はてなキーワード: グローバル化とは
思った事をつらつらと。
自分だったら無くなってやったーって喜ぶけど、最大の被害者は受験生とその家族だろうね。スポーツやってる子だったら、試験と大会の日程が被ってしまい辞退せざるを得ない子もいただろうに。
この施策を考えた人は、最近ますます加速するグローバル化とか、教育に関する危機感とか、使命を帯びて立案したんだろう。まぁ知る由もないし、制度には穴があったんだけど。
制度の穴が塞がらないまま様々な立場の人が加わり、いつしか立案者の意図とは変質し、政治家によってゴリ押しされたのだろうか。
ドラマのドクターXでも、崇高な理想のもと立ち上げた国立機関の理事は、裏で政治家の利権が絡んだ事実を知らされ、ついには理事を離任させられた(利用された)ってのがあった。ちょうどその回の再放送を視たんで、余計にそう思ってしまう。
でも今回は身の丈発現がきっかけとなって延期となった。自分の学力にあった民間試験を利用してねって意味だったのか分からんけど、まぁ悪かったね。
延期になったけど、実際問題どーすんだろ。独立行政法人立ち上げて、どっかからのOBが入って、民間試験みたいな検定作って全国展開するのかね?
塾とかそういう教育業界も関係するし、何かしら利権を得る組織もあるだろうけど、利権有りきではなく、未来を担う受験生に寄り添った制度になりますように。
自分はあまり賢くない受験生だが、その自分ですら、民間試験といい、新テストといい、永田町の人たちは就職氷河期ならぬ進学氷河期でも起こそうとしているのか、と疑いたくなるほどの出来である。
自分は英検、GTEC、TEAPと受けたが、かなりレベルに差がある。どれがどれとは明言しないが、こんな簡単なのか、というものからセンター試験より難しいものもある。
そんな差がある中で、どうやって共通の成績を出せるのか。一応、CEFRというものがあるらしいが、能力が変わらない自分一人でも試験ごとにズレが生じた。
能力に差がある人が受ければ、自分の実力以上もしくは以下の成績になってしまうだろう。それを「公平」と呼べるわけがない。
そして、首都圏の人たちはまだいい。自分に合った試験もしくは簡単な試験を選択できる。だが、地方の人たちはどうだろうか。地方の人でも受けやすいように受験会場を近くに設置するとあるが、それはすべての団体が同じような場所に設置してくれるのだろうか?
A地方はGTECしか受けられません。とか、B地方はTEAPだけです、とかになればどう考えても地域格差が出るのは目に見えてる。そうでなくとも、首都圏の生徒のように日帰りで受験する事ができない生徒だってでてくるだろう。少なくとも、地域によって格差が生まれるのは明確だ。
折角、地方創生大臣なんて役職作ったのに地方を忌避させるような事をしてどうする。もはや呆れや怒りを通り越して滑稽としかいいようがない。
そして試験の中身もグローバルとは程遠いものが多い。特にスピーキングはガバガバである。
GTECは機械でスピーキングテストを行うが、各問に与えられる解答時間はかなり短い。何回か考えている間に解答時間を過ぎて解答出来なかった。だが、実際の会話で制限時間などあるだろうか?流石に何時間も黙るというのはダメだろうが、流石に十数秒話さないだけで話を聞かなくなる人などおるまい。重要なのは少し時間がかかってもいいから内容をちゃんと伝えられるかが重要であろう。コミュニケーションとはそういうものではないだろうか。
英検とTEAPは試験官とのテストであるが、当たり外れがひどい。英検は受けてから久しいので忘れてしまったが、TEAPは日本人のおばあちゃんだったが上手い下手の前に声が小さくて聞こえなかった。聞こえなければ会話なんてできるわけない。大きくと何回かお願いしてやっとだ。(というかそもそも、日本人同士で英語能力をテストするのに意味はあるのか。グローバルとは何なのか。)
リスニングはICプレイヤーでなくスピーカーである。スピーカーだと座席位置によって聞こえ方が違うし、だれかが咳をしようものなら、耳に入ってくるのは英語ではなく咳の音である。
これを避けるためにセンターではICプレイヤーを導入したが、民間試験が採用する気配はない。なぜわざわざ劣化させようとするのか。
極めつけは、グローバルな人材育成のための導入だと言っているくせに、英語しか選択肢が無いことだ。グローバル化とは、世界中の人たちとコミュニケーションをとる事ではないのか?
であるとしたら、何故、英語以外の外国語の試験が導入されていないのか?
お偉いさん方は、英語さえ話せれば世界中で会話が可能だと思っているのか。そんな訳ない。
英語以外は学習指導要領外だから採用するわけない、という人がいるかもしれないが、この試験に採用されている英検1級やIELTSはどう見ても、高校の指導要領外のレベルである。英語であれば要領外でも許されるかと言われればNOであろう。なおかつセンターでは外国語は選択できる。
私にはグローバル化云々と語る文部科学省のホームページが胡散臭いものに見えてしょうがない。
どんな商品であれ、実験であれ、試行と修正を繰り返して完成するのは自明だろう。試行を一回行っただけで、精度が完璧になる事は奇跡に近い。
だが、もうプレテストは行わないという。それでどうやって精度を向上させるつもりか。まあ、「1~2年は精度向上の期間」と言っているので、来年整った試験ができるのは望み薄だろう。
内容もこれまた酷い。解いてみたが、ほぼほぼ文章を抜粋しろというものだが、小学校と中学校とやってた「~に当てはまる部分を本文中からn字で抜き出しなさい」を思い出させてくれる出来であった。要するに、思考力などほぼいらない。そして、おそらく言っている事は同じでも、言い回しが特殊だという回答も出てくるだろう。それを対応できるかも問題だ。
おおよそ50万人が受験する試験を20日程度で採点しなくてはいけないので、学生バイトを採用するといっていたが、学生バイトに公平かつ適切な採点をしろというのは無理な話だ。
彼らは素人である。たとえ明確な採点基準があったとしても、それと全く同じ言い回しの解答とはいかないだろう。そういったときに彼らの採点は公平と言えないだろう。
また不正や贔屓も横行するのでは、という心配もある。自分の後輩に受かってほしいと思う先輩もいるし、受験する側も大学生にいい点が取れるように「お願い」するだろう。そうなると、もはや公平云々など言っていられない。
数学は単に数式を書き込むので、採点ミスというものは少ないだろうが、それならなぜセンターのままにしないのか甚だ疑問である。
そして大学入試とは本来、独立行政法人の仕事、すなわち利潤追求を目的としない事業ではないのか。何故、事業を請け負っているはずのベネッセに対策講座などという、あからさまに利潤追求を目的としたものがあるのか。
受験者も大学も得をしない、得をするのは一部の企業だけだ。そんなことは既に分かっている。様々なところから不満や怒りの声、中止を求める声が上がっている。(当然だろうが特に高校から)
どうして、この問題の当事者であるはずの学生の声を政府は聞いてくれない?教育は国の繁栄の最重要課題のひとつではないのか。
大学での教育が重要なのは、ご存じだろう。なのに、なぜさらに実力とは違う部分で門戸を狭めようとするのか。
ここまで長々と書いてきたが、詰まるところ、改善なき改革はやめていただきたい。もし、どうしてもというのなら、きちんとした整備された状態になってから、いつに実施するというのを決めてほしい。受験生は数か月で新しいものに対応できるほど万能ではない。中止すると混乱するなどとおっしゃるが、混乱するのは我々高校生ではない。学生をおざなりにしてきたあなた方だけだ。
最後に、
この日記を書いてて、懐かしい言葉を思い出した。子どもを保育園に入園させられなかったお母さんが放った、「保育園落ちた日本死ね!」という言葉だ。
自分たちの努力ではどうしようもできないほどの壁がある、しかもそれが国民の代表であるはずの行政によるものであると感じている今、あのお母さんの言葉が重く響く。
以前は保育。そして今度は教育。
だれからも「入試落ちた日本死ね!」という言葉が出てこない結末を迎えられる事、そしてこの日記がしがない高校生の戯言で終わる事を祈る。
嫌われる理由がよくわかった
①フェミニストは弱者男女に寄り添ってない、強者の女性ばかりの味方である
→現状の日本のフェミニストは強者の女性を救う方向にしか動けておらず、(正社員女性の育休など)ケアワーカーなどの低賃金などを訴えるフェミニストはごくわずかである
最近は未婚女性と非正規労働との結びつきを訴える人も増えたが、なんとなくだが経済学者や社会学者でも男性ばかり訴えてる気がするんだが…
②どうみてもフェミニストのせいで悪くなった状況もあるのに、それをフェミニストの責任と認めない
→専業主婦の減少など
日本はアンチフェミ先進国家で良いんじゃないかな、同僚の産休育休時短なんてみんなうざいって思ってるでしょ?はよやめろって思ってるでしょ?子供抱えながら働いてる女性は旦那が稼いでくれれば良いと思ってるでしょ?
・ネットが普及して30年くらい、またスマホの普及でさらにSNS等で個人レベルで世界に情報発信・また世界の情報収集できるようになったから。
・一部の環境での問題があっという間に世間に拡大し、それに対してそれそれが主張をするうちに、近い考えを持つ集団が形成され、それが市民権を得たと
・グローバル化の名のもとに古来の日本人的価値・思想が破壊されたから。(良い方向と悪い方向、両側に向け猛スピードに成長)
・「遠慮・配慮・謙遜・譲り合いの心」まで破壊され、「なんでもあり・言ったもん勝ち」がまかり通る風潮になったから。
・「誰もが責任を取らなくなった」から。(教育が悪い・テレビが悪い・ゲームが悪い・政府が悪い・政治が悪い・「アベが悪い」「左翼が悪い」)
・・・みんな誰かのせいにして「自分は悪くない」って言ってしまうことにも抵抗がなくなってきているし・・・
昔のほうが良いとは言いませんが、世の中どんどん歪んできていると思いますよ。
もてはやされた二つの言葉だけれど、時代が進むにつれて「元ある文化を外部から来た人が不快に思わないように削る」事をそう呼ぶようになってしまった。
日本の空気を読む文化だとか、人に押し付けない態度が批判されて、欧米のように自己主張こそ正義みたいな価値観を一方的に押し付けられる。
キャラクター絵の肌の色、アニメや漫画にまで口を出されて何も書けなくなってしまう。
これまでのダイバーシティやグローバル化は、外部からくる人の事を尊重し寛容的になる、一方的なものだった。
厭、そもそも寛容性とは双方にあってはじめて成立するもので、片方だけの寛容はただの植民地、隷属化だろう。
ダイバーシティやグローバル化の中、年功序列等が無くなるのは良い事。だがそれで日本的なものが失われていくのもおかしい。
フェミニストがセクシャルマイノリティーに言及することが多いけど、結局シスヘテロを中心にした同心円状の広がりしか語れないんでしょ?偉い人がグローバル化なんて言ってるけど、結局自国を中心に考えてるみたいに。
それは別に悪いことだとは思わない。人は結局自身の身体的リアリティに帰着させることでしか物事を理解できない。それは人間として当たり前のこと。また様々な立場から物事を考える上で、「フェミニズムという立場」から物事を考えることも大切だろう。
しかしいい加減、「私たちはマイノリティ差別に敏感なので、セクシャルマイノリティのこともよくわかっている」という顔をするのはやめてほしい。「わかる」わけないじゃん。でもそれでいいじゃん。あなた達はあなた達で、私達は私達だ。でもまずそれを認めようよ。セクシャルマイノリティの痛みを綴る言葉を簒奪しないでよ。
私はフェミニズムが嫌いなんじゃなくて、フェミニストが嫌いなのかな。フェミニズムには学問としての側面があるけど、フェミニストは所詮アジテーターにしか見えない。「フェミニズムに共感します」って何やねん。フェミニズムの立場からも物事を考えられる癖がついていれば十分でしょ。フェミニズムを中心に考える必要はないし、それに凝り固まるのは危ない。
わかる。。。
なんか以前より住みにくい。
昔感じていた東京の包容力とかはなくなって、ただただ正しいこととか、
手段を問わないような強さが幅を利かせている感じとか、、、、
増田の言う通り、生活に便利な店は近くにないのに駐車場もない。
出かけるのがおっくうというのもわかる。
新生活で必要な衣装ケースやらカーペットやらの持ち運びも一苦労。
ちょっとした良いものなんかも、適正価格に是正されてきて高価。
千と千尋に出てくる神様用の食べ物のようにすごく美味しそうな物も
山のように積みあがって売られているし、冗談だろうと思うような
高価で良いものが過剰に溢れてるけど、買えない。
駅から遠くても家賃や地価が高い割には、あちこちに廃墟のような
これが格差の広がりなのかなと思う。
グローバル化が浸透してくるとこういう感じなのかもしれないなと
思ったりする。