け(櫻井よしこ編、文藝春秋)」などによると、最近ではコミンテルンの仕業という説が極めて有力になってきている。日中戦争の開始直前の1937年7月7日の廬溝橋事件についても、これまで日本の中国侵略の証みたいに言われてきた。しかし今では、東京裁判の最中に中国共産党の劉少奇が西側の記者との記者会見で「廬溝橋の仕掛け人は中国共産党で、現地指揮官はこの俺だった」と証言していたことがわかっている「大東亜解放戦争(岩間弘、岩間書店)」。もし日本が侵略国家であったというのならば、当時の列強といわれる国で侵略国家でなかった国はどこかと問いたい。よその国がやったから日本もやっていいということにはならないが、日本だけが侵略国家だといわれる筋合いもない。
ようやく文献をあげられましたが、刊行年と該当ページも明示するのが一般的な論文のルールですよね。それは百歩譲るとしても、示された著者のなかに査読つき学術雑誌に報告された方が一人もいらっしゃらない。これは信憑性をさらに落とすものではないでしょうか。また、人の発言を引くのであれば、それが掲載された媒体を明示するのもきほんのきですよね。
張作霖爆殺をコミンテルンの仕業とする説に対しては、特に『マオ』について、中国現代史研究者から根拠に疑義が出されています。
「関東軍高級参謀河本大作らがこの事件を企画し実行した固い事実を、この程度の「スパイ情報」で覆せるものか」(矢吹晋「書評『マオ―誰も知らなかった毛沢東』」『中国情報源』21世紀中国総研編、蒼蒼社、2006年、225ページ。http://www25.big.jp/~yabuki/2006/mao-rev.pdf)。
盧溝橋事件についても、「計画」説に対する批判的研究が出ているようです。
「日本の一部の論者が唱える「中国共産党計画」説と,中国側の唱える「日本軍計画」説がともに誤りであり,盧溝橋事件が日中双方にとって「偶発」的なものであったとする」(加藤陽子「書評 安井三吉著『柳条湖事件から盧溝橋事件へ―1930年華北をめぐる日中の対抗―』」『アジア経済』45(9)、2004年、65ページ。http://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/dspace/bitstream/2261/7473/1/kato45_09.pdf)。
最後に、既にたくさんのつっこみがブコメで入っていますが、みんながやっていることだからといって、行為に対する責任がなくなることはないでしょう。
我が国は満州も朝鮮半島も台湾も日本本土と同じように開発しようとした。当時列強といわれる国の中で植民地の内地化を図ろうとした国は日本のみである。我が国は他国との比較で言えば極めて穏健な植民地統治をしたのである。満州帝國は、成立当初の1932 年1 月には3 千万人の人口であったが、毎年100 万人以上も人口が増え続け、1945 年の終戦時には5 千万人に増加していたのである。満州の人口は何故爆発的に増えたのか。それは満州が豊かで治安が良かったからである。侵略といわれるような行為が行われるところに人が集まるわけがない。農業以外にほとんど産業がなかった満州の荒野は、わずか15年の間に日本政府によって活力ある工業国家に生まれ変わった。朝鮮半島も日本統治下の35年間で1千3百万人の人口が2千5百万人と約2倍に増えている「朝鮮総督府統計年鑑」。日本統治下の朝鮮も豊かで治安が良かった証拠である。戦後の日本においては、満州や朝鮮
半島の平和な暮らしが、日本軍によって破壊されたかのように言われている。しかし実際には日本政府と日本軍の努力によって、現地の人々はそれまでの圧政から解放され、また生活水準も格段に向上したのである。
「同じように開発」と主張するには、開発の指標を定め、比較する必要があります。共通の比較の基準が示されていません。データもです。内地、満洲、朝鮮、台湾、他の植民地宗主国本国、その国の植民地それぞれについて、共通の尺度ではからないと比較にならないのではないでしょうか。それをせずに外形が拡大したと言うだけでは、中国の「共産党政権はチベットを・・・・・・」に反論できなくなってしまいます。
「内地化」も定義を明確にして使うべき用語ですね。
また、現実にも、「帝国日本の植民地支配の歴史には,「外地」を法制的・政治的には明白に異域に置きながら、イデオロギー的には「内地化」を標榜するという,理念と現実の「二重性」がその当初からつきまとっていた」(山本有造「植民地統治における「同化主義」の構造」『人文学報(京都大学人文科学研究所)』83、2000年、70ページ。http://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/48550/1/83_57.pdf)、「「満洲国」の掲げた「五族協和」にしろ「王道楽土」にしろ,関東軍による露骨な軍事支配を隠蔽するイデオロギーという以上の意味を持ちえなくなる」(山室信一「「満洲国」の法と政治―序説」『人文学報(京都大学人文科学研究所)』68、1991年、150ページ。http://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/48355/1/68_129.pdf)といわれる植民地統治を、「極めて穏健」と評価するにもまた、基準とデータの比較が必要です。
また、人口の増加は支配の善さを担保しません(チベット・・・・・・)。
我が国は満州や朝鮮半島や台湾に学校を多く造り現地人の教育に力を入れた。道路、発電所、水道など生活のインフラも数多く残している。また1924年には朝鮮に京城帝国大学、1928年には台湾に台北帝国大学を設立した。日本政府は明治維新以降9つの帝国大学を設立したが、京城帝国大学は6番目、台北帝国大学は7番目に造られた。その後8番目が1931年の大阪帝国大学、9番目が1939 年の名古屋帝国大学という順である。なんと日本政府は大阪や名古屋よりも先に朝鮮や台湾に帝国大学を造っているのだ。また日本政府は朝鮮人も中国人も陸軍士官学校への入校を認めた。戦後マニラの軍事裁判で死刑になった朝鮮出身の洪思翊という陸軍中将がいる。この人は陸軍士官学校26期生で、硫黄島で勇名をはせた栗林忠道中将と同期生である。朝鮮名のままで帝国陸軍の中将に栄進した人である。またその1期後輩には金錫源大佐がいる。日中戦争の時、中国で大隊長であった。日本兵約1千名を率いて何百年も虐められ続けた元宗主国の中国軍を蹴散らした。その軍功著しいことにより天皇陛下の金賜勲章を頂いている。もちろん創氏改名などしていない。中国では蒋介石も日本の陸軍士官学校を卒業し新潟の高田の連隊で隊付き教育を受けている。1期後輩で蒋介石の参謀で何応欽もいる。
前の段落と同様に、「多く」の中身が不明確に過ぎ、検証のしようがありません。また、植民地が宗主国の支配の下で「植民地近代」化したのはその通りだと思います(松本武祝「’’朝鮮における「植民地近代」’’に関する近年の研究動向」『アジア経済』43(9)、2002年、31-45ページ。http://www.ide.go.jp/Japanese/Publish/Ajia/pdf/2002_09/note.pdf)。私はこの辺り特に勉強不足です。各国の軍制についても同じくよく知らないので飛ばします。
孫文をはじめ、アジア各地の革命家が日本に集まったことは特に新しい論点ではないでしょう。ファン・ボイ・チャウの失望も有名な話ですね(白石昌也「ファン・ボイ・チャウと日本」『東南アジア史学会会報』25、1975年、1-3ページ。http://ci.nii.ac.jp/cinii/servlet/CiNiiLog_Navi?name=nels&type=pdf&lang=jp&id=ART0004923536)。
李王朝の最後の殿下である李垠殿下も陸軍士官学校の29期の卒業生である。李垠殿下は日本に対する人質のような形で10歳の時に日本に来られることになった。しかし日本政府は殿下を王族として丁重に遇し、殿下は学習院で学んだあと陸軍士官学校をご卒業になった。陸軍では陸軍中将に栄進されご活躍された。この李垠殿下のお妃となられたのが日本の梨本宮方子妃殿下である。この方は昭和天皇のお妃候補であった高貴なお方である。もし日本政府が李王朝を潰すつもりならこのような高貴な方を李垠殿下のもとに嫁がせることはなかったであろう。因みに宮内省はお二人のために1930年に新居を建設した。現在の赤坂プリンスホテル別館である。また清朝最後の皇帝また満州帝国皇帝であった溥儀殿下の弟君である溥傑殿下のもとに嫁がれたのは、日本の華族嵯峨家の嵯峨浩妃殿下である。
旧領主の家系の存続という意味であれば、インドの藩王たちも手厚く身分を保証されていましたね。ベトナムのバオ・ダイもフランスのグランゼコールで教育を受けていましたね(英国人とインド人の婚姻には宗教問題がありますし、バオ・ダイ渡仏時のフランスは共和制だから王室はないですし、この段落については適切な比較が可能な問題設定なのか疑問です。個人的にはそもそも宗主国の王室を嫁がせることが恩恵という考え方がどうなんだろうと思います)。
これを当時の列強といわれる国々との比較で考えてみると日本の満州や朝鮮や台湾に対する思い入れは、列強の植民地統治とは全く違っていることに気がつくであろう。イギリスがインドを占領したがインド人のために教育を与えることはなかった。インド人をイギリスの士官学校に入れることもなかった。もちろんイギリスの王室からインドに嫁がせることなど考えられない。これはオランダ、フランス、アメリカなどの国々でも同じことである。一方日本は第2次大戦前から5族協和を唱え、大和、朝鮮、漢、満州、蒙古の各民族が入り交じって仲良く暮らすことを夢に描いていた。人種差別が当然と考えられていた当時にあって画期的なことである。第1次大戦後のパリ講和会議において、日本が人種差別撤廃を条約に書き込むことを主張した際、イギリスやアメリカから一笑に付されたのである。現在の世界を見れば当時日本が主張していたとおりの世界になっている。
ロイヤルファミリーの婚姻の件で共和制のアメリカを並べているのは不適切でしょう。既に述べましたがフランスも時代によって共和制です。
エルフィンストーン・カレッジ(1856年設立、現在はムンバイ大に)、カルカッタ大学、マドラス大学(1857年設立)というように、大英帝国は植民地支配の拠点に大学その他の教育機関を設立していますね。
http://en.wikipedia.org/wiki/Elphinstone_College
http://en.wikipedia.org/wiki/University_of_Calcutta
http://en.wikipedia.org/wiki/University_of_Madras
「五族協和」が実態をともなわなかったことについては、前掲山本論文および山室論文を参照。
人種差別撤廃についてはよい提案をしたということに同意いたします。ただし、繰り返しますが、現実の施策がともなわなかったことについては残念です。
時間は遡るが、清国は1900 年の義和団事件の事後処理を迫られ1901 年に我が国を含む11ヵ国との間で義和団最終議定書を締結した。その結果として我が国は清国に駐兵権を獲得し当初2600名の兵を置いた「廬溝橋事件の研究(秦郁彦、東京大学出版会) 」。また1915 年には袁世凱政府との4ヶ月にわたる交渉の末、中国の言い分も入れて、いわゆる対華21箇条の要求について合意した。これを日本の中国侵略の始まりとか言う人がいるが、この要求が、列強の植民地支配が一般的な当時の国際常識に照らして、それほどおかしなものとは思わない。中国も一度は完全に承諾し批准した。しかし4 年後の1919年、パリ講和会議に列席を許された中国が、アメリカの後押しで対華21箇条の要求に対する不満を述べることになる。それでもイギリスやフランスなどは日本の言い分を支持してくれたのである「日本史から見た日本人・昭和編( 渡部昇一、祥伝社)」。また我が国は蒋介石国民党
との間でも合意を得ずして軍を進めたことはない。常に中国側の承認の下に軍を進めている。1901年から置かれることになった北京の日本軍は、36 年後の廬溝橋事件の時でさえ5600 名にしかなっていない「廬溝橋事件の研究(秦郁彦、東京大学出版会) 」。このとき北京周辺には数十万の国民党軍が展開しており、形の上でも侵略にはほど遠い。幣原喜重郎外務大臣に象徴される対中融和外交こそが我が国の基本方針であり、それは今も昔も変わらない。
今回は表現からつっこんでみます。「完全に承諾」というように形容詞修飾をするときには、それが表す具体的な内容を補足して、互いの印象の差を埋める努力をすべきというのが、私の受けた指導です。どうしたら「完全に承諾」したことになるのでしょうか。一番肝心な相手に過大な要求をつきつけ、排日運動を燃えあがらせて宥和に失敗したのは外交の失敗であり、恨み言をつぶやいてもごまかすことはできません。
日中戦争については、派兵前の人員の少なさを根拠に「形の上でも侵略にはほど遠い」と主張するのは無理筋にみえます。
(再々追記)また字数超過?で切れたので、つづきへ (さらに追記)補足エントリをTBしました。 (また追記)補遺エントリをTBしました(11/5)。
”ホームページ製作業者”でいいよね?
ASPサービス提供事業者も含めようとするから複雑になってるんじゃないの?
自分はもともとIT業界にいて今はなぜか商店街に所属してるんだ。
で、隣の芝生の青さがうらやましくなってweb屋ってたのしそうだなって思って辞めたの。
正直webなんてやってもお金になんかならなそうだなとおもったんで、
シノギがひつようだとおもって、お店ももったんだ。
商店街のおっちゃんたちの話しを聞いていると世間のwebというかITに関する認識はこんなものだと痛感しますわ。
いやね、おっちゃんたちっていっても青年団の人たちなんだけどさ。
”親父さん”たちはそもそもインターネット(以前にパソコン)になんか興味すらないから。
で、お店でパチパチとSOHOでソフトの受託なんかもやっていると、
商店街の爺たちからあの店主はパソコンで遊んでばっかりだと陰口いわれたりするんだわ。
ようやく最近わかってもらえるようになってきて、
「おたくパソコンの仕事しているならホームページ作ってよ」と言われるように成長しましたよ。
いや、まるでわかってもらえてないんだけどw
ホームページっすか!?みたいな。
難しいというかしても無駄というか……。
自分は自分のお店のホームページだったら作れるんだけど人様のを請負するのを仕事にしてないわけですよ。
今までそういう業務をしてきたわけでもないしデザインが得意なわけでもないしね。
第一たいしたお金になるわけでもないし、それなりにめんどくさいじゃない。
正直そこらの商店のページだってHPつかってなにしようってんでもなく事業目的があるわけじゃないんで、
大学生あたりにアルバイトでちょっとペラのページをつくってもらうぐらいがちょうどいいと思っているんだけど・・・さ。
もうね、なんていうか説明がめんどくさい。
次から次に同じようなことを説明しなきゃいけなくてね・・・。
自分が講師になってセミナーしたいとかそういうモチベーションもっちあわせていないんだけど、
さすがに「ホームページ製作をやるつもりは無いけどホームページは欲しい商店主のためのホームページ講座」
とかいうセミナーでもやらずにはいられないのではないかと思うぐらいめんどくささが先立ってきました。
というのも彼らの話しを聞いてちょっと義憤にかられてきたんですよ。
自分もお店をやっているのでわかるんだけど、お店やってると営業の電話がいろいろ掛かってくるわけです。
「ホームページつくりませんか?」ってね。
ひどいところなんか「ホームページみて電話してるんですけど」とか。
おまえ誰がつくったページかわかって喧嘩うってんのかと内心思いながらね。
「反響はどうですか?もっと反響集めたいとおもいませんか?うちはSEOを(ry」
そんな感じのマニュアルどおりの営業が展開されるわけですよ。
本当に山と・・・。
ひどいところなんか
「うちはYahooの代理店をしているんですが、今キャンペーン中で…(ry Yahoo!に登録しませんか?」なんてのもあるぐらいさ。
でねー…。
こういうのに引っかかるバカいるのかなとおもってたんですよ。
いやほんと。
でもね、
「うちは月々1万5000円だよ。」
「うち2万5000円。まあ電話一本で雨の日サービスとか画像いれてくれるから満足してる。」
なんて話が目の前で展開されてるのを見てさ・・・
動的部分が何もないHPに数百万かけたとか、ほんと…、ちょっと待ってくれよと。
このHPに月々…… えーーーー!!? ちょっとほんとお願いだから待ってくれよと。
ただしホスティング費用が毎月**掛かりますとか。
サポートで…とか、
ほんと山ほどパターンがあるんですわ。
と商店主に何度言いたくなったことか。
もうやっちゃってるところには酷なので言えないんですが・・・
そういう業務をしているのがweb屋ということなのかな?
ユーザー教育じゃないけど、ほんと早急に手をうたねばと思ったよ。
デザインの手間とかバカにならないし、メンテナンスまで面倒みきれないので、
自分はホームページ製作業をやるつもりはないんだけど・・・
商店街の中でバイト5??6人囲ってまわせば済む話しじゃんね・・・。
そんなわけで、だれかバイトでホームページとかつくりたい子いない?
つか、ほんと・・・もう、なんとかしたい。
前時代的な職業っていういうけど、なんていうか日本ではそれが全盛期ですよ。
ちょっとほんと助けて。
あと、ちょっとこれの反論まじえとく。
http://d.hatena.ne.jp/waseda23/20071225/1198573722
自分がSOHOなので弁明するけど、SOHOを地方って括っちゃいけないよ!
あと、SOHO同士でアライアランスくんで億単位の案件も食えるように準備してるんだぜ。
(・・・成功するかは知らん。)
PHPが馬鹿にされる一番の要因ともなっているんだけども、セキュリティの「セ」の字も理解していない「なんちゃってプログラマー気取りのwebデザイナー(?)」が、XSS,SQLInjection,CSRF,SessionHijack等々考えうる全ての脆弱性を垂れ流してるのはどういう訳?
考えうる全ての脆弱性を垂れ流してるのは別に垂れ流したところで問題ないような情報しか扱わないからでは?
さすがにカード番号とか扱うような業者でそんなところはないんじゃね?
あんの・・・?(なんかありそうで怖くなってきた…)
ま、それは発注側の意識が前述のレベルなので…本末転倒ですがユーザー教育が急務です。
らしいね。
でも正直日本国内にはいってきているインド人は相当少ないのでまだ数年は平気かな。
今の日本の仕事のやりかただと開発室の一部をカレー臭くするぐらいの働きぐらいしかできないとおもう。
オフショアというか呼んで来てるだけだしw
それよりも今の日本において深刻さをましたのは中国だとおもう。
ほんとその通り。
ずいぶん単価はあがって日本の1/2-1/3ぐらいなんだけど、かなり質があがってきているらしい。
一時期日本でどっぷり開発していた連中が帰国したからかもしれない。
多分同価格で捜すより中国に出したほうが楽というところまできてると聞くようになった。
自分も何か損害かぶれるぐらいの案件があったら一回試してみたいとおもってる。
オフショアブリッジの人に聞くと、日本のカレンダーに合わせてくれるし、日本語ができるひとが会社に1人以上いるそうだ。
スカイプで進捗の日時確認ができて、緊急の場合には携帯に電話が掛かってくる。
インドかー…。
昔いったときは市民レベル的に中国よりも30年ぐらい遅れてるとおもってたのでこの速度は予想外。
昔はムンバイとかの方だけだとおもってた。南のほうの人は質がすこし違うのかもしれないね?
さすがにインドに対してはあと数年はアドバンテージがあると信じたい。
日本人が英語が無理っていうのはあるいみマルチバイト鎖国の成功。
絶対違う