はてなキーワード: ケアとは
男性の8割がミソジニーのモラハラの女性差別を内面化させたクズでセックス下手くそコミュニケーションも下手くそ家事もできないし不快なだけの存在なんで、こんなのとセックスができても不快で苦痛で時間の無駄でしかないよね。
2割の男性を見つけるのは非常に難しい。
男は人生に何の困難もないので、ケアもしなくて済むしダサくてミソジニーのカスでいることで自らモテない自分を選べる自由と特権にあぐら描いてるだけ。
本気でモテないと死ぬんであれば全ての男は必死で女性の話を聞いて努力するはずだからな。
元々、安西先生も別に完璧な人格者として描かれているわけではまったくなくて
「才能ある選手を追い込みすぎた結果、その選手は未熟なままアメリカに渡り、失意のうちに死ぬ」という
安西先生はそこから指導方針を大きく変えてて、猛烈なスパルタから、よく言えば限界まで生徒の自主性に任せる方針(悪く言えば放任)に切り替えてるのね。
そこには、安西先生の「才能ある選手に対して、どこまで追い込めばいいのか」「生徒の将来性と目の前の勝利、どちらを優先すべきか」という怯えと葛藤があったと思う。
例えば怪我した桜木を引っ込めろってのは正論なんだけど、安西先生と桜木は最終的にそこをエゴで踏み越えちゃう。それを間違いだって断じるのは簡単だけど、本当にじゃあそうやって引っ込めて負ければ物語的によかったの?
結果、安西先生と桜木の選択でチームは勝利し、桜木はリハビリ生活に入る…。
たしかにミッチーだってもっと細かくケアしていればそもそも不良にならなかったかもしれない。
でも作中のミッチーは一度ドロップアウトしかけたところから戻ってくることで明らかに大きく成長してる。
結局、「これが絶対正解」って選択肢は、大人である指導者たちについてすら、そもそもどこにも描かれてないのよ。
豊玉の監督もそう。指導者も生徒も、皆未熟さや挫折を抱えている不完全な人間として描かれている。
(堂本監督だけほぼ判断ミスも弱点もない理想の指導者&チームなんだけど、それを問題児軍団がひっくり返すのが醍醐味なのよ。)
このような親の元で育ったが、子どもの為にやってることに対して子どもへの愛情を感じない。
子を育てるのは老後の自分の為にであって、何にしても恩着せがましい。
女らしく嫁らしく過ごすストレスは一番立場の弱い子どもへ行く。
物心ついた段階で母親のメンタルケアをしなければならないのにうんざりした。
自分のパートナーが同様のような人ならば、自分のときと同様に子が惨い。
2022年末から世間を賑わせている例の件について思うところを書いておこうと思う。
初めに自分の考えを書き記しておく。私自身は社会的弱者の保護施策は必要、かつ各種施策は税金で支えるべきだというスタンスだ。現在俎上に上がっているのは女性支援施策のあり方についてだが、女性はどうしても様々な面で男性より不利な状態に置かれやすいのは間違いなく、それをケアする仕組みは必要であると思う(ただ、件の組織を肯定している訳では無いことは留意して頂きたい)。括弧書きで記したように私は件の組織を否定的に捉えている。かつ、その組織の裏側にいる人・団体・組織にも否定的な見解を持っている。増田を使って”なぜ彼らを否定したいのか”という気持ちを整理したい。
まず、被保護者となり得る人物について記したい。これは某ブログにも書かれているが、一言でいえば人間として「どうしようも無い人」である。普通に生活することが難しく、大抵の人ができるような当たり前のことがやれない。相手の迷惑を顧みずに自己弁護に終始する。平気な顔で嘘をつく。明日のことを考えずに行動する(下手すると数分後のことすら考えない)等々である。皆様の周りにも居ないだろうか。こういう人を助けようとした経験がある人は分かってくれるとは思うが、経験の無い人にはどれだけ熱心に諭しても伝わらない。経験の有無で事象の解像度が大きく変わる。
普通に生きていて、普通に生活している人であれば困窮しても誰かに助けて貰える(”普通”の定義は細かく定めない。義務教育課程のクラスの中の8割に共通するような属性をイメージしてもらいたい)。この”普通の人”は社会の共助の仕組みで大概救われるのである。仮に助けて貰えなかったとしても個々の尽力で社会福祉にたどり着くことも可能。自助でなんとかなるのである。全員とは言い切れないが、大半は救われる。
共助の枠組みで救えない人。例えば虚言癖を持っていてお金にだらしなく、働く意欲も無い。口を開けば文句ばかり言ってる他責性の強い人を想像して欲しい。彼女(彼)をどうやって救えば良いだろうか?
女性で容姿に恵まれていれば救われる方法はある。風俗店で働いている女性にはこういう人がちらほら見受けられる。容姿が良いのでランキング上位に入ることもあるが、性格が災いして指名が付きにくい(結果として店を頻繁に変える)という印象。ホストにもこういう人がいるが、仕事がハマれば馬鹿みたいに稼ぐこともあるのが世の不思議。粗末に扱われたい女性に寄生して金を吸い上げるのだが、最終的にどこに行きつくのかは知らない。
ホストは兎も角、こういうどうしようもない人を税金で救うのは私は仕方がないと思っている。これらの人を救おうとするならば、聖人並みの精神力を持ち、当人に人生を狂わされる覚悟で取り組まないといけない。正直そこまでやれないし、税金でアウトソースできるのなら是非やっていただきたい。世の中の多くの社会人は同意いただけるのではないだろうか。
今回のいざこざの中で「貧困ビジネス」という単語が飛び交っている。この単語もグラデーションがあり、人によってとらえ方が異なる。酷い事例はふるまいよしこ氏が語っていたようなタコ部屋。上述のどうしようもない人を集めて生活保護を申請させ、そこから利ザヤを得るというものだ。人を人として扱っておらず人権問題である。こういうことは許されるべきでは無い(ただ、ここにも色々な事情はある)。
ここで前段に記した”保護を必要としている人”を振り返りたい。自助・共助で救えない人を救うべきであると書いたが、ここにもグラデーションが存在する。単純化するために「周りが助けてくれる人」、「自分自身で対処できる人」、「どうしようもない人」の3区分に分けて考えたい。
「自分自身で対処できる人」というのは「どうしようもない人」と比較すると話も出来るし周りにも迷惑もかけないが、税金による保護を必要とする対象である。こういう手間のかからない人を集めて保護費を申請し、自身の保有する物件に住まわせることができれば殆どノーリスクで安定的な収益が得られる。原資は税金。限りなく失敗する確率の低い優良ビジネスだ。こういうことをやってる輩に対し、SNSでは「貧困ビジネス」と揶揄しているように思う。
正味な話、日々どうしようもない人を助けていたらSNSでアニメ絵にクレーム付けたり、「表自!表自」とか騒ぐ気力なんて削がれるのではないか。人のモチベーションの源泉なんて様々だし、何言ってるかわからない人と対峙することでエネルギー湧いてくる人もいるかもしれないが…。
前段で書いた「揶揄される貧困ビジネス」を行っている人・団体・組織は安定的な収益源を拡大するためにより多くの予算を求めるだろう。しかし、その活動で本当に救うべき人に手を差し伸べているのだろうか?「貧困ビジネス」で得た収益を弁護士に渡し、上に書いた「自分自身で対処できる人」を救うことで実績を稼いではいないだろうか。それで救われる人もいるのだから全部止めろとは言わない。ただ、どういう風にお金を使っていて、誰を救っているのかは明確にして欲しい。救いやすい人を助け、利益を仲間内で回していないことを証明して欲しいのだ。
大きく2つの理由があるのではないか。一つは当該団体及びそのサポーターに「社会人として必要な実務能力」と「社会人として必要な常識」が欠けていながら、上から目線かつ自身の過ちを認めないような態度をとっていること。「社会人として必要な実務能力」と言っているのは支出をちゃんと品目ごとに整理して帳簿を綺麗にするというようなもの。また、「社会人として必要な常識」は領収書を取っておくとか、プレスリリースを書き換えたらちゃんと公表するとかを指している。
真面目にやってる人から金を集めて、使う側は適当にやってよいは許されない。しかも「社会正義のために使ってるから適当でも良いでしょ」というような態度…。こういう部分も「社会人として必要な常識」が欠けていると言いたくもなる。
二つ目は社会弱者の保護を謳っている団体が本来やるべきことに注力せず、「間接的に影響を及ぼしている」という言い分で様々な分野に喧嘩を売っていることである。アニメ絵を規制したら保護すべき人々が救われるとは思えない。閑話休題で書いたが、本業を真面目にやってたら喧嘩売る気力も残らないくらい疲弊するだろうに、日々喧嘩を売る相手を探しては噛みついてくる。そりゃ喧嘩を売られた側は意味が分からない(本来の活動とどうつながるのか?という疑問が出てくる)し、そもそも本業ちゃんとやってるのか証明しろとも言いたくなる。
ここまで書いて、「どのような人が保護を必要としているか」の段落で書いた「どうしようも無い人」が頭に過った。
『普通に生活することが難しく、大抵の人ができるような当たり前のことがやれない。相手の迷惑を顧みずに自己弁護に終始する。平気な顔で嘘をつく。明日のことを考えずに行動する』
これは今回非難されている側に当てはまる部分が無いだろうか。私はこういう人を公助で救ってほしいと思いながら、一方では存在を強く否定したい気持ちもあるのだ。
この問題がどこにたどり着くか全く分からない。私としては心に矛盾を抱えつつも、「どうしようもない人」も救われる社会を望んでいる。
どんどんひゅーひゅーぱふぱふ!
わーい!
そして
と言うかもう新年明けての午後中の午後よね。
新年早々、
私は午前零時の神社初詣ダッシュを決め込もうと思ったんだけど、
今年はさすがにちょっとコロナ明けてきたので緩んできているのかな?と
本当は初詣ダッシュより神社の境内でやってる焚き火目当てなの。
だけど
今年もやってなくて意気消沈とか新年早々そんなションテンが下がることは言いたくないので、
一回りお散歩して帰ってきたわ。
あれはいつ結局食べたら良いのかしら?と
年末に無理矢理美味しいお蕎麦もいただいた手前の一回りの深夜のお散歩ってわけよ。
そんで、
一眠りして朝起きて、
今年一番の初風呂!
近所の銭湯は元旦から気合い入ってオープンしてっとこあるから、
柚子どころか芋を洗うような感じだったので、
気持ちよく飛び込み前転で湯船に飛び込めなかったのは1人だったら出来たのにーと思いつつ
銭湯の湯量と熱い温度の迫力は家のお風呂とは圧倒的違うわよね!
久しぶりだといいわね~。
私はもう朝起きてまだ顔も最低限洗ったままで、
タオル1本持って行ってってそんなまぁ休みだからいっかーって感じで気軽に銭湯キメてきて
パパッと上がってきて午前中はそんな仕上がりってところね。
比較的時間あるかなーと思って気分のまま自由気ままに流れるまま、
今やってるアニメのグッズがたくさん置いてある
ノイタミナショップのある東京行ってみようかな?って思ったけど、
ほらー
ペット飼ってる人は急に旅に出掛けられないとかってあるじゃない!
私もそうなのよ。
それに気付いちゃったから、
どっか遠くへ出掛けることは諦めたけれども、
久しぶりに銭湯に行った帰り
ひんやりとした年末の夜風に晒されながら思ったの
急にスプラトゥーン3熱がちょっと冷めたというか落ち着いたというか、
私がスプラトゥーン3ハマってる間に
いろいろと街の景色や世の中が変わってきている事に気付いたの。
まるで、
SFの巨匠アーサー・C・クラークの読んだこともない『都市と星』を思い出して、
その中の住人は「サーガ」と呼ばれる仮想ゲームに興じ10億年もの間閉鎖空間で変化のない生活を送るの。
マトリックスとかでも
もしかしてこれは仮想空間の中で本当の世界があるんじゃないか?って『都市と星』もそうだけど
その外の世界に気付く人が出てくるのよ。
私もそれと一緒でスプラトゥーン3の外には現実があるんじゃないか?って
もう本当に10億年「サーガ」で遊んでる住人と一緒じゃん!って
そう思うとスプラトゥーン3ばっかりやってるのもって気が付いて世界に出てきて今事務所にいるわけなのよ。
なんか
私このままだったらずっと10億年スプラトゥーン3やってるところだったわ!
もっと違うことにも時間費やした方がいいのかも知れないわってこと。
だけどおでんが育ってるので、
なかなか外にも長い時間お出掛けも出来ないところが
もう本当にスプラトゥーン3じゃなくておでん10億年煮込み続けて育てて、
もしかしたら、
実際リリーフランキーさんの絵本の『おでんくん』もそう言った鍋の外の外の世界に憧れる描写ってあるのよね。
そんでお客さんに選ばれてお皿に盛られて美味しく食べられてもまたすぐ戻ってくる設定みたいだけど。
他のことにも今年は目を向けて均等に色々なものをゲッツ吸収できたらな!って
急に本当に冷静になったわ。
これもなんか久しく銭湯に行って
帰りの深夜の夜風に吹かれたことが原因なのよ。
以前みたいに1日の半分をそれに費やすのは、
私はそんな真剣なことを
2023を模したパーティーサングラスを掛けながらこれを書いているところにもSFみがあると思うわ。
これ今年この瞬間しかもう売れないしあとの在庫どうなんのよ?って
まあそれを私が気にしていたら仕方ないので、
私はこれを書き終えるまで真顔で2023を模したパーティーサングラスを掛けながら新年を静かに迎えお祝いしたいところだわ。
うふふ。
お腹空いたわー
どうせスプラトゥーン3しながらルービーとおでんでってオチなので、
夜まで事務所の誰もいないところで雑用を済ませてさっさと帰るわ。
昨日の晩お湯でちゃんと煮だして
水出しルイボスティーウォーラーじゃない煮出したルイボスティーウォーラー
違いの分かるダバダーの曲って感じだわ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
・まず服をちゃんとしたの着て
スーツ屋さんでカジュアルに着れて体にあったものを、自分の収入にあった予算の中で選んで貰えばいいじゃん
変なセンスでファストファッションから選ぶからゲボださになるんだよ
・靴ぐらいちゃんとしたの履いて
キモいおじさんってなんで冬なのにサンダルなの?いい加減にしてよ
何が楽しくて冬にサンダル履いてるの?
・大きい財布捨てて
しかもお尻のポケットに入れてるのが格好良いと思ってるみたいで見てられない
・変なボディバッグ辞めなよ
隠せば隠すほど滑稽だから
常識で考えなよ
・口臭いこと認めなよ
自分は臭くないと何故か思ってるけど、キモいおじさんって100%口臭いから
𝙆𝙄𝙎𝙎するお嫁さんいないけど滅茶苦茶オーラルケアに力入れてる。
フロス通してリステリン紫でゆすいで30分ブラッシングしてフロス通してデンタルリンスでゆすいで終わる。
たまに舌苔を爪でこそぎ落とす。
歯は大切にした方が良いらしいね。
人間は社会的生物であり、多くの場合、人々は他の人との関係を通じて孤独を克服しようとする傾向があります。しかし、孤独に対する耐性は、生まれつきの由来ではありません。孤独に対する耐性は、個人の人生経験や環境、および個人のパーソナリティ特性など、さまざまな要因によって形成されます。
また、孤独に対する耐性は、年齢やライフステージによっても変化することがあります。例えば、若い人はより強い孤独に対する耐性を発揮することがありますが、年齢を重ねると、孤独に対する感受性が増し、孤独を感じやすくなることがあります。
孤独は、健康的で幸せな人生を送る上で重要な問題であり、孤独に対する耐性を高めることは、個人がより良い精神的健康を維持するために重要です。孤独を感じたときは、友人や家族、カウンセラーなど、信頼できる人と話をすることや、自己ケアをすることなど、さまざまな方法で対処することができます。